日向亮司 さん プロフィール

  •  
日向亮司さん: ひこばえ
ハンドル名日向亮司 さん
ブログタイトルひこばえ
ブログURLhttp://hikobae0869.blog.fc2.com/
サイト紹介文俳句は自分史です。自作の俳句に写真とエッセイを添えて綴ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供160回 / 365日(平均3.1回/週) - 参加 2013/05/30 20:28

日向亮司 さんのブログ記事

  • 日脚伸ぶ
  • 駅前に増える人の輪日脚伸ぶ1月28日(日)朝、能見台駅集合である。9時15分から30分の間に集合とのことだったので9時10分に到着したが、すでに大勢の人が来ていて第1便が出発する所となっていた。受付で参加費500円を支払いその場で待っていたが、まだ来ない人がいるらしく9時30分になってようやく第3便として出発することになった。10名のメンバーである。ガイド役は私より年配と思われる男性と付き添いの男性である。二人とも70 [続きを読む]
  • 寝言とも春呼ぶ神のお告げとも会社に横浜金沢観光協会から「よこかな」というパンフレットが届いた。何気なく見ていると「ボランティアガイド養成講座受講生募集中」の文字が目に留まった(写真)。「面白そうだぁ」と思った。主催するのは「横濱金澤シティガイド協会」というNPO法人である。この会の催すウォーキングには何度となく出掛けている。これに参加者側ではなくガイドとして参加するというのである。興味をそそられた。 [続きを読む]
  • 枯岬
  • かはらけの跳ねて砕けし枯岬年末に出掛けた旅を長々と書いてしまったが、ようやくこれが最後の記事となる。道の駅で鮒寿司を買って上機嫌で向かったのが長浜港である。そこから「竹生島(ちくぶじま)」に渡ろうというのである。<城ばかり見てきたので最後は島を巡るのもいいだろう>との思いつきである。「神の棲む島」と言われ古来より信仰の対象とされてきたと書かれている。島の弁天様は日本三大弁天の一つである。行くしかな [続きを読む]
  • 成木責
  • 手心のなき傷一つ成木責翌朝「道の駅」は開いていた。正月休みという情報は何だったのだろう。開店と同時に入ってパック詰めの鮒寿司を一つ買い求めた。私「臭いってどれ位なものだろう?家に帰ったらまずはカズ君に食べさせて、どんな反応するか試してみよう(笑)」妻「止めなさいよ。冗談でもそういうことはするもんじゃないでしょ」私「冗談、冗談。する訳ないジャン(笑)」妻「分からないからねぇ、あなたっていう人は」行動 [続きを読む]
  • 氷魚
  • 氷魚も佳しさりとてまずは鮒寿司を2日目の宿は琵琶湖北端の尾上温泉に予約していた。湖に向いて全室露天風呂付きというところで決めたようである。彦根から長浜を抜け琵琶湖沿いの道を北へ走った。宿に到着する手前で「道の駅」に立ち寄った。飲み物やスナックの補給である。妻が買い物をしている間、店内をぶらついてみた。いつもの癖である。興味を惹いたものが一つあった。「ニゴロ鮒」である(写真)。私「これ、美味そう。一 [続きを読む]
  • 石垣は何も語らず冬の城関ヶ原から次の目的地「彦根城」まで高速道路に乗った。右手に雪で真っ白になった伊吹山が見えた。関ケ原の戦いのあと石田三成が敗走した山である。山岡荘八著「徳川家康」18巻「関ヶ原の巻」の文章である。「十五日の夜、三成が伊吹山に逃げ込んだおりには、まだ従う者は二十人を超えていた。すでに記したように十五日の夜の雨は、この敗戦の主従を間断なく打ちのめした。ようやく止んだと思うと、又以前に [続きを読む]
  • 雪野原
  • もののふの声とも風の雪野原関ヶ原古戦場は一面の雪野原だった。道路もタイヤ2本分を残して雪に覆われている状態である。ゆっくりと走りながら「笹尾山交流館」という建物の場所まで到達した。笹尾山とは石田三成が本陣を構えた場所である。交流館は生憎の休館日だった。<甲冑体験>の看板が出ていたので<雑兵にでもなってみたかったのに……>と思ったものである。途中に「決戦地」の幟が立っていたのでその場所まで歩いてみる [続きを読む]
  • 雪礫
  • 雪つぶて悲しき我に当りもす桃配山を出て西軍本陣が置かれた関ケ原古戦場跡へと向かった。国道21号線を右に折れるとそのすぐ先に関ケ原製作所があった(写真)。「ここかぁ……」一瞬にして21年前が蘇った。私が42才の時である。役職は取締役総務部長だった。当時の社長をサポートして張り切っていた時代である。幹部や営業の若手を引き連れて「ニューセキガハラ運動」を掲げ会社を成長させているこの会社を見学に来たのだった。建 [続きを読む]
  • 除雪
  • 除雪して天下分け目の地なりけり大垣を出て関ヶ原に近づくと辺りは雪景色へと変わっていった。道は除雪しているようで走るのに不自由はないのだが、いつチェーンを付けなければならなくなるかと不安は募ってくる。その時急に道の左手に「徳川家康、最初陣地」の看板が現われた。「おお、見なければ……駐車場はどこ?」それらしき駐車場が見当たらない。その先にガソリンスタンドがあったのでひとまず入ることにした。ガソリンは半 [続きを読む]
  • 翁の忌
  • 翁の忌過ぎて訪ねし結びの地翌朝ホテルを出て向かったのが関ヶ原である。21年前に訪ねていながら見過ごしてしまっていた古戦場跡を一目見たかったのである。不安は雪である。チェーンは持っているとはいえ付けたことがないので、何とか無しでもいいようにと願うばかりである。途中、大垣市に入り、大垣城の案内を見つける。「大垣城?なんだっけ。見るべき城だったっけ?」一瞬迷ったが、迷った時は行くべきである。道を逸れて城へ [続きを読む]
  • 道三の死に美学あり美濃の雪「蝮、生きていろっ」と、闇にむかって叫んだ。叫びながら、信長は奇妙なことに気がついた。あの日は天文二十二年四月二十日であった。いまは年号こそ変われ、その三年後の、しかもおなじ四月二十日ではないか。偶然かも知れない。しかし信長には偶然とも思えず、(どこまで芸のこまかい男か)と驚嘆した。蝮は、自分と会った四月二十日を選び、おのれの命日にしたかったのではあるまいか。いやそうに違 [続きを読む]
  • 冬の日
  • さるぼぼを飾りて冬の日の匂ふ城を見たあと、工場長が推奨していた金華山レストランに入ってみた。さすがにウナギを食べた後なので味噌カツには手が出なかったが、長良川を眼下に濃尾平野を一望にする眺めには感服するよりなかった。その時ちょうど工場長からメールが届いた。先程、私が送った問い合わせへの返答である。「信長のさるぼぼ。吸盤で車のガラスに貼れる小さいやつ」妻に話すと下の売店で売っていたという。<いやに安 [続きを読む]
  • 痩せ馬の背にも喩へて雪の尾根岐阜城といえば永禄10年(1567)の美濃攻めである。信長が斉藤義興の居城だった稲葉山城を攻め取った戦いである。司馬遼太郎「国盗り物語」からその場面を抜き書きしてみよう。『信長は城を取り巻いて城外に二重三重の鹿垣(ししがき)をつくり、敵の援軍の来襲を防ぎつつ、持久戦に取りかかり、稲葉山城を兵糧攻めにして干し上げようとした。滞陣十四日目のことだ。秀吉はその間、配下の野武士を使い [続きを読む]
  • これしきの雪を恐れて檻の中さていよいよ岐阜城である。「ブラタモリ岐阜編」を見て来ておおよその知識は出来ている。まずは金華山ロープウェー乗り場へと向かった。そこであることを思い出した。「そういえば工場長が金華山に行ったら何かを買ってきてくれと言っていたなぁ?何だったっけ?」あんまり下らない物だったので、いい加減に聞いていたようで全く思い出せない。メールを入れてみた。「何を買うと言っていたっけ?」しば [続きを読む]
  • 師走空
  • 噛み砕く半助苦し師走空犬山城を出て11時である。ウナギ屋を探すか岐阜城へと向かうかの選択だが、走りながら探そうということになった。中途半端な選択である(笑)。木曽川を渡ってしばらく走ったところで妻が見つけた。「あった!うなぎって書いてある」「どこどこ?」「正面!」「おお、大き過ぎて目に入らなかった(笑)」川魚料理<うな神>が目の前にあった。大きな駐車場でいかにも繁盛していそうな店構えである。店内も椅 [続きを読む]
  • 霙るる
  • 霙るるや天守に暗き武者溜り桶狭間を出たのは8時である。まだ朝食を摂っていない。コンビニで買ったおにぎりを車の中で2つ食べただけである。少し空腹を覚えていた。しかし車はすぐに高速に乗った。次の目的地は犬山城である。岐阜城に行く前に寄らなければならない必見の国宝天守である。「腹減ったなぁ。どうしようか?」「私は大丈夫だけど、食べたいのならどこかへ寄る?」「ここはいい物を食べないとなぁ。旅の初めでいい加 [続きを読む]
  • 枯木
  • 義元の駒を繋ぎし枯木かな雪は断続的に続き、積もることも覚悟したが桶狭間に着く頃には雨に変わっていた。「ここが桶狭間かぁ……」住宅地の中に最近出来たばかりの公園という感じだった。少々物足りなさを覚えたが、信長の時代そのままなどということもあり得ない。入り口に「桶狭間古戦場公園」と書かれた立派な石碑があり、写真の銅像2体も立派なものである。今川義元の「駿公墓碣」と刻まれた墓碑や「義元首洗い泉」「駒つな [続きを読む]
  • 粉雪
  • 粉雪や所詮人間五十年さすがに夜の高速道路は空いていたが目的地の桶狭間まで片道320キロ、到着予想時刻は7時20分、長距離走である。コンビニで飲み物などを買い込んでから走り始めた。そしてすぐに用意しておいたCDを掛けた。下天は夢かや 幻なるか所詮 人間五十年燃えて崩れる本能寺炎の中に信長は男の最後それよ何んの言葉も要るものか噫々 嵐呼ぶよな朝が来る三波春夫の「信長」である。これを聞きながら尾張、美濃、信長の [続きを読む]
  • 数へ日
  • 数へ日をとまれかくまれ城を見に岐阜に行くと決めて最初にしたのが司馬遼太郎の「国盗り物語」を読むことである。随分前のことだったので懐かしく読み返した。油売りの身から一国の主へと駆け上がっていく斉藤道三とその娘婿となる織田信長。全4巻を一気に読み終えた。次が「ブラタモリ岐阜編」を見ることである。ちょうど12月2日放映だったのでビデオに録画しておき、出掛ける前に見ておいた。金華山の地形、城のありよう、「戦わ [続きを読む]
  • 行く年
  • 行く年のたまたま席を隣り合ふ平成8年11月15日(金)、今から21年も前のことではあるが、岐阜県にある関ケ原製作所様を訪問している。その会社で展開されている全社員参加の企業活性化運動(ニューセキガハラ活動)を視察することが目的だった。当時の社長はじめ14名のメンバーでバスをチャーターして訪ねている。「生き物とは変わり続けるもの。企業も常に変革し続けることが大切である」と関ケ原製作所の矢橋社長(当時)の言葉 [続きを読む]
  • 賀状書く
  • ご先祖の一人なりけり賀状書く毎年、孫達には愛情たっぷりの年賀状を送っている。今年はどんなものを送ろうかと考えたがそう易々と奇抜で面白いアイデアなど思い浮かばない。しかたなく今人気のパンダの絵でお茶を濁そうということになった。シャンシャンにあやかろうというのである。それを知った妻がアドバイスしてくれた。「さわちゃんは今、パンダではなくウサギがお気に入りのようだよ」写真左の年賀状がさわちゃんに宛てたも [続きを読む]
  • 福達磨
  • 福達磨富めば則ち事多し明けましておめでとうございます。皆様におかれましては良き新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。平成25年5月に始めたこのブログも皆様に支えられながら4年半を経過し、回数も570回を超えるまでとなりました。初めの頃は週2回程度の更新でしたが、いつしか週3回となり、毎回楽しみにしてくれている人もいて励みになっております。これも偏に皆様方の心温まるご支援の賜物と心から感謝しております。 [続きを読む]
  • 冬ぬくし
  • 文豪の愛用の椅子冬ぬくししばらくして直木邸の前所有者である知人の会長にお会いした。その前日、別の会合でたまたまそのお嬢さんである現社長にもお会いしている。会長「やぁ、日向さん、あの家に行ったんだって?」私「そうです。昨日はお嬢さんにもお会いし、話を聞かせてもらいました」会長「そうだってねぇ。何だってまた、あそこに興味を持ったの?」私「文学を志す者としては一度は見ておきたい場所です(笑)」会長「わっ [続きを読む]
  • 掛取り
  • 無い袖は振れぬ掛取りとの問答すぐに本が届いた。「直木三十五伝」(植村鞆音著)。作者は三十五こと本名植木宗一の甥でテレビ東京の取締役を務めた人である。若い頃から伯父のことを調べていて定年を機に執筆したという本格的な評伝である。大阪生まれで大阪育ちの宗一は20才で早稲田大学に入学するため上京。学生生活半年で知り合った女性(のちの妻、佛子寿満)と同棲を始め、実家からの仕送りを使い果たし生活に困窮する。学費 [続きを読む]
  • 鍋焼
  • 鍋焼の汁のこぼれて届きけり家に帰って私が最初にしたことはアマゾンで直木三十五の本を買うことである。彼が書いた本ではなく、彼の一生が分かる本である。たまたま「直木三十五伝」(植木鞆音著)という本があったのですぐに注文した。そもそも芥川龍之介の「芥川賞」は分かるが、直木三十五の「直木賞」は分かりづらい。<そんなに有名な作家だったのだろうか?>である。どんな人だったのだろう。いい機会なので調べてみること [続きを読む]