こにる さん プロフィール

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こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第287回:谷戸城(甲斐源氏の祖 逸見清光の城といわれる)
  • 訪問日:2016年8月谷戸城(やとじょう)は山梨県北杜市にあったお城です。遺構が良く残り国史跡に指定されています。歴史は古く12世紀前半 鎌倉時代にさかのぼります。源新羅三郎義光の孫であり、源義清の子である清光は父 義清とともに常陸より配流され,逸見(へんみ)に土着し逸見氏となりました。谷戸城はこの逸見清光の城であった伝わります。清光は多くの子を授かりそれぞれが甲斐国に広がり勢力を伸ばしたことに甲斐源氏の [続きを読む]
  • 第286回:新府城(武田氏滅亡前夜の拠点城郭)
  • 訪問日:2016年8月新府城は山梨県韮崎市にあったお城です。武田勝頼が滅亡前 最後に拠点とした城として知られ,国史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。長篠の戦いでの敗戦後,北条氏とも同盟関係を解消することになった軍事的緊張が高まる最中の1581年 武田勝頼は躑躅ヶ崎館からの本拠地移転を決断します。真田昌幸らにより1月から9月の突貫工事で一応の完成を見た新府城に勝頼が移ったのは12月。1582年3月 甲州征 [続きを読む]
  • 第284回:甲府城(近世 甲斐国の支配拠点)
  • 訪問日:2016年8月甲府城は山梨県甲府市にあったお城です。舞鶴城とも呼ばれ現在は舞鶴公園として整備されています。県史跡に指定され日本100名城にも選定されています。戦国時代を通じて甲斐を支配した武田氏が織田信長の侵攻により滅亡した1582年,すぐさま本能寺の変が起こります。信長が横死した後は一時的に甲斐は徳川氏の支配下となりますが,豊臣秀吉の世となった16世紀の後半に加藤光泰が携わって,浅野長政・幸長(よしな [続きを読む]
  • 第283回:要害山城(信玄生誕の地と伝わる詰城)
  • 訪問日:2016年8月要害山城(ようがいさんじょう)は山梨県甲府市にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎館の詰城として武田信虎が1520年より築城し駒井昌頼が城主として入ったとされます。直後に駿河の福島正成(くしままさしげ)が攻め寄せ時は信虎の正室である大井夫人が懐妊したまま逃げ込み,この城で後の武田信玄を産み落としたとされます。武田氏滅亡後も川尻 [続きを読む]
  • 第282回:躑躅ヶ崎館(戦国最強軍団 武田氏の本拠地)
  • 訪問日:2016年8月躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は山梨県甲府市にあったお城です。最も知名度の高い戦国大名の一つ甲斐源氏の名門 武田氏三代(信虎,信玄,勝頼)の本拠地となった中世城館跡です。現在は武田神社となっていますが,城郭遺構も良く残り武田氏館跡として国史跡に指定されています。日本100名城にも武田氏館の名前で選定されていおりますが,昔よりなじみ深い躑躅ヶ崎館にて説明します。甲斐守護としての武田氏 [続きを読む]
  • 第281回:勝沼氏館(武田氏分家の居館)
  • 訪問日:2016年8月勝沼氏館は山梨県甲州市にあったお城です。良く残る中世居館跡として国史跡に指定されています。築城時期は不明も15世紀と推定されていますが,勝沼氏の名前が知られるようになるのは武田信虎が東の小山田氏への備えとして交通の要衝であるこの地に弟の武田(勝沼)信友を配したことから始まります。その後,勝沼 武田氏は武田本家に従い多くの戦に従軍しましたが,信友は1535年に北条氏綱との戦いで討死。その後 [続きを読む]
  • 第280回:岩殿城(武田氏の滅亡に関わったことで知られる城)
  • 訪問日:2016年8月岩殿城(いわどのじょう)は山梨県大月市にあったお城です。昔は岩殿山城と呼ばれることの方が一般的であったような気がしますが,県史跡に指定されている名称に従っています。築城時期,築城者など正確なことは不明ですが,一般的には戦国時代を通じて甲斐東部である郡内地方を収めた小山田氏の城として知られます。小山田氏は元々は桓武平氏の流れをくむ独立勢力ですが武田氏と婚姻関係を重ね重要な旗下として [続きを読む]
  • 第279回:本栖城(中道往還を押さえる境目の城)
  • 訪問日:2016年8月本栖城(もとすじょう)は山梨県南都留郡富士河口湖町にあったお城です。富士五湖の一つ本栖湖のそばの城山に築かれた山城です。正確な築城時期は不明ですが16世紀前半 天文年間には武田氏の城として存在し,源吉春という人物の記録が残っています。中道往還を押さえる境目の城,つまり国境警備の城として機能したと考えられます。このためか山麓には街道を守備したとされる石塁遺構が多く残されています。1582年 [続きを読む]
  • 第278回:三雲城(六角氏が逃げ込んだ三雲氏の城)
  • 訪問日:2016年9月三雲城は滋賀県湖南市にあったお城です。1488年に六角高頼が幕府軍に攻撃された際に,甲賀の有力な国人であった三雲典膳に築城させたと伝わります。三雲氏は甲賀五十三家の一つとして南近江の守護大名から戦国大名となっていた六角氏に仕えました。1563年の六角氏の内部の混乱である観音寺騒動の時も六角義賢,義治が観音寺城からこの城に逃げ込みました。1568年の織田信長の侵攻の時にも義賢,義治が逃げ込むと [続きを読む]
  • 第277回:山本山城(阿閉氏が守った山城)
  • 訪問日:2016年6月山本山城は滋賀県長浜市にあったお城です。琵琶湖岸に位置する山本山に築かれており,南側から見ると一見独立峰のようですが,背後は賤ヶ岳方面まで連なった山脈の突端に位置しています。このため縦走する登山客もあり登山道は十分に整備されています。平安時代の末期 山本源氏の山本義経が本拠地としていたと伝わりますが,この城を有名にしたのは1570年より始まった織田信長と浅井長政との争いです。山本山城は [続きを読む]
  • 第276回:賤ヶ岳砦(賤ヶ岳の戦いでは羽柴方が布陣)
  • 訪問日:2016年6月賤ヶ岳砦は滋賀県長浜市にあったお城です。琵琶湖と余呉湖の間,陸地が狭くなった部分に聳える賤ヶ岳に築かれています。史料上の初見は1573年 織田信長と交戦状態にあった浅井長政の救援軍として朝倉義景の兵が布陣したとされます。1583年信長の死後に勃発した羽柴秀吉と柴田勝家の争いで知られる賤ヶ岳の戦いでは無数に築かれた陣城,砦の一つとして機能します。賤ヶ岳砦には羽柴方の桑山重晴が守将として入り佐 [続きを読む]
  • 第275回:玄蕃尾城(賤ヶ岳の戦いに臨む陣城の傑作)
  • 訪問日:2016年6月玄蕃尾城(げんばおじょう)は福井県敦賀市と滋賀県長浜市の県境にあったお城です。中尾山城や内中尾山城とも呼ばれます。国史跡に指定され,続日本100名城にも選定されています。県境にあるため福井県か滋賀県かどちらにカテゴライズするか悩むところで,主郭の位置が滋賀県にあるのですが,100名城に合わせて福井県としておきました。1583年 羽柴秀吉と柴田勝家の争いで知られる賤ヶ岳の戦いの際,両軍の対峙が [続きを読む]
  • 2018年 御挨拶
  • 皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2013年3月より開始したお城訪問のブログも2017年中に第270回を越えました。2017年は10月にタイに転勤となってしまいお城に行けたのは8月の北海道まで。それでも訪城数は75城くらいはいったようです。お城ブログは何とか継続出来て60城を超える記事を更新することが出来ました。しばらくは溜まったネタを吐き出すだけですが,引き続き更新を続けようと思ってい [続きを読む]
  • 第274回:森寺城(能越国境を押さえる大規模な山城)
  • 訪問日:2016年10月森寺城は富山県氷見市あったお城です。越中でも大規模な部類に入るこの城は市史跡にも指定されています。16世紀に能登守護 畠山義続により築城され元々は湯山城と呼ばれていました。街道を取込み能登と越中の境目を押さえる役割を担っていたとされます。畠山氏の滅亡の後は上杉氏や織田氏の支配下にあったと考えられますが,現在に残る石垣などは織田期の改修である可能性が高いようです。その後、能登の前田利 [続きを読む]
  • 第273回:七尾城(謙信を苦戦させた能登 畠山氏の本拠地)
  • 訪問日:2016年10月七尾城は石川県七尾市あったお城です。能登の誇るこの巨大な山城は松尾城とも末尾城とも史料には現れますが,七つの尾根に多くの曲輪が築かれた要塞であったことから七尾城と呼ばれるようになったそうです。遺構の残存状態も良く,国史跡に指定され,日本100名城,日本五大山城にも選ばれています。15世紀前半に能登守護であった畠山満慶(はたけやまみつのり)が築いたとされ,その後次々に増強され能登畠山氏 [続きを読む]
  • 第272回:小丸山城(前田利家による能登国統治拠点)
  • 訪問日:2016年10月小丸山城は石川県七尾市あったお城です。室町時代から戦国時代を通じて能登国の中心であった七尾城は全国を代表する大規模な山城でしたが,1581年能登の大名となった前田利家は交通や経済活動に不便な山城から海に近いこの地に小丸山城を築き本拠地を移しました。築城時期について1582年から1589年頃と推定に幅がるようです。本拠地が加賀の金沢城へ移った後は利家の兄である前田安勝が城主となり,1615年の一国 [続きを読む]
  • 第270回:御舘館(中世平城の遺構が良く残る謎多き館跡)
  • 訪問日:2016年10月御舘館(おたちやかた)は石川県羽咋郡宝達志水町あったお城です。都市開発等により遺構の残りにくい中世平城にも関わらず良好に遺構が残っており県史跡に指定されています。一方で歴史的には謎が多く,岡部六弥太(忠澄),順徳上皇によるものという江戸時代の書物にあるそうですが,裏付けも無く時代的にも確度が低いのではないかと思われます。遺構からは南北朝期から戦国時代に機能したと考えられますが,誰 [続きを読む]
  • 第269回:一乗寺城(加越国境に築かれた境目の城)
  • 訪問日:2016年10月一乗寺城は富山県小矢部市あったお城です。市史跡にも指定されているこの城の史料上における初見は1369年(応安2年)と南北朝時代にさかのぼり,南朝方で越中守護の桃井直常の持ち城の一つでした。この時は北朝・幕府方の能登守護 吉見氏頼が桃井勢を攻めて勝利を収め,桃井氏は越中を追われることになりました戦国時代に入り織田信長が本能寺の変で命を落とすと,羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合が対立すると [続きを読む]
  • 第268回:勝賀城(香西氏の詰め城)
  • 訪問日:2017年1月勝賀城は香川県高松市あったお城です。1221年 承久の乱で功のあった香西資村(こうざいすけむら)が本拠地である佐料城の詰め城として標高364mの勝賀山に築いたとされます。室町時代から戦国時代前期にかけ讃岐の守護大名であった細川氏の重臣として勢力を伸ばしましたが,1575年の長宗我部元親の侵攻に備え香西佳清(こうざいよしきよ)本拠地を藤尾城へ移し,最終的には1585年の羽柴秀吉の四国征伐で降伏し廃城 [続きを読む]
  • 第267回:佐料城(細川氏の重臣であった香西氏の本拠地)
  • 訪問日:2017年1月佐料城(さりょうじょう)は香川県高松市あったお城です。正確な築城時期は不明ですが1221年の承久の乱で功があった香西氏初代の香西資村(こうざいすけむら)が詰め城である勝賀城とともに平時の居館として築いたのがこの佐料城とされます。香西氏は細川氏の重臣としてこの城で勢力を伸ばしましたが,戦国時代には三好氏,十河氏に従うようになりますが,1577年 長宗我部元親の侵攻に備えて香西佳清(こうざいよ [続きを読む]
  • 第266回:高松城(生駒親正の築いた全国屈指の水城)
  • 訪問日:2017年1月高松城は香川県高松市あったお城です。香川県を代表する近世城郭で国史跡に指定され,日本100名城にも選定されいます。また,縄張りに海水を取り込んだ代表的な城として今治城,中津城とともに日本三大水城とされます。四国を平定した豊臣秀吉より讃岐国を与えられた生駒親正は1587年 引田城に入ります。親正は山城で不便な引田城から聖通寺城へ移りますが,やはり手狭であったため海に面し水運を押さえるこの地 [続きを読む]
  • 第265回:十河城(鬼十河の城から長宗我部氏との激闘へ)
  • 訪問日:2017年1月十河城(そごうじょう)は香川県高松市あったお城です。市史跡に指定されています。南北朝時代より植田氏の一族である十河氏の城であったとされています。戦国時代に入り三好元長の四男であり三好長慶の弟にあたる十河一存(そごうかずなが)を養子に迎えます。鬼十河の異名を持ち猛将と知られた一存はこの城を本拠地として三好氏の一翼として活躍しましが三十歳の若さ急死,死因は落馬や暗殺といった諸説があり [続きを読む]
  • 第264回:恒屋城(横堀,竪堀がよく残る恒屋氏の城)
  • 訪問日:2016年5月恒屋城(つねやじょう)は兵庫県姫路市にあったお城です。中世城郭の遺構をよく残し市史跡に指定されています。築城時期は不明ですが15世紀の中頃と考えられています。城主の恒屋氏は不明な点が多いですが戦国時代には播磨守護 赤松氏の傘下にある国人衆であったと考えるのが妥当ではないかと思います。初代の恒屋重氏より五代に渡りこの城に在城しましたが,五代目の政直の時に織田信長の命により播磨に侵攻して [続きを読む]