こにる さん プロフィール

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こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供69回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第265回:十河城(鬼十河の城から長宗我部氏との激闘へ)
  • 訪問日:2017年1月十河城(そごうじょう)は香川県高松市あったお城です。市史跡に指定されています。南北朝時代より植田氏の一族である十河氏の城であったとされています。戦国時代に入り三好元長の四男であり三好長慶の弟にあたる十河一存(そごうかずなが)を養子に迎えます。鬼十河の異名を持ち猛将と知られた一存はこの城を本拠地として三好氏の一翼として活躍しましが三十歳の若さ急死,死因は落馬や暗殺といった諸説があり [続きを読む]
  • 第264回:恒屋城(横堀,竪堀がよく残る恒屋氏の城)
  • 訪問日:2016年5月恒屋城(つねやじょう)は兵庫県姫路市にあったお城です。中世城郭の遺構をよく残し市史跡に指定されています。築城時期は不明ですが15世紀の中頃と考えられています。城主の恒屋氏は不明な点が多いですが戦国時代には播磨守護 赤松氏の傘下にある国人衆であったと考えるのが妥当ではないかと思います。初代の恒屋重氏より五代に渡りこの城に在城しましたが,五代目の政直の時に織田信長の命により播磨に侵攻して [続きを読む]
  • 重要なお知らせ
  • 皆様に重大な報告があります。2013年3月より続きお城記事更新数も250本を超えるこのブログに一大転機が訪れました。今まで一定のペースで訪問したお城の記事を書き続けていた”こにる”こと私めが転勤になってしまいました。行き先は何とタイ王国(Thailand)でございます。残念ながらこれでは流石に日本のお城を訪問しまくるのは不可能です。しかしながら,訪問済みでブログにアップしていない城が100城程あるのです。これらを仕 [続きを読む]
  • 第263回:置塩城(赤松氏による播磨最大級の山城)
  • 訪問日:2016年5月置塩城は兵庫県姫路市にあったお城です。「おじおじょう」とも「おきしおじょう」とも呼ばれます。播磨守護であった名族 赤松氏の本拠地として築かれた巨大山城で,白旗城,感状山城とともに赤松氏城跡として国史跡に指定されています。1441年の嘉吉の乱により没落した赤松氏を再興した赤松政則(あかまつまさのり)が1469年に築城したとされます。以後,五代に渡り赤松氏の本拠地として機能しますが,1577年 織 [続きを読む]
  • 第262回:三崎城(北条氏による三浦半島の支配拠点)
  • 訪問日:2016年5月三崎城は神奈川県三浦市にあったお城です。元々,この地域を支配した三浦氏の城郭として機能していたと考えられますが,1516年 北条早雲の攻撃により三浦氏が滅亡すると三崎城は北条氏の三浦半島支配拠点として拡充整備され,旧三浦氏の家臣も取り込み大規模な水軍が編成さました。一大水軍基地となりった三崎城は対岸の房総半島で勢力を持っていた里見氏との争いで重要な役割を果たしました。16世紀後半 北条氏 [続きを読む]
  • 第261回:新井城(三浦氏滅亡の地)
  • 訪問日:2016年5月新井城は神奈川県三浦市にあったお城です。ここは鎌倉時代より続く名門であり,戦国時代は扇谷上杉家の傘下しとして伝統勢力を代表する三浦氏が戦国武将・下剋上の代表格として知られる北条早雲により滅亡に追い込まれた地です。道寸(どうすん)こと三浦義同(みうらよしあつ)は北条早雲の最大のライバルといえる名将でありましたが,徐々に追詰められ居城としていた岡崎城を攻められ息子の三浦義意(みうらよ [続きを読む]
  • 第260回:和歌山城(御三家である紀伊徳川家の城)
  • 訪問日:2016年5月和歌山城は和歌山県和歌山市にあったお城です。言わずと知れた暴れん坊将軍 徳川吉宗を輩出した徳川御三家の一つ紀伊徳川家 55万石の城。国史跡に指定され日本100名城にも選定されています。元々は1582年に紀州を平定した豊臣秀吉が実弟の豊臣秀長に命じて築かせた城です。当時,秀長の家臣であった築城名人として知られる藤堂高虎が普請奉行として築城に携わりました。秀長は本拠地の大和郡山城に居り,家臣の桑 [続きを読む]
  • 第259回:太田城(水攻めにより落ちた一揆の拠点)
  • 訪問日:2016年5月太田城は和歌山県和歌山市にあったお城です。和歌山駅の程近くにあったとされる太田城は近代の宅地化によりその姿のほとんどを消しています。歴史的には備中高松城や忍城とともに日本三大水攻めにも数えられることから,羽柴秀吉軍の水攻めにより敗れ去った城として知られます。秀吉の天下統一の過程で反旗を翻した紀州の勢力は次々に滅ぼされていきます。雑賀の一揆残党が太田左近宗正を大将として立てこもった [続きを読む]
  • 第258回:交野城(市街地に良く残る中世城郭遺構)
  • 訪問日:2016年5月交野城は大阪府交野市にあったお城です。私部(きさべ)集落にあることから,私部城(きさべじょう)と呼ぶことも多いのですが,この呼び方は江戸時代以降に定着したようです。1570年に城主であった安見右近が織田信長方の勢力として確認されますが,三好三人衆方の松永久秀に殺害されています。1571年 安見信七郎は松永久秀の攻撃を佐久間信盛や柴田勝家等の援護を受け退けています。 【左】交野郵便局横に残る [続きを読む]
  • 第257回:[丹波]金山城(明智光秀による丹波攻略の基地となった)
  • 訪問日:2016年4月金山城(きんざんじょう)は兵庫県篠山市と丹波市の境目にあったお城です。市史跡に指定されています。織田信長の命で丹波攻略を進める明智光秀は1975年に赤井直正の黒井城を攻めた際,八上城の波多野秀治の裏切りにより,手痛い敗北を喫しました。1978年 再度攻め入った際には丹波勢の主力拠点である黒井城と八上城の連携を分断するべく,金山城を築城したとされます。標高537mの金山の山頂に織豊城郭ならではの [続きを読む]
  • 第256回:荒木城(猛将 荒木鬼が守る城)
  • 訪問日:2016年4月荒木城は兵庫県篠山市にあったお城です。以前は細工所城(さいくしょじょう)と呼ぶ方が多かったように思うのですが,最近は荒木城を前面に出しているようですので,そちらに合わします。篠山市福住から綾部方面に向かう綾部街道(現在の国道173号線)を押さえる位置にあり,八上城の東を守る重要拠点であったと考えられます。築城は天文年間(1532〜1555),荒木氏によるとされ,丹波で最大勢力であった波多野氏に [続きを読む]
  • 第255回:籾井城(丹波の青鬼伝説が残る城)
  • 訪問日:2016年4月籾井城(もみいじょう)は兵庫県篠山市にあったお城です。篠山を東西に貫く西京街道(現在の国道372号線)を見下ろす位置にあり,篠山盆地への東の入口を押さえる要衝にあります。在地の国人領主である籾井氏の城と伝わり,文献では籾井下野守晴重や籾井五郎親昌の名前が確認されています。1577年より織田信長軍の丹波方面司令官として明智光秀の丹波侵攻が本格化し,八上城,荒木城 等とともに攻撃を受けていま [続きを読む]
  • 第254回:秋月城(黒田の分家が治めた町)
  • 訪問日:2016年4月秋月城は福岡県朝倉市にあったお城です。風情のある城下町で有名なこの城は県史跡に指定されています。元々は戦国時代までこの地域の支配者であった秋月氏の秋月種雄が詰城である古処山城に対する平時の居館として1203年に築いとされます。1587年 豊臣秀吉の九州征伐で秋月氏の最盛期を築いた秋月種実がこの地を追われ廃城となっていました。江戸時代に入り1624年 黒田長政の三男である黒田長興が支藩として福岡 [続きを読む]
  • 第253回:久留米城(摂津有馬氏により整備された筑後の主要城郭)
  • 訪問日:2016年4月久留米城は福岡県久留米市にあったお城です。本丸部の堀と石垣を中心とした遺構しか残っていませんが,県史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。元々は篠山城とも呼ばれ,永正年間(1504−1521年)に付近の土豪によって築かれた砦のような規模の城からスタートしています。戦国時代には大友氏と龍造寺氏の間で争いの場となりますが,この頃は宗教勢力である高良山座主の丹波良寛の弟 麟圭(りんけい [続きを読む]
  • 第252回:柳川城(名将 立花宗茂が守った難攻不落の水城)
  • 訪問日:2016年4月柳川城福岡県柳川市にあったお城です。町中に巡らされた堀以外の遺構はほとんど残っていませんが,市史跡に指定されています。元々は16世紀前半に蒲池氏が築いたとされますが,16世紀後半の永禄年間の1558-1590に蒲池鑑盛(かまち あきもり)が居城とし整備を進めました。その後,龍造寺氏の持ち城となりますが,豊臣秀吉の九州征伐後の1587年 立花宗茂(たちばなむねしげ)が13万石の大名として入りました。1600 [続きを読む]
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  • 【はじめに】ご訪問ありがとうございます。こにるのお城訪問記は"こにる"が訪問した全国のお城を書き残そうと始めたブログです。子供の頃から歴史が好きであったこともあり,歴史小説等を読み漁ると数々の武将が活躍したお城に行ってみたくなるのです。壮麗な天守を備えた有名なお城はもちろんのこと,中世の山城や石碑のみとなったお城も取り上げることも多々あります。【新着記事】2017/7/8 筑紫氏館と勝尾城2017/7/1 [筑後]福島 [続きを読む]
  • 第251回:筑紫氏館から勝尾城(筑紫氏の築いた一大拠点)
  • 訪問日:2016年4月筑紫氏館(ちくししやかた),勝尾城(かつのおじょう)は佐賀県鳥栖市にあったお城です。勝尾城筑紫氏遺跡(かつのおじょうちくししいせき)として,勝尾城と麓の筑紫氏館跡,さらに谷筋を挟んで両側に展開する5つの支城(鬼ヶ城,高取城,葛籠城,鏡城,若山砦)を含む東西2.5km,南北2.0kmの広範囲に戦国時代後期の遺構が分布しており国史跡に指定されています。筑紫氏(ちくしし/つくしし)は九州北部の守護 [続きを読む]
  • 第250回:[筑後]福島城(柳川城の重要な支城であった)
  • 訪問日:2016年4月福島城は福岡県八女市にあったお城です。1587年 山下城を本拠地としていた筑紫広門により築城されたとされます。関ケ原の戦いの後に筑後に入った田中吉政により本拠地である柳川城の支城として改修・整備され,東の押さえとして重要な役割を担い,三万石で田中康政が入城しました。1620年に吉政の子である田中忠政が無嗣断絶となると福島城も廃城となりました。 【左右】最盛期の福島城は三重の堀を巡らし広大な [続きを読む]
  • 第247回:[筑前]岩屋城(嗚呼壮烈 岩屋城址)
  • 訪問日:2016年4月岩屋城は福岡県太宰府市にあったお城です。元々は中国地方より進出した大内氏の軍事拠点として機能していたと見られますが,現在の姿になったのは16世紀中盤の天文年間と言われています。大友氏家臣であった高橋鑑種(たかはしあきたね)が入り,宝満城とともに大宰府を押さえ,筑前支配の重要拠点となりました。鑑種が主家の大友氏に反旗をを翻し追放された後に断絶しかけた高橋氏の名跡を吉弘鎮種(よしひろし [続きを読む]
  • 第246回:赤司城(争奪の場から柳川城の支城へ)
  • 訪問日:2016年4月赤司城(あかじじょう)は福岡県久留米市にあったお城です。築城時期は定かではありませんが赤司氏によって鎌倉時代に築かれたと考えられています。その後,大友氏,赤司氏,筑紫氏,秋月氏といった豪族達の争奪戦の場となり城主も多く変わったようです。大友氏支配の時代に立花(戸次)道雪が立花山城の前に極短期間ですが城主を務めたそうです。関ケ原の戦いの後1601年 筑後国を与えられた田中吉政は本城の柳川 [続きを読む]
  • 第245回:福岡城(黒田氏による近世 筑前の支配拠点)
  • 訪問日:2016年4月福岡城は福岡県福岡市にあったお城です。1600年 関ヶ原の戦いの後,戦功のあった黒田長政が筑前に入り,名島城を居城としましたが,城下町の発展のため商都であった博多に隣接した地域に福岡城を築城。本拠地を移しました。以後は明治維新まで福岡藩の藩庁として機能し明治維新まで黒田氏の支配が続きました。現在の福岡の発展において重要な役割を果たした福岡城は国史跡に指定され日本100名城にも選定されてい [続きを読む]
  • 第244回:名島城(智将 小早川隆景による筑前統治拠点)
  • 訪問日:2016年4月名島城(なじまじょう)は福岡県福岡市にあったお城です。元々は立花鑑載(たちばなあきとし)が立花山城の支城として築いたとされます。16世紀後半 豊臣秀吉の九州平定後に筑前を与えられた小早川隆景はそれまでの統治拠点であった立花山城が山城で不便であったため,海に面した名島城を改修し本拠地としました。この後に続く秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)における兵站基地としての役割を視野に入れても [続きを読む]
  • 第243回:立花山城(立花道雪・宗茂が守った筑前随一の山城)
  • 訪問日:2016年4月立花山城は福岡県糟屋郡新宮町,糟屋郡新宮町久山町,福岡市の市境に聳える立花山に築かれたお城です。14世紀前半 南北朝時代に大友貞載(おおともさだとし)が築き立花氏を称し歴代の居城としました。1568年 立花鑑載(たちばなあきとし)が主家の大友義鎮(宗麟)に背いたことにより,攻め滅ぼされます。戸次鑑連(べっきあきつら)が立花氏の名跡を継ぎ立花道雪となり城主となり敵となった秋月氏,筑紫氏を退 [続きを読む]