こにる さん プロフィール

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こにるさん: こにるのお城訪問記
ハンドル名こにる さん
ブログタイトルこにるのお城訪問記
ブログURLhttp://tkonish2.blog.fc2.com/
サイト紹介文訪問したお城を徒然なるままに
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/06/01 11:56

こにる さんのブログ記事

  • 第303回:丸亀城(累々と築かれた高石垣の上に建つ現存天守)
  • 訪問日:2017年1月丸亀城は香川県丸亀市にあった城です。現存天守で名高いこの城は国史跡にも指定され,日本100名城にも選定されています。豊臣秀吉政権下の1587年 讃岐国を与えれた生駒親正は1597年より築城を開始します。築城は息子の生駒一正に引き継がれ6年の歳月を経て完成します。1615年 元和の一国一城令により廃城となり,1540年には生駒氏が転封となり讃岐を離れますが,代わって西讃岐5万石で入った山崎家治が廃城となっ [続きを読む]
  • 第302回:笠島城(瀬戸内海で活躍した塩飽水軍の根拠地)
  • 訪問日:2017年1月笠島城(かさじまじょう)は香川県丸亀市にあった城です。東山城とも呼ばれ県史跡にも指定されています。瀬戸内海に浮かぶ本島(ほんじま)の丘陵に築かれ古くからの塩飽水軍(しわくすいぐん)の根拠として知られています。戦国時代の初期には安富氏,続いて能島村上氏が本島を治めたと言われます。また,1575年 には福田又次郎が城主であり長宗我部元親の侵攻により落城したとの記録が残ります。1582年 豊臣秀 [続きを読む]
  • 第301回:下津井城(瀬戸内海を睨む要衝)[付 下津井古城]
  • 訪問日:2017年1月下津井城は岡山県倉敷市にあった城です。県史跡に指定されています。築城時期については正確にはわかっていないものの,16世紀の末頃に島であった児島に宇喜多秀家が築いたとされます。宇喜多氏の本拠地であった岡山城は瀬戸内海より内陸に築かれているため,瀬戸内海を監視する必要があったようです。江戸時代に入り備前国が池田氏の領地となると,池田輝政の四男である池田長政が入り,現在残る石垣作りの城へ [続きを読む]
  • 第300回:岡山城(宇喜多氏が築いた漆黒の城)
  • 訪問日:2017年1月岡山城は岡山県岡山市にあった城です。現在も岡山県のシンボルであるこの城は国史跡に指定され日本100名城に選定されています。漆黒の天守から烏城(うじょう)とも呼ばれます。元々は14世紀の中盤 南北朝時代に上神高直が石山に築いた石山城が前身とされます。1573年 備前の戦国大名となる宇喜多直家は城主の金光宗高を謀殺。沼城より石山城に居城を移し大規模な改修が加えられていきました。16世紀の終盤,豊臣 [続きを読む]
  • 第299回:亀田城(豪快な二重堀切と高土塁が見所)
  • 訪問日:2017年4月亀田城は京都府南丹市にあった城です。旧 日吉町の在地領主である小林氏の城と考えられているのですが,歴史詳細はわかっておりません。 ●亀田城は田原川の南に張り出した丘陵の突端に単郭の城が築かれています。●入口の様子。門を開けて谷筋に向かいます。 ●左手の丘陵に取りつきます。●主郭の切岸が見えてきました。 ●途中にあった石組の井戸跡。●主郭の様子。 ●主郭の南西隅には少し土塁が残り,そ [続きを読む]
  • 第298回:野化館(土塁と堀切が良く残る宇野氏の城館跡)
  • 訪問日:2017年4月野化館(のげやかた)は京都府南丹市にあった城です。旧 日吉町地区の在地領主であった宇野氏の城館跡です。この地域の宇野氏や小林氏 等は丹波守護代であった八木城の内藤氏に従っており,付近の東胡麻城や大戸城といった山城と連携しながら,戦国末期に影響力が強まった黒井城の赤井直正に対抗したとされます。 ●丘陵の突端に築かれた野化館。●小川を渡り,登城します。 ●城に入るといきなりこの大堀切。 [続きを読む]
  • 第297回:大戸城(国人領主 塩貝氏の城)
  • 訪問日:2017年4月大戸城(おおとじょう)は京都府南丹市にあった城です。塩貝氏が城主であったとされ塩貝城と呼ぶこともあります。戦国時代の遺構を良く残し市史跡に指定されています。築城時期などの詳細は不明ですが,地元の伝承によると戦国時代末期の城主は塩貝将監でした。父の晴政も子の晴道も将監を名乗り,明智光秀の丹波侵攻の際に波多野氏に味方した塩貝氏は攻められ大戸城は落城したとされます。 ●大戸城の遠景。● [続きを読む]
  • 第296回:[丹波]上野城(城館跡と詰城跡が残る)
  • 訪問日:2017年4月上野城は京都府船井郡京丹波町にあった城です。美女山の尾根の先端に築かれ山麓の城館部分を上野館。詰城部分の山城を上野山城と分けて呼ぶこともあります。歴史は不明な点が多く,須知城の須知氏の城と考えるのが一般的なようですが,上野氏の城という説もあります。個人的には須知城からも非常に近い距離ですので,須知一族の支城または居館と考えるのが妥当かと思います。もしそうであれば,16世紀後半 明智光 [続きを読む]
  • 第295回:須知城(織豊系城郭の特徴を残す石垣の城)
  • 訪問日:2017年4月須知城(しゅうちじょう)は京都府船井郡京丹波町にあった城です。南北朝時代に地元の国人 須知氏によって築城されたとされますが,資料はほとんど残っておらす正確なことは分かっていないそうです。1489年の室町時代の丹波国人一揆の際,須知氏は主要勢力であったとされ,守護 細川氏により制圧されたため一時没落しました。戦国時代に入り16世紀後半 織田信長軍の司令官として明智光秀が丹波に侵攻すると,当 [続きを読む]
  • 第294回:猪崎城(明智光秀に対抗した塩見氏の城)
  • 訪問日:2018年6月猪崎城(いざきじょう)は京都府福知山市にあった城です。正確な築城時期は不明ですが,16世紀前半に塩見頼勝の三男とされる塩見利勝が築いたとされます。織田信長軍の明智光秀が丹波に侵攻しますと,1579年 横山城(福知山城の前身)の城主であった同族の塩見信房が敗れると,猪崎城主であった塩見家利は自ら城に火を放って逃れましたが,逃れる途中で討死しました。 ●南からみる猪崎城。現在は三段池公園とし [続きを読む]
  • 第293回:福知山城(明智光秀による丹波の主力城郭)
  • 訪問日:2018年6月福知山城は京都府福知山市にあった城です。市史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。最盛期には福知山城公園として整備された本丸部分のみならず,現在は都市化により消滅していますが町全体に堀が巡らされた惣構えであったことが分かっています。丘陵の突端の築かれ,天然の川を利用した縄張りは明智光秀によるものとして知られますが,元々この場所にあった塩見(横山)頼勝が築城した中世城郭であ [続きを読む]
  • 第292回:[摂津]丸山城(中世を通じて能勢氏 代々の居城であった)
  • 訪問日:2016年12月丸山城は大阪府豊能郡能勢町にあった城です。正確な築城時期は不明ですが,11世紀の前半 長元年間よりこの地を治めた能勢氏により築城されたとされます。1578頃には時の当主であった能勢頼国は織田信長軍下の荒木村重の指揮下にいたようです。1579年には山下城の塩川国満により頼国は謀殺されてしまいます。その後,頼国の弟である能勢頼次は信長軍の明智光秀と連携するようになりましたが,1582年の本能寺の変 [続きを読む]
  • 第291回:地黄陣屋(能勢氏による城郭づくりの陣屋)
  • 訪問日:2002年4月,2016年12月地黄陣屋(じおうじんや)は大阪府豊能郡能勢町にあった城です。別名 地黄城とも呼ばれます。元々からこの地の在地領主であった能勢氏は付近の丸山城を居城としていましたが,能勢頼次は中々しぶとい人生を歩んでいます。山下城の塩川国満と争い,織田信長や羽柴秀吉といった勢力に対抗したことにより,一時期は城を失ってしまいます。どこを放浪していたか定かではありませんが,徳川家康に仕えるこ [続きを読む]
  • 第290回:美濃金山城(歴代森氏が居城とした石垣作りの城)
  • 訪問日:2016年12月金山城(かねやまじょう)は岐阜県可児市にあったお城です。織豊系城郭の特徴を良く残すことから国史跡に指定され,続日本100名城にも選定されています。元々は烏峰城(うほうじょう)と呼ばれ斎藤道三の一族と言われる斎藤正義(妙春)が1537年より築城しました。1548年 久々利頼興に久々利城に招かれ,そこで謀殺されてしまいます。1565年より織田信長の家臣であった森可成(もりよしなり)が城主となり金山城と [続きを読む]
  • 第288回:明智長山城(明智光秀 出自の城と伝わる)
  • 訪問日:2016年12月明智長山城は岐阜県可児市にあったお城です。明智城,単に長山城とも呼ばれ、市史跡に指定されています。1342年に土岐氏一族の明智頼兼により築城され,凡そ215年間 明智氏の居城であったとされる場所です。1556年 斎藤義龍により攻撃された際は,明智光安以下が籠城し自刃,落城。この時に脱出して後に再起したのが明智光秀であったと伝わるのですが,確たる証拠あるわけではありません。元々、明智光秀の前半 [続きを読む]
  • 第287回:谷戸城(甲斐源氏の祖 逸見清光の城といわれる)
  • 訪問日:2016年8月谷戸城(やとじょう)は山梨県北杜市にあったお城です。遺構が良く残り国史跡に指定されています。歴史は古く12世紀前半 鎌倉時代にさかのぼります。源新羅三郎義光の孫であり、源義清の子である清光は父 義清とともに常陸より配流され,逸見(へんみ)に土着し逸見氏となりました。谷戸城はこの逸見清光の城であった伝わります。清光は多くの子を授かりそれぞれが甲斐国に広がり勢力を伸ばしたことに甲斐源氏の [続きを読む]
  • 第286回:新府城(武田氏滅亡前夜の拠点城郭)
  • 訪問日:2016年8月新府城は山梨県韮崎市にあったお城です。武田勝頼が滅亡前 最後に拠点とした城として知られ,国史跡に指定され,続日本100名城に選定されています。長篠の戦いでの敗戦後,北条氏とも同盟関係を解消することになった軍事的緊張が高まる最中の1581年 武田勝頼は躑躅ヶ崎館からの本拠地移転を決断します。真田昌幸らにより1月から9月の突貫工事で一応の完成を見た新府城に勝頼が移ったのは12月。1582年3月 甲州征 [続きを読む]
  • 第284回:甲府城(近世 甲斐国の支配拠点)
  • 訪問日:2016年8月甲府城は山梨県甲府市にあったお城です。舞鶴城とも呼ばれ現在は舞鶴公園として整備されています。県史跡に指定され日本100名城にも選定されています。戦国時代を通じて甲斐を支配した武田氏が織田信長の侵攻により滅亡した1582年,すぐさま本能寺の変が起こります。信長が横死した後は一時的に甲斐は徳川氏の支配下となりますが,豊臣秀吉の世となった16世紀の後半に加藤光泰が携わって,浅野長政・幸長(よしな [続きを読む]
  • 第283回:要害山城(信玄生誕の地と伝わる詰城)
  • 訪問日:2016年8月要害山城(ようがいさんじょう)は山梨県甲府市にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎館の詰城として武田信虎が1520年より築城し駒井昌頼が城主として入ったとされます。直後に駿河の福島正成(くしままさしげ)が攻め寄せ時は信虎の正室である大井夫人が懐妊したまま逃げ込み,この城で後の武田信玄を産み落としたとされます。武田氏滅亡後も川尻 [続きを読む]
  • 第282回:躑躅ヶ崎館(戦国最強軍団 武田氏の本拠地)
  • 訪問日:2016年8月躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は山梨県甲府市にあったお城です。最も知名度の高い戦国大名の一つ甲斐源氏の名門 武田氏三代(信虎,信玄,勝頼)の本拠地となった中世城館跡です。現在は武田神社となっていますが,城郭遺構も良く残り武田氏館跡として国史跡に指定されています。日本100名城にも武田氏館の名前で選定されていおりますが,昔よりなじみ深い躑躅ヶ崎館にて説明します。甲斐守護としての武田氏 [続きを読む]
  • 第281回:勝沼氏館(武田氏分家の居館)
  • 訪問日:2016年8月勝沼氏館は山梨県甲州市にあったお城です。良く残る中世居館跡として国史跡に指定されています。築城時期は不明も15世紀と推定されていますが,勝沼氏の名前が知られるようになるのは武田信虎が東の小山田氏への備えとして交通の要衝であるこの地に弟の武田(勝沼)信友を配したことから始まります。その後,勝沼 武田氏は武田本家に従い多くの戦に従軍しましたが,信友は1535年に北条氏綱との戦いで討死。その後 [続きを読む]
  • 第280回:岩殿城(武田氏の滅亡に関わったことで知られる城)
  • 訪問日:2016年8月岩殿城(いわどのじょう)は山梨県大月市にあったお城です。昔は岩殿山城と呼ばれることの方が一般的であったような気がしますが,県史跡に指定されている名称に従っています。築城時期,築城者など正確なことは不明ですが,一般的には戦国時代を通じて甲斐東部である郡内地方を収めた小山田氏の城として知られます。小山田氏は元々は桓武平氏の流れをくむ独立勢力ですが武田氏と婚姻関係を重ね重要な旗下として [続きを読む]
  • 第279回:本栖城(中道往還を押さえる境目の城)
  • 訪問日:2016年8月本栖城(もとすじょう)は山梨県南都留郡富士河口湖町にあったお城です。富士五湖の一つ本栖湖のそばの城山に築かれた山城です。正確な築城時期は不明ですが16世紀前半 天文年間には武田氏の城として存在し,源吉春という人物の記録が残っています。中道往還を押さえる境目の城,つまり国境警備の城として機能したと考えられます。このためか山麓には街道を守備したとされる石塁遺構が多く残されています。1582年 [続きを読む]