リカーナ さん プロフィール

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リカーナさん: セクシー美女の世界史解説
ハンドル名リカーナ さん
ブログタイトルセクシー美女の世界史解説
ブログURLhttps://ameblo.jp/02963701/
サイト紹介文 通説を検証し、私が改めます。
自由文通説を検証し、ビシバシ、私が改めます!世界的視野に立って、ズバズバ、ぶった切ります!そして、嵐を巻き起こします!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2013/06/11 20:19

リカーナ さんのブログ記事

  • シンガポールのアルメニアン教会
  • 1835年建設、アルメニア人初の修道士であるカトリック啓蒙家、聖グレゴリー( アルメニアの福音宣明者 )に捧げられています。シンガポール最古のキリスト教教会です。 301年に司教グリゴリーによってアルメニア教会が創設された。アルメニア使徒教会、アルメニア正教ともいわれている。、キリスト教の正統教義とされたローマ=カトリックの三位一体説と対立した説を信奉する。 世界中に拡散し、商工業の担い手として各地にネッ [続きを読む]
  • 東欧史学会分科会出席報告 2017.3.24
  • 『ハプスブルクのドナウ帝国主義』 水木里香「ハプスブルク帝国のボスニア・ヘルチェゴヴィナ併合について、当国の帝国主義のあらわれであるという表現は納得がいきません。当時の東南ヨーロッパの情勢は、露土戦争に勝利したロシアが、ルーマニア、セルビア、ブルガリアに自国の軍隊を駐留させており、ハプスブルク帝国は包囲された状況にありました。 特にセルビアは、“大セルビア主義”を掲げ、トルコ治世下にあったボスニア [続きを読む]
  • 妻選びは慎重に!悲劇のマクシミリアン皇帝
  • ラテンアメリカに親フランスの帝国を築きたいナポレオン3世の意向もあってフランスは、メキシコに出兵。カトリックに極めて忠実なメキシコの軍隊とメキシコの富を期待したのであった。 ←こちらも、よろしく(^_-)-☆そして、1863年6月にメキシコ市を陥落させたのだった。これは、聖職者や保守派の残党迎えられた。メキシコ市の保守派国家評議会は政治形態を君主制に切り替えた。そこで、ハプスブルク家のマクシミリアンに [続きを読む]
  • いつから、英語が世界でのさばりはじめたのか??
  •  1763年のパリ協約(七年戦争の講和会議)からだろう。表のとおり、七年戦争の勝利の結果、英国は、現在の合衆国とカナダがある北米植民地と、世界第二の人口を誇る英語公用語国となったインドを勢力圏とした。もしフランスの方が勝利していたら、違う結果になっていただろう。ヨーロッパの有力語であるドイツ語圏では、オーストリア側とプロシア側に分かれ、同胞を殺しあう羽目となっていた。 オーストラリア及びニュージーラン [続きを読む]
  • 貧民より惨めなマリー・アントワネットの息子 その2
  • 母親マリー・アントワネットから離され、息子のルイ=シャルルは、窓もない独房に、2年間も閉じ込められた。髪を短く切られ、革命服を着て、革命の歌を強要して歌わされた。彼が、どんなに交互しても、看守に「黙れ」と怒鳴られた。 王子ルイ=シャルルは、新鮮な空気を吸うことも出来なくなった。独房にはトイレもなく、悪臭が立ち込めていた。暗黒な部屋には、どぶネズミが走り回っていた。王子の寝台には、虱や南京虫がたかって [続きを読む]
  • 貧民より惨めなマリー・アントワネットの息子
  • 1785年3月27日 ノルマンディー公ことルイ・シャルルは父ルイ16世 母マリー・アントワネットの次男(第3子)として春の訪れを告げるように、ヴェルサイユ宮殿にて誕生した。金髪に青い目、丈夫でぷくぷくとした愛嬌たっぷりな赤ん坊だった。母アントワネットからは 愛のキャベツ父ルイ16世からは かわいいノルマンと呼ばれ姉マリー・テレーズからは、まるで彼女の赤ちゃんのように可愛がられた。それに応えるかのよ [続きを読む]
  • マリー・アントワネットのお兄さんヨーゼフ
  •  マリー・アントワネットが有名すぎて、今日では、お兄さんヨーゼフが霞んでしまっている。そもそも、フランク王国成立以来サリカ法の影響を受けていた大陸諸国では、王位後継者は男子と規定されていた。であるからにして、王家での出産は、王子か王女かで、晴れ晴れとした青空のような爽快感と、暗雲たちこめる重苦しい重圧感ぐらいの違いがあった。特に第一子の場合には! ヨーゼフ王子の誕生の知らせは、ウィーン中に「万歳! [続きを読む]
  • マリーアントワネットのお兄さんレオポルド
  • レオポルドというドイツ製の強力な戦車がありますが、ここでは、温厚で誠実なトスカーナ大公であったレオポルド一世のお話をします。 どんな殿方かと申し上げると、あの有名なマリーアントワネットのお兄さんです。お母さんが、女帝と言われたマリア・テレジアで、お兄さんはヨゼフ2世です。お父さんフランツ1世が崩御されると、神聖ローマ帝国の帝位とオーストリア大公位を長男であるお兄さんのヨゼフ2世が引き継いだのです。兄さんの [続きを読む]
  • 善き皇帝フランツって、ご存知ですか?
  • 神よ、皇帝フランツを守りたまえわれらが良き皇帝フランツを!皇帝に長寿あれ、幸運の輝かしき栄光のうちに!皇帝も行くところ月桂樹の一枝も栄誉の花輪に繁れり!神よ皇帝フランツを守り給え、われらが良き皇帝フランツを!陛下の御旗を高々と掲げ、勝利と実りを輝かせよう!陛下の集いに英知と賢明と誠実を置こう!そして、威厳の煌かせてただ正義を行おう!神よ、皇帝フランツを守り給え、われらが良き皇帝フランツを!汝の豊潤な才幹を [続きを読む]
  • ハムレットは、何故、デンマークが舞台か?
  • お奨めの世界遺産の旅0円Amazon  英国の国民的文学者のシェイクスピアが著した「ハムレット」がなぜ、本国の英国ではなく、デンマークなのか? これは、英国史において、デンマークの只ならぬ影響力を示している。それは、現代に続く英国史を形作ったのが、海からやってきたデンマーク人の祖先だったからだ。 西ローマ帝国崩壊に合わせて、アングロ・サクソン・ジュートがドイツ北部から民族移動し、七王国を形成し [続きを読む]
  • トランプ氏のような過激なアンドリー・ジャクソン大統領
  • アンドリュー=ジャクソン大統領は、書類に許可を与えるとき、All Correct と書くつもりで、まちがって Oll Korrect と書いた。OKということばはここからきていると言われている。OKの由来は多くあるがこれが有力らしい。ジャクソンは無学ではあったが、決断力に富み、実効力があったので、民衆には絶大な人気があった。大統領になったときは61歳、白髪長身を黒い軍服を身につけ、就任演説で「この日こそ人民にとってほこる [続きを読む]
  • ロシア女帝の後宮(逆大奥)
  • この時代のロシアの統治者は、エリザベータ女帝であった。ペチコート同盟が物語るように、オーストリア、フランスと同盟を結微、プロイセンに対抗した。この女性、政治よりも色事が好きであった。何年か前に日本で、逆転大奥(男の後宮)の映画が、上映されていたが、実際にロシア宮廷にはこれが彼女のためにあった。女帝が海軍服を着て、女装させた男子が敬礼をしたという。ロシアという国は、あんまり男女の区別が無い。軍事専科 [続きを読む]
  • 女性は残酷!
  • 呂后は、有名な劉邦の妻。彼女は、夫が愛した女性をすべて集め、皆殺しを行った。そののち、劉邦の愛人が子供を産んだので、その愛人と子供を殺すことに決めた。まず、その愛人を独房に押し込む。その間に、彼女の息子を惨殺し、一族をも当然に皆殺し。とっておきは、呂后の殺し方!まずは、耳を燃やしてから、声が嗄れるまで毒薬をのます。両目を楽しみながら、刳り貫いた。眠らせないように水をかけ続ける。殴りつくす。さらに彼 [続きを読む]
  • この肖像画の方は誰でしょう?
  • その名を、エイメ・デュ・ビュク・リヴェリといいます。フランス人です。まあまあの家柄で、従姉妹はナポレオンに捨てられたジョセフィーヌの従姉妹です。かのじょの実家は、フランス領であるカリブ海のマルティニーク島です。暖かくて羨ましい限りです。 彼女も当時の良家の子女として、男子禁制の女子修道院で、勉学及び修行を行い無事終了いたしました。そして、帰郷する航路上で、海賊が現れ拉致されてしまいました。この海賊 [続きを読む]
  • 玉の輿に乗るおまじない・・・
  • 貧しい家庭の娘にとって、人生逆転のチャンスは“玉の輿”と相場が決まってる。女子は、アレキサンダーやナポレオン・ボナパルトのように、敵の矢の中、弾の中、危険をおかして(軍を率いるため先頭にたつから)、突撃しなければ人生が開け無いということはないのだ。トルコに近いロシア’(特にコーカサス地方、ヨーグルトのおかげで肌が綺麗)では、女の子がうまれると母親たちは、次のような子守唄を祈りを込めて、歌って聞かせ [続きを読む]
  • 徳川宗家の菩提寺
  • 徳川家は先祖代々浄土宗の家系であった。しかし、天海という天台宗僧侶(寛永寺住職)が徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与し、この僧が影響力を発揮し、始めは浄土宗の増上寺を菩提寺としていたが、表のように交互にそれを務めることとなった。家康は死後、神様になってしまったので神道ということになった。 しかし、ヨーロッパでは考えられないことである。同じ王家が、例えばプロテスタントに [続きを読む]
  • 幕末(1850年代)の世界都市ランキング
  • i1ロンドンの堂々たる第一位は流石です。世界の工場イギリスの繁栄は、世界初の万博を開催することで、その圧倒的な工業力を世界に知らしめた。後の明治の勲偉であられる伊藤博文、井上馨が幕末、ロンドン留学時においてそのロンドンの繁栄ぶりに、骨の髄まで英国の強国ぶりに恐れ入ってしまった。 当時の清帝国は人口約4億人、この規模の国の首都(最大都市)としては少ないぐらいである。この北京のシンボルである紫禁城は、後 [続きを読む]
  • 徳川家光(1650年頃)の世界の都市ランキング
  • 家光の時代なんと、日本の都市が世界の10大都市の中に、江戸、京都、大阪と三都市も食い込んでいる。因みに江戸は、北京、パリ、ロンドンを下し、世界第二位であった。この時期のイスタンプールは世界第一位。流石、オスマントルコの最盛期時のことはある。 この表で私が面白いと思うのは、イスタンプール、江戸、北京の三代年に共通する制度があったことである。ハーレム(イスタンプール)、大奥(江戸)、後宮(北京)と、統 [続きを読む]
  • 夜の暴れん坊将軍(第十一代将軍徳川家斉)
  • 家斉が「改革なんか上下ともに迷惑、あんなことやるものじゃない」と子作り以外何もせず放任政策をとったことが結果的に町人文化の発展に貢献した、としている。 家斉の治世50年間(最長の将軍在位期間)は「武門天下を平治する。ここに至って、その盛りを極む」とあり、家斉の治世は将軍が政務に無関心であっても世は平穏で幕府の権勢が絶頂期にあったとしている。 55人の子持ちだったという第11代 将軍徳川家斉は、1日たりとも [続きを読む]
  • セオドア=ルーズベルトの別の顔
  • 日露戦争の停戦を仲介したことで日本人によく知られている。、その功績でノーベル平和賞を受賞した。彼はノーベル賞を受賞した初のアメリカ人であった。彼はアメリカ史上でも評価は高い。精力的な個性、成し遂げた業績と合衆国の利益、国の発展期に示したリーダーシップと、「カウボーイ」的な男性らしさでよく知られる。「大口を叩かず、必要なときだけ力を振るう。」と評された。 彼は、1864年11月29日にアメリカのコロラド地方 [続きを読む]