みどりの木 さん プロフィール

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みどりの木さん: 歴史大好きみどりの木
ハンドル名みどりの木 さん
ブログタイトル歴史大好きみどりの木
ブログURLhttps://ameblo.jp/idryou/
サイト紹介文現地に行った気分になれる城・神社・祭を 紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供368回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2013/07/06 11:56

みどりの木 さんのブログ記事

  • なら瑠璃絵の紹介8 冬七夕4
  • 昨日の続きです。光のトンネルを抜けて、東大寺の方に歩きました。 今日は下図の⑧から⑨です。会場図です。 会場に入ってきた③から④の通路です。 天井が天の川になっています。 左側を見ると川が流れています。 露出時間を長めにすると川周辺の景色がよく分かります。 春日野会場はここまでです。明日は東大寺会場です。 読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。 [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介7 冬七夕3
  • 昨日の続きです。今日は光のトンネルからです。 光のトンネル内から見た会場風景 今日は⑦から⑧です。 光のトンネル内から見た冬七夕会場風景 光のトンネルです。 トンネルの途中にある川です。 川にガスが立ち込めて、光線が当たり幻想的なムードです。 光のトンネル内から見た冬七夕会場風景 光のトンネルを抜けたところです。 光のトンネルを抜けたところです。 通路です。 オレンジ色の壁が光のトンネルで、⑧の [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介6 冬七夕2
  • 昨日の続き 冬七夕2です。瑠璃色(るりいろ)は、やや紫みを帯びた鮮やかな青色です。宝石のラピスラズリを粉砕し精製した顔料として使われました。もともと主にペルシャで産出され、中国を経て日本にわたったと伝えられます。宝石としての瑠璃は、シルクロードの終着駅として大陸との交流が盛んだった時期にさえ、天皇など貴族階級以上のごく一部が宝飾品(正倉院宝物)としてわずかに所有するのみでした。これらは鉛系ガラスの『 [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介5 冬七夕1
  • 昨日の続きです。今日は冬七夕の写真です。 LED電球で飾られた竹細工竹には花短冊が付けられています。 今日は⑤から⑥の辺りです。 左下はLED風船です。 左上に中心部の飾りがあります。 三脚・一脚の使用が禁止なので、撮影が難しかったです。 雪だるまの人形です。 池とその向こうに奈良春日野国際フォーラムの建屋があります。 池とその向こうに奈良春日野国際フォーラムの建屋があります。 イルミネーションの中心部 [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介4 
  • 昨日の続きです。今日は本部会場に行きます。 下図④の本部前です。 現地案内板です。 奈良春日野国際フォーラム甍です。 瑠璃絵オリジナル商品の幸せココアです。吉野葛を使ったココアです。 瑠璃絵マーケットです。 ポタージュスープと総菜パンを食べました。 奈良テレビの取材がありました。 奈良春日野国際フォーラム甍の建屋内に入ると案内板です。 こちらの入場は500円の有料です。無料の見学場所もありますが、冬七 [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介3 興福寺から奈良国立博物館周辺
  • 昨日の続きです. 興福寺から奈良国立博物館の方に歩きました。 左が北の会場案内図です。 ①には興福寺の大湯屋(おおゆや)があります。 大湯屋です。 大湯屋です。 奈良時代から平安時代にかけて、その当時からのこの大湯屋は現存していたとされており、主に大事な法要の前に僧侶たちが「身体の垢(あか)」を落として「身を洗い清める場所」であったといわれます。現在の建物は室町時代の再建で重要文化財です。この大湯屋で [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介2 興福寺会場
  • 昨日の続きです。今日は午後6時に、点灯された興福寺会場です。 興福寺会場入り口です。 会場図です。今日は現在地と書かれた所からです。 入口にある興福寺の石碑です。 点灯前の写真です。 今日は此処までです。明日に続く 読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。「相手わかるように」に設定して登録してください。読者のブログ村・ [続きを読む]
  • なら瑠璃絵の紹介1 興福寺の夕焼け
  • 今日からは「なら瑠璃絵」の紹介をします。1018年2月6日に撮影に行きました。会期は2018年2月14日の今日21時までです。 明るいうちに家を出たので、始まる午後6時までに時間がありました。なので、興福寺の夕焼け写真からです。 国宝の東金堂と夕焼け空です。北方向を向いて撮影しています。夕焼雲がたいへん綺麗でした。 現地興福寺の案内板です。(右が北)江戸時代後期に焼失した、中金堂が再建中でした。興福 [続きを読む]
  • 明石城の紹介15 最終回 外堀跡と明石焼き
  • 昨日の続きです。今日は明石城の最終回です。さすがに日本100名城で、見所がいろいろとありました。今日は大手門前から外堀跡まで歩き、明石名物の明石焼きを食べたところまでです。 大手門跡前です。 この反対側がJR線の高架になっています。ここから南の方に歩いていきます。 明石観光協会の作成した地図です。 江戸時代の明石です。 初めの交差点ですが、ここは渡りさらに南に進みます。 2つ目の交差点ですが、ここが外 [続きを読む]
  • 明石城の紹介14 北の丸
  • 昨日の続きです。今日は北の丸です。 下の古絵図①から撮影した、東の丸北出口枡形です。 上図②の位置から薬研掘りを撮影しました。薬研堀です。石垣は東の丸枡形です。 右側には桜堀がありますが、藪になっています。水はほとんどありません。 ②から撮影の左が薬研堀で、右が桜掘です。正面は①方向です。 グーグルより引用の北の丸です。薬研堀の堀が見えますが、江戸時代に比較して埋め立てられて変形しています。 この古地 [続きを読む]
  • 明石城の紹介13 樹木屋敷跡から中堀西側
  • 昨日の続きです。今日は西の丸辺りから樹木屋敷跡を通り、中堀西側の枡形跡までです。 下図①の坤櫓の西側です。右側には藩主屋敷への入口がありました。 江戸時代の明石城絵図です。 上図②から①方向の写真です。右の建屋はお手洗いです。 樹木屋敷は右の道と陸上競技場になっています。右端の杜は西の丸です。 ③から西方向を撮影しました。右側は樹木屋敷跡のアサダスタジアムです。 樹木屋敷跡のアサダスタジアムです。 アサ [続きを読む]
  • 明石城の紹介12 西の丸(稲荷曲輪)から剛の池・本丸
  • 昨日は「なら瑠璃絵」の見物に行き、更新遅れてすみませんでした。天候も良く綺麗な写真も撮影出来ました。 「なら瑠璃絵」が始まる午後6時頃の、興福寺で撮影した夕日の写真です。「なら瑠璃絵」の紹介は、明石城の次です。 昨日の続きに戻ります。今日は西の丸(稲荷曲輪)から剛の池に行き、本丸に戻ります。 西の丸(稲荷曲輪)⑫の辺りからです。左側が天守台石垣で右が坤櫓です。 天守台石垣です。 西の丸の休憩所です。背 [続きを読む]
  • 明石城の紹介11  二之丸から西の丸へ
  • 今日は奈良公園の「なら瑠璃絵」の撮影に行き、帰宅が10時15分頃になったので更新が遅れました。昨日の続きです。今日は二之丸から西の丸へ歩きます。 下図の二の丸出口の①です。 ①から②へ下ります。(臼杵市教育委員会蔵より引用) さらに下りると この階段をおりると下りて振り返り撮影しました。 ③方向を見た所です。 ②から二の丸を見たところです。 ②から③方向を見たところです。 ②から④方向の巽櫓を見たところ [続きを読む]
  • 明石城の紹介10 坤(ひつじさる)櫓と巽(たつみ)櫓
  • 昨日の続きです。今日は 坤(ひつじさる)櫓と巽(たつみ)櫓の紹介です。 天守台の階段を下りました。この天守台の石垣は小笠原時代の打ち込み接ぎで、右端は天守台入口なので、大きい立派な石を使っています。ここを下りて右に曲がると、坤(ひつじさる)櫓が見えます。 三階の坤(ひつじさる)櫓です。明石城では一番大きい櫓で、江戸時代は天守代わりでした。広さは10.9m×9.15mです。高さは13.28mです。伏見 [続きを読む]
  • 明石城の紹介9 本丸と天守台
  • 昨日の続きです。今日は天守台の紹介です。 天守台からみち本丸の坤(ひつじさる)櫓です。江戸時代初期の小笠原忠真によりに天守台が造られましたが、天守は造られませんでした。 本丸の西側に天守台があります。この元の絵図は 播磨の国明石城図です。(上が北) 本丸の中は下図⑬から見ると 現地案内板です。 本丸北側です。 本丸の西側です。西側の縁には石垣のある土塁があります。この左側は右上部分に天守台があります。 天 [続きを読む]
  • 明石城の紹介8 本丸no艮(うしとら)櫓跡に茶とらとキジとら猫さん
  • 昨日の続きです。今日は本丸です。江戸時代の初期にはこの本丸に藩主御殿がありました。本丸に天守台はありますが、天守は造られませんでした。また、本丸の四隅には三階櫓がありましたが、現在では坤(ひつじさる)櫓と巽(たつみ)櫓しかありません。 本丸です。左が坤(ひつじさる)櫓で、右が巽(たつみ)櫓です。坤(ひつじさる)櫓は伏見城から、巽(たつみ)櫓は船上城からの移築と言われます。一国一城令のために、廃城と [続きを読む]
  • 明石城の紹介7 東の丸から本丸へ
  • 昨日の続きです。今日は東の丸から本丸へ行きます。 下図①の東の丸入口土橋です。 現在地の二の丸にあった地図です。(上が北) 土橋南側の箱掘りです。木々が繁って見えません。 北側の薬研堀です。薬研のように底が丸く深い堀です。 枡形内です。 さらに進むと 枡形を抜けて、振り返り撮影しました。内側から見た東の丸入口の枡形です。この右にカメラを回すと下図②です。ここは馬場だったそうです。 現在地の二の丸にあった地 [続きを読む]
  • 明石城の紹介6 中堀東枡形跡から東の丸枡形跡入口まで
  • 昨日の続きです。今日は中堀東枡形跡から東の丸枡形跡入口までです。 2つ下図⑨「武蔵の庭園」の東にある芝生広場です。 臼杵市教育委員会蔵の古絵図です。この辺りには米蔵があったようです。 ⑨から⑩の明石公園の庭園に行きました。 ⑩の庭園にある藤見池です。水面には薄氷がはっています。この右側は水面には薄氷がはっています。 橋を渡ります。渡ると中島で四阿があります。 渡ったところの中島から振り返えり見ると、 [続きを読む]
  • 明石城の紹介5 宮本武蔵の庭園
  • 昨日の続きです。今日は宮本武蔵の庭園の紹介です。 武蔵の庭園の門です。この左側は本丸櫓がよく見えます。 明石市立文化博物館蔵の絵図です。江戸時代の古絵図です。樹木屋敷を赤で囲いました。樹木屋敷とは藩主の遊興所で、散歩や客をもてなすための場所です。江戸時代初期の笠原家の時代に、宮本武蔵が客臣として滞在した時に、町割りや樹木屋敷の造営にかかわりました。現在、剣豪宮本武蔵(1584〜1645年)の故郷は、 [続きを読む]
  • 明石城の紹介4 大手門枡形と内堀跡・藩主御殿跡
  • 昨日の続きです。今日は 大手門枡形と内堀跡・藩主御殿跡です。現在は球場や広場になっています。 下図③にある大手門枡形です。 グーグルより引用の明石公園です。 江戸時代の明石城の古絵図です。この古絵図を半透明にして、さらに回転拡大縮小して、上の現在の写真に合成しました。 合成した写真です。 ③→④に歩きました。大手門枡形跡内です。 大手門枡形跡内です。 枡形を抜けて④辺りから振り返り見たところです。 枡形を [続きを読む]
  • 明石城の紹介3 中堀の鳥と大洋漁業創業者の銅像 月食
  • 今日は1月31日の月食写真からです。 午後時頃です。 午後9時半頃です。 午後10時頃です。赤銅色の皆既月食になりました。暗いので露出時間が長いためブレています。 昨日の続きです。今日は中堀の鳥と大洋漁業創業者の銅像です。下図②の所にある西不明門枡形の石垣と中堀です。中堀が掘られたときに、その土が土塁として堀の内側に積み上げられています。水面の少し上まで石が積まれています。水面に見える丸いものは噴水で [続きを読む]
  • 明石城の紹介2 大手門跡と織田家長屋門
  • 昨日の続きです。今日はJR明石駅を出て直ぐにある大手門跡からです。 大手門跡です。 下図①より撮影の幕末大手門古写真です。(神戸市立博物館蔵より引用)橋は木造の橋ですね。門の左右に枡形の石垣がありました。前面の石垣が撤去されて、自動車が通行可能になっています。 神戸市立博物館蔵より引用です。(上が北) 元の絵図は西に明石川があり、西国大名への備えになっています。赤い所は町人町で西国街道が通っていました [続きを読む]
  • 明石城(日本100名城)の紹介1 歴史など
  • 今日から明石城の紹介です。JR明石駅から見た明石城の本丸です。 江戸時代 1617年信濃松本藩主より明石10万石藩主となった小笠原忠真は、明石川河口の西側、明石海峡に面した部分と明石川の湿地帯に築城された、水城の船上城を居城にします。同年に2代将軍徳川秀忠より西国外様大名からの防衛のため築城命令が下ります。これは姫路城と連携して江戸を守るためでした。 明石城築城者小笠原忠真の肖像画です。 グーグルより引 [続きを読む]
  • 大阪梅田時の広場 イルミネーション
  • 今日は大阪梅田時の広場のイルミネーション紹介です。昨日2018年1月27日に、明石城から帰る途中で梅田により、イルミネーションを見ました。 梅田の阪急百貨店です。明石駅から梅田まで、JRより阪急・阪神電車の方が80円安いです。17時より少し前に着いたので、まだ明るいのですが月が出ていました。(写真右上)拡大すると60倍に拡大しました。 時の広場に行く途中で、佐賀県の宣伝がありました。イベント会場です [続きを読む]
  • みはら歴史博物館の紹介2 河内鋳物師と鎌倉大仏
  • 昨日は日本100名城の明石城を見学してきました。後日UPします。 この特別展は今日で終了です。昨日の続きです。今日は早めにUPしました。学芸員さんに説明してもらいました。撮影禁止の物もありました。 河内鋳物師の生活鋳物師の技師長を大工と言っていました。余部城がその中心と考えられます。 銅と鉄の両方の金属を加工していました。梵鐘をはじめとして、日常生活道具も造りました。周辺には鋳込みに必要な、薪の木々 [続きを読む]