みどりの木 さん プロフィール

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みどりの木さん: 歴史大好きみどりの木
ハンドル名みどりの木 さん
ブログタイトル歴史大好きみどりの木
ブログURLhttps://ameblo.jp/idryou/
サイト紹介文現地に行った気分になれる城・神社・祭を 紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供359回 / 365日(平均6.9回/週) - 参加 2013/07/06 11:56

みどりの木 さんのブログ記事

  • ワルシャワ紹介 8 ガソリン高騰と最終回
  • 最近ガソリン代が高騰して困ったものですね。昨日ガソリンスタンドでガソリンを入れたのですが、リッター148円でした。イランから原油の輸入が出来ない事や、今日1ドル112円と円安なので仕方のないことですね。円安の原因を考えてみると、赤字国債の乱発があると思います。日銀が国債を買い取っているとかで、日銀がお金を出すんならいくらでも出せますよね。それから期限が来た国債を国が買い戻すときは、さらに、99年 [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介 7 世界遺産城壁都市内部 後編
  • 昨日の続きです。今日は 世界遺産城壁都市内部 後編です。 城内の通りです。花屋とかカフェがあります。 細い路地の向こうに聖ヨゼフ大聖堂が見えます。 裏通りです。 道路に面して多くの家に、小さい窓があるのですが、玄関からは出し入れしにくい物をここから出し入れしたそうです。また、戦後の突貫工事で再建したので壁に割れ目やヒビが入っています。 この①辺りから城壁を見ると 城壁と撤去された城壁跡の印のラインで [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介 7 世界遺産城壁都市内部 前編
  • 昨日の続きです。今日は 世界遺産城壁都市内部です。 ジグムント3世の銅像です。この右側には王宮があります。 王宮です。ナチス・ドイツの時代キュ市街は85%はかいされましたが、砕けたレンガを再生して、出来るだけもとの材料で、ポーランド人の誇りとして再建されています。 現地で買った絵ハガキです。1952年と現在です。1952年になっても王宮は再建されませんでした。 旧王宮は戦後も長らく、爆破後の廃墟のまま [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介 6 世界遺産歴史地区 城壁都市
  • 昨日の続きです。 旧市街の中心部です。 今日は世界遺産歴史地区の城壁都市についてです。ナチス・ドイツにより破戒された旧市街中心部は、第二次世界大戦後に17〜18世紀の町並みを忠実に復元したもので、再建された市街が世界遺産に登録されたのは世界初でした。 旧市街中核の城壁都市部です。下写真の①から見たところです。ここにも城壁と堀があったのですが、破壊されて広場になっています。 ジグムント3世はこのワルシャ [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介 5 世界遺産歴史地区まで
  • 昨日の続きです。世界遺産歴史地区までさらに歩きました。 いろいろなパネル展示がありました。 ピンクの線に沿って歩きました。(グーグルより引用) 大統領官邸です。ライオン像の背後の銅像はユゼフ・ポニャトフスキ大公です。 ポニャトフスキ大公 1791年5月3日憲法成立の絵画です。同時に廃止された選挙王政でした。 オーストリア・ロシア帝国・プロイセン王国によりポーランドが分割されているときに、1806年ナポ [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介4 ワルシャワ大学
  • 昨日の続きです。聖十字架教会の向かい側には、国立ワルシャワ大学があります。 ワルシャワ大学の正門です。 グーグルよりの引用です。 大学の歴史 1816年にロシア皇帝アレクサンドル1世がポーランド立憲王国に大学を開設する権限を与えたことにより法学行政学、医学、哲学、神学、芸術学の5学部体制で設立されました。開設されてから間もなく学生500名、教授陣50名を擁するまでになります。しかし、学生や教授の大部分 [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介3 聖十字架教会から
  • 昨日の続きです。今日は聖十字教会の内部です。 聖十字架教会の正面です。 道を渡り教会に入ります。 グーグルから引用の地図です。十字の形をした聖十字架教会が写真中央辺りにあります。 入口にあるイエスの像です。太陽を入れて撮影しました。イエスは磔の刑にされ最後に「神よ 神よ 私を見捨てられたのか」と大声で叫んで絶命したと聖書にあります。 入った所です。この反対側の入口方向は内側から見た入口です。立派なパイ [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介2 ワジェンキ公園から聖十字架教会
  • 昨日の続きです。ポーランド王室に跡継ぎ者がいないので、貴族や有力男子による選挙で王を決める国王自由選挙は、1572年から1791年まで行われていました。国王を血統上の権利ではなく、個人的適正能力によって選ぶための選挙制度でした。王が不要となり議会制が出来て、1791年5月3日憲法の成立とともに廃止されました。 1572年の第1回国王選挙の様子です。  1791年最後の選挙で選ばれたポーランド最後の王 [続きを読む]
  • ワルシャワ紹介1 歴史  ショパン像
  • 今日からポーランドのワルシャワ紹介です。 ワルシャワ・ショパン空港です。  ワルシャワは市内をヴスワ川が貫通します。1611年のワルシャワ遷都より前に作られた、歴史的市街地は第2次世界大戦後、戦火で荒廃したが、旧市街を「煉瓦のヒビに至るまで」復元して元の町並みを再現しました。1980年にユネスコから、「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録されました。 グーグルより引用のワルシャワ地図です。 初めに [続きを読む]
  • イスラエル旅行記39 エリコ 最終回
  • 今日でイスラエル旅行記の最終回です。死海に行った後で、エリコの町に行きました。 人口2万人ほどの小さなオアシス都市です。 同上 この左側に誘惑の山があります。  エリコはヨルダン渓谷のオアシス都市で、その歴史は1万年前からと言われます。海抜ー240mに位置しているなつめやしの産地です。モーセ率いるユダヤの民が40年間シナイ半島の砂漠をさまよい、モーゼの跡継ぎ者となったヨシュアは、約束の地カナンに入っ [続きを読む]
  • イスラエル旅行記38 死海観光 後編
  • 昨日の続きです。死海の水位は毎年1.5m下がり続けていますので、あと数十年後には、このままだと干上がると予測されています。真水の流入が減ったことが大きな原因です。真水が流入する場所は塩分濃度も低いので、魚も生息しているそうです。聖書では死海のことを「アラバの海」と書いています。 脱衣場で水着に着替えて浜辺の方に歩きました。 かなり先のほうに浜辺があります。2018年5月23日で春なのですが、海抜ー2 [続きを読む]
  • イスラエル旅行記37 死海観光 前編
  • 昨日の続きです。今日はバスで死海までいった途中の様子です。 死海に行く途中にはベドウィンの人達の村があります。放牧民なのでテントよりはましということなのでしょうか。 海抜約800mのエルサレムから、東の方に下ると海抜ー420mの死海があります。近年は灌漑の発達などで、1年間にー1.5mも海面が下がっています。、このままでは数十年で干上がってしまう可能性もあるため、観光資源としての死海を守るために、紅 [続きを読む]
  • イスラエル旅行記36 聖墳墓教会 後編
  • 昨日の続きです。旅行記の記事は現地資料・現地ガイド・地球の歩き方・Webページ等をもとに書いています。諸説ある所は一番有名なものから引用しています。今日は聖墳墓教会の後編です。 ゴルゴダの丘です、この先に下りる所があります。 弟子で金持ちのヨセフらによっって、十字架から降ろされたイエスは埋葬に先立ち、体に油が塗られました。 この岩の上にイエスの遺体を置いて、塗油されきれいな亜麻布で包まれました。みな [続きを読む]
  • イスラエル旅行記35 聖墳墓教会 前編
  • 昨日の続きです。今日は聖墳墓教会です。ヴィア・ドロローサの第10〜14番はこの教会の中にあります。 聖墳墓教会です。(ゴルゴダの左の石段からは入れません) 聖墳墓教会はローマのコンスタンチヌス皇帝の母ヘレナが、325年にエルサレムを巡礼して、イエスの遺物をここで発見したので、聖墳墓教会が建てられました。その後614年に、ペルシャ人により破壊されます。再建されますが、再び1009年にイスラム教徒のカリ [続きを読む]
  • イスラエル旅行記34 ヴィア・ドロローサ(悲しみの道) 後編
  • 昨日の続きです。今日は第7ステーションから聖墳墓教会(ゴルゴダの丘)までです。 第7ステーションです。 第7ステーションの所には当時城壁があり、ここよりは城外となります。 2000年前のエルサレム想像図です。 第7ステーションの内部です。ここはイエスが2度目に倒れた場所です。当時の城門のこの辺りに、イエスの死刑判決文が張り出されていました。当時の城壁の門を判決の門といいます。 現地の第7ステーションに [続きを読む]
  • イスラエル旅行記32 鶏鳴教会 後編
  • 昨日の続きです。今日は鶏鳴教会の地下などです。 裏切った弟子ユダが、キスをした人がイエスだというてはずで、イエスを識別して逮捕する場面のモザイク壁画です。アウトレイジ(非道)とあります。ユダは後にこのことを恥じて、もらったお金を捨てて自殺します。 この鶏鳴教会の場所は、2000年前にユダヤ教祭司カヤパの屋敷だったと言います。 ゲッセマネで逮捕されたイエスは、石段を上りこの屋敷に連行されて、最後の一晩 [続きを読む]
  • イスラエル旅行記31 鶏鳴教会 前編
  • 昨日の続きです。今日は鶏鳴教会です。 シオンの丘を少し下った所に鶏鳴教会があります。ここは2000年前のイエスの時代には、ユダヤ教祭司カヤパの屋敷がありました。この教会の建物は新しいです。奇跡も起こさずユダヤ王で救世主を名乗るイエスを、ユダヤ教徒たちはゲッセマネで捕えて、ここのカヤパ屋敷に連行しました。屋敷にある地下牢に入れて痛めつけ、一晩放置します。そして、ローマ総督のピラトのもとへ連れて行き裁 [続きを読む]
  • イスラエル旅行記30 マリア永眠教会
  • 昨日の続きです。今日はマリア永眠教会です。 マリア永眠教会です。 10年がかりで1910年に完成しました。イエスの母マリアを祀り建てられた教会です。 現地にあった地図です。 地球の歩き方より引用の地図です。 1階の礼拝所です。 正面の拡大です。イエスとマリアが描かれています。天井は天井です。 床には12宮や12使徒を描いたモザイク画があります。 中央より左側の壁面です。 中央より右側の壁面です。 地下聖堂に [続きを読む]
  • イスラエル旅行記29 最後の晩餐の部屋とダビデの墓
  • 昨日の続きです。今日は最後の晩餐の部屋とダビデの墓です。 シオン門近くで咲いていた花です。 シオン門から最後の晩餐の部屋に行くところです。突き当りを右に曲がります。 シオン門から少し南に歩くと最後の晩餐の部屋があります。(グーグルより引用の地図) オリーブの丘から見た、シオンの丘に建つマリア永眠教会です。 現地地図です。 周辺地図です。(地球の歩き方よりの引用) マリア永眠教会です。この左側に行きます。 [続きを読む]
  • イスラエル旅行記28 昼食とシオン門
  • 昨日の続きです。ダビデの塔からシオン門に移動します。 ダビデの塔付近です。ヤッフォ門が見えます。この反対方向に行きます。途中で、西エルサレムの開発拠点だった風車が見えます。 西エルサレム開発の拠点となった風車が見えます。 西エルサレム開発の拠点となった風車が見えます。 グーグルより引用の地図です。ダビデの塔からシオン門に移動します。シオン門の名前はシオンの丘に通じているのでこの名前になりました。シオン [続きを読む]
  • イスラエル旅行記27 ヤッフォ門からダビデの塔
  • 今日からまたイスラエル旅行記に戻ります。今日はエルサレム城壁内から、ヤッフォ門と城壁外に出てダビデの塔です。 エルサレム城壁内にある要塞「ダビデの塔」です。 エルサレム地図です。(地球の歩き方から引用)ピンクの枠内にダビデの塔があります。拡大するとエルサレムの城壁内にある要塞ダビデの塔です。写真は地図のHRと字が並ぶ辺りからの撮影です。 周囲には空堀があります。 空堀の中です。 紀元前1世紀末にヘロデ [続きを読む]
  • 河合寺のアジサイの花2018 後編
  • 昨日の河合寺のアジサイの花の続きです。 雨の時に聞きたい森高千里の「雨」です。 紅葉の木の背後にアジサイがあります。 カタツムリがいました。 これは近所のがけ崩れの所ですが、シートが滝のように見えます。 水玉にアジサイが映っています。拡大すると 明日はイスラエルの紹介に戻り、ダビデの塔など紹介です。 読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。 [続きを読む]
  • 河合寺のアジサイの花2018 前編
  • 去年も紹介しましたが、今年もアジサイの季節なので、雨の日に撮影に行きました。 河合寺の山門です。  河合寺縁起によれば、この地の山々に五色の雲が何日にも渡り棚引いていた。天皇の命により蘇我入鹿が調査すると、光が差している松の大木から千手観音菩薩の像があらわれたといいます。驚いた天皇の命により、皇極天皇2年(643年)に蘇我入鹿が当寺を創建したといわます。周辺に24の塔頭も出来て、南河内では河南三大名 [続きを読む]
  • イスラエル旅行記26 ホテル周辺を散歩
  • 昨日の続きです。今日はホテル周辺を散歩した写真です。 19世紀の中ごろまで、エルサレムは人口が約1万5千人程度で、住人は城壁の中に住んでいました。門は夕方に閉められ、日の出になると開けられました。 1860年になると、エルサレムの城壁の西側外に、モーゼス・モンテフィオールが風車を建設し「平和な住まい」と呼ばれる住宅地を造りました。風車は住民が農業で生計をたてるための物です。 ユダヤ人も多く住んでい [続きを読む]