サム さん プロフィール

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サムさん: 明るい未来へ弟子として生きる
ハンドル名サム さん
ブログタイトル明るい未来へ弟子として生きる
ブログURLhttps://ameblo.jp/kingdog136/
サイト紹介文高齢の普通の創価学会員、仏法の勉強を始めました。恩返しと後世の為、私の体験談、仏法哲学等を綴りたい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供42回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2013/09/02 08:50

サム さんのブログ記事

  • 御書に見る「成仏を約束された人々」42(完) 門下一同に与う 8
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」42(完) 門下一同に与う 8 個人に宛てられた御消息文ながら対告衆が不明な書や重要法門が書かれた書物の中に、一般論として門下一同への成仏に関する指導が述べられており、それらを記載してきましたが今回を最終とします。 「法華已前の諸経の如きは縦い人中・天上の女人なりといふとも 成仏の思絶たるべし、然るに竜女・畜生道の衆生として戒緩の姿を改めずして即身成仏せし事は不思議な [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」41 門下一同に与う7
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」41 門下一同に与う7 今回は、『三世諸仏総勘文教相廃立』の成仏に関する御文を記載します。略称『三世諸仏総勘文抄』や『総勘文抄』とされる本抄は、弘安2年10月 大聖人58歳の時、身延で著され富木常忍に与えられたとされるが、著作年代、対告衆はともに異説が多い。題号は、三世諸仏が勘え決定された教相(化他方便の権教)を廃し、自行真実の法華経を立てる事にあるとする内容に沿っている。 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」40 門下一同に与う 6
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」40 門下一同に与う 6 今回は、『如説修行抄』と『当体義抄』の成仏に関する御文を記載します。『如説修行抄』は、文永10年5月大聖人52歳の時、佐渡一谷で述作され、鎌倉で難と戦っている門下一同を激励する為に与えられた書、如説修行の姿がどんなものかと詳しく教示されている。『当体義抄』には、著作年代、著作場所、宛先が記載されていない為、その由来については明らかでないが、対告衆に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」39 門下一同に与う 5 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」39 門下一同に与う 5 今回は、『聖愚問答抄』の成仏に関する御文を記載します。本抄は、上下の2巻があり、大聖人が44歳の文永2年に書かれたとの伝承ながら、対告衆は不明である。本抄には大聖人の御真筆が無く、文体も大聖人の他の文体と多少異なるとして偽書とする説や日持が執筆し大聖人が印可されたとする説もある。題号通り、聖人と愚者との問答形式で、権実相対の義が明かされ、愚者の法華 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」38 門下一同に与う 4
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」38 門下一同に与う 4 今回は対告衆が不明な『持妙法華問答抄』の成仏に関する御文を記載します。本抄は、大聖人42歳の弘長3年3月の時に、伊豆流罪の赦免直後鎌倉で書かれたとされるが、対告衆は不明である。日持が執筆し大聖人が印可されたとする説もあるが、正本が存在せず、弘長3年に日持は門下に入っていない為、真偽は不明で、建治2年説や弘安3年説等もある。題号通り、妙法蓮華経の所持に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」37 門下一同に与う 3
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」37 門下一同に与う 3 個人に宛てられた御消息文ながら対告衆が不明な書や重要法門が書かれた書物の中に一般論として門下一同への成仏に関する指導が述べられており、それらを記載します。 「正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く『寧ろ提婆達多とな [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」36 門下一同に与う 2
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」36 門下一同に与う 2 前回は、人本尊開顕の書と云われる「開目抄」の御文を提示しましたが、今回はもう一方の法本尊開顕の書と云われる「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」(以後は略称「観心本尊抄」と表示)の御文を提示します。 「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」35  門下一同に与う 1
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」35 門下一同に与う 1 本シリーズの1の『序論』で紹介した御文の後半部分になります。個人に宛てられた御消息文ながら対告衆が不明な書及び重要法門が書かれた中に一般論としての指導が述べられており、それらを記載していきます。 「法華経を信ずる者は設い臨終の時・心に仏を念ぜず口に経を誦せず道場に入らざれども心無くして法界を照し音無くして一切経を誦し巻軸を取らずして 法華経八巻 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」34 その他の日蓮門下
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」34 その他の日蓮門下 此処に取り上げた、故弥四郎の縁故者、佐渡に住む故中興次郎入道の家族、佐渡に住む是日尼、尾張国高木郡に住む刑部左衛門尉の妻、等は、いずれも生没年不明ながら、大聖人からの成仏を約束された激励のお手紙が遺されている。 「故弥四郎殿は設い大罪なりとも 提婆が逆にはすぐべからず、何に況や小罪なり法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。」(破良観等 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」33 波木井殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」33 波木井殿 現在の山梨県南巨摩郡身延町大字波木井の地頭であった波木井六郎実長入道法寂房日円【1222-1297】のこと。日興上人との法縁によって大聖人門下となったが、大聖人滅後、日向の軟風に染まりて四箇の謗法を犯し、日興門下の身延離山の原因となった。但し、実長の長男である清長【?-1313】は、日興上人に誓状を捧げ清らかな信心を全うしている。六郎実長宛ての御消息文には、六郎恒長 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」32 上野殿(南条家一族)5
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」32 上野殿(南条家一族)5  南条家一族の最終です。南条時光は、熱原の法難の際、立派に外護を務め、上野大石ヶ原を寄進して大石寺建立に貢献し、晩年入道して法名を大行と称した。富士興門派にとって南条家一族の尽力は著しく、南条兵衛七郎の長女で南条時光の姉(後の蓮阿尼)の子・五男は日蓮正宗第三祖とされる日目上人【1260-1333】であり、長兄五郎頼綱も入道し日善と名乗り、頼綱の次男 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」31 上野殿(南条家一族)4
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」31 上野殿(南条家一族)4  南条家一族の続きです。南条時光【正元元(1259)年〜元弘2(1332)年】は、南条兵衛七郎の次男の南条七郎次郎のこと、幼い頃から大聖人に帰依し日興上人を師兄と仰ぎ純真な信心に励み、大聖人から上野賢人との称号を賜る。南条七郎五郎【文永2(1265)年〜弘安3(1280)年】は、南条兵衛七郎の5男で時光の弟にあたる。弘安3年6月に兄と共に御供養を携え大聖人にお [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」30 上野殿(南条家一族)3
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」30 上野殿(南条家一族)3  南条家一族の続きです。南条平七郎は南条家一族と思われるが、生没年不詳。本尊供養御書を賜る。南条九郎太郎も南条家一族と思われるが、詳細は不明。建治2年と弘安元年の計2編の九郎太郎殿御返事が遺されている。南条家一族の真心を大聖人が讃嘆されている。 「須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を薬となす、法華経の不思議も又是くの如し凡夫を仏に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」29 上野殿(南条家一族)2
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」29 上野殿(南条家一族)2  南条家一族の続きです。南条とは元々は伊豆国南条郷(静岡県田方郡韮山町)という地名を指すが、駿河国富士郡上野郷の地頭の南条家が以前に南条郷に住していたのでこう呼ばれる。性格温厚な南条兵衛七郎夫妻には5男4女の子があり、主人は鎌倉在勤時に大聖人に帰依して行増と名のるも念仏を捨て切れず病床に伏していたが、文永元年の南条兵衛七郎殿御書(慰労書)を [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」28 上野殿(南条家一族)1 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」28 上野殿(南条家一族)1  上野殿は、当初、南条兵衛七郎入道行増【生年不祥】の通称であったが、入道没後は嗣子の南条七郎次郎時光の事を云う。父子共に上野郷の地頭だったので此の名がある。七郎入道行増は伊豆国南条(静岡県田方郡)の出身の北条家の御家人で、後に駿河国富士郡上方の荘上野郷(静岡県富士宮市上野)の地頭に転じた。鎌倉在勤中に大聖人に帰依し信心篤かったが、文永2(12 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」27 大学三郎夫妻
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」27 大学三郎夫妻 大学三郎とは比企能員の子とされる比企大学三郎能本のこと。建仁2(西暦1202)年に生まれ、京都で儒学を学び、順徳上皇に仕え、後に鎌倉に下り、文応の頃に大聖人に帰依した。立正安国論の校訂者とも云われ、弘安9(1286)年に逝去しているが、大聖人の御遷化記録(日蓮聖人年譜、富要集5巻142頁)の大聖人御葬送の次第において、9番目に『次仏 大覚三郎』とあり、夫婦共に純 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」26 三沢殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」26 三沢殿 三沢小次郎は、駿河国(静岡県)富士郡の大鹿窪に住む大聖人門下なれど詳細は不明。所領を有する領主である事が覗われ、立場上とかく北条幕府の嫌疑を意識して大聖人より遠ざかりがちであった。大聖人は氏に対して、情味ある温かい言葉で激励されると共に立場を考慮され、病気の噂の折りにも使いを出そうと思案しながら本人の迷惑になる事を恐れて中止されたほどである。氏は他の終始 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」25 弥源太殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」25 弥源太殿 北条弥源太は北条氏の一門であり、大聖人が立正安国論を著わされた当時からの信徒ながら、生没年など詳細は不明。大聖人から賜った御書として、北条弥源太への御状、弥源太殿御返事、弥源太入道殿御返事、弥源太入道殿御消息、の4編が遺されている。入道が大聖人に御供養した太刀として宗近の名刀と他の刀の二振りは、大石寺に存在している筈なのに、共に行方不明になっている。 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」24 内房女房とその父
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」24 内房女房とその父 内房女房と内房尼御前とは、同人物ではなく、むしろ内房女房の母親が内房尼御前とも推考される。駿河国(静岡県)庵原郡の内房の住人で大聖人の檀那とされるが、詳細は不明。三沢抄には、内房尼御前が、神社参拝のついでに大聖人にお会いしょうとして、厳しく追い返されている。内房女房御返事には、内房女房が、父の百か日追善供養に大聖人に布施十貫文を献じ、願文を奉 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」23 新尼と大尼
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」23 新尼と大尼 安房国(千葉県)長狭郡東条は北条の支族で名越家の領知であり、その領地の尼を大尼といい、その嫁が新尼と云われている。新尼は信心が強盛で、大尼は信心が弱く大聖人が佐渡へ流罪された際に退転している。後に大聖人が身延に居られた時、二人は御本尊のお下げ渡しを願い出たが、退転した大尼には渡されず、新尼にはお下げ渡しになっている。拝受した御書には、新尼御前御返事( [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」22 道善房と浄顕房・義浄房 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」22 道善房と浄顕房・義浄房 道善房は安房国(千葉県)の清澄寺の住僧で大聖人幼少時の出家・剃髪の師匠である。浄顕房・義浄房は大聖人の同寺修行時代の兄弟子達で、大聖人を何くれとなく庇護し、開宗の当日に強盛な念仏信者である地頭東条景信等が大聖人を斬殺しようと襲った時も大聖人を匿い逃がしている。道善房に与えられた書は無く、浄顕房には本尊問答抄が、義浄房には義浄房御書が現存 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」21 高橋殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」21 高橋殿 「高橋六郎兵衛入道は、日興第一の弟子なり、仍て申し与うる所件のごとし」(日興上人の弟子分帳より)と有る通り、日興上人により入信し、大聖人にも信頼篤く、富士周辺信者の最古老であり、夫人は日興上人の叔母である。富士郡南方の賀島(静岡県富士市本市場)に住み、四十九院・熱原の法難中は外護の本拠となり、大井・西山・由比の各氏と同族であり、岩本実相寺に住む筑前房とも [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」20 治部房
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」20 治部房 大聖人の門下の中老の一人日位とされ、大聖人の墓所輪番では八月勤仕となり、「治部公日位・持師の弟子で孫弟子に当たり庵原郡の住」(堀日亨上人著・日興上人詳伝上210頁)、「(前略)治部房(承賢)日位があつて、共に南条家の支族の出身で日興上人の門下であった」(御書・弟子檀那等列伝21頁)とあり、日興弟子分帳に「一、駿河国四十九院の住治部房(日位)は蓮華闍梨の弟子な [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」19 新池殿 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」19 新池殿 新池左衛門尉といい、生没年不明、大聖人御在世当時の鎌倉幕府直参の武人の門下で遠江国磐田郡新池(静岡県袋井市)に住み、日興上人の折伏によって妻・新池尼と共に大聖人に帰依されたと思われる。新池殿御消息と新池御書の2編が遺されている。 「諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」18 日妙聖人
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」18 日妙聖人 生没年、本名不明、大聖人御在世当時の鎌倉に住む女性信徒、寡婦となったが、堀日亨上人は、乙御前の母であると推定されている。日妙尼とも称され、幼き娘の乙御前を連れて佐渡の大聖人を訪ねたほどの純真な信心から、『日妙聖人』の法号を賜り、日妙聖人御書に娘の名を冠した乙御前御消息、乙御前母御書が遺されている。 「我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の功徳を全体 [続きを読む]