サム さん プロフィール

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サムさん: 明るい未来へ弟子として生きる
ハンドル名サム さん
ブログタイトル明るい未来へ弟子として生きる
ブログURLhttps://ameblo.jp/kingdog136/
サイト紹介文高齢の普通の創価学会員、仏法の勉強を始めました。恩返しと後世の為、私の体験談、仏法哲学等を綴りたい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供25回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2013/09/02 08:50

サム さんのブログ記事

  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 8
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 8 悪あがき男の卑劣極まりない行状 昭和55年2月〜4月 山崎は、決済の見込みもないのに、次から次へと10億円を超える売り手形を乱発する。(旭日の創価学会70年2巻242頁) 昭和55年3月2日 池田先生は、北条新会長の体制が攪乱されない様に、新宿文化会館仏間において、一人で山崎と面談し、善導する。山崎は、「策を使い、先生をここまで苦しめた事に対し、心からお詫び申し上げます」と涙な [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 7
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 7 悪徳弁護士、転落前の悪あがき 昭和54年9月中旬 山崎は、特別財務返還訴訟を起こそうと策し、訴状の草案を作成し、秘書役だった人物を介して「正信会」のリーダー格である東京・目黒の妙真寺住職の山口法興に、原島に盗み出させた本部内部資料と共に手渡す。(サンデー毎日 ’83.1.16・23号60-1頁) 昭和54年9月下旬 山口は、山崎の訴状草案をもとに、東京・自由が丘料亭で、山口、6名の檀 [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 6
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 6 悪辣弁護士の放縦なる野望 昭和54年新春 宗門問題で学会を追い込む奸策を巡らし有頂天になった山崎は、クラブのママを連れてグアムに豪遊する。(サンデー毎日 ’83.1.2号173頁)この豪遊に向う機中で次の様に語っていた。「これからは、宗門と組んで金儲けするんだ。本山に墓園を造る。ホテルも建てる。東京には、宗務院のビルも造る。銀行は、一千億は融資すると言っている。さあ、儲け [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 5
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 5 悪辣なマッチポンプの仲介偽装工作 ある状況を自ら仕掛けておいて、その状況に苦慮する相手に近づいてその仲介を買って出る。これが山崎の手口であり、学会内にあって彼は、昭和53年5月頃、この宗門・学会問題の解決を装う仲介人を自ら買って出る。学会本部では、昭和53年1月から事態が妙に急変し苦慮していた時であり、事態解決の為に正式なテーブルに着く必要から、妙信講以来いわば“宗 [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 4
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 4 したたかな悪知恵、池田先生への包囲シフト作りに奔走 昭和53年3月 山崎の曽ての秘書兼運転手の大豆生田氏は山崎の指示で、いわゆる「社長会記録」等を2部コピーする。「社長会」とは、昭和42年から47年まで、信仰をしている会社経営者達が自分達の信仰の向上、人間的陶冶を期して自発的にできたグループで、池田先生に種々指導を求めたことがあり、池田先生もグループのメンバーが全員、信 [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 3
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 3 顧問弁護士には有るまじき暗躍の謀略文書 昭和52年11月 学会は、宗務院に、僧俗和合の原理についての五項目からなる素案を提出して、検討及び指導を仰ぐ。【原案の内容】「一、日蓮正宗並びに創価学会は、共に日蓮大聖人の三大秘法の仏法を広宣流布することを目的としており、その目的遂行のため、永久に僧俗和合して進む。一、創価学会は日蓮正宗を外護し、宗門は、創価学会の宗教法人上 [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 2
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 2 前代未聞の悪徳顧問弁護士、暗躍開始 昭和51年1月中旬頃、月刊ペン社の隈部宛に、安藤龍也(武井保の偽名)から一通の封書が届き、「学会のスキャンダルについて重要な情報を知っている」と書かれており、学会批判キャンペーンを開始していた隈部はこの情報に飛びつき、直ちに安藤龍也に返信を出す。隈部は、「月刊ペン」3月号の原稿締め切りの1月20日の2、3日前に安藤と直接会い、そこで、 [続きを読む]
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 1
  • 稀代の謀略家・山崎正友の悪事年表 1 「野心家の欲望破綻ストリー」「“闇の帝王”になり損なった“報復”」「宗教的背信者の論理」は、野崎勲氏の著書「謀略 山崎弁護士の黒い手口」の目次にある索引の一部である。山崎弁護士とは、山崎正友その人であり、正信会を操り、日蓮正宗の日顕氏と罵倒しあうと思えば、「反学会」という利害の一致で仲直りをするも、最後には自ら地獄に落ちて行ったのである。野崎勲氏は「創価学会と [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」42(完) 門下一同に与う 8
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」42(完) 門下一同に与う 8 個人に宛てられた御消息文ながら対告衆が不明な書や重要法門が書かれた書物の中に、一般論として門下一同への成仏に関する指導が述べられており、それらを記載してきましたが今回を最終とします。 「法華已前の諸経の如きは縦い人中・天上の女人なりといふとも 成仏の思絶たるべし、然るに竜女・畜生道の衆生として戒緩の姿を改めずして即身成仏せし事は不思議な [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」41 門下一同に与う7
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」41 門下一同に与う7 今回は、『三世諸仏総勘文教相廃立』の成仏に関する御文を記載します。略称『三世諸仏総勘文抄』や『総勘文抄』とされる本抄は、弘安2年10月 大聖人58歳の時、身延で著され富木常忍に与えられたとされるが、著作年代、対告衆はともに異説が多い。題号は、三世諸仏が勘え決定された教相(化他方便の権教)を廃し、自行真実の法華経を立てる事にあるとする内容に沿っている。 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」40 門下一同に与う 6
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」40 門下一同に与う 6 今回は、『如説修行抄』と『当体義抄』の成仏に関する御文を記載します。『如説修行抄』は、文永10年5月大聖人52歳の時、佐渡一谷で述作され、鎌倉で難と戦っている門下一同を激励する為に与えられた書、如説修行の姿がどんなものかと詳しく教示されている。『当体義抄』には、著作年代、著作場所、宛先が記載されていない為、その由来については明らかでないが、対告衆に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」39 門下一同に与う 5 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」39 門下一同に与う 5 今回は、『聖愚問答抄』の成仏に関する御文を記載します。本抄は、上下の2巻があり、大聖人が44歳の文永2年に書かれたとの伝承ながら、対告衆は不明である。本抄には大聖人の御真筆が無く、文体も大聖人の他の文体と多少異なるとして偽書とする説や日持が執筆し大聖人が印可されたとする説もある。題号通り、聖人と愚者との問答形式で、権実相対の義が明かされ、愚者の法華 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」38 門下一同に与う 4
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」38 門下一同に与う 4 今回は対告衆が不明な『持妙法華問答抄』の成仏に関する御文を記載します。本抄は、大聖人42歳の弘長3年3月の時に、伊豆流罪の赦免直後鎌倉で書かれたとされるが、対告衆は不明である。日持が執筆し大聖人が印可されたとする説もあるが、正本が存在せず、弘長3年に日持は門下に入っていない為、真偽は不明で、建治2年説や弘安3年説等もある。題号通り、妙法蓮華経の所持に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」37 門下一同に与う 3
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」37 門下一同に与う 3 個人に宛てられた御消息文ながら対告衆が不明な書や重要法門が書かれた書物の中に一般論として門下一同への成仏に関する指導が述べられており、それらを記載します。 「正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く『寧ろ提婆達多とな [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」36 門下一同に与う 2
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」36 門下一同に与う 2 前回は、人本尊開顕の書と云われる「開目抄」の御文を提示しましたが、今回はもう一方の法本尊開顕の書と云われる「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」(以後は略称「観心本尊抄」と表示)の御文を提示します。 「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」35  門下一同に与う 1
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」35 門下一同に与う 1 本シリーズの1の『序論』で紹介した御文の後半部分になります。個人に宛てられた御消息文ながら対告衆が不明な書及び重要法門が書かれた中に一般論としての指導が述べられており、それらを記載していきます。 「法華経を信ずる者は設い臨終の時・心に仏を念ぜず口に経を誦せず道場に入らざれども心無くして法界を照し音無くして一切経を誦し巻軸を取らずして 法華経八巻 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」34 その他の日蓮門下
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」34 その他の日蓮門下 此処に取り上げた、故弥四郎の縁故者、佐渡に住む故中興次郎入道の家族、佐渡に住む是日尼、尾張国高木郡に住む刑部左衛門尉の妻、等は、いずれも生没年不明ながら、大聖人からの成仏を約束された激励のお手紙が遺されている。 「故弥四郎殿は設い大罪なりとも 提婆が逆にはすぐべからず、何に況や小罪なり法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。」(破良観等 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」33 波木井殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」33 波木井殿 現在の山梨県南巨摩郡身延町大字波木井の地頭であった波木井六郎実長入道法寂房日円【1222-1297】のこと。日興上人との法縁によって大聖人門下となったが、大聖人滅後、日向の軟風に染まりて四箇の謗法を犯し、日興門下の身延離山の原因となった。但し、実長の長男である清長【?-1313】は、日興上人に誓状を捧げ清らかな信心を全うしている。六郎実長宛ての御消息文には、六郎恒長 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」32 上野殿(南条家一族)5
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」32 上野殿(南条家一族)5  南条家一族の最終です。南条時光は、熱原の法難の際、立派に外護を務め、上野大石ヶ原を寄進して大石寺建立に貢献し、晩年入道して法名を大行と称した。富士興門派にとって南条家一族の尽力は著しく、南条兵衛七郎の長女で南条時光の姉(後の蓮阿尼)の子・五男は日蓮正宗第三祖とされる日目上人【1260-1333】であり、長兄五郎頼綱も入道し日善と名乗り、頼綱の次男 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」31 上野殿(南条家一族)4
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」31 上野殿(南条家一族)4  南条家一族の続きです。南条時光【正元元(1259)年〜元弘2(1332)年】は、南条兵衛七郎の次男の南条七郎次郎のこと、幼い頃から大聖人に帰依し日興上人を師兄と仰ぎ純真な信心に励み、大聖人から上野賢人との称号を賜る。南条七郎五郎【文永2(1265)年〜弘安3(1280)年】は、南条兵衛七郎の5男で時光の弟にあたる。弘安3年6月に兄と共に御供養を携え大聖人にお [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」30 上野殿(南条家一族)3
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」30 上野殿(南条家一族)3  南条家一族の続きです。南条平七郎は南条家一族と思われるが、生没年不詳。本尊供養御書を賜る。南条九郎太郎も南条家一族と思われるが、詳細は不明。建治2年と弘安元年の計2編の九郎太郎殿御返事が遺されている。南条家一族の真心を大聖人が讃嘆されている。 「須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を薬となす、法華経の不思議も又是くの如し凡夫を仏に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」29 上野殿(南条家一族)2
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」29 上野殿(南条家一族)2  南条家一族の続きです。南条とは元々は伊豆国南条郷(静岡県田方郡韮山町)という地名を指すが、駿河国富士郡上野郷の地頭の南条家が以前に南条郷に住していたのでこう呼ばれる。性格温厚な南条兵衛七郎夫妻には5男4女の子があり、主人は鎌倉在勤時に大聖人に帰依して行増と名のるも念仏を捨て切れず病床に伏していたが、文永元年の南条兵衛七郎殿御書(慰労書)を [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」28 上野殿(南条家一族)1 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」28 上野殿(南条家一族)1  上野殿は、当初、南条兵衛七郎入道行増【生年不祥】の通称であったが、入道没後は嗣子の南条七郎次郎時光の事を云う。父子共に上野郷の地頭だったので此の名がある。七郎入道行増は伊豆国南条(静岡県田方郡)の出身の北条家の御家人で、後に駿河国富士郡上方の荘上野郷(静岡県富士宮市上野)の地頭に転じた。鎌倉在勤中に大聖人に帰依し信心篤かったが、文永2(12 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」27 大学三郎夫妻
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」27 大学三郎夫妻 大学三郎とは比企能員の子とされる比企大学三郎能本のこと。建仁2(西暦1202)年に生まれ、京都で儒学を学び、順徳上皇に仕え、後に鎌倉に下り、文応の頃に大聖人に帰依した。立正安国論の校訂者とも云われ、弘安9(1286)年に逝去しているが、大聖人の御遷化記録(日蓮聖人年譜、富要集5巻142頁)の大聖人御葬送の次第において、9番目に『次仏 大覚三郎』とあり、夫婦共に純 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」26 三沢殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」26 三沢殿 三沢小次郎は、駿河国(静岡県)富士郡の大鹿窪に住む大聖人門下なれど詳細は不明。所領を有する領主である事が覗われ、立場上とかく北条幕府の嫌疑を意識して大聖人より遠ざかりがちであった。大聖人は氏に対して、情味ある温かい言葉で激励されると共に立場を考慮され、病気の噂の折りにも使いを出そうと思案しながら本人の迷惑になる事を恐れて中止されたほどである。氏は他の終始 [続きを読む]