サム さん プロフィール

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サムさん: 明るい未来へ弟子として生きる
ハンドル名サム さん
ブログタイトル明るい未来へ弟子として生きる
ブログURLhttps://ameblo.jp/kingdog136/
サイト紹介文高齢の普通の創価学会員、仏法の勉強を始めました。恩返しと後世の為、私の体験談、仏法哲学等を綴りたい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供87回 / 365日(平均1.7回/週) - 参加 2013/09/02 08:50

サム さんのブログ記事

  • 御書に見る「成仏を約束された人々」32 上野殿(南条家一族)5
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」32 上野殿(南条家一族)5  南条家一族の最終です。南条時光は、熱原の法難の際、立派に外護を務め、上野大石ヶ原を寄進して大石寺建立に貢献し、晩年入道して法名を大行と称した。富士興門派にとって南条家一族の尽力は著しく、南条兵衛七郎の長女で南条時光の姉(後の蓮阿尼)の子・五男は日蓮正宗第三祖とされる日目上人【1260-1333】であり、長兄五郎頼綱も入道し日善と名乗り、頼綱の次男 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」31 上野殿(南条家一族)4
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」31 上野殿(南条家一族)4  南条家一族の続きです。南条時光【正元元(1259)年〜元弘2(1332)年】は、南条兵衛七郎の次男の南条七郎次郎のこと、幼い頃から大聖人に帰依し日興上人を師兄と仰ぎ純真な信心に励み、大聖人から上野賢人との称号を賜る。南条七郎五郎【文永2(1265)年〜弘安3(1280)年】は、南条兵衛七郎の5男で時光の弟にあたる。弘安3年6月に兄と共に御供養を携え大聖人にお [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」30 上野殿(南条家一族)3
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」30 上野殿(南条家一族)3  南条家一族の続きです。南条平七郎は南条家一族と思われるが、生没年不詳。本尊供養御書を賜る。南条九郎太郎も南条家一族と思われるが、詳細は不明。建治2年と弘安元年の計2編の九郎太郎殿御返事が遺されている。南条家一族の真心を大聖人が讃嘆されている。 「須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を薬となす、法華経の不思議も又是くの如し凡夫を仏に [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」29 上野殿(南条家一族)2
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」29 上野殿(南条家一族)2  南条家一族の続きです。南条とは元々は伊豆国南条郷(静岡県田方郡韮山町)という地名を指すが、駿河国富士郡上野郷の地頭の南条家が以前に南条郷に住していたのでこう呼ばれる。性格温厚な南条兵衛七郎夫妻には5男4女の子があり、主人は鎌倉在勤時に大聖人に帰依して行増と名のるも念仏を捨て切れず病床に伏していたが、文永元年の南条兵衛七郎殿御書(慰労書)を [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」28 上野殿(南条家一族)1 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」28 上野殿(南条家一族)1  上野殿は、当初、南条兵衛七郎入道行増【生年不祥】の通称であったが、入道没後は嗣子の南条七郎次郎時光の事を云う。父子共に上野郷の地頭だったので此の名がある。七郎入道行増は伊豆国南条(静岡県田方郡)の出身の北条家の御家人で、後に駿河国富士郡上方の荘上野郷(静岡県富士宮市上野)の地頭に転じた。鎌倉在勤中に大聖人に帰依し信心篤かったが、文永2(12 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」27 大学三郎夫妻
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」27 大学三郎夫妻 大学三郎とは比企能員の子とされる比企大学三郎能本のこと。建仁2(西暦1202)年に生まれ、京都で儒学を学び、順徳上皇に仕え、後に鎌倉に下り、文応の頃に大聖人に帰依した。立正安国論の校訂者とも云われ、弘安9(1286)年に逝去しているが、大聖人の御遷化記録(日蓮聖人年譜、富要集5巻142頁)の大聖人御葬送の次第において、9番目に『次仏 大覚三郎』とあり、夫婦共に純 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」26 三沢殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」26 三沢殿 三沢小次郎は、駿河国(静岡県)富士郡の大鹿窪に住む大聖人門下なれど詳細は不明。所領を有する領主である事が覗われ、立場上とかく北条幕府の嫌疑を意識して大聖人より遠ざかりがちであった。大聖人は氏に対して、情味ある温かい言葉で激励されると共に立場を考慮され、病気の噂の折りにも使いを出そうと思案しながら本人の迷惑になる事を恐れて中止されたほどである。氏は他の終始 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」25 弥源太殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」25 弥源太殿 北条弥源太は北条氏の一門であり、大聖人が立正安国論を著わされた当時からの信徒ながら、生没年など詳細は不明。大聖人から賜った御書として、北条弥源太への御状、弥源太殿御返事、弥源太入道殿御返事、弥源太入道殿御消息、の4編が遺されている。入道が大聖人に御供養した太刀として宗近の名刀と他の刀の二振りは、大石寺に存在している筈なのに、共に行方不明になっている。 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」24 内房女房とその父
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」24 内房女房とその父 内房女房と内房尼御前とは、同人物ではなく、むしろ内房女房の母親が内房尼御前とも推考される。駿河国(静岡県)庵原郡の内房の住人で大聖人の檀那とされるが、詳細は不明。三沢抄には、内房尼御前が、神社参拝のついでに大聖人にお会いしょうとして、厳しく追い返されている。内房女房御返事には、内房女房が、父の百か日追善供養に大聖人に布施十貫文を献じ、願文を奉 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」23 新尼と大尼
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」23 新尼と大尼 安房国(千葉県)長狭郡東条は北条の支族で名越家の領知であり、その領地の尼を大尼といい、その嫁が新尼と云われている。新尼は信心が強盛で、大尼は信心が弱く大聖人が佐渡へ流罪された際に退転している。後に大聖人が身延に居られた時、二人は御本尊のお下げ渡しを願い出たが、退転した大尼には渡されず、新尼にはお下げ渡しになっている。拝受した御書には、新尼御前御返事( [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」22 道善房と浄顕房・義浄房 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」22 道善房と浄顕房・義浄房 道善房は安房国(千葉県)の清澄寺の住僧で大聖人幼少時の出家・剃髪の師匠である。浄顕房・義浄房は大聖人の同寺修行時代の兄弟子達で、大聖人を何くれとなく庇護し、開宗の当日に強盛な念仏信者である地頭東条景信等が大聖人を斬殺しようと襲った時も大聖人を匿い逃がしている。道善房に与えられた書は無く、浄顕房には本尊問答抄が、義浄房には義浄房御書が現存 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」21 高橋殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」21 高橋殿 「高橋六郎兵衛入道は、日興第一の弟子なり、仍て申し与うる所件のごとし」(日興上人の弟子分帳より)と有る通り、日興上人により入信し、大聖人にも信頼篤く、富士周辺信者の最古老であり、夫人は日興上人の叔母である。富士郡南方の賀島(静岡県富士市本市場)に住み、四十九院・熱原の法難中は外護の本拠となり、大井・西山・由比の各氏と同族であり、岩本実相寺に住む筑前房とも [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」20 治部房
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」20 治部房 大聖人の門下の中老の一人日位とされ、大聖人の墓所輪番では八月勤仕となり、「治部公日位・持師の弟子で孫弟子に当たり庵原郡の住」(堀日亨上人著・日興上人詳伝上210頁)、「(前略)治部房(承賢)日位があつて、共に南条家の支族の出身で日興上人の門下であった」(御書・弟子檀那等列伝21頁)とあり、日興弟子分帳に「一、駿河国四十九院の住治部房(日位)は蓮華闍梨の弟子な [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」19 新池殿 
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」19 新池殿 新池左衛門尉といい、生没年不明、大聖人御在世当時の鎌倉幕府直参の武人の門下で遠江国磐田郡新池(静岡県袋井市)に住み、日興上人の折伏によって妻・新池尼と共に大聖人に帰依されたと思われる。新池殿御消息と新池御書の2編が遺されている。 「諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」18 日妙聖人
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」18 日妙聖人 生没年、本名不明、大聖人御在世当時の鎌倉に住む女性信徒、寡婦となったが、堀日亨上人は、乙御前の母であると推定されている。日妙尼とも称され、幼き娘の乙御前を連れて佐渡の大聖人を訪ねたほどの純真な信心から、『日妙聖人』の法号を賜り、日妙聖人御書に娘の名を冠した乙御前御消息、乙御前母御書が遺されている。 「我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の功徳を全体 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」17 日女御前
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」17 日女御前 大聖人御在世当時の女性信徒、池上太夫志氏の妻や松野後家尼の娘と云われているが、詳細は不明。信心強盛で身分高く、学識があり、裕福な婦人であったと思われる。日女御前に与えられた御書は、日女御前御返事として2編が遺されている。 「かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」16 西山殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」16 西山殿(西山入道) 生没年不明、大聖人御在世当時の信徒で富士郡西山(静岡県富士郡芝川町西山)に住み、芝川が富士川と合流する河合に住した由比氏(日興上人の外戚)の老翁とされている河合入道蓮光の子で日興上人の叔父にあたり、日善、日代の甥が富士興門の僧侶として名跡を残しているが、西山入道の俗士としての明確な系統、史実は遺されていない。身延に入山された大聖人の元にしばし [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」15 妙心尼
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」15 妙心尼・高橋六郎入道の妻・持妙尼・窪尼御前 日蓮大聖人の檀徒として純真に信心に励んだ婦人で、標記の名称はすべて同一人物であるとの説がある。即ち妙心尼は、由比入道の娘で日興上人の叔母に該当し、かつ高橋六郎兵衛の室となり夫が病気中(建治元年7月頃)に尼となって妙心と称し、夫の死後(建治3年11月)幼少の一人娘を連れて、生家の西山・由比家に帰り、窪(静岡県富士郡芝川町大久 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」14 妙一尼
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」14 妙一尼 生没年不詳、大聖人御在世当時の鎌倉に住む女性信徒、妙一女・辨殿尼御前・王日女と同一人物との説もあるが不明、六老僧の一人である日昭の縁者で、夫(不詳)は信仰に命をかけた大聖人の信者で、妙一尼も信仰の為に所領を没収されても大聖人への供養を怠らず、学識豊かで強盛な信者であった、と思われる。 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・み [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」13 妙法尼
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」13 妙法尼 生没年不明で妙法尼について、①駿河国(静岡県)岡宮の岡宮妙法尼とも云われ、夫(尾張次郎兵衛)や兄に先立たれながらも信仰厚く、大聖人から妙法尼御前御返事等の4編の御消息文を賜り、弘安5年2月に逝去したと伝えられている。他に同名で、②四条金吾の母、③佐渡中興(新潟県佐渡郡佐和田町字中原)に住む中興入道の母で夫を中興次郎入道といい、大聖人が佐渡流罪中に帰依し、身 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」12 松野殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」12 松野殿 松野六郎左衛門入道は、駿河国(静岡県)庵原郡松野の邑主で、娘が南条兵衛七郎に嫁いだ縁によって大聖人に帰依したとされる。多くの子供が居られたらしく、蓮華寺建立の長男・六郎左衛門尉、六老僧の一人である次男・日持それに南条家の兵衛七郎に嫁いだ娘だけが知られており、日持を出家させた後に自らも入道となり建治4年に病没している。女房である後家尼と長男の妻の外に妙法尼 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」11 光日房
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」11 光日房 安房(千葉県)の清澄寺山下の天津の人で、今日〇〇房と呼べば男性僧侶を通常意味するが、大聖人から賜った御抄から推察すると、光日尼の事を示している様に思われ、夫は武人とされるが詳細は不明である。先に息子の弥四郎が青年時代に大聖人に帰依し其の後、光日尼も共に信心に励むが、弥四郎は横死する。賜書に、種種御振舞御書、光日房御書、光日上人御返事、光日尼御返事があり、 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」10 最蓮房
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」10 最蓮房 最蓮房日栄とも日浄ともいい、京都出身で佐渡流罪中に大聖人の門下となった天台学匠である。大聖人の身延入山後に赦免されて京都へ帰り、次いで甲州に移って甲州下山の本国寺を開き、87歳で逝去したと伝えられている。大聖人より賜った御書は、生死一大事血脈抄、草木成仏口決、最蓮房御返事、祈祷抄、祈祷経送状、諸法実相抄、当体義抄、立正観抄、同送状、十八円満抄等であり、いず [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」9 秋元殿
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」9 秋元殿 秋元太郎兵衛尉勝光といい、下総(千葉県)印旛郡臼井の荘の武人で、文応元年(1260年)、大聖人が松葉ヶ谷の法難を避けて下総中山に行かれた時、入信され、曾屋氏や大田氏と親しく富木氏とは縁戚関係であったと伝えられている。正応四年(1291年、祖滅9年後)に没し、屋敷に法華経堂が建立され、現在は秋本寺という寺院になっている。現存するご消息文は、秋元殿御返事(別名:五節 [続きを読む]
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」8 大田乗明
  • 御書に見る「成仏を約束された人々」8 大田乗明 大田五郎左衛門尉乗明は、鎌倉幕府の問注所の役人でその役職を唐では金吾と呼ぶところから大田金吾とも云われる。同僚の富木常忍に折伏され、天台真言を捨て、以後は富木常忍、曽谷教信、金原法橋等と共に下総(千葉県)中山を中心に大聖人の外護に当った強信者である。弘安元年頃に入道して「妙日」の法号を受けその館を本妙寺とした。建治元年に出家させた次男が師阿闍 [続きを読む]