しずか さん プロフィール

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しずかさん: 大河ドラマに恋して
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル大河ドラマに恋して
ブログURLhttp://shizuka0329.blog98.fc2.com/
サイト紹介文大河ドラマの舞台を旅しています。今年は「おんな城主直虎」の舞台をメインに、歴旅も楽しんでいきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供370回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2013/09/04 01:29

しずか さんのブログ記事

  • ご当地キャラ博in彦根 2017
  • 今年もご当地キャラ博in彦根に出かけてきました。駅前の井伊直政像駅からてくてくと会場まで歩いて行くと、彦根城のお堀沿いの木々が少し紅葉していました。オープニングには、ひこにゃんが登場!その後、くまモンとのステージもありました。ブースを見ながら歩いていたら、浜松のキャラ・家康くんと直虎ちゃんにばったり!出世大名家康くん徳川家康の生まれ変わりといわれています。出世法師直虎ちゃん井伊直虎の生まれ変わりとい [続きを読む]
  • 今川氏親ゆかりの吐月峰 柴屋寺
  • 静岡市駿河区丸子にある「吐月峰 柴屋寺」は、室町時代の永正元年(1504年)島田出身の連歌師・宗長が結んだ草庵に始まり、今川氏親が寺に改めたものと伝えられています。また、観月の名所としても知られ、京都から移植したという竹林の中に書院、茶室があります。京都銀閣寺を模した庭園は東山、天柱山、丸子富士を借景としたもので国の名勝・史跡に指定されています。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていました。寺宝 [続きを読む]
  • 鴨江寺(2)徳川家康が再建した観音堂
  • 鴨江寺の中門から観音堂へと進んでいきます。中門鐘撞堂12月31日の大晦日には除夜の鐘を撞く人々で賑わいます。拝殿聖徳太子が祀られる観音堂鴨江寺の観音堂は豊臣秀吉の時代に火災で焼失しましたが、そのときのお堂の規模は七間四方であったと記録に残っています。江戸時代に入り、元和二年、徳川家康によって観音堂が再建されました。その堂内に安置されていた宮殿が弁天堂の宮殿として現在も残っています。その後、空襲で焼失し [続きを読む]
  • 鴨江寺(1)井伊家の支城であった鴨江城
  • 浜松駅から西へ約1.2kmほどのところに、遠州高野山 鴨江寺があります。地元では、鴨江観音という愛称で親しまれ、お彼岸には多くの参拝客で賑わいます。鴨江寺は、奈良時代に遠州地方の民話で知られる芋堀長者が観音堂を建てたいと行基菩薩に依頼し創建されたといわれ、今でも鴨江町一帯は、地元の人たちから長者平(ちょうじゃびら)と呼ばれています。そして、鴨江寺の大伽藍を利用して建てられた鴨江城がありました。鴨江城は、 [続きを読む]
  • 直虎を支える中野直之
  • 直虎を支える中野直之は、井伊氏の分家筋にあたる中野家に生まれました。父の中野直由は井伊直盛から絶大なる信頼を得ており、井伊氏の名代を任されるほど有力者でした。しかし、直由は、今川家に対する謀反を鎮圧するための曳馬城攻めで戦死。その後を継いだ直之は、南渓和尚との画策により、井伊直政が徳川家康に謁見する際、祐椿尼(直盛の妻、直虎の母)の命で直政に随行して共に浜松城へと向かったと伝えられています。直之は [続きを読む]
  • 頭陀寺ゆかりの津毛利神社
  • 頭陀寺にゆかりのある浜松市南区参野町の津毛利神社を参拝しました。なぜか欠けています(^_^;養老2(718)遠州灘の海難防除を願って、摂津の住吉大社から勧請されました。創建当時は海岸で、鳥居の前まで波が打ち寄せたといいます。その後開拓が進みました。本殿頭陀寺と津毛利神社頭陀寺はかつて天竜川下流にあった広大な「川匂荘(かわわのしょう)」の現地荘官として、四十六所明神(現在は津毛利神社と改称)とともに荘園の中核 [続きを読む]
  • 奥山方広寺の特別公開(2)おとわが修行した禅堂
  • 禅堂は修行僧たちが坐禅修行に励む道場で、ドラマでは新井美羽ちゃん演じるおとわ(次郎法師)が修行するシーンが撮影されました。その時のパネルも飾られています。おとわちゃんが座ったのは、正面に向かって右側の一番奥。この辺りだそうです。 禅僧の一日自然に囲まれた奥山方広寺の中でも、最も静寂を感じる場所。窓から自然光が入り、とても心地良さそうです。この日は、気温が高い日でしたが、ここは涼しく感じました。こん [続きを読む]
  • 奥山方広寺の特別公開(1)明治天皇行在所
  • 「おんな城主 直虎」のロケ地となった奥山方広寺の「禅堂」「明治天皇行在所」が、期間限定で公開されています。特別公開の場所へ行くには、この百八階段を通っていきます。明治天皇行在所は、明治初年の御遷都御東上の際、新井宿にて明治天皇が宿泊された建物を移築したものです。美しい庭園渡り廊下を通って、禅堂へ。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記 [続きを読む]
  • 掛川城御殿
  • 掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。掛川城御殿 は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です。 書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも御殿が作られましたが、老朽化 [続きを読む]
  • 駿府城(4)本丸堀〜坤櫓
  • 本丸堀 本丸堀は、駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を取り囲んでいます。幅約23〜30mで深さは江戸時代には約5mありました。石垣は荒割りした石を積み上げ、隙間に小さな石を詰めていく「打ち込みはぎ」と呼ばれる積み方です。角の部分は「算木積み」という積み方で横長の石を互い違いに積んで崩れにくくしています。 発掘調査により再び姿をあらわした本丸堀は、江戸時代の雰囲気が感じられる貴重な遺構です。 坤櫓坤櫓とは [続きを読む]
  • 駿府城(3)本丸跡〜刻印のある石垣
  • 本丸跡には、徳川家康の像が立っています。この像は威厳に満ちていますね。駿府城  今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。 徳川家康は [続きを読む]
  • 駿府城(2)駿府城跡天守台発掘現場
  • 平成28年から駿府城公園北西部にて発掘調査が行われています。現場を観覧できる「見学ゾーン」平成30年までは天守台と内堀、平成31年度は今川時代の遺構を調査していくそうです。併設されている「発掘情報館きゃっしる」では、発掘調査に関する情報や発掘されたものが展示されています。瓦石塔金箔瓦は、織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長、豊臣秀吉とその配下の大名が築城した城の総称)に使用され、安土城や大坂城 [続きを読む]
  • 駿府城(2)駿府城跡天守台発掘現場
  • 平成28年から駿府城公園北西部にて発掘調査が行われています。現場を観覧できる「見学ゾーン」平成30年までは天守台と内堀、平成31年度は今川時代の遺構を調査していくそうです。併設されている「発掘情報館きゃっしる」では、発掘調査に関する情報や発掘されたものが展示されています。瓦石塔金箔瓦は、織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長、豊臣秀吉とその配下の大名が築城した城の総称)に使用され、安土城や大坂城 [続きを読む]
  • 駿府城(1)東御門
  • 14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川家の居館(今川館)が築かれ、今川家の居城となっていました。今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により、居館は失われてしまいました。その後、武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有する [続きを読む]
  • 松下屋敷〜熊野神社〜頭蛇寺
  • 浜松市頭陀寺(ずだじ)町に残る松下屋敷は、戦国時代の武将、松下氏の館跡と伝わる場所で、頭陀寺城とも呼ばれています。松下氏は今川氏の家臣で、引間城主飯尾氏に仕えていました。天正2年(1574年)頃、虎松(井伊直政)の母ひよは、井伊直虎と祐椿尼の計らいにより、松下常慶の兄で、頭蛇寺城主・松下加兵衞の従兄弟である松下清景(源太郎)と再婚。清景は、鳳来寺から帰った虎松(井伊直政)を養子に迎えました。天正3年(157 [続きを読む]
  • やらフェスに”竜宮小僧”新井美羽見参!
  • 浜松市民手作りの音楽祭「やらまいかミュージックフェスティバル in はままつ」、略して「やらフェス」。「音楽の町 浜松」にふさわしい「音楽の浜松祭り」が週末開催されました。二日目の8日は、「おとわ」役を演じた新井美羽ちゃんが、静岡文化芸術大と浜松商工会議所の人助けの大切さを街中で啓発する連携事業「竜宮小僧プロジェクト」のPR役を務めました。竜宮小僧は人知れず人を助ける存在として、大河ドラマで描かれる引佐 [続きを読む]
  • 井伊谷 近藤家陣屋跡
  • 井伊谷城と居館 周辺マップに「近藤家陣屋跡」の表示があったので、小野屋敷跡に建つお店の方に、どの辺りであったかお聞きしたところ、近藤家陣屋跡は、ちょうど小野屋敷の裏側に当たり、現在は引佐図書館になっていると・・・早速向かってみました。図書館から小野屋敷方面を振り返る。ここは、井伊谷城に登城した時に通ったわ。井伊谷城方面への道位置関係はこのようになっています。井伊谷城、井伊氏居館跡、井殿の塚からも近 [続きを読む]
  • 曳馬城から浜松城へ(6)自然豊かな浜松城公園
  • 浜松城公園は、昭和25年子供博覧会の開催及び動物園の開園を契機に開設されました。 そう、昔は動物園があったのですよ!子どもの頃、遠足などでよく行ったものです。しかし、昭和58年に動物園がフラワーパーク横に移転となり、現在は浜松城を中心に、日本庭園、中央芝生広場など、市民の憩いの場として親しまれています。浜松市の中心部にありがながら、豊かな緑に囲まれた浜松城公園には、カワセミ、シラサギ、カルガモなどの動 [続きを読む]
  • 曳馬城から浜松城へ(5)本丸跡 徳川家康の像〜二の丸跡
  • 浜松城の本丸跡本丸天守閣が城の象徴なら、本丸は城の本拠地である。普通の城は天守閣をとり囲むように本丸が配置されているが、浜松城の場合は天守閣の東、約十七m下につくられた。周囲を石垣で囲み、南に正門である鉄門があった。北には富士見櫓、南東のすみに二層の菱櫓を置いた。本丸内の建物についてのくわしいことはわからない。 本丸跡には「若き日の徳川家康の銅像」があります。右手には「勝草」と呼ばれる羊歯(シダ) [続きを読む]
  • 曳馬城から浜松城へ(4)浜松城の天守門
  • 明治時代に取り壊された浜松城の天守門が、発掘調査で見つかった礎石や、1絵図などをもとに、2014年(平成26年)3月に復元されました。  浜松城の第二代城主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、この天守は古図などの資料から、江戸初期には喪失していたと考えられる。天守曲輪入口の天守門は幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。「安政元年(1854)浜松城絵図 [続きを読む]
  • 曳馬城から浜松城へ(3)浜松城天守閣
  • 往時の石垣の上に新天守閣が再建された浜松城。 今年はこんな井伊直虎・井伊直政・徳川家康の顔出しパネルも設置されました。天守閣内には徳川家康と城下町浜松にまつわる歴史的資料、 武具や軍扇、陣羽織、刀などが展示されています。葵のご紋入り重箱しかみ像徳川十六将図陣羽織火縄銃徳川家康の3D像2015年 徳川家康公400年記念事業として制作された30歳前後の等身大家康像。 「手相・しわ・毛穴」まで再現されています。展望台 [続きを読む]
  • 曳馬城から浜松城へ(2)浜松城
  • 浜松城は、明治維新で廃城となりましたが、城跡は浜松市民の憩いの場である浜松城公園となり、1958年、新天守閣が再建されました。天守曲輪にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 曳馬城から浜松城へ(1)曳馬城跡に建つ元城東照宮
  • 浜松城の前身は引馬(曳馬)城といい、1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いということで、浜松荘と呼ばれる荘園から名をとり、城名・地名を「浜松」としました。現在、引間城本丸跡に元城町東照宮が建っています。明治19年旧幕臣・井上延陵の発起により創建されまし [続きを読む]
  • 小野政次が処刑された大堰河原
  • 地域遺産センターで読んだ本の中に、昔の井伊谷の写真が紹介されていました。これが、小野政次が処刑された大堰河原の1990年代の写真です。河岸工事が進められ、今はだいぶ様子が変わっています。奥に見えるのが、北岡橋です。以前は、処刑場であった案内板があったそうですが、近隣住民の方たちの苦情で撤去されたそうです。今日再度大堰河原に行って来ました。土手に彼岸花が咲き、秋らしい景色になっていました。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 龍雲寺の新田友作の墓
  • 堀川城主であった新田友作は、落城後は剃髪して法休と名乗り、葭本の金地院で戦死者の菩提を弔っていましたが、堀川城の戦いで亡くなった人たちの菩提を弔っていましたが、慶長11年、徳川方に捕らえられ、処刑されました。柳楽優弥さんが演じる龍雲丸は、ドラマのオリジナルキャラということですが、モデルになった実在の人物がこの新田友作ではないかという噂があります。再度、気賀の龍雲寺に新田友作のお墓があると聞いて、再度 [続きを読む]