しずか さん プロフィール

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しずかさん: 源平・義経ゆかりの史跡めぐり しずかblog
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル源平・義経ゆかりの史跡めぐり しずかblog
ブログURLhttp://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/
サイト紹介文源平合戦、源義経ゆかりの史跡を追って日本全国旅しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/09/04 10:12

しずか さんのブログ記事

  • 熊野の長藤(1)熊野(ゆや)御前と平宗盛
  • 今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。 「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。 謡曲「熊野」と行興寺 謡曲 [続きを読む]
  • 源氏からも平家からも愛された平野神社の桜
  • 毎年、春になると、平家にも源氏にもゆかりのある桜で有名な京都の平野神社を訪ねます。 平野神社は794年(延暦13年)、平安遷都の際桓武天皇が奈良より勧請し、創建されました。平野神社の祭事である平野祭は、『延喜式』四時祭に記載されている祭祀で、桓武天皇の後王(後裔の皇族)、大江氏と和氏が参加することが規定されていました。桓武天皇の後裔で発達したのは平氏で、1019年(寛仁3年)平理義が平野祭に氏人として参加して [続きを読む]
  • 志津城跡と藤原共資公の石碑
  • 正暦4年(993)、藤原共資が築いたといわれる志津城に向かいました。浜名湖国際頭脳センター付近に、志津古城址の石碑が建っています。 志津城は浜名湖畔の半島に築かれましたが、現在は埋め立てが進み、湖面から離れています。井伊谷に伝わる古文書によると、平安時代に井伊氏の祖となる藤原共資がこの地に住んで館を築いたとされます。周囲には城山・根古屋などの地名が残りますが、城の主要部は湖面埋め立てのため削り取られて失 [続きを読む]
  • 日蓮聖人の先祖・貫名氏の館跡に建つ妙日寺
  • そもそも、この疑問を持ったのは、我が家の愛犬のお墓があるお寺の入り口に掲げられてる「井桁と橘」の紋に始まります。 気になって、井伊家に関係があるのかとご住職に質問したところ、それは日蓮宗の紋だという。そこに偶然通り掛かった息子さんが、「日蓮のお父さんが、井伊家の人だからでしょう。」と。と、前に訪ねた共生寺の説明と結びつき、袋井のあるお寺に向かってみました。 袋井市の妙日寺は、正慶元年(1332年)身延山 [続きを読む]
  • 随縁寺と共正寺 頼朝に配流された貫名氏
  • 寺島村(現・浜松市南区寺島町)に無住状態で寺号だけが残っていた普済寺(現・浜松市中区広沢)の前身だった随縁寺は、明治32年(1899)10月、村櫛の地に移され、再興する形で開かれました。この時、廃仏毀釈で廃寺となった宝谷寺の住職が、私財をなげうって買い取り、宿廬寺(浜松市西区庄内町)に預けられていた大日堂の大日如来像が須彌壇とともに移されました。当初、随縁寺は、村の中央にある上の山の中腹に建てられ、本堂は [続きを読む]
  • 五個荘(4)大城神社
  • 大城神社の創建は推古天皇29年(621)、聖徳太子が小野妹子に命じて金堂寺を開いた際、鎮守社として勧請されたのが始まりとされます。 嘉慶2年(1170)に現在地に遷座し、高皇産霊神、伊邪那岐命、出雲路幸神、天児屋根命、天満宮、武内宿弥大臣を勧請合祀し、五個荘の産土神と仰ぎました。 文亀3年(1503)には当時の地頭・那須興市が金堂寺を改修した際家運長久を祈願し、近江の守護職・佐々木氏の居城観音寺城の鬼門に位置してい [続きを読む]
  • 五個荘(3)近江商人屋敷
  • 五個荘まで来たついでに、近江商人屋敷のエリアを散策しました。 重要伝統的建造物群保存地区の五個荘金堂町には、五個荘商人の本宅を公開している施設があります。 外村宇兵衛邸 外村宇兵衛家は、五個荘商人として活躍していた外村与左衛門(6代)の末子が、分家して興したものです。  文化10年(1813)に与左衛門との共同事業から独立して商いを始め、努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服類の販売を中心に [続きを読む]
  • 五個荘(2)浄栄寺
  • 錦鯉が泳ぐ水路のある通りは、鯉通りと呼ばれ、この通り沿いには、浄栄寺というお寺があります。 こちらは、「金堂」という地名の由来に関わる寺院です。 寺伝によると、聖徳太子がこの地を訪ねた際、不動坊という僧とともに、大きな金堂を建立した。これにより村の名前を「金堂」としたという。 この時、聖徳太子と行動をともにした不動坊は不動明王の化身とされ、不動院を建立。その後、不動院は荒廃してしまったが、宝治元年 [続きを読む]
  • 五個荘の町(1)那須与一の孫・愚咄ゆかりの弘誓寺
  • 五個荘町の古い町並みが続く金堂(こんどう)地区にある浄土真宗大谷派の古刹・弘誓寺は、本願寺三世覚如上人の高弟で、那須与一の孫・愚咄(ぐとつ)を開祖とし、正応3年(1290)に創建されました。 正応5年(1292)には現在の寺号を受け、その後神崎郡躰光寺(たいこうじ)村に移り、天正9年(1581)には現在地の金堂に移転。 敷地は移転してきましたが、本尊と祖師親鸞上人真影は、代々受け継がれてきています。滋賀県下で2番目 [続きを読む]
  • 那須与一ゆかりの即成院
  • 泉涌寺塔頭の即成院は、伏見長者と称された橘俊綱の創建で、元伏見大亀谷に所在していましたが、明治維新の廃仏毀釈で無住となり、泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年に現在地に移されました。ご本尊の阿弥陀如来坐像と二十五体の菩薩像が安置されています。     山門                本堂    地蔵堂即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところ [続きを読む]
  • 後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺
  • 泉湧寺の塔頭の一つに今熊野観音寺があります。 本尊は十一面観音(秘仏)、西国三十三所第十五番札所。 大同年間(806年〜810年)、熊野権現のお告げを受けた空海がお堂を建てたのが始まりで、その後、藤原緒嗣が伽藍を造営したと伝えられています。本堂                  大師堂 熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。 頭痛持ちで苦し [続きを読む]
  • 新年のご挨拶
  • 昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございました。 今年もよろしくお願いします。 応援のポチッのご協力お願いします。 にほんブログ村 偉人・歴史人物 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 滝口寺(2)横笛高野山へ
  • 次に横笛が訪ねて来たら心が動いてしまうかもしれないと思った入道は、嵯峨 から高野山へと移って行きます。 ある日、横笛は入道が高野山にいることを知ります。想いを捨てきれない横笛は、女人禁制の高野山にに一番近い天野の里へ移ります。しばらくして、入道もまたある僧から天野の里の横笛の話を聞き、彼女に歌を送ります。 そるまでは 恨みしかど梓弓 真の道に入るぞうれしき それに対して、横笛は そるとても 何か恨まん [続きを読む]
  • 滝口寺(1)滝口入道と横笛
  • 祇王寺からさらに石段を奥に進むと滝口寺につきあたります。 滝口寺は、武士の身分から仏門に入った滝口入道と、建礼門院の仕女・横笛の悲恋の舞台として知られています。 平重盛に仕えていた斉藤時頼は、建礼門院に仕える身分の低い横笛に恋していました。しかし、時頼の父は、時頼を身分の高い女性を結ばせたかったので、横笛とのことを反対していました。時頼は、父にそむくこともできず、横笛との実らぬ恋に絶望し、仏門に [続きを読む]
  • 嵯峨野の祇王寺(2)
  • かやぶき屋根の草庵の中の控えの間にある大きな窓は、吉野窓と呼ばれ、窓の格子と外の竹やぶが交差し、影が色づいてみることから「虹の窓」とも呼ばれています。 仏壇には、本尊大日如来、平清盛、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。 正面向かって左の宝筐印塔が祇王、祇女、刀自の墓。右の五輪塔は清盛の供養塔で、いずれも鎌倉時代に作られたものだそうです。 応援のポチッのご協力お願いします。にほんブ [続きを読む]
  • 嵯峨野の祇王寺(1)
  • 久し振りに嵯峨野の祇王寺へ行って参りました。こちらは、「平家物語」に登場する白拍子の祇王ゆかりのお寺です。 平家全盛の頃・・・ 当時、白拍子の祇王、祇女という姉妹がいました。姉の祇王は、平清盛の寵愛を得て、妹の祇女も有名になり、幸せに暮らしていました。 ところが、加賀出身の白拍子・仏御前が現れてから、清盛の心は仏御前に移ってしまいました。祇王は館を追い出されることになり、母・刀自、妹の祇女とともに [続きを読む]
  • 誓願寺(2)片桐且元の墓
  • 誓願寺の本堂左手に進むと、片桐且元夫妻の墓があります。 且元は、「賤ヶ岳七本槍」の一人で、幼い豊臣秀頼の補佐役でした。慶長19年(1614年)「方広寺鐘銘事件」の釈明のためやって来ましたが、駿府に入ることを許されず、この誓願寺に滞在しました。 徳川家康は、この時且元に合わず、代わりに本多正純・金地院崇伝にこの件を責めさせ、目的を果たせず、大阪に戻った且元は、豊臣方から裏切り者扱いされ、大阪城を退去しました [続きを読む]
  • 誓願寺(1)源頼朝が創建した誓願寺
  • 静岡市駿河区丸子の誓願寺(せいがんじ)は、建久年間(1190〜1192年)に源頼朝が両親の追善供養のために創建したお寺です。 しかし、天文年間(1532〜1555年)の丸子城の戦火で類焼。 元禄11年(1568年)駿府に進出した武田信玄がこれを惜しんで再建したものです。 応援のポチッのご協力お願いします。にほんブログ村偉人・歴史人物 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの油山寺(6)御霊杉
  • 御霊杉弘法大師所縁の霊木で、天然記念物に指定されています。伝説には、お大師様が油山寺にご掛錫のみぎり貧しき村民の幼子が病で命を落とさんとしているのを、法力を持って助け、その両親がお礼に夫が松、妻が杉でいちぜんの箸を作り、お大師様の食膳にささげられたそうです。その松と杉でできた箸を、お大師様は旅立ちに際し人の真心の尊さを説くものとしてこの地に挿したところ、不思議と箸より芽が出て幹が松、枝葉が杉の霊木 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの油山寺(5)本堂
  • 薬師本堂へ建久元年、源頼朝が眼病全快のお礼として寄進、遠江国守護職・工藤祐経が普請奉行にあたった建物。その後、元文3年(1738年)時の山主幸恵法印が8代将軍・吉宗に拝謁の砌病気平癒のお礼に再建寄進されたものであるとされています。江戸中期の遺構として静岡県指定文化財に指定され、昭和46年文化庁の指導監督により修理が施されました。薬師本堂内正面に菊の御紋がはいり金色に輝く宮殿厨子は、今川義元の寄進で [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの油山寺(4)源頼朝寄進の三重塔
  • 油山寺の三重塔は建久元年(1190年)源頼朝が眼病全快のお礼に建立されたものであり、その後、遠江国守護職工藤祐経が薬師堂と共に普請奉行をした塔です。 内陣には、弘法大師作と伝えられる大日如来を安置し、塔の高さはおよそ23メートル、上層は唐様と天竺様を用い、中下層は和様式、三手先組一式、上層は2.3メートル四桃山期の姿を今に伝え、桃山の三名塔の一つに数えられています。方、中層は2.8メートル四方、下層は3.6メート [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの油山寺(3)るりの滝
  • 油山寺には、眼病にご利益があると知られるようになった孝謙天皇にまつわる伝説が残されています。天平勝宝元(749)年、目を患っていた孝謙天皇がご本尊の薬師如来に祈願し、るりの滝の水を加持祈祷し、その水を孝謙天皇に献上し、孝謙天皇がその水で洗眼したところ、たちまち眼病が全快したそうです。薬師如来にちなんでるりの滝と呼ばれ、祠には、波切不動明王が祀られています。るりの滝 このことをきっかけに、孝謙天皇は油山 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの油山寺(2)目の霊山
  • 油山寺の境内を進んでいきます。金龍弁財天健足六角堂 書院元遠州横須賀城内にあり、元禄12年(1699年)に建立されたものであり、安政6年、藩主西尾隠岐守より当山に寄進された書院文化財です。方丈遠州浅羽の代官、仁科宇兵衛が宝歴14年(1764年)に建築した建物であり、静岡県指定文化財に指定されています。宝生殿本坊正面の仏殿で、本尊は智証大師御作と伝えられる不動明王。十方信徒の祈祷、大護摩供秘法修法の道場、あるい [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの油山寺(1)山門
  • 油山寺(ゆさんじ)は、静岡県袋井市村松にある真言宗智山派の寺院で、遠州三山の1つに数えられています。山号は医王山。山門は元掛川城大手門で、万冶2年(1659年)井伊直好が建立したものです。歴代の掛川城主の信仰は厚く、明治6年御維新の際、城主・太田備中守が眼病全快のお礼として当山に寄進、移築されたものす。城郭造、重櫓層門、本瓦葺、桁行9.3メートル、梁間4.6メートル、2階25畳、漆喰白壁、窓、柱0.6メートル、 [続きを読む]
  • 源頼朝ゆかりの観福寺
  • 袋井の地名の元となった袋井山観福寺は、延歴12年(739)開基、天台法華宗の古刹です。 東海道のどまん中、袋井宿の中央に建っていることから、へそ寺とも呼ばれています。 建久3年(1190)源頼朝が延命地蔵菩薩を奉安。天正17年(1589)徳川家康、曹洞宗可睡斎仙麟等膳和尚を迎え法治開山しました。本尊は聖観世音菩薩です。  當山は山号を袋井山、字号を観福寺と云います。延暦十二年(793)桓武天皇代、天台法華宗寺院とし [続きを読む]