しずか さん プロフィール

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しずかさん: 日々史跡めぐり
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル日々史跡めぐり
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu
サイト紹介文日本あちこちの史跡・寺社仏閣・城・地名の由来などを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/09/04 10:19

しずか さんのブログ記事

  • 石田三成ゆかりの地(11)嶋氏館跡
  • 今回は、石田三成の重臣・嶋左近ゆかりの地を紹介します。島氏の出自は明らかでありませんが、奈良県生駒郡平群町周辺の在地領主で、椿井城・西宮城を本拠にしていたという説の他、米原の山内一豊の妻・千代の出生地から近くにある春日神社にも、嶋氏館跡があります。この一帯は、今井氏の重臣「嶋氏」の館跡とされる。館の東には北国街道の飯村川の渡しがあったことから、嶋氏が交通の要衝を管理する立場にあった [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(10)春日神社
  • 米原市世継の春日神社も石田三成ゆかりの神社です。のどかな田園風景を見ながら歩いて行きます。当社には三成がお手植えした伝わる藤があります。三成が美濃へと出立する前に、ここで戦勝祈願の記念にとして植えた藤なのだそうです。また、石田三成の家紋である「下り藤」もここからのものだと考えられています。今年も一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(9)彦根の宗安寺 
  • 彦根城跡から夢京橋キャッスルロードに出ると、通りの真ん中に浄土宗の宗安寺があります。井伊直政の正室・東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に建立された安国寺を前身とします。井伊直政が高崎城主となると安国寺は移転。1601年佐和山入城に伴い、佐和山城下へ移され、宗安寺と改名。1603年、彦根城築城の際、現在の地へ移転されました。赤門は、石田三成の佐和山城の表門を移築したものと伝えられています。現在の本堂は、 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(8)観音寺
  • 数年前のことになりますが、寺の小僧だった石田三成と豊臣秀吉が出会った場所とされている米原市の観音寺を訪れてみました。三成の出生地・石田よりバスで米原方面に向かい、観音寺下車。観音寺は、もとは伊吹山中にあり、僧三修が開いた伊吹四大寺として隆盛を極めていましたが、13世紀に山を降り、現在地に移ったとされています。ここは、鷹狩で立ち寄った秀吉に三成が茶でもてなし、才能を見出されたという三献の茶のエピソード [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(7)石田三成産湯の井戸
  • バス停石田から石田会館とは反対の方向、北へ進み、民家の間に挟まれた道を行くと、石田三成産湯の井戸があります。三成の死後、400年の記念事業で、平成12年に復元されました。 三成は、1560年、近江国坂田郡石田村で生まれました。父・正継は、「村の武士」といわれる土着の豪族で、京極家や、浅井家に仕えた後、帰農したとされています。三成は、三男として誕生、幼名は佐吉。長兄は早世し、次兄・正澄は、三成と前後して、秀吉 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(6)八幡神社(石田神社)
  • 石田会館に向かう道を、左に曲がると、八幡神社があります。石田神社とも呼ばれ、本殿の裏に石田三成一族と家臣の供養塔があります。本殿三成の辞世の歌「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆくわが身なりけり」「残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりとぞ」 墓石出土跡昭和16年まで、石田家に関係があると思われる墓石(関ヶ原の後、この地の人が、徳川方の追及を逃れるために隠した)が埋 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(5)秀吉と三成出逢いの像〜石田三成の屋敷跡
  • 長浜駅を降りると、駅前に「秀吉と三成出逢いの像」があります。長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年は先ほどよりも少し熱いお茶を、茶碗に半分ほど差し出しました。そこで秀吉公は、さらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(4)妙源寺
  • 彦根市河原のはなしょうぶ通りに建つ妙源寺は、文禄元年(1592年)の創立で、蓮成寺と同じく、石田三成の居城であった佐和山城の法華丸を移転したものと伝えられています。 山門は、佐和山城の城門であったと伝わり、柱には矢の跡が残っています。また、祖師堂(日蓮聖人のお堂)は、彦根8代藩主・井伊直定の寄進により建立されたものです。 祖師堂本堂改築前の本堂と庫裏は、三成の佐和山御殿を移築したものといわれていたそうです。 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(3)蓮成寺
  • 蓮成寺が現在地の彦根市栄町に建立されたのは1602年のことで、蓮成寺の前身は石田三成の居城・佐和山城にありました。1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。佐和山城主は、丹羽長秀、堀秀政、堀尾吉晴、石田三成となり、関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。その後、井伊直政の命令により現在地に蓮成寺として、かつての彦根城外堀を背 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(2)佐和山一夜城
  • 石田三成の居城だった佐和山城を再現した「佐和山一夜城石造」が、彦根市古沢町の佐和山ふもとにある佐和山会館の敷地内に設置されています。2012年彦根商工会議所青年部の創立30周年記念事業により、彦根市の石材店が、地元の寺に残っていた古図などを参考に制作したそうです。平成19年に開かれた彦根城築城400年祭の時に、同祭実行委員長だった北村昌造・彦根商工会議所会頭の提案で、高宮町の田中家石材 [続きを読む]
  • 石田三成ゆかりの地(1)仙琳寺
  • 彦根市古沢町の愛宕山にある仙琳寺。彦根藩四代目藩主・井伊直興の子・千代之助が出家し、本空と改名した後に開基した寺なのだそうです。周辺には竹やぶが広がっているため、仙琳寺を新たな観光名所にしようという仙琳寺プロジェクトが、竹やぶ整備し、石垣や石田三成が水を汲んだと伝わる井戸を確認したといいます。領民たちが供養のため隠し持っていたという「石田地蔵」を安置しています。この近く [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅 (13)専宗寺
  • 次は、石田三成ゆかりの鳥居本の専宗寺(せんしゅうじ)に向かいました。専宗寺は、文亀2年(1502)および天文5年(1536)の裏書のある開祖仏を有する浄土真宗本願寺派の古寺で、聖徳太子開創と伝わります。かつては、佐和山城下町本町筋にあり、泉山泉寺と号していましたが、寛永17年(1640)に、洞泉山専宗寺と改め、ここ西法寺村に移ってきました。本堂などの建立時代は18世紀後半のものと推定されています。西法寺 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(12) 鳥居本宿
  • 五個荘から鳥居本へ近江鉄道鳥居本駅は、レトロ感漂うお洒落な洋館駅舎。かつては駅構内に日本石油米原油槽所があり、構内に小規模の荷役線が敷かれていた。当駅から彦根駅を経由して安治川口駅までタンク車による石油輸送が行われており、当駅 - 彦根駅間が近江鉄道で最後まで残った貨物列車運行区間であったが、油槽所閉鎖に伴い1988年に廃止され近江鉄道の貨物輸送は幕を閉じた。 (Wikipediaより)駅舎は、国 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(11)海老塚の跡
  • 近江商人屋敷の近くに「海老塚の跡」という史跡を見つけました。海老塚(天神塚・手鬢塚)の跡 ここは、金堂と竜田との村境にあたり、海老塚という塚があった。海老塚は別名、天神塚・手鬢塚ともいった。 「昔、金堂の産土神を勧請した時、ここで休んだから、塚の名になった」という伝承がある。貞享二年(一六八五)の「祭礼古例之式」(『神祭用記録』)に、祭礼が終わったあと、金堂の安福寺前で七里の神輿がまず別れ、そのあと「天 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(10)大城神社
  • 大城神社の創建は推古天皇29年(621)、聖徳太子が小野妹子に命じて金堂寺を開いた際、鎮守社として勧請されたのが始まりとされます。嘉慶2年(1170)に現在地に遷座し、高皇産霊神、伊邪那岐命、出雲路幸神、天児屋根命、天満宮、武内宿弥大臣を勧請合祀し、五個荘の産土神と仰ぎました。文亀3年(1503)には当時の地頭・那須興市が金堂寺を改修した際家運長久を祈願し、近江の守護職・佐々木氏の居城観音寺城の鬼門に位 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(9)五個荘の近江商人屋敷
  • 五個荘まで来たついでに、近江商人屋敷のエリアを散策しました。重要伝統的建造物群保存地区の五個荘金堂町には、五個荘商人の本宅を公開している施設があります。外村宇兵衛邸外村宇兵衛家は、五箇荘商人として活躍していた外村与左衛門(6代)の末子が、分家して興したものです。  文化10年(1813)に与左衛門との共同事業から独立して商いを始め、努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服類の販売を [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(8)五個荘の浄栄寺
  • 錦鯉が泳ぐ水路のある通りは、鯉通りと呼ばれ、この通り沿いには、浄栄寺というお寺があります。こちらは、「金堂」という地名の由来に関わる寺院です。寺伝によると、聖徳太子がこの地を訪ねた際、不動坊という僧とともに、大きな金堂を建立した。これにより村の名前を「金堂」としたという。この時、聖徳太子と行動をともにした不動坊は不動明王の化身とされ、不動院を建立。その後、不動院は荒廃してし [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(7)五個荘の弘誓寺
  • 近江鉄道の多賀大社前から五箇荘へ駅舎の雰囲気もレトロ感たっぷりでいいですね!駅前にこの案内図があるのですが、これから向かう予定の金堂地区にはその道を通って行くのがベストなのかとしばらく考えた挙げ句、近くの民家の前で、自転車を車庫にしまおうとしている方に尋ねてみました。すると、「じゃ〜近道を教えてあげるよ」とサイクリングを終えたばかりというのに、親切にも自転車で先導して案内してくれたのです!お陰様 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(6)村山たかの生家
  • 多賀大社から近江鉄道多賀大社前駅へ向かう絵馬通り沿いに、村山たかの生家と住居 があります。 絵馬通り村山たかの出自は諸説ありますが、父は多賀社尊勝院主、母は同社般若院住職の妹で、同社寺侍村山氏の養女となりました。現在の絵馬通り沿いの食事処「不二家」で生まれ、やまだ精肉店のところで、育てられたといわれています。やまだ精肉店には、「村山たか女の住処」と書かれた説明書きがあります。京都に出て芸妓となり、可 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(5)多賀大社の文庫〜つり鐘
  • 文庫桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。大釜寛永10年(1633)と [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレイン(4)多賀大社の奥書院・名勝庭園
  • 奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。鶴の間床の間に富士山と鶴が描かれています。彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。庭園(国名勝指定)奥書院から [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(3)多賀大社  神門〜拝殿
  • 反り橋を渡って神門をくぐります。手水舎神馬舎手前が拝殿。その奥が神楽殿。 さらに奥が本殿。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。本殿右に能舞台左に絵馬殿が立っています。近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(2)多賀大社 そり橋
  • 真如寺から多賀大社へ。多賀大社の鳥居が見えてきました。近江鉄道多賀大社前駅から絵馬通りを1 kmほど行くと到着します。歩いても10分ほどでしょうか。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並びます。こちらは、糸切餅のお店。境内入口の鳥居をくぐると石のそり橋があります。寛永15年、大僧正慈性によって社殿とともに造営されたもので、町指定文化財に指定されています。太閤 [続きを読む]