しずか さん プロフィール

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しずかさん: 日々史跡めぐり
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル日々史跡めぐり
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu
サイト紹介文日本あちこちの史跡・寺社仏閣・城・地名の由来などを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2013/09/04 10:19

しずか さんのブログ記事

  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(11)海老塚の跡
  • 近江商人屋敷の近くに「海老塚の跡」という史跡を見つけました。海老塚(天神塚・手鬢塚)の跡 ここは、金堂と竜田との村境にあたり、海老塚という塚があった。海老塚は別名、天神塚・手鬢塚ともいった。 「昔、金堂の産土神を勧請した時、ここで休んだから、塚の名になった」という伝承がある。貞享二年(一六八五)の「祭礼古例之式」(『神祭用記録』)に、祭礼が終わったあと、金堂の安福寺前で七里の神輿がまず別れ、そのあと「天 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(10)大城神社
  • 大城神社の創建は推古天皇29年(621)、聖徳太子が小野妹子に命じて金堂寺を開いた際、鎮守社として勧請されたのが始まりとされます。嘉慶2年(1170)に現在地に遷座し、高皇産霊神、伊邪那岐命、出雲路幸神、天児屋根命、天満宮、武内宿弥大臣を勧請合祀し、五個荘の産土神と仰ぎました。文亀3年(1503)には当時の地頭・那須興市が金堂寺を改修した際家運長久を祈願し、近江の守護職・佐々木氏の居城観音寺城の鬼門に位 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(9)五個荘の近江商人屋敷
  • 五個荘まで来たついでに、近江商人屋敷のエリアを散策しました。重要伝統的建造物群保存地区の五個荘金堂町には、五個荘商人の本宅を公開している施設があります。外村宇兵衛邸外村宇兵衛家は、五箇荘商人として活躍していた外村与左衛門(6代)の末子が、分家して興したものです。  文化10年(1813)に与左衛門との共同事業から独立して商いを始め、努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服類の販売を [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(8)五個荘の浄栄寺
  • 錦鯉が泳ぐ水路のある通りは、鯉通りと呼ばれ、この通り沿いには、浄栄寺というお寺があります。こちらは、「金堂」という地名の由来に関わる寺院です。寺伝によると、聖徳太子がこの地を訪ねた際、不動坊という僧とともに、大きな金堂を建立した。これにより村の名前を「金堂」としたという。この時、聖徳太子と行動をともにした不動坊は不動明王の化身とされ、不動院を建立。その後、不動院は荒廃してし [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(7)五個荘の弘誓寺
  • 近江鉄道の多賀大社前から五箇荘へ駅舎の雰囲気もレトロ感たっぷりでいいですね!駅前にこの案内図があるのですが、これから向かう予定の金堂地区にはその道を通って行くのがベストなのかとしばらく考えた挙げ句、近くの民家の前で、自転車を車庫にしまおうとしている方に尋ねてみました。すると、「じゃ〜近道を教えてあげるよ」とサイクリングを終えたばかりというのに、親切にも自転車で先導して案内してくれたのです!お陰様 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(6)村山たかの生家
  • 多賀大社から近江鉄道多賀大社前駅へ向かう絵馬通り沿いに、村山たかの生家と住居 があります。 絵馬通り村山たかの出自は諸説ありますが、父は多賀社尊勝院主、母は同社般若院住職の妹で、同社寺侍村山氏の養女となりました。現在の絵馬通り沿いの食事処「不二家」で生まれ、やまだ精肉店のところで、育てられたといわれています。やまだ精肉店には、「村山たか女の住処」と書かれた説明書きがあります。京都に出て芸妓となり、可 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(5)多賀大社の文庫〜つり鐘
  • 文庫桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。大釜寛永10年(1633)と [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレイン(4)多賀大社の奥書院・名勝庭園
  • 奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。鶴の間床の間に富士山と鶴が描かれています。彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。庭園(国名勝指定)奥書院から [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(3)多賀大社  神門〜拝殿
  • 反り橋を渡って神門をくぐります。手水舎神馬舎手前が拝殿。その奥が神楽殿。 さらに奥が本殿。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。本殿右に能舞台左に絵馬殿が立っています。近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(2)多賀大社 そり橋
  • 真如寺から多賀大社へ。多賀大社の鳥居が見えてきました。近江鉄道多賀大社前駅から絵馬通りを1 kmほど行くと到着します。歩いても10分ほどでしょうか。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並びます。こちらは、糸切餅のお店。境内入口の鳥居をくぐると石のそり橋があります。寛永15年、大僧正慈性によって社殿とともに造営されたもので、町指定文化財に指定されています。太閤 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(1)多賀の真如寺
  • 一昨年の秋、彦根に滞在中、近江鉄道のサイクルトレインの旅をしました。近江鉄道では、持ち込み料無料(運賃のみ)で自転車を持ち込むことができます。彦根駅近くで自転車を借り、ひこね芹川まで行き、そこから自転車を持ち込んで、高宮で乗り換えて多賀大社駅前へ。持込可能区間○彦根・多賀大社線(米原駅〜多賀大社前駅)○湖東近江路線  (高宮駅〜八日市駅)○水口蒲生野線  (八日市駅〜貴生川駅)※彦根駅・ [続きを読む]
  • 矢奈比賣神社(見附天神)その壱
  • 磐田市見付に鎮座する矢奈比賣神社は、通称「見付天神」として親しまれ、秋に行われる「見付天神裸祭」は国の無形重要文化財になっています。創立年月は不詳ですが、延喜式内社に列しています。主祭神「矢奈比賣命」は、安産・子宝・子育て・縁結び等のご利益があります。相殿の菅原道真公は、学業向上・合格祈願にご利益があります。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 玄忠寺(京都)
  • 伏見の玄忠寺の境内には、元和4年正月の伏見騒動の小林勘次の墓と顕彰碑があります。江戸の初期に、淀川船の通行料が値上げされた時、伏見町民の困窮を見かねて薪炭商の小林勘次が幕府に直訴し値下げが命じられましたが、命を記した朱印状を江戸から伏見に持ち帰る途中、元和4(1618)年4月26日、東海道鞠子宿で勘次は急死。勘次はその死を予期し,朱印状を魚の腹に入れて別人に伏見へ持ち帰らせました。このことにより通行料は旧 [続きを読む]
  • 金礼宮(京都)
  • 京都伏見の金札宮は、伏見で最も古い神社のひとつで、太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀っています。観阿弥の謡曲「金札」現代にまで伝わる能の謡曲「金礼」は、当社金札宮の縁起を表したもので、観阿弥の作と伝わっています。桓武天皇の平安遷都の際、伏見の里に社殿造営のため、勅使が下向、神のお告を持っていますと、天から金の御札が降ってきました。それに天太玉命がこの国を護るため、この地に住むと書かれています。天太玉 [続きを読む]
  • 泉涌寺(4)泉涌水屋形〜清少納言の歌碑
  • 泉涌水屋形(京都府指定文化財)泉涌水屋形は、泉涌寺の寺名の由来となった清泉を覆う屋形で、1668年(寛文8年)の再建です。今も尽きることなく水が涌き出ています。清少納言の歌碑清少納言の父・清原元輔の旧居で、清少納言が晩年を過ごしたとされる月輪山荘にほど近い場所として、「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の歌碑が建立されています。にほんブログ村神社・仏閣 ブログ [続きを読む]
  • 泉涌寺(3)勅使門〜霊明殿
  • 勅使門は、普段は閉じられており、皇室の方達や天皇の勅使が訪れた時に使用されています。天保12年(1841)の火災で焼失し、弘化2年(1845)に再建されました。霊明殿天智天皇と光仁天皇から昭和天皇(南北両朝の天皇も含む)に至る歴代天皇皇后の尊牌(位牌)を安置しています。扉に菊のご紋がついています。明治15年(1882)に火災で焼失し、明治17年(1884)に、明治天皇により再建されました。入母屋造り、檜皮 [続きを読む]
  • 泉涌寺(2)御座所庭園
  • 昨年の秋、泉涌寺の御座所庭園を見学しました。御座所は、仏殿・舎利殿の背後に位置し、江戸時代末期の安政年間に建立され、明治天皇が使用していた旧御所の御里御殿を1884年に移築したものです。中には、女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあります。侍の間玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用する部屋で、即位報告(1990年)、平安建都1,200年記念(1994年 [続きを読む]
  • 泉涌寺(1)大門〜仏殿〜舎利殿
  • 泉涌寺は、真言宗泉涌寺派総本山の寺院で、山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)といいます。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末の孝明天皇に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれています。伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山と [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(5)大石内蔵助ゆかりの「含翆軒」(がんすいけん)
  • 弘法大師独鈷水 弘法大師が独鈷という仏具で掘り当てたという井戸。縦穴の井戸ではなく、横井戸(洞窟のような形状)になっているので、柄の長い柄杓で汲み上げるのだそうです。 霊元天皇に仕えた女官・小少将の局の娘は生まれつき目が不自由でしたが、この独鈷水で目を洗っっところ、たちまち見えるようになったと伝えられています。 (来迎院HP、Wikipedia参照)泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職を務めていた時、1701年(元禄 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(4)来迎院 ゆな荒神
  • 泉涌寺の塔頭・来迎院へ。 荒神堂 来迎院は、寺伝によれば、大同元年(806年)に空海(弘法大師)が唐(中国)で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされています。 三宝大荒神 日本最初の荒神。 荒神さんを拝むと、幸を招き、悪事災難を逃れるなど様々な御利益があるとされていますが、特にゆな荒神という別名のあるとおり、昔から皇室の方々が安産を祈願されてきました。 建保6年(1218年)、泉涌寺の長 [続きを読む]
  • 東福寺の塔頭(2)同聚院
  • 同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。同聚院臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が四十歳の賀に当 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(3)法音院
  • 泉涌寺の塔頭・法音院の境内を覗いてみました。鎌倉時代末期にあたる嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが、室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会う。その後、江戸時代の初期寛文四〜五年(1664〜1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂の手により現在の地に再建される。寛文の再興以来、駿州田中城主本多家の京都における菩提寺となり本多氏の当主の位牌は幕末まで当院に安 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(2)善能寺
  • 善能寺は、泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は聖観音。洛陽三十三所観音霊場第18番札所。823年(弘仁14年)に空海が八条油小路の地に創建したと伝えられ、1551年(天文20年)に後奈良天皇の命で現在地に移されました。現在の本堂は1971年(昭和46年)のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により建立されたもの。祥空殿境内には日本最古と伝えられる稲荷社が祀られています。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(1)戒光寺
  • 泉涌寺の塔頭である戒光寺(かいこうじ)は、安貞2年(1228年)、浄業(曇照律師)によって猪熊八条の地に開山し、後堀河天皇の勅願所となり、皇室、庶民の尊崇を集めていました。しかし、応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱により堂宇を焼失。本尊の釈迦如来は兵火を逃れ、仮に一条戻橋の東へ移されました。更に三条川東に移築された後、正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願により現在地に移転し、泉涌寺の塔頭となり現在に至り [続きを読む]