しずか さん プロフィール

  •  
しずかさん: 日々史跡めぐり
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル日々史跡めぐり
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu
サイト紹介文日本あちこちの史跡・寺社仏閣・城・地名の由来などを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2013/09/04 10:19

しずか さんのブログ記事

  • 泉涌寺の塔頭(4)来迎院 ゆな荒神
  • 泉涌寺の塔頭・来迎院へ。 荒神堂 来迎院は、寺伝によれば、大同元年(806年)に空海(弘法大師)が唐(中国)で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされています。 三宝大荒神 日本最初の荒神。 荒神さんを拝むと、幸を招き、悪事災難を逃れるなど様々な御利益があるとされていますが、特にゆな荒神という別名のあるとおり、昔から皇室の方々が安産を祈願されてきました。 建保6年(1218年)、泉涌寺の長 [続きを読む]
  • 東福寺の塔頭(2)同聚院
  • 同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。同聚院臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が四十歳の賀に当 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(3)法音院
  • 泉涌寺の塔頭・法音院の境内を覗いてみました。鎌倉時代末期にあたる嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが、室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会う。その後、江戸時代の初期寛文四〜五年(1664〜1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂の手により現在の地に再建される。寛文の再興以来、駿州田中城主本多家の京都における菩提寺となり本多氏の当主の位牌は幕末まで当院に安 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(2)善能寺
  • 善能寺は、泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は聖観音。洛陽三十三所観音霊場第18番札所。823年(弘仁14年)に空海が八条油小路の地に創建したと伝えられ、1551年(天文20年)に後奈良天皇の命で現在地に移されました。現在の本堂は1971年(昭和46年)のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により建立されたもの。祥空殿境内には日本最古と伝えられる稲荷社が祀られています。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(1)戒光寺
  • 泉涌寺の塔頭である戒光寺(かいこうじ)は、安貞2年(1228年)、浄業(曇照律師)によって猪熊八条の地に開山し、後堀河天皇の勅願所となり、皇室、庶民の尊崇を集めていました。しかし、応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱により堂宇を焼失。本尊の釈迦如来は兵火を逃れ、仮に一条戻橋の東へ移されました。更に三条川東に移築された後、正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願により現在地に移転し、泉涌寺の塔頭となり現在に至り [続きを読む]
  • 新年のご挨拶
  • 明けましておめでとうございます!昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 嵯峨野の落柿舎
  • 嵯峨野の落柿舎は、松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた草庵です。現在の建物は後年に再建されたもので、去来が使用していた当時のものとは場所も異なります。「落柿舎」の名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによるもので、芭蕉も3度訪れて滞在しているそうです。去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』によると、日頃去来は、管理人にこの庵を任せていた。この庵の周囲には40本の柿の木 [続きを読む]
  • 東福寺の塔頭(1)万寿寺
  • 万寿寺の起源は、平安時代後期、白河天皇が六条内裏に建てた六条御堂にさかのぼり、皇女・郁芳門院(媞子内親王)の死を悲しんだ天皇が菩提のために六条御堂を建てたといいます。かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えましたが、永享6年(1434年)の火災後、衰微。天正年間(1573年−1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転。三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持 [続きを読む]
  • 檀林皇后ゆかりの檀林寺
  • 檀林寺は、承和年間(834年〜848年)、嵯峨天皇の皇后・檀林皇后(橘嘉智子)により嵯峨野に創建されました。開山は唐僧義空。京都で最初に禅を講じた寺として、門前には禅の発祥を表す「山城国 一ノ寺 檀林寺」と刻まれた大きな石標が立っています。盛時は塔頭十二坊の壮大な寺院でしたが、皇后の没後は衰退、平安中期に廃絶し、その跡地に天龍寺が建てられました。八角形灯籠霊宝館昭和39年(1964年)に現在地に再興され、霊宝館 [続きを読む]
  • 銀座のデイープスポット 豊岩稲荷神社
  • 今年の春に訪ねた銀座のデイープスポット豊岩稲荷神社は銀座七丁目の路地裏にひっそりと鎮座する神社です。明智光秀の家臣安田作兵衛の奉斎によりはじまるといい、江戸初期からこの地に火防神・縁結神として信仰を集め、なかでも歌舞伎役者市村羽左衛門が深く当社を信仰したことで知られています。豊岩稲荷神社御祭神 稲荷大神(宇気母智神)祭礼日 4月15日御由緒当社は、江戸初期からこの地(中央区銀座七丁目八番十四号)に火 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(9)大法院 真田信之の菩提寺
  • 大法院は、妙心寺塔頭のひとつで、真田幸村(信繁)の兄で松代藩主であった真田信之の菩提寺です。普段非公開ですが、春と秋の紅葉の時期のみ特別公開されます。※画像は昨年秋のものです。信之の遺命に従い、長男・真田信吉の長女・長姫により創建されました。「大法院」という院号は、信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」に因むものです。紅葉に彩られる美しい露地庭園を眺めながら、抹茶とお菓子をいただけます。茶室方丈の襖 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(8)天球院
  • 1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が伯母天球院のため建立した天球院の開山は江山景巴。本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされています。内部の襖絵と杉戸絵あわせて152面は、狩野山楽・山雪の作とされています。 開祖開祖は妙心寺百四十世江山景巴(こうざんけいは)無尽燈光禅師。寛永8年(1631)、池田光政の伯母天球院殿が自分の永代追善のために、江山を請じて創 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(7)金牛院
  • 金牛院(きんぎゅういん)は、慶安3年(1650)、環陵(かんりょう)を開祖として創建されました。元は、北総門外の谷口(たにぐち)村にありましたが、明治11年(1878)、妙心寺境域内の万猷院(ばんゆういん)に併合され現在地に移転。明治6年に万猷院を金牛院に改めました。元和年中(1615〜24)に妙心寺境域内に創建された松濤庵がその前身であるともいう説もあるとのこと。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(6)寿聖院
  • 寿聖院は、慶長4年(1599)関ケ原合戦の前年に、石田三成が父・正継の菩提所として、妙心寺六十二世伯蒲慧稜(はくほえりょう)禅師を開祖として創建されました。当初は現在の四倍以上の面積に本堂・客殿・庫裏・書院が並んでいましたが、関ケ原敗戦後、縮小を余儀なくされ、慶長16年、二世雲屋(うんおく)は再興の許可を受けて、書院を残して本堂としました。当院三世の済院(さいいん)は、三成の嫡子・重家で、関ケ原戦後、大 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(5)天祥院
  • 妙心寺の塔頭寺院・天祥院は、正保2年(1645)、奥平松平家2代・松平忠弘が父・忠明の菩提を弔うため、武蔵国天祥寺の世代であった乳峯禅師を招請して創建。明治11年(1878)に延宝年間開創の慈性院を併合。明治19年、土蔵と門を除く諸堂宇を焼失しましたが3年後に再建され、昭和51年に本堂が再建されました。また、かつて奥襖絵として狩野山楽の「老梅図襖」がありましたが、明治期の廃仏毀釈で流出し、米国メトロポリタン美術館に所 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(4)壽聖院
  • 壽聖院は、慶長4年(1599年)に石田三成により、父・正継の菩提寺として建立されました。その翌年、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが起こりました。敗戦後は、縮小を余儀なくされ、境内はもとの四分の一の大きさになりましたが、当時の書院は、現在、本堂として利用されているそうです。庭園は狩野永徳が設計したもので、庭園の瓢箪池は、三成が豊臣秀吉の戦勝の瓢箪印を記念し、それを模して造られているそうです。また、こちらに [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(3)智勝院
  • 妙心寺の塔頭智勝院開祖は妙心寺七十四世単伝士印(たんでんしいん)大光普照禅師。慶長二年(一五九七)、稲葉貞通が父一鉄(いつてつ)の菩提をとむらうため、単伝を請じて創建された塔頭。貞通は早くから南化玄興(なんかげんこう)に帰依しており、その関係で当院の開祖には南化の法嗣(はっす)単伝が招かれた。単伝は春日局の帰依を得ていたが、紫衣事件に連座して出羽由利(でわゆり)郡本荘(ほんじょう)藩(秋田県)の泉 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(2)麟祥院
  • 麟祥院は、徳川家光の乳母・春日局追福のため碧翁(へきおう)和尚を開山として建立された寺院です。御霊屋は、仙洞女御所にあった釣殿を後水尾天皇より下賜されたものです。方丈の襖絵を描いた海北友松の子の海北友雪です。普段は非公開ですが、特別公開の時のみ海北友雪の方丈襖絵「雲龍図」を見ることができます。海北友雪江戸初期の海北派の画家。京都生。父は画家海北友松。名は道暉(道輝)、通称は忠左衛門。画を父友松、のち [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(1)春光院
  • 昨年の秋、京都の妙心寺の境内を散策しました。春光院は、堀尾吉晴が、小田原の戦いで失った長男・堀尾金助の菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立した寺です。当初の寺名は金助の戒名「逸岩世俊禅定門」に因んだ俊巖院(しゅんがんいん)でした。堀尾家は三代・忠晴が、寛永10年(1633年)に病死し、嫡子がなかったため断絶し。その後、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之が檀越になり、寛永13年(1636年)に [続きを読む]
  • 高山寺 淳和院跡(京都)
  • 和歌山編を終了し、久しぶりに京都のお寺の記事です。西大路四条の北東にある高山寺。「西大路四条」のバス停で降りたついでに、ふらっと寄ってみました。高山寺は、平安時代の淳和天皇が譲位後ここに建てた後院・淳和院が別名西院(さいいん)だったことから、西院の河原(さいのかわら)、賽の河原とも呼ばれてます。本尊の地蔵菩薩(子安地蔵)は安産地蔵として、また子供を救う地蔵として信仰を集めています。足利義政の妻・日 [続きを読む]
  • 和歌山城(4)紅葉渓庭園
  • 紅葉渓庭園(西の丸庭園)は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いた庭園で、浅野公時代に築かれた内堀の一部と、虎伏山の起伏がたくみに利用されています。池は山すそから湧き出る泉を利用して作られ、池の中央には舟の形をした「御舟石」があります。秋にはのモミジなどが色づき鮮やかな色彩に染まります。ここから見た御橋廊下堀の中に浮かぶ鳶魚閣(えんぎょかく)にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(3)御橋廊下
  • 御橋廊下は、藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来する橋で、平成18年に復元されました。長さ27m、幅約3m。江戸時代には藩主とそのお付きの人だけが行き来でき、外からは姿が見えない造りでした。現在は通り抜けができます。御橋廊下からの眺めにほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(4)二の丸・大奥
  • 二の丸の機能は、藩の行事の場である表、殿様の日常の生活空間である中奥、殿様の奥泊りの際の寝所や奥女中の生活の場である大奥の三つに分かれていました。二の丸大奥は、かつて奥女中の生活の場である大奥があった場所です。穴蔵状遺構にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 和歌山城(3)
  • 和歌山城天守閣の内部には、徳川家ゆかりの品が多数展示されています。 天守の模型脇差火縄銃長刀鯱展望台からの眺め雨のために遠くまで見渡すことができませんでしたが、晴れていれば絶景を見ることができたでしょうね。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]