しずか さん プロフィール

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しずかさん: 日々史跡めぐり
ハンドル名しずか さん
ブログタイトル日々史跡めぐり
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu
サイト紹介文日本あちこちの史跡・寺社仏閣・城・地名の由来などを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2013/09/04 10:19

しずか さんのブログ記事

  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(2)多賀大社 そり橋
  • 真如寺から多賀大社へ。多賀大社の鳥居が見えてきました。近江鉄道多賀大社前駅から絵馬通りを1 kmほど行くと到着します。歩いても10分ほどでしょうか。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並びます。こちらは、糸切餅のお店。境内入口の鳥居をくぐると石のそり橋があります。寛永15年、大僧正慈性によって社殿とともに造営されたもので、町指定文化財に指定されています。太閤 [続きを読む]
  • 近江鉄道サイクルトレインの旅(1)多賀の真如寺
  • 一昨年の秋、彦根に滞在中、近江鉄道のサイクルトレインの旅をしました。近江鉄道では、持ち込み料無料(運賃のみ)で自転車を持ち込むことができます。彦根駅近くで自転車を借り、ひこね芹川まで行き、そこから自転車を持ち込んで、高宮で乗り換えて多賀大社駅前へ。持込可能区間○彦根・多賀大社線(米原駅〜多賀大社前駅)○湖東近江路線  (高宮駅〜八日市駅)○水口蒲生野線  (八日市駅〜貴生川駅)※彦根駅・ [続きを読む]
  • 矢奈比賣神社(見附天神)その壱
  • 磐田市見付に鎮座する矢奈比賣神社は、通称「見付天神」として親しまれ、秋に行われる「見付天神裸祭」は国の無形重要文化財になっています。創立年月は不詳ですが、延喜式内社に列しています。主祭神「矢奈比賣命」は、安産・子宝・子育て・縁結び等のご利益があります。相殿の菅原道真公は、学業向上・合格祈願にご利益があります。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 玄忠寺(京都)
  • 伏見の玄忠寺の境内には、元和4年正月の伏見騒動の小林勘次の墓と顕彰碑があります。江戸の初期に、淀川船の通行料が値上げされた時、伏見町民の困窮を見かねて薪炭商の小林勘次が幕府に直訴し値下げが命じられましたが、命を記した朱印状を江戸から伏見に持ち帰る途中、元和4(1618)年4月26日、東海道鞠子宿で勘次は急死。勘次はその死を予期し,朱印状を魚の腹に入れて別人に伏見へ持ち帰らせました。このことにより通行料は旧 [続きを読む]
  • 金礼宮(京都)
  • 京都伏見の金札宮は、伏見で最も古い神社のひとつで、太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀っています。観阿弥の謡曲「金札」現代にまで伝わる能の謡曲「金礼」は、当社金札宮の縁起を表したもので、観阿弥の作と伝わっています。桓武天皇の平安遷都の際、伏見の里に社殿造営のため、勅使が下向、神のお告を持っていますと、天から金の御札が降ってきました。それに天太玉命がこの国を護るため、この地に住むと書かれています。天太玉 [続きを読む]
  • 泉涌寺(4)泉涌水屋形〜清少納言の歌碑
  • 泉涌水屋形(京都府指定文化財)泉涌水屋形は、泉涌寺の寺名の由来となった清泉を覆う屋形で、1668年(寛文8年)の再建です。今も尽きることなく水が涌き出ています。清少納言の歌碑清少納言の父・清原元輔の旧居で、清少納言が晩年を過ごしたとされる月輪山荘にほど近い場所として、「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の歌碑が建立されています。にほんブログ村神社・仏閣 ブログ [続きを読む]
  • 泉涌寺(3)勅使門〜霊明殿
  • 勅使門は、普段は閉じられており、皇室の方達や天皇の勅使が訪れた時に使用されています。天保12年(1841)の火災で焼失し、弘化2年(1845)に再建されました。霊明殿天智天皇と光仁天皇から昭和天皇(南北両朝の天皇も含む)に至る歴代天皇皇后の尊牌(位牌)を安置しています。扉に菊のご紋がついています。明治15年(1882)に火災で焼失し、明治17年(1884)に、明治天皇により再建されました。入母屋造り、檜皮 [続きを読む]
  • 泉涌寺(2)御座所庭園
  • 昨年の秋、泉涌寺の御座所庭園を見学しました。御座所は、仏殿・舎利殿の背後に位置し、江戸時代末期の安政年間に建立され、明治天皇が使用していた旧御所の御里御殿を1884年に移築したものです。中には、女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあります。侍の間玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用する部屋で、即位報告(1990年)、平安建都1,200年記念(1994年 [続きを読む]
  • 泉涌寺(1)大門〜仏殿〜舎利殿
  • 泉涌寺は、真言宗泉涌寺派総本山の寺院で、山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)といいます。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末の孝明天皇に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれています。伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山と [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(5)大石内蔵助ゆかりの「含翆軒」(がんすいけん)
  • 弘法大師独鈷水 弘法大師が独鈷という仏具で掘り当てたという井戸。縦穴の井戸ではなく、横井戸(洞窟のような形状)になっているので、柄の長い柄杓で汲み上げるのだそうです。 霊元天皇に仕えた女官・小少将の局の娘は生まれつき目が不自由でしたが、この独鈷水で目を洗っっところ、たちまち見えるようになったと伝えられています。 (来迎院HP、Wikipedia参照)泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職を務めていた時、1701年(元禄 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(4)来迎院 ゆな荒神
  • 泉涌寺の塔頭・来迎院へ。 荒神堂 来迎院は、寺伝によれば、大同元年(806年)に空海(弘法大師)が唐(中国)で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされています。 三宝大荒神 日本最初の荒神。 荒神さんを拝むと、幸を招き、悪事災難を逃れるなど様々な御利益があるとされていますが、特にゆな荒神という別名のあるとおり、昔から皇室の方々が安産を祈願されてきました。 建保6年(1218年)、泉涌寺の長 [続きを読む]
  • 東福寺の塔頭(2)同聚院
  • 同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。同聚院臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が四十歳の賀に当 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(3)法音院
  • 泉涌寺の塔頭・法音院の境内を覗いてみました。鎌倉時代末期にあたる嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが、室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会う。その後、江戸時代の初期寛文四〜五年(1664〜1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂の手により現在の地に再建される。寛文の再興以来、駿州田中城主本多家の京都における菩提寺となり本多氏の当主の位牌は幕末まで当院に安 [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(2)善能寺
  • 善能寺は、泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は聖観音。洛陽三十三所観音霊場第18番札所。823年(弘仁14年)に空海が八条油小路の地に創建したと伝えられ、1551年(天文20年)に後奈良天皇の命で現在地に移されました。現在の本堂は1971年(昭和46年)のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により建立されたもの。祥空殿境内には日本最古と伝えられる稲荷社が祀られています。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 泉涌寺の塔頭(1)戒光寺
  • 泉涌寺の塔頭である戒光寺(かいこうじ)は、安貞2年(1228年)、浄業(曇照律師)によって猪熊八条の地に開山し、後堀河天皇の勅願所となり、皇室、庶民の尊崇を集めていました。しかし、応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱により堂宇を焼失。本尊の釈迦如来は兵火を逃れ、仮に一条戻橋の東へ移されました。更に三条川東に移築された後、正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願により現在地に移転し、泉涌寺の塔頭となり現在に至り [続きを読む]
  • 新年のご挨拶
  • 明けましておめでとうございます!昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]
  • 嵯峨野の落柿舎
  • 嵯峨野の落柿舎は、松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた草庵です。現在の建物は後年に再建されたもので、去来が使用していた当時のものとは場所も異なります。「落柿舎」の名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによるもので、芭蕉も3度訪れて滞在しているそうです。去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』によると、日頃去来は、管理人にこの庵を任せていた。この庵の周囲には40本の柿の木 [続きを読む]
  • 東福寺の塔頭(1)万寿寺
  • 万寿寺の起源は、平安時代後期、白河天皇が六条内裏に建てた六条御堂にさかのぼり、皇女・郁芳門院(媞子内親王)の死を悲しんだ天皇が菩提のために六条御堂を建てたといいます。かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えましたが、永享6年(1434年)の火災後、衰微。天正年間(1573年−1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転。三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持 [続きを読む]
  • 檀林皇后ゆかりの檀林寺
  • 檀林寺は、承和年間(834年〜848年)、嵯峨天皇の皇后・檀林皇后(橘嘉智子)により嵯峨野に創建されました。開山は唐僧義空。京都で最初に禅を講じた寺として、門前には禅の発祥を表す「山城国 一ノ寺 檀林寺」と刻まれた大きな石標が立っています。盛時は塔頭十二坊の壮大な寺院でしたが、皇后の没後は衰退、平安中期に廃絶し、その跡地に天龍寺が建てられました。八角形灯籠霊宝館昭和39年(1964年)に現在地に再興され、霊宝館 [続きを読む]
  • 銀座のデイープスポット 豊岩稲荷神社
  • 今年の春に訪ねた銀座のデイープスポット豊岩稲荷神社は銀座七丁目の路地裏にひっそりと鎮座する神社です。明智光秀の家臣安田作兵衛の奉斎によりはじまるといい、江戸初期からこの地に火防神・縁結神として信仰を集め、なかでも歌舞伎役者市村羽左衛門が深く当社を信仰したことで知られています。豊岩稲荷神社御祭神 稲荷大神(宇気母智神)祭礼日 4月15日御由緒当社は、江戸初期からこの地(中央区銀座七丁目八番十四号)に火 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(9)大法院 真田信之の菩提寺
  • 大法院は、妙心寺塔頭のひとつで、真田幸村(信繁)の兄で松代藩主であった真田信之の菩提寺です。普段非公開ですが、春と秋の紅葉の時期のみ特別公開されます。※画像は昨年秋のものです。信之の遺命に従い、長男・真田信吉の長女・長姫により創建されました。「大法院」という院号は、信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」に因むものです。紅葉に彩られる美しい露地庭園を眺めながら、抹茶とお菓子をいただけます。茶室方丈の襖 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(8)天球院
  • 1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が伯母天球院のため建立した天球院の開山は江山景巴。本堂(重文)は玄関をつけた大型方丈形式で、江戸時代方丈建築の典型とされています。内部の襖絵と杉戸絵あわせて152面は、狩野山楽・山雪の作とされています。 開祖開祖は妙心寺百四十世江山景巴(こうざんけいは)無尽燈光禅師。寛永8年(1631)、池田光政の伯母天球院殿が自分の永代追善のために、江山を請じて創 [続きを読む]
  • 妙心寺の塔頭寺院(7)金牛院
  • 金牛院(きんぎゅういん)は、慶安3年(1650)、環陵(かんりょう)を開祖として創建されました。元は、北総門外の谷口(たにぐち)村にありましたが、明治11年(1878)、妙心寺境域内の万猷院(ばんゆういん)に併合され現在地に移転。明治6年に万猷院を金牛院に改めました。元和年中(1615〜24)に妙心寺境域内に創建された松濤庵がその前身であるともいう説もあるとのこと。にほんブログ村神社・仏閣 ブログランキングへ [続きを読む]