あきおう さん プロフィール

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あきおうさん: 城めぐりチャンネル
ハンドル名あきおう さん
ブログタイトル城めぐりチャンネル
ブログURLhttps://akiou.wordpress.com/
サイト紹介文全国のお城訪問記を写真満載で掲載しています。編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」。
自由文編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」です。百名城スタンプやお城メダルも取り扱っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供79回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/09/13 17:52

あきおう さんのブログ記事

  • [blog] 2019年のご挨拶。
  • 新年あけましておめでとうございます。平成最後の本年も、どうぞ「城めぐりチャンネル」をよろしくお願い致します。2018年振り返り。2018年は公私ともに忙しかった印象です。サイトの更新が止まった時期も結構ありました。果たしてどれぐらい「城活」したんでしょうか? 数ベースで振り返ってみます。・お城訪問数129城(新規 89城、再訪 40城)・サイト更新数79ページ(33城)仲間との遠征旅もあちこち行きました。泊まり旅だけで [続きを読む]
  • 続・倭城めぐりの旅 2018 ? 2日目。
  • 2018年に3泊4日で敢行した続・倭城めぐりの旅日記【2日目】です。Link:道中記トップ ? 1日目、2日目、3日目、4日目。出発倭城めぐり旅では基本朝8時出発。東横インの朝バイキングは激混みで種類も余り無いので、早々に退散して部屋で準備し、エレベータでホテル前に向かう・・・も上層フロアのためエレベータが各駅停車で時間が掛かる掛かる。集合時間ギリギリになってしまい焦って車へ乗り込む。明日は早すぎなぐらいに降りよう [続きを読む]
  • 順天城 [3/3] 本丸と外郭ラインに僅かながら残る築城当時の石垣。
  • 順天城 訪問記 其の三。<前回までのあらすじ>駐車場から巨大な堀跡を越えて、復元された内城へ。石垣は大半がキレイに積み直され、上部はセメントで固められている。天守台の石垣隅石には倭城では数少ない矢穴が刻まれた石が見られる。積み直しがされていない、当時のままの遺構を求めて散策を続ける。訪問時期:2018年11月順天城 訪問記 − 其の一、二、三。●続・倭城めぐりの旅 [2018] ? 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金 [続きを読む]
  • 順天城 [2/3] 大々的に積み直しを行いセメントで固められた本丸石垣。
  • 順天城 訪問記 其の二。<前回までのあらすじ>巨大堀の脇に作られた駐車場から散策開始。かつて海水を引き入れ干潮差を利用した軍港となっていた堀は埋め立てにより今や池となっている。かつては岬全体を取り囲むように築かれていた石垣も今は失われ、積み直しによりキレイすぎる姿に復元された2つの城門だけがポツンと佇んでいる。城門を越えて、本丸へ向かおう。訪問時期:2018年11月順天城 訪問記 − 其の一、二、三。●続・ [続きを読む]
  • 順天城 [1/3] 朝鮮半島で最も西側に位置する小西行長の拠点城。
  • 順天城は文禄・慶長の役で朝鮮半島の最も西に築かれた拠点城で、藤堂高虎らが築城、小西行長の拠点として使用された。湾に突き出した半島の小山上に築かれ、陸続きの西側には巨大な掘を築いて遠浅の入江となり、軍港として機能していたという。本丸は総石垣で三層の天守が描かれた絵図も残る。戦役終盤には明朝鮮軍による蔚山・泗川・順天の三城同時攻撃が敢行され、朝鮮側は得意のだまし討ちで行長を誘い出し暗殺を試みるも失敗、 [続きを読む]
  • 泗川城 [3/3] 陸続きの東側を守る巨大な二重堀切へ
  • 泗川城 訪問記 其の三。<前回までのあらすじ>公園化され全面的に石垣が新たに積み直しされてしまった泗川城跡。どこまで当時の姿なのか悩みながら城内を散策。其の三では、何故か姫路城を参考に建てられた模擬城門と、陸路を防衛した巨大な二重堀切を巡ります。訪問時期:2018年11月泗川城 訪問記 − 其の一、二、三。●続・倭城めぐりの旅 [2018] ? 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島●倭城めぐりの旅 [2017] ? 安骨 [続きを読む]
  • 泗川城 [2/3] 細長い泗川湾が一望の天守台へ。
  • 泗川城 訪問記 其の二。<前回までのあらすじ>公園化された泗川城跡へ。丘の上には、取り囲むように築かれた長大な石垣があるが、大半は公園化の際に新造されたもので、以前の写真と見比べると全く異なる様相に、細かく見ても仕方ないかと感じてしまう。訪問時期:2018年11月泗川城 訪問記 − 其の一、二、三。●続・倭城めぐりの旅 [2018] ? 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島●倭城めぐりの旅 [2017] ? 安骨浦/釜山母 [続きを読む]
  • 泗川城 [1/3] 劣勢の島津軍が明・朝鮮連合軍を撃退した歴史的大勝の地。
  • 泗川城(しせんじょう)は慶長の役で西に拡大した防衛ラインの一旦を担った城で、島津義弘率いる少数の島津軍が明・朝鮮の大軍を撃退した「泗川の戦い」の舞台となった。文禄の役では泗川湾で李舜臣率いる朝鮮水軍が大勝した泗川海戦もあった。湾に突き出た丘上に建てられ、陸側には巨大な二重堀切で分断されている。以前は慶長期の石垣が残っていたそうだが、一帯の公園化で元の姿とは全く違うキレイな石垣を造成してしまった模様 [続きを読む]
  • 続・倭城めぐりの旅 2018 ? 1日目。
  • 関空から釜山へ。いよいよ人生2度目の倭城の旅へ。前回と同じく今回も3泊4日 倭城三昧の予定、そして今回も現地集合・現地解散だ。前回の反省を踏まえて、今回はLCCは選択せず最初から大韓航空に乗る。余裕を持って空港へ。搭乗まで空港ラウンジでしばし休憩。今回は出国ゲートのすぐ近くにあるアネックス六甲へ。カード持ってるだけで入れるラウンジなのでアルコールは有料。数時間後には熊川城に登らないとなので、そもそも飲ん [続きを読む]
  • 熊川城 [3/3] 特徴的な天守台から伸びる登り石垣と三連縦積み石垣。
  • 熊川城 訪問記 其の三。<前回までのあらすじ>文禄の役で西の防衛を担った小西行長の熊川城へ。北の屋敷跡から竹林を直登、東端の高石垣から城内主要部へ。分厚い石垣の壁に囲まれた曲輪群を通り抜け、本丸の天守台前までやって来た。訪問時期:2018年11月熊川城 訪問記 − 其の一、二、三。●続・倭城めぐりの旅 [2018] ? 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島●倭城めぐりの旅 [2017] ? 安骨浦/釜山母/機張/西生浦/蔚山/ [続きを読む]
  • 熊川城 [2/3] 石垣の城壁と堅固な虎口で何重にも守られた主郭部へ。
  • 熊川城 訪問記 其の二。<前回までのあらすじ>文禄の役で西の防衛を担った小西行長の熊川城へ。北の屋敷跡を見てから竹林を直登し、主要部東端の高石垣へ張り付く。其の二では主要部を散策します。訪問時期:2018年11月熊川城 訪問記 − 其の一、二、三。●続・倭城めぐりの旅 [2018] ? 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島●倭城めぐりの旅 [2017] ? 安骨浦/釜山母/機張/西生浦/蔚山/永登浦/松真浦/長門浦/梁山/亀浦<訪 [続きを読む]
  • 熊川城 [1/3] 文禄の役 最西端の防衛を担った小西行長の城。
  • 熊川城は、文禄の役で築かれた朝鮮半島南岸部の倭城群のうち、西の最前線となった城。東西に明洞城・安骨浦城を端城として持ち、熊川城はその中央に巨大な本城として築かれていた。湾に突き出た岬の山頂に位置し、宣教師による伝導や明軍との休戦交渉も行われた記録が残る、当時の日本軍に取って重要拠点として扱われていた。山頂の天守台から伸びる長大な登り石垣は今も明瞭に残り、湾側には見せる高石垣も残る。山麓からはハイキ [続きを読む]
  • 鳥羽山城 [2/2] 本丸外周部の腰巻石垣などは夏場は草に埋もれ見えない。
  • 鳥羽山城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]本丸南の駐車場より散策開始。大手道から外枡形を経て本丸へ。夏場の訪問のため草に覆われて石垣があまり見えないが、立派な居館が建てられていたことは感じられる。其の二では本丸内部の散策と、本丸外周部に残る石垣を探してみます。訪問時期:2018年8月鳥羽山城 訪問記 − 其の一、二。<訪問記>鳥羽山城 図面を再掲。現在は本丸南側の大手門を入ったところにいる。図面には描 [続きを読む]
  • 鳥羽山城 [1/2] 二俣城の川向かいに建つ「別城一郭」の城館跡。
  • 鳥羽山城は、二俣城の川向かいに位置する独立丘陵上に建てられた山城。天正三年(1575)に徳川方が武田方の二俣城を攻めるための砦として築いた記録が残るが、それ以前に永禄三年(1560)の桶狭間の戦い後に今川方が築いていた説もある。二俣城からわずか500mの位置にある鳥羽山城はその立地から徳川氏と武田氏による度重なる合戦の舞台となった。徳川氏の関東転封で豊臣方の堀尾氏が城主となると、鳥羽山城は居住・政治の場として再整 [続きを読む]
  • 二俣城 [3/3] 復元された井戸櫓と信康公廟のある清瀧寺へ。
  • 二俣城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]二俣城跡を散策。かつて本丸の外周を囲んでいたと思われる石垣は多くが崩れ去っていたが、それでも天守台や大手虎口櫓台の石垣などは良好に其の姿を留めていた。続いて、かつて天竜川から二俣城へ水を汲み上げるために用いられていたという井戸櫓(復元)と、二俣城で自刃した家康の嫡男 松平信康公の墓所がある清瀧寺へ向かいます。訪問時期:2018年8月二俣城 訪問記 − 其の一、二 [続きを読む]
  • 二俣城 [2/3] 急斜面の上に築かれた巨大な大手虎口へ。
  • 二俣城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]かつての堀切跡に作られた山腹の駐車場から城内へ。堀切、馬出しを越え、食い違い虎口から本丸へ。城内の石垣は多くは崩れているが天守台は(整備されているからか)キレイに積み上げられている。其の二では二ノ丸から大手虎口跡を経て、西曲輪を散策します。訪問時期:2018年8月二俣城 訪問記 − 其の一、二、三。<訪問記>本丸南側に残る虎口跡。右側の一段低い場所が二ノ丸跡だ [続きを読む]
  • 二俣城 [1/3] 二本の川に囲まれた要衝の地で武田徳川の激戦地。
  • 二俣城(ふたまたじょう)は、浜名湖の東を流れる天竜川とその支流の二俣川に挟まれた台地の先端部、比高40mほどの岩盤上に築かれた城。信濃と遠江とを結ぶ水上交通の要所であり、今川氏 武田氏 徳川氏などがここを抑えようと戦った。三方を河川が囲む岩盤上に築かれた天然の要害に築かれており、1572年の信玄上洛戦や1575年の長篠合戦後の徳川方による攻撃でもその堅固ぶりが発揮されている。1579年には信長から武田方への内通を [続きを読む]
  • 浜松城 [3/3] 籠城時の生命線だった天守台の地階に残る石組井戸。
  • 浜松城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]主要部のみが整備されて残る浜松城へ。天守台の一段下にあたる本丸の石垣は改変されているようだが、そこから間近に見える天守曲輪の野面積み石垣が荒々しく迫力満点。復元された天守門を越えて、巨大な野面積み天守台に乗る小さな模擬天守へ。当時の附櫓台跡を通って中に入る。訪問時期:2018年8月浜松城 訪問記 − 其の一、二、三。<訪問記>では浜松城の模擬天守へ入ってみよう [続きを読む]
  • 浜松城 [2/3] 巨石が配された天守門と天守附櫓の石垣が見所。
  • 浜松城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]元二ノ丸の市役所駐車場からスタート。以前は模擬天守がよく見えたが天守門が再建され重なって見えなくなってしまった。本丸部分が公園化された浜松城跡へ。荒っぽく割られたままの石材を積み上げた野面積み石垣が満載。若き日の家康像を見てから、最上部の天守曲輪へ。訪問時期:2018年8月浜松城 訪問記 − 其の一、二、三。<訪問記>本丸と天守曲輪の間の帯曲輪的なスロープへ。 [続きを読む]
  • 大垣城 [2/2] 公園化で改変された本丸を歩いて当時の姿を探る。
  • 大垣城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]駅から歩いて大垣城へ。当時の巨大な水堀は埋め立てられ、そのまま歩いて本丸へ。米軍の無差別爆撃により焼失した天守が外観復元されている。中はコンクリート丸出しではあるが展示は古絵図にムービーにジオラマにとなかなか見所が多い。其の二は大きく改変されてしまった本丸跡を見て回ります。訪問時期:2018年5月大垣城 訪問記 − 其の一、二。<訪問記>天守最上階へ。展望台か [続きを読む]
  • 小倉城 [1/2] 南蛮造りの大天守を持つ総石垣の近世城郭。
  • 小倉城は、本州から関門海峡を越えて九州に入ってすぐの街 小倉に建てられていた近世城郭。関ヶ原の論功行賞で豊前40万石を得た細川忠興が、改易された毛利勝信・勝永親子の居城だった城を改修し、大天守を持つ現在の姿に変えたという。当時は東を流れる紫川の東側、現 小倉駅あたりも取り込んだ一大城郭だった。大天守は破風の無い層塔型かつ最上階が下層より広い「唐造り」というとても特徴的で稀有な構造だったが、江戸後期に焼 [続きを読む]
  • 忍城 [3/3] 街中に建てられた忍城石碑めぐり。
  • 忍城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]レンタサイクルを借りて忍城本丸跡から街中に建てられた石碑めぐり。かつて城を囲んでいた沼地のほとんどは埋め立てられ住宅街に。それでも場所を比定して街中に石碑が建てられている。其の二は西半分の門跡・櫓跡をめぐった。其の三では東半分を回ろう。訪問時期:2018年9月忍城 訪問記 − 其の一、二、三。<訪問記>忍城 石碑マップ 再掲。其の二では左半分をめぐった。中学校の校 [続きを読む]