あきおう さん プロフィール

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あきおうさん: 城めぐりチャンネル
ハンドル名あきおう さん
ブログタイトル城めぐりチャンネル
ブログURLhttps://akiou.wordpress.com/
サイト紹介文全国のお城訪問記を写真満載で掲載しています。編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」。
自由文編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」です。百名城スタンプやお城メダルも取り扱っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供82回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2013/09/13 17:52

あきおう さんのブログ記事

  • 亀浦城 [4/4] 中腹に残る縦積みの巨石を持つ曲輪へ。
  • 亀浦城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]美しく積み上げられた高石垣を持つ主郭部をぐるっと一周。巨大な食い違い虎口を越えて北の曲輪を見た後、最後に登り石垣と縦積み石垣を持つ山腹の居館跡を訪ねよう。訪問時期:2017年11月亀浦城 訪問記 − 其の一、二、三、四。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>主郭の西側通路には、斜面側へ降りる虎口跡が残る。左側の削れた場所から降りていこう。サンライズ出版「倭 [続きを読む]
  • 亀浦城 [3/4] 主郭の北側に築かれた巨大な食い違い虎口へ。
  • 亀浦城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]陸橋前の駐車場から散策スタート。主郭部は整備が進み美しい状態で高石垣が残る。折れを多く持つ複雑な形の石垣が堅固さを表している。北側に回り込んで主郭内へ。東の帯曲輪を遮断する張り出し部を散策。其の三では食い違い虎口から北の曲輪へ。訪問時期:2017年11月亀浦城 訪問記 − 其の一、二、三、四。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>其の二で見た主郭東の張り出 [続きを読む]
  • 亀浦城 [2/4] 主郭東側の帯曲輪を分断する巨大な張り出し部へ。
  • 亀浦城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]亀龍寺の上の駐車場より散策スタート。登り土塁をあがって主郭部へ。倭城の中でもかなりの行き届いた整備と遺構を誇る亀浦城の主郭が目の前に現れる。高石垣をじっくり見て回り、其の二では回り込んで主郭上へ。訪問時期:2017年11月亀浦城 訪問記 − 其の一、二、三、四。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>主郭西側の城道を通って主郭の北側へ回り込もう。入口は向こう [続きを読む]
  • 亀浦城 [1/4] 短命だったが高石垣や桝形虎口が良好に残る日本式城郭。
  • 亀浦城は文禄の役で小早川隆景らによって洛東江沿いの丘陵上に築かれた倭城。上流には内陸部の前線基地だった梁山城があり、また西側には支流・西洛東江沿いに金海竹島城があり、亀浦城はその支城とも言われる。文禄の役後 一旦廃城となったようだが、慶長の役が始まると、戦線縮小のため梁山城が廃止され、慶長三年3月、毛利秀元により下流の亀浦城が再建された。黒田長政が在城するも、僅か2ヶ月後の5月には亀浦城も廃城となった [続きを読む]
  • 梁山城 [2/2] 森の中にひっそりと残る、本丸外周石垣。
  • 梁山城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]ハイキングコースから登城。石垣は大きく破壊を受け、残る石垣も僅かだが、それでも本丸外周や天守台付近は形が分かる程度には残っていた。其の二では尾根上に築かれた細い二ノ丸と、もう一つのピークである西の丸を見に行く。訪問時期:2017年11月梁山城 訪問記 − 其の一、二。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>本丸から更に東へ進む。この奥は二ノ丸のようだ。二ノ丸 [続きを読む]
  • 梁山城 [1/2] 戦線縮小のため短命で終わった内陸部最前線の城
  • 梁山城(やんさん)は慶長の役で新たに築かれた内陸部 最前線の城。洛東江と支流との境目にある標高120mほどの独立丘上に毛利秀元らによって築かれ、黒田官兵衛 長政親子が在番したが、直後に発生した蔚山城 籠城戦で東端 西端 北端など補給が困難な地の城を放棄する戦線縮小が進み、翌年3月には秀吉の認可により廃城となった。頂部に本丸を置き、そこから東西に伸びる尾根上に曲輪を配置した典型的な山城スタイルで、戦闘中に意図 [続きを読む]
  • 倭城めぐり 4日目。
  • 2017年秋に倭城めぐりに行って来ました。このページはその道中記をまとめています。倭城の話はそれぞれの城ごとにまとめた訪問記へどうぞ。●道中記 1日目・2日目・3日目・4日目。まとめ。●訪問記 安骨浦城・釜山浦城・機張城・西生浦城・蔚山城・永登浦城・松真浦城・長門浦城・梁山城・亀浦城。今日の行程。最終日である4日目は、飛行機の時間まで、空港の近くの倭城へ行くことに。梁山城および亀浦城はどちらも慶尚南道を横 [続きを読む]
  • 長門浦城 [2/2] 総石垣の城壁でガッチリ固められた北曲輪群。
  • 長門浦城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]車道沿いの北曲輪群を散策。駐車場から歩いて五分で最初の曲輪へ。曲輪は山頂に向かって段々に築かれており、外周には土塁と石垣で高い壁が設けられている。各曲輪は食い違い虎口で接続されている。最頂部の本丸を超えて北側へ。其の二では北曲輪群の西側の石垣を見ながら駐車場に戻ろう。訪問時期:2017年11月長門浦城 訪問記 − 其の一、二。倭城めぐりの旅 −トップページ。 [続きを読む]
  • 長門浦城 [1/2] 山上と山腹に総石垣の曲輪群を持つ一城別郭の城。
  • 長門浦城は巨済島にある倭城の一つで、長木湾という小さな湾を対岸の松真浦城と挟んで守る目的で築かれたとされる。湾に近い小山側(北)と奥の山頂側(南)にそれぞれ独立した曲輪群を築くという、対岸の松真浦城と共通する特徴を持っている。文禄の役の際に福島正則か蜂須賀家政により築かれたと言われるが、慶長の役でも使われたかは不明という。現在二つの曲輪群の間を車道が貫いており、特に湾に近い方の曲輪群には真横まで車 [続きを読む]
  • 松真浦城 [3/3] 湾に向かって見せるよう築かれた東曲輪群の石垣。
  • 松真浦城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]弓道場の脇から登城開始。主郭部の外周石垣を越えて、まずは海岸沿いの北の曲輪群へ向かう。湾の方に向いた巨大な虎口と櫓が建っていたであろう巨大な石垣がお出迎え。積み足し跡を持つ石垣や朝鮮産の瓦片も見られる。西曲輪群の主郭部は複雑に石垣を折り曲げ立体迷路と化していた。其の三では弓道場の腕部を越えて東曲輪へ。訪問時期:2017年11月松真浦城 訪問記 − 其の一、二、 [続きを読む]
  • 松真浦城 [2/3] 石垣の積み足し跡が残る北曲輪へ。
  • 松真浦城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]弓道場の脇から登城。主郭部の外周石垣がいきなり現れる。斜面に築かれているため足の長い隅石垣が随所に見られる。北側の湾岸に向けて見せるように築かれた大虎口へ向かう。訪問時期:2017年11月松真浦城 訪問記 − 其の一、二、三。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>北曲輪には湾岸側に向かって開ける巨大な内枡形虎口がある。これはその向かって右側を構成する石垣 [続きを読む]
  • 松真浦城 [1/3] 入り組んだ湾を見張るために築かれた巨済島の城
  • 松真浦城は巨済島北端に築かれた倭城の一つで、制海権を守るため半島と巨済島との間の海峡を監視する目的で築かれたと考えられる。半島に築かれた御仕置之城とは異なり、軍港を取り込む惣構や登り石垣などは無く、純粋に海峡を見下ろす事ができる山上に物見的な位置づけで築かれている。弓道場を挟んで左右の山頂にそれぞれ遺構が残る。<基本データ>●名称:松真浦城 (そんじんぽ うぇそん)●所在:慶尚南道巨済市 (地図)●城主 [続きを読む]
  • 永登浦城 [2/2] 本丸の北側に残る苔むした長い石垣を見よう。
  • 永登浦城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]北側の谷あいから直登で登城開始。長く苦しい藪こぎを越えた後に斜面を直登し、なんとか尾根筋へ到着。鉄塔の奥にある大手口を見た後、主郭方面への尾根筋に築かれた石垣のある城壁群を見て行った。そして本丸へ。訪問時期:2017年11月永登浦城 訪問記 − 其の一、二。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>細尾根上に築かれた三段の石垣城壁を越えて、本丸へ。腐葉土が積 [続きを読む]
  • 永登浦城 [1/2] 島津義弘が在番した巨済島の海峡監視の城
  • 永登浦城 (よんどんぽ) は朝鮮半島の南側に位置する巨済島の北端に築かれた海峡監視のための城で、古文書には島津義弘が在番した記録が残る。文禄の役で半島東南部に多数築かれた御仕置之城ではなく、李舜臣率いる朝鮮水軍を牽制するため湾岸警備のための拠点として築かれたており、他の倭城のように湾岸を囲むような登り石垣は無く、標高250mほどの山頂から尾根に沿って曲輪を配置している。登城の際は城の南端に建つ電波塔が目印 [続きを読む]
  • 倭城めぐり 3日目。
  • 2017年秋に倭城めぐりに行って来ました。このページはその道中記をまとめています。倭城の話はそれぞれの城ごとにまとめた訪問記へどうぞ。●道中記 1日目・2日目・3日目・4日目。まとめ。●訪問記 安骨浦城・釜山浦城・機張城・西生浦城・蔚山城・永登浦城・松真浦城・長門浦城・梁山城・亀浦城。今日の行程。3日目は巨済島へ渡り、海峡を守るよう島の北端に築かれた三城を訪れる。本日の行程は以下の通り。巨済島には北東に3 [続きを読む]
  • 蔚山城 [3/3] 外城と内城を隔てる巨大な東面城壁の痕跡を見る。
  • 蔚山城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]西の駐車場から登城開始。本丸外周の斜面に断片的に遺る石垣を見ながら、登り石垣、大手道を通って、本丸東の枡形虎口へ。ここには当時 巨大な櫓門が建ち、明軍を遂に一歩も城の中へ入れなかった。本丸内は残念ながらコンクリート舗装。其の三では本丸北のもう一つの虎口から下山し、城の東側の大手口方面に遺る石垣を見に行こう。訪問時期:2017年11月蔚山城 訪問記 − 其の一、二 [続きを読む]
  • 蔚山城 [2/3] 本丸東の巨大枡形虎口から舟着場へと伸びる大手道。
  • 蔚山城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]三ノ丸下の駐車場より登城開始。三ノ丸までは整備された公園だが、三ノ丸から二ノ丸へ向かう前に本丸下の斜面に石垣が断片的だが多数残っている姿を見て、二ノ丸ではなく本丸斜面横断を選択。石垣を見ながら斜面を横断すると登り石垣までやってきた。訪問時期:2017年11月蔚山城 訪問記 − 其の一、二、三。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>登り石垣の内側には、コンク [続きを読む]
  • 蔚山城 [1/3] 加藤清正の壮絶な籠城戦で有名な戦線東端の拠点。
  • 蔚山城 (うるさんじょう) は慶長の役で築かれた戦線東端の拠点。慶長二年末、加藤清正の指揮で独立丘陵上に築城の途中、朝鮮・明軍に包囲され、籠城戦となる。当時清正は西生浦城の改修工事に行っていたが急報を聞いて蔚山へ戻っている。堀や土塁は未完成で準備不足もあり惣構は早々に破られるも、内城である三ノ丸以降は決死の防衛もあり落ちなかった。やがて水も食料も尽き、寒さと飢えと弾薬枯渇で限界が近づいた籠城14日目、つ [続きを読む]
  • 西生浦城 [1/4] 巨大石垣や登り石垣が残る壮大な倭城跡。
  • 西生浦城は文禄の役後半に加藤清正によって築かれた東海岸”御仕置之城”の一つ。慶長の役でも蔚山籠城戦後の東海岸の重要拠点となったが、秀吉死去後の撤退で破城された。かつて軍港を取り囲んでいた登り石垣が今も山麓に良好に残り、山上にも天守台含め大方の石垣が残ることから、最も見所の多い倭城跡の一つと言われる。しかし近年行われている石垣の補修工事では元の姿と全く異なる積み方に改竄されており、文化財としての価値 [続きを読む]
  • 機張城 [3/3] 朝鮮邑城の石垣と日本式石垣が見られる北郭へ。
  • 機張城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]登り石垣の脇階段をあがって本丸へ。本丸手前の虎口は良かったが、その奥は一面の藪。本丸の内側も、外周も、ほぼ藪に覆われてまともに見えない。少し藪を払うと奥に見事な高石垣などが顔を出していただけに非常に残念。其の三では残りの登り石垣と堀切道、そして北郭を見に行きます。訪問時期:2017年11月機張城 訪問記 − 其の一、二、三。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪 [続きを読む]
  • 機張城 [2/3] ほぼ草に覆われて残念な本丸外周部の高石垣。
  • 機張城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]南東の登り石垣横に設置された階段から登城。虎口を通り本丸へ到達するも、本丸内はほぼ未整備の藪状態でまともに遺構は見えず。其の二では本丸外周を回ります。訪問時期:2017年11月機張城 訪問記 − 其の一、二、三。倭城めぐりの旅 −トップページ。<訪問記>縄張図 再掲。サンライズ出版「倭城を歩く」p.57 より引用・加筆。現在は本丸を越えて北側の曲輪4にいる。6は一段 [続きを読む]