あきおう さん プロフィール

  •  
あきおうさん: 城めぐりチャンネル
ハンドル名あきおう さん
ブログタイトル城めぐりチャンネル
ブログURLhttps://akiou.wordpress.com/
サイト紹介文全国のお城訪問記を写真満載で掲載しています。編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」。
自由文編集方針は「行った気になる臨場感溢れる写真とレポート」です。百名城スタンプやお城メダルも取り扱っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供62回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2013/09/13 17:52

あきおう さんのブログ記事

  • 岡豊城 [1/2] 長宗我部氏の歴代の居城だった中世山城跡。
  • 岡豊城 (おこうじょう) は高知市の東隣・南国市に残る中世山城で、土佐の戦国大名・長宗我部氏が歴代居城とした地。最高部の詰 (本丸) を中心に尾根に沿って東西に曲輪群が築かれている。最初の築城は鎌倉時代とされ、元親の代に四国の覇者となった頃まで居城だったが、直後に秀吉の侵攻で降伏、所領を土佐一国とされると、居城を大高坂山城 (現在の高知城) や浦戸城へ移し、代々の岡豊城は廃城となった。比高100mほどあるが、現 [続きを読む]
  • 一宮城 [4/4] 城の生命線 貯水池を守る断崖絶壁の陰滝へ。
  • 一宮城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]街道沿いの登山口から登城開始。倉庫跡、すごい高さの切岸、才蔵丸、門跡、明神丸を経て、本丸へ。突如現れる巨大な石垣に驚かされる。本丸を一周し、奥へ抜け、城の西側を守る見張台と思われる小倉丸へ。其の四では更に奥を散策し、蔭滝から下山する。訪問時期:2017年2月一宮城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>では小倉丸の下に降りてきて、更に奥を目指そう。本丸下の [続きを読む]
  • 一宮城 [3/4] 狭くて急な石段の上は見晴らしの良い本丸。
  • 一宮城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]街道沿いの登山口から登城開始。倉庫跡、すごい高さの切岸、才蔵丸、門跡、明神丸を経て、本丸へ。突如現れる巨大な石垣に驚かされる。まずはじっくり本丸石垣を見てから、本丸の奥を目指す。訪問時期:2017年2月一宮城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>本丸石垣の周囲にはかろうじて通れる程度の細い通路がある。此処を通って是非 山頂に築かれた高石垣を間近で見ていこう [続きを読む]
  • [blog] BS朝日「日本の城見聞録」に写真提供しました。
  • 「城めぐりチャンネル」よりお知らせです。BS朝日で放送中の「日本の城見聞録」7/13放送分 へ、当「城めぐりチャンネル」より写真提供をさせていただきました! 告知OKとのことで、番組のご案内をさせていただきます。「歴史ミステリー 日本の城見聞録 2時間スペシャル〜秀吉の見果てぬ夢 壮大華麗な城伝説 名護屋城、大坂城、聚楽第〜」●放送局: BS朝日 (BS 5ch)●放送日: 2017年7月13日(木) 21時〜22時54分●サイト:http [続きを読む]
  • 一宮城 [2/4] 山頂に突如現れる巨大な石垣造りの本丸へ。
  • 一宮城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]街道沿いの登山口から登城開始。まずは延々と石段を登り、最初の曲輪・倉庫跡から鳴門まで見渡せる眺望を見る。すごい高さと角度の切岸を越えて、堀切道から虎口が造られた才蔵丸へ。其の二では主郭を目指します。訪問時期:2017年2月一宮城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>才蔵丸の虎口と堀切道。堀切道はそのまま才蔵丸に沿って竪堀として斜面を落ちていく。右手前がそ [続きを読む]
  • 一宮城 [1/4] 急峻な山頂に残る巨大な石垣が印象的な阿波九城の一つ。
  • 一宮城は、山麓に阿波国一宮神社が鎮座する比高120mほどの山頂に築かれた山城。古くは室町初期、阿波国守護 小笠原氏の時代から城が築かれていたが、戦国末期に秀吉の四国平定により阿波を与えられた蜂須賀家政によって総石垣造りに改修された。江戸初期まで阿波九城の一つとして重要な位置を占めていたが、一国一城令に伴い1638年に廃城となった。建物は残らないが、主郭に築かれた巨大な石垣遺構が残り、廃城の際に他の城にある [続きを読む]
  • 勝瑞城 : 戦国時代、阿波国における三好氏の拠点だった城館跡。
  • 勝瑞城 (しょうずいじょう) は戦国時代に東四国・畿内で絶大な権力を誇った三好氏の、阿波国における拠点だった城館。室町時代に細川氏が勝瑞に守護所を築いたことで街は発展、更に戦国時代に下克上で成り上がった三好氏一族の拠点となって全盛期を迎える。三好長慶の弟 三好実休が治めていたが、次の長治の代には勢力が衰え、長治弟の十河存保の頃に土佐の長宗我部氏に攻められ廃城となった。三好氏の巨大館跡とされる「勝瑞館跡 [続きを読む]
  • 中津城 [4/4] 搦手の守りとして巨大櫓門を備えた西門跡へ。
  • 中津城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]中津城跡は本丸の半分は駐車場、半分は中津大神宮を中心とした神社群の境内となっている。参拝を済ませ模擬天守へ。本丸外周を一周して現存する本丸水堀・石垣を見て回る。水御門跡、大手門跡を見た後、城下に残る外濠土塁「おかこい山」の跡を散策する。同じく城下に残る城戸口跡を見て回ろう。訪問時期:2017年1月中津城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>中津城の外濠土 [続きを読む]
  • 中津城 [3/4] 城下に残る大手門跡の巨石石垣と「おかこい山」遺構。
  • 中津城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]中津城跡は本丸の半分は駐車場、半分は中津大神宮を中心とした神社群の境内となっている。参拝を済ませてカッコいい模擬天守へ。本丸外周を一周して現存する本丸水堀・石垣を見て回る。黒田時代と細川時代の石垣の変遷がよく見て取れる。西側川沿いに残る、古代山城から拝借してきた石材を使った石垣は必見。続いて本丸外に残る城門の跡を見て回ろう。訪問時期:2017年1月中津城 訪 [続きを読む]
  • 中津城 [1/4] 黒い模擬天守が有名な、黒田官兵衛が築いた海城。
  • 中津城は戦国時代の天正16年(1588)に黒田官兵衛孝高が築いた近世平城。豊前海の海水を引き込んで堀を巡らせたことから海城と分類される。秀吉の九州平定で功を挙げ豊前12万国として入部した黒田氏だったが、秀吉没後の関ヶ原合戦では東軍に付き、戦後に筑前52万国へ加増転封となった。代わって入った細川忠興により築城が続けられた。その後 小笠原氏を経て奥平氏(武田vs織田徳川の設楽原の戦いで長篠城を守り抜いた奥平信昌の子 [続きを読む]
  • 岡城 [6/6] 城の東側を守る、急坂の上にそびえる下原御門へ。
  • 岡城 訪問記 其の六。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで桜馬場を通り抜け本丸を目指す。岡城で最も有名な姿、三ノ丸高石垣をガッツリ見る。太鼓櫓門から三ノ丸へ、滝廉太郎像がある二之丸を経て、御三階櫓があった本丸へ。最後に本丸東に伸びる尾根の先端に築かれた下原御門へ向かう。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 [続きを読む]
  • 岡城 [5/6] 堅固な高石垣が守りを固める三之丸〜本丸へ。
  • 岡城 訪問記 其の五。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで桜馬場を通り抜け本丸を目指す。岡城で最も有名な姿、三ノ丸高石垣をガッツリ見る。霧が深い。太鼓櫓門から三ノ丸へ。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六。<訪問記>太鼓櫓門、三ノ丸高石垣の上から、桜馬場へ伸びる細い尾根上に築 [続きを読む]
  • 岡城 [4/6] 深い谷の上にそびえる、圧巻の三ノ丸高石垣。
  • 岡城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。藩政の中心を担った巨大な西之丸御殿跡から家老屋敷跡、近戸門跡を散策。谷を回り込んで本丸を目指そう。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六。<訪問記>再掲 岡城跡マップ。では本丸へ向かって行こう。現在地は左下の赤丸●。大手門を入って、西之丸御殿(東門)の正面あたりから、北東へ伸びる道をまっすぐ進む。右側は [続きを読む]
  • 岡城 [3/6] 古絵図から平面復元された家老屋敷跡群へ。
  • 岡城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]駐車場から坂道を上り大手門跡へ。巨大な櫓門が建っていた大手門跡には石垣のみが残る。かつて巨大な御殿があった西之丸から、駐車場の真上に位置する角櫓を経て、西之丸北東部の家老屋敷跡を経て近戸門跡へ。訪問時期:2017年1月岡城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六。<訪問記>西之丸の北東部に位置する、城内に三つある出入口の一つ、近戸門跡。近戸門跡 説明板。慶長元年(1 [続きを読む]
  • 岡城 [1/6] 「荒城の月」で有名な超巨大要塞の遺構。
  • 岡城は大分県中部の山中にそびえる総石垣の近代山城。歴史的には豊後の戦国大名 大友氏の家臣だった志賀氏の居城に始まり、秀吉時代に城主となった中川秀成が総石垣に大改修、明治まで中川氏の一族が治めた。しかし岡城の名を最も有名にしているのは、廃墟と化した岡城跡での思い出を元に書いた滝廉太郎作曲の唱歌「荒城の月」によるものだろう。ちなみに作詞は別の人でテーマも仙台城・会津若松城とのこと。山上には荒城の月の歌 [続きを読む]
  • 臼杵城 [3/4] 空堀の底から三層天守が建っていた天守台を見る。
  • 臼杵城 訪問記 其の三。[前回までの訪問記 概要]古橋口から入城、岩場をくり抜いたような急な坂道を登り、現存畳櫓を通って帯曲輪へ。大門櫓を越えて、二之丸へ。外周部に残る櫓台跡を巡ってから、二之丸中央に鎮座する臼杵護国神社へ参拝。大友宗麟公のレリーフを見て、本丸へ向かおう。訪問時期:2017年1月臼杵城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>二之丸の護国神社奥はグラウンドになっている。地図上では多目的広場と [続きを読む]
  • 臼杵城 [2/4] かつて多数の櫓が建ち並んでいた二之丸へ。
  • 臼杵城 訪問記 其の二。[前回までの訪問記 概要]古橋口から入城、岩場をくり抜いたような急な坂道を登り、現存畳櫓を通って帯曲輪へ。大門櫓を越えて、二之丸へ入ろう。訪問時期:2017年1月臼杵城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>帯曲輪の少し出っ張った先には、鐘楼がある。時鐘 説明碑。1700年(元禄十三年)に鋳造され、江戸末期まで原山時鐘堂(恐らくここにあった櫓のこと)で時を告げる鐘の役割を果たしていたとい [続きを読む]
  • 臼杵城 [1/4] 大友宗麟が築いた、島まるごと要塞化のお城。
  • 臼杵城 (うすきじょう) は、戦国時代 臼杵湾に浮かぶ丹生島 (にゅうじま)に大友宗麟が築いた丹生島城を、大友氏改易後に入国した太田氏、稲葉氏によって総石垣造りの近代城郭に大改修された「島の城」。現在は周囲の海は埋め立てられ、小山状態となっている。三重の天守を持ち、多数の重箱櫓を持つ巨大城郭だったが、明治の廃城令で建造物はほぼ撤去された。現在 畳櫓と卯寅口門脇櫓の二棟が現存、二之丸大手門が復元された。大 [続きを読む]
  • 佐伯城 [4/4] 歴史資料館の栂牟礼城・佐伯城ジオラマも必見。
  • 佐伯城 訪問記 其の四。[前回までの訪問記 概要]北之丸から本丸脇を通って二之丸、西之丸までやってきた。これから登城の道を通って下山し、山麓に残る他の遺構を見て回ろう。訪問時期:2017年1月佐伯城 訪問記 − 其の一、二、三、四。<訪問記>西之丸の先端部から本丸方面を見る。先端部には巨大な高射砲設置跡(戦時中の遺構)がある。西之丸中ほどにある西虎口。かつてこの階段の上には城門が建っていた。西之丸 西虎口。虎口 [続きを読む]