Hiikichi さん プロフィール

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Hiikichiさん: 歴史の謎に誘われて
ハンドル名Hiikichi さん
ブログタイトル歴史の謎に誘われて
ブログURLhttp://historical-story.blog.jp/
サイト紹介文もっと語られるべき史話と騙られ過ぎている史話を怪説するBLOG
自由文世界の「男女史」「社会史」を怪説しています。 「解説」ではなく「怪説」です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供174回 / 365日(平均3.3回/週) - 参加 2013/09/16 05:44

Hiikichi さんのブログ記事

  • ヒッタイト(20)END〜帝国化への曲折〜
  • 王位継承法を主とする法典(=『テリピヌ法典』)を制定したテリピヌ王は、王統史を編纂します。国内秩序の回復に努め、辺境地被征服民に対しては高圧的とならずに平和協定を結び争わない姿勢を一貫して次々と平和協定を結んだ。平和協定はエジプト第18王朝とも結ばれ、北上を続けていたエジプト軍との衝突は避けられた。しかし、20年間続いたテリピヌの時代は紀元前1510年に王の崩御で終わりを迎える。テリピヌ法典は・・ [続きを読む]
  • ヒッタイト(19)〜起死回生の法典誕生〜
  • ムルシリ1世が弟ハンティリ1世に暗殺され、ヒッタイト王国は混乱に陥った。それに乗じてトーラス山脈の森林部族(ハッティ人の部族)を率いていたパリジャワトリは、ヒッタイトに寡占されていた銀鉱山を奪還(元々はパリジャワトリの一族のものだった?)。元々雨量が豊富なトーラス山麓一帯を根拠とする彼らは、セイハン川の平野部に結構な耕作地を持ち豊かであったとされる(部族名がわからないので「彼ら」)。パリジャワトリ [続きを読む]
  • ヒッタイト(18)〜ウガリット・1〜
  • 1928年の或る日。現在のシリア・アラブ共和国西部の都市ラス・シャムラの一農民が振り下ろした鍬が何やら固いものに当たった。それは墓石であり、それを掘り起こすと中からは得体の知れない陶磁器のようなものが出て来た。その農民は、それが何かは分からずとも、シリア全土が古代の遺跡だらけ。その農民が出くわした何らかの「掘り出し物」はニュースとなった。それの注目したフランスは、翌1929年にクロード・シェフェー [続きを読む]
  • ヒッタイト(17)〜寛容でなければ生きていけないオリエント〜
  • ユーフラテス河が大きく湾曲する地点、アレッポとラッカの中間にある現シリアのテル・メスケネからは、多くの建造物の遺跡とともに楔形文字の書かれた粘土板文書多数が発見された。それによって、この地が、ウガリット、マリ、エブラと並ぶ古代シリアの重要都市(国家)エマルであることが分かった。出土した粘土板文書は、その多くがアッカド語で書かれていましたが、ヒッタイト語とフルリ語の文書も少数ながら含まれていたとされ [続きを読む]
  • ヒッタイト(16)〜ムルシリ1世退場による衰退〜
  • ヒッタイトのムルシリ1世が、何故にバビロニアへ攻め込んだのか、その理由や目的のようなものは明らかになっていません。が、紀元前1595年にヒッタイトがバビロニアへ遠征し、バビロン第一王朝のサムスディタナ王を敗死させた。バビロン第一王朝は滅亡へ向かう。ところがムルシリ1世は、征服したバビロニアをさっさと放棄して帰路へ。単純に考えれば、アナトリア〜バビロニアという広大な領域の大国家を樹立させようとするで [続きを読む]
  • ヒッタイト(15)〜ムルシリ1世登場〜
  • 古代シリアに一時代を築いたヤムハドは、アムール人とフルリ人が混在した国家です。しかし、国家は二分される事無く結束していた。アムールとフルリを「ヤムハド人」として一つにまとめあげる原動力となったのは、アムール人からはハダド(※アッカド語ではアダド)、フルリ人からはテシュブと呼ばれる「風の神」。現代の中東にも風神信仰は残っていると言われますが、ヤムハドの首都であったハラブ(現アレッポ)が、中東の交易の [続きを読む]
  • ヒッタイト(14)〜アナトリアとメソポタミアの変遷〜
  • 紀元前1781年、アッシリア王シャムシ・アダド1世が崩御。このことは、エシュヌンナやバビロニア、イシン・ラルサ、更にエラム、そしてザグロス山脈一帯の山岳部族を大いに刺激します。アッシリアの四方八方が不穏な動きを見せる中、先ずは国内諸都市が独立を主張し繰り返し反乱が起きる。そもそもアッシュールという単体の都市国家が諸都市を力づくで併合して拡大した"見せ掛けの"「領域国家」だったアッシリアは脆かった。し [続きを読む]
  • 戯言
  • 歴史とは嘘ばかりのゴミの山。しかし、その数え切れない無限のゴミは、どれもこれも事実であるかのように磨きに磨かれたものであり、眩しく光り輝き、真実を突き詰めようとする者達の目を眩ませてしまう。太陽のように眩しく輝く嘘の光を見つめ続け、ただ一点の真実を見つけることは困難極まりない。更に、その史話全体がありもしない嘘話であって、そんなものを必死で見詰めても真実など何もない、という事だって珍しくはない。た [続きを読む]
  • アッシリア(12)〜古アッシリア王国崩壊〜
  • エシュヌンナの史料(テル・ハルマル遺跡から出土した粘土板文書)から、「(アッシリア王)シャムシ・アダドが死んだ年」は、エシュヌンナ王イバル・ピ・エル2世の治世第4年(紀元前1781年)に当たることが分かっています。エシュヌンナという名の知れた都市国家が、自国統治者の功績ではなく、他国の王の崩御を年号としていることで、シャムシ・アダド1世の存在が如何に大きいものであったかを物語っています。偉大な王の [続きを読む]
  • アッシリア(11)〜シャムシ・アダド1世の死〜
  • バビロン第一王朝に第6代王ハンムラビが即位したのは、紀元前1781年にアッシリア王シャムシ・アダド1世がこの世を去る11年前の紀元前1792年とされる。つまり、ハンムラビのバビロン第一王朝は、どんなに短くとも11年間はアッシリアに臣従していたことになる。軍事国家エシュヌンナの王ダドゥシャも後継王のイバル・ピ・エル2世もシャムシ・アダド1世に対し傅いた。イシン第一王朝のダミク・イリシュは、紀元前18 [続きを読む]
  • アッシリア(10)〜エンリルとアッシュル〜
  • シャムシ・アダド1世が成した"領域国家"は、チグリス河の東側地帯から、西はバリーフ川に至り、国号を「アッシリア」と名乗りました。神アッシュル=土地アッシュル=都市国家アッシュルが、神アッシリア=土地アッシリア=領域国家アッシリアとなったわけですが、領域内の各都市、各地は神アッシュルに統治(守護)されるという考え方を浸透させる為に各地に長官を配備します。更に、長男イシュメ・ダガン1世を東の要としてエカ [続きを読む]
  • アッシリア(9)〜遊牧部族との関係〜
  • 紀元前2千年紀のメソポタミア遊牧民の様子は、マリ(テル・ハリリ遺跡)で発見された2万枚を優に超える粘土板文書で凡その事を知ることが出来ます(=マリ文書)。マリ文書は、遊牧民のこと以外にも政治・社会的な状況を明らかにしてくれる史料であり、北メソポタミアの当時の様子はだいたいマリ文書に基づき再構築(歴史的編集)されたと言って言い過ぎではないらしい。そして、マリ文書によって存在が明らかにされた西セム系遊 [続きを読む]
  • アッシリア(8)〜アッシリア商人は遊牧の王の子孫たち?〜
  • バビロン第一王朝を確固たる地位へ押し上げた功績に於いて、尚且つ、偶然スーサで発掘された法典に於いて、ハンムラビ1世は古代メソポタミアで最も有名な王の一人となっています。が、バビロン第一王朝が脚光を浴び、ハンムラビ1世が偉大な王と呼ばれたのはハンムラビ1世が晩年を迎えてからのこと。何度も書いて来たことですが、バビロン第一王朝は、それまではほんの小国(小都市国家)に過ぎなかった。バビロンの南にはリム・ [続きを読む]
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(21)〜鬼神の登場〜
  • 鎌倉〜室町幕府時代の越後は、国主(守護職)と言えども名ばかりで、何の統一感もない有力国人(豪族)が各地に割拠していた。何か事ある毎にすぐに争乱が起こる、和解しても束の間、またすぐに争乱が起こる、その繰り返しであった。それをどうにかこうにか守護代として長尾家が治められていたのは、例え名ばかりであっても「関東管領・上杉氏」を出自とする守護家があったればこそ。しかし、守護家も長尾家も一枚岩ではなく本家と [続きを読む]
  • アッシリア(7)〜カールムとアッシリア商人〜
  • 古アッシリア時代の情報は、中央アナトリア・キュルテペのカールムⅡ層(紀元前1974年から紀元前1863年。第33代エリシュム1世から第36代のプズル・アッシュル2世の時代に当たる)と、第39代シャムシ・アダド1世の在位期間(紀元前1813年〜紀元前1781年)とほぼ同時代に始まるⅠb層から出土した文書によって得ることが出来ます。(※こんな古い層の年代がハッキリしているのは、高名な考古学者によるメソ [続きを読む]
  • アッシリア(6)〜アッシュル神の謎〜
  • アッシュル(都市アッシュル、土地アッシュル、神アッシュル)のように、都市とその神が同名であることはメソポタミアでは他に例がない。例がないのだから殆ど全ての歴史学者にも不可解なことであったらしい。神アッシュルは、決してシュメール語風に「ニン・アッシュル」或いはアッカド語風に「ベル・アッシュル」(何れも「アッシュルの王」を意味する言葉)言われることはない。(参照記事=≫アッシリア(3)〜アッシリアの一 [続きを読む]
  • ヒッタイト(13)〜メソポタミアの位置関係〜
  • イシン、ラルサ、バビロンの王朝は、ともにセム語系アムール人によって創建された。また、早くからアムール人が国家を成していた北部メソポタミアのチグリス河畔のエシュヌンナ、ユーフラテス河中流域のマリなども勢力を拡大。更にはアッシリアが大国化するなど、アムール人の勢いは留まることなく続きアッカド人(シュメール人)の殆どを吸収してハイブリッド化する。誰がアッカド(シュメール)人だったのか、誰がアムール人だっ [続きを読む]
  • ヒッタイト(12)〜バビロン第一王朝の衰退〜
  • 以前、 「シュメール文明を怪説(3)〜世界最古の国家〜 」という駄文を書いた時、ヴィア・ゴードン・チャイルド氏が定義した"文明の特徴"を紹介しました。(効果的な食料生産、大きな人口、職業と階級の分化、都市、冶金術、文字、記念碑的公共建造物、合理科学の発達、支配的な芸術様式)。いわゆる文明と呼ぶまとまりは多くの場合、以上の要素を持っている。そして国家とは、以上の要素に基づく強権力=公権力を持たせられる社 [続きを読む]
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(19)〜柿崎と宇佐美の関係〜
  • 常陸の大掾職が源氏から平氏へ譲られたのは、当時の大掾・源護の娘が平国香の妻となったことに因る。真壁郡(現在の桜川市の一部)に小領を有していただけの源護(嵯峨源氏とされるが出自不詳)に大掾職が任ぜられた時期は分かりませんが、真壁郡の他に、新治郡(現在の石岡市、かすみがうら市、つくば市の一部、小美玉市の一部)の荘園領主・平真樹は、源護を敬う気持ちはサラサラ無かった(想像の範囲)。平真樹の娘婿が平将門で [続きを読む]
  • ヒッタイト(11)〜貴族〜
  • 9世紀に興ったキエフ大公国以来18世紀まで、ロシアに興亡した殆ど全ての国家政治を支えたのが「貴族議会」(ロシア語では「ボヤールスカヤ・ドゥーマ」)。君主(公・王)は、貴族会議の意志を尊重しなければならないという暗黙の了解(建前)の下に治世を行った。故に、自己権利を強く主張出来るような貴族家が登場した場合、君主は、貴族会議の意向を尊重し過ぎて権威を失墜させ影が薄くなる。逆に、貴族会議を抑え付ける強い [続きを読む]
  • ヒッタイト(10)〜鉄の大国〜
  • ハッティ人が鉄を製造していたらしいこと、ヒッタイトが製鉄技術によって台頭していったことは有名です。 ボアズカレ(旧名ボアズキョイ=ハットゥシャ)の北、約35キロくらいに位置するらしいアラジャホユック遺跡(=宗教都市アリンナと目される)からは、当時の鉄剣が出土しています。オリエントの大国達(エジプト、アッシリア、バビロニアなど)も、ヒッタイトと同様に製鉄技術を持ち、鉄剣その他を製造していたように思わ [続きを読む]
  • デニソワ
  • ホモ・サピエンス(・サピエンス)に最も近い人類と言えば?と問われたら、多くの人たちが「ネアンデルタール人」という名前を即答していた時代に生まれ育った此方は、「デニソワ人」という名を聞いても正直ピンと来ない。でも、2008年にロシア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟から"発見された"この人たちは、2010年にはその存在を世界的に認められ「デニソワ人」と名付けられた。「この人たち」とは書いたけど、デニソワ洞窟 [続きを読む]