Hiikichi さん プロフィール

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Hiikichiさん: 歴史の謎に誘われて
ハンドル名Hiikichi さん
ブログタイトル歴史の謎に誘われて
ブログURLhttp://historical-story.blog.jp/
サイト紹介文もっと語られるべき史話と騙られ過ぎている史話を怪説するBLOG
自由文世界の「男女史」「社会史」を怪説しています。 「解説」ではなく「怪説」です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供317回 / 365日(平均6.1回/週) - 参加 2013/09/16 05:44

Hiikichi さんのブログ記事

  • ティムール亡き後のティムール朝(6)〜黒羊朝の反目〜
  • 1436年に黒羊朝ペルシャをほぼ統一したジャハーン・シャーの弟イスファハン・ユースフは、1433年に正式にバクダッドのアミール(君主)となっていた。黒羊朝が、何度も何度もティムール朝に攻撃されながらも、西の超大国と言えるオスマン帝国を頼れなかった理由は宗教宗派の相違によるものと考えられる。一度は、ティムールに滅ぼされたオスマン帝国は、ティムール朝が西を向かずに東へ東へと拡大していったので再興出来た [続きを読む]
  • 怪説・応仁の乱(19)〜明徳の乱・下〜
  • 日本に数多くある家紋の中でも「隅立て四つ目」「丸に隅立て四つ目」などで知られる"目結紋"を基調とする家紋を用いる家は、殆ど、宇多源氏・佐々木氏族の末裔と言われている。佐々木氏の支流は各地に広がるが、その本拠である近江佐々木氏はやがて六角氏と本姓を改め、更に京極氏が派生したことはこれまでにも既述していること。その京極氏、引いては佐々木氏と東中国地方の所領を激しく争ったのが山名氏。明徳4年(1391年) [続きを読む]
  • たかが歴史、されど歴史
  • 今からおよそ138億年前、いわゆる「ビッグバン」によって物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。私たちの宇宙の根本を成すこれらの要素を「物理学」という。物質とエネルギーは、この世に現われてから30万年ほど後に融合し始め、原子と呼ばれる複雑な構造体を成し、やがてその原子が結合して分子ができた。原子と分子の相互作用の物語を「化学」という。およそ38億年前、地球と呼ばれる惑星の上で特定の分子が結合し、格 [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(4)〜シャー・ルフ東奔西走〜
  • シャー・ルフの黒朝羊への遠征は、1426年にホラズム総督シャー・マリクが他界して以降も2度繰り返された(1429年、1433年)。遡って、1420年の遠征時にアゼルバイジャンの制圧に成功したティムール朝ですが、初代君主で血も涙もない冷酷なティムールなら犯さなかったであろう重大なミスをした。それは、ついでにバクダッドへ寄って、カラ・ユースフの子(恐らく次男)シャー・ムハンマドを殺さなかったこと。或い [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(3)〜ホラーサーン〜
  • ティムール朝の第三代君主シャー・ルフは、打倒した兄・ミーラーン・シャーとその息子で第二代君主ハリール・スルタンとの関係が濃かった親族、縁戚部族や、自分自身の息子(特に、ウルグ・ベク)たちの反乱を殊の外恐れていた。ハリール・スルタンの三女スルターン・バディー・アル・ムルクの命を助けて、嫡男ウルグ・ベクの第一妃として婚姻させたのもその為と考えられる。将来の英主として大きな期待を受けていたウルグ・ベクか [続きを読む]
  • ユーゴスラビア(25)〜バートリ家登場〜
  • 10年前(1457年)の公位簒奪劇に於ける恩讐で劇突した、前モルダヴィア公ペトル・アーロンと現モルダヴィア公ステファン3世の戦争(1467年)は、前者がポーランドの支援を受けたにも関わらず後者が圧勝した。そして、今度こそ命を取るべくペトルを追撃したステファン3世は、共にトランシルヴァニアへ許可なく入国してしまう。必死のペトルを追い、結果的にトランシルヴァニア領民たちに対する迷惑行為を行ったモルダヴ [続きを読む]
  • ユーゴスラビア(22)〜天才軍略家の死とその後の動き〜
  • ツェレェ伯家の本領はスロべニア。1395年頃に生まれた"ドイツのメッサリーナ"ことバルバラ・ツェリスカが有名です。西にイタリア(当時ならヴェネツィア共和国)、北にオーストリア、西にハンガリー、南にクロアチアという国々に囲まれたスロベニアは、正に、何処と手を組むかを絶対に間違えられない位置付けにあった。ところで、ツェレェ(ツェリェの方が一般的?)は今でも緑が広がるのどかな田園地帯であり、スロベニア国家 [続きを読む]
  • 怪説・応仁の乱(18)〜明徳の乱・中〜
  • 全国68ヶ国の内、守護不設置の出羽国と陸奥国を除く66ヶ国に守護職が定められていた当時、11ヶ国の守護職を務めていたのが山名氏族(丹後、伯耆、紀伊、因幡、丹波、山城、和泉、美作、但馬、備後、播磨)。66ヶ国の守護職の内、実に11ヶ国の守護職を務めたことから、山名氏族は"六分の一殿"とも云われていた。(一時期は更に増えて、安芸、隠岐なども守護した)。山名時義(1346年生)が亡くなったとき(1389年 [続きを読む]
  • ユーゴスラビア(19)〜オーストリア大公〜
  • 摂政且つ大元帥のフニャディ・ヤノーシュに率いられたハンガリー軍は、"国王"ラースロー5世の身柄を確保する為にオーストリアへ侵攻します(1446年秋〜)。ハンガリーとオーストリア、それぞれの都市の位置関係に詳しい人には説明不要と思われますが、オーストリアの首都ウィーンはハンガリーとの国境が近い位置にあり、当時のハンガリー軍の実力からすると速攻で陥落出来る。が、ラースロー5世が幽閉されていたオルト城は、 [続きを読む]
  • 怪説・応仁の乱(17)〜明徳の乱・上〜
  • 天授2年/永和2年(1376年)、当時の山名惣領家の当主・山名師義が48歳で病没。師義には、知られているだけで、義幸、氏之、義熙(早世)、満幸、幸松右馬允、九郎という6人の男子があった。が、長男で丹後守護職の義幸は、自身が病弱であることを理由に家督相続を辞退して療養に専念することを選んだ。義幸には嫡男・師幸が誕生していたが、まだ幼年であり師幸への飛び継承は理解を得られる筈もなく、また、弟たちは何れ [続きを読む]
  • 怪説・応仁の乱(16)〜名門・土岐氏の衰退〜
  • 康暦の政変では、管領・細川頼之を失脚させることに成功した京極高秀(=佐々木高秀)ですが、結局は領国を全て取り上げられた上に幕府に於ける役職も全て停止された。2年後の弘和元年/永徳元年(1381年)に軍事行動の罪は赦されたものの、嘗ての領国のうち飛騨一国のみの返還に留まった。その後は、幕府に対し恭順する姿勢に転じた。京極家が幕府を脅す根本原因となった佐々木氏本流の六角家を継いだ亀寿丸ですが、元服して [続きを読む]
  • ユーゴスラビア(17)〜ヴァルナ十字軍・下〜
  • 1897年に発表された小説『ドラキュラ』の中に、吸血鬼ハンターとして登場するエイブラハム・ヴァン・ヘルシングのモデルとなったのは、ハンガリー人の東洋学者ヴァーンベーリ・アールミン(1832年3月生)。そして、アールミンと出会ったことも一つのきっかけとして『ドラキュラ』を著したのはブラム・ストーカー(当時は、大英帝国と連合国家だったアイルランド人:1847年11月8日生)ストーカーは、ダブリン大学で [続きを読む]
  • ユーゴスラビア(16)〜ヴァルナ十字軍・上〜
  • 1444年8月、オスマン帝国とカラマン君侯国との間にも和平が成立する。すると、予てよりの計画通りにムラト2世(1404年生)は退位し、嫡男メフメト2世(1432年3月30日生)がオスマン帝国のスルタン位に就いた。同じ年、東ローマ帝国皇帝ヨハネス8世パレオロゴス(1392年12月生:1425年即位)からの度重なる支援要求を受け、第207代ローマ教皇エウゲニウス4世(1383年生)が十字軍の遠征を決定 [続きを読む]
  • ユーゴスラビア(15)〜王位争いと名ばかりの和平〜
  • 1439年、ハンガリー王・ローマ王・神聖ローマ皇帝のアルブレヒト2世(=ハプスブルク家のハンガリー王アルベルト)が崩御。そのことを受けて、アルブレヒト2世の息子ラディスラウス・ポストゥムスを支持する大貴族たちと、ヤギェウォ朝のポーランド王ヴワディスワフ3世をハンガリー王に招き同君連合を求める中小貴族たちによる、次期王位を巡る争いが起きる。国の内外で人気を博していたフニャディがどちらに付くか注目され [続きを読む]