Hiikichi さん プロフィール

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Hiikichiさん: 歴史の謎に誘われて
ハンドル名Hiikichi さん
ブログタイトル歴史の謎に誘われて
ブログURLhttp://historical-story.blog.jp/
サイト紹介文もっと語られるべき史話と騙られ過ぎている史話を怪説するBLOG
自由文世界の「男女史」「社会史」を怪説しています。 「解説」ではなく「怪説」です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供298回 / 365日(平均5.7回/週) - 参加 2013/09/16 05:44

Hiikichi さんのブログ記事

  • 神話があったからこそ「協力」が生まれ、国が生まれた
  • 『サピエンス全史』の中で、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、次のような文章を書いている。===以下、引用===一つの町で1000人を養えたり、一つの王国で100万人を養えたりするだけでは、人々が土地や水をどう分け合い、対立や紛争をどう解決するか、旱魃や戦争のときにどうするかについて、全員が同意できるとはかぎらない。そして、合意に至ることができなければ、たとえ倉庫にあり余るほど物があっても、不和が拡がってしまう [続きを読む]
  • ヴァスルイの戦い
  • オスマン朝メフメト2世への朝貢を止めたモルダヴィア公国のステファン3世からの支援要請に対し、ローマ教皇シクストゥス4世は、ポーランドとハンガリーにそれぞれモルダヴィア支援を打診する。が、以前書いたように(参照記事)、当時はボヘミア王位を巡ってポーランドとハンガリーは烈しく対立。お互いの王が同じ戦場に立って共同作戦を取るような状態ではなかった。しかも、ポーランド王カジミェシュ4世夫妻から言わせると、 [続きを読む]
  • トランシルヴァニアの謎
  • 現在、ルーマニア人8割、ハンガリー人2割という住民比率であるトランシルヴァニア(現ルーマニアの中央部〜西部にかけての地方名)ですが、第一次世界大戦前は、ルーマニア人6割、ドイツ・オーストリア人1割、ハンガリー人3割だった。第一次世界大戦後、ドイツ人排斥運動が起こってドイツ・オーストリア人は追放された。オーストリア寄りだったハンガリー人も減少し、ルーマニア人比率が増え、現在もその傾向にあると言われる [続きを読む]
  • ダキア
  • "新たなローマ市民国家"という意味を持つ「ルーマニア」が"共和政国家"だった期間は、1947年〜1965年「ルーマニア人民共和国」、1965年〜1989年の「ルーマニア社会主義共和国」の約40年間のみ。そもそも、ルーマニアという名称を使用し始めたのも1861年の「ルーマニア公国」からであり、東欧のローマ人のイメージが強いけれどルーマニア国家としては若い国です。彼らがルーマニア人となる以前の話・・・古代 [続きを読む]
  • 不安こそが人間社会の原動力
  • 農耕が始まったその時から、人間はそれ以降の「未来」に対して常に不安を抱えて生きて来た。雨季は遅れずに訪れるのか、降り過ぎることはないのか、風は大丈夫か、苗が倒されることはないのか、川は大丈夫か、氾濫しないのか・・・。そのような心配は農耕時以外の現代人の不安性に繋がった。この学校で大丈夫なのか、この授業を受けて大丈夫なのか、このスポーツで生きていけるのか、この企業で本当に間違いないのか、この相手との [続きを読む]
  • 正教とカトリックと・・・ドラキュラの握手?
  • "自由なスラヴ"を標榜する東欧・バルカン諸国では、教皇の力が強いローマ・カトリック教会を嫌い、(19世紀ドイツの自由主義神学者アドルフ・フォン・ハルナック曰く)「原始キリスト教に、ギリシャ及び東洋の異教的要素を加えた」正教会を受け入れて行った。そもそも、初期キリスト教のヨーロッパへの流入過程では、当たり前ですがギリシャを経由している。故に、当時の「哲学」に五月蠅いギリシャ人を納得させる為に、この地域 [続きを読む]
  • 物理学者の懺悔と予言
  • 第四次世界大戦が起こった時、武器となるのはただの石。そのような事を断言した人は、1921年に「光電効果の法則の発見等」の功績によってノーベル物理学賞を受賞したアルバート・アインシュタイン(1879年3月〜1955年4月)。一般的には、原子力エネルギーの解放、ひいては核兵器の生産にも繋がる相対性理論の発見者と言われるアインシュタイン氏を指して、恰も「原子力爆弾の理論を発見した」人のように思っている人 [続きを読む]
  • 未来不安を覚えた人類
  • 狩猟採集民は自然のままを受け入れた。農耕民も自然の恩恵を求めたが、しかし、人工的に手を加えて不自然である状態でも生きられるようになった。自然のままでは有り得ないビルの中で野菜が栽培され、自然のままでは有り得ない場所で魚介類の養殖が行われたり、そもそも、自然の中には登場しない食べ物を次々と作り出した。狩猟採集生活者であった頃には殆ど何も思いつかなかったことを、農耕生活者になった途端に次々と思いつくよ [続きを読む]
  • 怪説・足利幕府黎明期(21)〜番外編・義堂と絶海〜
  • 「応永六年九月の比。客星、南方に出けるを陰陽師の頭有世、勘へ申しけるは、太白、ケイ惑と合い交わる九十日の大兵乱なり・・・」で始まる『応永記』は、応永の乱(1399年)の背景と合戦について書かれたものですが、作者は不詳。この書は、応永の乱収束直後の完成品とされ、言い伝えを基に百年後、二百年後の作家が空想したものではないだけに信憑性は高い。元々は、『堺期』と『大内義弘退治記』から成る書とされる。堺に赴 [続きを読む]
  • 石橋湛山の再来を期待します
  • シリアで過激派組織に身柄を拘束されていたフリー・ジャーナリストの安田純平氏の解放報道で、世論が紛糾している。我が国では、安田氏のようなジャーナリストの行動に対しては、常に辛辣な意見(自己責任論)が飛び交います。当BLOGでは、以前、「戦場ジャーナリスト」の死で、山本美香さんを取り上げて書かせて頂いたことがありますが、大手メディアに属さないジャーナリストたちが紛争地域で取材してくれているからこそ、自 [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(25)〜END〜
  • バーブルが、自らの身内に対しては、喩え失望したり裏切りにあったにせよ、寛容を以て許す君主と変貌していったことは「バーブル・ナーマ」でも書かれている通りで、本人がそう言うのだから否定する理由もない。が、新たに味方になりたいと願い出て来たもともとは敵であった者たちに対しては、手厳しい対応を見せている。戦う以前の交渉ごとによって味方になりたい(戦わずして降伏)と願い出たのならいざ知らず、戦ってみて敵わな [続きを読む]
  • 人口は増え、人工物はそれ以上に増え、人の心は狭まった
  • 狩猟採集者たちの暮らしは、基本的には自然の恵みをそのまま受け取る形で成り立っているため、自分たちが縄張りとして歩き回る土地に対して意図的な変化を与えることをしなかった。そのような技術もなく出来なかったと言えるのかもしれないが、自然の恵みを受け取って成り立つ暮らしである故、何らか技術を持ったにしても、自然界を大きく(人工的に)作り変えることなどはしなかったでしょう。しかし、古代であっても、農耕民の生 [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(24)〜バーブルのカーブル期3〜
  • 1506年の冬。当時のティムール朝に残された唯一の"都"ヘラートに滞在した20日間の或る日、バーブルは、思いがけず、最初の妻アーイシャ・スルターン・ベギムの異母妹マース―マ・スルターン・ベギム(=スルターン・アフマド・ミールザーの五女=バーブルの従妹)と出会います。マース―マが、どうしてこの時ヘラートに居たのかはよく分かりません。『バーブル・ナーマ』原書を読めば詳しく書いてあるのかもしれませんが、此 [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(22)〜バーブルのカーブル期1〜
  • 『バーブル・ナーマ』では、ヘラート政権の君主スルタン・フサイン・ミールザーやミールザーの王子たちについて下記の如く評されています。(バーブル曰く)「彼(フサイン)は、ヘラートのごとき都を手中にすると、夜となく昼となく、ただ歓楽と快楽の追求に明け暮れた。たんに彼のみではなかった―――その部下・臣下たちのうちで歓楽・快楽を追求しない者はいなかった。彼は、世界征服とか出兵の苦労をしようとしなかった。その [続きを読む]
  • 農耕社会の分岐と"世界史"の登場
  • 農業革命は歴史上、最も物議を醸す部類の出来事だ。この革命で人類は繁栄と進歩への道を歩み出したと主張する、熱心な支持者がいる。一方、地獄行きにつながったと言い張る人もいる。彼らによれば、これを境にサピエンスは自然との親密な共生関係を捨て去り、強欲と疎外に向かってひた走りに走り始めたという。たとえその道がどちらに向かっていようと、もはや引き返すことはできなかった。農耕のおかげで人口が急激に増大したので [続きを読む]
  • 怪説・足利幕府黎明期(20)〜番外編・その後の北畠〜
  • 嘗て、源氏(村上源氏)のプリンスとして将来を嘱望されていた北畠顕家亡き後(没年1338年6月10日:享年20歳)の北畠家ですが、それ以降も、南朝を支え続けます。顕家の根拠地であった奥州は北朝軍の侵攻を受けて顕家の遺領もほぼ奪われたものの、一説では、顕家の嫡男北畠顕成(1335年生〜没年複数説有)が晩年浪岡(現・青森市浪岡)に下向し、浪岡北畠家(=浪岡氏)の祖となったとも云われている。が、浪岡氏の祖 [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(21)〜バーブルのフェルガナ期4〜
  • バーブルは、スルターン・マフムード・ハーンの遠征に参加するなど、モグール・ウルスの一員として何とか"認められる"成果を挙げようと東奔西走する。が、思うような働きに至らずタシュケントでの暮らしは肩身の狭いものとなった。当然、裕福な暮らしなど望むことも出来ず、少しばかり従った家臣たちの面倒も見なければならずに困窮と貧困に終始した。バーブルは出奔して支那方面へ逃げ出すことも考慮したと『バーブル・ナーマ』で [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(20)〜バーブルのフェルガナ期3〜
  • バーブルは、アンディジャンの領主として復活したものの(1499年6月)、フェルガナには、バーブルの弟(異母弟)ジャハーンギールを擁するアフマド・タンバルが居座り、両陣営の抗争は1500年に入っても収まることなく続いた。荒廃したとは言うものの、ティムール東部政権の象徴である首都サマルカンドを何としてでも手に入れたいバーブルですが、アンディジャンからサマルカンドへ行くにはフェルガナを無事に通過しなけれ [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(18)〜バーブルのフェルガナ期1〜
  • トハ―リスターン地方フェルガナにティムール朝の王子として生まれ、(恐らく)アンディジャンで育ったバーブルは、インド・ムガル帝国建国の祖としてあまりにも有名。それ故、多方面から知識不足や誤認識を指摘されるかな?と、実は怯え乍ら書いていますが・・・、(16)(その前後も)の内容がどうにも気に入りません。今回は、16やその他の記事と内容重複したり既述否定となったりしますが申し訳ありません。『バーブル・ナ [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(17)〜高い山〜
  • 地球上の何処にも存在する山、河川、湖、海、等々は、人間(国家)の時間=「歴史」の刻みに於いて、いつだって重要な役割を担って来た。その存在が大きければ大きいだけ、その高さ、長さ、広さを制覇した先には大きな栄光が待っていた。勿論、それらを乗り越えられた者はほんの僅かであり、それらに挑み敗れ去った数え切れないほどの屍の上に栄光は成り立っている。そして、自分の勝利以前の挑戦者達への畏敬の念を忘れた者は、そ [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(15)〜三者同盟〜
  • 考古学上に於いて、紀元前2千年代から青銅器時代を迎えた定住民が暮らしていて、文化的には生命樹やジッグラトといったメソポタミア文明の影響を受けていたと証明された、広大な牧草地フェルガナ。現キルギスの西部に連なるアライ山脈の北側に当たり、地形的には盆地で現ウズベキスタン共和国の東部に含まれる。フェルガナに、イラン系の人々(いわゆるアーリア人やサカ人)が移住したのがいつの時代かはよく分かっていないが、彼 [続きを読む]
  • ティムール亡き後のティムール朝(14)〜崩壊前夜とミニアチュール〜
  • 現代では、書籍の中に挿絵があることはごく普通のことで、誰が始めたことかなんて誰も気にも留めない。ところが、"歴史"なんてものに興味を持つと、挿絵の世界にまで首を突っ込みたくなる。そして何となく分ったのは、表現力溢れる挿絵を技術的にリードしていた国家こそがその時代を代表する文化大国だということ。挿絵は、書籍がなければ始まらない。「物語」を書く、空想を巡らして表現する、そういうことが自由に許されていたか [続きを読む]