経堂薫 さん プロフィール

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経堂薫さん: RAMBLE JAPAN
ハンドル名経堂薫 さん
ブログタイトルRAMBLE JAPAN
ブログURLhttp://ramblejapan.seesaa.net/
サイト紹介文日本各地をブラブラ見て歩いた旅行記です。
自由文古き良き日本の面影を探して、北は北海道から南は九州沖縄まで彷徨い歩きます。しかし自家用車は使いません。利用するのは鉄道、バス、航空機、フェリーなど公共交通機関と、自分の足のみ。レンタカーも使いません。タクシーは、ピンチの時に使うかも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供79回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/10/30 16:19

経堂薫 さんのブログ記事

  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]12
  • 鳥居を出て太鼓橋を渡ると、左側にこんもりとした森がある。案内地図を見ると「八幡山」とある。石段を進んでいくと鳥居が2つ。その奥に小さな御社が2つ、横に並んでいる。左側が八幡社、右側が恵比寿社。どちらも秋宮の摂社のようだ。八幡山から山王閣へ長生橋という陸橋が架かっている。橋の袂に山王閣の日帰り入浴の案内が立っていた。諏訪湖を一望できる展望台もあり、秋宮参拝の際は気軽に利用できる便利な施設なのだが。閉 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]11
  • 境内には摂末社が幾つか鎮座している。拝殿の向かって右側、一の御柱の奥には稲荷社、若宮社(建御名方神の御子神)、皇大神宮社が並んでいる。一方の左側、二の御柱の手前には奥から八坂社、賀茂上下社、子安社、そして鹿島社が並んでいる。鹿島社といえば祭神は建御雷神[たけみかずちのかみ]、つまり建御名方神を出雲から諏訪へと追い詰めた神。その“仇敵”すら一緒に祀るのは調和を尊ぶ「和の心」の為せる技なのだろうか?鹿島 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]10
  • 神楽殿を過ぎると正面には拝殿がデンと待ち構えている。二重楼門造りで、中央の拝殿が両側に片拝殿を従えている珍しい構造だ。現在の建物は初代立川和四郎富棟の設計で、安永10(1781)年の春に建立された。江戸中期の絵図面には中央の拝殿は帝屋(御門戸屋)、片拝殿は回廊と記されているそうだ。昭和58(1983)年、拝殿と神楽殿は共に国の重要文化財に指定されている。諏訪大社は四宮すべてに本殿がない。その代わりというか、他の神 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]09
  • 坂を登り切ると眼前に一本の巨大な杉が聳立している。「ネイリの杉」と呼ばれる、樹齢600〜700年と伝わる御神木。名の由来は、挿し木に根が生えた杉なので「根入りの杉」…なのだが。丑三つ時(超ド深夜)になると枝先が垂れ下がり寝入った姿に見え、しかもイビキまで聞こえてくるので「寝入りの杉」だという説もある。どちらが本当かは知る由もないが、この木の小枝を煎じて子供に飲ませると夜泣きが止む…と伝承されている。ネイ [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]08
  • 社号標の奥に石灯籠を模していながらも、神社とは不釣り合いな不思議な塔が立っている。下諏訪の地でオルゴールを作り続けてきた三協精機(現・日本電産サンキョー)が建てた「オルゴール塔」。1時間3回、30弁のオルゴールが音色を奏でるという。塔の真ん中には御柱祭の「木落し」をイメージしたからくりが装置があり、オルゴールの奏鳴に合わせて動き出すそうだ。オルゴール塔の隣には手水舎。その後背に池が広がっている。「千 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]07
  • しかし、湖底に泥やヘドロが分厚く堆積し調査は難航。結局、窪みの正体を突き止めるまでには至らなかった。今から400年以上も前、湖底に大穴を掘るような土木技術を武田家が持っていたのか?遺骸を湖に沈めることは可能でも、湖底に墓を築く作業までは不可能な気がするのだが。そんな歴史ミステリーの存在など我関せずとでも言いたげに、諏訪湖の湖面はキラキラと輝いている。山王閣の玄関を出ると、前庭に一体の銅像が立っていた [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]06
  • 翌朝、大浴場へ向かうためロビーへ降りてみると壁一面に広がる大きな窓から、朝日を浴びてキラキラ輝く諏訪湖が遠くに見えた。ドアを開けて前庭へ出てみると、冷んやりとした空気に身躯が包み込まれ、一瞬にして目が覚めた。ここ諏訪湖には「湖底に武田信玄の墓がある」という伝説がある。信玄は元亀4(1573)年4月12日、信州伊那谷の駒場[こまんば]で病没。死を3年間隠蔽するよう指示した遺言に従い、天正4(1576)年4月に甲州塩山の [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]05
  • ここで注文してあった「海鮮・鶏つくね鍋」が到着。養老ビールも底を突いたので、地元諏訪の地酒「横笛」の純米酒を注文する。海なし県の長野で海鮮鍋は野暮かと思えるが、横笛に合うアテという条件を優先した選択。冷え切った外界を尻目に暖かい鍋を肴に清冽な清酒を舐める至福感は、この季節でしか味わえない。ここで、今度はRADWINPSの「前前前世」が聞こえてきた。今年、社会現象にもなった映画「君の名は。」の劇中歌であり、 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]04
  • 夕食を求めて街に出る。下諏訪温泉は旅館が多く、食事だけという店が意外と少ない。小規模な温泉場は入浴から食事、飲酒からお土産まで旅館内で済む「オールインワン」が主流。例えば熱海や別府といった大規模な歓楽地と、隣接する箱根や湯布院を比較してみれば両者の違いは明らかだ。そんなことを考えながら町中を探し回ったものの、ただでさえ店の数が少ないうえ日曜日の夜でもあり閉めている店も多く、なかなかこれといった食事 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]03
  • ホームに降りると改札口の前で不思議な見た目の仏像「万治の石仏」がお出迎え。もちろんこれはレプリカで、本物は諏訪大社下社春宮の近くに鎮座している。駅舎を後にし、駅前から伸びる商店街を歩く。沿道の店々は古ぼけた表情を見せ、あまり繁盛している活気が感じられない。鉄道が下諏訪へのアクセス手段としての役割を終えている証なのだろうか?4〜5分ほど歩くと国道142号線、通称「大社通り」という広い道に突き当る。そこ [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]02
  • 15時30分、松本バスターミナルに到着。約2時間半のバス旅は鉄道旅行とは一味も二味も違う、山岳ドライブの醍醐味を存分に味わえた。松本駅へと歩く途中、頭上には青空が広がっている。鉛色の雲が低く垂れ込めた高山とは、まるで別世界だ。松本駅構内の跨線橋から0番線ホームに向かって降りると、階段の影に1軒の立ち食い蕎麦屋が佇んでいる。名は「山野草」。店内は程よい狭さで、一見どこにでもある駅そば屋に映るが、正体は知る [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]01
  • 12時50分、特急バスは高山バスセンターを松本へ向けて出発した。市街地を抜けて山間いを奥へと進むにつれ、薄曇りの空は鉛色の濃度を深めていく。山襞が折り重なる隙間を縫うように道が走り、バスのエンジンが唸りを上げて坂を駆け上がる。1時間弱ほどでバスは平湯バスターミナルに到着し、10分間の休憩。ここは「アルプス街道平湯」という日帰り温泉施設で、食堂や売店を備えている。奥飛騨温泉郷の平湯温泉にあり、広い駐車場を [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]32
  • 国分寺は天平13(741)年、聖武天皇が仏教による国家鎮護のため勅願を発して各国ごとに建てた官寺。だが、今でも諸国に存在する一之宮に対し、国分寺は結構な数が既に消滅している。もともと国分寺は疫病や飢饉、反乱などの厄災を、仏教の力で封じ込めるために生まれたもの。時代が貴族社会から武家社会に移り、権力者が変転するにつれて国分寺の存在意義も薄れていく。中には廃寺になるものが現れても不思議ではない。なお、現存す [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]30
  • 幹にポッカリ空いた洞 [うろ]に石仏が祀られている。天平時代、七重の塔が建てられた時のこと。大工の棟梁が柱の寸法を誤って短く切ってしまい、とても悩んでいた。一人娘の八重菊は、柱の上に枡組を作って長さを補うことを提案。塔は無事に完成し、枡組は装飾の役割も果たし、その出来栄えは評判を呼んだ。しかし父親は「枡組」の真相が漏れて自身の名誉が損なわれることを危惧。八重菊を口封じのため殺し、人柱として境内に埋め [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]29
  • 山門をくぐって境内に入ると、正面に鐘楼堂、その左奥に大銀杏、突き当たりに本堂。大銀杏の左側には庫裏と太子堂、右側には三重塔と枯山水の庭が広がっている。飛騨国分寺は天平18(746)年に創建された飛騨国最古のお寺さん。開基は行基菩薩と伝わっている。創建時は境内に七重塔、金堂、仁王門などが立ち並ぶ壮大な伽藍が広がっていたそう。だが天正13(1585)年、金森長近の飛騨松倉城攻略に巻き込まれ被災。その後、飛騨の領主と [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]28
  • 平日の真っ昼間だというのに三町重伝建地区は国内外の観光客でごった返している。江戸時代と変わらない道幅に大勢の観光客が押し寄せているので、明らかにオーバーフロー気味。ゆっくりと建造物を見て回るどころの話ではない。高山駅へ引き上げるべく橋を渡ろうとした刹那、袂に佇む石碑が目に止まった。「高山の夜」と刻まれたその石碑は、昭和45(1969)年に発売された御当地ソングの記念碑。岐阜県を地盤に活動する演歌歌手、しい [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]27
  • 現在、三町には6つの造り酒屋が軒を連ねている。そのいずれもが現役の酒蔵として、古ぼけた重伝建の街並みに生命の息吹を与えている。ただ、扱う酒は清酒がほとんどで、あってもにごり酒かおり酒、水無神社の特区にあった濁酒はない。それにしても決して米どころではない飛騨で、なぜ酒造りが盛んになったのだろうか?酒造りには寒冷地が適していること、飛騨山脈=北アルプスの良質な水に恵まれたこと。商業が産業の基軸だけに近 [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]26
  • 濃尾バスで再び高山駅に戻る。昨夜は暗くて分からなかったが、陽光の下で見る駅舎の外観はモダンな印象。随分と前に訪れた際の記憶に残る駅舎の面目は、どこにも見当たらない。やはり外国人観光客を意識してのデザインなのだろうか?次の目的地へはJRを利用しないので、このまま高山駅とはサヨナラだ。せっかく飛騨高山まで足を運んだことだし、まだ時間にも若干の余裕がある。そこで三町伝統的建造物群(重伝建)保存地区を散策し [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]25
  • 水無神社を後にし、再びバス停に戻ってきた。悪代官といえば「水戸黄門」などの時代劇で欠かせない存在。だが、こうして現実的な存在感を目前に突きつけられると、物語の一要素に過ぎない“敵役”という認識を改めざるを得ない。というか、現代社会でも社会的地位を利用して私腹を肥やす政治家や官僚は後を絶たないし、むしろ江戸時代に比べても「悪政」に対する罪の意識が薄いのではなかろうか?切腹とか打首といった命を取られる [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]24
  • 大原騒動を引き起こした悪政は彦四郎の息子、大原亀五郎正純へと引き継がれた。しかも職権濫用によるワルさの度合いがパワーアップ。例えば過納金(農民に米一俵につき30〜50文を過納させ、後で返す金)を返さないとか。幕府が天明の大飢饉対策として農民に免除した分の年貢を取り上げて私腹を肥やすとか。あげくに飛騨三郡の村々から総額6000両という大金を借り上げた。借りた…というより、ハナから返す気などサラサラなかったの [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]23
  • 来た道を引き返し、大鳥居の前をグルリと回り込み、絵馬殿の裏を抜けて境内の北側へと向かう。奥の駐車場から来る場合この北参道を抜けると、わざわざ正面に回ることなく楼門の前に出ることができる。参道には資材を積んだ軽トラックが停まり、業者の男衆が来るべき正月の初詣に向けて黙々と作業を続けている。だが北参道には進まず、山の方角へ続く道に向かう。ここまでたびたび登場している“聖地”位山。その名称は樫の木の一種 [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]22
  • 大祭の看板や賽銭箱を眺めているうち、いつしか境内から出ていた。鳥居をくぐった先を左手に向かうと、道標[みちしるべ]が立っている。 右 位山道 左 宮峠道幾度か登場している位山は日本を表裏に分かつ分水嶺。ここから「水の主」水無大神の坐す聖域と見做され、奥宮が鎮座している。古来から霊山として名高い位山の山中には巨石群が存在する。人為的に築かれた遺跡という見方もあるなど、かつては神秘的な霊場だったと考 [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]21
  • そのルーツは、やはり「大原騒動」。安永8(1779)年、一揆で荒廃した社殿の大造営竣工を記念して行われた遷座奉祝祭にある。飛騨国中の代表神社から神輿や祭り行列を招請し、3日間にわたって催行された。天下泰平や五穀豊穣などを祈願する一方、大原騒動で疲弊した飛騨の人々の心機を奮い起こしたそうだ。「世相の凶[あ]しきを吉に返す世直しの大まつり」この謳い文句こそ「飛騨の大祭」の本質を現しているだろう。以来、飛騨各地の [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]20
  • 境内へ入ってすぐ左側に大きな建物がある。絵馬殿。その名の通り内壁には数多くの絵馬が掲げられている。縦6本×横5本の柱が巨大な屋根を支えている。壁は上部にしかなく、下部は吹き抜けだ。棟札によると建造は慶長12(1607)年。当時の高山城主、金森長近が造営したと記されている。大原騒動の後遺症で両部神道が唯一神道に改められた際、仏教関係の一切が破却、移転、改築された。そんな中、取り壊しを免れたのが拝殿だった。江 [続きを読む]
  • 飛騨國一之宮[水無神社]19
  • 楼門の向こう側、左手すぐのところに巨大な老木が立っている。推定樹齢およそ800年という銀杏[いちょう]の大木だ。落雷によって上部が欠損しているが、折れた場所から若枝が繁茂。櫟[いちい]などの宿り木を抱え、もう何の木やら分からないほどの枝ぶりだ。枝からは銀杏特有の乳[ちち]が垂れ、その姿は優しげな母親の面影を連想させる。そのせいか古くから子授け、安産、縁結びに霊感あらたかな御神木として信仰されているという。 [続きを読む]