経堂薫 さん プロフィール

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経堂薫さん: RAMBLE JAPAN
ハンドル名経堂薫 さん
ブログタイトルRAMBLE JAPAN
ブログURLhttp://ramblejapan.seesaa.net/
サイト紹介文日本各地をブラブラ見て歩いた旅行記です。
自由文古き良き日本の面影を探して、北は北海道から南は九州沖縄まで彷徨い歩きます。しかし自家用車は使いません。利用するのは鉄道、バス、航空機、フェリーなど公共交通機関と、自分の足のみ。レンタカーも使いません。タクシーは、ピンチの時に使うかも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供25回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2013/10/30 16:19

経堂薫 さんのブログ記事

  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]13
  • その隣が万治の石仏のところで岡本太郎の言葉を引用したみなとや旅館。岡本以外にも小林秀雄、白洲次郎・正子夫妻、永六輔といった著名人に愛されてきた宿である。みなとやの前に「右甲州道 左中仙道」と刻字された小さな石碑が、ひっそりと佇んでいる。この文字は白樺派の作家、里見弴が逗留した際に寄贈した書を基に刻んだものという。万治の石仏といい綿の湯といい、偉大な先達が石碑に揮毫を残しているところに下諏訪という街 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]12
  • 「児湯」の先に下諏訪宿の旧本陣が遺っている。大名が宿泊する本陣の岩波家は江戸時代、ここに約1800坪の敷地に300坪の建物を構えていた。当時の下諏訪宿は中山道最大級の宿場町であり、本陣の庭園は中山道随一とも謳われたほど。現在では建物こそ半分程度になったが、庭園は江戸時代の優雅な景観を今なお披露し続けている。また文久元(1861)年11月、皇女和宮が徳川将軍家へ御降嫁のため江戸へ向かう際ここに宿泊され、寝所となっ [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]11
  • 再び石鳥居の前へ戻り、手水舍の前から秋宮へと繋がる細い横道に入る。先へ行くと三叉路…というか“音叉路”があり、先端部分に道標の石碑が立っている。「左 諏方宮 右 中山道」右の坂を登っていくと中山道に出るが、それは国道142号線…つまり新道で、この古びた細い道こそ本来の旧中山道なのだ。三叉路の少し先に石塚が立ち並ぶ一角。「白華山慈雲寺」の寺号標が立ち、参道が奥へ続いている。石塚の中に龍の形状をした水口 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]10
  • その隣の間には御柱祭で実際に用いられた騎馬行列の衣装や道具が展示してある。御柱祭の起源については諸説いろいろあって定かではなく、遡れば縄文時代の巨木信仰にまで行き着くという説まであり思わず気が遠くなる。実在する記録としては室町時代の文献『諏訪大明神画詞』にある、桓武天皇御代(781〜 806)の「寅・申の干支に当社造営あり」という記述が最古とのことだ。諏訪大社は江戸時代まで密教寺院の性格を併せ持つ神仏習合 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]09
  • コンクリート製の橋を渡ると「おんばしら館よいさ」という看板が見えた。右に曲がると少し先、公衆トイレの向こう側に真新しい建物が立っている。平成28(2016)年4月25日にオープンしたばかりの、御柱祭に関する観光施設だ。御柱祭は7年に一度、十二支の寅と申の年に行なわれる諏訪大社最大の祭礼で、正式な名称は「諏訪大社 式年造営御柱大祭」と呼ぶ。ちなみに「日本三大奇祭」のひとつとも言われているが、世に奇妙なお祭りは [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]08
  • そういえば、まだキチンと参拝していなかったことを思い出した。先出の説明板にお参りの仕方が記されていたので、その通りやってみる。一 正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。二 心の中で願い事を唱えながら、石仏の周りを時計回りに3周する。三 正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。真冬の平日の昼下がり、周囲には人っ子一人いない中、たった一人で石仏の周りを3べん [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]07
  • 万治の石仏が誕生したきっかけは明暦3(1657)年、諏訪高島三代藩主忠晴が春宮に石鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石にノミを打ち入れると石から血が流れ出し、驚き恐れた石工は作業を止めた。その夜、石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があるとのお告げが。行ってみるとお告げ通り良い石材を見つけることができ、鳥居は無事に完成。この不思議な石に石工たちは阿弥陀様を刻み、霊を納 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]06
  • 再び神楽殿の前に戻ってきた。授与所の前で依頼した御朱印を待ちつつ境内の景色を眺めていると、右側の斜面にある急坂の存在に気付いた。位置的には授与所と縁結びの杉の間。注連縄で封印され立ち入ることができないようになっており、何らかの神聖さを感じさせる。御朱印を受け取る際に尋ねてみると、山奥から切り出されて遥々と曳行されてきた御柱を境内へと導く「木落し」の坂とのこと。この狭い急斜面を春宮と秋宮の御柱8本が [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]05
  • 諏訪高島藩は大隅流の宮大工として当初、村田と伊藤の2家を召し抱えていた。芝宮長左衛門は伊藤弥右衛門の次男として、兄儀左衛門と共に大隅流を継いだ。最初は村田家の職養子となり村田姓を名乗り、後に芝宮家の養子となり、兄と協力して多くの建築に当たっている。安永6(1777)年に下社の建て替えが決まり、秋宮を立川和四郎富棟が金80両と扶持米80俵で請け負った。それに対し長左衛門は代々の宮大工として、また大隅流のために [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]04
  • その神楽殿の右脇に巨大な杉の木が立っている。一つの根元から途中で二股に分かれている「連理の木」、別名「木連理」。「縁結び」や「夫婦和合」の象徴として、よく神社の境内で見かける。ここの木連理も「縁結びの杉」と呼ばれているそうだ。その先に、なぜか建御名方神を祀った末社「上諏訪社」が立っている。諏訪大社は上下社四宮でひとつの神社のはず。ちなみに上社の祭神は本宮が建御名方神で前宮が八坂刀売神。いずれも下社 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]03
  • 正面に石鳥居と社号標、左手に手水舍が見えてきた。それにしても、秋宮に比べると門前はかなり窮屈だ。普通なら境内にある手水舍も県道に面して立っている。もともと春宮の境内だった土地が区画整理で一般の市街地になったのだろうか?石鳥居を真下から仰ぎ見る。テッペンまでの高さは8m20cm。御影石製で建立は万治2(1659)年と推定されるが、施工した石工の名は伝わっていない。建てる際は片付け賃を入れた土俵を積み上げて足場 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]02
  • 県道185号線は春宮大門の交差点から県道184号線、通称「大門通り」に名を変える。社頭から一直線に伸びる表参道で、その長さは約800mあるそうだ。大門通りと中山道の春宮大門交差点に巨大な鳥居が聳立している。扁額や装飾の類は一切なく、全体が薄緑色なのは表面を青銅板で覆っているからだろう。件のスーパーの前を通り過ぎ、春宮へ近づくにつれて次第に繁華さは薄れ、落ち着いた住宅地の風情が漂う。この「大門通り」、かつては [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社春宮]01
  • 下諏訪の駅舎を改めて眺めてみる。巨大な切妻屋根を頭上に載せた二層の建物で、妻入りの出入口から奥を覗くと改札口が見える。後ろを振り返ると2本の御柱が、まるで門柱のように聳り立っている。だが、この御柱は諏訪大社のそれではなく、長野冬季五輪の開会式で用いられたもの。平成10(1998)年2月7日に“日本演劇界のドン”浅利慶太総合プロデュースのもと、長野オリンピックスタジアムにて日本で2度目となる冬季五輪の開会式 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]12
  • 鳥居を出て太鼓橋を渡ると、左側にこんもりとした森がある。案内地図を見ると「八幡山」とある。石段を進んでいくと鳥居が2つ。その奥に小さな御社が2つ、横に並んでいる。左側が八幡社、右側が恵比寿社。どちらも秋宮の摂社のようだ。八幡山から山王閣へ長生橋という陸橋が架かっている。橋の袂に山王閣の日帰り入浴の案内が立っていた。諏訪湖を一望できる展望台もあり、秋宮参拝の際は気軽に利用できる便利な施設なのだが。閉 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]11
  • 境内には摂末社が幾つか鎮座している。拝殿の向かって右側、一の御柱の奥には稲荷社、若宮社(建御名方神の御子神)、皇大神宮社が並んでいる。一方の左側、二の御柱の手前には奥から八坂社、賀茂上下社、子安社、そして鹿島社が並んでいる。鹿島社といえば祭神は建御雷神[たけみかずちのかみ]、つまり建御名方神を出雲から諏訪へと追い詰めた神。その“仇敵”すら一緒に祀るのは調和を尊ぶ「和の心」の為せる技なのだろうか?鹿島 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]10
  • 神楽殿を過ぎると正面には拝殿がデンと待ち構えている。二重楼門造りで両側に片拝殿を従えている珍しい構造。江戸中期の絵図面によると、中央の拝殿は帝屋(御門戸屋)、片拝殿は回廊と記されているそうだ。幣拝殿は昭和58(1983)年に神楽殿とともに国の重要文化財に指定されている。向かって左側の片拝殿を見る。現在の建物は初代立川和四郎富棟の施工で、安永10(1781)年の春に建立された。一方の春宮は芝宮(伊藤)長左衛門が請負 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]09
  • 坂を登り切ると眼前に一本の巨大な杉が聳立している。「ネイリの杉」と呼ばれる、樹齢600〜700年と伝わる御神木。名の由来は、挿し木に根が生えた杉なので「根入りの杉」…なのだが。丑三つ時(超ド深夜)になると枝先が垂れ下がり寝入った姿に見え、しかもイビキまで聞こえてくるので「寝入りの杉」だという説もある。どちらが本当かは知る由もないが、この木の小枝を煎じて子供に飲ませると夜泣きが止む…と伝承されている。ネイ [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]08
  • 社号標の奥に石灯籠を模していながらも、神社とは不釣り合いな不思議な塔が立っている。下諏訪の地でオルゴールを作り続けてきた三協精機(現・日本電産サンキョー)が建てた「オルゴール塔」。1時間3回、30弁のオルゴールが音色を奏でるという。塔の真ん中には御柱祭の「木落し」をイメージしたからくりが装置があり、オルゴールの奏鳴に合わせて動き出すそうだ。オルゴール塔の隣には手水舎。その後背に池が広がっている。「千 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]07
  • しかし、湖底に泥やヘドロが分厚く堆積し調査は難航。結局、窪みの正体を突き止めるまでには至らなかった。今から400年以上も前、湖底に大穴を掘るような土木技術を武田家が持っていたのか?遺骸を湖に沈めることは可能でも、湖底に墓を築く作業までは不可能な気がするのだが。そんな歴史ミステリーの存在など我関せずとでも言いたげに、諏訪湖の湖面はキラキラと輝いている。山王閣の玄関を出ると、前庭に一体の銅像が立っていた [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]06
  • 翌朝、大浴場へ向かうためロビーへ降りてみると壁一面に広がる大きな窓から、朝日を浴びてキラキラ輝く諏訪湖が遠くに見えた。ドアを開けて前庭へ出てみると、冷んやりとした空気に身躯が包み込まれ、一瞬にして目が覚めた。ここ諏訪湖には「湖底に武田信玄の墓がある」という伝説がある。信玄は元亀4(1573)年4月12日、信州伊那谷の駒場[こまんば]で病没。死を3年間隠蔽するよう指示した遺言に従い、天正4(1576)年4月に甲州塩山の [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]05
  • ここで注文してあった「海鮮・鶏つくね鍋」が到着。養老ビールも底を突いたので、地元諏訪の地酒「横笛」の純米酒を注文する。海なし県の長野で海鮮鍋は野暮かと思えるが、横笛に合うアテという条件を優先した選択。冷え切った外界を尻目に暖かい鍋を肴に清冽な清酒を舐める至福感は、この季節でしか味わえない。ここで、今度はRADWINPSの「前前前世」が聞こえてきた。今年、社会現象にもなった映画「君の名は。」の劇中歌であり、 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]04
  • 夕食を求めて街に出る。下諏訪温泉は旅館が多く、食事だけという店が意外と少ない。小規模な温泉場は入浴から食事、飲酒からお土産まで旅館内で済む「オールインワン」が主流。例えば熱海や別府といった大規模な歓楽地と、隣接する箱根や湯布院を比較してみれば両者の違いは明らかだ。そんなことを考えながら町中を探し回ったものの、ただでさえ店の数が少ないうえ日曜日の夜でもあり閉めている店も多く、なかなかこれといった食事 [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]03
  • ホームに降りると改札口の前で不思議な見た目の仏像「万治の石仏」がお出迎え。もちろんこれはレプリカで、本物は諏訪大社下社春宮の近くに鎮座している。駅舎を後にし、駅前から伸びる商店街を歩く。沿道の店々は古ぼけた表情を見せ、あまり繁盛している活気が感じられない。鉄道が下諏訪へのアクセス手段としての役割を終えている証なのだろうか?4〜5分ほど歩くと国道142号線、通称「大社通り」という広い道に突き当る。そこ [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]02
  • 15時30分、松本バスターミナルに到着。約2時間半のバス旅は鉄道旅行とは一味も二味も違う、山岳ドライブの醍醐味を存分に味わえた。松本駅へと歩く途中、頭上には青空が広がっている。鉛色の雲が低く垂れ込めた高山とは、まるで別世界だ。松本駅構内の跨線橋から0番線ホームに向かって降りると、階段の影に1軒の立ち食い蕎麦屋が佇んでいる。名は「山野草」。店内は程よい狭さで、一見どこにでもある駅そば屋に映るが、正体は知る [続きを読む]
  • 信濃國一之宮[諏訪大社下社秋宮]01
  • 12時50分、特急バスは高山バスセンターを松本へ向けて出発した。市街地を抜けて山間いを奥へと進むにつれ、薄曇りの空は鉛色の濃度を深めていく。山襞が折り重なる隙間を縫うように道が走り、バスのエンジンが唸りを上げて坂を駆け上がる。1時間弱ほどでバスは平湯バスターミナルに到着し、10分間の休憩。ここは「アルプス街道平湯」という日帰り温泉施設で、食堂や売店を備えている。奥飛騨温泉郷の平湯温泉にあり、広い駐車場を [続きを読む]