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  • 祈り

    「あなたが、麻雀を大切にしていたなら、あなたの周りには、 あなたと同じ気持ちのひとが、必ず集まる。」 25年前にそう言われて、その言葉を信じて、自分なりに重ねてきた。 いつか、自分が麻雀を続けてきてよかった、と思える、そういう麻雀を打てる。 自分より遥かに温度のある、そういう仲間が集まるのだろう、と。 場に発しか落ちていない7巡目に、西が切られる。 大三元と、四喜役に気づいていない打牌だ。 それでも、「場への字牌の高さを意識できてしまっている自分」は字牌に敬意を払う。 三元役を軸に組んでいる自分の手牌にある、東、と南。 南が重なったので、東を放つ。 四喜役を軸に組んでいる相手には、単騎でない限りこの東は通る。 ゲームが壊れないことを、「字牌がこれ以上安易に切り出されないことを祈る。」 国士テンパイ。 ..

  • 2024記事掲載

    ひさしぶりの記事投稿となりました。 下記URLにてご確認ください。。 引き続きよろしくお願いいたします。 つかぴょんパラダイス☆ロスト:SSブログ (ss-blog.jp)

  • 記事掲載

    週3回の記事掲載を目的としています。 下記URLにてご確認ください。。 引き続きよろしくお願いいたします。 つかぴょんパラダイス☆ロスト:SSブログ (ss-blog.jp)

  • ブログ移転のお知らせ

    今後、下記URLへお引越しいたします。 引き続きよろしくお願いいたします。 つかぴょんの麻雀パラダイス☆ロスト:SSブログ (ss-blog.jp)

  • はじめてのフリー雀荘!

    大学受かったので、思う存分麻雀が打てる! いつもの雀荘で、いつもの仲間と麻雀を打ちながらも、 自分は「これからの関東での麻雀」にワクワクしていた。 きっと、毎日麻雀になる。どうしよう・・ 睡眠時間とか、なくなっちゃわないかな・・ 大学生ともなれば、はきっと全員麻雀が打てるだろうから、メンツには困らないはずだ。 ただ、九州とはいろいろルールも異なる。 積み棒は、場に1500ではなくて、300。 喰いタンあり、つもピンあり、らしいから、注意が必要。 「タンヤオは、食い下がらない」、仕掛けても1300点が1000点になるだけで、お得。 すげえな、さすが、東京だわ。 毎日毎日、麻雀を打つことになるのだから、ゲーム代がたいへんだよなあ・・ いよいよになったなら、部屋に雀卓を置く、っていうのもありかもしれない。 だが、時代は..

  • どうしようもないとき

    何をやってもダメなとき、ってある。 ハーロック曰く、「そんな時は昼寝でもしてればよい。」 かっこいい。 人事を尽くして、天命を待つ。 [麻雀は、巡るもの、]良い時も悪い時もある。 不調とき、というのは、間に合っていないことが多い。 先制リーチを打っても、おいつかれてしまい、振り込んだり、 仕掛けて最速のテンパイとなっても、追いつかれて、詰まされる。 ムカついて雑になってしまうことも多い。 ここで必要となるものは、「卑屈ではない謙虚さ」だ。 その前提には、うまくいっているときにも、振り返る習慣を持つことが必要となる。 うまくいっているときは、問題ない。 実は、不調なときに、どう対応するか、が一番大切なのだ。 賽の目がどうしても、自分に不利に手続けるとき、 自分が、気を付けることは、「いちはばちかの勝負..

  • 黒ひげ危機一髪!

    いちか、ばちか、の牌を切る。 麻雀はね、「黒ひげ危機一発!」ではない。 「なぜ?切れる?」 「なぜ?なぜ、その牌が切れるの?」 我慢している自分が「えらい」なんて思わないけれど、 自分が、場の状況を精査して必死で抑えている牌を、 ポンポン切られると正直あほらしくて、シラケてしまう。 自分はどんなこきでも、説明のつかない牌を切らないように、必死で打っている。 相手の仕掛けや、思惟を自分なりに評価して、大切に打っている。 そのことが、同卓している相手に伝わらないのは、自分の力が足りないからだ。 ステージの違いではなく、自分の「麻雀への熱量が不足」しているからだ。 曽根さんが、残してくださった言葉がよみがえる。 「中司さんは、打牌をちゃんと見てくれているから、だから、嬉しい。」 相手の打牌から、13枚を精査する。 ..

  • フリーにいってみたい

    80年代後半。 思えば、夢のような季節だった。 もはや、セピア色な思い出ではあるけれど、 当時はまっすぐ歩けないくらいのダメージだった。 30年以上も昔のはなしだ。 最大の大負けの記憶。 ちょっと、長くなりますけれど。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 地元、北九州はなかなかに危険な街。 競輪、競馬、競艇、麻雀、裏カジノなど、ヒジョーに盛ん。 当時、予備校生のわたくしのこづかいは、毎日の食費800円。 これでは、麻雀も打てないし、ゲームセンターに行ったとて、数時間も持たない。 麻雀が打ちたくて仕方がないわたくしは、当面の場代を稼ぐために思案する。 フリー雀荘にいって稼いでみたい、という気持ちはあったけれど、 点数計算がおぼつかないし、正直自信がなかった。 麻雀は、自分は強い、と勘..

  • 仕掛けの順番

    賭けていれば、お金で責任がとれる。 ノーレートは、打牌の責任を「内容」でしかとることができない。 同卓者の大切な時間を使わせてもらっているのだから、 高品質の麻雀を目指したいものだ。 なので、お金よりも、はるかに重い「想い」が必要だ。 打牌に想いもなく、卓につかれてはそれは、絵合わせゲームになる。 その仕掛け、そのリーチ。 振込む痛みについて、覚悟はできているか? ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: テンパイ即リーなら、誰にでもできる。 テンパイに向かって打つことも、誰でもできる。 仕掛けることも誰でもできる。 出る牌をチーポンしまくるだけだ。 些細なエラーはあるだろうけれど、誰にでも作業としてできることだ。 仕掛け一つとっても、和了しやすい「順番」を..

  • 一人麻雀

    勝つことには、総じて価値がある、と信じこまされていた。 時間やお金を使って結果を出すこと。 その為に、おかしなことはしないこと。 長い時間を重ねて、年を重ねて思う、「そんなものには、価値がない。」と。 一番大切なのは、「自分が納得する」ことだ。 自分の選択に、「自分が納得する」こと。 それは、すなわち、自分の人生そのものに、満足することに繋がる。 「自分が納得するために」一番大切な「時間」。 これをどう過ごすか、が、なによりも、大切になる。 南2局 トップ目、北家とは18000点差 親番が落ちると、残りは2局しかないから、 ここでは、2900の和了でも価値がある。 親番 ドラ 5m 4567m77p1567s南南白白 1巡目。1sを切った後、白が切られる。 仕掛けるなら、トイトイだ。 ..

  • オリナイくん

    攻撃は最大の防御。 攻めて攻めて、攻めまくる。 常に10万点のトップを目指す。 1回のトップで、2.3回分のラスを返せるように。 自分は、守備力を絶望的に持っていない。 オリを選択すると、なぜか、和了牌を振り込んでしまう。 オリを選択しているにもかかわらず、 まるで魔法でもかけられたように振り込んでしまう。 オリて振り込むと、麻雀がおかしくなるので、 自分は、基本、絶対にオリナイように心掛けている。 でも、だからといって、ゼンツマンになるわけではない。 「オリル」のではなく、「受けて押し返す」感覚。 「トンデモネー牌」だけは切らないように。 ※「トンデモネー牌」→説明のつかない矛盾した牌のこと。 自分がトップ目の時は、さらにもうひとつ上に、自分よりもうえに トップ目のひとがいる、と思って打つ。 ..

  • 親リーチをせん滅せよ!

    地震、かみなり、火事、親リー。 親リーは、こわい。 振り込んではいけない。 本当に、そうだろうか? 親リーには、振り込みたくない、だからこそ、降りてはいけない。 自分は、そう思うのだ。 早い巡目で、親リーチをうけた時に、 自分の手牌が、いけそうになかったなら、すぐさま 「ベタオリ」を選択してはいないだろうか? 親リーに、振り込まないことは、誰にだってできる。 以下、私見である。 もし、自分が親リーチを打ったときに、一番嫌な相手は、「振り込まずに、むかってくる」ひと。 もっと、いうなら、「振り込まずに、親リーチを利用して、むかってくる」そういう相手だ。 全員が、セオリー通りに打てたとして、五分五分の勝負だとして、 「セオリーを理解したうえでの新しい選択肢」を見つけ出すことできたなら、 六部四部の..

  • どういうオーラスを望むか

    買い出しの間、卓がたっていた。 久しぶりに、全集中で観戦をする。 武夫しゃんの麻雀をリスペクトしているムスカの対局なら、 きっと、とてつもなく素晴らしい後世に残せる教材になるだろう。 赤アリ、とびあり、6万点終了 45000点持ち、南1局 南家 4巡目 67m246p34566789s ツモ1s 南家 ドラなし。 ここで、1sツモ切り。 めちゃセオリー通りじゃん。 100人のうち、99人が1S切りそう。 タンヤオでの捌きをかんがえるなら、 1sはいらないし、3pも5pも仕掛けて 246pの縦引きも合わせて、1000点での局消化もあり。 自分は、2pを切る。 高い打点をぶつける最後のチャンスだからだ。 ハネマンクラスをあがって、親番2900でラストでもいいし、 オーラスの親番である対面との「..

  • 赤アリ東風。加速+打点

    自分は、実は、東風戦が大好きだ。 ストーリーの組立の負担が半分くらいで済むので、サクサク打ててよい。 その昔、バブルの頃、地元北九州では、東風戦の店が乱立していた。 「すぐ、打てます!」 これが、やはり最大の魅力だったのだ、と思う。 30分もあれば、(調子がよければ)そのあとの飲み代を浮かせることができる。 また、飲んだ後、東風1回だけ、運試し。 勝てば、飲み代が返ってくる、というのも、なんだか、遊楽感があり、楽しい。 そのころ、自分がセットで使っていた雀荘。 きらびやかな、内装。 威圧感のある黒服。 客の出入りもめちゃめちゃ激しかった東風200円の その店には、VIPルームらしきものもあった。 一度は、覘いてみたいみたい世界ではある。 東風戦は、1時間で3回は楽に打てる。 金持ちの道楽だ。 レ..

  • わしが、じじいになったころ

    じじいの気持ち。 お迎えが来るまで、ゆっくりと「牌と、雀荘の喧噪の中」で過ごしたい。 牌との邂逅に、既視感を覚えながら、「麻雀」を楽しみたい。 だから、 「発声をしてくれ。」とか、 「6枚切りでお願いします。」とか、 わしゃ、そんな窮屈なのは、嫌なんじゃ。 けれど、わしのともだち・・・ 窮屈ではない気心知れた、雀友はすでにみな、いなくなっている。 あっちの世界に行ってしまった。 ここでしか牌を触れない、「麻雀が好きだから」お迎えが来るまでの暇つぶし。 贅沢な暇つぶし。勝ち負けなど、そういったものに、魅力は感じない。 若者は、真剣に麻雀を学びたいと思う。 ルールを守り、俊敏な思考で、1打1打に合理的な価値を重ねる。 発声しないやつ、信じられない。 符の計算できないのに、雀荘に来るんじゃねえよ! ..

  • 競技麻雀サークルについて(再開)

    当ブログ つかぴょんの麻雀パラダイス・ロストに いつも、足を運んでいただきありがとうございます。 自身の所感を取りとめもなくつづっているだけの記事なのに、 毎回たくさんの閲覧いただき、とても励みになっております。 当ブログ内で、扱っている対局のほとんどは、競技麻雀ルールです。 一発や裏ドラなど、偶然性の高い役が存在しない30,000点以上加点のルール。 麻雀はルールによって楽しみ方も様々で、競技麻雀には、競技麻雀の楽しみ方が存在するし 一発裏には一発裏の、上海なら上海の楽しみ方があります。 コロナ禍、感染拡大防止を思い、サークル活動を自粛してきましたが、 「心配りをしっかりと重ねたなら、 麻雀はコロナの感染拡大の因子とはなりえない」 との判断のもとに 競技麻雀サークル「啓雀会」の活動を再開に合わせて参加者の募集..

  • 活動再開、新規会員募集!

    神奈川県伊勢原市に部室を設け、 週末をメインに活動しているノーレート麻雀サークルです。 コロナも落ち着きましたので、ノーレートポーカー麻雀サークルとして、活動を再開します。 ポーカーはテキサスホールデムです。 バウンティ、トーナメント、やってます。 それに合わせてただいま仲間を募集中です。 お金はもちろん賭けません。 かかるのは部室を維持する運営費だけ! 見学も自由ですから一度覗いてみてください。                                        興味のある方、この辺を聞いてみたいなどの問合せは、本ブログのコメント欄または Twitterのダイレクトメールにてお願いいたします。【つかさ会Q&A】 つかさ会ってどこでやってるの 神奈川県伊勢原市の本伊勢原駅徒歩7分の場所に部室を設けています。 いつやってるの 平日の18時から、金曜日、土曜日..

  • 麻雀を打てる人間を募集しています!

    麻雀の中・上級者を募集しています。 ハードルを高くしているようですが、 自分は、心底納得できる麻雀を打てる人間を探しています。 納得できる麻雀のために、心血を注ぐことのできるひとを、募集してます。 自分が打てる、とかそういう些末なことではなく、 「掛け値なしの温度のある麻雀が打ちたい」のです。 「楽しい麻雀」も良いですが、自分はやはりぎりぎりの麻雀が打ちたい。 ・符計算が淀みなくできること。 ・ゲームの進行が淀みなくできること。 ・場の状況の精査ができること。 ・他人の見解をよく見て聞き、自分の打牌理由を説明できるひと。 甘い牌や言い訳だらけの打牌は必要ありません。 自身の全てを賭けた麻雀を打って下さる方と、麻雀が打ちたい、です。 そのひとの麻雀の全てと戦ってみたいです。 ツイッターでのダイレクトメールをお待ちしております。

  • まだ、17ゲームも。

     麻雀は、可能性の塊だ。 そして、自分を映し出す鏡、でもある。 配牌を受け取って、 「ああ、これは、ダメだ。振らないようにしよう。」 と思うのか、 「よし、この配牌でどこまで頑張れるか、挑戦しよう。」 と思うのかでは、その未来は全然違う。 極端なハナシ、14枚有効牌を引けば、 どんな手役にだって変化するわけだから。  手を抜かずに、できることをやる。 楽をしてはダメなんだ。 :::::::::::::::::::::::::::::::  もうずいぶんと昔のこと。  そのパチスロ台のデータの数字は144. お金がなくて、お金が必要な我々がスルーするべき台だ、と思った。  遊びでパチスロを打てる人間が、うらやましい。 もし、連続演出が終わっていたなら、 天国ゾーンは、残り17ゲームしかない。 たった17ゲームしかない、のに、残り49ゲームを 回して200..

  • 上級者募集!

    よい麻雀を打つ人間。 よい麻雀を打てる人間、というのは、姿勢が違う。 みな、自分で考えて、自分でどんどん強くなってゆく。 謙虚で、素直で、誠実だ。 「そういうひとが育つこと」を待っている時間が、もう、自分にはない。 自分なりに、必死で頑張ったけれど、届かなかった。 自分の持っている力や、温度では、そういう環境を作り上げるには 時間があまりにも足りなかった。ということ。 そして、そういうひとを探しにゆく力ももう、残っていない。 同卓者を傷つけないために、飲み込んだすべての言葉が、 これまでの麻雀と自分の時間を「嘘色」に染める。 いいことばかりではなかったし、 嫌なことばかり、でもなかった。 でも、巡り巡って現在通関することは、、そう。 物足りない。 自分の自己満足のために、最後に震えるような高次な麻雀が..

  • 赤アリ麻雀最強の役

    オーラスに点棒を持っていればよい。 そういう感覚で打つ。 とにかく相手の嫌がることを、すればよい。 全局参加で、前に出て、 それでいて、致命傷は負わないことだ。 麻雀はいつも自分が和了できるとは限らない。 ただ、自分が和了できれば、他家は和了できない。 なので、将来相手が必要になる牌は序盤に叩き切る。 特に字牌のドラなんて重ならなければ何の価値もない。 重なることで、和了に制限を受けるドラならば、要らない。 赤が5の環帯であれば、チャンタはもはや都市伝説だ。 3から7の数の危険度があがる。 ドラ表示牌など、キーになる牌をぼっこぼっこに切り出す。 手牌をスリムに構えて 全ての赤を吸収できる「赤あり麻雀最強の役」 タンヤオにむかう。 タンヤオに向かう上で、将来溢れるであろう牌は とにか..

  • スピードに価値を

    「捌き」という言葉を使う。 使うのだけれど、自分にはいまひとつよくわかっていない。 個人的な所感です。 役は、和了するためのガイドライン。 役を見落とさないことで、和了に間に合う。 どのように和了するか?の内容が大切で、 打点は、「おまけでついてくるもの」そんな感覚だ。 「役をガイドラインだ」と思うことで、 速い手は、安い。 遅い手は、高い。 この概念が、その限りではなくなる。 ①場の状況を判断して。 現在がどういう天気で、他家は何を考えているか?など精査をして。 ②配牌の最短ルートを考えて ③手役の可能性をそれに重ねてゆく。 その結果、他家よりはやく和了して、他家の和了を阻止できたなら 捌けた、となる。 配牌からの最短ルートに手役が絡まなければ、1000点とかになることもある。 手..

  • 力強い振り込みを

    ひとと同じことをやっていても、安心できない。 むしろ、「ひとと同じ」だと、不安になる。 ひとと同じことをしない「おれってスゲー」ではなく、 他人の判断を信じることが、不安なのだ。 「ひとと同じ」ことをやらなくてすむように、 「ひとがどうしているのか?」を知り、 「自分がどうするのか?」を決めたい。 場を支配するためには、他家を思考を「精緻に読み取る」ことが必要だ。 精緻に読み取れなくても、毎局それを重ねるだけで、見える景色は変わってくる。 例えば、親リーチやドラポンは怖い。嫌なこと。 果たしてそうだろうか? 親リーがかかれば、ドラポンが入ればみなが「振らないように打つ」だろう。 であれば、その河に照準を合わせて手を組めば、和了は容易だ。 リーチには、振り込んではいけない。 これも、どうだろうか? リー..

  • ハダカ単騎の気持ち

    これと、これは、仕掛けよう。 とか、あんまり考えたことがない。 考えるより先に、体が反応をしてしまう。 体が反応するってことは、7万回近い対局(東風戦、西風荘サンマ含む。) の記憶がきっと導いてくれているからで、逆らうことはない。 88m56s ポン南南南 ポン888p ポン999p 56sのタテの引きで、トイトイホーの7700点を考えていた。 最後は、8mを取る、そういう感覚だ。 なのに先に8mが河に打たれた。 「ぽん!」勝手に声が出た。 まあよい、どのみち仕掛ける牌なのだから。 これをスルーして再び8mで和了することは、困難だ。 7700点確定の仕掛け。 ドラの3mをツモ切る。 場に一枚切れている西単騎に受ける。 7700を12000にするより、 何が当たるかわからないその不自由さを、同..

  • ぼくの卒業論文

    「書き直してきなさい」 重い言葉が響く。 教授の何とも言えない残念そうな表情。 故郷「北九州市の都市計画」をテーマに、パンフレットを切り抜き 貼り合わせた「駄文」が、強烈なボツをくらう。 卒論の口述試験の1週間前、 わたしは、卒論を全て書き直すために 予想外な展開、神奈川から九州へ新幹線にゆられていた。 やばい、これはやばい。卒業がやばい。 PCなんて持っていない。 800字詰め原稿用紙。60枚。 もう、無理だろ。 留年すると、およそ、400万円くらいの損失。 終わった。・・・ 終わった、よな、これ・・・。 どうせだめなら、気も楽だ。 でも、やれるところまで、やろう、と とりあえず原稿を組みなおす。 2日かけて資料を集めて、隅から書き直そうとしていると、 帰省していることを..

  • 同卓拒否

    金曜日だから、いっちょまえに上品なカフィで食事を終えて、20時30分。 青信号に歓迎されながら、2速全開で、道場へ向かう。 師匠と打てるかな? 今日は、だれがいるのかな? 今日は、何を学べるのかな? わくわくが加速する。 道場の前に、クルマを番長停めをして、 110円で缶コーヒーを買い、ドアを開ける。 師匠は、すでに卓入りしていて、待ち人がひとり、 手役の説明を受けている様子、ピンフの説明を受けている。 どう見ても、初心者のようだ。 「あなた、この方と同卓してもらえんじゃろうか?」 師匠がわたしにいう。 背後で、ご近所迷惑なターボータイマーが切れる音がする。 レベルの高い麻雀が打てると思って、全力で駆け付けた。 なのに、なぜ、手役すら自分で覚えてこない人間と同卓しなければならない? 冗談ではない..

  • ノータイムなオールラスト

    オーラス その局の最終局。 ここをしっかり打つことで、その半荘は意味を持つ。 配牌をもらう前から、このオーラスは押し切るつもりでいる。 守って延命して、怯えながら結果、朽ち果てるより、 恐怖をちゃんと受け止めて、なお前に出て戦って死ぬ。 戦う、といっても、攻めるだけではなくて、 守る、ことが戦うことに繋がることだってある。 牌に訊ねながら、戦う。 自分は「打牌の比較優劣」と同じくらいこの「牌との共闘感覚」を大切にしている。 余計な経験則かもしれないが、それで結果がでている以上、 それも、自分にとっては、「麻雀」だ。 そして、対局のあとの所感がなによりも大切。 数字としても「結果」ではなく、ちゃんとできていたか、どうか?の所感。 ラス目の親番から、リーチ棒がでて、 2600のロン和了で、..

  • 追いつけそうな感覚。

    観戦されると、うまぶってしまう。 ちゃんと見てくれているか、どうか、は雰囲気でわかる。 少しでも、麻雀の素晴らしさを伝えたい。 ドラがなくても、形と色で、打点を作る。 そういう麻雀の可能性を伝えたい。 役なしの手組から、倍満がみえる手組へ丁寧にワタリを組む。 奇跡のような牌の動きにこっそり感動しながら、 それでも和了へはたどり着くことができず、 結果としては、自己満足の麻雀を重ねてしまった、のでは、と反省をする。 これを言ってしまうと、元も子のないのだが、 不利な点棒状況に合わせて、の「打点作り」ではなく そもそも不利な点棒状況を作らない努力のほうが大切だ。 1000点を高打点にするために、和了できずに、 ますます高打点が必要となる。 打点は、やるべきことをなすときに、見落としてはいけないもので、 手..

  • ダブリーの選択

    ダブリーの確率は0.1パーセント なかなかに起こり得ない大チャンス。 南1局 南家 東家225 南家220 西家335 北家218 第1ツモが7s 12234558m567s発発 2役確定は美味しい。 ほろりと発が拾えそうだし。 :::::::::: このリーチを受けていた私は、発にアヤを感じていた。 東1局、発のトイツは、全く仕事をしなかった。 そのあとの局でも、違和感しかない。 発はもちもちだったり、 肝心なときに、ドラ表示牌に顔を出したり、 「注意をしないといけない牌」という感覚。 もちろん、根拠はない。 「そう感じる」だけだ。 だけど、「そう感じる」って、そんなに悪いことかな。 これは私見です。 理屈にかなうことは、理屈にかなわなければ価値がないけれど、 「..

  • 正しさの先にあるもの。

    謎の疲労困憊で、ポーカーテーブルから離れて、 意識を取り戻したときには、時間が流れ過ぎていて ラストスリーハンドだった。 物足りない気持ちでいるなか、少しだけ麻雀を打とう、というハナシになった。 勉強会の様相、質問あり、で「誰かの終電」まですすめる。 ::::::::::::: 王道より、覇道がよい。 「正しさ」に安心を求めず、既成の概念を破壊して、自分なりの価値感で再構築する。 「正しさ」を知っているからこそ、かなう「挑戦」。 それことが、「正しさ」の正しい使い方だ。 それを、私は「努力」と呼びたい。 当該ブログについて、打牌についての批判、意見は、個別対応いたしますので、 コメント欄やツイッターにいただければと思います。 この終電サドンデスの勉強会は、 自分がこれまで「正しい」とおもっていたことを、..

  • 言い訳っぽい差し込み打牌?

    オーラス 東家 41,600点(みー) 南家 6,600点(ムスカ) 西家 19,100点(わたくし) 北家 32,700点(もりりん) 倍満ツモ条件で、自分はトップに届く。 赤ナシ。 現在ラス目のムスカ氏にハネマンをツモられたなら 現在3着目の自分はラス目に降着してしまう。 3連勝がかかっているトップ目親番と2着目は、マンガン差。 自身の本日のトータル成績を鑑みつつ、連勝は阻止したい。 自分のこの局面での目的は。 ①自分が倍満をツモってトップを取ること。 ②ラス目のムスカにまくられないこと。 ③少しでも加点したい、失点を防ぎたい。 ④トップ目の連勝を防ぎたい。 この順序。 ドラは西。 仕掛けることのできる1mを2枚見送り、 結果として、8pも2枚見送っての絶望と希望がわずかの..

  • 間に合わないジュンチャン。

    一発や、裏ドラ。 こういう懸賞役は、基本自分の麻雀の中では、「おまけ」だ。 麻雀は、色と形と数を大切にするゲーム。 一発や裏ドラなど、偶然な懸賞に惑わされぬよう「麻雀の本質」に寄り添いたい。 テンパイはえらい。 和了抽選を受けることができる地点で、イーシャンテンとは天と地の差がある。 最強のテンパイを目指しているからこそ、最強のイーシャンテンを目指すのだ。 ドラは、8m 789m 789sが配牌から、「こんにちは」していたので、ジュンチャンへ 1m789m111239p789s 9巡目 78p引いて! お願い。 ツモ倍満しかみえない13枚。 ここで、思うことは「1pが出ないでほしい」、ということだ。 1pがでてしまうと、仕掛けてテンパイを取らないは緩手。 リーチがささった。 なおのことだ。 おれ..

  • 「焼うどん」と錯誤行為

    打ちたいひとと、打てる幸せ。 麻雀は、4人揃わないとだめ。 今回は、タイミングが合わず、みなさんと麻雀を打つことはできないなあ、 そう思いながらよろよろと、道場を後にする。 「旧交を温めるため」酔いを求めてネオンへ消える。 不思議な夜だ。無性に、「焼うどん」が食べたい。 「焼うどん」なんて、好きだったことないのに。 適当な暖簾をくぐる。 串を数本と、ビール、焼うどん。 焼き鳥は、暖かいけれど、冷たく。 焼うどんもコンビニのほうが美味しいレベル。 何もかも冷たくて、さらに熱を奪われる。 郷愁の哀愁は、いつも「どこかへ還りたい。」 少し身がちぎれたような寂しさを、「思い出」で「パテ埋め」する。 80年代。魂の高揚する喧噪。 夢を夢見ることができる夢のような時間を、令和の世に重ね、 現在、この瞬間から..

  • 史上最大の反撃!(間に合え! ぼくの8ワン!)

    「マスター何を召し上がります?」 対局のあと、西風荘のマスターと「資さんうどん」へゆく。 「かけうどん」 すでに、かしわの細麺、ゴボテン肉のせ、きつねのせ、を 注文していた自分はおしりの座りが悪い。 「必要なときに、必要なだけでよい」が信条のマスターは、無駄がない。 間に合っているし、間に合わせる感覚が長けていて、修正も効く。 「ハネマン必要な時に、ハネマンを作る、それが自分の麻雀」そう言っていた。 やはり、日頃が大事。 日頃から、「間に合う感覚」を。 そのためには、スリムな意識が必要だ。 ::::::::::::: オーラストップ目から、親番のトイトイ仕掛けに対応する。 ③⑤⑥⑥ タンヤオでの捌き対応。 このあと、①を持ってきて、②ツモ! 超錯誤行為である。 ヒューマンエラーで、トップ目..

  • 間に合うための準備

    麻雀は、間に合うためのゲームだ。 この「間に合う感覚」はとても大事。 間に合わなければ、戦うこともままならない。 間に合うために配牌を受けた時から、攻守を整える。 全体の捨て牌を軸に、自分の手牌を合わせてゆく。 攻めのエリア。守備のエリア。これらの選定。 攻守に長けたエリアが最終的な受けとなるように。 矛盾しないように、丁寧に組んでゆく。 間に合っていないものを、無理に間に合わせようとして 万が一間に合ったとしても、それでは、未来がない。 間に合っていないときには、間に合わせるように「修正する」努力を重ねたい。 ノータイムで打てないときには、だいたい間に合っていない。 うわあ、危険牌。切りたくないなあ、とおもってるときは、だいたい間に合っていない。 「いい感じ」→間に合っている。 「やな感じ」→間に合ってい..

  • 感性の麻雀

    席替えで 好きなひとのとなりの席になる。 学校に行くことが楽しくなる。 尊敬できる上司のもとに配属された。 会社に行くことだって楽しくなる。 大切なのは、「誰と」だ。 麻雀も、「誰と」が一番大切。 もっと、「いろいろな打てるひとと、麻雀が打ちたい」そう思い 「プロテスト」を受けようとした私に、師匠は 「あなたがよい麻雀を打ち続けていたなら、あなたの周りには あなたと同じ気持ちの人が必ず集まってくれる。」 肩書など必要ない。 打てるひとの中に飛び込むのではなく、 巡り合った人を大切によい麻雀を打ちなさい。」と。 それを、ずっとずっと心がけている。 どんな相手でも、どんなルールでも、 打たせてもらえるだけで、それが一生懸命打つ理由になる。 同卓者へのリスペクトがないひととは、そもそも麻雀を打つことに..

  • つまんない。でも。

    「おもしろきこともなき世を面白く すみなしものは心なりけり」 気の持ちようで、楽しくもなるし、不愉快にもなる。 だから、楽しい気持ちでいるように頑張ったほうが良い。 これは、大嘘だ。オオウソ。 楽しい気持ちでいるために、嫌なものを好きでいようとしたり、 我慢をしていると、とんでもないしっぺ返しをくらう。 リアリティーのない鈍色の世界に感性が沈んでしまう。 つまんない、は、つまんない、でよい。 つまんないからこそ、生まれる喜びこそが、本物だ。 つまんないからこそ、おろそかにしないことだ。 おろそかにするなら、もう、かかわらないことだ。 :::::::::::::: 「麻雀は、もうやりつくした感があって、おなかいっぱいですね。」 そんな会話をぼんやり受け取りながら、 麻雀は、打てば打つほど作業になるわけだから、..

  • 大三元

    役満も他の手役と同じように、 狙うものではなく見逃してはいけないものだ。 13枚役に大三元という9枚役を複合させてゆくイメージ。 大三元に始まり、大三元に終わる、そんな一年かな、と思ったけれど 結局、和了できなかった。 東2局北家 ドラ4s 1s188p1137m発発中中 に、最後の1枚が白。 トイツが4つありなおかつそのうちの2つが約牌なので、トイトイを見る。 1s188p1137m白発発中中 南家が発を切る。 ポン 打1s 188p1137m白発発 ポン中中中 南家が中を切る。 ポン 打1p 88p1137m白 ポン発発発 ポン中中中 白がくる。打7m マンズのホンイツよりも、形、トイトイを見る。 88p113m白白 ポン発発発 ポン中中中 ツモ1sツモ切り。 ツモ白打3m 88p11m白白白 ポン発発発 ポン中中中 もうできてしま..

  • 修正するちから

    「勉強」とは、「強いて勉める。」ことだ。 決して「楽」ではないけれど、氷解して 「知的好奇心」が満たされる瞬間の「感動」は何物にも代えがたい。 すべての事象に対して等しく「疑問」を持ち、「答え」を探す。 その真摯な姿こそ、尊い。 ::::::: 午前中は、雀鬼会ルールで打つ。 そのスピードを体が思い出してきた午後の通常対局。 南2局 ドラ5p 上家親番が仕掛ける。 ノータイムで両面を仕掛けたことから、 おそらくドラを2枚は持っていると思われる。 6m手出し、7m ツモ切り。 そのあと、手出しされた3pに、止まってしまい 思わずチーの声をかける。 自分の手牌は 234m2468p567s チー342s しかも8pはすでに切っておりフリテン。 ピンズ2468pをどう処理するか、が命題。..

  • トリプル

    ダブルチーズバーガーが高いのではない。 チーズバーガーが安いのだ。 トリプルチーズバーガーなんて、もっとお得。 ::::::::::::: 南場。南家。 捌いてばかり。 ほとんどの手組を捌くことに使っているので いくら和了しても得点としての価値は低く、点棒は増えてはいかない。 17000点の3着、ドラは3m。 打点が欲しいので、ホンイツへ。 持ってきた中を加カンしたなら、嶺上牌に白が現れドラがもろ乗りをした。 ドラ3mと中 1223334577m ポン中中中中 14m待ちのホンイツ中ドラ7.倍満だ。 指は10本折れている。 ドラがなければ、3900点の手組が、16000点。 三倍満は10本必要。 もう一役欲しい。 ハネマンと、倍満との差は4000点。 けれど、倍満と三倍満との..

  • 感性の麻雀。数の偏り

    サイコロを6回振って、均等に1から6が出るわけではない。 必ず、偏りが出る。 麻雀は色と形と数のゲーム。 偏りがでない、と考えるほうが不自然だ、と思う。 ::::: 東1局、上家は7p。下家は47p待ち。 4477p678s ポン999pポン555p 歪な形式テンパイを取った後、47の数が死んだ。 そのあと、ペン3ワンでドラ3を和了して、完全に369が強い数になった。 これは、「そう感じている」だけで、やり過ぎてはいけない。 選択肢として、369が和了しやすいことに、何の根拠も存在しないのだから。 ただその偏りを感じている以上、可能な限り寄せてゆく。 下家のリーチを受けて 555678m2344678s このテンパイ。リーチを打たずに、49m569s引きを待つ。 369に数を寄せることで、打点が伴っ..

  • 勉強会④待ちを読む。

    遠い昔、「近代麻雀」は、われわれのバイブルだった。 立ち読みはしなかった。 お金を出して買い、いつも車の後部座席に置いていた。 はみ出しの何切る?符計算。 「近代麻雀」は、教科書のようなものだ。 其の紙面。飯田正人のコラム。 「愚形リーチでも、待ちを読めないひとには、 国士無双13面待ちより、多面待ちとなる。」 というような文言があった。 これを読んで、ああ、危険でもない牌でおろされることだけは、 ほんとうに、ほんとうに、いやだなあ、と思った。 麻雀は、「待ちを読む」ゲームではない。 「局面」を読むゲームだ。 相手の思考、点棒状況。手組。 「局面を読む」そのことの枝葉が「待ちを読む」ことだ、と思う。 自分は、待ちは読まない、というか、読めない。 ただ、相手の手牌構成だけは、イメージしている。 ..

  • 感性の麻雀。勉強会③階段を踏み外さない

    自分の信じるところとしての「麻雀」は、ある程度完成している、と思っている。 理由は、ちゃんと結果がでているから。そんな薄氷のうえのもの。 それは、本当に価値ある内容の対局の結果なのか? 「必要な作業に緩急をつけているだけの麻雀」の結果のスコアがよかっただけ、ではないのか? 重ねた時間によって「固くなった感性」のせいで、そう思っているのかもしれない。 勉強会では、そこの部分の精査も目的だ。 思考が、固くならないように、感性に水を。 勉強会、だからといって、平素と違うことをやってはいけない。 ただ、自分の思う平素ということが、他の人の平素とは異なっていることが問題。 麻雀は、「基本的な事柄」が大切。ここでいう自分のおもうところの「基本的な事柄」とは 合理的な判断の実践。リスクとリターンが見合っているか、どうか? 自分は、そのくら..

  • うまく打ててないとき。「流れ」の正体。

    うまく、打ててない、と感じるとき。 その様子を言葉に置き換えるのであれば、 それは、「流れ」がよくない、となる。 麻雀は、「変化」のゲーム。 過去の変化、を感じて、未来への変化として繋いてゆく。 「変化」を楽しむゲームだ。 「流れ」とは、この「変化の様子」の抽象的な表現だ、と自分は思っている。 例えば、配牌から、全然「変化」していない。 であれば、どうするか? 「ツモが効いてない。」状態。 仕掛けてみたり、仕掛けさせてみたり、 また、牌を止めて他家の動きを封じてみたり (本来起こるであろう変化を、変化させないという変化) 「牌をツモり、手牌の13枚の形が変化する」そのこと以外の変化を仕掛ける。 動かす、変化させる、という意識で、場を捉えて 仕事をさがしてゆくイメージだ。 変化が少ないなら、変化を..

  • 11つ目の対子

      1発と裏のないルール。 チートイツはばつぐんの破壊力を持つ。 チートイにむかうつもりはなかったのに 中盤にチートイツのテンパイになった。 なんだか、へんてこな六ワン単騎。 場に強いのか、弱いのか、よくわからない そんな六ワン単騎。 ほどよい字牌でしかリーチを打てないチキンな自分は ひたすら振り替わる牌を待ち続ける。  ツモ西! は、2巡目に切ってる・・ だめだめ ツモ東! これも、4巡目に切ってる・・ だめじゃん! 八ワン・・ これもフリテン・・ ツモ④ これもフリテン。。 もう、いっそのこと六ワン待ちでいいんじゃね? 親だし・・ よし、次のツモで振り替わらなくても 六ワン待ちでリーチを敢行するよ! とか思っていたなら、 あっさり六ワンツモりました。 1600オール。 結局、11トイツ。 11組ものトイツが私の手牌の上を 通り過ぎ..

  • 本当の場の状況判断

    毎日、その教室で「麻雀の勉強」ができる、と思っていた。 そんな日が永遠に続き、日々「深く麻雀」を知ることができると。 粉雪が舞う季節。 サンタクロースの気配がする。 緑と白、赤に彩られた街を駆け抜け、教室のドアを開ける。 時刻は21時30分 その教室は、23時には、終了する。 そのことは我々もよく理解をして、わかっている。 その夜は、勉強会対局と称して、時間制限なしの対局。 卓につくことができた私は、観戦者を後ろに、 全身全霊をかけて牌に魂を刻む。 他家の親番を捌くことができずに、時間がかかりすぎている南2局。 わたしの親番。 わたしにとってはクライマックスだ。 時刻は、23時30分。 親番で連荘を重ねている私に、後ろからひろりん先生の声がする。 「その、局で終わりにしなさい。」 「教室に..

  • 緑一色

    現在、思い出そうとすると、その光景はセピア色に染まっている。 何の気もない日常が、それでもとても尊く思い出されるのは、 年をとった、ということなのだろうか?   ::::::::::::::::::::::::::::: となりの卓から、怒鳴り声が聞こえた。 「ふざけんな、何が32,000点じゃい!」 酒が脳天まで廻っている様子のおっさんが、怒号をあげる。 酒のせいなのか、その頭頂の平野が真っ赤に燃えている。 まるで、おべんとうに入っているウインナーのたこさん、のような感じ。  「緑一色じゃ。おまえ、リューも知らんと、麻雀打ちよったとかいな?」  和了したほうのもやしのような風貌のおっさんは、淡々と続ける。 緑一色を、リュー、と呼ぶあたり、かっこいい。  本当は仲がいいのだろう、 ほかのジャガイモとはんぺんのようなおっさんも にこにこして、見守っている。  その..

  • 究極の国士無双

    満月が歓楽街の外れにある、屋台を優しく照らす。 「なあ、国士無双ってあるだろ?」 くたびれきったサラリーマンがおもむろに口にする。 「ああ、麻雀の役だな。」 となりでカップ酒を齧っていた男が、所作なく返す。 「その国に並ぶ者などいない強者という意味らしいけど、麻雀の役だと少し意味が違うんだ。」 と、続けるサラリーマン。  麻雀でいう、国士無双っていうのは、弱者に残された最後の希望なんだよ。 使いものにならない19字牌。 このてんでバラバラのクズ牌を13枚集めると、最強の役になる。 どうしょうもなくツキに見放された人間への最後の救いの役なんだ。 なんだか、ロマンチックだと思わないか? 最低最悪の不遇な逆境を、最高なチャンスに変えることができる。」 サラリーマンは、誰に伝えたいという風でもなく、小さな声でつぶやいた。 「麻雀っていうのは、人生そのものなのか。諦めなければチ..

  • 超面前派

    仕掛ける理由は、間に合ってないから。 先んじることができれば、対応する、のではなく 対応してもらう、ことができる。 風下に回らないことが一番大切だと、体に染みついている。 初参加の方。 とても、よい麻雀を打ってくださる。 その麻雀を観たい、ということと、 あまりピーキーな真似をして、 「なんなの、このひと?」と思われたくない、という理由から重めに組む。 麻雀は4人で打っているわけだから。 東場は、観察をして、南場の親を起点にして1回の攻撃まくりを考える。 仕掛ける牌をスルーして、形を整え 前に出ないで、しっかりと受ける。 56m4678p67789s北北 この13枚の時に先制リーチ。 縦重なりのありそうな、最終手出し、マンズのタンピン系のリーチだ。 3mを引いて、ツモ切りを考えるけれど、 ここは、マジョリティにしたがって、北を切る。 場に一枚もでてい..

  • ひより。

    攻撃こそは、最大の防御。 けれど、それは攻撃を加えることで、相手を戦いの土俵からおろすことが可能な時だけだ。 おりない向かってくる相手は、やっかいだ。 大切なのは、戦う姿勢。 臆病で心配性な自分は、たくさんの戦いの経験のなかで、 「戦わないとたいへんなことになる」ということを知っている。 なので、こわいけれど、前に出る。 そのおかげで、今日まで生き残ることができた。 それは、私生活においても同じことだ。 けれど、時を重ねると臆病になる。 賢明という言葉で自分をごまかしながら 「戦わなくてすむ理由」をさがし始めている。 それは、卑怯者のすることだ。 幼いころから、父親に「卑怯者になるな」と育てられてきた。 それは、私が卑怯者で、父もまた卑怯者だったからだろう。 でもそのおかげで、ずるいことをすると、気持..

  • アヤを感じる牌と、四暗刻

    勉強会と実戦は繋がっていなければ、意味がない。 ただ、勉強会のときは、よりたくさんの選択肢を持てるようになるために 「できるだけ、同卓者の勉強になるように」 という気持ちが根底にあるものだから、どうしても、弛緩してしまっている。 大切なのは、現在何をするべきか?だ。 ここでいう、現在とは、もちろん「過去の総括」と「未来予測」の点である。 36000点持ちの、東3局。 配牌から、ホンイツの手牌が入る。 上家にマンズは安くなく、場に対するマンズの割合は、20%くらい。 (個人的な所感としてのマンズ占有度です。) すこし、高いかな、というイメージ。 配牌 12455678m29s中中北 6巡目まで、ほとんど動かない。 最後に8mをツモって以下のかたち。 12245566788中中 7巡目 上家から3m..

  • 実戦と勉強会

    人間には、第6感というものが、あるらしい。 自分は、こういう事柄を結構意識している。 「予感」 でも、それにはちゃんと理由がある、と思っている。 例えば、ここはカンチャンに受けたなら和了しそうだ、とか、 そういう感覚は、実は刷り込まれた「過去の自分の経験によるもの」であることが多い。 また、勉強会と実戦はイコールとはなりえない。 「一生懸命打つこと」と、「必死で打つこと」は、やはり違う。 今回の対局では、それを痛感する。 勉強会では、動画をとっているので、容易にその対局を振り返ることができる。 なので、一生懸命に打つ。その時の気持ちまでも、ちゃんと振り返ることができるように。 そうできているつもりだった。 勉強会も実戦も同じ品質で打てていると。 「観戦させていただいてもいいですか?」 背後に人を背負う。 ..

  • 勉強会③手を抜かないこと

    楽をすることには、意味がない。 楽を覚えると、工夫や努力を置き去りにしてしまう恐れがある。 けれど、工夫や努力をしない頑張りは、もっと意味がない。 (それは、努力とは呼べない、と思う。) たくさん考えることを、薦めている私だけど、 それは、たくさんの選択肢のなかから、 瞬間で「最良の解」を導き出すための積み重ねに過ぎない。 局の目的は、他家の1打1打で大きく変化する。 その局面にあわせて、工夫や努力をすることが必要。 やるべき適切な仕事を見つけることが必要。 そして、効果の高い仕事の方法を選択することが必要。 場を見て、場の状況を判断して、自分にとって一番価値のある仕事を選択する。 この仕事の選択こそ、そのひとの価値だ。 そのひとが、一番やりたいことを仕事にするべきだ。 ::::::: 仕事終..

  • 相克のとき。

    ずいぶん 長い旅を続けてきた気がする。 「麻雀」から離れる機会は何度もあった。 他に自分にどんな興味のあることが重なっても、「麻雀」だけは いつも、片時も離れず私のそばにいた。 「全てを映し出す鏡。」 「絶対に自分を裏切らない存在。」 頑張ったら、頑張った分だけ、必ず前に進める。 麻雀との旅。 それはずいぶんと長い旅で、なんだか、予想以上に遠くへ来てしまった。 :::::::::::::::::::::: 道場へ足を運びだして、2日目。 私の後ろには、師匠が、どかっ!と座っている。 フリーでは、「音速で仕掛ける嫌がらせ」を信条としていた私は、 その麻雀を過信していた。 簡単にいうならば、思い上がっていた、のだ。 師匠に「自分が打てるところ」を見て欲しくて 初巡から、両面ターツを仕掛けて1000点..

  • らくえん

    らくえん。 客層の職種はさておき、上品な兄弟が経営していることもあり、 常連はみな、感じがよかった。 平素は粗暴であっても、この店での対局においては、みな紳士でいる。 上品に振舞おうと意識している。 :::::::::::::::::::::: 白い「いかついグロリア」は、毎晩22時頃に現れる。 ダブルのスーツを着た、見るからに、のフォルム。 スキンヘッドのおにいさんは、その風貌にあわず 驚くくらいに、とにかく腰が低い。いつもにこにこ。 麻雀を覚えたばかりらしく、他の客の麻雀談義にも、興味深そうに頷いている。 誰かが、役満をあがれば、「すごですねえ」と目をキラキラさせている。 と、ある、そのおにいさんとの対局中。 おにいさんのケータイが振動する。 その画面をみて、いぶかしがりながら、 「すいません..

  • 雨の夜

    当時の記事を、探したけれど見つからなかった。 記憶も蒙昧で、カンチャンを一点で読まれていたこと、と 異様な威圧感は、峻烈に記憶に焼き付いている。 全て、書きなおしになり、なおかつ過去記事との齟齬があることを、 申訳なく思いながら自分が麻雀に傾倒していくきっかけを、掲載してゆきたい。 :::::::::::::::::::::::::::::: 自分の麻雀の力でも「勝てる店」を選定していた。 麻雀で勝つために、一番大切なことは、「自分より拙い相手と打つこと」だ。 そして、同卓拒否をされないこと。 その為には、この人は、強いと思われては損だ。 店のメンバーあたりから、辛く打たれてしまう。 勝てばよい。勝つことだけを目的として他人の嫌がることを最優先する。 自分のいらない牌は切りまくるけれど、絶対にふりこまない。..

  • 牌の気持ち、自分の気持ち。

    本物以外は欲しくない。 少ない対局回数のなかで探求の旅は続く。 自分の麻雀のせいで、「自分の麻雀を見てくれているひとの麻雀」がおかしくなってゆく。 手牌のみを信じて、被弾するもの。 遠くて高くて、危険な手組をするもの。 「場の状況」→「安全エリアの確認」→「守備」→「手牌の可能性」=たくさんの選択肢。 この順序で、しっかりと重ねてきたひとを除いて。 みな、リスクを抱え過ぎた一か八かの麻雀を打っている気がする。 そのひとにとって、矛盾のない打牌であれば、問題はないはずだ。 けれど、そうおもうことが、自分の思い上がりなのかも知れない、とふと、思った。 卓に落ちる情報を精査しつつも、色、形、数、を執拗に意識する 手牌のことを、一番最後に考えることが、一番たくさんの選択肢を持つことができる、これを信じる。 そういう自分の麻雀は..

  • スタープラチナ ザ ワールド

    DIO様にあこがれ続けているその男ターミヤは、その「時をとめる」能力を習得した。 ::::::: これは、私見です。 麻雀での実戦では、本来「逡巡なし」全員ノータイムで打つべき。 「迷った牌である」という情報を卓外に落とすことは、そのままゲーム性への破壊に繋がる。 「逡巡することは、同卓者への甘え」に他ならない。 厳しいようだけれど、麻雀においては、打牌の所作も所要時間も均一でなければ、意味がない。 では自分は「逡巡のない対局」ができているのか、と言われたなら 本当に情けない話だけれど、「まだ、まだ。」である。それくらい難しいのだ。 もちろん、勉強会のように「しっかり考えること」を目的とした対局は、例外だが。 ::::::::::: その対局中、DIO様に憧れているその青年は、ザ ワールドを連発。 周囲の迷惑を考えることなど考えることなく、時を止..

  • 瞬激の食い仕掛け

    その次巡、中が重なる。 五六七⑤⑥556南南南発中中 ああ、5ソウを切るのかな? と思っていたなら、ここから、発を切った。 ?なぜ?とめてたんじゃないの? この発を ひたすら待ち焦がれていた、といわんばかりに トイメンが少し驚きを交えながら鳴く。 ポン!  誰だってこの局は和了したい。 ここ局さえ制することができれば・・・誰もがそう思っているはずだ。  全員が最短距離で和了に向かうその緊迫した空気のなか、 ますたぴょんは、リャンシャンテンから中を重ねて 大外から一気に和了に向かう。  違った。 全然思っていたことと違った。 ますたぴょんは和了をあきらめてなどいなかった。 ぎりぎりの本当のぎりぎりまで我慢していただけなんだ。 自分の麻雀を信じて。 自分の麻雀の歴史を信じて。 自分の麻雀への想いを信じて。   五六七⑤⑥556南南南中中 ここから、上家..

  • 字牌を抑える

    ますたぴょんの対局は続く。 :::::::::::::::  生活に支障のない麻雀。 安全圏での痛みのない麻雀。  自分の麻雀への情熱は、いつしかどこかにきっと霧散してしまっていて 今はその残滓にすがり付いているだけだ。   ますたぴょんと離れてから10年、 もし、私も自分の麻雀をちゃんと磨いていれば 違う現在があったのだろうか? そう考えていると、七ワンが入った。  五六七⑤⑥5568南南南発中 ここから、発や中を切るのであれば、イーシャンテンだ。  だけど、ますたぴょんは、平然と8ソウを抜く。 五六七⑤⑥556南南南発中  発や中を切らずにどうやって和了するつもりなんだ。 字牌とか止めているのは、ますたぴょんだけだ。 みんなが、止めない牌を自分だけ止めてどうするの? 場に合わせて、少しくらい自分の麻雀を譲ってはどうなんだ! とまで、思う。 自分が勝..

  • 大局観。感性という誤謬。勉強会②

    昔から、自分の家には、たくさんのひとがいた。 めちゃめちゃ仲がよい「いとこ」たち。 週末は同級生がたくさん泊まりに来ていた。 おふくろの懐が半端なく広かったこともあり、いつも楽しい笑い声のする家だった。 ただ、数少ない礼儀を知らない者には、厳しかった。 1月1日、行き場のない友人Yが遊びに来ていた。 部屋にあげて、戦国麻雀で遊ぶ。 こん棒で竜王を倒しにゆく。 この正月、自分の家にはPCエンジンがいらっしゃっていた。 私の正月1月1日の家族との時間は、Yとの時間で終わった。 1月2日、友人が帰ったあと、おふくろが、少し困った顔をしている。 「ゆうさん、1月1日くらい、自分の家で過ごすようにYちゃんに、言ってあげなさい。」 おふくろが、嫌がってることがわかった。 やっとわかった。 おふくろが、嫌がることは自分も..

  • 感性という誤謬「勉強会①」

    パスタを食べ、少しお話をして、20時。 海沿いの国道を回り、2速全開で道場へ向かう。 そろそろ先生たちも集まっているころだ。 席は4つ。 打てなくても構わない。 いや、むしろ観戦のほうが勉強になる。 半荘一回だけだけれど、圧倒的な濃度。 メモ禁止だったので、記憶するしかない。 対局を何度も何度も反芻する。 勉強会のあと、車中でずっとその対局のことを論議する。 帰宅後も、ずっとその対局を振り返る。 翌日、昼休みの時間に、当時は通話料金の高い「携帯電話」を使い先生に質問をする。 まさに夢中だった。 麻雀にいのちを賭けていた。 半荘1回にかける時間は、3時間。 それでも全然足りない。 日々、わからなかったことが、明らかになってゆくことが嬉しかった。 ::::::::::::::::::: ..

  • 瞬激の食い仕掛け

    その次巡、中が重なる。 五六七⑤⑥556南南南発中中 ああ、5ソウを切るのかな? と思っていたなら、ここから、発を切った。 ?なぜ?とめてたんじゃないの? この発を まるで待ち焦がれていた恋人を見つけたように  トイメンが少し驚きを交えながら鳴く。 ポン!  誰だってこの局は和了したい。 ここ局さえ制することができれば・・・誰もがそう思っているはずだ。  全員が最短距離で和了に向かうその緊迫した空気のなか、 ますたぴょんは、リャンシャンテンから中を重ねて 大外から一気に和了に向かう。  違った。 全然思っていたことと違った。 ますたぴょんは和了をあきらめてなどいなかった。 ぎりぎりの本当のぎりぎりまで我慢していただけなんだ。 自分の麻雀を信じて。    五六七⑤⑥556南南南中中 ここから、上家の切る7ソウをチー。  本当にしなやかに、5ソウが卓上..

  • 神スルー

     リーチ棒の供託もあるし、積み棒もある。 ここで、和了を最優先するのであれば、西だって仕掛けるべき!本当に昭和の雀士ってやつは・・・五六⑤⑥5568南南南西西中西を2枚ふかしてこの形。現在リャンシャンテンのこの形に、場に1枚も見えていない中。ここから、ますたぴょんは西を切った。 え?なにやってるんですか?リャンシャンテンをサンシャンテンに?落として? どこへ向かおうというのですか? 仕掛けもスルー、シャンテンスウもスルー。何もかもスルーして、どういうことですか? こんな中、止めていたのでは勝負にならない。そうか、ここは我慢、そう決めたんですね。まあ、他家も和了にむかってガンガンつっこんでくるだろうから、それを考えるのであれば、役牌を絞って落ちる、というのはそんなに悪い戦術だ、とはおもわないのだけれど・・・ただ、大局観がズバ抜けてるますたぴょんがそんな楽な選択をするだろうか? で、次局..

  • リーチについて

    1500を仕掛けて、手詰まりして、リーチに8000点を振り込んだ。何をきってよいか、わからなくなって、ワンチャンスに逃げた。整わず、自分の一番卑下する打牌となったことを真摯に受け止める。逃げて、振り込んだことについて。上映時間まで、かなり時間がある。訊ねたい局面もあり、声を聴きたい気持ちも手伝い連絡を取る。「昔は、勝つことばかりを考えていたけれど、最近は、どういう麻雀を打てるか?ばかりを考える。」西風荘のマスターの声をスマホで受け止める。染み入るような想いのこもった声。同じ気持ちだった。少しでも響けばよいなと。麻雀を打ちたいから、強くなる必要があった。負けると、次の半荘がなくなる。賭けない麻雀しか存在しなかった時代。麻雀を打つために、勝つことが一番大切だと思っていた。他人の和了を捌き、他人を和了させない。その結果、仕掛け主体の麻雀となる。誰よりも早く和了する麻雀。そのあと、師匠に会い、「リ..

  • それも、鉄鳴きでしょ?

    後ろから対局を見つめる。 余裕がなくても、余裕のある麻雀を打つ。 対面して対局していたときには、いつも余裕があるなあ、 と感じていたますたぴょんの麻雀。 実際でも、これはないわ~。 誰か、ほかの人に聴牌が入っているのかしら。 観戦は続く。 後ろから観ているだけなのに、 思わず発声したくなる状況が多い。(そんなのないよ。) 積み棒が3本。 供託のリーチ棒が3本。 東ラス。 ますたぴょん!ここは1000点だよ! 1000点で充分だから仕掛けるんだよ! 気が付くと、本気で応援しているわたくし。  ますたぴょんの自風である南がアンコウとなった3巡目。 五六⑤⑥5568南南南西西  この手牌。 ここにトイメンから、西が打たれる。 ・・・・・・・・・・・ スルー。 「え?寝てるの?目空いてるの?」 これは、鉄鳴きでしょ? そんな悠長に構えている場合ですか?..

  • ?鉄鳴きでしょ?

     ずいぶん久しぶりの投稿になります。 不定期にはなりますが、 体力の続く限り、また記事の投稿を続けたいと 考えております。 読んでいただけると嬉しいです。   ::::::::::::::::::::::::  下界におりることがなくなり、半年以上が過ぎる。 対局そのものが、ままならなくなる。 場の状況判断ミス。 所作の粗相。 思考の停止。 ゆるくゆるく品質が下がる。 半荘二回打てるか?打てないか? 牌をこぼしたり、場がみえてなかったり それはもう同卓者に失礼というものだ。 瓦礫に埋もれていくような悲壮感のなかに、 あたたかい気持ちもわからなくなりそうだ。 自分の想いとは別の現実がそこにはあって、 自分の麻雀の終着を感じる。 現在そばにいて同卓をしてくれている 「大切な仲間」たちとの麻雀が、ある場面に届けば、 きっと、自分の「麻雀」の物語は終..

  • 初心者大歓迎! 放課後の麻雀(部活。)

    授業のあと!仕事おわり!「ほんのすこし、打ちたいな。」というとき、ありますよね。四人麻雀はもちろん、短い時間で遊べる東風戦や最近流行の3人麻雀をご一緒しませんか?(ポーカーもやります。)平日18時から23時くらいまでを予定してます。 興味のあるかたは、固定ツイッターの、ダイレクトメールよりお問い合わせください。初心者、学生さん、大歓迎です!

  • 大晦日

    自分は、理屈ではなく「牌を信じて」戦ってきた。力不足を「牌の後先」をはかることで補ってきた。「その牌は、何をする目的でここに来たのか?」そのことを大切に打ってきた。いつしか理屈だけで勝てることを覚えて、忘れていた感覚だ。自分がどうするべきか?は、「牌に訊ねる」。狭量な理屈が介在しない「広い麻雀」だ。卓につくなり、楽しくなってきた。しかも自分は、この数年「麻雀の勉強」もしている。打てない要素は全くない。「教えるとか、本当に思い上がっていたよな。自分は麻雀のこと何もわかっていない。」「理屈だけを伝えて、悦に浸っていた。」懸命さが足りなかった。思い上がっていたのだ。必死に打ってた人間に、勝てるわけがない。 毎局、全てまっすぐ組む。テンパイを最優先、面前では戦える手組、最終形までリーチは打たない。リーチをしてツモる。どうせ読みきられてロン牌がこぼれるなんてあり得ない。 最初の半荘。ぶっちぎりの..

  • 東一局ゼロ本場

    東一局ゼロ本場。 他人に場を見るように。場を見るように。自分の手よりも、場をみるように。そういっているものだから、(言い訳にしかならないけれど、)自分自身「自分の手牌は暗記」していて、場しかみていなかった。面前麻雀を心がけている自分は、発を暗刻にして、リーチ。「リーチ!」と発声して全体の河をみて死にたくなった。発が三枚、場に飛んでる……手牌を確認してみると、自分の手牌はの横のほう、東東発、となっている。え?マジすか?マジすか!パーフェクトノーテンリーチだ。頼む、みんな、おりないで!と祈る。過去に、場に2枚とび、ドラ表の東単騎でジュンカラリーチを打ったことがあったけれど、それ以上に、絶望だ。なんか、他家、手の内から、セット落としはじまってる。「おりないでってば!」願いむなしく、流局。 リーチをかけていながら、「ノーテン」と手牌を伏せる自分に、驚きと慰めの声。東一局ゼロ本番。幻の一局で、90..

  • 親番の続け方

    親番の続け方について。これは、他人の力を借りることが大前提となります。他人の力を借りる=あがりへのアシストだけではありません。親番の保持がマストなとき。自分が親番保持を頑張ることができるのは南2局までがほとんどです。局が浅ければ浅いほどよい。親番を落としたあとの消化局数が少ない場合には、失点した場合の回復の機会が少なくリスクが大きいので、あまり無理はできません。親番を続けるこつは、①他家に「選択を保留」させることです。なので、局が浅ければ浅いほどよい。局が浅ければ、親との勝負を保留しやすくなります。なぜなら、よほどの勝負手でない限り、自分だけ勝負をして失点するくらいなら、次の機会でよいかな?自分だけ損することは、嫌だな、と思うことが多いからです。親番を落としたいけど、自分だけ失点することは嫌。これがそもそも各々自分の首を絞めることになります。 私見ですから、あくまで、参考までに。 では..

  • 大三元

    これは、最初の中もポンですね。競技麻雀、オーラス。私は、346m367p発発中中 ポン白白白この形から、親の中をスルー。親が中を切った地点で、親の安全エリアの牌が定まらなかったので、中二枚を盾にしようと思った。点棒状況的に、他家三人は、戦いに向かうだろう。自分に大三元は「現在必要ない」と思った。安全エリアがみつかっていれば、仕掛けている。ドラの西もわかんないし。で、発は、ポン。中を持ってるから。二枚あれば、凌げる。これまでもそうしてきた。西家がドラ西をポン。 34m678p中中 ポン発発発ポン白白白 2mでロン。でも、これよく考えたなら、最初から中をポンして、発を盾にすればよかったんですよね。家に帰って反省してて気づいた。 一回のトップで20ポイントしかもらえない競技麻雀で、32の加点ポイントは大きい。トップ二回分あるもの。その他にも、謎の三色とか、謎の裸単騎とかなってしまっていて、..

  • 敗北からしか学べないこと。

    予備校のときは、仲間打ちでは強い、と思っていたんだよね。 でも、ピンのフリーで、速攻10万くらい負けた。 最初は、ついてないのだ、と思っていた。 でも、そうじゃなかった。 どうすればいいのか、死ぬ気で考える。 麻雀を辞めるか、頑張るか、2つにひとつ。 料亭のオヤジにぼこぼこにされた。 ④のスジを追ってアンコウの①を放すと  チートイの9600に刺さる。 何もできず、30,000円なくなる。 我慢が足りなかったんじゃないか? ちょっと、立ち寄ったピン雀で、8万溶ける。 何が、ダメなんだろう。 渋谷のノーレートで、ノートップだった。 あそこの局面は、攻めるべきだったのか? どんなに負けていても、調子が悪くても記録をつけて 反省をすること、これを続ける。 ノートの厚さが、自信に変わる。  勝っているときには、決して気づくことのできない たくさんのことを、敗北..

  • ノータイム清一色

    麻雀を学ぶうえで、必須な資質。あくまでも、私見なのだが、「謙虚」「素直」「誠実」。この3つを兼ね備えている人間は、とてつもないスピードで成長していく。自分を守るために、虚勢をはったり、言い訳をしたり、ごまかしたりする人間は、ある一定のところで麻雀の成長はとまる。もしかしたら、それは、なにも、 麻雀に限ったことではないのかも知れない。 面前の清一色は、場の色の偏りと手組が合致したときに現れるアガリだ。上家が、マンズチック。自分は、タンヤオチュウのカン7p。こぼれてきた7pを拾うため、ノリノリで全ツッパだ。対面が、ノータイムで打牌を重ねている。おそらくこれは、下家へのマンズを絞っているからだ、と思う。ノータイムにもほどがある。例えば、ホンイツであれば、字牌の選択で必ず一度は逡巡する。清一色であればなおのことだ。いくら、先日、逡巡しない清一色は、あがりやすいなんて話をしていたとしても、人間そ..

  • 夢中

    お金が欲しくてフリー麻雀に通っていた。痛みのない麻雀なんて麻雀じゃない。命より大事なお金がかかっている。小銭を追いかけて、赤牌で殴り付けか細い明日への希望を紡ぐ。そんな自分に、師匠は麻雀の苦しいけど楽しい、そういう魅力を教えてくれた。ゲームではないホントの重さ。お金を賭けることすら許されない濃度、深度。「あなたが本気で望むなら、ワシがあなたにだけ麻雀を教えてあげる」自分は、きっと本気で望んだのだ、と思う。本当に本当に知りたかったのだ、と思う。朝から晩まで麻雀のことばかり。目を閉じれば、牌が踊る。麻雀以外のことは、全く考えない半年が過ぎる。師匠に、「プロになりたい」と相談する。「もっと強いひとたちと打ちたい」と。「肩書きがなければ、よい麻雀が打てないのならあなたとの付き合いはこれまでだ。」と一蹴される。そして、私の名前を呼び、「あなたが、よい麻雀を打ち続けていればあなたの周りは、あなたと同じ..

  • 競技麻雀サークルについて(会員募集)

    当ブログ つかぴょんの麻雀パラダイス・ロストに いつも、足を運んでいただきありがとうございます。 自身の所感を取りとめもなくつづっているだけの記事なのに、 毎回たくさんの閲覧いただき、とても励みになっております。 当ブログ内で、扱っている対局のほとんどは、競技麻雀ルールです。 一発や裏ドラなど、偶然性の高い役が存在しない30,000点以上加点のルール。 麻雀はルールによって楽しみ方も様々で、競技麻雀には、競技麻雀の楽しみ方が存在するし 一発裏には一発裏の、上海なら上海の楽しみ方があります。 コロナ禍、感染拡大防止を思い、サークル活動を自粛してきましたが、 「心配りをしっかりと重ねたなら、 麻雀はコロナの感染拡大の因子とはなりえない」 との判断のもとに 競技麻雀サークル「啓雀会」の活動再開に向けて 参加者の..

  • 捨て牌の濃度

    夏の終わり。久しぶりのフォン-アツギの夜。このまま帰宅してもよいけれど、「ちょっと美味しいカフィ」を嗜みたくなり、久しぶりに、カフェ「luck!you!」へ向かう。カクテルグラスで運ばれてくる「ウーロンティー」は、1日の疲れを労ってくれる。カフェ「luck!you!」のマドンナ、マダムゆうこりんからグラスを受けとる。淡いグラスのブラウンの向こうに、見慣れないお客さんの顔が見えた。新人さんかな? 南場の深いところ。親番のその新人さんの捨て牌が色濃く特殊で興味を引く。タンピン系ではない。七対子にもチャンタにも見える厚い河だ。濃い。「リーチ!」ノータイム発声。萬子の中張牌手出しのリーチ。こういう親リーチには、自身の手役が勝負攻撃ではない場合には、現物以外は切らないほうがいい。三暗刻とか四暗刻の可能性もぬぐいきれないからだ。異様な捨て牌。南場。親リー。危険な要素ががっつり含まれている。親番の対面..

  • 感性に添う麻雀

    よい麻雀を打ちたい。よい麻雀とは、美しい麻雀を打つことではない。研鑽を戦わせて死力を尽くして戦うことだ。精一杯、という言葉が介在しないくらい精一杯戦うことなのだ。私は、舞踏会に興味はない。リングで殴り合いをしたいのだ。 ポーカーで殴られ過ぎて、我慢が効かなくなっている。この日の対局を振り返り、修正するのではなく、開発していこう、と思った。ブレーキが壊れいるのなら、それを敢えて修理せず、それを武器にできないだろうか?これまでの麻雀を破壊して作り直すよい機会だ。「破壊的創造」である。その創造のガイドラインとして、同卓者の所感、というものが存在するのだ、と思う。本当によい麻雀であるなら、同卓者の心持ちも悪くはないはずだ。 ①「場の状況を丁寧に精査して、及第点を導き出す。」②「その精査した場の状況にあわせて、感性を重ねてゆく。常にこの順番でこなしてきた。けれど、よせてくる年波には逆らえず、..

  • 「好き」が最強す。

    好きなものは、好きでいいかな?と、思うようになる。理由は、「好き」。簡潔でフィーリングはよろしい。ただ、それでは、よくないと過去の経験が強烈なブレーキをかかる。痛い目にはあいたくない。安全地帯を賢く歩こうよ。人生はそんなに甘くなかったから。それでも何度辛い目にあっても、全く懲りないその理由について考えた。割りと真剣に考えた。やはり、たどり着く答えはひとつ。きっと「好き」だったから。 幾星霜。時を重ねてふと思う。「好き」だったのなら、それでいいんじゃね?これまでは、「やりたくないことでも」「やるべきこととして」取り組むことに価値があると思っていたけれど、それってあんまり楽しくない。「やらなければならないこと」ではなくて「やりたいこと」を重ねたほうが問答無用に「しあわせ」だ。こんな当たり前のこと。 夏休みの終わり。8月30日もしくは、31日。母親が尋ねる。「宿題やったの?」まったく、やって..

  • よいときも、わるいときも。

    リーチ!おれさまの25847ピンのスペシャルリーチがドラ表示牌4枚目のカン3ソウを掴んで沈む。なんたる理不尽。だが、よくあること。こういうことは、よくあること。みなも経験があるだろう出来事。自分の待ちが良いのだから、勝って当たり前だと思いあがっていただけ。相手の和了牌が先に牌山にいた、それだけのこと。時計の針を巻き重ねて、時間を早送りしたり巻き戻したりできないことと同じようにこればかりは、運命。どうにもならぬ。こういった様々な空模様を受け止めてこそ、麻雀の深さを知りえることができる。よいことばかりではない、よくないこともある。よくないことを、どのように受け止めるか?それで未来の姿が変わってくる。理不尽な運命を呪うのか?理不尽を受け止めて、そこまでの経緯を振り返り、また当たり前の努力を積み重ねるのか? 30年も前。北九州にいた。麻雀が面白くて仕方ない季節。何が起こるか予測できないことが堪ら..

  • 4倍速の食い仕掛け

    自分のツモだけで組む。配牌時にもらった牌姿から4つ進めばどんな形からでもだいたいなんとかなる。自分のツモ番が来るまでは、 場の状況の精査を重ねる。ひそやかに重ねていくイメージ。なかなかに至難の技だ。8899m34456p発発東東地和ならイーシャンテンだが、テンパイの先の待ちごろの牌がみつからない。メンツ手ならリャンシャンテン。高打点もみえるが、これらはツモ次第。4pポンでもリャンシャンテン。場には発が一枚。8mが1枚とんでいる。最低5200。マックス12000の仕掛け。4pポンのあと、発東89mのうちどれでも河に落ちてくれさえすれば確実に高打点を携えたテンパイに近づく。トイトイ仕掛けの肝となる4p。他家が必要としていそうな牌だから、仕掛けるメリットも、大きい。34456を444に交換するイメージだ。4倍のスピードは、言い過ぎだけれど仕掛けは、体感2倍くらいのスピードで、手牌を進行させること..

  • 特級呪物

      予感。 なんだか、いいことありそうだ。 とか、 今日はなんだか、嫌な様子の一日になりそうだ、 とか。 そういう「なんとなく」ではない、「感覚」にとらわれることがある。 そういうことって、誰でも経験あると思う。 麻雀で例えるのであれば、 この手は、トイツひとつしかないけど、七対子になりそうだ。 とか、 この258ソウはいなさそう。とか、 シャボのほうがよさそう。とか。 そういう感覚に包まれることもある。でも今回は、そんなレベルではなかった。 競技麻雀では、テンパイ料の価値が大きい。 カミシモ3000点くらいの差が生まれる。 だから、形式テンパイをとる。ハイテイやホウテイ以外、和了することができないのだから、慎重に。 せっかく形式テンパイを組めているのであれば、そのテンパイを維持したい。 テンパイが取れなくなるツモについては、ノーサンキューなのだ。  ..

  • 競技麻雀サークルについて(会員募集)

    当ブログ つかぴょんの麻雀パラダイス・ロストに いつも、足を運んでいただきありがとうございます。 自身の所感を取りとめもなくつづっているだけの記事なのに、 毎回たくさんの閲覧いただき、とても励みになっております。 当ブログ内で、扱っている対局のほとんどは、競技麻雀ルールです。 一発や裏ドラなど、偶然性の高い役が存在しない30,000点以上加点のルール。 麻雀はルールによって楽しみ方も様々で、競技麻雀には、競技麻雀の楽しみ方が存在するし 一発裏には一発裏の、上海なら上海の楽しみ方があります。 コロナ禍、感染拡大防止を思い、サークル活動を自粛してきましたが、 「心配りを重ねたなら、麻雀はコロナの感染拡大の因子とはなりえない」との判断のもとに 競技麻雀サークル「啓雀会」の活動再開をいたします。 参加を希望される方は、当該ブ..

  • どんなときも

    どんなルールでも構わない。 どんな相手でも変わらない。 どんなときも、やることはかわらない。 やらなければならないことをやるだけだ。 ルールや相手によって、さくせんを色々考える。 そのことも麻雀の楽しみのひとつ。 赤アリ麻雀の成績が芳しくない。 理由は「押すべきところで押せてない」からだ。 自分で自分のチャンスを潰している。 打点のフリハバが大きいから、 振り込むことが怖くて仕方ない。 けれどだからこそ、自分のチャンス手で 他人のチャンス手を潰すことが必要になる。 赤あり麻雀では、赤牌のカウントが大切だ。 不自然に切られた4と6。 赤を受けためのターツ固定も含めて、 そこにその牌を切る理由があることを、 考えることは大切。 けれど、何よりも大切なものは、大局感だ。 押すべきところでは、しっかりと押すこと。 これは、ルールによっては、 大きくその..

  • 感性で打つ麻雀

    事象そのものへ。私が、昔から傾倒している慶應大出身の哲学者、池田晶子。彼女の書籍を読み重ねているうちに、麻雀に対しても哲学が生まれる。物事そのものを考える。頭がひっくり返るくらい考える。考えるのだけど、それは全て自分の頭のなかの出来事。頭のなかで考えていることは「確かに存在する」。形而上に、という表現になるが確かに存在する。ただ、その「考えて理解すること」の他に人は、事象そのものを「感じる力」を持っている。有名な哲学者カントの言葉を借りるのであれば、前者は「悟性」。後者は、そう「感性」というやつだと思う。自分は、自分には、言葉では説明できない「感覚」というものがある。きっと誰にでもある。これを、理屈で押さえつけてしまうと禁忌をおかしたような気持ちになる。この「感覚」を「感性」と呼ぶなら、この「感性」を大切にするために、自分は「麻雀の理屈」を勉強している。「理屈を越えた感性」を慈しむため..

  • 手牌を慈しむ

    不謹慎との言葉も、あるだろう。だが、しかし、私の師匠は自分の手牌を「かけがえのない大切なもの」だという。「自分の子供のようなものだ」と。自分の子供の可能性を信じる。だから、たとえば、手牌の成長を止めるようなリーチは打たない。子供にヒドイことはしない、だから、ヒドイ手順で手役を狙うこともしない。「可能性を残して、その子供の未来を見つめて共に歩むイメージ」だ。だから、しつこいようだけれど、師匠はリーチをほとんど打たないし、仕掛けもほとんどない。この「自分の手牌を愛でつつも、やりすぎない」この独特の感覚。麻雀のバランス感覚は、個性があり、故に、個人差があり正解はない。私は、師匠のような我慢は持ち合わせることができないまま、相手の手牌の成長を止めることができるのであれば、自分の手牌の成長を止めるリーチだって打つし、仕掛けで場を制圧できるのであれば、手牌が例え1枚になったとしても、やはり息を吸うよう..

  • 奇跡も魔法もあるんだぜ

    ツキに甘えない。ツキとやるべきことは関係ない。牌の効率とか、場の状況の判断はミクロなこと。それよりも、大局観を持とう。「何を求めて、何をするか」いつも、答えはそこにある。 「どう感じているか?」「感性に水をあげよう」 やるべき仕事を努めて、振りかえったときに、どう感じることができるか、が全てだ。 もう巣立って20年近くなるのに、まだ師匠の麻雀を想っている。きっと想い続ける。わたしの師匠は、とにかくツキのないひとだった。いつも捨て牌みたいな配牌を、丁寧に丁寧に仕上げてゆく。リーチも仕掛けもなく、切なくも重たい一打を重ねてゆく。師匠は「ついていない」という言葉は絶対に使わない。「遠い」という表現をしていた。「遠いから工夫をする」「遠いから、同卓者の力を借りる」「遠くて届かないから、よく観察をする」その麻雀への準備はそのまま「麻雀の力」になる。 遠く困難だからこそ、たどり着いたときには、そ..

  • 光陰は矢の如く

    老いを感じる。 恐ろしいスピードで時が流れる。 老いとはすなわち、覚悟なき「損得勘定のおばけ」のようなものだ。重ねてきた歴史が、器用に損と得を嗅きわけて、目先の利益を追いかける。大きな満足を目指すより、大きな後悔をしないことを目指すようになる。 その南3局は、牌姿にも恵まれた親番だった。決定打を目指して、細かい親番でのアガリを重ねてゆく。45677m567p33567sドラの白が絡まない手役だが、6000オールがみえる。3sも7mも、スルー。ツモったなら、その暗刻を生かして多面待ちに組み換えて、高打点を目指す。そのつもりだった。それ以外の選択肢はないと。だが、対面他、ドラを、ぶったぎり戦車で前に出てくるくらいの勢い。「もしかして、この2000点アガったほうがよい?」マンズがめちゃめちゃ安い場。「3m6mを先に引いてくれ!3sと7mはうたないでくれ!打たれると、たぶん、アガってしまう。目..

  • 音速の麻雀

    テンパイ。 待ちは六九ワンだ。 牌山に手をのばし、真っ直ぐ手牌の横へ。 ツモ! 発声をして、裏ドラをめくり、点棒申告。 点棒の授受が終わり、次の局へ。 これらの動作に時間をかけない。 我々にはそういう文化があった。 おしゃべりをしていても 半荘一回20分くらいで終わっていた。 学生時代。 セットで卓を借りているので 時間に対してお金がかかる。 とにかく、少しでもたくさん打ちたい。 逡巡はおろか、長考なんて問題外。 自分自身の「麻雀の準備」の努力が足りないから、 打牌選択に時間がかかる。 自分が打牌選択で、失敗や損をしたくないから、 仲間の時間を奪ってでも、考えたい。 これは、果てしなく身勝手な行為で、 めちゃめちゃカッコ悪いとされていた。 仕掛けは、ルートを整えて。..

  • 牌を大切に

    深夜のフリーでの邂逅。 電話帳をめちゃめちゃ捲り、居所を探し当てた 雀ゴロは、麻雀教室の先生だった。 「今日は、もう遅いから、また明日来なさい。」 翌日、気合い入れまくりで卓入り。 フリー真っ黒で、めちゃいきってた自分は 「おれの麻雀をみせてやる!」 とばかりに、第1打を打ち出す。 背後から、深く怖い先生の声。 「牌を戻しなさい。あなたに 麻雀を打つ資格はない。 あなたの切った牌を見なさい。 」 眼前には、ちょっとばかし、アグレッシブに 下家のひとのエリアのご近所に 私の切った一打目の北が転がる。 ちょっとななめってる感じがしないでもないけど これが何か、問題でも? はてな、が脳内で溢れる私に、先生は続ける。 「麻雀は、四人で打つもの。 四人で作りあげていくもの。 周囲へ..

  • 九連宝燈とジュンチャン

    九連宝燈チャンス。 特にチャンタ方面から 九連宝燈に組上がるケースはなかなかない。 綺麗だ。 役満がみえる一日だった。 19sをふんだんに使用した九連宝燈のみえるかたち。 一発裏のないルール。 2000 3900のツモで ラスからトップまで突き抜ける。 九連宝燈がみえてはいるけれど やらなければならない目の前の仕事もある。 九連宝燈一択必須の状況てはない。 だから、 九連宝燈を狙ったけどラスだった、とかではなく 九連宝燈やジュンチャン三色など あらゆる選択肢を残しながら 九連宝燈だった。 という風にしたい。 着順アップが見込める以上、 2000点仕掛けジュンチャンを選択することもある。 九連宝燈一択にすれば ずっこけても清一色だけど、 2000点のアガリすらエライこの局面、 思考の横着はしてはいけない。 七ワンを残して 7m..

  • 決断できないまま

    オーラス7700ツモでトップ。降着リスクもある大切な局面。 12345679m13s ポン白白白ドラ3s上家から、8mがこぼれてチー打ち1s123456m3s チー879mポン白白白7mをひく。「ドラ3s打ちたくないなあ」場には5sが3枚とび。万が一3sをツモれば、条件はクリア。その初志を貫徹。その狡さを嘲笑うかのようにマンズのラッシュ。174366mとそのあともーれつに引いて。マンズを引くたびに「安目3900でいいじゃないか、ドラ単騎はさすがに厳しいって」と、なんども思うけれど 「万が一ドラ単騎ひけたら?」「マンズとか受け変えて、このドラ3ソウで振り込んだならどうしよう」とか、ぐるぐるぐるぐる。どうしても、踏ん切りがつかない。 踏ん切りがつかないまま、どんどん巡目がすすんで結局2pで親に5800振り込んだ。 麻雀は「条件を満たす手組」が目的ではない。「条件を満たす戦略」で、「条件を..

  • 重ねる選択肢

    23799m888p 68s東南白発ラス目ドラは7pとにかく役牌を重ねたい一心。役牌をとにかくいずれか重ねて それを軸にしてトイトイとか、いろいろ道を見つけたい。三色もある。三色になるときには、ドラも使いたい。とりあえずこの配牌なら、トイトイは見るけど後回しにして三色と役牌に絞ってみた。打九ワン。抱えて堪えて待ち続けた役牌が重なり123789m6888p  チー768s ポン発発発ツモ7p1000オールこれで三着に浮上。ただ、その次の局、ラス目のリーチに現物の6sがあるのに、無スジをぶったきる。一発裏のないルール、まっすぐ18000に組もう純チャン三色のリャンシャンテンだ。どうせ拾った点棒だ、とまっすぐ打った無スジをの牌が安目に直撃。リーチピンフ2000点直撃でラスに。これは、自分の本当によくない宿痾だ。この自身のバランスの悪さに辟易とする。高得点狙って振り込むなら仕方ないというよくわから..

  • 面前リーチ手順

    自分なりに、勝負にいきたい手組でも我慢をしてきていた。それで、成績はちゃんと残るから。押し引きのバランス。自身がそのバランスをまもっているかぎり他のひとがバランスを崩してくれる。けれど、このまま、未来永劫そういう麻雀を打って成績を拾っても嬉しくはないのだ。 競技麻雀。全身全霊をかける対局があることが、嬉しい。ツモ和了は祝福。自分自身で、小狡いと感じている安全エリアからの攻撃ではなく、めくりあいで決着をつけたい。例えば、牌山に12対1でも、先に1の牌が寝ていればよいだけのことだから。前回は、カンスーピンやペンナナワン、不利な枚数でのめくりあいで勝ちきることができた。今回は、さらにとにかくリーチ手順をしっかり踏んでめくりあいでツモ和了をして勝ちたい。そういう気持ちが強い。雀頭を仕掛けを鑑み振りかえることなく枚数の多いであろう強い最終形をめざす。123m123888p4566sドラが場にゼロの..

  • 違和感には理由がある。 かならず。 美味しいカフィーが飲みたい。 いやいや、そうではない。 よい麻雀を打って、カフィーに変えるのだ。 くたびれ果ててはいたけれど、 もし、自分なんかと打つことを楽しみに してくれていたら、と思うと、体は動く。 いつものカフェへむかう。 ウワサにきいていたKさんと同卓。 とにかく、賑やかだ。正直、しゃべりすぎだ。 手役の進行、打牌の理由、 ひっきりなしにしゃべっている。 けれど、悪意はなく、楽しくて仕方ない、という様子。 「麻雀を打てることが、楽しくて仕方ない」 そういう雰囲気に嫌な気持ちはしない。 麻雀というゲーム性は、完全に破壊されるけれども 清濁合わせて呑んでこそ、知りうる楽しみもあるだろう。 全身全霊をかけて、目の前の対局をこなすだけだ。 ..

  • 戦って死にたい

    いつも、足元を気にしている。安全かどうか?戦う、その感覚がどんどん自身から乖離してゆく。器用に立ち回って、点棒をひろう。そういう作業のような麻雀は本当につまらない。そう思いながらも、そうなることは、楽だからだ。楽なことに価値はない。気付きに工夫を重ね続ける営みを作業化することは、冒涜だ、と思う。そんな「自分の結果」を自分は、全く評価しない。せっかく、巡り会えた手牌とサイコーの仕事をしたい。それが原点だ。確認するまでもないこと。安全なところから、眺める麻雀ではなく、火中の栗を拾いたい。戦って死にたい。いや、戦って死んでも悔いがない、それくらいの気持ちで打ちたい。そうでなければ、これまでの全ての時間と想いが浮かばれない。という個人的な切羽詰まった背景。 牌とともに闘っているよい感じ。そのインファイトの戦いのなか、ドラ暗刻のカン4pイーペーコー7m三色8m.など奇跡のような和了が重なる。そして..

  • 高打点のための場の状況

    ドラ一ワン 30000点以上の持ち点がプラス加点となる競技ルール。 点棒を使ってどう戦略をたてるか、が大切だ。 点棒は、資産と同じで持っているだけではもったいない。 しっかり「生きた使い方を」心がけたい。 画像の形。ソーズの判断が難しい。 ①4ソウチーで、後に4ソウをリャンメンに切る戦術。 打点をフィックスさせて、「あがりやすさ」を優先。 打点は充分なので、例えば28000点持ちとかなら、 首を確保するために、この選択もある。 だが、この40000点オーバーの点棒状況であれば、 一ワンのカン24000までを打点MAXにみて、 トイトイをおとさない形を目指したい。 すなわち ②4ソウポンで、場を牽制。 場を牽制することで、他家に制約を与え 「他家をあがりにくくすることで、 自分の手組をあがりやすくする」作戦をたてる。 4ソウをポンして3枚みせ..

  • 茶殻麻雀

    年季の入った牌。牌の大きさは小さくても、オーラを感じる。白がたくさんはいっているのは、予備だから、とのこと。牌をうっかり失くしてしまった場合。牌のかわりに絵を描くとのこと。 懐かしすぎて涙がでる。高校生のとき、みんなでお金を出しあって質屋に、麻雀牌を買いにゆく。床に牌を並べて、役の紙を眺めてあがれば、100円、とかのルールで打ってたことを思い出す。昔は「茶殻麻雀」という「一局精算」の麻雀もあったそうで。短いスパンの対局が大好きなので是非一度やってみたいな、と思うけれど誰も付き合ってくれないだろうな。 麻雀箱のなかには、点数計算表が。手書きのものもはいっている。10点単位。2600なんては2560(にごろ)の表記。どんな時代でも、点数計算覚えることは大変だったのだろう。

  • 最終手出しの意味

    ドラ③ ずっとツモ切りが続いている他家から ②手出しのリーチが刺さる。 打点が欲しい局面だから、テンパイダマからの変化の可能性が高い。 自分の手の内のピンズは①①③③③ ③ドラアンコウだ。 テンパイまで、②を引っ張っていた理由について、考える。 ②がくっつきテンパイ候補の牌。 であれば、②の周囲は全て安全。 ②④⑤⑥⑥⑦からの②切り、この場合も③と①は安全。 ②②に①を引いた①②でのリーチ。 ②②に③を引いてのリーチ。 ①②と持っていて、①を引いて①と他のなにかのシャボリーチ。 いずれにしても、ピンズは打ちにくい。 最終手出し牌から、相手の手牌を推察するときには、 まず、相手の手牌に自分の手牌を重ねてみる。 ①①③③③をもっていない相手が、必要としていた②を切ってきたということ。 それ..

  • 豪雨のなかの対局。

    家から出かけるとき。 ほんのちょっぴり雨がふりそうだった。 天気予報は見ない。 傘も持たない。 そう、これは、勝負。 おれの天運が勝つがどうかの勝負。 神に愛されているか、の大博打さ。 「天気予報見なかったんですか?」 「傘もってないの、あり得んですよ?」 親の敵のように雨が降る。 傘は買わない。 こんなことで傘を買っていたらキリがない。 たとえ賭けに負けたとて、魂は売らない。 転んでもただでは起きない私は その足で高級カフェへゆく。 雨の日のポイントをポイントカードに おしてもらうためだ。 カフェにはいり、 「いつもの、いただけますかな?」 と、常連なセリフ。 いつもの、カクテルウーロン茶が コーヒーカップで出てくる。 激しい雨音も、店内にい..

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