青梗菜 さん プロフィール

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青梗菜さん: qinggengcai
ハンドル名青梗菜 さん
ブログタイトルqinggengcai
ブログURLhttp://qinggengcai.blog2.fc2.com/
サイト紹介文tetsugaku poet
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供274回 / 365日(平均5.3回/週) - 参加 2013/11/15 14:22

青梗菜 さんのブログ記事

  • 哲学、思想、政治、戦略、戦術 (`ε´) 5/x
  • 「哲学」でも、「思想」でも、何と呼ぶのも勝手にすればいいけれど、自分は、他人よりも知的で、鋭敏な感受性を持っている、なんて自分で思えるような人は、他人の知的さを知る知的さや、他人の感受性を感受する感受性に、欠けているだけかもしれないと、知的でも鋭敏でもない僕なら、負け惜しみを言ってみる。そんな人には、どうしたって勝てる気がしないから。        ―― 遥か/スピッツ    ―― 作詞、作曲、草野 [続きを読む]
  • 哲学、思想、政治、戦略、戦術 (`ε´) 4/x
  • 高校の、たぶん、2年の夏休みに、夏目漱石の『行人』を読んだ。どんな話だったのかは、まるで思い出せないのに、ここだけは、しつこく憶えている。    兄さんは自分が鋭敏なだけに、    自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩を進めて行さます。    その代わり相手も同じ際どい針金の上を、    踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。    しかしこれが兄さんのわがまま [続きを読む]
  • 哲学、思想、政治、戦略、戦術 (`ε´) 3/x
  • 「哲学」は、することだが、さらに言えば、してしまうことで、それは、もとより余計なことであり、余計なことは、なるべくならしないほうがいい。「哲学」に向かうリソースを、「政治」や「戦略」や「戦術」に、振り向けて集中させたほうが、パフォーマンスが向上すると思われる。それでも、考えるのなら、考えてもいいし、考えないのなら、それでもいい。どのように考えてもいい。深刻でも、お気楽でも構わない。「哲学」するとき [続きを読む]
  • 哲学、思想、政治、戦略、戦術 (`ε´) 2/x
  • 考えなくても、辞書的な定義なら、辞書を引けばいいし、世の中的な定義なら、いくらでも拾ってくることができる。検索窓に文字列を入力すればいい。わざわざ馬鹿な自分が考えなくても、どこかに正解が落ちている。すでに利口な学者が考えているから、その正解を憶えればいい。他人が代わりに考えてくれている。ただし、利口な他人の答が、馬鹿な自分の答になるとは限らない。答は、利口か馬鹿か、ではなくて、他人か自分か、によっ [続きを読む]
  • 哲学、思想、政治、戦略、戦術 (`ε´) 1/x
  • そんなのは「政治」ではない、ってことくらいは、僕も知っていて、受験とか、就職とか、結婚とかを、「政治」と呼んでみる。結婚、を例に挙げて、「政治」を結婚にすれば、婚活は「戦略」になる。繰り広げられる駆け引きが「戦術」になる。結婚するのが当然で、その当然さに疑いを持たない時代なら、結婚によって幸福が得られる「思想」は、当然に世の中に行き渡っていた。その「思想」が当然でなくなると、自明の価値が壊れて「哲 [続きを読む]
  • ぷい〜っ (`ε´) 5/5
  • 不真面目に生きている僕でも、たぶん、少しくらいは何かを考えて、行動を選び取っているとして、よく使われる言葉で分類してみる。ざっくり、5つに分ければ、哲学、思想、政治、戦略、戦術。端っこを寄せて、3つに分ければ、哲学・思想、政治、戦略・戦術。それぞれを自分のこととして、所有格をつければ、自分の哲学、自分の思想、自分の政治、自分の戦略、自分の戦術。最も違和があるのは、自分の政治、だろう。政治、ってのは、 [続きを読む]
  • ぷい〜っ (`ε´) 4/x
  • コミュニケーション能力は、コミュニケーションができない異質な者との間で、発揮される能力である。言葉が通じる仲間内では、ことさらに、コミュ力なんかなくても、言葉が通じ合えるもの。異質な者を批判する言葉は、同質な仲間内で通じる言葉であり、その批判が届かないから異質なんだ。コミュニケーションが、成り立たないから異質である。言葉が通じないエイリアンたちの間で、言葉を通じさせるのは、もとより、できないことで [続きを読む]
  • ぷい〜っ (`ε´) 3/x
  • ところで、コミュニケーション能力は、対立させた敵と味方の、味方の中で発揮される能力ではない。そんなことなら、何の能力もいらない。        Attacking, defending    Until there's nothing left worth winning    ―― Don't Wanna Fight/Alabama Shakes    ―― Brittany Howard 作詞作曲、2015、ATO Records [続きを読む]
  • ぷい〜っ (`ε´) 2/x
  • 何かを、正しい、と考えたなら、それは、政治への意志であり、すでに、対立を受け入れている。すでに、正しくない者との差異があり、正しくない者との分断があり、正しくない者への排除がある。すでに、敵と味方の差異があり、同質な思考を持つ者で構成される仲間への、分断化を指向する。政治的、ってのは、他人を敵と味方に対立させたかたちで、敵を排除する構えなんだ。対立のほかに、どんな構えもない。それとも、正しくない者 [続きを読む]
  • ぷい〜っ (`ε´) 1/x
  • 政治的、ってことの中には、本来的に怒りが内在していると思う。なんて言ったところで、政治的な思考パターンに取り憑かれている人の、認知は訂正できないと思う。真面目に考えているから怒るんだ。そこは、動かないだろう。逆に、怒らない僕は、不真面目で、おちゃらけていることになる。そうなると、また違う気がしてくるけれど。では、怒っている人が、真面目にものごとを考えている、なんてのは、それも、また違うんだ。でも、 [続きを読む]
  • ぷんぷん (`ε´) 3/3
  • 苛立ちが募るのなら、考えなきゃいいのに、なんて思ったりするけれど、考えなきゃならないのだろう。他人を見下すためにも。怒っている人は、とにかく、話がくどい。他人を見下していると、いい気分になって、話が長くなるのか。知識をひけらかしていると、気持ちがよくなって、話が長くなるのか。だから、知っていることを、ぜんぶ話さないと気が済まないのか。知的な自分の意見を、愚かな他人はありがたく拝聴すべきであると、信 [続きを読む]
  • ぷんぷん (`ε´) 2/x
  • 他人を、敵と味方に分けて、世界に向き合えば、当然に、怒りが沸いてくる。政治的、ってことの中には、怒りが本来的に内在している。敵、ってのは、もとより、その定義からしても、腹立たしいものだ。もとより、根絶やしにすべきものであり、殲滅させるのに理由はいらない。ところで、真剣な表情と、怒っている表情は似ているけれど、ものごとに真剣に取り組んでいることと、怒っていることは、似ているようで、違うと思う。世の中 [続きを読む]
  • ぷんぷん (`ε´) 1/x
  •         政治的な思考パターンが苦手だ。        他人を、敵と味方に分けるたがるから。政治の話題に乗れない僕は、敵でも味方でもなくて、愚か者とみなされるけれど。        話について行けない僕は、        愚か者でも仕方がないとして、でも、どこまでの知識があれば、愚か者と呼ばれずに済むのか、僕には、なんだか、見当がつかない。        自分の得意な分野に持ち込んで、    [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 13/13
  • ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、カントをさらに進めて、自分で決定する、のではなく、自分で作る、と考える。カントの、自律、だけでは足りない。自分は、自分が作っていい。フィヒテのほうが、僕たちには解りやすい。では、解りにくいのは、カントやスピノザやデカルト、さらには、アウグスティヌスやプラトンになる。デカルトに戻ると、デカルトの、我思う、ゆえに我あり、には、自分で自分を決定することも、自分で自分を作 [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 12/xx
  • デカルトは、世界の外にいる。世界から切り離されて、何でも自由に思うことができる。デカルトの自由は、まったくの自由で、対象を選ばず、手当たり次第に妄想していい。例えば、他人を自動機械にすることさえも。世界に対しては、やみくもに、無差別に、照準を定めずに自由だが、デカルトには、自分と世界を制する神がいる。自分と世界で、全部になるのなら、全部を束ねる神がいる。デカルトが世界の外に飛び出しても、そこで待ち [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 11/xx
  • 自分は、世界と別にあるのではなくて、世界は、自分も含めて、丸ごと全部である。バールーフ・デ・スピノザは、そう考えた。デカルトと違って、スピノザには、意志の自由はない。世界=自然=神の中に自分がいて、自分は世界=自然=神によって決定されている。それを認識することを自由とするが、難しくて、僕の手に負えない。デカルトは、自分の自我だけを考えて、疑わしい他人の自我は、世界の側に追いやったけれど、イマヌエル [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 10/xx
  • デカルトは、自分が考える、ということだけを頼りに、世界から脱出した。精神と自然を対立させて、自分は、考える精神、自我であり、世界の側は、物質、自然になる。物心二元論、って考え方だ。自分は、世界から切り離されて、自由に意志することができる。しかし、デカルトのいう世界は、自分を除いた残りにすぎない。世界丸ごと、全部ではない。自分も、世界も、お互いを除いた残りとして表され、どちらも有限なものになる。無限 [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 9/xx
  • 僕たちは、利口になって、次第に、自然から離れていった、なんて思っている。傲慢にも、僕たちは、大切な自然から離反した。なんとなく、そんなふうに教わった。誰に、ってこともないけれど。僕たちが自然を捨てたと思う、そんな発想じたいが、僕たちの思い上がりではあるけれど。デカルトの時代は、調和していた自分と自然が、自分、つまり、精神、つまり、理性や、認識や、思考が、自然と対立するようになってきた頃。例えば、地 [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 8/x
  • 我思う、ゆえに我あり、っていうけれど、「我思う」と「我あり」は違う。「我思う」ゆえに「我思う」だったら違わない。「我あり」ゆえに「我あり」だったら違わない。「我思う」と「我あり」の間は平坦ではなくて、僕たちが見落としそうな穴が開いている。そのままでは、ゆえに、なんて接続はできない。推論するには、穴を跳ぶための前提が欠けている。隠されている前提は、「思う我がいなければ、我は思うことができない」そこは [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 7/x
  • 哲学なら、デカルトに倣いたくなる。しかし、哲学をするのなら、僕は、パスカルに倣う。哲学をする我は、考える我、もしくは、我は考える、になる。ところで、哲学書を読むことは、自分で考えることではない。難しい本を読む難しさは、理解する難しさであり、自分で考える難しさではない。我、つまり、デカルトについて考えたのが、デカルトの哲学である。デカルトは、デカルトと、デカルトがいた世界について考えた。デカルトが思 [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 6/x
  • 考える、といえば、ブレーズ・パスカル。人間は考える葦(あし)である。僕たちは、そんなフレーズを、知識として、丸暗記して、でも、少しも考えたりしないけれど。そんなふうに、知識を頭に詰め込んで、もの知りになっていくことの価値は、どこにあるのだろう。        人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦に過ぎない。        しかしそれは考える葦である。        これをおしつぶすのに       [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 5/x
  • 僕は、ジョン・レノンを曲解しているし、三時の知識もないし、デカルトも解っていない。何も知らない、ってことになるけれど、それでもいいんだ。自分が考える、ということだけで。Imagine を検索しても、誰もそんなことは書いていないし、三時は、僕に理解できるような、簡単な教えではないし、自由とデカルトは、何の関係もないのだろう。知識がある、ってことが、世の中的に、賢いと呼ばれているのは、僕も知っているけれど。で [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 4/x
  • 自由とは、例えば、がちがちのぐるぐるに、自分を縛りつけていた世界から、自分が離れることである、としてみる。ルネ・デカルトは、世界と自分を切り離すことで、自由になろうと試みた。自分が考える、ということだけで、確かに自分を存在させる。自分が考える、それだけを頼りに、デカルトは、世界から脱け出そうとする。我思う、ゆえに我あり、ってのは、そういうことだ。考えることで、自分が世界から分離する。安易で、大雑把 [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 3/x
  • それ以前に戻るのは、きっと、それ以後に変わるよりも難しい。仏教思想では、仏陀が死んだ後の時代を、正法、像法、末法の三時に区分する。後世になるにつれて、次第に仏教が形骸化、無力化する。正法五百年、像法千年、末法一万年。期間については説が分かれるが、何百年でも、何千年でも、そんなことは、まったくどうでもいい。それは、未来を予言するような、スピっぽい話ではなくて、仏教が形骸化、無力化するのは、認識の枠組 [続きを読む]
  • 自由、それ以前 (`ω´)キリッ 2/x
  • それ以前に戻るのは、きっと、それ以後に変わるよりも難しい。例えば、国。国、それ以前。Imagine there's no countriesIt isn't hard to doって歌を聴いて、imagine できるという人は、no countries を imagine することの、hard さが解っていない。国境なんて、人が勝手に引いた線で、宇宙から観れば地球は、なんてフレーズは、道端で詩を売っている兄ちゃんや、スピのセミナーを聞きに行く姉ちゃんに任せる。全面的に任せる。co [続きを読む]