御坊哲 さん プロフィール

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御坊哲さん: 禅的哲学
ハンドル名御坊哲 さん
ブログタイトル禅的哲学
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/gorian21
サイト紹介文禅的視座から哲学をすると、こんな景色が見えてくるのではないだろうか。
自由文私は禅者ではありません、仏教者でさえありませんが、多少ものを見る目はもっていると自負しております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2013/12/07 23:29

御坊哲 さんのブログ記事

  • 絶対善はあるか?
  • 絶対善などというものがもしあったとしたら、たぶんそれはつまらないものだろうと思う。ミツバチや蟻の世界ではそれが実現していると言って良い。彼らの行動は一貫して群れ(公)の為である。女王バチはひたすら卵を産み続け、働きバチひたすら蜜を集め、ひとたび外敵に巣が脅かされれば身を挺して戦うことをためらわない。本能と行動が群れ(公)の為という意味で一致している。彼ら自身はおそらく自分の行動を「〜のため」などと [続きを読む]
  • 「100分de名著エチカ」 (スピノザ)
  • 録画しておいた「100分de名著 エチカ」の一回目を視聴した。それによると、スピノザは汎神論を唱えていたのだという。神は絶対的で、無限で、外部をもたない。つまりすべては神の内部である。ということは、すべては神の現れだということになる。スピノザ自身はヨーロッパに生まれ育ったユダヤ人であるにもかかわらず、ユダヤ・キリスト教の神概念からはかけ離れている。そもそもすべては神と言ってしまったら、神そのものの [続きを読む]
  • 言霊
  • 前回記事(「シューベルト」は‥)では、言葉というのは我々にとって単なる記号以上のものであること述べた。つまり、言葉には何らかの相貌(アスペクト)つきまとうということである。ウィトゲンシュタインは言葉のアスペクトというものを非常に重要視していた。もし、言葉からアスペクトが失われたら我々の会話も文学作品も無味乾燥なものになると考えていたようである。あたかも、それはコンピューター同士が会話しているような [続きを読む]
  • 進化論は科学ではない?
  • 有名な脳学者である養老孟子先生が「進化論は科学ではない。反証不可能だからだ。」とどこかで述べているのを知って、驚いたことがある。私にとってダーウィンの進化論は科学の神髄である。これが科学でなかったら科学というものはない、くらいに思っていたし、今でもそう思っている。養老先生は素晴らしい科学者だが、これは暴言だとしか思えない。しかし、「反証不可能」と言われれば、確かにすっきりしないものがある。なかな [続きを読む]
  • 進化論はなぜか目的論的に解釈されやすい
  • 進化論について語る際に、「高い木の葉っぱを食べるためにキリンの首は長くなった」式の説明がされることがままある。しかし、これではダーウィンの思想は捻じ曲げられてしまう。「〜のために」というのは背後になんらかの意思が働いているかのような表現だが、もちろん自然界にはそんなものが見いだされたためしはない。進化論というのは結果論であり、なるべくしてこのようになっているというような当たり前のことしか言っていな [続きを読む]
  • シマウマは白地に黒縞か、黒地に白縞か?
  • スティーブン・ジェイ・グールドは世界的な古生物学者でもあるが、素晴らしい科学エッセイの書き手でもある。約30年前くらいから私は彼の大ファンで、彼の著書はほとんど目を通している。私が推薦委員なら、間違いなく彼をノーベル文学賞に推薦した。全世界の子供たちに彼の著作を読んでもらいたいと願っている。最近は哲学関係の読み物しか手にしなかったのだが、昨日久し振りに、彼の「ニワトリの歯」という本を手にした。二十年 [続きを読む]
  • 新実在論を禅的視点から批判する
  • 存在を「世界」という絶対的地平でとらえるのではなく、それぞれの「意味の場」においてとらえるというのは一見説得力がありそうに見える。そうすると、大抵のものはなんらかの「意味の場」において、確実に存在すると言えるようになる。問題としたいのは、どんな「意味の場」もさらにそれを包摂する意味の場における対象であるとしていることである。つまり、意味の場は無限の階層を構成する。(それがまたすべてを包摂する基底と [続きを読む]
  • 新実在論
  • 何年か前から哲学界では新実在論というものが流行っているらしい。それで私も今、マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」という奇妙なタイトルの本を読んでいる。デカルトはすべてを疑うということを徹底した結果、とうとう「今自分は夢見ているのではないか」という疑いを払拭することはできないという結論に到達した。「考える私」以外は何一つ確実ではないということである。確実な基盤がない以上、実在を語るわけ [続きを読む]
  • いじめについて
  • あるSNSでいじめについて議論されていたのだが、 そのなかで「学校に自動小銃を持った警官を配置」するというような極論が出てあきれてしまった。不条理を一挙に解決したいという気持ちは分からないでもないが、力で子供たちを制圧するという発想そのものが暴力的である。いじめは決してなくならないという諦観をもつことも必要だと思う。人は完全ではない。力があれば他者より優位に立ちたいという欲求を常に持っている。状況 [続きを読む]
  • この世界は言葉では表現できない
  • 前回記事「言葉によって世界を認識するのか?」に対して、ある人から次のような意見を頂いた。【 問題は、「非言語的な世界の受容」という言葉が指示している事態を、言語なしでは、判断という形式に構成することができない、ということではないでしょうか? そして、認識するということが一つの判断だとすれば、「言語なしでは世界を認識できない」という言い方も決して言い過ぎではないと思います。もちろん、判断を伴わない認 [続きを読む]
  • 言葉によって世界を認識するのか?
  • いつも感じるのだが、思い通りにブログ記事が書けたためしがない。書き終わってから、「あれっ、ぼくはこんなことを書こうとしていたんだうか?」といつも思うのだ。そういうことからも「思考は言葉に支配されている」というのはつくづく本当のことだと痛感する。考えてみればそれは当たり前のことで、思考を表現するには言葉で表現するしかないからである。しかし、思い通りに記事が書けないというのは、思考が自分の言葉以上であ [続きを読む]
  • 遺伝子と言葉
  • 「利己的な遺伝子」という本が一時もてはやされたことがあったが、まるで遺伝子そのものに意志があるかのようなタイトルである。センセーショナルなタイトルだが、たぶん出版社が付けたタイトルであるような気がする。淘汰圧に直接さらされるのは個体であって遺伝子ではないのだから、「利己的な遺伝子」というのは言い過ぎのような気がするのだがどうだろうか。 近年では「代理母」などということも行われていて、生まれた子ども [続きを読む]
  • 意志を意志することはできない
  • 「私は手を上げようと意志することはできる。しかし、手を上げようという意志を意志することはできない。」とウィトゲンシュタインは言ったが、これほど深い洞察の言葉もあまりないのではないかと思う。立ちたいときに立ち、座りたいときに座る。束縛されていなければ、思うままに体を動かすことができる。それが「自由」という言葉の意味だろう。それで、主観的な観点からすると、無制限の「自由」とは何でも自分の意志によって決 [続きを読む]
  • 超越と実存(南直哉)
  • 南直哉さんは思想を仏教と仏教以外にまず大別する。それらを区別するためのキーワードが超越である。超越とは我々の経験や認識の範囲を超えるもののことを言う。例えば一神教の神様のようなものである。実存というのは規定するのは難しい。とりあえず、今感じている生身の感覚としておこう。仏教は実存的な視点から世界を眺めることから始まる。そこに超越的なものを容れなければ、すべてのものに根拠がないことに気がつく。それが [続きを読む]
  • なんでも鍛えれば強くなるか?
  • オリンピックで金メダルを獲得するには、われわれ常人の想像を超える精進をしなければならない。素早く正確に脚や腕を動かすには、同じ動作を何度も反復しなければならないし、強い筋力を得るためには負荷をかけて運動しなければならない。強い肉体が生存競争に有利に働くのなら、訓練しなくとも強い筋肉と鋭い運動神経が自然と備わるようになっていればよいと思うのだが、そうはなっていない。それはおそらく我々の祖先が長らく飢 [続きを読む]
  • 「善」は定義できるか?
  • 絶対善の定義を見つけたという人がいる。それは「種族の繁栄のためになることをする」ことだというのだ。確かに、われわれが「善し」とすることがらを一つひとつ検討すれば、それはことごとく集団の利益につながることと考えられないこともない。しかし、「現実にそうである」ことをもって、「そうすべきこと」としてしまってよいのだろうかという疑問はある。蜂や蟻ならばそれを絶対善の定義としても差し支えないかもしれない。 [続きを読む]
  • 「世界」という言葉
  • 「なぜ世界は存在しないのか」という本のタイトルが以前から気になっていたが、読みかけの本がたくさんあるので、なかなか手が回らない。で、先日本屋で頭の50頁ほど立ち読みしたのだが、なかなか面白そう。「新実在論」とやらについては皆目見当もつかないが、とりあえず、不思議なタイトルの謎については大体理解できた(と思う)。われわれは何気なく「世界」という言葉を使用しているが、その言葉の意味はそれほど明晰ではな [続きを読む]
  • クォリアって何?
  • 今朝、妻が唐突に「クォリアって何?」と訊ねてきた。最近、妻は恐山の南直哉さんのブログを読んでいる。そこでその言葉を見つけたらしいのだ。私は、「今、君が見ているもの感じているもの、例えば、そこにある赤い包装紙のそのありありとした赤さを実際に観ているでしょ。その赤そのものがクォリアだよ。」と答えた。すると妻は、「うーん、ちょっとわからないわ。それなら、ただ『赤』と言えばいいだけじゃないの、わざわざク [続きを読む]
  • 小林秀雄の歴史観について
  • 【 上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かつて飴のように延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方のように思へる。( 無常といふ事) 】  歴史というものを事実を年表に書き込んだものと考えるというのは確かに浅薄というものだろう。しかし小林自身がのべているように、上手に思い出す事は非常に難しいのである。「蒼ざ [続きを読む]
  • なぜ「主客未分」ということを言うのか?
  • 道元禅師は「正法眼蔵」において、「自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。」と述べている。また、西田幾多郎は「善の研究」において、「意識現象が唯一の実在である。」と述べている。一見、前者は無主を、後者は無客を、主張しているようだが、実はどちらも同じこと「この世界は無主無客の一元的世界である」ということを指摘しているのである。それがいつの間にか、他者とのコミュニケーションをとっていくうちに主客二 [続きを読む]
  • 語りえぬものについては沈黙すべし
  • 「語りえぬものについては沈黙すべし」というのは、天才哲学者ウィトゲンシュタインが生前著した唯一の哲学書「論理哲学論考」の結びの言葉である。なんとなく格好いいので哲学愛好家にはよく知られているが、なかなかその真意というのは分かりにくい。ウィトゲンシュタインは「我々は論理に従ってしか考えることはできない」と言う。非論理的なことは考えることも想像することもできないというのである。というのを聞いて、「いや [続きを読む]
  • 神秘主義とオカルト
  • SNSで議論していると、ある人が「鈴木大拙は心霊主義者である。」というようなことを言い出したので驚いた。しかも、心霊主義という言葉をオカルト的なニュアンスで論じている。どうやら、それは鈴木大拙が神智学会の会員になっていることからきているらしい。鈴木大拙が神智学会員であったことは事実である。それは奥さんであるベアトリスが神智学会員であったことが大きな要因として考えられるが、神智学の神秘主義的要素に彼 [続きを読む]
  • われらはみなテセウスの船
  • テセウスというのはギリシャ神話に出てくるアテナイの王様の名である。テセウスがクレタ島のミノタウロスという化け物を退治し凱旋した時の船を、アテナイでは英雄の武勇伝の記念として長い間保存していた。それは木造船であるから、だんだん朽ちてくる。駄目になった部品を取り換えているうちに、元の材料で作られた部分はすべてなくなってしまった。そうすると、現存する船を果たして「テセウスの船」と呼ぶべきだろうか?考えて [続きを読む]
  • アリストテレスかプラトンか
  • ある人と議論している時に、「あなた(御坊哲)はアリストテレス的な立場ですね。私はプラトン的な立場です。」と言われたことがある。しかし、私はアマチュア哲学者を名乗ってはいるものの、私の哲学はまったくの我流で、体系的な勉強をしたわけではない。プラトンもアリストテレスも全然読んだことはなかったので、なんのことを言われているのかが全く理解できなかった。それ以来いろいろと勉強していくうちに、どうやらそれは存在 [続きを読む]