kii さん プロフィール

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kiiさん: 試撃行
ハンドル名kii さん
ブログタイトル試撃行
ブログURLhttp://yaplog.jp/shigekikou/
サイト紹介文幕末・維新に係る記事。史跡訪問。幕末維新系の時代劇レビュー。最近の事件を歴史に絡て考えてみたり。
自由文高杉晋作と幕末志士を紹介するHP「ぬしと朝寝がしてみたい」のブログです。
http://www.access21-co.jp/sinsaku/top.html
住んでる山口県下関市を拠点に観光や出張などで史跡をまわったり、幕末・維新に係るいろいろな記事を書いたりします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供227回 / 365日(平均4.4回/週) - 参加 2013/12/12 13:15

kii さんのブログ記事

  • 福岡県宗像市 五卿西遷之遺跡
  • 長州より海を越えて九州に入った三条実美ら五卿は、赤間宿の御茶屋(本陣)に25日間滞在しています。赤間宿では福岡藩家老加藤司書が出迎えたのですが、加藤は帯刀しており御茶屋には竹矢来が組まれていました。貴人にとって礼節を欠いた福岡藩の行為に五卿らは憤慨し、薩摩藩に不満の手紙を出します。これを読んだ西郷吉之助は、早馬で赤馬宿に駆けつけ、五卿に詳細を伺ったうえ福岡まで走り、福岡藩に待遇の改善を訴えたとされ [続きを読む]
  • 福岡県宗像市 早川勇顕彰碑
  • 宗像市役所 吉武地区コミュニティ・センターの手前に、早川勇の顕彰碑があります。「維新之志士 早川勇顕彰碑」。早川は遠賀郡の農家に生まれ、月形洗蔵の叔父である月形春耕に学び、福岡藩医板垣養永に医学を、洗蔵の父月形深蔵に儒学を学びました。江戸に出て佐藤一斉や藤森弘庵、大橋訥庵などに学び、帰郷後は村医早川元瑞の跡をついで医者となりますが、月形洗蔵、中村円太らと共に尊皇攘夷運動に参加。長州藩への周旋活動を行 [続きを読む]
  • 福岡県宮若市 犬鳴御別館跡
  • 海岸線を所領に持つ諸藩の多くが、海側に城を建設していますが、これはとても理に適っていました。海運という非常に迅速な交通・運搬の行える交通手段が使え、内陸の領地からも米や物産を川を使って下流に運びこむ事も出来ます。流通が便利だということは財政を大きく左右しますので、必然的に海側に城が集まってくることになる。また防備の面においても海に面していると非常に有利で、海が天然の巨大な堀の役目を果たしますので、 [続きを読む]
  • 西郷どん35
  • 第35回「戦の鬼」。西郷と坂本龍馬は意見の相違から袂を分かつ事になる。断固として慶喜の息の根を止めると言い張る西郷に対し、龍馬は「おまんとは乗る船が違う様じゃ」と去っていく。西郷は薩摩に帰り、討幕の為に兵を挙げる事を進言。一方で、龍馬と中岡慎太郎は近江屋で暗殺されてしまいます。微妙に中岡が武力討伐の意見だという描写がありました。数日後、西郷が3000の兵を率いて戻り、龍馬の死を知りますが、そこへお [続きを読む]
  • 小早川家の復興
  • 毛利元就の両川と呼ばれた吉川元春と小早川隆景。元就と共に嫡男の毛利隆元を補佐して中国制覇に大きく貢献し、一般的に「三本の矢の教え」で知られるように、隆元そしてその子毛利輝元を盛り立てました。吉川元春は戦上手として知られ、その戦跡は76戦64勝。元就も「戦では元春には勝てん」と称賛するほどでした。元春の後は次男の吉川広家が継ぎ、関ヶ原の戦いでは東軍勝利に貢献。その為に毛利宗家から疎んじられらはしまし [続きを読む]
  • 江戸の佐竹の岡部さん
  • 時代劇では辻斬りがやたらあって、とても夜道を歩けるようなものではない。まあTVの時代劇ってのは、今で言う刑事モノですので、事件がないと始まらない。「名探偵コナン」の世界では、コナンの行く先々で殺人事件が発生する。なんでも4〜500人の被害者があって、ぜんぶコナンの周りで起こっている。なんとも恐ろしい世界ですが、他の刑事モノや時代劇も似たようなもの。視聴者もドラマだってわかって観てるのですが、時代劇 [続きを読む]
  • 島根県鹿足郡津和野町 亀井家墓所
  • 津和野藩主亀井家の墓所は、城下北側の乙雄山中腹にあります。「永太院」。亀井家の菩提寺永明寺の末寺で、亀井家墓所はこの永太院の奥。永太院には樹齢100年以上とされるシダレザクラがあり、春には見事な花を咲かせるそうです。「西家墓所」。亀井家墓所へ向かう石段の途中にある西家墓所。西家は代々津和野藩の御典医を務める家柄でした。西周はこの家の出身で、江戸に出て洋学を学び、幕命でオランダへ留学。榎本武揚、澤太 [続きを読む]
  • 西郷どん34
  • 第34回「将軍慶喜」。第二次長州征伐は長州の勝利に終わり、その戦の最中に将軍徳川家茂を失う。窮地に立たされた幕府は、朝廷に働きかけ休戦へと向かいます。ナレーションでは「薩摩から入手した最新鋭の武器で奇襲を仕掛け、数で勝る幕府軍に次々と勝利していきました」とありますが、幕府直轄軍や紀州藩、熊本藩などは、最新鋭の装備を揃えていましたし、なにより海軍力においては長州軍の惰弱な海軍に対し、当時の最新鋭の大 [続きを読む]
  • 熊本県宇土市 宇土陣屋跡
  • 宇土藩は熊本藩の支藩。熊本藩2代藩主細川光尚の従兄弟である細川行孝が、宇土郡、下益城郡3万石を分与されて立藩しました。明治3年に熊本藩に合併されるまで11代続き、6代細川斉茲は8代熊本藩主に、8代細川斉護は11代熊本藩主となっています。「宇土市教育委員会」。宇土陣屋は宇土市教育委員会の建物周辺にありましたが、遺構は全く残っていません。「宇土細川藩陣屋跡」。宇土市教育委員会前に説明板が設置されていま [続きを読む]
  • 長野県上田市 上田城跡
  • 上田城といえば真田家の城として、2度にわたって徳川勢の猛攻を防いだ事で知られています。特に昨今は大河ドラマ「真田丸」の影響からか、知名度は相当高いでしょう。ですが、本ブログのテーマである幕末では真田家の城ではなく、江戸時代中期より松平伊賀守家(藤井松平家)が藩主となっています。僕は大河「真田丸」のオープニングに登場する山城が、この上田城と思っていたのですが、調べてみるとあれは備中松山城とのこと。真 [続きを読む]
  • 長野県伊那市 高遠城跡
  • 高遠城の築城時期は正確にはわかっていませんが、諏訪一門の高遠頼継の居城だったようで、武田信玄に内応して諏訪攻略を援護したとされています。しかし頼継は信玄と対立して敗れ、高遠城は信濃進出の拠点となり、山本勘助や秋山信友による大規模な改築が行われ、信友が城主となった後、信玄の庶子四郎勝頼の諏訪家継承により、勝頼が高遠城の城主となっています。信玄の嫡子武田義信が廃嫡されると、勝頼は代わって継嗣に目される [続きを読む]
  • 西郷どん33
  • 第33回「糸の誓い」。寺田屋事件からスタート。坂本龍馬と一緒にいたのは、長府藩士三吉慎蔵らですが、顔もほとんど映さず紹介テロップも無し。槍を持っているので、三吉がいたという認識はあったようですね。九死に一生を得た龍馬は薩摩藩邸に匿われ、西郷、大久保の勧めにより西郷と共に薩摩へ向かいます。西郷と龍馬、そして龍馬の妻お龍は西郷邸へ。お龍は寺田屋での武勇伝を西郷の家族に話します。100人の捕方に囲まれた [続きを読む]
  • 愛知県刈谷市 重原陣屋跡
  • 明治に入って立藩した藩ってのが、少なからずあったりします。重原藩もそのひとつで、戊辰戦争に敗れた福島藩は、三河国重原に移封されて重原藩を立藩しました。もともと重原は福島藩の飛地で、この移封は福島城からの退去が目的だったようです。刈谷駅東側周辺(重原陣屋跡の場所)「浄福寺」の横に「重原陣屋跡」の石碑と、福島藩領を示す「従是東福島領」の石標が建てられています。「重原陣屋跡」碑。葉っぱに覆われていました [続きを読む]
  • 体罰について
  • 最近、体罰がどうのとよく聞こえてきますねぇ。僕の考えは「体罰大意に結構!」でも「体罰は絶対ダメ!」でもなく、まだよく定まっていません。現時点でウチの子供に手を上げたことは全くありませんし、これからも上げるつもりはありません。僕自体も親、教師、上司から体罰を受けた事はなく、体罰とは無縁の人生でしたね。もちろんウチの子供は甘やかしているとかいえばそうではなく、悪い事や危険な事をしたらちゃんと言い聞かせ [続きを読む]
  • 岡山県岡山市 足守陣屋跡
  • 豊臣家は大坂夏の陣で豊臣秀頼が自刃したことにより断絶しましたが、豊臣秀吉の正室高台院の兄木下家定の家系が江戸時代も続き、幕府より豊臣姓を名乗る事が許されています。豊臣政権下で家定と3人の息子は大名となっていましたが、家定の三男木下延俊は関ヶ原の戦いで、終始東軍として戦いましたが、長男の木下勝俊は、東軍ながら敵前逃亡したとして改易。次男の木下利房は、西軍として戦ったために改易。当の家定は中立を保って [続きを読む]
  • 岡山県岡山市 庭瀬陣屋跡
  • 庭瀬陣屋は庭瀬藩の藩庁。廃城となっていた撫川城二ノ丸に陣屋を置いたものです。撫川城は戦国時代、三村家親によって築かれた城で、当時は沼地だったようです。三村家親が毛利家によって滅ぼされた後は毛利家の出城となり、織田信長の備中侵攻に備える境目七城のひとつとなりましたが、撫川城は織田勢に攻められて落城してしまいました。関ヶ原の戦いの後、戸川達安が都宇郡や賀陽郡の2万9000石を与えられ、撫川城の二ノ丸に [続きを読む]
  • 西郷どん32
  • 第32回「薩長同盟」。一橋慶喜はフランス公使ロッシュを招き、兵庫に軍艦を差し向けるよう求めます。英、仏、蘭の連合艦隊が兵庫に現れ、京の町は大混乱。幕府は異国の力を利用し、朝廷に揺さぶりをかけ、長州征伐の勅命を引き出そうという狙いらしい。外国の圧力と長州征伐にどういう関係が・・・・?で、再征伐の勅命が下るのですが、大久保は「非議の勅命は勅命にあらず」という書き付けを作り、それを世間に広めます。この書 [続きを読む]
  • 岡山県岡山市 岡山城
  • 岡山城は、豊臣家五大老のひとり宇喜田秀家によって築城されました。秀家は関ヶ原の戦いで西軍であったために改易され、同じく関ヶ原の戦いで、西軍から寝返った小早川秀秋が岡山城に入ります。しかし秀秋は2年後に早逝してしまい、無嫡であった為に小早川家は断絶。代わって池田輝政の次男池田忠継がわずか5歳で岡山城に入り、岡山28万石の藩主となりました。忠継の母は徳川家康の次女督姫で、家康の外孫にあたり、しかも2代 [続きを読む]
  • 岐阜県海津市 高須陣屋跡
  • 高須藩は尾張藩の支藩で、尾張藩2代藩主徳川光友の次男松平義行が、信濃に3万石を分与されて高井藩を立藩し、後に高須に移封されたことに始まる尾張藩御連枝の親藩です。藩主家は参勤交代を行わない定府大名で、四谷に上屋敷があったことから四谷松平家と呼ばれました。御連枝であるため、尾張徳川宗家に嗣子が絶えた場合はこれを相続し、実際に尾張藩の8代藩主、14代藩主、15代藩主が高須藩の出身です。特筆されるのは、1 [続きを読む]
  • 毛利敬親展のCM
  • 今、山口県立美術館で「毛利敬親展」をやっています。ものすごく行きたいんですが、仕事が忙しくて行く暇が無い・・。(記事UPしてるのは撮り貯めしてるものです。)その「毛利敬親展」のCMが山口県や周辺県のTVで流れているのですが、ちょっと面白いので紹介します。まあこんな感じで、グループLINE風に展開するCMなのですが、なかなか当時の長州藩が良く表現できていて面白い。欲を言えは、時系列をしっかり合せてほしかったし、 [続きを読む]
  • 三重県四日市市 四日市代官所跡
  • 四日市代官所は、幕府天領三重郡25村を支配する代官所で、江戸時代を通じて管轄する天領の司法・行政を司っていました。「東海道分間延絵図巻九」より。四日市宿は東海道の43番目の宿場として栄え、絵図のように陣屋が置かれています。「四日市宿陣屋(四日市代官所)」跡。四日市代官所跡は、現在の四日市市立中部小学校のある場所。小学校正門脇に説明板が設置されています。「四日市市立中部西小学校」。陣屋の遺構は全く残 [続きを読む]
  • 西郷どん31
  • 第31回「龍馬との約束」。薩摩藩と西郷隆盛を描く作品ですので、長州藩の事については適当というか端折って描かれるのは仕方ない。今までの作品でも散々な描かれ方をしていますので耐性も付いています。今回の「西郷どん」もまあやっぱりって感じですが、桂小五郎以外は存在しないという事ですね。残念ながら高杉晋作は出ないようです。ほんの・・・ほんの少しだけ期待したんですがね・・「西郷・高杉」会談。一般的に会っていな [続きを読む]
  • 大分県玖珠郡 安楽寺〜森藩久留島家墓所
  • 森藩久留島家の墓所は、城下の安楽寺にあります。玖珠町森周辺(安楽寺の場所)「安楽寺」。森藩主来島家の菩提寺で、山号は大通山。来島村上家の伊予の菩提寺は、安楽山大通寺という事で、山号と寺名を入れ替えたようです。「久留島武彦先生之墓所」。山門を入って左手には、童話作家久留島武彦の墓所があります。「久留島武彦の墓」。最後の藩主久留島通靖の孫で、全国の幼稚園・小学校をまわり、絵本の読み聞かせ活動を行いまし [続きを読む]
  • 大分県玖珠郡 森陣屋跡
  • 村上水軍三家の能島村上家、因島村上家、来島村上家のうち、能島村上家と因島村上家は、毛利家に仕えて船手組となっていましたが、来島村上家当主村上通総は豊臣秀吉に仕え、独立大名として来島城を本拠として、伊予風早郡1万4000石を与えられていました。(秀吉が通総を来島と呼んでいた為、姓を「来島」に改めています)しかし通総は、慶長の役の鳴梁海戦で戦死してしまい、跡目は通総の次男来島長親が継ぎましたが、関ヶ原 [続きを読む]
  • 愛知県豊田市 挙母城跡
  • 挙母城は挙母藩の藩庁。挙母は元々は「衣」と表記していた様ですが、本多家の入封によって「挙母」と改められ、以降、内藤家に藩主家が変わってからも「挙母」と呼ばれています。かつての藩庁の「桜城」は城ではなく陣屋形式でしたが、安中藩より転封した内藤政苗は、桜城の城郭への改修を計画。堀をめぐらし石垣を組んで、本格城郭への改修を進めますが、矢作川の大洪水で中断し、その後も度重なる水害に遭った為、桜城の改修を断 [続きを読む]