天邪鬼 さん プロフィール

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天邪鬼さん: 天邪鬼独言独語
ハンドル名天邪鬼 さん
ブログタイトル天邪鬼独言独語
ブログURLhttp://amanojack.top/
サイト紹介文飾らず、ありのままの自分を。 その日、その時の思いを綴る。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供108回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2014/02/11 16:36

天邪鬼 さんのブログ記事

  • 冷たい人間とはいるものだ
  • 日々、人と接していると、時に出会うことがある。本当に冷たい人間と。人の心をもっていないのか?とさえおもうことだってある。そりゃあ、傷つくことだってあるさ。だが、気にしないことだね。心底、冷たい人間というものは存在する。それを前もって織り込み済みにしておけばよい。いざ、そんな輩と接してしまったら、軽く流してしまうこと。そうすることで、自分を違う場所へと飛ばしてしまうんだ。いちいち傷ついていたら、きり [続きを読む]
  • 『放課後の音符』(山田詠美著)読了
  • 山田詠美作品は、時々だけど読んでいる。『音符』と書いて、『キイーノート』と読ませるのだそうだ。山田詠美という人を一言であらわせば、大人の女。その大人の女が描く少女の恋たち。よくぞ描写できるものだとおもう。小気味のよい短編が束となり、おそらくそれぞれが連鎖している。ハッピー!という感覚とは違うが、ネガティブでもない。ダイナミックなストーリーが展開されるわけでもなく、ある意味淡々と筆は運ばれる。そこに [続きを読む]
  • 『しろいろの街の、その骨の体温の』(村田沙耶香著)読了
  • 読む本を選ぶときには、自分だけの考えで決めてきた。あまり、友だちに勧められて・・・というパターンはなかったのだ。だが、最近は、人間も柔らかくなったか?友人が勧める本を読むこともできるようになってきた。もう一作品は読んでみようかとおもい、今回手にしたのが村田沙耶香。不思議な作家である。村田沙耶香が描く主人公像というのは、私の中にあった『主人公』に対する概念を打ち破る。こういう描き方をするのか・・・と [続きを読む]
  • 蟋蟀の声と郷愁
  • 田舎で暮らしていると、夜にもなれば、自然の囀りが聞こえてくる。8月も下旬あたりからか、屋外で鳴く蟋蟀(こおろぎ)の声が響いてくるようになった。妙に郷愁を感じる。四季があることを改めておもうときだ。そういえば、今朝は季節はずれの蝉の声を聞いた。寂しくはないか?何度かの夏を経て、また秋を迎える。四季折々の思い出が巡りめぐるが、それを実感するひとつの要素は音なのかもしれない。夏には夏の、秋には秋の音があ [続きを読む]
  • 仲良しグループはいらない
  • 昨今は、「いつめん」という言葉が、よく言われるようになったと聞く。いつものメンバー。何をするにも一緒、いつも仲良し、そんなグループのことだろう。人を敬い、大切にすることは尊いことだが、常に一緒にいないと不安で仕方がない。そういった状態は、健全とは言えないのではないか。わたしたちは仲良しだよね!?いつも一緒だよね!?常に確認作業に怠りがない。いつか人は、個性的であることを忌み嫌うようになり、仲良しグ [続きを読む]
  • 文字を書く
  • 最近は、手書きで文字を書くことにこころがけている。手帳であったり、ノートであったりと。紙の感触、インクの香りは、いいものだ。もとより、達筆などとは無縁な自分だが、毎日何かを書くことで、心おだやかになることを感じる。文章を綴るとき、どうしてもパソコン用のキーボードがメインになっている。だからこそ、あえて手書きの習慣をつけてみようと思った次第。なかなか良いものだ。昔から愛用していた万年筆は、さすがに疲 [続きを読む]
  • 朝の珈琲
  • 朝、目覚め。まず、することといえば珈琲をいれる。豆の香りに、一日のはじまりをおもう。日課になっているといっていい。田舎住まいからだろう、とりわけ朝も早い時間には、自然の声がよく聞こえてくる。鳥の声、羽音、自然の囀り。こうして、体内のスイッチがオンになるのだ。ひとしきり、お決まりの作業をしたら、しばし読書。本と触れあうことは、欠かせない所作。心に安寧をもたらすのだ。ひとり静かに過ごす時間。自分を省み [続きを読む]
  • いろいろな意見があっていい
  • 同じ事象、物事だとしても、人によって見方は異なり、意見もそれぞれ。ある意味、それが健全なのだとおもう。ただ、どうしても人は、自分と同じ意見をもった人物に共感する。気をつけたいのが、異なる意見をもった人々を排除してしまい、その声さえ聞こうとしないことだ。基本的に、自分とは言い分が違う人物の意見も聞く。そこが肝要ではないだろうか。その上で、自分なりの考えをもてばいい。たとえば組織。イエスマンばかりであ [続きを読む]
  • 『勝手にふるえてろ』(綿矢りさ著)読了
  • 子どもの頃から読書には親しんできたが、何故だろう?読む本はといえば、亡くなった作家のものが大半だ。いまもその傾向にかわりはない。だが、自分もそれなりに齢を重ね、少しはキャパがひろがったようだ。綿矢りさ作品も、もう結構な冊数を読んだ。文章が巧みだとはおもわない。だが、妙に手放せない。これは、間違いなく、私なりの褒め言葉だ。不思議な感覚。とても素直で等身大。すごくオタクでマニアック。この相反するものが [続きを読む]
  • 人から認めてもらおうと欲しない
  • 周囲の眼を気にしながら生きるというのは、どうにも息がつまるものだ。自分の行動をも制約してしまう。人から認めてもらいたいという心根は捨てよう。大切なのは、自分の心に照らして、正しい行いをしたかということだ。自らの良心に照らして、恥ずべきことをしていないか。昨日よりも、ちょっとだけでも進んだか。そこだけに留意すればよい。人からの評価などは、死んで100年もしなければ、定まらない。目先のことで惑わされて [続きを読む]
  • 司馬遼太郎の幕末維新(朝日文庫)読了
  • 司馬遼太郎さんの作品をはじめて読んだのは、十代後半の時期だった。以来、書店で手に入る小説の類は、全部とは言わないが、ほとんど読んでしまった。ゆえに、いまでも昔手にした作品を読み返す所作を繰り返している。司馬さん関連の本をあれこれ見ているうちに、ほぼ偶然だが、朝日文庫から「司馬遼太郎の幕末維新」という文庫本が出版されていることを知った。正直にいうと、それほど期待はしていなかったのだが、興味本位で購入 [続きを読む]
  • 蜜蜂と遠雷(恩田陸著)の凄み
  • 昨夜のこと、『蜜蜂と遠雷』(恩田陸著 幻冬舎刊)を読了。一気に読み切ったという気がする。読書といえば、小説の部類を読む際には、ほとんどの場合、既に亡くなった作家の作品を読んできた。今回は、例外ともいえるチョイスだったが、一言で表現すれば、すごかった。これだけの作品を書ける作家がいたのかという思いである。よく練られたストーリーにも、勿論関心させられるが、とにかく登場人物が魅力的だ。数人の主人公がいて [続きを読む]
  • 信じるのは自分のみ
  • 自分には厳しくとも、人には優しく穏やかに。人間、そうありたいものだ。その上で、信じるのは自分のみ。それを基本としたい。もし、信じられる誰かが一人でもいるならば、それは幸福だということだろう。他者に依存する生き方はしたくない。他者を尊重しつつも、自分を見失わず、最終的には自分を信じる。そんな生き方をしたいものだ。親しい人というのは、あるかもしれない。しかし、結局はみな他人でもある。究極的には、自分の [続きを読む]
  • 高杉晋作生誕の日
  • 日本史上には、希有な人物が輩出される時期というものがあるようだ。幕末もそのひとつ。たとえば、幕末を生きた人々のことだけでも、人物名鑑ができてしまうのではとおもえるほどだ。今日、8月20日は、その幕末を生きた高杉晋作の生誕の日でもある。高杉晋作という男は、体内にどれだけのエネルギーを宿していたのか。常識人と呼ばれる人々から見たら、その行動は奇行に見えたに違いない。よく考えるのは、もし高杉晋作が時代の [続きを読む]
  • 艱難も亦人を磨く
  • 苦しみ、失意、絶望、虚無。人は何度となく壁にぶつかる。正直、逃げ出したくなることもある。禍は、ないに越したことはないと思うわけだが、果たしてそうだろうか?と、自問してみる。艱難は、何も悪いことばかりではない。人としての自分を磨くチャンスでもある。歓迎すべし。天が与えてくれた良き機会と楽しんでしまえばいい。それを乗り越えたとき、おのずと自信もつくことだろう。どんな困難に遭遇しても、楽しむ心を忘れない [続きを読む]
  • 身を捨てて物事にあたる
  • 日常において、重要な仕事というのは案外と少ないものだ。大概は、流しておけば済む事案だろう。だが、時として困難な状況に直面することもある。そんなとき、どうするか?難しい仕事。難敵。ひとつ間違えば重大なリスクを背負うとき。まず大切なのはタイミングだが、人としての心構えとして、身を捨てるということがある。不思議なもので、身を捨てる覚悟で物事に臨むと、うまく行ってしまうもの。この原理は、なかなか解釈が難し [続きを読む]
  • 万年筆 インクと手書きの味
  • すっかりパソコンのキーボードで文章を書く習慣が定着してしまった。便利であるには違いない。これは、文字を書くというよりも、打つだ。ふと、手書きの味わいが恋しくもなる。万年筆。長年愛用してきた万年筆が壊れた。何度となく修理をしながら使い続けてきたのだが、もう限界のようだ。そろそろ休ませてあげる時なのかもしれない。万年筆はいい。インクが染みた不完全さに、人間味をおぼえるのだ。せっかく、こんな気持ちになっ [続きを読む]
  • グレン・グールドは特別な存在
  • 幼い頃から音楽を愛してきた。その理由も記憶に残っている。あれは3歳のとき、英兵のマーチング・バンドの行進を見たことがきっかけだ。以来、いろいろな音楽を聴き、触れながら、わたしは育った。だが、ピアニストは苦手だったのだ。幼い頃から音楽愛が芽生え、まずはクラシックをむさぼるように聴いた。お小遣いを一生懸命に貯めては、レコード屋へ足を運んだものだ。当時としては変わり者と呼ばれもしたが、ピアノも習った。男 [続きを読む]
  • ライバルは昨日の自分
  • みんな、自分と他人を比較し過ぎさ。考えてもごらんよ、それをはじめたら際限もないこと。人間として成長するためには、他人がどうであるかは関係なく、自分がどうあるべきかを中心に考えるべきだ。成長の速度は人によってそれぞれだ。だから、超スピードで突っ走る人あれば、亀のようにゆるりと歩く者もある。それでいい。昨日の自分よりも、一歩でも前進していれば合格だ。それでいいじゃないか。そのうち、釈迦や孔子とでも自分 [続きを読む]
  • 教養が邪魔をする
  • できることならば、純に生きたいものだ。シンプルに生きたいものだ。人が生きる真理とは、実は極めてシンプルなのかもしれない。それなのに、なぜ人は悩み、混乱し、判断を誤るのか。人生の真理。これは、自然に寄り添った生き方から生まれるようにおもえる。やたら学問ばかりして、頭でっかちになってしまうと、むしろ決断ができなくなる。教養が邪魔をするのだ。もっと、簡単に考えていいんじゃないか。もっと、シンプルに生きて [続きを読む]
  • 自分に厳しい人
  • 自らを律する。言うは易く、なかなか困難なものではある。ところで、自分に厳しい人というものが、この世にはあるようだ。それは、それでよいとして、気をつけたいことがある。自分に対して厳格な人というのは、他人に対しても往々にして多くを求めシビアな眼を向ける傾向にある。たとえば、物事を完璧にやらねば気が済まぬ性分を他人にも押しつけるのだ。これはよくない。厳しいのは、どうぞ自分へ向けてだけにしなされ。人にはお [続きを読む]
  • 正論の危うさ
  • 理詰めで来る人がいる。論客である場合も多い。寸分の隙もなし。これでは、太刀打ちできないというもの。だが、そこには大いなる危うさがある。だいたい、人間というものは、正論で屈服させられるほどに反感を抱くものだ。その理屈が正しいかどうかは、さほど関係がない。感情が拒否してしまう。その拒否反応は、正論であればあるほどに根深いものだ。正論とは、危うさを秘めている。よくよく注意すべし。他人を論破しようなどとゆ [続きを読む]
  • 朝の音
  • 田舎で生まれ育ったせいか、自然の音はごく普通のものとして受け入れている。カエルの合唱、秋になれば蟋蟀の囀りと。カーテン越しに朝の陽光がこぼれ入る。鳥たちの声が聞こえてくる。これが日課だ。鳥たちの声で朝を知るとは、考えてみれば贅沢なのかもしれない。以前は、早朝も早朝、近所にいる鶏が勢いよく鳴いていた。最近は、どうも聞かなくなったが、いなくなってしまったのだろうか。自然の音、自然の声。いいものだ。朝の [続きを読む]
  • 人望ばかりはなかなか身につくものではない
  • 知恵者だとか能吏というものは、ある程度の修練を経れば産まれるものであろう。理論も身につく。だが、いかんともし難いのが人望というやつだ。人望ばかりは、持ってうまれた者とそうでない者の間に天と地ほどの差異がある。カミソリのような明晰な頭脳をもった人物でも、最終的に大成しないならば、それは人望の欠如。人望ある人物のもとには、優秀な人材が自然と集まるから、物事を成し遂げることもできる。この差は大きい。では [続きを読む]
  • 人に頼る 人に頼らない
  • 人間、いいときばかりであるはずもない。失意もあることだろう。特に、現代社会は時間におわれ、全体、心の余裕を失っている。そんな中、ストレスを抱えて生きているうちに、心の安寧を乱されるケースも少なくない。調子がわるいときには、自分一人で解決しようとせず、周囲の助けを求めればいい。お互いさまさ。何も遠慮することなどないんだ。甘えられるのも才能のひとつなり。とはいえ、自分自身は、独りあろうと日々思案してい [続きを読む]