ふらふら侍 さん プロフィール

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ふらふら侍さん: 歴史の舞台に立つ
ハンドル名ふらふら侍 さん
ブログタイトル歴史の舞台に立つ
ブログURLhttps://ameblo.jp/rekishinobutai/
サイト紹介文歴史上の人物が関わった史跡を撮影して時系列で紹介しています。史跡めぐりの際 役立つと思います。
自由文かなり相当史跡めぐりしました。城跡、古戦場跡、寺社などなど。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2014/02/12 17:04

ふらふら侍 さんのブログ記事

  • 鶴岡八幡宮
  • 【概要】北条氏綱(北条2代)・北条氏康(のちの北条3代)は、戦火で焼失した鶴岡八幡宮の再興に取り掛かり、着工から12年後の天文13年(1544年)に完成させました。これにより東国武家政権の覇者であることをPRすることになるのです。 天文10年(1541年)に北条氏綱が死去したため、北条氏康は家督を継いで第3代当主となるのですが、北条氏綱(北条2代)は鶴岡八幡宮の再興を見届けることはできなかったわけですね。 【住所】神 [続きを読む]
  • 北条氏綱から家督を継いだ氏康(3代当主)
  • 北条氏綱死後嫡男氏康が後継になります。扇谷上杉家・山内上杉家・古河公方が関東制覇の障壁になっている図式は相変わらずでさらに追いつめ関東から追放もしくは討ち取りたいところでした。関東進出が進めば進むほど、扇谷上杉家・山内上杉家・古河公方は連係を深め、まわりの諸大名を味方につけ北条包囲網を敷いたのです。舵取りが難しい状況下での3代目就任だったのです。河越城の戦いでは絶体絶命の危機に追い込まれながら夜襲 [続きを読む]
  • 松山城
  • 本曲輪 【概要】武蔵国の松山城は、相模国から武蔵国へと伸張する北条家に対する前線拠点でした。扇谷上杉氏と山内上杉氏・古河公方が和睦を結び北条家の侵攻阻止に動きます。北条氏綱(北条2代)による侵攻の際、河越城は攻め落とされますが、松山城主難波田憲重(扇谷上杉家重臣)らの活躍により北条を撃退します。(松山城風流合戦)天文6年(1537年)のことです。 【住所】埼玉県比企郡吉見町南吉見 [続きを読む]
  • 河越城
  • 【概要】扇谷上杉家の朝興は、山内上杉家憲房・古河公方足利高基、甲斐守護竹田信虎、安房国の里見氏らと北条包囲網を敷いたため北条氏綱(北条2代)は劣勢に立たされます。里見家の内紛に乗じて里見家を弱体化させ包囲網から脱落させると、天文6年(1537年)の上杉朝興死去後、扇谷上杉家の本拠河越城を落城させました。 【住所】埼玉県川越市郭町2-25-10 [続きを読む]
  • 江戸城
  • 【概要】扇谷山内家と和睦していたため武蔵国への進出を控えていた北条氏綱(北条2代)は、大永4年(1524年)武蔵国に進出、高縄原の戦いで扇谷山内家を撃破したあと、太田資高(扇谷山内家)を寝返らせ江戸城を攻略、その後、板橋、蕨(埼玉県)、毛呂(埼玉県)と勢力を広げていきます。※太田資高の妻は北条氏綱の娘【住所】東京都千代田区千代田 [続きを読む]
  • 北条早雲から家督を継いだ氏綱(2代当主)
  • 後北条家の初代・北条(伊勢)早雲のあとを2代目氏綱が継ぐのですが、氏綱が何を継いで、氏綱が北条家当主としてどのようなまつりごとをしたか説明したいと思います。※北条早雲は、伊勢盛定の子として伊勢新九郎盛時として備中(岡山県)で生まれ、京都時代、駿河(静岡)時代を経て伊豆国を支配するようになり、相模国支配後、死亡。北条(伊勢)家を氏綱に託したのでしたよね?さて相模国というのが現在のどのあたりを指すか説 [続きを読む]
  • 三崎城
  • 【概要】永正13年(1516年)伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、新井城を攻略した際、三崎城も落城します。※三崎城は、新井城の背後を守る重要な居城でした。【住所】神奈川県三浦市城山町 [続きを読む]
  • 岡崎城
  • 【概要】権現山城の戦いで敗れた伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、扇谷家に属する三浦氏攻めを行い巻き返しを図ります。永正9年(1512年)8月に岡崎城を攻略し、さらに住吉城も落城させ、三浦義同を新井城に追い込みます。 【住所】神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷 [続きを読む]
  • 権現山城
  • 【概要】小田原城を手に入れた伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、扇谷上杉家の上田政盛を寝返らせ権現山城を手に入れます。対立していた関東管領の扇谷上杉家と山内上杉家が共闘して権現山城を攻めることになり、伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)・上田政盛らは敗北することになります。 【住所】神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷 [続きを読む]
  • 深根城 
  • 【概要】1498年8月伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、徹底抗戦する堀越公方の重臣・関戸吉信(深根城主)を攻め、深根城を攻略し伊豆国を統一することに成功します。この時伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は関戸一族を皆殺しにしたと言われています。 【住所】静岡県下田市堀之内80-1 [続きを読む]
  • 下田柏久保城
  • 主郭の社 【概要】堀川公方の茶々丸を伊豆から追放した伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)ですが、茶々丸一派は伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)の伊豆支配に反発。伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、茶々丸一派重臣狩野道一を攻め、1497年4月柏久保城(狩野城出城)を攻略。1497年12月狩野城を攻略。抵抗する茶々丸一派の一掃を進めていきます。 【概要】静岡県伊豆市柏久保 [続きを読む]
  • 堀河御所
  • 【概要】当時、伊豆で最大の勢力をもっていたのは堀越公方でした。※堀越公方とは、室町幕府の東国支配機関堀越公方の内紛に乗じた伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は堀越御所を攻め、茶々丸を伊豆から追放し伊豆一国を支配下に収めることに成功しました。 【住所】静岡県伊豆の国市四日町字御所内 [続きを読む]
  • 興国寺城
  • 【概要】今川の家督争いで龍王丸の勝利に貢献した伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は興国寺城を与えられました。龍王丸は駿河館に入り、2年後に元服して氏親を名乗り正式に今川家当主となるのです。 【住所】静岡県沼津市根古屋428 [続きを読む]
  • 駿府城
  • 【概要】応仁の乱で京を離れた伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、主君足利義視帰京後も京に戻らず、駿府に向かいます。応仁の乱で東軍同士として京に滞陣した際、駿河守護今川義忠は、伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)の妹北川殿を見初めて結婚していたので、その縁で伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は駿河に下ったのでした。 【住所】静岡県 静岡市 葵区駿府城公園1-1 [続きを読む]
  • 応仁の乱 
  • 【概要】30代の頃の伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は、京に上り室町幕府8代将軍・足利義政の弟・足利義視(あしかがよしみ)に仕えます。足利義視が足利義尚(義政の子)との間で将軍足利義政の後継を争ったことが応仁の乱の引き金となり、伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)は足利義視とともに京を離れざるを得なくなります。 【住所】京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495 [続きを読む]
  • 高越城
  • 【概要】永享4年(1432年)北条早雲は、伊勢盛定の子として高越城で生まれます。備中伊勢氏出身だったため、当時は伊勢新九郎盛時と名乗っていました。※特集では北条早雲を伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)と表記することがありますのでご了承ください。 【住所】岡山県井原市東江原町 [続きを読む]
  • 北条五代 基礎知識【北条と何度も関わった城】
  • 当特集は、北条五代として取り上げるため、年数が長い分どうしても何度も北条と関わる城がたくさん出てきます。そこで、だれが城を守っていていつ誰と戦いどうなったか?まとめてみました。 【関宿城】せきやどじょう千葉県野田市関宿三軒家関東の制圧を目論む北条氏康が、「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評した関東の中心部における最重要拠点で、北条と上杉方の間で激しい争奪戦が繰り広げら [続きを読む]
  • 北条五代 基礎知識【昨日の敵は今日の友】
  • 北条早雲の妹と駿河守護今川義忠の婚姻が縁で、北条早雲が駿河下向したといういきさつがあるため、北条と今川は同盟関係にありました。今川家が武田家と同盟を結んだことが引き金になり、北条は今川と敵対するようになります。(武田家は北条と敵対関係にあった扇谷上杉家を支援していた)北条は今川の東駿河を奪取します。 扇谷上杉家と山内上杉家の抗争では扇谷上杉家に味方し山内上杉家を破ります。(武蔵立河原の戦い)その後 [続きを読む]
  • 北条五代 基礎知識その3
  • 北条5代が関わった他家との関係性についてまとめてみました。今川家との関係。北条早雲の妹と駿河守護今川義忠の婚姻が縁で、北条早雲が駿河下向したといういきさつがあるため、北条と今川は同盟関係にありました。北条早雲は今川から与えられた興国寺城を拠点に伊豆国を奪取。さらに相模国も奪取し力をつけていきます。今川家が武田家と同盟を結んだことが引き金になり、北条は今川と敵対するようになります。(武田家は北条と敵 [続きを読む]