ふらふら侍 さん プロフィール

  •  
ふらふら侍さん: 歴史の舞台に立つ
ハンドル名ふらふら侍 さん
ブログタイトル歴史の舞台に立つ
ブログURLhttps://ameblo.jp/rekishinobutai/
サイト紹介文歴史上の人物が関わった史跡を撮影して時系列で紹介しています。史跡めぐりの際 役立つと思います。
自由文かなり相当史跡めぐりしました。城跡、古戦場跡、寺社などなど。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2014/02/12 17:04

ふらふら侍 さんのブログ記事

  • 祈り岩
  • 【概要】戦いは全くの互角で決着がつかず日暮れにさしかかっていました。休戦状態の中、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発してきました。外せば源氏の名折れ。源義経は、那須与一に大役を託します。平家が立てた扇の的を射落としたい源氏・那須与一は、この岩に祈ります。「南無八幡大菩薩、わけても私の生まれた国の神明日光権現、宇都宮那須大明神、願わくばあの扇の真中を射させ給え」 【住所】 [続きを読む]
  • 射落畠
  • 【概要】平家・平教経はかなりの弓の達人。源氏の大将・源義経を討たんと弓を放ちますが、源義経の矢面にたった佐藤継信が身代わりとなって落命します。 【住所】香川県高松市牟礼町牟礼浜西 [続きを読む]
  • 源氏襲撃 その2
  • 川の向こうから赤牛崎の史跡の撮影をしてみました。このあたりの対岸から浅瀬を通って島に渡ったのかな? いまでこそ狭い川になっているけど当時は何メートルもある浅瀬がこのあたりにあったんだろうね。 浅瀬を通って島に渡った源氏は、行宮(安徳天皇社あたり)を襲撃します。意表を突かれた平家は大混乱に陥り、沖に逃げ出す人が続出します。 【安徳天皇社住所】香川県高松市屋島東町557-1 [続きを読む]
  • 源氏襲撃 その1
  • 一の谷の戦いに敗れ屋島に拠っていた平家を討つため寿永4年(1185年)源義経らが襲撃します。屋島は今でこそ埋め立てで陸続きになっていますが、当時は島でした。源氏が放った火に驚いた赤牛が海を渡るのをみた源義経は、浅瀬の場所を把握。干潮時には騎馬で島に渡れることを知った源義経は干潮時を狙って島に渡ります。 赤牛崎(あかばざき) 【赤牛崎住所】香川県高松市屋島中町 平家を攻めるにあたって源氏は兵を二手に分け攻 [続きを読む]
  • 一の谷の戦いを終えて
  • 源義経の坂落としの奇襲攻撃により、平家は混乱し、一門の多くを失います。平家総大将・平宗盛は安徳天皇らを連れて船で屋島へ向かいました。 生田の森の副将軍・平重衡は、この地で庄四郎高家に生け捕りされました。【住所】神戸市須磨区須磨寺町1丁目13 逃走する源氏・熊谷直実は、平家・平敦盛の首をはねるのですが、直実は世の無常を感じるようになり、出家を決意して世をはかなむようになります。織田信長が詠んだ敦盛「人 [続きを読む]
  • 須磨寺
  • 源義経のとった奇襲・坂落としにより、平家は大混乱。海岸へと味方の船を求め殺到します。逃げる平家を追う源氏・熊谷次郎直実は、沖の方へ馬を泳がせている若い武将を見つけ、一騎打ちになります。 平家・無官太夫平敦盛と源氏・熊谷次郎直実の一騎打ち。 戦いに勝った源氏・熊谷次郎直実は、平家・無官太夫平敦盛の首をはねることになります。 はねられた無官太夫平敦盛の首を洗い清めたとされる池。源義経はこの松に座って無 [続きを読む]
  • 須磨の浦
  • 昨日紹介した坂落としの舞台・須磨一の谷にはロープウェーを使っていきました。須磨浦というとロープウェーで有名。昭和32年に開業、須磨観光には欠かせない乗り物となっています。 さあ、ロープウェー出発。ロープウェーを上り切ったところからの景色。結構高いなあ。さらにカーレーターを使って上っていきます。カーレーター降りてすぐのところに鉢伏山山頂。旗振山にはリフトを使うか徒歩かのどちらか?歩いても10分くらいで到 [続きを読む]
  • 坂落とし その2
  • つぎは須磨一の谷の坂落としをみてみましょう。鉢伏山・旗振山と連なる須磨一の谷。旗振山から下ったところにあるのが一の谷ですが、旗振山から一の谷に下っていく途中に坂落としの史跡がありました。 ロープウェー・カーレーターで乗り継ぎ降りたところにある鉢伏山山頂。旗降山に向かいます。 旗振山頂上に到着。 旗振山の山頂から見た景色。旗振山から一の谷に下っていくと・・・坂落としの案内板がありました。 一の谷に下 [続きを読む]
  • 坂落とし その1
  • 一の谷の戦いというと、坂落としが有名です。一ノ谷の裏手の断崖絶壁から平家のいる一の谷まで一気に坂を駆け下った奇襲攻撃。源義経が仕掛けた奇襲攻撃に、意表を突かれた平氏は海へと敗走することになるのです。 坂落としには、鵯越(ひよどりごえ)説と、須磨一の谷説と2つあります。そこで両方解説してみたいと思います。まずは鵯越(ひよどりこえ)説。 「鵯越の碑」の背面には、「この道は摂播交通の古道で源平合戦のとき  [続きを読む]
  • 生田の森 その2
  • 源平合戦・生田の森の合戦の時、梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる梶原の井。「かがみの井」とも言われます。謡曲「生田敦盛」の題材になった「あつもりの萩」平氏の若武者・平敦盛は須磨の海岸で討ち死にしてしまいます。敦盛の遺児が父の消息を求めてこの生田宮に参詣、玉垣にもたれて見た夢の中で亡父に会うことができ、萩が好きな敦盛を偲んだと言われます。 [続きを読む]
  • 生田の森 その1
  • 生田神社 【概要】寿永3年(1184年)2月、源氏同士の争いの間隙をつき京に攻め入ろうとする平家に、源義経軍が襲い掛かります。現在生田神社になっているあたりは当時は大きな森で、平知盛を大将とする平家が範頼を大将とする源氏と対峙することになりました。強力な防御体制を敷く平氏の陣を源氏はなかなか崩せずにいました。 【住所】兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1 [続きを読む]
  • 宇治川の戦い
  • 宇治川の戦いは源氏同士の戦いだった。佐々木高綱と梶原景季による宇治川の先陣争いの舞台になった(中州の)橘島。宇治川に浮かぶ小島で木曽義仲軍と源義経軍が激突した。 改修工事のため石碑は見れず、石碑の写真のみ。橘島から見た宇治川。西側から渡るときは橘橋東側から渡るときは朝霧橋。 【概要】以仁王の平家追討の令旨により挙兵した木曽義仲は、倶梨伽羅峠の戦いなどで、平家を破り、京に上ります。ところが木曽義仲 [続きを読む]
  • 蛭ヶ島(ひるがしま)
  • 【概要】平治の乱で敗れた源頼朝は、伊豆の蛭ケ小島に配流され、1160(永暦元)年から1180(治承4)年8月までの20年間をこの地で過ごしたと言われます。流刑になったのは、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによるものでした。 【住所】静岡県伊豆の国市四日町字蛭島13 [続きを読む]
  • 六波羅蜜寺
  •  【概要】皇位継承問題などから後白河天皇と崇徳上皇の争いに発展し、平清盛・源義朝(源頼朝の父)が後白河天皇方としてともに戦い、崇徳上皇軍を倒した保元の乱。当時は源氏と平家は対決する関係ではありませんした。ところが、論功行賞では平清盛に差がつき、源義朝は不満を増大させます。その後実権を握った藤原信西を倒すべく藤原信頼・源義朝は平清盛留守中にクーデターをおこします。クーデターを知った平清盛は京に戻り [続きを読む]
  • 蝋(ろう)人形で源平合戦の流れを紹介してみる。
  • 平家にあらずんば人にあらず。平家が絶対的な力を誇示していた時代がありました。ただ絶対的な力があったがゆえに朝廷に対する配慮が欠けたり狼藉を働くようになり不満が渦巻いていました。朝廷に狼藉を働く平家。大仏を破壊する平家。 以仁王による平家追討の命を受け源氏が立ち上がります。富士川の戦い、倶利伽羅峠での相次ぐ敗北に平家は京を追われ、倶利伽羅峠で平家を討った木曾義仲が京に入ります。後白河法皇は対立するよ [続きを読む]
  • はじめに
  • 今日からは源平合戦の特集をはじめます。源平合戦がどこからどこまでを指すかは、異論が分かれるところだとは思います。当特集では、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いにフォーカスを当て、他は補足的に紹介していくことにしました。戦ごとに名場面が存在しますので、名場面が連想しやすい構成にしました。それでは源平合戦特集よろしくお願いします。 [続きを読む]
  • 月賦販売発祥の地
  • 伊予国(愛媛)の漆器掛け売りが、日本におけるクレジットの起源。 今治市の外れの桜井にある神社に月賦販売発祥の石碑があるなんて違和感あるね。この地は菅原道真ゆかりの地。 菅原道真ゆかりの地だけあって「天神様と牛像の像」が設置されていました。ちなみに伊予商人による月賦販売が始まったのは江戸末期で、伊予商人本拠である桜井の地は当時幕府直轄地(天領)。 月賦販売は今も昔も信用が不可欠。月賦販売ゆかりの地は [続きを読む]
  • 靴発祥の地
  • 【概要】明治初期、 築地の明石町一帯には外国人居留地があり、多くの外国人が居住するようになっていました。 靴の需要が多くなったため、1870年(明治3)年、居留地に隣接する 入船町に日本で初めて靴の工場ができ 、国内で靴の製造が始まることになったのです。 【住所】東京都中央区入船3丁目 [続きを読む]
  • 招きネコ発祥の地
  • 招きネコ発祥の地はもう一ヶ所あります。招きネコ発祥の地で今戸神社と争ってるそうですが、個人的には豪徳寺が本家と思いたいね。 【概要】彦根藩の第二代藩主・井伊直孝の江戸での鷹狩の帰りでのことです。あるお寺を通りかかると1匹の白い猫が手招きをしていたので、導かれるように寺に入りました。すると平穏だった天気が急変、雷雨になってしまいました。猫の招きにより寺に導かれ濡れずに済んだことを喜び、その寺を井 [続きを読む]
  • 招きネコ発祥の地
  • 【概要】招き猫の由来は江戸時代にあり、浅草に住むおばあさんの夢にかつて可愛がっていた猫が現れ、自分の姿を人形にすれば福徳を授かると告げられ、今戸焼で猫の置物を作ったことが始まりとされています。 【住所】東京都台東区今戸1-5-22 [続きを読む]
  • ビール発祥の地
  • 【概要】1870年(明治3年)米国人ウィリアム・コープランドが天沼にビールに適した湧水を見つけ、スプリングバレーブルワリーという醸造所を作りました。日本のビール産業はこの地から始まったのでした。 【住所】神奈川県横浜市中区諏訪町29 [続きを読む]