hayamin さん プロフィール

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hayaminさん: 雅羅倶多館
ハンドル名hayamin さん
ブログタイトル雅羅倶多館
ブログURLhttp://garakutakan.blog.fc2.com/
サイト紹介文1960〜80年代のテレビドラマや映画を中心に感想やあらすじを書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供99回 / 325日(平均2.1回/週) - 参加 2014/03/30 16:35

hayamin さんのブログ記事

  • 大映俳優列伝(73)南條新太郎、玉置一恵
  • 戦前までは主演スターとして活躍したが、戦後の大映時代劇では脇役に廻った俳優が何人かいる。今までに取り上げた橘公子や水原浩一もそうだったが、南條新太郎もその1人である。1917年(大正6年)生まれ。36年(昭和11年)、新興キネマのスター募集に応じて京都撮影所に入社し、37年に「吉田御殿」の近習役でデビューした。同年の「岡野金右衛門」で早くも主演に抜擢され、以後主演スターとして活躍したのである。42年の統合で大映 [続きを読む]
  • 坂口安吾と高木彬光の合作「復員殺人事件」
  • 海野十三の「美しき鬼」は海野の急逝で島田一男が引き継いで完成させたが、当時海野はほかにも10本近い連載を未完のまま抱えていた。江戸川乱歩や横溝正史がそれを惜しんで続編の書き手を探したが、その頃海野のようなSFを書ける作家は皆無に等しかったので、結局「美しき鬼」を島田が、「未来少年」を高木彬光が、そして「少年探偵長」を横溝が書き継ぐにとどまったらしい。事前の打ち合わせもなく他人の小説を書き継ぐのは大変だ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(72)浅尾奥山、嵐三右衛門
  • 映画データベース上には浅尾奥山と言う映画俳優が2人いる。1人は大正末期、帝国キネマ(大映の前身のひとつ)に所属して「実録忠臣蔵」(1921年)などに出演した浅尾奥山である。もうひとりが戦後の大映で活動した、この浅尾奥山(四代目)なのである。三代目浅尾奥山が亡くなったのが1885年(明治18年)、大映の浅尾奥山が四代目を襲名したのは30年(昭和5年)なので、大正末期の浅尾奥山とは別人なのだろう。ただ何故後者が浅尾 [続きを読む]
  • 海野十三の「美しき鬼」と「蠅男」
  • 海野十三のジュブナイルSF探偵小説「美しき鬼」(1949年)は、海野の一般作品「蝿男」(1937年)のリライトである。しかも江戸川乱歩のリライト作品と違って、リライトしたのは海野自身なのである。尤も、実際には雑誌連載中に海野が急逝したために、島田一男が後半を書き継いで完成させたらしい。現在でも「蠅男」は創元推理文庫で入手可能だし、インターネットの青空文庫では海野のほぼ全作品が無料で読める。だが、「美しき [続きを読む]
  • 柏戸と日馬富士はどっちが上?
  • 横綱・日馬富士が九州場所後に引退した。暴行問題の責任を取らされた形での引退である。今年春場所に始まった17年ぶりの4横綱時代はわずか5場所であっけなく崩壊した。暴行問題はひとまず横に置くとしても、日馬富士は土俵上の戦跡でもあまり評価されて来なかった横綱である。幕内優勝9回はまずまず成績だと思うのだが、同じ時代に優勝40回の白鵬がいたために、低く見られてしまうのである。白鵬の前の最多優勝記録保持者だった大 [続きを読む]
  • リライト版「大暗室」の怪人二十面相
  • ポプラ社の「少年探偵江戸川乱歩全集」全46巻のうち現在は絶版となっている27巻以降のリライト作品には、原作からの変更点がいくつかある。まず子供向けであることに配慮して、原作のエログロ描写は大幅に薄められている。そして多くの場合には、原作では大人だった登場人物が「少年」や「少女」に置き換わっている。 例えば「魔術師」の場合、原作で妙子の「兄」として登場した二郎青年が、リライト版では「弟」の少年に変更され [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(71)南部彰三、石原須磨男
  • 大映京都で老け役を長く演じたのが南部彰三と石原須磨男である。南部彰三は1898年(明治31年)大分県生まれ。旧制中学を卒業後に地元で代用教員を務めていたが、22年(大正11年)に上京して陸軍省東京経理部に就職すると共に日本大学商学部予科に入学する。しかし関東大震災後に澤田正二郎の新国劇が催した罹災市民慰安の野外劇を見て感激したのをきっかけに俳優を志し、24年に日本映画俳優学校の2期生として入学した。見明凡太郎 [続きを読む]
  • ポプラ社「少年探偵江戸川乱歩全集」の成立過程 その2
  • 「少年探偵団シリーズ」の版元がポプラ社に移ったことで、いよいよ1964年(昭和39年)から「少年探偵江戸川乱歩全集」の刊行が始まる。ただし、この時点ではまだ「少年探偵団シリーズ」とリライト作品とは別物と見なされていたようである。ここからは順を区切って「少年探偵江戸川乱歩全集」の内容を確認してみたい。1.怪人二十面相(表紙絵・挿絵/柳瀬茂)1964/8/52.妖怪博士(表紙絵・挿絵/柳瀬茂)1964/7/303.少年探偵団( [続きを読む]
  • ポプラ社「少年探偵江戸川乱歩全集」の成立過程 その1
  • かつてポプラ社から出版されていた「少年探偵江戸川乱歩全集」全46巻のうち、26巻までが所謂「少年探偵団シリーズ」、つまり乱歩自身が子供向けに書いた作品であり、現在でも当時の装丁や挿絵をそのままに復刻したポプラ文庫クラシックとして出版されている。一方、27巻以降の20冊は乱歩の一般作品を他の作家が子供向けにリライトした内容であるためか、全て絶版になっている。なので残念ながら読みたければ図書館か古本屋で探す [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(70)水原浩一
  • 荒木忍の死去から4か月後には水原浩一が亡くなっている。1909年(明治42年)生まれ。24年(大正13年)、15歳で澤田正二郎らの新国劇に参加して土肥了平の名で舞台に立ったのが俳優活動の最初である。26年、タカマツ・アズマプロダクションに入社して土肥一成の名で映画界デビューしたが、同社は翌27年(昭和2年)に活動を停止したため松竹蒲田撮影所に移籍した。ここから撮影所遍歴が始まり、更にマキノ・プロダクションを経て東亜 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(69)荒木忍
  • 1969年(昭和44年)は大映にとって忌まわしい年だった。7月17日に大黒柱の市川雷蔵が37歳の若さでこの世を去ったからである。雷蔵の死が大映崩壊の序曲になったことは言うまでもないが、この年に亡くなったのは雷蔵だけではない。脇役として大映時代劇を支え、雷蔵との共演も多かった2人の俳優も亡くなっている。そのひとりが荒木忍である。1891年(明治24年)生まれ。高校を中退して16歳で上京し東京ガスの配管工などをしていた [続きを読む]
  • 横溝正史ブームはいつからいつまで?
  •   以前ある映画関連の文章を読んでいたら「1976年の映画『犬神家の一族』から横溝正史ブームが始まった」と書いてあった。現在もネット上でこの種の”誤解”はしばしば散見される。だが、ちょっと資料を紐解けばそれが間違いであることはすぐわかる。ブームの起点をどこに求めるかは諸説あるだろうが、横溝本人によれば、社会派ミステリーの流行で忘れられた存在になっていた横溝に復活の機運が訪れたのは1969年(昭和44年)であ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(68)植村謙二郎
  • 植村謙二郎を知る人は今や少ないだろうが、「ウルトラセブン」の「おもちゃじいさん」と言ったらわかるかもしれない。1914年(大正3年)生まれ。31年(昭和6年)に中学を卒業後、六代目尾上菊五郎が設立した日本俳優学校に二期生として入学する。同期には山形勲や三津田健がいた。36年、新興キネマ東京撮影所に入所し同年6月公開の「街の姫君」でデビューする。続く「さらば外人部隊」で初主演を果たし、かげりのある二枚目スター [続きを読む]
  • 13人の金田一耕助
  • 横溝正史が創造した名探偵・金田一耕助は、1946年(昭和21年)4月から同年12月まで雑誌『宝石』に連載された「本陣殺人事件」で初登場した。翌年映画化され、以後、映像で金田一耕助を演じた俳優は、映画・テレビを合わせて現在まで26人にのぼる。内訳は映画13人、テレビ15人である。合計人数が合わないのは、後述するように映画とテレビの両方で演じた俳優が2人ダブっているからである。ここでは映画になった13人の金田一耕助につ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(67)岡譲二
  • 金田一敦子からの金田一繋がりで、今回は名探偵・金田一耕助を演じたことがある岡譲二である。1902年(明治35年)生まれ。祖父は佐賀藩の勘定方を務め、父は三十五銀行の頭取だったと言う。立教大学商科を卒業し、日本蓄音器商会(現在の日本コロムビア)広告宣伝部に入社する。26歳で部長に昇進したが、日活宣伝部員の友人の薦めを受けて退社し、日活太秦撮影所現代劇技芸部に入社した。デビュー作は28年(昭和3年)の「維新の京 [続きを読む]
  • 「ガメラマーチ」を作詞した永田秀雅
  • 去る10月3日、永田雅一大映社長の息子で大映副社長だった永田秀雅氏が死去した。92歳。 だがこの訃報は元大映宣伝部員の中島氏がブログで伝えたのみで、マスコミでは報じられていない。 まあはっきり言って、半世紀近く前に倒産した会社の元副社長などにニュースバリューはないということなのだろう。 ウィキペディアにも独立の項目はないし、「永田ラッパ」で一世を風靡した父親に比べるとジュニア氏は影の薄い人物である。個人的 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(66)金田一敦子
  • ニューフェイスにはあたり年とはずれ年があったようである。これと言ったスターが出なかった年もあるが、1956年(昭和31年)の第10期はあたり年だろう。田宮二郎、石井竜一、叶順子、毛利郁子、市田ひろみ(後に服飾評論家)、そして金田一敦子である。 39年生まれ。金田一と言う姓からもわかるように、言語学者として著名な金田一京助の一族である。『日本映画俳優全集』には「父の叔父」と書いてあるのだが、正確に言えば「父の [続きを読む]
  • 大映第一フィルムの謎
  • 大映は社内に洋画部を設置して洋画の配給も行っていた。原点は戦後、まだ独立前の1949年(昭和24年)8月に永田雅一社長がアメリカ映画界視察のためいち早く渡米したことである。この際、永田はウォルト・ディズニー及びサミュエル・ゴールドウィンの両プロダクションと配給提携の仮契約を結んだ。翌50年に本契約が成立し、洋画部を設置して7月から本格的な配給業務を開始した。第1回の配給作品はディズニーの長編アニメ「白雪姫」 [続きを読む]
  • 京マチ子が「横溝正史シリーズ」に出演した理由は?
  • 少し旧聞に属するが、今年の『サンデー毎日』2/26号 (2017年2月14日発売)に「〔昭和のテレビ〕第50回 横溝正史シリーズ(毎日放送) 巨匠・西岡善信が明かす古谷一行の『金田一』秘話」と題する記事が載っていた。1977〜78年に放送された「横溝正史シリーズ」の生みの親のひとりである西岡善信氏に聞いた思い出話をまとめたものだ。 西岡善信と言えば大映京都の美術監督として「地獄門」(53年)「炎上」(58年)「雁の寺」(6 [続きを読む]
  • 村野鐵太郎監督の幻のデビュー作(?)「青い翼」
  • 大映で田宮二郎主演の「犬シリーズ」などを手がけた村野鐵太郎監督。大映倒産後はフリーとなり、「鬼の詩」(75年)「月山」(79年、サレルノ国際映画祭グランプリ受賞)「遠野物語」(82年)などの芸術映画を発表した。 「デジタル版 日本人名大辞典」等に載っているその経歴を見ると、1953年(昭和28年)大映東京撮影所に入社し企画部に所属、後に助監督に転じて、60年(日本映画監督協会名簿では61年)に「青い翼」で監督デビュ [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(65)若松和子、紺野ユカ
  • 村田姉妹の次は、彼女たちより20歳以上若い若松和子と紺野ユカの姉妹である。尤も2人の姓が違うし顔立ちもそれほど似ているわけではないので、言われてみないと姉妹だと気が付かれないかもしれない。どちらかと言えば姉は和風で、妹はちょっとエキゾチックな顔立ちだと思う。実家は四谷の料亭で本名は「星」と言う。一男四女の長女が若松和子で末っ娘が紺野ユカだった。 若松和子は1936年(昭和11年)生まれ。50年、松竹音楽舞踏 [続きを読む]
  • 大魔神死す 橋本力追悼
  • 大魔神の”中の人”(スーツアクター)だった元大映俳優の橋本力さんが今月11日に亡くなったそうである。83歳。つい2か月前にこのブログで取り上げたばかりだった。 http://garakutakan.blog.fc2.com/blog-entry-733.html活動歴はそちらに詳しく書いたので、ここでは手持ちのビデオから大映時代の出演シーンの一部をピックアップして追悼に代えたい。 「悪名市場」(1963年)役柄はバーテン兼用心棒。客としてやってきた勝新太郎 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(64)村田扶実子、村田知栄子
  •  村田扶実子と村田知栄子の姉妹はともに戦後の大映で脇役として活躍したが、それまでの道のりは違っていたようだ。扶実子は1907年(明治40年)生まれ。知栄子は8歳下の15年(大正4年)生まれ。父はロシア文学者、叔父は新派の名優だった村田正雄で、長兄も二代目村田正雄として新派の俳優になっている(なお三代目村田正雄もいたが、血縁はない)。そうした家庭環境の影響を受けて育った扶実子も27年(昭和2年)に宝塚国民座へ入 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(63)渥美進、当銀長次郎
  • 大映に所属した俳優親子には渥美進・若宮れい子とその娘である渥美マリもいた。尤も時代は離れているので親子が同時に所属したことはないのだが。渥美進は大映の第2期ニューフェイスとして1946年(昭和21年)に大映東京撮影所入社。同期には船越英二、関千恵子などがいた。47年にデビューし、同年12月公開の「いつの日か花咲かん」には船越、関らとともに当時のニューフェイス総出で出演している。余談だが関千恵子はこの映画で共 [続きを読む]
  • 大映俳優列伝(62)潮万太郎、弓恵子
  • 大映には長谷川一夫と林成年・小野道子(長谷川季子)、中村鴈治郎と中村玉緒、三益愛子と川口浩、そして潮万太郎と弓恵子と言う俳優親子がいた。このうち劇中でも親子を演じたのは三益・川口親子と潮・弓親子である。 潮万太郎は1909年(明治42年)生まれ。23年(大正12年)小笠原映画研究所(小笠原プロ)の「三色すみれ Love in Idleness」に花房綾夫という芸名で子役として映画初出演した。ちなみに片岡千恵蔵のデビュー作で [続きを読む]