恭次郎 さん プロフィール

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恭次郎さん: 帝都を歩く
ハンドル名恭次郎 さん
ブログタイトル帝都を歩く
ブログURLhttp://teitowalk.blog.jp/
サイト紹介文明治期から現在までの帝都の道を探るため、戦争遺跡や歴史的建造物、資料館やB級スポット等を探訪します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供56回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2014/04/29 14:26

恭次郎 さんのブログ記事

  • 玉砕の島サイパンから帰った戦車「陸軍少年戦車兵学校跡」
  • 静岡県富士宮市上井出にある軍事遺跡、陸軍少年戦車兵学校跡を歩いてきました。現在地は昭和59(1984)年10月に創建された富士宮市の若獅子神社前です。若獅子神社は大日本帝国陸軍少年戦車兵学校の跡地に建てられた神社です。太平洋戦争において戦没した同校の教官や生徒六百余を祭神として祀っています。昭和14(1939)5月から9月にかけ、満州国とモンゴルの国境線において、大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍の間で大規模な軍事衝突 [続きを読む]
  • 陸軍演習地は酪農地域に変わった「富士ミルクランド」
  • 静岡県富士宮市上井出にあるレジャー施設、富士ミルクランドを子供たちとともに歩いてきました。富士山西麓標高700〜1000mに広がる高原、朝霧高原。朝霧高原は酪農を行う牧場が多数点在する高原です。富士ミルクランドは、そんな酪農地朝霧高原で牛の乳搾り体験やバター作り、動物たちとの触れ合いが楽しめる自然体験スポットです。富士ミルクランドの名物は、新鮮な牛乳を使ったジェラート。口に入れるとふわっと溶ける作りたて [続きを読む]
  • 車でくぐると無事に帰れない呪いの鳥居「人穴浅間神社」
  • 静岡県富士宮市にある神社、人穴浅間神社を子供たちとともに歩いてきました。2013年に「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録された人穴富士講遺跡。富士講とは、戦国時代から江戸時代初期に富士山の溶岩洞穴・人穴で修業した長谷川角行を開祖とする富士山信仰です。人穴浅間神社は、その境内に富士講の遺跡と溶岩洞穴・人穴がある神社です。さて、現在地はその人穴浅間神社の鳥居前です。こ [続きを読む]
  • 明治大正昭和の東武車両が一度に見学できる「東武博物館」
  • 墨田区東向島にある博物館、東武博物館を子供たちと歩いてきました。東武伊勢崎線東向島駅のお隣に位置する、東武鉄道の博物館・東武博物館。東武博物館は東武鉄道創立90周年を記念して、平成元(1989)年5月20日にオープンした博物館です。館内には東武鉄道がその歴史の中で運用してきた電車やバスなどの実物車両が展示されています。博物館屋外に展示されているこの東武1720系デラックスロマンスカーもそのひとつ。デラックスロマ [続きを読む]
  • 目黒はかつて火薬製造の町だった「白金火薬庫軍用線」
  • 目黒区三田にあった軍用軌道、白金火薬庫軍用線跡地を歩いてきました。現在地は目黒区三田の目黒春日神社の境内です。目黒春日神社は境内の狭い小さな神社ですが、都市部の神社らしくきれいに手入れされていました。この目黒春日神社があるところは港区の三田春日神社の元地で、戦国期に太田道灌が神社を遷座しましたが、昭和9(1934)年に改めて当地に社殿を建立したという経緯のあります。目黒春日神社から目黒三田通りを北へ30mほ [続きを読む]
  • 悪魔の爆撃機B-29を撃墜した「保木間高射砲陣地跡」を歩く
  • 7月下旬から始まった夏休みも、そろそろ終わりが見えてきてしまいました。私には、1か月以上に及ぶ長大な夏休みなんてものは、はるか昔になくなってしまいましたが、今年は娘がその長い夏休みを経験しています。娘の幼稚園の宿題に夏休みの思い出帖みたいなものがあって、それを娘と二人で作っていると、自分にも夏休みが戻ってきて、その思い出を作っているように思えて幸せな気分になれています。さて今回は、足立区西保木間三 [続きを読む]
  • 終戦の日殺人事件が起きた「近衛師団司令部庁舎」を歩く
  • 千代田区北の丸公園にある軍事施設跡、旧近衛師団司令部庁舎を歩いてきました。現在地は千代田区の北の丸公園の一画にある東京国立近代美術館の分館、工芸館前です。この工芸館の建物は、明治43(1910)年3月建築の大日本帝国陸軍近衛師団司令部庁舎を再活用したものです。近衛師団司令部庁舎は2階建て煉瓦造り、正面中央の玄関上には小さな八角形の搭屋があり、屋根はスレート葺き、煉瓦壁はイギリス積み、建物の両翼部が張り出し [続きを読む]
  • 進駐軍が撤去できなかった祟りの赤鳥居「羽田の大鳥居」
  • 大田区羽田空港一丁目にある赤鳥居、通称「羽田の大鳥居」を見学してきました。現在地は羽田空港の出入り口にあたる、京急空港線の天空橋駅前です。天空橋とはこの駅の西側を流れる海老取川に架かる人道橋の名前で、駅名はこの橋から取られています。駅周辺は近くに下水道ポンプ場があるためか、若干臭うような気がしました。≪昭和22年ころの天空橋付近の空中写真≫天空橋駅がある海老取川より東側は羽田空港敷地内となっており、 [続きを読む]
  • 南千住にあった軍用被服の製造工場「千住製絨所跡」を歩く
  • 荒川区南千住の軍需工場跡地、千住製絨所跡を息子とともに歩いてきました。かつて、現在の都電荒川線三ノ輪橋停留場と隅田川の中間くらいのところに、千住製絨所という名の工場がありました。千住製絨所は明治12(1879)年、明治新政府によって設立された官営工場で、陸軍所要の布地や毛糸等を製造していたという。今回はこの千住製絨所跡地を訪問したいと思います。「とでん、のる!」電車や都電に乗るのが好きな二歳の息子に引っ張 [続きを読む]
  • 「八丈オリエンタルリゾート」東洋のハワイの繁栄と落日
  • 今回の訪問先は八丈島八丈町三根にある閉業中のホテル、八丈オリエンタルリゾートです。現在地は八丈島で夏場にもっとも人が集まる場所、底土海水浴場前の八丈一周道路です。底土海水浴場横の底土港では、八丈島と帝都の竹芝桟橋との間を一日一往復する東海汽船の定期便が発着します。今回はこの底土海水浴場から、八丈一周道路を北へ向かって歩いていきます。八丈島で唯一の公営キャンプ場、底土野営場近くまで来ると、八丈一周道 [続きを読む]
  • 『SIREN2』ロケ地の軍事要塞「友ヶ島第三砲台跡」を歩く
  • 和歌山県和歌山市加太に属する無人島群友ヶ島の軍事遺跡、友ヶ島第三砲台跡についてです。なお今回につきまして、写真が2007年当時のものであることを最初にことわっておきます。明治時代から第二次世界大戦の敗戦にかけ、紀淡海峡に位置する無人島群友ヶ島には軍の要塞がありました。大阪湾を外国艦隊から防衛するため、友ヶ島の一番大きな島沖ノ島に五つ、虎島に一つの砲台が築かれていたのです。そのため第二次世界大戦の敗北ま [続きを読む]
  • 戦争の資源は八丈島からも採掘された「唐滝・硫黄沼」
  • 八丈島八丈町樫立の唐滝・硫黄沼ハイキングコースを歩いてきました。現在地は八丈一周道路のバス停「富次朗商店前」から唐滝への山道を車で5分ほど進んだ、唐滝・硫黄沼ハイキングコースの駐車スペースです。富次朗商店前バス停から唐滝までのハイキングコースは約2キロメートルありますが、この駐車スペースまでは車で行くことができます。といっても全行程の4分の1程度なので、けっこう歩くことに変わりはありませんが。駐車 [続きを読む]
  • 【女人禁制】パラオの歴史的建造物「アイライ・バイ」
  • 訪問したのはもう六年も前のことになってしまいますが…今回はパラオ共和国アイライ州の歴史的建造物、アイライ・バイの紹介です。バイとは、二等辺三角形の草葺屋根が特徴的なパラオの伝統的建築物のことです。パラオには今もいくつかバイが残っていますが、パラオ最大の島、バベルダオブ島アイライ州にあるこのバイは、古くから集会所として使われていたバイとして知られています。アイライ・バイは1890年頃建築されたものと推定 [続きを読む]
  • フレーベル館を歩く【高射砲で撃墜されたアンパンマン】
  • 文京区本駒込にある出版社、フレーベル館を歩いてきました。現在地は本駒込六丁目の名勝、六義園の南東側を通る一方通行路の歩道上です。六義園は東京大空襲等の戦災による被害を受けず昔のままの姿を留めている庭園として、昭和28(1953)年特別名勝に指定されています。左手の赤レンガの塀の向こう側が六義園で、この先には六義園の正門があります。そんな六義園正門の向かい側には、日本で幼児に絶大なる人気を博するキャラクター [続きを読む]
  • 技術の発展は砲兵工兵に任せきりだった?「陸軍砲工学校跡」
  • 新宿区若松町にある軍事遺跡、陸軍砲工学校跡を歩いてきました。現在地は新宿区戸山の戸山公園箱根山地区にある箱根山の山頂です。箱根山は山手線内で最も標高の高い人造の山として知られています。本日はこの戸山公園箱根山地区に、子どもたちを遊ばせにやってきました。以前の記事で紹介していますが、箱根山のある戸山公園箱根山地区には太平洋戦争の敗戦によって帝国陸軍が解体されるまで、陸軍の教育施設「陸軍戸山学校」があ [続きを読む]
  • 名探偵浅見光彦・浅見家の菩提寺「昌林寺」を歩く
  • 北区西ヶ原三丁目にある寺院、昌林寺を息子とともに歩いてきました。以前に訪れた名探偵・浅見光彦の住む街、西ヶ原三丁目。今回はその西ヶ原三丁目にある曹洞宗の寺院、昌林寺にやってきました。昌林寺は浅見光彦シリーズの作中で、浅見家代々の菩提寺として登場するお寺です。作中において昌林寺は聖林寺という名前で登場し、浅見光彦シリーズ『鐘』の始まりの場所になっています。『鐘』の物語は、西ヶ原にある浅見家に夜中、聖 [続きを読む]
  • 名探偵浅見光彦の住む街・西ヶ原で謎のレンガ塀を探る
  • 東京都北区西ヶ原、名探偵浅見光彦が住むといわれる街を息子とともに歩いてきました。現在地は東京メトロ南北線西ヶ原駅から本郷通りを西へ300mほど歩いたところにある神社、平塚神社前です。平塚神社の参道脇には平塚亭つるおかという、昔ながらの和菓子屋があります。この平塚亭つるおかは、今年3月に逝去された作家・内田康夫の推理小説浅見光彦シリーズの主人公、浅見光彦が作中で母雪江の機嫌をとるためにみたらし団子を買っ [続きを読む]
  • 文京グリーンコートにあった精神病院「東京府癲狂院跡」
  • 文京区本駒込にかつてあった精神病院、東京府癲狂院跡地を歩いてきました。現在地は都営三田線千石駅から東へ徒歩五分の位置にある文京グリーンコートです。文京グリーンコートは平成9年10月に竣工した高層オフィスビル、高層住宅、商業施設からなる複合施設です。我が家ではたまに、この文京グリーンコートへランチにやってきます。本日はグリーンコート内のトラットリア・イタリア文京店で、子供たちにピザやケーキを食べさせま [続きを読む]
  • 人々は家財道具を探して壕をさまよい歩いた「馬路の地下壕跡」
  • 八丈島八丈町大賀郷にある由緒正しき古の道、馬路を歩いてきました。現在地は八丈島の西側、八重根漁港近くに位置する八丈町大賀郷の大里地区です。ここ大里の集落は旧家や有力家が多いところで、八丈島の伝統、六方積みと呼ばれる技法で積まれた玉石の石垣を見ることができます。玉石垣はかつて流人が一つ一つ運んだものらしく、大里の玉石の数は全部で74737個になるそうです。しかしまあ、よく数えたもんですね。そんな大里の集 [続きを読む]
  • 28cm砲弾が転がる帝都の陸軍墓地「音羽陸軍埋葬地」を歩く
  • 文京区大塚にある軍人墓地、音羽陸軍埋葬地を子供たちとともに歩いてきました。今回の目的地は、護国寺駅を降りてすぐのところにある真言宗豊山派の寺院、護国寺です。現在地は東京メトロ有楽町線護国寺駅四番出入口直近の、不忍通りにかかる歩道橋の上です。不忍通りは帝都の中心地である千代田区と台東区、文京区を結ぶ幹線道路だけあって車両通行量がすこぶる多いところです。この場所は不忍通りの護国寺西交差点の近くの歩道上 [続きを読む]
  • 『パパのぼり』きくちちき絵本原画展に行ってきました
  • 最近、我が家の子供たちのブームは『パパのぼり』です。私がごろごろしていると、子供たちが登ってくるのです。一度パパのぼりが始まると、なかなか解放してくれません。《Ehonnaviより出典・パパのぼり全ページ読めます》我が家でパパのぼりブームを巻き起こしたのは、きくちちき氏による絵本『パパのぼり』です。この本を図書館で借りてきてからというもの、私は影響された子供たちに登られまくりです。このため、家でごろごろし [続きを読む]
  • ベトナム戦争野戦病院開設阻止闘争の地「米陸軍王子病院跡」
  • 東京北区十条台にある区立公園、北区立中央公園を歩いてきました。現在地は北区の王子本町と滝野川の境を通る王子新道の、北区立中央公園前です。北区立中央公園には昭和46(1971)年10月15日にアメリカ合衆国から日本へ返還されるまで、米陸軍施設「キャンプ王子」がありました。北区立中央公園は、返還から五年後の昭和51(1976)年に跡地を整備して開園した公園です。米陸軍キャンプ王子内には、ベトナム戦争(1955〜1975)最中の昭和 [続きを読む]