稲島寅蔵 さん プロフィール

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稲島寅蔵さん: 人の行く 裏に道あり 花の山
ハンドル名稲島寅蔵 さん
ブログタイトル人の行く 裏に道あり 花の山
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/inajimatorazou
サイト紹介文天地万物一体仁の心
自由文一般庶民は、スクリーンを見ている。しかし、その本質は映写機にある。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供1013回 / 365日(平均19.4回/週) - 参加 2014/06/16 19:20

稲島寅蔵 さんのブログ記事

  • 安岡 正篤の言葉(その一五二一) 時世と活學
  • 「 第四講  危局と活学 (佐藤一斎〜言志後録) 」 こういう人間学が、あらゆる学問の中でも一番根本であって、政策だの、正論だの、というものはこれは手段・方法にすぎません。例えば、公害問題を取り上げてみましても、議論はいくらでもできるが、それを実際にどうするかということになりますと、結局は人間の問題、人物の問題でありまして、又従って人間教育というものが一番大切になって参ります。(43 43' 23) [続きを読む]
  • ■神州不滅の礎(その一六一)
  • (続き)このように、法人資本主義・会社本位主義は思想として、人間の魂を捉えるものではなく、只生活の惰性として人々を捉えているに過ぎない。日本の法人資本主義は、社会のシステムとして成功したかにみえるが、人々の魂を捉えるものはでない。人々は、共同体としての会社の中に生まれたものでなく、生まれた時から会社の中で生活している訳ではない。家族や民族、或は地域や国家とそこが違うのである。抑々、株式会社は利潤追 [続きを読む]
  • 大西郷遺訓 頭山滿翁講評(その一六五)
  • 【 立雲先生曰く 】勝海舟は幕臣中の切れ者であつたが、御一新の前に、九州を遊?した時のことぢや。彼は先づ熊本の横井小楠を訪うた。ところが、當時横井の名聲は非常なもので、『 横井平四郎さんなア實學なさる 』 と囃やされた時分だから、勝と對談すると、雄辯滔々數千萬言、時勢を論じ人物を評し、盛んにまくし立てたので、勝はおしまひまで一言も吐くことが出來なかつた。(43 43' 23) [続きを読む]
  • 安岡 正篤の言葉(その一五二〇) 時世と活學
  • 「 第四講  危局と活学 (佐藤一斎〜言志後録) 」 そして人間をどう始めるか、どう養うか、ということは結局自分をどう養うかということでありまして、まことに興味津々たるものがあります。改めて一斎先生に敬意を表する次第であります。一斎先生は こういう人ですから、よく弟子を教え、諸大名を指導し、又幕府の治績にも大変手柄のあった、文字通り大学者であり、同時に大教育家であり、立派な政治家でもありました。(43 43 [続きを読む]
  • ■神州不滅の礎(その一六〇)
  • (続き)会社本位主義は、会社が栄えている間は続くが、会社の存在が危くなるとその無理が表れて来る。同時に、その批判が一方では会社の内部から起こり、他方では外部から出てくる。元々、会社本位主義というイデオロギーには、人々の魂に訴える思想もなく、又社会的に妥当する普遍的な理念もない。只それは生活の惰性として、人々の生活を捉えているものであるに過ぎない。併し「会社離れでは生きていけない」という考えが日本人 [続きを読む]
  • 大西郷遺訓 頭山滿翁講評(その一六四)
  • 【 立雲先生曰く 】己を空しうすることが、即ち一切を得ることぢや。坂本龍馬が、始めて南洲翁に逢つた後に、その時の感想を叩かれたときに、『 西郷といふ人間は大鐘のやうな人で、大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く。憾むらくは、龍馬の撞木が小さかつた 』と評したさうぢや。よく西郷の大度量をいひ現はして居る。(43 43' 23) [続きを読む]
  • 安岡 正篤の言葉(その一五一九) 時世と活學
  • 「 第四講  危局と活学 (佐藤一斎〜言志後録) 」 男子はその頃から大体自信もでき、度胸もでき、経験が積まれるようになって、立派になる人間と、俗物になる人間とに分かれてくる。これは男女とも同様でありますが、男子の方が女子より少し遅れます。兎に角世の中には、いろいろと難しい問題もありますが、結局人間が一番難しい。(43 43' 23) [続きを読む]
  • ■神州不滅の礎(その一五九)
  • (続き)官僚も、会社本位主義でやって来た結果、会社が余りにも強くなり過ぎて、経営者や従業員が傲慢になり、官僚との力のバランスが崩れた結果であるが、同時に日本の官僚制度が余りに古臭くて動脈硬化を来し、時代の変化に対応出来なくなっている。そこで大企業を解体し、其々の工場事業部を完全独立させて行く方向こそ、二十一世紀の新しい企業像である。其処では始めて人間は労働から、仕事へとその生き方を変えて行くことが [続きを読む]
  • 安岡 正篤の言葉(その一五一八) 時世と活學
  • 「 第四講  危局と活学 (佐藤一斎〜言志後録) 」 そうなると地金が出て、よく気が利き、頭が働くものですから、遂には嫉妬心が丸出しとなって、失敗をも招くことになる。その通りですね。折角苦労して、妻の座或は夫の座が安定し、人間もできてきたという年齢が、或は成功であるのか、失敗であるのかわかれる年齢が、女子は四十過ぎ、男子は五十過ぎであります。(43 43' 23) [続きを読む]
  • ■神州不滅の礎(その一五八)
  • (続き)第三に外国、取り分け米国からの批判と圧力が、日本の会社本位主義を標的にしてきた。そこでは、日本の「系列」の閉鎖性が批判され、企業集団及び企業系列が排他的であるとして、日本政府や公取も規制する方向で態度を変え始めた。アメリカからの圧力は本来、法人主義そのものを批判したものではなく、貿易摩擦から来たものだけに、エゴステックな動機に依るものだが、併し、これが日本の消費者や大衆を味方にしている所に [続きを読む]
  • ■神州不滅の礎(その一五七)
  • (続き)次に、官僚と財界との関係について観ると、会社本位に都合の良い行政を行う事で官僚は財界に奉仕し、その見返りとして天下りを始めとする利権が与えられた。所謂、行政指導はこのような会社本位主義の行政のやり方であり、絶えず財界や大企業の経営者達と情報を交換し合い乍ら、会社にとって都合の良い政策を実行していくものであった。法人資本主義は「会社の会社による会社の為」の管理体系である。法人資本主義の解体現 [続きを読む]
  • 大西郷遺訓 頭山滿翁講評(その一六一)
  • 一、國の凌辱せらるゝに當りては、縦令國を以て斃るゝとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり。然るに平日金穀利材の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれど、一朝血の出る時に臨めば、頭を一所に集め、唯目前の苟安の謀るのみにして、戰の一字を恐れ、政府の本務を堕さば、商法支配所と言ふ可きのみ。(43 43' 23) [続きを読む]
  • 安岡 正篤の言葉(その一五一六) 時世と活學
  • 「 第四講  危局と活学 (佐藤一斎〜言志後録) 」 恥は、どちらかというと心理的でありますが、羞は体に表現された恥らいを申します。そこで含羞と申しまして、含という字が極めて大切であります。然しあまり露骨に出ると、また少し問題があります。本文に戻りまして、三十前後というと、まだ年が若いから、家にも舅も姑もおるが、四十ぐらいになると、家事に追われて、化粧もせず、なりふりをあまりかまわなくなる。(43 43' 2 [続きを読む]
  • ■神州不滅の礎(その一五六)
  • (続き)A社がB社に安定株主になって呉れと頼めば、B社もA社に同じことを頼むから相互持合いになって行く。株主の相互持合いは、お互いに同時に増員して其れを持ち合えば、資本金は幾らでも膨れ上がる。カネは一銭も出資していないのに増資しているのだから、それは資本充実の原則という株式会社の原理に反する。日本の大企業が企業系列化によってスリムにより、外部化を行なったところに、アメリカ大企業に競争力で勝った最大の理 [続きを読む]
  • 安岡 正篤の言葉(その一五一五) 時世と活學
  • 「 第四講  危局と活学 (佐藤一斎〜言志後録) 」 男は元来陽性ですから、どちらかと言うと、外へ伸びる方ですが、女は陰性ですから、内に含む、即ち内面的・内省的であることが本質です。そこから自ら生ずるのは恥を知る、恥らうということで、それが体に反映するのが「羞」という字であります。(43 43' 23) [続きを読む]