雨宮清子(ちから姫) さん プロフィール

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雨宮清子(ちから姫)さん: 力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ハンドル名雨宮清子(ちから姫) さん
ブログタイトル力石に魅せられて 姫は今日も石探し
ブログURLhttps://chikaraishiworld.blog.fc2.com/
サイト紹介文昔の若者たちが鍛錬と娯楽に使った「力石(ちからいし)」を紹介します。古典芸能や民俗行事、俳句なども。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供113回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2014/06/21 20:22

雨宮清子(ちから姫) さんのブログ記事

  • ローマへ
  • 終戦から15年後、というより今から58年前といったほうがわかりやすいですね。その半世紀以上も前の昭和35年(1960)8月8日、勝ちゃんこと飯田勝康は、第17回ローマオリンピック大会のウエイトリフティング日本選手団のコーチとしてイタリアへ飛んだ。この1960年はどんな年だったかというと、岸信介内閣のもと、新日米安保条約の調印を巡って反安保闘争が吹き荒れ、国会構内で女子学生が死亡。また、河上丈太郎、岸信介が暴漢に襲わ [続きを読む]
  • 憧れのハワイ航路
  • 「人は彼のことを「勝ちゃん」と呼んだ。勝ちゃんは江戸っ子気質の下町っ子で、多分に親分気質もあり、つねに若者たちに愛されていた」井口幸男は著書の中で、定太郎のいとこの「勝ちゃん」こと飯田勝康をそんなふうに語っている。けれど勝康の存在は影が薄く、縁者のEさん姉妹が知り得たことは、乳飲み子のとき、実母と死に別れたこと。叔父の徳蔵と共に活躍した長兄の一郎とは、16ほども年が離れていた。ウエイトリフティング [続きを読む]
  • 原点
  • 昭和20年8月15日、この日、15年続いた第二次世界大戦がようやく終わった。この昭和という時代は大恐慌で始まり、終戦までの5年間は「一億一心体当たり」の戦争一色となった。しかし、米軍機の波状攻撃で主要都市は焦土と化し、敗戦。昭和20年、連合国軍の支配下に置かれます。飯田徳蔵はそんな時代を生きてきました。そして、東京大空襲で仕事も住まいも輝かしい過去も失い、終戦の翌年、55歳でこの世を去ります。しかし徳蔵の「 [続きを読む]
  • 力石クン、晴れやかにデビュー
  • 埼玉の研究者・斎藤氏から新情報をいただきました。御影石の台石に保存処理された力石です。場所は千葉県松戸市の高龗(たかお)神社。  ※龗は雨冠に龍この力石、もとは高龗神社の東西にある東の六実稲荷神社と西の五香稲荷神社に放置されていたものとか。宮司さんの話では、「この石の大切さに気付いた氏子さんからの依頼で、二つの稲荷神社のちょうど真ん中に位置する当神社に保存した」とのこと。千葉県松戸市六高台1-15   [続きを読む]
  • 徳蔵死す
  • 徳蔵の一人息子の飯田定太郎が残したアルバムには、こんな写真もあります。右下にナチスの党章と思われる右卍(右向きの卍)の旗が見えます。※右卍(まんじ)の記号が出ませんので、ここでは左卍を使いました。ちなみにこの卍は吉祥印で、古代から世界中に存在しています。右卍は力、左卍は和を現わしているといいます。日本では和を尊ぶ左卍が多いですね。もしこれがナチスの党章であれば、ドイツ・ナチス党の青少年団体「ヒトラ [続きを読む]
  • もし、生まれ変われたら
  • DVDを見ました。「学徒兵・許されざる帰還 =陸軍特攻隊の悲劇=」2007年放送のNHKスペシャルです。昭和18年6月、時の首相で陸軍大臣の東条英樹は戦局悪化の中、「航空戦力の増強」を指示。パイロット不足を補うため文系大学・高専生を繰り上げて卒業させ、短期間の養成に着手、特別攻撃隊員として戦場へ送り出した。この特攻という無謀な戦術の成り立ちには諸説があるようです。素人の私にはとても入れない難しいテーマで [続きを読む]
  • 下志津陸軍飛行学校
  • 「定太郎アルバム」には、軍服姿の定太郎の写真がたくさんあります。初々しい少年らしい笑顔のものから、大人びて厳しい表情のものまでさまざま。右が飯田定太郎いつ、どんな形で航空隊員になったのか、それを知りたくて四苦八苦。そんな私を尻目に、丸顔に垂れ目の定太郎こと「タロさん」が、「わかるかな?」と言いたげに、写真の中で笑っています。ちなみに「タロさん」とは、縁者のEさん姉妹が呼んでいた「定太郎おじさん」の [続きを読む]
  • 赤紙
  • 戦後73年目の夏だからというわけでもないのですが、太平洋戦争の話を続けます。飯田徳蔵の一人息子の定太郎にも、赤紙(召集令状)が届きました。戦争末期は跡取り息子でも容赦なかったようで、「兄たちがすべて戦死したので、一人残った母親を残しては死ねない」と召集を拒んだ青年に軍人がビンタを食らわせて、戦死させてしまった話もあります。平和の時代に私設軍隊を持ち軍服で自死した作家の三島由紀夫には、戦時下の徴兵検査 [続きを読む]
  • 柏戸関と大正大学
  • 新情報が入りましたので、一部訂正しました。※もう一つ、私の推理を載せました。    ーーーーー◇ーーーーー飯田定太郎が残した「定太郎アルバム」に、相撲の写真が出てきます。相撲といえば父が熱心にテレビ観戦をしていた記憶ぐらいで、私自身はまともに見たことがありません。なので、今回はアルバムにあった写真を並べるだけにとどめます。写っているお相撲さんは「第47代横綱・柏戸」です。柏戸剛(1938〜1996)。山形県 [続きを読む]
  • 井口幸男の執念
  • 日本ウエイトリフティングの草創期を支えた井口幸男。その井口が召集されたのは25歳のとき。すでに妻も子もある身だった。2年3か月の間、中国大陸を転戦。「ずいぶん弾丸の下をくぐった。栄養失調で体がむくみ歩けなくなった。行き倒れの状態で破壊された民家に倒れ込み、そのまま寝てしまった。翌朝傍らに、すでに事切れた戦友を見た。彼は鳥のような骨だけの手で、妻の写真を胸に抱いていた」井口は敗戦直後のこんな話も著書に残 [続きを読む]
  • つかの間の青春
  • 「二千万人が特攻で死ねば、日本は勝てる」これは先の太平洋戦争のときの軍上層部の言葉です。負け戦が濃厚になりつつあった戦争末期、軍の上層部は「特攻」という若者一人がアメリカの軍艦に体当たりする戦法を次々と考え出した。  戦闘機で敵艦に突っ込む神風特攻。爆薬を積んだモーターボートによる水上特攻。潜水服で海底を歩き、爆薬をつけた竹ざおで敵艦の底を爆破させる水中特攻。14,5歳の少年が戦車で突っ込む「少年戦 [続きを読む]
  • 危機一髪
  • 肩から腕にかけての痛みがひどくなり、この暑さの中、整形外科へ。レントゲンに石灰化した大きな白いものが映っていて、お医者さんから「かなり前に何かの衝撃を受けたはず」といわれたけれど、う〜ん…。覚えがない。「五十肩になっている」と言われて、おっ! 五十歳の肩とは若いじゃないの、などとバカなこと考えて…。 一年ぐらいで治るといわれて、とりあえず炎症止めの注射をチクリ。注射が苦手な私の緊張した顔を見て、看 [続きを読む]
  • 真夏の夜の夢
  • 暑中お見舞い申し上げます。こんな夢を見ました。力石の神社誕生の夢!その名も「ちから姫神命(ちからひめがみのみこと)神社」祭神 ちから姫神 ご神体 力石 宮司 埼玉の研究者・斎藤氏神社惣代・力石資料館館長 力石研究の第一人者・高島師匠 ガイド・広報担当 徳蔵縁者の美人3姉妹併設の力石資料館で、館長による「力石講座」を毎月開講。「力石を詠む会」による俳句・短歌の創作教室と力石吟行。イラストレーターの章 [続きを読む]
  • 熱心なり
  • ☆末尾に私からのお願いを書きました。どうぞよろしくお願いいたします。    ーーーーー◇ーーーーー日中戦争激化で返上した「オリンピック東京大会」。そのかわりに、「国民精神作興体育大会」を開催したことは前回述べた。その翌年の昭和14年(1939)2月4日、日本重量挙競技連盟は、結成して初めての連盟主催の大会を開催。これは各倶楽部対抗の重量挙げの競技で、なんと、飯田徳蔵が立ち上げた「神田川倶楽部」が優勝したの [続きを読む]
  • 桃太郎の鬼退治
  • ※末尾に「雷電の力石」を載せました。☆「雷電石」の追加です。     ―ーーーー◇ーーーーー幻となった「オリンピック東京大会」のかわりに、国は「国民精神作興体育大会」を、昭和13年(1938)に開催します。徳蔵の一人息子の飯田定太郎も友人の南治作と参加。写真は、徳蔵がつくった「神田川道場」・「神田川倶楽部」のユニフォーム姿の定太郎です。重量挙の演技をする定太郎。「作興(さっこう)」とは、「心を奮い [続きを読む]
  • スポーツの軍国化
  • 日本ではまだあまり知られていなかった重量挙が、「ふさわしくないスポーツ」とされて、体育大会から除外されことは前回書いた。除外されたのは、知名度が低いからだけではなかった。時代が第二次大戦へと向かい、日本が軍国主義国家になったため、スポーツまで軍国化していったからだと、「国立競技場の100年」の著者、後藤健生氏はいう。「戦時色が増すにつれ、1930年代半ばごろから、西洋の近代スポーツは否定され、日本精神が [続きを読む]
  • 父に自分を重ねて
  • 昭和12年、井口らの念願だった「日本重量挙連盟」が誕生した。しかし、世間からは「特殊なスポーツ」と見られ、第12回明治神宮国民体育大会では、卓球などと共に、「ふさわしくない競技」として除外された。井口幸男の著書「わがスポーツの軌跡」には、重量挙に対する世間からの容赦ない言葉が随所に出てくる。「馬鹿力を出すだけのもの」「重いものを持つだけの単純なスポーツ」そんな中、貴族院議員の三島通陽氏が初代会長を引き [続きを読む]
  • 相撲力士と力持ち力士
  • 「ネットにこんなのが出ていた」と知人が知らせてくれた。それは、「昭和の怪物・若木竹丸を語れ」と題した掲示板の記事で、竹丸自身の談話として、こんなふうに書かれていた。「ある日、世界一と自称する外国の力持ちが、出羽海部屋で相撲取りと力比べをやるという新聞記事を読んだ。そこで、もし外国人に負けるようなことがあれば、国技たる相撲の名誉を傷つけるであろうから、ぼくが下っ端力士に化けてその外国人と闘おうと協会 [続きを読む]
  • 徳蔵、道場をつくる
  • 井口幸男は飯田徳蔵より20歳も年下。徳蔵の甥の飯田一郎や若木竹丸と同年代です。その井口が徳蔵と初めて会ったのは、まだ体育学校の学生だったころで、徐相天から預かった「朝鮮力道大会」への渡航費用を渡すため、若木竹丸の家へ行ったときだった。以来、井口はこの「力」の大先輩を尊敬しつづけます。井口たち若者が設立に奔走した「日本重量挙連盟」は、昭和11年に全日本体育連盟の一組織として発足。その翌年、念願の独立を果 [続きを読む]
  • 「懐かしい飯田家」
  • 日本重量挙界の草分け、井口幸男が亡くなったのは、昭和60年(1985)9月。74歳だった。明治の終わりに生まれ、平成直前にこの世を去ったことになる。著書「わがスポーツの軌跡」の出版はその翌年となっている。井口が「人生のほとんどを占めた」と書き残した重量挙げの生涯を、ご遺族が遺稿集として自費出版したものと思われます。戦地から帰還した翌年の昭和15年、井口は慶応義塾普通部へ教員として就職。そのころの井口氏です。 [続きを読む]
  • 「力」でつながる
  • ※はじめに 井口幸男氏の著書「わがスポーツの軌跡」の引用にあたり、ひと言お伝えしておきます。日本重量挙理事長を24年間務め、オリンピックなどの監督として数々の業績を残した井口氏ですが、日本ウエイトリフティング協会を通じて、ご子孫を探していただいたものの、見つかりませんでした。やむを得ず、そのまま写真等使わせていただくことをお許しください。もし、ご子孫や関係者の方がこのブログをご覧になりましたら、ご一 [続きを読む]
  • 力石の記録映画
  • 先週末は東奔西走。おまけに東京からの帰路、な、なんとカメラを紛失。あせりまくりました。その日は、徳蔵縁者のEさん3姉妹と埼玉の研究者・斎藤氏と一緒に、東京・品川区にある物流博物館を訪問。斎藤氏とは2度目、Eさん3姉妹とは初体面。待ち合わせ場所にあらわれた3姉妹の若さにまずびっくり。だって力石に興味を持つ方のほとんどは年配者で、女性は皆無ですから。美人揃いの姉妹が、これまたとびきり明るく元気で、終始、華 [続きを読む]
  • 「井口」本と出会う
  • 「ネットにこんな本が載っていますが…」そんなメールを徳蔵縁者のEさんからいただいたのが先月31日。どうやら徳蔵のことが出ているらしい。でもネットの情報はほんのわずか。まず本を探すのが先決です。しかし国会図書館に所蔵はなく、公共施設では全国でただ一ヵ所、著者の出身地の岡山県立図書館に一冊と、古書店に一冊あるのみ。さっそく地元の図書館へ出向き、県外貸し出しを申請。それから待つこと19日目、やっとやっとはる [続きを読む]
  • 人形劇
  • ちょっとのんびりしたくて、「しずおか人形劇フェスティバル」をのぞいてみました。会場には親子連れがいっぱいです。お父さんもお母さんもみんな若い!そんな中に場違いな私。ちょっと恥ずかしいけど、ま、いいか。出演はプロアマ合わせて15団体。同時間に複数の団体が上演するので、行き当たりばったりで4団体を観ました。こちらは大道芸人のあまるさんの「コメディ人形劇」天井ではミラーボールがぐるぐるピカピカ。斬新なネタ [続きを読む]
  • よきライバル
  • 昭和7年(1932)12月、神田川(飯田)徳蔵、若木竹丸、飯田一郎の3人が、徐相天の招きで今の韓国ソウルへ出かけたことは以前書いた。徐相天がどこで徳蔵たちを知ったのか不思議だったが、その謎が解けた。戦前から戦後の重量挙げの選手として、また五輪監督として活躍した井口幸男氏の著書「わがスポーツの軌跡」に、バッチリ出ていたのです。この朝鮮大会出場のきっかけは若木竹丸だった。井口はこう記す。「雑誌「キング」に、頭 [続きを読む]