denkouriki さん プロフィール

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denkourikiさん: 大相撲!土俵の目撃者
ハンドル名denkouriki さん
ブログタイトル大相撲!土俵の目撃者
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/taguchi_sumo/
サイト紹介文写真付きで大相撲をさまざまな視点で捉えます!一見の価値あり!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供340回 / 365日(平均6.5回/週) - 参加 2014/06/22 11:00

denkouriki さんのブログ記事

  • 関脇以下の優勝力士キラー8
  • 平成初期その後から平成12年までの優勝力士キラーをみていこう。ただし、横綱・大関と対戦のない平幕優勝力士及び横綱・大関と部分対戦の平幕優勝力士に勝った力士は、対象外とさせていただいた。この時期は貴花田、曙、若花田が優勝し始め、大関・横綱へとかけあがっていった。遅れて武蔵丸が台頭し、大関・横綱へ昇進していった。関脇以下の優勝力士キラーとして貴花田は3度、曙・若花田・武蔵丸は2度に留まっている。関脇以下 [続きを読む]
  • 知られざる十両優勝
  • 七月場所千秋楽、十両で貴ノ岩対隆の勝の優勝決定戦がおこなわれた。貴ノ岩が勝利し、平成25年一月場所以来2回目の十両優勝となった。5年半ぶりの十両優勝であった。優勝賞金200万円とともに貴ノ岩は来場所の再入幕を決定した。<貴ノ岩と隆の勝の十両優勝決定戦>協会が幕内力士の最高成績者を表彰したのは、大正15年からであった。優勝第1号は常ノ花であった。協会が十両最高成績力士を最初に表彰したのはいつからか。実はは [続きを読む]
  • 体重からみた旧両国国技館の英雄
  • 現在は160キロ以上の重量級全盛の時代である。小兵というと116キロの石浦、115キロの照強があげられる。それではひと昔前はどうだったのか。旧両国国技館時代をみていこう。旧両国国技館は明治42年夏場所より、戦後まもない一時期まで使用された。途中何度か火災にあって、ほかの会場を使用している。その時代4人の英雄を生み出している。相撲は体重がすべてではないが、大きな要素であることは間違いない。旧両国国技館の英雄を [続きを読む]
  • 問われる!稀勢の里8場所連続休場後の成績
  • 横綱という地位をひとくくりにはできない。ピンとキリには随分差がある。横綱中の横綱、大横綱といういい方はあるが、別に定義があるわけではない。しかし、時代を築いた横綱となるとイメージは固まってくる。その対極にあるのが弱小横綱である。横綱としては弱すぎる横綱である。その分類に入ってくるのが稀勢の里である。<牛久にある稀勢の里の手形の石碑>同じ年6場所で弱かった横綱というと栃ノ海が、あげられる。拝むように [続きを読む]
  • 関脇以下の優勝力士キラー7
  • 昭和最後から平成初期の優勝力士キラーをみていこう。ただし、横綱・大関と対戦のない平幕優勝力士及び横綱・大関と部分対戦の平幕優勝力士に勝った力士は、対象外とさせていただいた。この時期は千代の富士の優勝街道を邁進中であり、弟弟子の北勝海が台頭し、横綱に昇進していた。昭和57年七月場所、朝汐が6度目の関脇以下の優勝力士キラーとなった。この数字は新記録となった。朝汐は横綱北の湖から3度、横綱千代の富士から2 [続きを読む]
  • 59年前の大関昇降基準アンケート
  • 九月場所、御嶽海の大関取りが見所になる。最近は3場所33勝以上が大関の目安とされているが、これは相撲協会が公式に打ち出している見解ではない。つまり大関昇進には、はっきりとした基準はないわけである。また、大関は横綱と違い、適格者がいなければ欠いてもいいということにはならない。<七月場所優勝した関脇御嶽海>昭和34年、今から59年前の専門誌大相撲(読売新聞社刊)九州場所特集号には各界アンケートとして「大関の [続きを読む]
  • 横綱・大関の途中出場
  • 七月場所4日目、白鵬が休場した。そのとき大相撲中継で「再出場はまだようすをみて、おそらく…どうでしょうか」とアナウンサーが向こう正面で白鵬の師匠である宮城野(元竹葉山)に尋ねた。「ちょっとまだはっきりとはわからないですね」と答えている。驚いたのは横綱の再出場は近年ないからである。平成はもちろん、部屋別総当たり制が始まった昭和40年以降、いや年6場所制が始まった昭和33年以降もない。大関も同様である。い [続きを読む]
  • 引退相撲思いつくまま
  • 日馬富士の引退相撲のチケットが8月初めに届いた。正式には「第70代横綱日馬富士引退断髪披露大相撲」という。日馬富士が引退相撲を9月30日におこなうという情報は、五月場所開始早々耳に入ってきていた。ところがチケットはどうなっているかは定かではなかった。連絡先は判明したものの5月中は通じなかった。後援会、モンゴルの関係者などの席を確保した上で、一般に販売という手順を取っているのだろうと想像した。<日馬富士 [続きを読む]
  • 関脇優勝その翌場所4
  • 取口を変えて急激に強くなったのが、千代の富士である。それまで投げが中心だった。そのため、よく肩を脱臼した。8回も脱臼すれば、あきらめの境地になっても不思議ではない。しかし、千代の富士は鍛えぬき、筋肉の鎧を身につけた。そして前褌を取って寄る相撲に変えたことによって快進撃が始まった。<千代の富士>昭和56年一月場所、張出横綱で1敗の北の湖と東関脇で全勝の千代の富士が千秋楽激突した。その背景には大関貴ノ花 [続きを読む]
  • 平成30年九月場所チケット事情
  • 九月場所の前売りが始まった。七月場所の平日分チケットはけっこう長期に渡って販売され続けたが、九月場所はそうはいかなかった。コンビニでは最初から回線がつながらないありさまだった、という。特に土日祝日は秒殺というくらい、短時間でなくなった。今回各相撲仲間は、土日祝日をなんとか購入できた方が多かった。それでも1日がやっとというありさまだった。もちろん席は選べない。当然だめだった方も数名出た。前回、東京場 [続きを読む]
  • 希善龍の苦悩
  • 七月場所、栄光は御嶽海に初めて輝いた。その一方でまたも達成できなかった勝ち越しに苦しむ十両力士がいた。希善龍である。成績は6勝9敗だった。希善龍はこれまで9場所十両に在位しながら、1度も勝ち越せないでいる。さすがに9度という数字になるとなぜ、という思いとともにがんばれ希善龍と言いたくなってくる。これまで希善龍は十両でどのような成績を残してきたのか。それが以下である。<H25年5月 木村山から新十両初 [続きを読む]
  • 関脇優勝その翌場所3
  • 大鵬から年6場所制である。比較的現代の制度に近づいてきている。大鵬は入幕した年に関脇優勝している。驚異の新人であった。成績も11勝−12勝−13勝優勝だから文句なしの大関昇進であった。大鵬は関脇で優勝しながら三賞が1つももらえなかった。関脇以下の優勝で三賞なしは、朝汐についで2例目であった。この後は例がない。大鵬は優勝して当然の逸材であり、その将来は横綱間違いなし、という見方がされていた。大鵬の期待の [続きを読む]
  • 4場所経過した平成30年年間最多勝レース
  • 鶴竜と栃ノ心がハイレベルで争っていた年間最多勝が、両力士が途中休場したことによって、にわかにあやしくなってきた。4場所が経過した年間最多勝レースはどのように変化したか。4場所までの経過をまとめてみた。それが以下である。なお、対象は4場所幕内に在位した力士とさせていただき、単なる数字の比較ではなく、横綱大関の対戦率によってクラス分けさせていただいた。今までは10%台を1クラスにしてきたが、19%と10%で [続きを読む]
  • 関脇優勝その翌場所2
  • 東西合併後年4場所だった大相撲は、昭和8年から年2場所制に戻っている。この時期関脇で優勝した力士は翌場所皆大関に昇進している。男女ノ川の関脇優勝は実は2回目の優勝である。男女ノ川は昭和7年におきた春秋園事件で協会を脱退していた。復帰した昭和8年春場所、番付に四股名がなく、急遽別席として本場所に参加した。その場所、横綱玉錦、大関清水川・武蔵山を倒して優勝している。2回目の関脇優勝の翌場所大関に昇進し [続きを読む]
  • 御嶽海、15日間の戦いを採点する
  • 七月場所、横綱・新大関があいついで休場するなか、御嶽海はまさかの快進撃で前半を全勝で折り返した。常にトップに立ち続け、最後まで譲ることなく突っ走り、14日目に優勝を決めた。立ち合いからの当たり、常に前に出て相手に圧力をかけ、安定した相撲をとり続けた。まさに七月場所の救世主だった。負けた高安戦は相撲に勝って勝負に負けた一番であった。また、負けた豊山戦は大熱戦で白熱した名勝負であった。13勝2敗の優勝は新 [続きを読む]
  • 関脇優勝その翌場所1
  • 七月場所関脇御嶽海の優勝の余韻を残す場所後である。いつの時代も初優勝はどこか感動的である。御嶽海は関脇で優勝しながら、大関は来場所かけることになる。三月場所7勝8敗、五月場所9勝6敗では無理からぬことであった。<NHK金杯を受ける御嶽海>関脇優勝は26例25人いる。実は26例中18例が関脇優勝直後大関に昇進している。かなり高い確率である。御嶽海のケースは少数派といえる。それではこれまでどのようなケースで大関 [続きを読む]
  • 続旧貴乃花一門は呼称なしのその他に分類
  • 決まり手係だった親方がかつてこう言ったことがある。「マスコミの決まり手が正式な決まり手になるのではありません。協会が決定した決まり手が正式な記録になるのです」これは報道されたことは必ずしも日本相撲協会の見解や決定ではないということを表しているエピソードである。貴乃花親方が一門の名称に「貴乃花」を返上する旨を申し入れていたことは、周知の通りである。すでに立浪(元旭豊)、常盤山(元舛田山)が離脱し、貴 [続きを読む]
  • 初優勝御嶽海、栄光のグラフ
  • 3横綱・新大関が休場するなか、御嶽海が堂々たる相撲で昭和55年一月場所の三重ノ海以来の優勝を出羽海部屋にもたらした。関脇の優勝は平成27年五月場所の照ノ富士以来で、25人目である。朝汐が2度関脇で優勝しているのを1人として数えている。なお、最初の関脇優勝は玉錦である。御嶽海が上位であげた最高成績は、平成29年一月場所、前頭筆頭の11勝4敗だった。それが一挙に13勝で優勝したのだから急成長であった。御嶽海優勝の [続きを読む]
  • 平成30年七月場所総評
  • ★七月場所の相撲人気について七月場所は珍しく、発売日即日完売にならなかった。土日祝日13日目は完売だが、平日は、けっこう最後まで残った。もっとも発売日即完売は、ダフ行為が要因の面はある。高値のチケットは購入しないようにしない限り、ダフ行為はなくならない。★今場所千秋楽休場の千代翔馬を含め関取8人が休場した相変わらず休場者は多い。特に今回は3横綱と新大関含みだからダメージは大き過ぎた。相撲熱が冷めるほ [続きを読む]
  • ■名古屋千秋楽 御嶽海大関昇進のハードル
  • 千秋楽、御嶽海の対戦相手は逸ノ城ではなく、3敗の豊山であった。逸ノ城ではなく豊山との対戦は吉とでるか凶とでるか。ところがこれが予想に反して大熱戦となった。それも離れての攻防が多く、最後は正面での投げの打ち合いで豊山が制した。優勝が決まった千秋楽で思いもよらぬ死闘がくり広げられた。<豊山、死闘の末御嶽海を倒す>御嶽海は13勝2敗となった。さて、これで来場所御嶽海の大関昇進はどうなるのか。高安戦は相撲で [続きを読む]
  • ■名古屋14日目 大相撲にほしい将来の大物
  • 御嶽海が栃煌山をくだし、堂々たる初優勝を達成した。御嶽海は大関陣が崩れるなか、よく踏みとどまってくれた。御嶽海がいなければ乱戦・混戦になって、場所は収拾がつかなかくなるところだった。<御嶽海、栃煌山をくだし初優勝>先場所、鶴竜と栃ノ心が1敗同士で対戦したケースと比較すると盛り上がりに欠けた場所であることは言うまでもない。今場所はチケットが発売日即完売とはいかず、かなり長い期間販売が続いた。まさか場 [続きを読む]
  • ■名古屋13日目 大関の失墜
  • 「大関に勝たなくては」と優勝に大関戦の勝利にこだわっていた御嶽海だが、この日豪栄道を寄せつけず、圧倒的な勝利となった。後続は3敗のため、御嶽海が優勝を逃すケースは、このあと連敗し、優勝決定戦でも負ける以外はあり得なくなった。もっとも、追いかける平幕3敗力士が両大関と優勝を争っている御嶽海3力士と対戦しないのだから、優勝しても優勝には値しない。それでは何か、というと幕内Bクラスの1位に過ぎない。それ [続きを読む]
  • ■名古屋12日目 御嶽海対高安戦を斬る
  • 全勝御嶽海の優勝は濃厚である。そうなると誰が御嶽海を倒すかに注目がいくことになる。御嶽海の12日目の対戦は4敗の大関高安である。高安はどうも調子に乗り切れない傾向がある。相撲はこう展開した。立ち合い当たりあって御嶽海素早く右でまわしの浅いいいところを取る。高安右上手が取れずやや腰高。御嶽海ますます低く、機をうかがう。右へと動きながら頭もつける。一閃の右上手出し投げ。高安一瞬うしろを向くも、向き直るが [続きを読む]
  • ■名古屋11日目 高安の限界
  • 高安がまさかの相手に負けた。対戦相手は眠れる巨像逸ノ城である。今場所の逸ノ城はピリっとしない。破壊力がない。抵抗なく負けている。ここ数場所、逸ノ城の強さが復活してきた、と思わせたが、今場所は元に戻っている。だから眠れる巨像なのである。逸ノ城対高安戦。逸ノ城が爆発的威力を発揮したり、右四つに組みとめて胸をあわせたりしたわけではない。突き押しを2、3発繰り出したら高安は上体がおきて向こう正面土俵を割っ [続きを読む]
  • ■名古屋10日目 強者の激突なき優勝争い
  • 場所は3横綱1大関が休場している。その分残された者ががんばる、とはいかなかった。そのマイナスの影響がもろにでてしまっている。御嶽海はりっぱだが、もう一人優勝を争う強者と「両者激突の一瞬来たれり」、とはいきそうもない。平幕で勝ち進んでいる朝乃山、栃煌山はしょせん、両大関・御嶽海3力士全員と対戦することはないのだから、本当の意味での優勝争いにはならない。責任は大関にある。厚遇ばかり受け、いっこうに責任 [続きを読む]