諒子は新婚半年で僕をのこして自死しました。7年経った今ようやくブログを書く気持ちになれました。
諒子と僕というタイトルをブログのメインタイトルにした理由は、諒子との出会いから結婚し、諒子が亡くなってからの7年間の、「僕の諒子への想い」を書き残しておきたくなったからです。ブログを書き始めるまでは、諒子の遺した「はてなの日記」を開くということは微塵も考え
諒子のことを愛している。諒子のことを信じている。だから僕は、諒子が遺したはてなの日記を開いた。そこには、僕の知らなかったことが書いてあった。諒子は結婚してすぐに僕の子を授かった。でも誰にも秘密で中絶した。理由は書いていない。ただ諒子の自死の理由はこのこと
コメント欄に諒子の日記を見たらどうかという意見をいただいた。真実を知って前を向く。一歩踏み出す。「アカンタレ」になるな、とその方は僕を励ましてくれた。そうだな。確かに、もしかしたらパスワードを解いて諒子の秘密の日記をひもとけば、きっと何か諒子の自死の原因
諒子の遺品は大切に保管してある。マンションには置けない量なので、別の場所を借りて保管している。昨日、義父からが「なおやくん、諒子の遺品の維持費が大変だろう、少し整理してくれてかまわないし、こちらで預かれるものがあれば引き取るよ。」と誠意100%の申し出を受け
諒子の色が咲いた。黄色くて明るくて元気なヒマワリの色。おはようと声をかけてみる。その太陽の色の花は僕に元気出せよと微笑み掛ける。そうだな、元気出さなくちゃな。最近あまりよく眠れないんだ。時々このまま夜が明けなければいいのにと思うことが多くて。でも、元気が
諒子の親友とその子の彼氏と4人で久しぶりに一緒に夕食を食べた。諒子の親友は麻奈美ちゃんという。彼氏は3つ年上の彰浩さんという。二人は付き合ってまだ日が浅い。彰浩さんは諒子が自死だということは知らないようなので、諒子の話題は自然と少なくなったがそれでも諒子
天童荒太作『悼む人』を読み終わった。「いたむ」という言葉は「痛む」あるいは「傷む」に通じるものかと思っていたけど、決してそればかりではないんだなと思った。僕は諒子をきちんと悼めているだろうか。あまり恋しがり会いたいと嘆くことは故人にとっては良くないことだ
僕たちは郊外のまた更に町はずれの土地を買い、平屋の家を建てた。田舎だから土地も建物も都会に比べると格段に安いとはいえ、新築一戸建てを当時23歳の僕が購入するには少し荷が重すぎた。でも、頭金を二人で寄せ合い、夢をつないだ。「子供のことを考えたら2階建てのほうが
ある時は諒子をとても近くに感じることがある。でも一方で、ある時は諒子が遥か彼方、全く手の届かないところにいるように感じることがある。それは僕の心持ち次第なのかなと思うけれど、近くにいるのかなと感じる時は姿が見たいと、とても思う。遠くに感じる時は寂しい反面
諒子はヒマワリの花が大好きだったね。僕は諒子がいなくなってから園芸をするようになったよ。今年もミニ向日葵がたくさん咲くよ。一緒に見よう。ほら。横に座りなよ。向日葵のような笑顔の、可愛い諒子。天国でも笑っていてほしい。諒子、そばにおいで。にほんブログ村
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