城新聞 さん プロフィール

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城新聞さん: 城新聞
ハンドル名城新聞 さん
ブログタイトル城新聞
ブログURLhttps://ameblo.jp/shiro-shinbun/
サイト紹介文これまで趣味で旅行してきた全国の「城」と、仕事で携わる「高校」の紹介
自由文Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2014/06/27 00:51

城新聞 さんのブログ記事

  • 第646号河原城
  • この城の正式名称は「丸山城」ですが、鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて3つあり、混同を避けるため現代になってから河原城と呼称されているそうです。正確な築城年と築城者は不明ですが、1540年から1570年の間に山名豊国の重臣、武田高信が護る大振袖山城の出城または砦として築城されたのが始まりとされています。場所は、美作方面への街道と播磨方面への街道の結節点であり、重要な水運路でもあった千代川を見 [続きを読む]
  • 2018年の遠征は〜
  • 2018年になって気づいたら今日が1月最後の日。年を跨いですっかり更新をサボってました。…一昨年の年末に1000城訪城達成してもう飽きるかと思いきや昨年4月に続100名城の発表もあって、城熱が再燃し、去年は、新たに72城を訪城。ちなみに100名城もけっこう再訪したので、けっきょく100城くらいは行っていました。 ??写真は続100名城の出石城・有子山城??昨年の遠征記録はざっくりですが以下の通りです。 2017遠征記録3/20小田 [続きを読む]
  • 第645号豊岡城
  • 但馬国守護大名である山名宗全により、此隅山城の出城として、標高48m程の丘陵に当初は城崎城(木崎城)という名称で築城されました。正確な築城年は不明ですが、1433年に家督を相続、但馬・備後・安芸・伊賀4ヶ国の守護大名になったことからこの時期かと思われます。なお、山名氏のもとでは、山名四天王に数えられた垣屋氏が城代になっていました。1502年には、垣屋続成が但馬守護代を務め、事実上の但馬実力者となるに及び、この [続きを読む]
  • 第644号大久保山城
  • 築城時期は不明ですが、城主には小倉播磨守または、その家臣の野村将監などがいた事が伝えられています。勝手な推測ですが、1391年、「明徳の乱」で軍功を挙げた一色満範が丹後守護職に補任され、この時期から国人の小倉氏を「奉行」とし以来、290年近く宮津周辺を統治していることから1400年頃に築城されたと考えられます。宮津川下流に主人比高30m程の南北に伸びた水脈豊富な丘陵地に位置し、南側に主郭を置いた縄張りだったよう [続きを読む]
  • 第643号宮津城
  • 1580年、細川藤孝と忠興父子によって築かれました。国府のあった宮津は、一色氏の本拠地がありました。前年、細川藤孝と明智光秀は織田信長の命により、丹後国を侵略し、その旧国主であった一色氏を滅亡させると、山城国勝龍寺城より丹後に入封した細川藤孝、忠興父子は八幡山城に入城。さらに新城築城の許可を得て築城したのが宮津城の始まりで、築城に際して明智光秀の支援を受けていたそうです。その後、宮津城は幽斎の息子忠興 [続きを読む]
  • 第642号後瀬山城
  • 後瀬山城「のちせやまじょう」と読みます。1522年、若狭国守護の武田元光によって築かれた山城です。現地の説明板によると、元光、信豊、義統、元明の5代の居城としたそうです。縄張は若狭最大級で山頂の主郭を中心に北東、南西、北西の支尾根に階段状の曲輪を配していた云われています。標高の高い山上に築かれていたため、北山麓に水堀を廻らせた常時住まいする大規模な武田氏居館跡が設けられていました。1568年、武田元明が当 [続きを読む]
  • 第641号小浜城
  • 1600年、京極高次によって築かれました。正式には高次が1601年に着工し、41年の歳月を経て、酒井忠勝が武蔵川越より入封した際に完成しました。雅号は雲浜城(うんぴんじょう)。縄張りは海と河川を取り込んで築かれた海城です。前述の通り、長い歳月を経て築城しており、京極氏2代にわたって普請工事が行われましたが、1634年、完成を待たずして京極氏は出雲国松江に加増転封されました。替わって入封した酒井氏が二条城の様式を [続きを読む]
  • 中国-山陰シリーズスタート
  • 前々回で山形、栃木のシリーズを終え、次回から山陰シリーズがスタートします。…もう2年も前の遠征シリーズとなりますがルートはだいたいこんな感じです。新横浜→米原→敦賀→舞鶴→豊岡(1日目)豊岡→鳥取→倉吉→米子(2日目)米子→益田→浜田→松江(3日目)松江→江府町→岡山→新横浜(4日目)訪城数:計16城この時の交通手段は福井から島根まで日本海沿線を電車で一気通貫。車は今回一度も使わなかったため本数の少ない電車を長時 [続きを読む]
  • 第640号戸倉城
  • 築城年は不明ですが、南多摩地域の国人衆「武州南一揆」の有力者であった小宮氏によって築城されたと云われています。「新編武蔵国風土記」という文献によるとこの付近の領地については1461年から1466年の間に上杉憲明という武将が当地に来て小宮姓に改めて治めたということからこの時期に築城した可能性があります。秋川渓谷の三方を巡る入り口に位置し、縄張りは臼杵山から東に延びる尾根先端の急峻な地形を利用した単純な根古屋 [続きを読む]
  • 第639号烏山城
  • 1417年、沢村資重によって築かれました。前回、沢村城で紹介した通り、那須資氏の跡を継いだ福原城主の那須資之とその弟で沢村氏を嗣いだ沢村資重が不和となり沢村城を攻められ、さらなる攻撃から備えるため築城しました。また、このとき那須氏は上那須家と下那須家に分裂し、以来烏山城は下那須氏の本拠となります。標高202mの八高山に位置した山城で、山上部に本丸、二の丸を中心に五城三廓と呼ばれる廓を配した縄張りでした。1 [続きを読む]
  • 第638号沢村城
  • 1187年、那須与一の甥、沢村満隆によって築かれたと云われています。 縄張りは北から、北三の丸・北二の丸・本丸・二の丸・三の丸・南中丸と続く連郭式の山城で北は箒川に面してかなり急峻となっていました。1414年、那須資氏の二男である資重は沢村氏の家督を継いで8代目沢村五郎資重と名乗りましたが、本家を継いだ兄那須資之との不和により沢村城を攻められ、資重は烏山に逃亡。当初興野氏の館に住み、その後稲積城を修築して移 [続きを読む]
  • たそがれ清兵衛をもう一度
  • 「たそがれ清兵衛は不運な男だった、とおっしゃるのをよく聞きましたが、私はそんな風には思いません。父は出世などを望むような人ではなく、自分のことを不運などとは思っていなかったはずです。私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した思いで短い人生を過ごしたに違いありません。そんな父のことを、私は誇りに思っております。」これは、映画版のラストシーンで、大人になった清兵衛の娘が、語り手として最後に締め [続きを読む]
  • 第637号川崎城
  • 1199年から1203年の間に塩谷朝業により築城され、以後塩谷氏の本城となりました。縄張は南北約1km、東西約200mの南北に長く、主郭周辺は蝸牛城と呼ばれる構造。主郭はその南端にあり、時代を経て北へと城郭が拡大し、主郭の北側に水の手曲輪、さらに北に新城と呼ばれる独立した城郭構造があり、一城別郭となっていました。その新城の北側の尾根続きの山は的場山と呼ばれ、射的場になっていたと云われています。前回の御前原城で紹 [続きを読む]
  • 映画「関ヶ原」
  • 久しぶりの編集後記です。今回は、先日、鑑賞した映画「関ヶ原」をご紹介します。本作は、司馬遼太郎の同名の長編時代小説をもとに作られた作品です。監督はクライマーズハイなど史実モノ作品で有名な原田眞人監督。この作品のために構想25年かけたと云われるだけあって、制作に熱のこもった感じが随所でみられました。とくに合戦シーンはこれまで世に出た関ヶ原の戦いの映像と大きく異なり、例えば長槍を「突く」のではなく、「叩 [続きを読む]
  • 第636号御前原城
  • 築城年代は、1177年から1183年間に源義家の孫で、塩谷(しおのや)氏の祖である堀江頼純によって築かれた説と、1315年に塩谷頼安により築かれたとする説があります。ただし、前者の説の場合、すでに塩谷頼純は没しているため、現時点では、頼安築城説が有力とされています。川崎城とともに塩谷氏の居城として機能していましたが、当時の状況は、平城の方形居館である以外あまり後世に伝わっていません。これは、御前原城を居館、川崎 [続きを読む]
  • 第635号白旗城
  • 築城年代ははっきりしませんが、1394年から1428年に大関増清によって築かれたと云われています。縄張りは、舌状台地利用し、尾根を空堀で区画した連郭式の山城です。大関家は、那須家に属した武将集団、那須七騎の旗頭で、主家の元で周辺勢力との抗争を繰り返し、この城をはじめ、拠点を移しながら着々と下野国に地盤を築いていったそうです。1518年、12代当主宗増の時、同じく那須七騎である福原資安ともに主家那須氏の信頼の厚い [続きを読む]
  • 第634号水口城
  • 1494年、大田原康清によって築かれたと云われています。大田原氏ははじめ大俵と表記、後に資清のときに大田原と改めたそうです。また、武蔵七党の1つである丹党を出自とし、阿保氏を称していたそうですが、康清のときに那須氏に仕えて5代にわたって居城としたと伝えられています。縄張りは平地にあり、城というより方形居館であったようですが、北東の土塁は内側に折れており、鬼門除けの入隅とっていたそうです。1518年、当主が [続きを読む]
  • 第633号谷地城
  • 1555年から1558年にかけて中条長昌によって築城されたと伝えられています。中条氏(ちゅうじょうし)はもともと武蔵七党横山党の一族であり、鎌倉幕府の成立に貢献した中条家長を祖とした名家で、北寒河江の領主としては5代に渡っ て統治していました。しかし、この長昌には嫡子がなく、国人領主であった白鳥氏が継承する形で城主と居城することになったと云われています。1582年頃、白鳥長久が城主として城郭を拡張。当時、本丸は [続きを読む]
  • 第632号長瀞城
  • 長瀞(ながとろ)城と読みます。別称雁(かりがね)城。1249年から1256年にかけて西根氏によって築かれたと伝えられています。それからしばらくは不明ですが、時代が変遷すると最上氏の所領となり、1414年、最上氏4代目である最上満家の隠居城となったこともあるそうです。その後は最上満種や最上満宗の居城になった説と国人の連合である最上八楯に属した長瀞左衛門尉が本拠を構えたなど諸説あり、この150年以上もの間も定かでは [続きを読む]
  • 第631号楯岡城
  • 別称舞鶴城。現在の村山市の東に位置し、縄張りは、周囲を断崖絶壁を利用し、また、山頂の主郭を中心に東西に伸びる尾根に段々と曲輪を連ねる連格式の山城です。築城時期は諸説ありますが、1208年に前森今嶺が築城した説が最も古い説となります。次いで1261年に里見氏が入部し改築または築城。本城氏と改名し、5代144年間続いたと云われています。室町時代に入ると、山形城主斯波兼頼の孫である満直の四男、最上満国が1406年に入 [続きを読む]
  • 第630号延沢城
  • 別称野辺沢城または霧山城。1547年、延沢満重によって築かれたと云われています。場所は、尾花沢盆地の南東部に位置し、縄張りは、尾花沢盆地に沿って北西方向に延びた古城山と呼ばれる山頂に主郭を中心に、北側と東側の尾根伝いに段郭群を形成した連郭式の山城でした。築城当初は、日常居館を兼ねた館城だったようですが、後に山麓に日常居館を移転。さらに要害部には桝形を敷設し、導線を付け替えて改修したものと推測されます [続きを読む]
  • 第629号清水城
  • 1478年頃、清水満久によって築かれたと云われています。清水満久は最上の祖である斯波兼頼の曾孫であり、鳴沢城主であった鳴沢兼義の次男です。最上氏は北方の守りを固めるため鳴沢満久をこの地に封じ、以後、満久は清水と改称しました。最上川中流域に位置し、縄張りは本丸から最上川一帯が眺望できる河岸段丘を活かした平山城の形式です。日本海から最上川を経由して山形中心へと繋ぐ交通の要衝であったため、隣接する大宝寺武 [続きを読む]
  • 第628号新庄城
  • 1625年、常陸国松岡より6万石で入封した戸沢政盛により築城されました。別名沼田城、鵜沼城。縄張は義兄にあたる山形城主鳥居忠政が取り仕切り、方形の本丸と南に二の丸を、それを取り囲むように三の丸を配した平城だったと云われています。築城当初は本丸に天守がありましたが、1636年の火災で失われ、以後再建されることはなかったそうです。1868年の戊辰戦争では、当初、新庄藩は奥羽越列藩同盟に参加していましたが、久保田藩 [続きを読む]
  • 第627号鮭延城
  • 1563年から1570年の間に小野寺景道の家臣、佐々木貞綱によって、築かれたと云われています。鮭川を見下ろす丘陵地を生かした天然の要害で、この築城を機に佐々木氏は地名に倣って鮭延氏と称し、小野寺氏の南の拠点として統治することとなります。しかし、1581年、最上義光が侵攻を開始すると城主であった鮭延貞綱の子鮭延秀綱は、一度は抵抗したものの最終的に降伏。領土を安堵されたため最上義光に恭順したことで、鮭延城は反対に [続きを読む]
  • 第626号城輪柵
  • 築城時期は定かではありませんが『続日本記』では大和朝廷は712年、出羽国を建都し、733年には秋田城を国府政庁として秋田高清水岡に設けており、1931 年より始まった発掘調査によると、その秋田城から奈良時代末期の780年代に移設されたという説が最有力とのことです。また、庄内平野北部、最上川の北約6kmの日向川扇状地に位置し、1辺約720mの角材列で区切られた方形の外郭とその中央に1辺約115mの築地などで囲まれた内郭によっ [続きを読む]