城新聞 さん プロフィール

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城新聞さん: 城新聞
ハンドル名城新聞 さん
ブログタイトル城新聞
ブログURLhttps://ameblo.jp/shiro-shinbun/
サイト紹介文これまで趣味で旅行してきた全国の「城」と、仕事で携わる「高校」の紹介
自由文Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供26回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2014/06/27 00:51

城新聞 さんのブログ記事

  • 第654号江美城
  • 築城年代は定かではありませんが、1484年に蜂塚安房守によって築かれたと云われています。以後、2代三河守、3代丹波守、4代右衛門尉と80年余、この一帯を治めていました。奥大山の麓付近を流れる日野川に突き出した比高40mの河岸段丘の先端に位置した山城で、主郭は東背後に大堀切を設けて台地と切り離し、堀切に面して石積を伴う櫓台が設置されていたそうです。主郭の西方直下にある西の丸には、入り口に軍勢の人数をはかるために [続きを読む]
  • 第653号荒隈城
  • 1562年、毛利元就が宿敵尼子氏の支城である白鹿城攻めに先立ち、陣城として築城したとされています。宍道湖に突き出す丘陵端に位置し、現在は丘陵の東西は佐田、松江方面どちらも陸地となっていますが、当時は佐田水海と湿地帯が拡がっており、天然の要害を活かした縄張りだったそうです。築城から翌年、白鹿城に落城させると毛利元就は本陣を南下させ、内陸部に移しますが、荒隈城は、宍道湖に面し、水運の利もあることから、今度 [続きを読む]
  • 第652号浜田城
  • 大坂の陣の功績により5万4000石を与えられ、石見国浜田に入封された古田重治によって1620年、築かれました。浜田川に囲まれた亀山と呼ばれた標高68メートルの丘陵地に位置した梯郭式平山城で、北部に松原湾、東部を浅井川、南部と西部を浜田川によって天然の掘割としていました。また、本丸、二の丸、三の丸、夕日の丸と呼ばれた出丸があり、本丸には三層櫓の天守が建っていたとされています。この天守は、天守台が本丸に築かれず [続きを読む]
  • 第651号益田七尾城
  • 築城時期は諸説あるそうですが、通説では1193年に益田兼高が築城したとされています。兼高の平時の居館は諸説ありますが、最終的には三宅御土居へと移り、その詰城として益田川を挟み、870m離れた場所に築かれたのがこの七尾城でした。益田川南岸に北へ伸びた山に築かれた山城で、標高約118mにある本丸からは益田平野から日本海までを一望できます。北には二ノ段を備え、南尾根に大堀切を挟んで南郭があり、さらに北へ伸びた東の [続きを読む]
  • 650号目を迎えて
  • 601号から650号にかけて、伊豆、出羽、下野をメインに、そして山陰地方を途中まで紹介してきました。振り返ってみると、とくに出羽(山形)については、史実の他、地理や文化など全く知らないことが多く、ネットや本で調べる時間はけっこう費やしました。そんな中、鶴岡出身の藤沢周平の小説を改めて読むきっかけにもなり、その作品の世界にすっかりハマってしまい、先月も作品のモデルとなった場所にいくつか行ってきました。「溟い [続きを読む]
  • 第650号八橋城
  • 八橋城(やばせじょう)と読みます。別称大江城。築城年代は定かではありませんが、行松正盛によって築かれ、個人的には1500年前後に築城されたと推測します。伯耆民談記という文献によると、縄張りは西が本丸、東が二の丸とされ南の端に井戸、周囲に堀を巡らせ、東に大手門があり、周囲には堀が巡っていたようです。また、同文献には、1524年、八橋城は、尼子経久の侵攻により山名方の米子城、淀江城、天万城、尾高城、不動ガ嶽城 [続きを読む]
  • 第649号松崎城
  • 別名「亀形ヶ鼻城(きぎょうがさきじょう)」。築城年代は定かではありませんが南条氏の与力であった小森氏によって築城されました。そのため南条氏の本拠地である羽衣石城が築城された1366年、もしくは、毛利氏が尼子氏を滅ぼした際、南条宗勝が羽衣石城へ復帰した1562年、支城として小森方高により築城されたと推測します。西側に東郷湖を望む丘陵地に位置し、縄張りは、南北に約440m、東西に約310mの長方形の本丸と東郷池とは反 [続きを読む]
  • 第648号勝山城
  • 1340年から1346年の間に因幡守護山名氏に従って因幡に入り、首藤豊後守によって築城され、以後約200年の間、首藤氏の居城として機能しました。縄張りは、本丸、二の丸、三の丸、さらにこれらを曲輪を合わせた連結式で本丸からは日本海が見渡せる山城だったようです。しかし、出雲の尼子氏が勢力を延ばしはじめ、1560年前後に部将尼子正久によって攻められ落城。以後尼子氏の持城となりますが、今度は、1573年頃から羽柴秀吉の命に [続きを読む]
  • 第647号天神山城
  • 「因幡民談記」という文献によると、1466年、山名宗全の三男で因幡国第5代守護である山名勝豊によって二上山城より守護所が移転のために築城されたと伝えられています。ただし、勝豊は1459年は、史実ではすでに亡くなっているため疑義がもたれているそうです。そのため、一説には1513年、「応仁記」にある布施左衛門佐は山名豊氏を指し、豊氏の築城とも云われています。現地案内板によると縄張りは内堀と外堀を備え、内堀は天神山 [続きを読む]
  • 第646号河原城
  • この城の正式名称は「丸山城」ですが、鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて3つあり、混同を避けるため現代になってから河原城と呼称されているそうです。正確な築城年と築城者は不明ですが、1540年から1570年の間に山名豊国の重臣、武田高信が護る大振袖山城の出城または砦として築城されたのが始まりとされています。場所は、美作方面への街道と播磨方面への街道の結節点であり、重要な水運路でもあった千代川を見 [続きを読む]
  • 2018年の遠征は〜
  • 2018年になって気づいたら今日が1月最後の日。年を跨いですっかり更新をサボってました。…一昨年の年末に1000城訪城達成してもう飽きるかと思いきや昨年4月に続100名城の発表もあって、城熱が再燃し、去年は、新たに72城を訪城。ちなみに100名城もけっこう再訪したので、けっきょく100城くらいは行っていました。 ??写真は続100名城の出石城・有子山城??昨年の遠征記録はざっくりですが以下の通りです。 2017遠征記録3/20小田 [続きを読む]
  • 第645号豊岡城
  • 但馬国守護大名である山名宗全により、此隅山城の出城として、標高48m程の丘陵に当初は城崎城(木崎城)という名称で築城されました。正確な築城年は不明ですが、1433年に家督を相続、但馬・備後・安芸・伊賀4ヶ国の守護大名になったことからこの時期かと思われます。なお、山名氏のもとでは、山名四天王に数えられた垣屋氏が城代になっていました。1502年には、垣屋続成が但馬守護代を務め、事実上の但馬実力者となるに及び、この [続きを読む]
  • 第644号大久保山城
  • 築城時期は不明ですが、城主には小倉播磨守または、その家臣の野村将監などがいた事が伝えられています。勝手な推測ですが、1391年、「明徳の乱」で軍功を挙げた一色満範が丹後守護職に補任され、この時期から国人の小倉氏を「奉行」とし以来、290年近く宮津周辺を統治していることから1400年頃に築城されたと考えられます。宮津川下流に主人比高30m程の南北に伸びた水脈豊富な丘陵地に位置し、南側に主郭を置いた縄張りだったよう [続きを読む]
  • 第643号宮津城
  • 1580年、細川藤孝と忠興父子によって築かれました。国府のあった宮津は、一色氏の本拠地がありました。前年、細川藤孝と明智光秀は織田信長の命により、丹後国を侵略し、その旧国主であった一色氏を滅亡させると、山城国勝龍寺城より丹後に入封した細川藤孝、忠興父子は八幡山城に入城。さらに新城築城の許可を得て築城したのが宮津城の始まりで、築城に際して明智光秀の支援を受けていたそうです。その後、宮津城は幽斎の息子忠興 [続きを読む]
  • 第642号後瀬山城
  • 後瀬山城「のちせやまじょう」と読みます。1522年、若狭国守護の武田元光によって築かれた山城です。現地の説明板によると、元光、信豊、義統、元明の5代の居城としたそうです。縄張は若狭最大級で山頂の主郭を中心に北東、南西、北西の支尾根に階段状の曲輪を配していた云われています。標高の高い山上に築かれていたため、北山麓に水堀を廻らせた常時住まいする大規模な武田氏居館跡が設けられていました。1568年、武田元明が当 [続きを読む]
  • 第641号小浜城
  • 1600年、京極高次によって築かれました。正式には高次が1601年に着工し、41年の歳月を経て、酒井忠勝が武蔵川越より入封した際に完成しました。雅号は雲浜城(うんぴんじょう)。縄張りは海と河川を取り込んで築かれた海城です。前述の通り、長い歳月を経て築城しており、京極氏2代にわたって普請工事が行われましたが、1634年、完成を待たずして京極氏は出雲国松江に加増転封されました。替わって入封した酒井氏が二条城の様式を [続きを読む]
  • 中国-山陰シリーズスタート
  • 前々回で山形、栃木のシリーズを終え、次回から山陰シリーズがスタートします。…もう2年も前の遠征シリーズとなりますがルートはだいたいこんな感じです。新横浜→米原→敦賀→舞鶴→豊岡(1日目)豊岡→鳥取→倉吉→米子(2日目)米子→益田→浜田→松江(3日目)松江→江府町→岡山→新横浜(4日目)訪城数:計16城この時の交通手段は福井から島根まで日本海沿線を電車で一気通貫。車は今回一度も使わなかったため本数の少ない電車を長時 [続きを読む]
  • 第640号戸倉城
  • 築城年は不明ですが、南多摩地域の国人衆「武州南一揆」の有力者であった小宮氏によって築城されたと云われています。「新編武蔵国風土記」という文献によるとこの付近の領地については1461年から1466年の間に上杉憲明という武将が当地に来て小宮姓に改めて治めたということからこの時期に築城した可能性があります。秋川渓谷の三方を巡る入り口に位置し、縄張りは臼杵山から東に延びる尾根先端の急峻な地形を利用した単純な根古屋 [続きを読む]
  • 第639号烏山城
  • 1417年、沢村資重によって築かれました。前回、沢村城で紹介した通り、那須資氏の跡を継いだ福原城主の那須資之とその弟で沢村氏を嗣いだ沢村資重が不和となり沢村城を攻められ、さらなる攻撃から備えるため築城しました。また、このとき那須氏は上那須家と下那須家に分裂し、以来烏山城は下那須氏の本拠となります。標高202mの八高山に位置した山城で、山上部に本丸、二の丸を中心に五城三廓と呼ばれる廓を配した縄張りでした。1 [続きを読む]
  • 第638号沢村城
  • 1187年、那須与一の甥、沢村満隆によって築かれたと云われています。 縄張りは北から、北三の丸・北二の丸・本丸・二の丸・三の丸・南中丸と続く連郭式の山城で北は箒川に面してかなり急峻となっていました。1414年、那須資氏の二男である資重は沢村氏の家督を継いで8代目沢村五郎資重と名乗りましたが、本家を継いだ兄那須資之との不和により沢村城を攻められ、資重は烏山に逃亡。当初興野氏の館に住み、その後稲積城を修築して移 [続きを読む]
  • たそがれ清兵衛をもう一度
  • 「たそがれ清兵衛は不運な男だった、とおっしゃるのをよく聞きましたが、私はそんな風には思いません。父は出世などを望むような人ではなく、自分のことを不運などとは思っていなかったはずです。私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した思いで短い人生を過ごしたに違いありません。そんな父のことを、私は誇りに思っております。」これは、映画版のラストシーンで、大人になった清兵衛の娘が、語り手として最後に締め [続きを読む]
  • 第637号川崎城
  • 1199年から1203年の間に塩谷朝業により築城され、以後塩谷氏の本城となりました。縄張は南北約1km、東西約200mの南北に長く、主郭周辺は蝸牛城と呼ばれる構造。主郭はその南端にあり、時代を経て北へと城郭が拡大し、主郭の北側に水の手曲輪、さらに北に新城と呼ばれる独立した城郭構造があり、一城別郭となっていました。その新城の北側の尾根続きの山は的場山と呼ばれ、射的場になっていたと云われています。前回の御前原城で紹 [続きを読む]
  • 映画「関ヶ原」
  • 久しぶりの編集後記です。今回は、先日、鑑賞した映画「関ヶ原」をご紹介します。本作は、司馬遼太郎の同名の長編時代小説をもとに作られた作品です。監督はクライマーズハイなど史実モノ作品で有名な原田眞人監督。この作品のために構想25年かけたと云われるだけあって、制作に熱のこもった感じが随所でみられました。とくに合戦シーンはこれまで世に出た関ヶ原の戦いの映像と大きく異なり、例えば長槍を「突く」のではなく、「叩 [続きを読む]
  • 第636号御前原城
  • 築城年代は、1177年から1183年間に源義家の孫で、塩谷(しおのや)氏の祖である堀江頼純によって築かれた説と、1315年に塩谷頼安により築かれたとする説があります。ただし、前者の説の場合、すでに塩谷頼純は没しているため、現時点では、頼安築城説が有力とされています。川崎城とともに塩谷氏の居城として機能していましたが、当時の状況は、平城の方形居館である以外あまり後世に伝わっていません。これは、御前原城を居館、川崎 [続きを読む]
  • 第635号白旗城
  • 築城年代ははっきりしませんが、1394年から1428年に大関増清によって築かれたと云われています。縄張りは、舌状台地利用し、尾根を空堀で区画した連郭式の山城です。大関家は、那須家に属した武将集団、那須七騎の旗頭で、主家の元で周辺勢力との抗争を繰り返し、この城をはじめ、拠点を移しながら着々と下野国に地盤を築いていったそうです。1518年、12代当主宗増の時、同じく那須七騎である福原資安ともに主家那須氏の信頼の厚い [続きを読む]