城新聞 さん プロフィール

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城新聞さん: 城新聞
ハンドル名城新聞 さん
ブログタイトル城新聞
ブログURLhttps://ameblo.jp/shiro-shinbun/
サイト紹介文これまで趣味で旅行してきた全国の「城」と、仕事で携わる「高校」の紹介
自由文Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供29回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2014/06/27 00:51

城新聞 さんのブログ記事

  • 第664号百々城
  • 百々(どど)城と読みます。築城主、時期など詳細は定かではありませんが、文献には、1499年に、大崎氏の城としてその名前が現れ、奥州探題大崎氏の一族である百々氏代々の居城であったとされます。箆岳丘陵から伸びる支尾根の先端部に築かれて、尾根が二股に分かれあたかも鶴は羽を広げたような地形から鶴城とも呼ばれていたそうです。縄張りは、東西に開く尾根の中心部分に本丸を、西尾根側に二の丸、三の丸を配し、南に拡がる谷 [続きを読む]
  • 第663号佐沼城
  • 1185年から1189年間に藤原秀衡の家臣、照井高直によって築城したと云われています。ただし、照井太郎の伝承は周辺各地に伝わっているため定かではありません。宮城県東北部に広がる迫川低地のほぼ中央に位置する丘陵に位置し、縄張りは、本丸の外周に幅10m程度の堀が設けられ、大手門は西側に裏門は東側に置かれていたとされます。二ノ丸は本丸よりやや低く、本丸の西・南・北側の外周に置かれた輪郭式で、城の北側と東側は迫川、 [続きを読む]
  • 第662号寺池城
  • 通称「臥牛城」。1536年、葛西晴胤が石巻城から移り本拠とするためと築城したとされています。一方、石巻葛西氏とは別に葛西氏の祖である清重から寺池葛西氏が存在し、本拠は寺池城の南にある保呂羽楯であった説もあり、所領支配の実態については定かではありません。北上川西岸の南北に長い丘陵上に位置し、地勢と縄張りは涌谷城と似て、北の最上段に本丸を置き、その南に3段ほどの曲輪がある二ノ丸を配置していたとされます。159 [続きを読む]
  • 第661号涌谷城
  • 1431年、南北朝期の奥州探題である大崎氏を祖とする涌谷直信が築城したのが始まりと伝えられています。江合川の東側に南北に沿って細長く伸びた舌状地に位置した平城です。本丸は、東西40m、南北100mの規模であり、南側に門が位置し土塀で囲まれていました。また北端は幅10m、深さ2m程の空堀によって区切られていました。本丸の南側に位置する二ノ丸は、東西40から80m。南北250mの大規模なものであったそうです。大崎平野の東端に [続きを読む]
  • 第660号小野城
  • 築城時期は定かではありませんが、『東松島市教育委員会説明板』よると、長江義景が1189年の「奥州藤原討伐」に従軍して軍功をあげ、陸奥国桃生郡深谷荘に与えられた時期とされます。ただし、他の御家人同様、長江氏嫡流は鎌倉に出仕していたため、城主は一族が代官として入封した庶子家と考えられます。また一説には奥州総奉行に任ぜられた葛西清重の三男清員が長江氏の養子となり、次第に葛西氏に吸収された説もあります。鳴瀬 [続きを読む]
  • 第659号石巻城
  • 築城年は定かではありませんが、1189年に源頼朝の家人であった葛西清重が奥州合戦の恩賞としてこの地を受領したことからその時期に近いと思われます。北上川河口の日和山に位置した山城で、縄張りは山頂が本丸となる東西約300m、南北約500mに及ぶ巨大な城館だったと1983年の発掘調査で確認されています。その後150年ほどの様子ははっきりしませんが、本格的に石巻城を整備していくのは、南北朝時代に入ると5代目当主清宗のあたり [続きを読む]
  • 第658号利府城
  • 築城された年は定かではありませんが、奥州探題留守氏の家臣村岡氏によって村岡城という名称で築かれたと云われています。留守氏が陸奥国留守職に任じられたのが1185年から1190年の間とされているため、おそらくこの近い時期に築城されたと考えられます。勿来川に沿って細長く伸びる松島丘陵の先端付近に位置し、縄張りは北東郭・中央郭・南西郭が設けられ、それぞれが腰曲輪群で囲繞されて独立した曲輪群があったとされています。 [続きを読む]
  • 天の蛍
  • 以前、654号江美城の回で紹介した歴史小説「天の蛍」を読んでみました。舞台は、1560年ごろの鳥取県の大山の麓、江尾の城下町。勢いに乗る毛利氏と徐々に衰退する尼子氏の間で、主人公の踊り子波留をはじめ、江尾城主の蜂塚右衛門尉らが自分の信念と向き合いながら、それぞれどう生きていくのかが描かれた物語です。主人公の波留の他、一部架空の人物が登場しますが、歴史上の人物らと触れ合う姿を通して、当時の江尾城や月山富田 [続きを読む]
  • 第657号撫川城
  • 前回紹介した庭瀬城から200mほど西にあったとされる城で、別称沼城。現地説明板には「もともとは一体の城」だったと書かれています。その説明板によると、この撫川城は1559年に三村家親が築城したとされていますが、別の文献では、もっと歴史は古く「備中府志」に、1087年から94年の間に藤井久任が築城したと記録があると記載しています。ちなみに平清盛の重臣だった妹尾(せのお)太郎兼康の一族が居城した可能性もあるそうです。 [続きを読む]
  • 第656号庭瀬城
  • 1559年、毛利氏配下の備中成羽城主三村家親が備前の宇喜多直家の侵攻に備えるために築城したといわれています。東部に岡山城、西部に足守川の間に位置した平城で、縄張りは、東西77m、南北57mの長方形を示し、幅15mの濠が巡らせていたそうです。しかし、1575年、同盟していた毛利氏に離反した三村家親の息子、元親は「備中兵乱」で自刃し、備中が毛利氏の領地となってからは、城には毛利氏の武将である井上有景がこの城を城代と [続きを読む]
  • 第655号岸本城
  • 築城年代は諸説ありますが、最も古い年代は1300年代、古代豪族の1つ巨勢氏(こせうじ)によって築かれたと云われています。場所は、鳥取県の伯耆地方を流れる日野川の東方にある丘陵地に位置し、縄張りは、平面方形の館跡を基本として曲輪は東西に各1カ所ずつ配置し、西側には土塁、東側虎口前面に土橋があった山城とされています。その他の説は、全て戦国時代で、1526年、播磨国三木城主、別所長治の祖父が別所就治が尼子詮久を [続きを読む]
  • 第654号江美城
  • 築城年代は定かではありませんが、1484年に蜂塚安房守によって築かれたと云われています。以後、2代三河守、3代丹波守、4代右衛門尉と80年余、この一帯を治めていました。奥大山の麓付近を流れる日野川に突き出した比高40mの河岸段丘の先端に位置した山城で、主郭は東背後に大堀切を設けて台地と切り離し、堀切に面して石積を伴う櫓台が設置されていたそうです。主郭の西方直下にある西の丸には、入り口に軍勢の人数をはかるために [続きを読む]
  • 第653号荒隈城
  • 1562年、毛利元就が宿敵尼子氏の支城である白鹿城攻めに先立ち、陣城として築城したとされています。宍道湖に突き出す丘陵端に位置し、現在は丘陵の東西は佐田、松江方面どちらも陸地となっていますが、当時は佐田水海と湿地帯が拡がっており、天然の要害を活かした縄張りだったそうです。築城から翌年、白鹿城に落城させると毛利元就は本陣を南下させ、内陸部に移しますが、荒隈城は、宍道湖に面し、水運の利もあることから、今度 [続きを読む]
  • 第652号浜田城
  • 大坂の陣の功績により5万4000石を与えられ、石見国浜田に入封された古田重治によって1620年、築かれました。浜田川に囲まれた亀山と呼ばれた標高68メートルの丘陵地に位置した梯郭式平山城で、北部に松原湾、東部を浅井川、南部と西部を浜田川によって天然の掘割としていました。また、本丸、二の丸、三の丸、夕日の丸と呼ばれた出丸があり、本丸には三層櫓の天守が建っていたとされています。この天守は、天守台が本丸に築かれず [続きを読む]
  • 第651号益田七尾城
  • 築城時期は諸説あるそうですが、通説では1193年に益田兼高が築城したとされています。兼高の平時の居館は諸説ありますが、最終的には三宅御土居へと移り、その詰城として益田川を挟み、870m離れた場所に築かれたのがこの七尾城でした。益田川南岸に北へ伸びた山に築かれた山城で、標高約118mにある本丸からは益田平野から日本海までを一望できます。北には二ノ段を備え、南尾根に大堀切を挟んで南郭があり、さらに北へ伸びた東の [続きを読む]
  • 650号目を迎えて
  • 601号から650号にかけて、伊豆、出羽、下野をメインに、そして山陰地方を途中まで紹介してきました。振り返ってみると、とくに出羽(山形)については、史実の他、地理や文化など全く知らないことが多く、ネットや本で調べる時間はけっこう費やしました。そんな中、鶴岡出身の藤沢周平の小説を改めて読むきっかけにもなり、その作品の世界にすっかりハマってしまい、先月も作品のモデルとなった場所にいくつか行ってきました。「溟い [続きを読む]
  • 第650号八橋城
  • 八橋城(やばせじょう)と読みます。別称大江城。築城年代は定かではありませんが、行松正盛によって築かれ、個人的には1500年前後に築城されたと推測します。伯耆民談記という文献によると、縄張りは西が本丸、東が二の丸とされ南の端に井戸、周囲に堀を巡らせ、東に大手門があり、周囲には堀が巡っていたようです。また、同文献には、1524年、八橋城は、尼子経久の侵攻により山名方の米子城、淀江城、天万城、尾高城、不動ガ嶽城 [続きを読む]
  • 第649号松崎城
  • 別名「亀形ヶ鼻城(きぎょうがさきじょう)」。築城年代は定かではありませんが南条氏の与力であった小森氏によって築城されました。そのため南条氏の本拠地である羽衣石城が築城された1366年、もしくは、毛利氏が尼子氏を滅ぼした際、南条宗勝が羽衣石城へ復帰した1562年、支城として小森方高により築城されたと推測します。西側に東郷湖を望む丘陵地に位置し、縄張りは、南北に約440m、東西に約310mの長方形の本丸と東郷池とは反 [続きを読む]
  • 第648号勝山城
  • 1340年から1346年の間に因幡守護山名氏に従って因幡に入り、首藤豊後守によって築城され、以後約200年の間、首藤氏の居城として機能しました。縄張りは、本丸、二の丸、三の丸、さらにこれらを曲輪を合わせた連結式で本丸からは日本海が見渡せる山城だったようです。しかし、出雲の尼子氏が勢力を延ばしはじめ、1560年前後に部将尼子正久によって攻められ落城。以後尼子氏の持城となりますが、今度は、1573年頃から羽柴秀吉の命に [続きを読む]
  • 第647号天神山城
  • 「因幡民談記」という文献によると、1466年、山名宗全の三男で因幡国第5代守護である山名勝豊によって二上山城より守護所が移転のために築城されたと伝えられています。ただし、勝豊は1459年は、史実ではすでに亡くなっているため疑義がもたれているそうです。そのため、一説には1513年、「応仁記」にある布施左衛門佐は山名豊氏を指し、豊氏の築城とも云われています。現地案内板によると縄張りは内堀と外堀を備え、内堀は天神山 [続きを読む]
  • 第646号河原城
  • この城の正式名称は「丸山城」ですが、鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて3つあり、混同を避けるため現代になってから河原城と呼称されているそうです。正確な築城年と築城者は不明ですが、1540年から1570年の間に山名豊国の重臣、武田高信が護る大振袖山城の出城または砦として築城されたのが始まりとされています。場所は、美作方面への街道と播磨方面への街道の結節点であり、重要な水運路でもあった千代川を見 [続きを読む]
  • 2018年の遠征は〜
  • 2018年になって気づいたら今日が1月最後の日。年を跨いですっかり更新をサボってました。…一昨年の年末に1000城訪城達成してもう飽きるかと思いきや昨年4月に続100名城の発表もあって、城熱が再燃し、去年は、新たに72城を訪城。ちなみに100名城もけっこう再訪したので、けっきょく100城くらいは行っていました。 ??写真は続100名城の出石城・有子山城??昨年の遠征記録はざっくりですが以下の通りです。 2017遠征記録3/20小田 [続きを読む]
  • 第645号豊岡城
  • 但馬国守護大名である山名宗全により、此隅山城の出城として、標高48m程の丘陵に当初は城崎城(木崎城)という名称で築城されました。正確な築城年は不明ですが、1433年に家督を相続、但馬・備後・安芸・伊賀4ヶ国の守護大名になったことからこの時期かと思われます。なお、山名氏のもとでは、山名四天王に数えられた垣屋氏が城代になっていました。1502年には、垣屋続成が但馬守護代を務め、事実上の但馬実力者となるに及び、この [続きを読む]
  • 第644号大久保山城
  • 築城時期は不明ですが、城主には小倉播磨守または、その家臣の野村将監などがいた事が伝えられています。勝手な推測ですが、1391年、「明徳の乱」で軍功を挙げた一色満範が丹後守護職に補任され、この時期から国人の小倉氏を「奉行」とし以来、290年近く宮津周辺を統治していることから1400年頃に築城されたと考えられます。宮津川下流に主人比高30m程の南北に伸びた水脈豊富な丘陵地に位置し、南側に主郭を置いた縄張りだったよう [続きを読む]
  • 第643号宮津城
  • 1580年、細川藤孝と忠興父子によって築かれました。国府のあった宮津は、一色氏の本拠地がありました。前年、細川藤孝と明智光秀は織田信長の命により、丹後国を侵略し、その旧国主であった一色氏を滅亡させると、山城国勝龍寺城より丹後に入封した細川藤孝、忠興父子は八幡山城に入城。さらに新城築城の許可を得て築城したのが宮津城の始まりで、築城に際して明智光秀の支援を受けていたそうです。その後、宮津城は幽斎の息子忠興 [続きを読む]