ta.ta.da さん プロフィール

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ta.ta.daさん: 城旅人
ハンドル名ta.ta.da さん
ブログタイトル城旅人
ブログURLhttps://sirotabi.com/
サイト紹介文日本全国のお城の情報。駐車場情報など、登城する際の詳細も分かります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供287回 / 365日(平均5.5回/週) - 参加 2014/06/29 09:35

ta.ta.da さんのブログ記事

  • 武蔵・杉山城 関東では素晴らしい遺構の山城
  • 武蔵・杉山城(すぎやま-じょう)は、初雁城とも言う標高95mの山城で、比高は42mになり、埼玉県比企郡嵐山町にあります。国指定史跡になっているほか、続日本100名城にも選ばれていますが、横堀や横矢、馬出し、土橋、土塁、虎口などが良好な状態で残っている埼玉の城跡となります。台形の小高い丘の上に築かれた階梯式の小城で、最初の築城は、金子主水と言う伝承があります。しかし、発掘調査からは、山内上杉氏が治めていた時代に [続きを読む]
  • 畠山館(畠山氏居館、畠山氏館) 畠山重忠公史跡公園
  • 畠山館(はたけやま-やかた)跡は、埼玉県川本町畠山にある平城です。平安末期から鎌倉時代初期に武蔵で最大勢力を誇ることになる名将・畠山重忠が生まれた場所と伝わる館跡です。畠山氏居館、畠山氏館とも言い、現在は畠山重忠公史跡公園として整備されています。畠山重忠は17歳のときに河越重頼、江戸重長らと長井渡しにて源頼朝に従い、鎌倉幕府成立に貢献しました。畠山重忠の銅像もあります。一ノ谷の戦い「ひよどりごえ」にて [続きを読む]
  • 越畑城 関越道で多くが失われた庄秀政の居城
  • 越畑城(おっぱた-じょう)は、埼玉県比企郡嵐山町越畑にある平山城です。1438年頃に、児玉党の庄秀俊が築いたとされます。庄秀俊(荘秀俊)は関東管領・上杉憲実に従っており、永享の乱の際に、分倍河原の戦いにて戦功をあげて領地を賜りました。尾根が繋がっている武蔵・杉山城には、子の庄秀政(荘秀政)が支城として入ったとあります。戦国時代になると北条家に従っていた越畑城主は庄行秀で、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際には [続きを読む]
  • 武蔵・小倉城 石を使用した城としては埼玉では一番古いか?
  • 武蔵・小倉城(おぐらじょう)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある標高139m、比高70mの連郭式山城で、国の史跡に指定されています。麓の三方を流れる槻川(つきかわ)は、紅葉でも有名に嵐山渓谷と言う谷間になっている要害で、背後の尾根からは、武蔵・青山城にも通じていると言います。築城時に出た石(石の板)を用いて石材を利用した石塁が随所に築かれており、関東では珍しい、石材を使った山城になっているそうです。その嵐山渓谷 [続きを読む]
  • 青梅の武蔵・御岳城 標高929mにある山上城郭?
  • 武蔵・御岳城(みたけ-じょう)は、東京都青梅市にある山城です。御嶽城、御岳山城とも書きます。標高はなんと929m、比高は679mもあります。城跡は、御岳山の山頂にある武蔵御嶽神社がある場所と言う事になります。城の遺構はあまりなく、基本的には神社になっており、神社全域が「城郭」とも言えます。今回、確認までは致しませんでしたら、武蔵・御岳城には、土塁や堀切跡があると言う事で、江戸時代後期くらいから、城があったん [続きを読む]
  • 辛垣城 三田氏滅亡の辛垣城の戦い
  • 辛垣城(からかいじょう)は、東京都青梅市二俣尾にある山城で標高は457m、比高223mと堅固な山城です。北条氏政の書状では唐貝城と記載されています。また、武蔵・勝沼城の西方向にあることから西城とも呼ばれました。最初の築城は、戦国時代の1560年頃に武蔵・勝沼城主・三田綱秀が築いたとされていますが、それ以前から、砦として機能していた可能性はあります。いずれにせよ、青梅の勝沼城では防御に不安があったことから、より [続きを読む]
  • 武蔵・勝沼城 三田氏の本拠地
  • 勝沼城(かつぬま-じょう)は、東京都青梅市にある平山城(丘城)で、別名を師岡城と呼びます。標高は237m、比高は30mですので、比較的登城しやすいようです。鎌倉時代に、平将門の末裔ともされる名門・三田氏が「杣の保」(そまのほ)と呼ばれた青梅を支配していることから、三田氏の詰城として築城されたと考えられます。室町時代の三田氏は、周辺の勢力と共に関東管領・山内上杉氏に従い重臣となっています。1509年には、連歌師の宗長 [続きを読む]
  • 武蔵・菅谷城(菅谷館) 土塁や掘がよく残っている歴史ある館跡
  • 武蔵・菅谷城(すがや-じょう)は埼玉県比企郡嵐山町にある平城で、菅谷館、重忠館とも呼ばれます。続日本100名城にも選ばれた、国の史跡です。標高は62mですが、南側は都幾川に面しており、浸食された崖で、比高は20mほどあります。武蔵・菅谷館は「吾妻鑑」にも出てくる、鎌倉時代初期に武蔵で最大勢力を誇った名将・畠山重忠の居館として有名です。畠山氏は、もともと畠山荘(畠山館)にいましたが、大蔵合戦にて秩父一族の権力を掌 [続きを読む]
  • 唐津城 日本海の眺めも最高な玄海国定公園の名城
  • 唐津城唐津城(からつ-じょう)は、佐賀県唐津市東城内にある連郭式平山城で、別名は、舞鶴城(まいづるじょう)とも言います。最初の築城は、関ケ原の戦いのあと、1602年から唐津藩主の寺沢広政や寺沢広高が築城したとされます。標高は62mで、比高は60m、続日本100名城にも選ばれています。ただし、歴史的に立地から考えますと、それ以前から城があったと推定されますが、古い時代のことはよくわかっていません。今回、訪問した唐津 [続きを読む]
  • 味土野女城「細川ガラシャ隠棲の地」明智玉約2年間の逃避生活
  • 天橋立(あまのはしだて)からはだいぶ離れた丹後の味土野女城(みどのめ-じょう)は、標高約400mの高所にある屋敷跡(館跡)で、付近は手つかずの自然が残されています。17歳のときに織田信長の媒酌を受け、勝龍寺城にて細川忠興と結婚した細川玉(細川ガラシャ)ですが、父・明智光秀が本能寺の変を起こし、奥方様から一転して、織田信長を裏切ったと言う重大な謀反人の娘と言う立場になります。そのため、本能寺の変から3ヶ月後、羽柴 [続きを読む]
  • 豊岡城(城崎城) 宮部継潤が整備した城
  • 但馬・豊岡城(とよおか-じょう)は、兵庫県豊岡市にある階郭式平山城で、標高は48m、比高40mです。山容から別名は亀城・亀山・城山・神武山とも言いますが、山名持豊(山名宗全)が、本拠・此隅山城の出城として、神武山に木崎城(城崎城)を築いたのが始まりともされます。木崎城(城崎城)には重臣で、播磨守護代に任命された垣屋熙続(垣屋越前守熙続)を派遣しました。やがて垣屋氏が事実上の但馬実力者となり、山名氏は事実上、 [続きを読む]
  • 但馬・朝倉城 朝倉氏の本貫地で越前・朝倉氏もここから発祥
  • 但馬・朝倉城(あさくら-じょう)は、兵庫県養父市八鹿町にある標高150m、比高100mほどの山城です。最初の築城としては、平安時代末期に地名を苗字とした朝倉高清を初代とし、鎌倉時代に入ると子の朝倉信高(朝倉八郎信高)によって朝倉城が築かれたと云われます。朝倉氏は孝徳天皇の皇子・表米親王(ひょうまい-しんのう)の後裔を称し、はじめ日下部氏を称した一族の氏族のひとつになります。日下部氏の流れをくむ氏族としては、太田垣 [続きを読む]
  • 有子山城 山名氏の本拠地となる山名氏城跡
  • 有子山城(ありこやま-じょう)は、兵庫県豊岡市出石にある連郭式山城で、標高は321、比高310mと大変堅固です。別名は、有子城、出石古城、山名氏城、高城とも言い、近くの此隅山城跡と合わせて「山名氏城跡」と言う名称にて国の史跡に指定されています。また、出石城とともに続日本100名城にも選ばれています。なお、続日本100名城としては、出石城・有子山城をひとつとして選定されていますが、当サイトでは別の城として、それぞ [続きを読む]
  • 此隅山城 山名氏が最盛期を迎えた本拠地
  • 此隅山城(このすみやま-じょう)は、兵庫県豊岡市の出石にある山城で、子盗城、此隅城、鶴賀城、子守城とも呼ばれます。標高は140m、比高130mとなかなか堅固や城です。なお、有子山城跡と合わせて「山名氏城跡」と言う名称にて国の史跡に指定されています。最初の築城は、南北朝時代の文中年間(1372年〜1374年)とされ、1372年前後に山名時義が此隅山に築城しました。山名氏は名門・新田義重の庶子である新田三郎義範(または新田 [続きを読む]
  • 但馬・八木城 別所重宗が石垣の城に改修
  • 但馬・八木城(やぎ-じょう)は、兵庫県養父市八鹿町八木にある連郭式山城で、国の史跡に指定されています。別名は、八木石城、石城とも言いますが、標高409mの土城山にあることから、八木土城とも呼びます。なお、ややっこしいのですが、麓から登ると最初のピークとなる標高303mの石垣が残る「城山」を八木城(石城)としており、200mほど尾根伝いの高いところにある土塁作りの土城山のほうは、古くからある城で土城(八木古城)と言い [続きを読む]
  • 篠山城 防御に秀でた丹波の日本100名城
  • 篠山城は、兵庫県篠山市北新町にある輪郭式平山城で、別名を桐ヶ城とも言います。国の史跡に指定されているほか、日本100名城にも選ばれています。ずっと「しのやま-じょう」と呼ぶのだと思い込んでいましたが、篠山城は「ささやま-じょう」と読みます。笹山とよばれる丘陵に築かれた城と言う事ですね。丹波篠山盆地の城としては、戦国時代まで丹波・八上城が使われており、関ケ原の戦いのあと、前田玄以の子・前田茂勝が入封して [続きを読む]
  • 摂津・三田城(三田陣屋)  山崎片家が改修もした特異な城
  • 摂津の三田城(さんだ-じょう)は、兵庫県三田市にある平山城となります。別名は、車瀬城、三田陣屋とも言います。南北朝時代に、赤松一族の有馬則景が、車瀬に居館を造ったのが始まりともされますが、諸説ありかなりよく分かりません。三田にある金心寺(こんしん-じ)は。古くから歴代天皇の信仰を受けており、戦国時代初期には20万石を誇るなど、三田の中心として君臨していたようです。また、伊丹城主となった荒木村重は、1574年 [続きを読む]
  • 尼崎城が復活 戸田氏鉄が建てた4重天守が400年ぶりに蘇る
  • 摂津・尼崎城(あまがさき-じょう)は、兵庫県尼崎市にある平城で、別名は琴浦城、琴城、尼丘城とも言います。標高は2.6mです。この尼崎城は、江戸時代の1617年、戸田氏鉄が5万石で入ると新築されました。この戸田氏鉄(とだ-うじかね)は、徳川家康の家臣・戸田一西(とだ-かずあき)の子として1576年に、三河の二連木にて生まれました。母は正室・真木氏常の娘です。父・戸田一西は、1600年の関ケ原の戦いにて、徳川秀忠に従い上 [続きを読む]
  • 花隈城 花隈城の戦いと荒木元清
  • 摂津・花隈城(はなくま-じょう)は、 兵庫県神戸市中央区の元町駅近くにある平山城で、別名は花熊城、鼻隅城、鼻熊城とも言います。六甲山地から海に突き出た台地だったようで、瀬戸内海の海上交通としても山陽道の陸上交通としても交通の要所であることは、今でも変わりません。通説の場合、1567年に織田信長の命を受けた荒木村重が築いたとされます。しかし、1567年の時点で、荒木村重は、摂津・池田城主である池田勝正の家臣であ [続きを読む]
  • 有岡城(伊丹城) 伊丹駅前に残る城跡と伊丹親興や池田元助も
  • 摂津・伊丹城(いたみじょう)は、兵庫県伊丹市に平城で、伊丹有岡城、有岡城、在岡城(ありおかじょう)とも言い、国の史跡に指定されています。築城年代ですが、南北朝時代には伊丹氏の居城となっていました。伊丹氏(いたみし)は、平安時代前期の貴族・藤原利仁(ふじわら-の-としひと)の末柄とされ、1315年に六波羅の命にて幕府使者となった伊丹親元が初見です。この頃から細川氏の被官で、畠山国清に味方した伊丹宗義(伊丹 [続きを読む]
  • 丹後・久美浜城(松倉城) 丹波水軍を率いて活躍
  • 丹後・久美浜城(くみはま-じょう)は、京都府京丹後市久美浜町にある標高57mの山城で、海が近いことから比高は55mとなります。別名は松倉城です。最初の築城などは不明ですが、一説になると、建部山城の一色氏の時代に築かれたともされます。戦国時代には、一色満信の家臣・松倉周防守が久美浜城主で、1582年、山崎の戦いのあと、羽柴秀吉の命にて丹後に侵攻した細川藤孝の重臣・松井康之との戦いにて討死しました。しかし、田辺城 [続きを読む]
  • 茨木城 茨木長隆の居城も今はその面影なし
  • 茨木城(いばらき-じょう)は、大阪府茨木市片桐町の平城です。最初の築城として一番古い説からご紹介すると、建武年間(1334年〜1336年)に、あの楠木正成(くすのき-まさしげ)が築いたともされます。ただし、腰を据えて住んだわけではないため、築いたとしても、砦程度の簡素な城だったのでしょう。その後、出自は不明ですが、茨木を本貫とする茨木氏(いばらきし)が現れますが、茨木弥三郎が細川政元と薬師寺元長の攻撃を受けて、 [続きを読む]
  • 柏原藩陣屋 修復された巨大な長屋門と田ステ女?
  • 柏原陣屋(かいばら-じんや)は兵庫県丹波市柏原町にある、柏原藩の藩庁跡で、国の史跡となっています。織田信長の弟・織田信包(おだ-のぶかね)が大阪城の豊臣秀吉の御伽衆となっていた1598年に、3万6000石にて丹波国氷上郡柏原に入りました。御伽衆(おとぎしゅう)と言うのは、簡単に申し上げますと「話し相手となる側近」と言う事になります。豊臣秀吉の普段の話し相手と言う訳ですが、この頃、金森長近、織田有楽斎、小寺休夢 [続きを読む]
  • 丹波・山垣城 武蔵国の足立から移り住んだ名門の本拠地
  • 丹波・山垣城(やまがい-じょう)は、兵庫県丹波市青垣町山垣にある山城で、別名は万歳城、万歳山城で、標高は235m、比高80mです。鎌倉時代の1209年に、源頼朝に仕えていた足立遠元の孫・足立遠政が佐治荘を拝領し、武蔵国足立郡から移り住みました。約70名の家来を連れて佐治庄小倉の太夫殿屋敷へ移住したあと、万歳山に山垣城を築いて本拠にしたと言う事です。本丸、二の丸と曲輪跡が連なるほか、馬場、堀切、土塁の跡もみられ、山 [続きを読む]
  • 摂津・大物城(尼崎古城) 大物崩れの舞台
  • 大物城(だいもつ-じょう)は、兵庫県尼崎市大物町の平城です。近くには江戸時代になって建造された尼崎城があるため、大物城のことを尼崎古城と呼ぶ場合もあります。この尼崎は古くは「大物浦」と呼ばれる港町で、平安時代末期には源頼朝から討伐を受けた源義経が、大物主神社に弁慶が隠れて、大物浦に停泊していた佐伯惟栄の水軍を頼ると、瀬戸内海へ出航した場所としても知られます。その後、大物城がいつできたかは不明ですが、 [続きを読む]