ta.ta.da さん プロフィール

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ta.ta.daさん: 城旅人
ハンドル名ta.ta.da さん
ブログタイトル城旅人
ブログURLhttps://sirotabi.com/
サイト紹介文日本全国のお城の情報。駐車場情報など、登城する際の詳細も分かります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供211回 / 326日(平均4.5回/週) - 参加 2014/06/29 09:35

ta.ta.da さんのブログ記事

  • 猪子石城 ここにも小牧長久手の戦いに関与した名古屋の城が
  • 猪子石城(いのこしじょう)は、名古屋市名東区神月町にある平城です。尾張・小幡城、龍泉寺城を訪問してから、国道302号にて途中、名鉄・瀬戸線の踏切付近で渋滞にはまりつつも、出来町通りをちょっと走ったら、たどり着きました。香流川の北岸で微高地となっている、現在の月心寺が城跡だと考えられますが、遺構は失われているようです。かつては、2重の堀もあったと伝わり、東西約90m、南北110mの規模だった模様です。この辺り [続きを読む]
  • 龍泉寺城(竜泉寺城) 短期間しか使われなかった貴重な戦国の城跡
  • 龍泉寺城(りゅうせんじ-じょう)は、愛知県名古屋市守山区竜泉寺にある寺院・龍泉寺を使用した平山城で、標高は72.1mとなります。織田信長の弟・織田信行が、兄の織田信長と争った際、1556年に築城したと言います。ただし、この地にはもともと「龍泉寺」という天台宗の寺院がありました。龍泉寺(りゅうせんじ)は、比叡山・延暦寺を開いた最澄(さいちょう)が、熱田神宮を参籠した際に龍神のお告げを受け、天台宗の寺院として創建し [続きを読む]
  • 尾張・小幡城 小牧長久手の戦いでの徳川家康の素早い行動
  • 尾張・小幡城(おばた-じょう)は、愛知県名古屋市守山区西にある標高28.5mの平山城です。最初の築城は、戦国時代の1522年、織田敏信・織田信安の家臣・岡田重篤(岡田与七郎重篤が築いたとされます。尾張岡田氏は、尾張源氏の流れを汲む山田氏の後裔とされ、岡田重篤は、岡田重賢の子となります。岡田重篤は、父同様、はじめ斯波義廉に仕えていましたが、のちに織田家の宗家である清洲城主・織田敏信(織田左馬健介敏信)の家臣となっ [続きを読む]
  • 尾張・守山城 織田家と松平家の争いと森山崩れ(守山崩れ)
  • 尾張・守山城(もりやまじょう)は愛知県名古屋市守山区市場にある平山城で比高は15mほどになります。平地が多い名古屋周辺では貴重な要害の地と言えるでしょう。最初の築城は不明ですが、恐らくは織田家の支配だったとも考えられます。1521年(大永元年)に、那古野城に入った今川氏豊が、小幡城・川村城に備えた出城として、松平信定に築城させました。松平信定は安城の桜井城主ですが、1526年には織田信秀の妹を正室としていま [続きを読む]
  • 尾張・丹羽長秀邸(丹羽長秀屋敷) 旧志水家玄関車寄せ
  • 丹羽長秀邸は、織田信長の重臣として名高い、丹羽長秀の屋敷があった場所となります。表現上は「屋敷跡」と言うことになりますので、居館と言うことになります。しかし、他の居館跡によっては、丹羽長秀城跡と言うように「城跡」として表現する場合もあります。よって、この丹羽長秀邸跡は、控えめに城や館とは称していませんが、当サイトでは分類として、武将が住んでいた場所、すなわち「城」としてご紹介させて頂きます。清洲城 [続きを読む]
  • 津山城 豪壮で迫力ある石垣が見事な日本三大平山城
  • 美作・津山城(つやまじょう)は、岡山県津山市山下にある梯郭式平山城で、日本三大平山城のひとつです。別名は鶴山城(かくざんじょう)と呼ばれ、現在、国の史跡に指定されており、日本100名城にも選出されています。日本三大平山城は、他に姫路城と愛媛の伊予・松山城とされます。津山城は、南部を流れる吉井川と支流・横野川、そして西を流れる藺田川(いだがわ)の3川を外郭として、その内側に城下町などの主要部を構成してい [続きを読む]
  • 院庄館 美作守護の院庄館跡で後醍醐天皇ゆかりの地
  • 院庄館跡(いんのしょう-やかたあと)は、岡山県津山市神戸(じんご)にある館跡(平城)です。鎌倉時代から室町時代にかけて、美作守護職の館があったとされ、国指定史跡となっています。方八十間(ほうはちじゅっけん)と呼ばれた広大な館跡は、約500メートルの土塁が残っており、一部は水堀も現存します。なお、周辺には御館、御館掘り、掘りなどの地名が垣間見えるみとから、現在の城域は本丸であり、もっと大規模な城であったと推定 [続きを読む]
  • 美作・岩屋城 長期の籠城戦を度々しのいだ堅城
  • 美作・岩屋城(いわやじょう)は、岡山県津山市中北上にある標高483mの梯郭式山城で、比高はなんと310mもあります。福岡の有名な岩屋城や、淡路島の岩屋城と区別するため、ここでは美作・岩屋城として表現させて頂きます。最初の築城は、1441年、山名教清が美作守護となった際に築いたとされます。同じ頃、叔父の山名忠政は、鶴山城(津山城)を築きました。山名教清(やまな-のりきよ)は、同族の山名宗全・山名教之と共に、室町幕 [続きを読む]
  • 備中・高松城 水攻めの舞台となった備中高松城址と陣跡
  • 備中・高松城(たかまつじょう)は、岡山県岡山市北区高松にある梯郭式平城となります。続日本100名城にも選ばれている国の史跡になっており、見どころも多い城跡ですし、平坦ですので見学も疲れません。最初の築城時期は不明ですが、備中・松山城の三村氏の有力家臣である石川氏が築いた城とされます。備中高松城主としては、石川久孝(石川左衛門佐久孝)が見受けられますが、石川家の当主は幸山城主・石川久式でした。石川久式の妻 [続きを読む]
  • 宮路山城 備中高松城攻めの前哨戦で降伏した山城
  • 宮路山城(みやじやま-じょう)は、岡山市足守にある山城です。最初の築城は不明ですが、1582年、備中高松城の戦いの際には、毛利勢の乃美元信(乃見少輔七郎元信)が城主として守備していました。羽柴勢に対する防衛拠点として、北から、宮路山城、冠山城、備中高松城、加茂城、日幡城、庭瀬城、松島城の七城で、その主城が「備中高松城」です。乃美元信(のみ-もとのぶ)と言う武将に関しては史料がほとんどありませんが、毛利水軍の将 [続きを読む]
  • 冠山城 備中高松城攻めの前哨戦で全滅した城
  • 冠山城(かんむりやま-じょう)は、岡山県岡山市下足守にある標高40mの平山城(丘城)です。独立した丘になっています。最初の築城は不明ですが、築城したのは河津左衛門尉氏明、または守福寺某とも言われます。河津氏明は、高家の一族で足利将軍の筆頭重臣(執事)・高師直を補佐していました。守福寺某というのは、守福寺が名字で、某(ぼう)と言うのは、下の名前が不明と言うことになります。守福寺(ほうふくじ)と言うのは、戦国時代 [続きを読む]
  • 三星城 後藤勝基と三星城の戦い
  • 美作・三星城(みつぼし-じょう)は、岡山県美作市にある山城での標高は233m、比高は150mです。三星山全山が天然の要塞であり、三つの峰をもつ山城となっています。最初の築城は古く、応保年間(1161年〜1163年)に渡辺長寛が詰の城として築いたとされています。1200年、美作守護の梶原景時が鎌倉幕府から追われて自刃すると、渡辺長寛の子である渡辺長信も殉死して、渡辺氏は没落したようです。その後、三星城主としては、南北朝時 [続きを読む]
  • 備前・周匝茶臼山城と大仙山城 笹部勘次郎も
  • 備前・周匝茶臼山城(ちゃうすやまじょう)は、岡山県赤磐市周匝にある連郭式山城で標高172m、比高い110mとなります。周匝は「すさい」と読みます。他にも岡山県や広島県あたりは茶臼山城と同名の城があることから、ここでは周匝茶臼山城と表現させて頂きます。浦上宗景の本拠地である備前・天神山城から約7kmくらいしか離れていないことから、支城的役割を果たしたものと存じます。周匝茶臼山城の築城時期は不明ですが、戦国時代 [続きを読む]
  • 備前・天神山城 浦上宗景が本拠地として整備した巨大な山城
  • 備前・天神山城(てんじんやまじょう)は、岡山県和気郡和気町田土にある連郭式山城です。標高は338m、比高310mと結構な山城で、西は吉井川の流れに守られている堅固な構えです。備前では大規模な城郭で、曲輪、土塁、石垣、空堀、侍屋敷跡などの遺構があると言います。最初に築城したのは、戦国時代の1551年、浦上宗景とされます。ただし、もとは室町時代より前に日笠青山城の出城として日笠氏が築城したのがはじまりで、その部分 [続きを読む]
  • 撫川城 かつての水路や水濠が残っている沼城
  • 撫川城(なつかわじょう)は、岡山県岡山市北区撫川にある平城で、江戸時代に入ってからは陣屋が置かれたことから撫川陣屋とも言います。他にも、高下ノ城、芝揚城、泥城、小倉城と言う別名があります。最初の築城は定かではありませんが、平安時代後期となる寛治年間(1087年〜1094年)に、吉備津神社の祠官・藤井久任(ふじい-ひさとう)が築城したと伝わります。また、平清盛の重臣・妹尾兼康(せのお-かねやす、妹尾太郎兼康)の一 [続きを読む]
  • 庭瀬城 大賀ハスでも有名で生い立ちもユニークな沼城(庭瀬陣屋)
  • 庭瀬城(にわせじょう)は、岡山県岡山市北区庭瀬822にある平城で、庭瀬陣屋(にわせじんや)とも言います。別名は付近の地名から芝場城とも呼ばれます。戦国時代までは隣接する撫川城と一体の城として使われていました。撫川城が本丸で、庭瀬城が二の丸と言う感じで、江戸時代に入るとそれぞれ、違う武家が城に入ったと言う、なかなか珍しい状況になった城跡です。また、戦国時代までの歴史は、撫川城と同じですが、念の為記載致 [続きを読む]
  • 明禅寺城 明禅寺の戦いで宇喜多直家の大勝利も
  • 備前・明禅寺城(みょうぜんじ-じょう)は、岡山県岡山市中区沢田にある山城で、操山につづく標高は110m、比高100mにあります。現在は、操山公園となっている丘陵地で、岡山城から約8kmと近いところにあります。ときは戦国時代、毛利元就の支援を受けた備中・松山城主の三村家親は、岡山城・舟山城を攻略します。そして、1565年には、後藤勝元が守る三星城攻めましたが、この時、沼城主・宇喜多直家は援軍を送り陥落を防ぎました。こ [続きを読む]
  • 日幡城 羽柴勢に奪われるも奪還した毛利家の意地と上原元祐も
  • 備中・日幡城(ひばた-じょう)は備中高松城からもほど近い岡山県倉敷市日畑にある丘城(平城)で、日畑城とも書くようです。最初の築城は不明ですが、日幡氏の居城でした。戦国時代に初代の日幡景教が築城したともされますが、もともとは「古墳」だったようです。1551年には、備前・竜ノ口城に日幡景親(日幡六郎兵衛)が後詰して、浦上勢をしりぞけています。また、1554年に、再び浦上勢が竜ノ口城を攻めると、日畑勢(日幡勢)は武功を [続きを読む]
  • 福山城 天守もあり新幹線の福山駅からも近い福山のシンボル
  • 国指定史跡である備後・福山城(ふくやまじょう)は、久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる広島県福山市丸之内1丁目の標高28mの平山城で、比高は25mになります。常興寺山の丘陵を削平して本丸を築き、二の丸・三の丸が取り囲む輪郭式平山城で、日本100名城にもなっています。大阪夏の陣で豊臣家も滅亡したあとの江戸時代1619年に、安芸・広島城の福島正則が改易(所領没収)となり、大和郡山城から水野勝成 [続きを読む]
  • 経山城 城主の中島元行はなかなかの策士だったか?
  • 経山城(きょうやま-じょう)は、京山城とも呼ばれる標高は373m、比高は310mと結構な山城です。大内義隆が戦国時代1542年に、月山・富田城を攻める際の、備中の守りの拠点とするため、1542年に築城したとされています。経山城主としては二階堂氏行(中島氏行)が入りました。しかし、1543年、大内勢が月山富田城の戦いで大敗したため、播磨・白旗城主である赤松晴政の命を受けた備前・天神山城主の浦上宗景と、宇喜多興家が経山城を攻 [続きを読む]
  • 鬼ノ城 鬼の居城とされる展望も良い空中要塞
  • 鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の標高約400mとなる鬼城山(きのじょうさん)にある古い時代の山城で、国指定史跡・日本100名城にも選ばれています。高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が鬼城山の山頂付近に約2.8kmに渡って築かれています。西暦663年、飛鳥時代のとき白村江の戦い(はくそんこう)にて百済復活のため援軍を出した大和朝廷との連合軍は敗北し、唐・新羅(しらぎ)の連合軍が日本に侵攻してくることが想定されました。 [続きを読む]
  • 備中・福山城 20万対1500で合戦になった城
  • 備中・福山城(ふくやまじょう)は岡山県総社市清音三因(きよねみより)にある連郭式山城で、国の史跡に指定されています。通常「福山城」と申しますと、天守も復元されている広島県福山市の福山城が有名ですが、あちらは「備後」でして、今回、ご紹介するのは備中の福山城となります。備中・福山城は、標高302mの峰を持つ福山に築かれていますが、奈良時代から山岳寺院「福山寺」がありました。報恩大師が山上に福山寺と十二坊を [続きを読む]
  • 鞆城 鞆の浦にある軍事拠点と鞆幕府
  • 鞆城(ともじょう)は、備後国の鞆(広島県福山市鞆町)にある平山城で標高24m、比高22mとなります。瀬戸内海は、干潮と満潮で潮の流れが代わりますがその真ん中に位置するのが「鞆の浦」(とものうら)という事で、瀬戸内海を行き来する船は、必ずと言ってよいほど、鞆に寄港し、潮目が変わるのを待ちました。足利尊氏がまだ、室町幕府を開く前の話です。鎌倉幕府を滅ぼし、後醍醐天皇の建武の新政に協力するも反旗を翻し、足利尊氏 [続きを読む]
  • 備後・大可島城 鞆の浦にある風光明媚な海城
  • 備後・大可島城(だいがしまじょう)は、標高10mの岬にある水軍城で、鞆の浦(とものうら)にあります。瀬戸内海国立公園の鞆の浦は、古くから瀬戸内海の潮待ちの港として知られ、また万葉集にもうたわれた風光明媚な場所です。すぐ近くの鞆城よりは古い時代から城郭があったようで、1342年に岡部出羽守が築いたと言う伝承があります。大可島というくらいですので、昔は今のように陸続きではなく「島」になっていました。この1342年に [続きを読む]