ta.ta.da さん プロフィール

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ta.ta.daさん: 城旅人
ハンドル名ta.ta.da さん
ブログタイトル城旅人
ブログURLhttps://sirotabi.com/
サイト紹介文日本全国のお城の情報。駐車場情報など、登城する際の詳細も分かります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供262回 / 365日(平均5.0回/週) - 参加 2014/06/29 09:35

ta.ta.da さんのブログ記事

  • 新津城 新津勝資・上杉二十五将のひとり
  • 新津城(にいつじょう)は、新潟県新潟市秋葉区にある平城です。最初の築城は不明ですが、新津氏によって築かれたとされています。新津氏は清和源氏・新羅三郎義光の庶流で、平賀有義(源盛義)の子・金津資義(すけよし)が、蒲原郡金津保の地頭職となり、金津小次郎と称します。この金津城主・金津有義の二男・金津資直が金津氏を継いで金津城主となり、三男・金津信資は、新津信資(新津越前守三郎信資)と称して新津氏の祖となり分流 [続きを読む]
  • 新発田城 半分残念だけど素晴らしい日本100名城
  • 新発田城(しばた-じょう)は、新潟県新発田市あにめ(越後国蒲原郡)にある平城で日本100名城です。本丸の形が舟のように見えることから舟形城と呼ばれたり、周囲が湿地で菖蒲(あやめ)がたくさん咲いていたことから菖蒲城とも呼ばれます。最初の築城は、鎌倉幕府の創設に貢献した佐々木盛綱の流れの新発田氏による築城と考えられています。ただし、築城年代などは不明です。代々、新発田氏の居城となりましたが、天正9年(1581 [続きを読む]
  • 越後・水原城(水原館・水原代官所) 水原親憲の活躍も
  • 越後・水原代官所(すいばら-だいかんしょ)は、新潟県阿賀野市外城町にあります。現在、代官所として復元されていることから、主な呼ばれ方は水原代官所と言う事になりますが、かつては水原館、水原城があったと考えられます。最初の築城年代は不明ですが、鎌倉時代に伊豆・大見郷を発祥とする鎌倉御家人・大見家秀の末裔が、城氏滅亡のあとに越後・白河庄の地頭職となります。大見家の惣領家は白河荘の上条の大部分と山浦四ヶ条を [続きを読む]
  • 江上館(奥山荘城館) 中条氏の本拠地 奥山荘城館遺跡
  • 越後・江上館(えがみやかた)は、新潟県胎内市本郷町にある平城で、国の史跡(奥山荘城館遺跡)になっています。この奥山荘城館遺跡(おくやまのしょうじょうかんいせき)として国指定の史跡となっているのは下記の城跡・史跡などです。江上館跡(本郷町)・鳥坂城跡(羽黒)・倉田城跡(関沢)・野中石塔婆群(野中)・小鷹宮境内地(村松浜)・韋駄天山遺跡(平木田)・蔵王権現遺跡(蔵王)・黒川城跡(下館)・臭水油坪本郷町(塩沢 [続きを読む]
  • 越後・平林城 見事な居住部遺構 色部勝長と色部長実など
  • 越後・平林城(ひらばやし-じょう)は、新潟県村上市平林にある城です。小泉庄を領した平林内蔵助ら、平林氏の居城であったとされます。南北朝の動乱にて、平林氏は色部氏の意向に反して新田義貞に味方したため、加納の地頭である色部高長に攻められ領地没収になったと伝わります。そして、南北朝時代には、加護山城と呼ばれましたが、これは、領国である加納庄を護る山との意味があったようです。その後、戦国時代になるまでの間、 [続きを読む]
  • 村上城(本庄城) ただならぬ立派な山城である続日本100名城
  • 村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市にある山城で、別名は舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)とも言います。村上市街地の東にそびえる標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれており、国の史跡、続日本100名城にもなっています。比高は125mほどだと言いますので、平山城ではなく、立派な山城として表現させて頂いております。越後の本庄氏は、武蔵七党・秩父党が出自で、鎌倉時代の1206年頃、越後小泉 [続きを読む]
  • 大葉沢城 鮎川清長と鮎川盛長は畝状竪堀で防御
  • 越後・大葉沢城(おおばさわ-じょう)は、新潟県村上市大場沢にある標高90m、比高60mの山城で、別名は、寺山城、寺山の城と言います。築城年代は不明ですが、本庄城(村上城)の本庄氏の庶流で、早い時期に分かれたとされる、鮎川氏の居城として知られます。戦国時代になると、1512年に、鮎川式部大輔が、長尾為長に反旗を翻したため、大葉沢城にて籠城しています。鮎川藤長の子・鮎川清長(あゆかわ-きよなが)は、1530年、上条定憲が守 [続きを読む]
  • 佐渡・青木城 水堀などが残る青木殿の城跡
  • 佐渡・青木城(あおきじょう)は、新潟県佐渡市新穂青木にある平城です。佐渡ヶ島の中心にあり、新穂川の扇状地の末端部分、沖積している場所に接する徴高地の上に築城したようです。単郭単濠で村殿の館跡となり、郭内には「城の内」「堀」などの地名を残っています。村殿と言うのは、在地領主の意味になります。東西約80m、南北約120mの長方形の郭になっており、北・西・南の三方には土塁も残されています。また、外側には水堀があ [続きを読む]
  • 佐渡・新穂城(下新穂城) 村殿と呼ばれた言わば村長さんの館
  • 佐渡・新穂城(にいぼ-じょう)は、新潟県佐渡市下新穂と上新穂にある平城で、大野川の下流にある沖積地帯に構築されており、下新穂城とも書く場合があるようです。最初の築城などは全く不明ですが、鎌倉初期には、鎌倉御家人の土屋氏がこの付近を支配していました。館を土塁で囲んで、その外側には丸みを帯びた水堀を巡したようで、地頭配下の村落を代表する土豪「村殿」の館跡となります。郭のまわりには小門、中仙道、表、押上げ [続きを読む]
  • 佐渡・雑太城 佐渡最大の城跡である妙宣寺と日野資朝の墓
  • 佐渡・雑太城は「さわだじょう」と読みます。新潟県佐渡市阿仏房にある比高13m前後の平山城で、雑田城、竹田城、檀風城とも言います。要害性は低いですが、佐渡にしては規模が大きな城で、三郭から成っており、沢を挟んだ南東には大川城、南西には国分城と支城でも囲まれています。最初の築城は不明ですが、雑太城は、佐渡守護代として入った本間能久の佐渡・本間氏の本拠地となり、代々、嫡流(本流)の城となりました。佐渡・本間 [続きを読む]
  • 羽茂城 上杉勢が攻め落とした羽茂本間氏の本拠地
  • 羽茂城(はもちじょう)は、新潟県佐渡市羽茂本郷の羽茂川の右岸、城山と呼ばれる標高82mの地点に築かれた山城です。佐渡国としては、最大の山城と言って良いでしょうが、比高は約60mほどで、すごく堅固であるとは言いにくいですし、シンプルな構造です。佐渡・羽茂城には、五社城、荒上城、北の城という3つのピーク(峰)があります。最初の築城は不明ですが、佐渡・雑太城の雑太本間氏から別れた一族の羽茂本間氏が、室町時代のは [続きを読む]
  • 佐渡・相川城(羽田城) 相川を守る佐渡の山城
  • 佐渡・相川城は、新潟県佐渡市相川羽田村(相川城址公園)にあり、市街地背後の丘陵に築かれた、比高80mの山城です。羽田城・大仏城とも言います。相川城址公園は、城址を公園として整備して保存していると言う公園ではなく、城跡の地形を改変して、梅・サクラやサツキの花見ができる公園に改良したと言う感じです。そのため、城跡の構造も不明で、案内板なども無いと言うことでして、遠景の撮影だけに留めました。佐渡の相川は、 [続きを読む]
  • 越後・与板城 直江信綱と本与板城も【登城攻略】
  • 与板城(よいたじょう)は新潟県長岡市与板にある山城です。標高は104m、比高は85mほどになります。ただし、最初は与板城よりも北に2kmほど離れた山を城としていたようで、古い城は「本与板城」として区別されています。本与板城(もとよいたじょう)の築城時期は不明ですが、南北朝時代の1334年に、新田氏の一族である籠沢入道が築城したと伝わります。その後、越後守護・上杉氏の重臣である飯沼氏の居城となりました。永正4年(1 [続きを読む]
  • 越後・北条城 ここにも大江広元からの毛利家一族が
  • 越後・北条城(きたじょうじょう)は、新潟県柏崎市北条にある、標高140m、比高110mの山城で、長鳥川の丘陵上にあります。最初の築城は不明ですが、鎌倉幕府の公文所別当・大江広元の4男・毛利季光の系統となる越後毛利氏(安芸の毛利家とも親戚)の北条氏の代々の居城でした。ちなみに、相模の毛利氏発祥の地は下記にてレポートしています。→毛利季光とは【戦国大名・毛利家の祖】すなわち長州藩主の祖1247年の宝治合戦にて毛利 [続きを読む]
  • 越後・安田城(新潟県柏崎市) 安田景元・安田顕元
  • 越後・安田城は越後に2箇所あり、新潟県阿賀野市にある越後・安田城もあるのですが、ここでは越後・安田城(新潟県柏崎市)を取り上げます。越後・安田城(やすだ-じょう)(新潟県柏崎市)は、安田館、安田陣屋とも呼ばれる、標高50、比高40も平山城となります。築城年は不詳ですが、北条憲朝を祖とすめ北条(きたじょう)氏の越後・北条家から分家したのが、安田氏で安田城に移ったため、安田氏の初代当主・安田憲朝が築城したと考えら [続きを読む]
  • 越後・琵琶島城 上杉家に忠実な宇佐美氏の本拠地
  • 越後・琵琶島城(びわじまじょう)は、新潟県柏崎市にある平城で、鵜川が大きく蛇行して形成された中洲のような場所で、で支流にも挟まれた川の脇にあります。また、戦国時代に、鵜川の周りは、湿地帯であったも推測されているようで、防衛には適した地だった模様です。特に、柏崎湊が近いことからも、舟運が利用できた城で、軍事的にも経済的にも非常に重要な城であったと言われます。なお、野尻湖のところにも、琵琶島城がありま [続きを読む]
  • 越後・上条城 上条上杉家や上条政繁の居城
  • 上条城と言う城も日本各地にあるため、ここではハッキリと越後・上条城として区別させて頂きます。越後・上条城は、その名も、ジョー・ジョー・ジョーと読みますが、標高15mの微高地にある比高10mの平山城です。最初の築城は、越後守護で越後上杉家2代目の上杉房方(うえすぎ-ふさかた)と考えられます。越後中郡の北条・安田・斎藤氏など土豪衆の監督も兼ねて4男・上杉清方を分家し、居城にしたのが始まりとされます。こうして、上 [続きを読む]
  • 越後・松代城 模擬天守もある三国街道抑えの山城
  • 松代城と言いますと、信濃の海津城だった松代城が有名ですが、越後・松代城は「まつだいじょう」と読みます。標高385mの松代山に築かれている山城で、比高は180mとなります。新潟県十日町市松代字城ノ腰にあります。本丸は10m四方程度で、城の規模的にはそんなに大きくはないようです。最初の築城年などは不明ですが、南北朝時代に直峰城にて活躍した風間信昭の一族と考えられる、風間定勝(風間九郎左衛門尉定勝)が越後・松代城だ [続きを読む]
  • 直峰城 上杉勢の関東遠征重要拠点で1日目に宿泊
  • 直峰城(のうみねじょう)は、新潟県上越市にある山城で、史料によっては能峰城・直峯城とも書きます。典型的な中世山城で、標高は344m、比高230m、自然の地形が巧みに利用されている堅固な山城と言えます。最初の築城時期は諸説あり不明ですが、南北朝時代(1335年〜1392年)に、南朝に味方した風間信昭(かざま-のぶあき、風間信濃守信昭)が本拠地にして活躍していたと伝わります。出自は信濃水内郡にある風間神社の庄司の出身とさ [続きを読む]
  • 越後・福島城 はかなく短命に終わった巨大な越後福嶋藩庁
  • 越後・福島城(ふくしまじょう)は新潟県上越市にある平城です。1598年、上杉景勝が会津へ転封となり、北ノ庄城から春日山城に堀秀治が45万石にて入ります。1600年、堀秀治は越後国一揆(上杉遺民一揆)を鎮圧し、江戸時代に入ると、山城では政庁に不向きとなり、直江津の港近くに、この「越後・福島城」の築城を開始しました。越後だけでなく、各地で山城を廃して、広大な平城を築城するのがブームになる訳ですが、これは、山城では [続きを読む]
  • 津城(安濃津城) 細野藤光が築き藤堂高虎が大改修した名城
  • 伊勢・津城(つ-じょう)は、三重県津市丸之内にある輪郭式平城で、別名を安濃津城(あのつじょう)とも言います。北は安濃川、南は岩田川に挟まれた場所で天然の外堀として活用もしていました。津市の古いの地名は安濃津(あのつ)と言い、平安時代よりから伊勢の中心地として栄えていたようです。鎌倉時代に、曾我兄弟に殺された工藤祐経の3男・工藤祐長が、伊勢平氏を討伐するため伊勢・安濃津に赴任しています。南北朝時代にな [続きを読む]
  • 宇陀松山城(続日本100名城) 多賀秀種と福島高晴
  • 宇陀松山城(うだまつやまじょう)は、奈良県宇陀市にある山城で、秋山城、神楽岡城とも呼ばれます。国の史跡になっている他、続日本100名城にも選ばれています。最初の築城は不明ですが、南北朝時代には城として機能していたようです。宇陀郡の有力国人・秋山氏が古城山に城を築いたとあります。ただし、大和秋山城下城と呼ばれる方の中腹のピークを本丸にしていた可能性は残ります。秋山氏は神戸社の神主で、のちに興福寺の被官 [続きを読む]
  • 大和・菅野城(菅野谷城) 百済王の末柄の居城か?
  • 大和・菅野城(すがの-じょう)は、奈良県宇陀郡御杖村菅野字城坂にある標高580m、比高50mの山城です。奈良県ではありますが、すぐ東は三重県と県堺に近いところに位置し、伊勢本街道の押さえとなっています。築城時期は不明ですが、北畠具親に従っていたと考えられる菅野氏が築いた城とされ、城坂とも菅野谷城とも呼ばれます。菅野氏(すがのうじ)と言うのは、朝鮮・百済王の一族で、西暦500年台の古代日本に渡ってきました。その [続きを読む]