ta.ta.da さん プロフィール

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ta.ta.daさん: 城旅人
ハンドル名ta.ta.da さん
ブログタイトル城旅人
ブログURLhttps://sirotabi.com/
サイト紹介文日本全国のお城の情報。駐車場情報など、登城する際の詳細も分かります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供288回 / 365日(平均5.5回/週) - 参加 2014/06/29 09:35

ta.ta.da さんのブログ記事

  • 常陸・武田氏館 甲斐の武田家発祥の地は水戸近くに
  • 常陸・武田氏館(たけだし-やかた)は、茨城県ひたちなか市武田にある平山城(館跡)になります。武田氏と申しますと、戦国時代に甲斐の虎として恐れられた名将・武田信玄が良く知られますが、その甲斐武田氏はココ、常陸が発祥の地となります。甲斐・武田氏の先祖は、河内源氏の2代目棟梁・源頼義の3男にあたる源義光(新羅三郎義光)です。その源義光(新羅三郎義光)の嫡男とされる源義業は常陸・馬坂城主となり佐竹氏に繋がり、次男と [続きを読む]
  • 額田城 広大な城域は東京ドーム22個分 額田照通の本拠地
  • 常陸・額田城(ぬかだ-じょう)は、 茨城県那珂市額田にある丘城で、標高30mの額田台地の端を巧みに利用した比高15mほどの連郭式平山城です。額田城の城域は、茨城県にしては広く・広大で東京ドーム22個分ほどあると言います。なおかつ、遺構も比較的よく残っていることから、人気もある城跡になっています。城下町全体を、空堀と長大な土塁で囲っていたようで、ある意味「総構え」の城下となっていた模様です。最初の築城は、鎌倉 [続きを読む]
  • 常陸・久慈城 茨城の海城か?
  • 常陸・久慈城(くじ-じょう)は、茨城県日立市久慈町にある標高21m、比高20mほどの台地先端部を利用した平山城です。茂宮川の河口部にあり、現在は日立港も隣接しているとおりでして、かつては海に面した海城でもありました。そのため、佐竹氏の佐竹水軍が少なからず存在していたのではと推測されます。ただし、佐竹氏が海運をしたり、水軍が必要であったとは考えにくい部分もありますので、常陸・久慈城は見張り番所のような役割だ [続きを読む]
  • 常陸・馬坂城 佐竹発祥の地 佐竹寺と佐竹氏の由来も
  • 常陸・馬坂城(まざか-じょう)は、茨城県常陸太田市天神林町にある標高40m、比高35mほどの平山城で、間坂城、佐竹城、天神林城とも呼ばれます。最初の築城は、平安時代に、秀郷流藤原氏になる天神林正恒(天神林刑部丞正恒)が築いたとされます。その後、後三年の役の戦功により領地を得た新羅義光(新羅三郎源義光)の孫・源昌義が京より下向すると、長承2年(1133年)に馬坂城を奪って居城としました。この源昌義が佐竹氏の初代・佐竹昌 [続きを読む]
  • 常陸・山方城 山方盛利や佐竹政義の居城
  • 常陸・山方城(やまがた-じょう)は、茨城県常陸大宮市山方にある標高170m、比高70mの山城で、御城館とも言いますが地元の方は御城と呼んでいるようです。久慈川のすぐ脇にある小高い山に築かれており、空堀と土塁が残されているようです。南郷街道が通る交通の要所であり、現在もJR水郡線と国道118号が城跡の真下を山方トンネルにて通過しています。最初の築城は不明ですが、山方氏の居城でした。常陸守護で常陸・太田城主の佐竹氏1 [続きを読む]
  • 石鳥谷館 南部氏一門が治めた鹿角の石鳥谷集落
  • 石鳥谷館(いしどりやたて)は、秋田県鹿角市八幡平にある比高40mほどの平山城です。石鳥谷集落の北側の丘陵にあり、段丘を利用しています。最初の築城は不明ですが、鎌倉時代に鹿角へ入った武蔵七党・丹党である安保氏の庶流・石鳥谷氏が築いたとされます。ちなみに、鎌倉末期に大湯館も所領としていた成田氏が滅ぶと、安保氏が成田氏を称するようになりましたので、その一族と考えて良いでしょう。戦国時代には、南部晴政勢が鹿角 [続きを読む]
  • 小場城 戦国期に佐竹氏を支えた佐竹西家の居城
  • 小場城(おば-じょう)は、茨城県常陸大宮市にある丘の上の城で、北茨城の他の多くの城と同じで、台地の端っこにある丘城と言えます。ただ、違うのは、那珂川の東岸にあり、その台地の3方は比高60mほどの崖になっています。要するに、東側の1箇所を堀切で遮断すれば、防御は容易と天然の地形で城を築くのにはベストとも言える場所であることです。最初の築城は、鎌倉時代の1230年頃とされます。佐竹氏4代・佐竹秀義の子に、南酒出城 [続きを読む]
  • 甲斐・下山城 甲斐の南部にある穴山梅雪の本拠地
  • 甲斐・下山城(しもやま-じょう)は、山梨県南巨摩郡身延町下山にある平城で、戦国時代には武田家の一族である穴山信君(穴山梅雪)が本拠地としていました。甲斐源氏・加賀美遠光の孫・加賀美光重が下山郷に入り、下山氏を称したとされ、この身延・長國寺(長国寺)のある場所が、下山氏館跡、すなわち「下山城」とされています。穴山氏は奥州に去った南部家の河内領に進出して下山城(穴山氏館)を本拠とし、河内領を支配しました。下山 [続きを読む]
  • 甲斐・一条氏館(上野城) 今は模擬天守もある一条信龍の拠点
  • 甲斐・一条氏館(いちじょうし-やかた)は、山梨県市川三郷町上野にある丘城(居館跡)で、標高は280m、比高は30mほどの高台にあります。別名は、甲斐・上野城、一条氏屋敷とも言いますが、自治体は一条氏塁跡と呼んでいます。最初の築城は不明ですが、甲斐・一条氏(いちじょうし)の戦国期における本拠が上野でした。甲斐源氏4代当主で、甲斐・武田氏の初代当主である武田信義の次男・一条忠頼が分家して一条氏を称したのが始まりで [続きを読む]
  • 古堀田城 戸沢氏の重要な支城
  • 古堀田城(こぼた-じょう)は、秋田県仙北市西木町にある山城で、標高は169m、比高は70mになります。別名は小保田城、横田城とも書きます。西側に、戸沢氏がかつて本拠としていた、門屋城がありますので、その支城として築かれたと考えられますが、鉄滓、磨製石斧、石鏃、石棒も出土しており、最初の築城は蝦夷(先住民)が、砦(チャシ)を築いていた模様です。初代の戸沢兼盛が隠居すると、この古堀田城に入ったともされますが、戸沢氏 [続きを読む]
  • 角館城 6歳で家督を継いだ戸沢道盛の復活劇
  • 角館城(かくのだて-じょう)は、秋田県仙北市の角館・古城山にある標高166mの山城で小松山城とも言います。比高は100mとなかなか堅固です。最初の築城はよくわかっていませんが、角館から北にある門屋城主だった戸沢家盛が移って角館城を築城したとありますが、地勢から考えると、もっと昔から砦として機能はしていたと推測致します。諸説ありますが、1424年、戸沢家の重臣であった小松山城主・角館能登守が、小野寺氏と通じて謀叛 [続きを読む]
  • 出羽・小山田城 戸沢兼盛が最初の本拠地にした山城
  • 出羽・小山田城(こやまだ-じょう)は、標高140m、比高50もほどの山城で、戸沢兼盛(戸沢平九郎兼盛)が築城したとされます。戸沢兼盛は、滴石(岩手県雫石町)にいましたが、鎌倉時代の1206年に南部氏から攻められて、もうひとつの知行地である門屋小館(秋田県仙北市西木町西明寺)に移りました。この時に、詰めの城として出羽・小山田城を築いた模様です。ただし、1220年に門屋に移ったともあり、正確な移動年ははっきりしません。 [続きを読む]
  • 門屋城(戸沢氏城館) 360年間繁栄した戸沢氏の原点
  • 出羽・門屋城(かどや-じょう)は、秋田県仙北市西木町にある標高140m、比高60mの平山城で、戸沢氏城館とも呼ばれます。城の分類としては崖の端っこにあると言う事で「崖端城」(がけはし-じょう)とする場合もあります。最初の築城はかなり古く、北浦重任(北浦六郎重任)の居城であったとされます。平安時代に陸奥国奥六郡(胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡)を治めた奥州安倍氏・安倍頼時の6男が、北浦重任(安倍重任)( [続きを読む]
  • 仁賀保陣屋(平沢館) 仁賀保誠次が築城
  • 出羽・仁賀保陣屋(にかほ-じんや)は、秋田県にかほ市平沢にある陣屋です。江戸時代の初め、1626年に仁賀保誠次が築いた陣屋とされます。平沢にあるので、平沢陣屋と呼ばれる場合もあるようです。この仁賀保誠次は、8000石を領した塩越城主・仁賀保挙誠(にかほ-きよしげ)の3男になります。戦国時代、仁賀保氏の本拠は山根城で、由利十二頭の中心的存在でした。仁賀保藩主・仁賀保挙誠は1624年に死去する際、長男・仁賀保良俊、次男 [続きを読む]
  • 出羽・浜館 日本海の展望も素晴らしい城跡と由利政春
  • 出羽・浜館(はま-やかた)は、秋田県由利本荘市西目町にある山城です。最初の築城は、鎌倉時代の1288年〜1298年頃とされ、由利政春(由利仲八郎政春)が西目に浜館を築いたとされます。浜館のすぐしたの道路は抜けられるようになっていますが、もしかしたら、昔はこの街道を通らなくては南北の行き来ができなかったのかも知れません。この由利政春は浜館にて由利全郡の旗頭であると宣言した模様です。しかし、仁賀保栗山館の鳥海氏と [続きを読む]
  • 五城目城(馬場目城) 天守が復元されている
  • 出羽・五城目城(ごじょうめ-じょう)は秋田県五城目町にあり、別名を砂沢城・馬場目城とも言う標高96m、比高80mの山城です。八郎潟干拓地の東隣にあり、スズムシの群生北限地としても知られます。平安時代の承久年間(931年〜938年)に著作された「和名類聚抄」では、率土の果てと記載があり、律令国家時代の統治では北限となっていました。すなわち、これより北は、蝦夷(えみし)が住んでいたと言う事になります。下記が、五城目城(馬 [続きを読む]
  • 陸奥・花輪館(鹿角の花輪城) 簡単そうで訪問には厳しい館跡
  • 花輪館(はなわたて)は、秋田県鹿角市花輪町にある標高180mの丘城で、比高は40mとなり、陸奥・花輪城、臥牛本館とも書きます。最初の築城年代は不明ですが、鎌倉時代に安保氏が臥牛本館に入り、花輪次郎と称したのが始まりのようです。丘に御館・北館・南館をそれぞれ築いた連郭館で、永禄年間(1558年〜1570年)には、花輪親行(花輪伯耆守親行)が、檜山城の安東愛季に味方して南部家の長牛館を攻めています。花輪延親(花輪帯刀延親 [続きを読む]
  • 本荘城 楯岡満茂が整備した由利の一大拠点
  • 本荘城(ほんじょう-じょう)は、別名を本城城、尾崎城、鶴舞城とも言う秋田県由利本荘市の城跡で、標高30m、比高30mの平山城となります。由利本荘は、日本海側の交通の要衝でもあり、古くは大和政権の由理柵(ゆりのさく・ゆりのき)が置かれたとされます。鎌倉時代になると、奥州討伐のあと由利氏の領地となっていましたが、和田合戦のあと大井氏が入りました。戦国時代の頃には、由利十二頭が群雄割拠しており、1600年、関ケ原の [続きを読む]
  • 出羽・滝沢城 滝沢春永(滝沢又五郎春永) 滝沢政道(滝沢刑部少輔政道)
  • 出羽・滝沢城(たきざわ-じょう)は、秋田県由利本荘市前郷にある平山城です。由利十二頭のひとりである滝沢氏が前郷を本拠としました。先祖は由利氏を称した由利維平ともされますが、諸説あり、憶測の域を脱しません。戦国時代になると、1575年、滝沢氏は矢島氏から攻撃を受けて、滝沢城主・滝沢政家らめ多くの家臣が討死しました。そのため、滝沢政家の一子は最上義光のもとへ逃れて最上家に仕えたともあります。しかし、1560年に [続きを読む]
  • 出羽・八森城(矢島城) 矢島満安(矢島五郎満安)の勇気ある自刃
  • 出羽・八森城(はちもり-じょう)は、出羽・矢島城(やじま-じょう)と両方の名前で知られる、秋田県由利本荘市矢島町の単郭式平城になります。別名としては、八森館、矢島陣屋、八森陣屋、矢島陣屋とも言いますが、八森と矢島と両方の名がよく使われます。最初の築城は不明ですが、矢島城より南にある根城館主・大井義久(大井大膳大夫義久)が、応仁年間(1467年〜1469年)に支城として築いたとされます。この大井氏は木曽義仲の末柄で、 [続きを読む]
  • 塩越城 1万石の仁賀保藩本拠地
  • 出羽・塩越城(しおこし-じょう)は、 秋田県にかほ市象潟町にある平城で、別名を八十島城とも言います。最初の築城は不明ですが、1365年に池田茂政(池田豊後守茂政)が築いたともされます。ただし、この池田氏の出自は不明とのことですが、庄内から移って来たようで、由利十二頭・仁賀保氏の与力になったともされます。この池田氏は、戦国時代でも塩越城を守っていたようです。1600年、関ケ原の戦いのあと、最上家の楯岡満茂が本荘城 [続きを読む]
  • 出羽・湯沢城 小野寺経道の本拠地で佐竹南家が整備した山城
  • 出羽・湯沢城(ゆざわじょう)は、秋田県湯沢市湯沢にある古館山に築かれた山城です。標高は222m、比高120mになります。最初の築城は、鎌倉時代に雄勝郡を領地として小野寺経道が稲庭城を本拠としました。このとき、1227年に湯沢城を築いて、3男の小野寺道定が入ったとされていますが、当然、詰め城と言う事だったのでしょう。戦国時代になると、小野寺輝道の復活に大きく貢献した八柏道為が湯沢城に入りました。その八柏道為は、 [続きを読む]
  • 秋田城 大和政権の支配の北限と俘囚とは
  • 秋田城(あきたじょう)は、秋田県秋田市にある城跡で「あきたのき」とも言い、国の史跡、続日本100名城にも選ばれています。城跡と申しますと、一般的には、戦国時代にも使用されたお城に感じると存じます。しかし、秋田県の由来にもなっております、この「秋田」の冠が使われてる秋田城は、秋田柵・秋田柵跡と表現したほうがわかりやすいのかも知れません。続日本紀では、出羽柵(いではのき)と表記されています。そうなんです。秋 [続きを読む]
  • 陸奥・大湯館(大湯館城) 秋田の大湯温泉にある城跡
  • 陸奥・大湯館は、秋田県鹿角市にある平山城で、別名は和町館・大湯新城・大湯館城とも言います。奥州・藤原氏が滅んだあと、鎌倉時代に武蔵七党の横山党・成田氏の一族が、移住して大湯氏を称したとされます。鹿角四頭と呼ばれた成田氏・阿保氏・奈良氏・秋元氏がおり、その奈良氏の一族が大湯氏と名乗ったと考えられますが、奈良氏は武蔵七党の横山党の出身であり、恐らくは成田氏から養子に入ったなどの婚姻関係があったものと推 [続きを読む]
  • 檜山城 広大な檜山安東氏城館跡 紅葉の様子も
  • 檜山城(ひやま-じょう)は、秋田県能代市の檜山集落にある標高140mの霧山が本丸で、比高100mの山城になっており、別名を霧山城、堀内城とも言います。近くにある大館跡、茶臼館跡、国清寺跡とあわせて、国指定史跡・檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)と呼ばれています。特に檜山城は、東西1.5km、南北0.9kmと広大な山城で、堀切や段築を用いて要害になっています。檜山城の写真を掲載しながら、檜山城の歴史を中 [続きを読む]