huian さん プロフィール

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huianさん: ギンレイの映画とか
ハンドル名huian さん
ブログタイトルギンレイの映画とか
ブログURLhttps://ameblo.jp/shangyou/
サイト紹介文主に東京飯田橋のギンレイホールでみた映画について、昔みたのは日記より書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供157回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2014/06/29 21:50

huian さんのブログ記事

  • 旅人は夢を奏でる 2014.7.16
  •  子供が、まだ見ぬ父親を探しにいく話とか、この映画のように、父親が長年会っていない子供に会いに行く映画は多い。実際、えっ又か、と思った。家族の話だと、ロードムービーにもなるし、良い題材なのだろう。  父親レオが離婚してから28年会っていなかった息子ティモを訪ねていく。息子はピアニストだ。彼は現在離婚問題を抱えている。一体どうして今父がやってきたのかが分からない。何しろ3歳の時に別れたきりだから、父の [続きを読む]
  • バンカー・パレス・ホテル 1991.3.22 中野武蔵野ホール
  •  セットのハリボテで安っぽく作れそうなところを、あえてきちんと作っているので、場面の全てが変に面白い。これはエンキ・ビラルのイメージなのであろう。見終わって外に出たら雨が降っていた。透き通った雨だったので良かった。映画に降る雨は灰色だったから、灰色の濁ったのだったらどうしよう。でも映画は現実とはリンクしない。  架空の世界から外に出ると現実が眼前に広がる。ああ、あれは映画という夢の世界だったんだと [続きを読む]
  • 私と同じ顔の、おじさん 2018.5.26 フィルムセンター
  •  エストニア映画、国が違うと映画も違う。それが面白いところだ。ヨーロッパが狭い中であれだけ国が分かれてるのは理由がある。異なる人間たちがいるから、異なる文化だから、異なる○○だから。私はその〇〇を知りたくて映画を見る。  同棲している女性が浮気をした。別れるのは簡単、だって結婚してないから。でも彼女を憎む気持ちより戻ってきて欲しい気持ちが大きい。自分が許せばいいのかというと、そうではない。彼女の気 [続きを読む]
  • ゴッホ 最期の手紙 2018.5.15 早稲田松竹
  •  絵画を近い場所からじっくりと見る。そばで見ると細かい描写があり荒いタッチの描写もある。それを少し離れて見ると全体が一体化して調和がとれている。画家は描いている時に全体像を遠くからの視点をも勘案しているのだろうか。  ゴッホの絵は筆を画板に叩きつけるように描いている。一筆一筆が太く主張している。悠長にかまえてのんびり描くのではない、素早い動作であったと思われる。そっれがそのままの形で完成される。 [続きを読む]
  • ミシシッピー・マサラ 1992.1.21 岩波ホール
  •  愛情を持って描いたから、こんなにきれいな画面になるのだろう。ウガンダの土の明るさ、緑と花の美しさ。父親が生まれ故郷であるウガンダに対する愛着が、遠く離れたアメリカにいてもなお忘れられずに、思いは帰ってゆく。ウガンダというところがどんなに良いところであったろうかと、話を聞いた人をウガンダへ行きたくさせる。土地に対する愛、人に対する愛、家族に対する愛と、この映画には様々な愛の形が現れている。  愛と [続きを読む]
  • 青春の殺人者 1977.3.20 ギンレイホール
  •  後味の良くない映画だ。なぜ悪いのか考えてみる。まず血の赤が強すぎる。何しろ殺人なのです。人を殺すのに理由はいらないかもしれないが、誰あろう、父と母を殺すのだから、理由のはっきりとしない無差別殺人とは違うのは明白だ。  じゃあ、理由は動機は何なのか、と考えてみる。父親の作ってくれたスナックで手伝いをしている幼なじみの常世田ケイ子と手を切れ、と両親から言われていた息子の順。ケイ子のどこが悪いのか分か [続きを読む]
  • タクシー運転手 約束は海を越えて 2018.4.24 シネマート新宿1
  •  光州での事件は映画では「ペパーミントキャンディ」で知ったが、詳しいことまで分かっていなかった。人間は忘れることで、まともな神経を保つことができる。だが忘れてはいけないことは何回でもしつこく繰り返し話したり、小説にしたり映画にすることは重要だ。光州でのできごとは韓国に多大な負の影響を与えた大惨事だった。  当局は道路を封鎖し電話を不通にし何が起きているかを知らせる手段を断絶させた。現在なら不可能 [続きを読む]
  • ゲット・アウト 2018.4.21
  •  この手の映画は苦手なのでほとんど見ていない。併映の It はパスして、穏やか気味に思えたこちらを見た。  夜の人気のない街、怖そうな所だと言いつつおそるおそる歩く青年、あんのじょう襲われ拉致された。いったい何のために。始まりは静かな恐怖、次第にじわじわと責められ息苦しさが増してゆく。他のを知らないので比べられないが、思っていた感じで推移していき血がドバッと流され思いがけない結末となる。だいたいこん [続きを読む]
  • デカローグ 第九話「ある孤独に関する物語」 1996.2.19 銀座テアトル西友
  •  結婚して、強いて望んでも子どもができない夫婦、望まない子どもができる夫婦。この二者は子どもができる。望んでもできない二人もいる。医学の発展で不妊症も治療ができるようになり、別な方法もある。医師からきっぱりと宣言された場合、どうしたらいい。  彼は40代か、それなら早い。深刻な問題だ。セックスが妊娠することだけを目的にしないのは当然だ。妊娠はむしろ結果であり、それ以前に愛情がある。愛情を確認する作業 [続きを読む]
  • デカローグ 第八話「ある過去に関する物語」 1996.2.12 銀座テアトル西友
  •  長く生きていると色々な経験が積み重なっていく。そして思い出も増えていく。でも幸いなことに記憶量には限りがあって、なんでも覚えているわけではない。それが幸いすることもあるし、忘れてしまったことで困ることもある。彼女の場合、この記憶ははるか彼方に置き忘れていたようだ。その記憶を引き出したのは当事者の言葉だった。  ワルシャワ大学教授ゾフィアにアメリカから客がやってきた。エリザベタはゾフィアの著書を翻 [続きを読む]
  • デカローグ 第七話「ある告白に関する物語」 1996.2.12 銀座テアトル西友
  •  この母と娘の関係は複雑だ。さらに娘の娘がいて、彼女の立場も微妙な位置にある。簡潔に言えば、高校生で子どもを産んだ娘に成り代わって、生まれた子どもを母の子どもとした。孫を子どもにしたことになる。怖気付いた母はとんでもない解決策を思いついたものだ。かくして両親、16歳の娘と生まれたばかりの娘の四人家族となった。  母エヴァ、その娘マイカ、マイカの娘アニヤ。表向けでは母エヴァの二人の娘アニヤとマイカ。あ [続きを読む]
  • デカローグ 第六話「ある愛に関する物語」 1996.2.3 銀座テアトル西友
  •  19歳のトメクは友人マズリの家に居候している。息子マズリが兵士としてシリアに行っているため、マズリの母が一人では寂しいので友人のトメクに来てもらっているのだ。マズリから受け継いだこと、それは向かいのアパートの住人マグダを覗き見ることだ。絵描きのマグダのところにやってくる男たちとの情事を盗み見る。彼女は複数の男性と付き合っていて毎日のように男が訪れる。  トメクのアパートからマグダの部屋は一階下のよ [続きを読む]
  • デカローグ 第四話「ある父と娘に関する物語」 1996.1.28 銀座テアトル西友
  •  父ミハウ、娘アンカの二人暮らし。アンカが父の隠し持った手紙を盗み見る。そこに書かれていたこと、ミハウは本当の父ではないと書かれてあった。アンカの生後間もなく亡くなった母の残した手紙だった。父との関係はそこから違ったものになった。父と娘が、男と女になった。だがそう簡単に関係性が転換することはなかった。実は、アンカは手紙を読んでおらず、中身を想像ででっち上げたのだ。たぶん、そんなことだろうというこ [続きを読む]
  • デカローグ 第一話「ある運命に関する物語」 1996.1.20 銀座テアトル西友
  •  冒頭にあらすじを書きます。最後まで書いていますので、知りたくない方は読まないようにしてください。  父クシシュトフ、息子パヴェウ、母は今はいない。ワルシャワのアパートに暮らす。クシシュトフの姉イレーナは近くに住んでいて独身。クシシュトフは大学でコンピューターを教えている。父の影響でパヴェウは子供ながらコンピューターに詳しい。プログラムでコンピューターを動かしている。最近彼の気になること、叔母の [続きを読む]
  • 田舎の日曜日 1985.12.9 有楽町スバル座
  •  ベルイマンの「野いちご」のような味わいの穏やかな作品。20世紀初頭のパリ郊外の田舎の映像は、まるで印象派の風景画のようだ。老年になったラドミラルは画家で、彼もきっと美しい風景画をこの地で描いていたのだろう。ここのところ身体が弱ってきて外で絵を描くのが辛くなってきて、最近はアトリエで静物画を描くことが多くなった。  比較して言えば、この作品はむしろ「野いちご」よりも静かで、取り立てて事件のようなもの [続きを読む]
  • 妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII 2018.4.20 一ッ橋ホール
  •  世に何万とある家族はそれぞれさまざまである。小説や映画ではありきたりでない特殊な例を出すが、この家族は特別ではない。どこにでもある家族の典型を描いている。変な人が出ないので物足りない。特に山田洋次とくれば渥美清の存在は重要だった。彼が出ない喜劇が物足りないのは仕方ない。それでも喜劇と銘打って作る意義はある。松竹の喜劇は伝統がある。渥美清がいないので大爆笑とはいかないが、笑いはたくさん聞こえた。 [続きを読む]