すずめ さん プロフィール

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すずめさん: キリスト・イエスにお会いする旅へ
ハンドル名すずめ さん
ブログタイトルキリスト・イエスにお会いする旅へ
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/suzume1206/
サイト紹介文長年のいちじくの葉のおおいを脱ぎ捨て、皮の衣路線に軌道修正中です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供59回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2014/07/29 15:26

すずめ さんのブログ記事

  • キリスト不在のクリスマスから、今はキリストへ
  • ふっと…過去のクリスマスを思い出していた…☆ケーキなんて縁のない時代に、お歳暮と称してケーキが届けられた子供の頃。バタークリームでバラの花のデコレーション=毎年これがクリスマスだった。 ☆高三の 最初で最後のクリスマス会。和やかで良かった。☆華やかに着飾り楽しく過ごした会社でのクリスマス。(でも私は生涯オシャレが苦手)☆我が家の子供達のクリスマスは もっぱらおもちゃが主役だった。今年はどれにしようか 目 [続きを読む]
  • 曲がっていない人はいない
  • 冷え込む中、もう終わったと思っていたバラが一輪 小さいけれど力一杯ひらいていた。なんだか癒やされる。黄色のバラ、頑張ってるね。テレビをつけても心が疲れる話題とニュースばかりだ、ふぅ〜 世界・国内…、私が考えても仕方のない問題ばかりだが。聖書の言う〈産みの苦しみの始まり〉のような気が(勝手に)してしまうのだ。多くの問題の源は、誰もがみんな自分が曲がっていることに気づかないところから始まっていると思う。そ [続きを読む]
  • メモを捨てる前に…
  • ちょっと片付けないと…と、毎回捨てそうになって捨てなかったカレンダー用紙のメモ。メガネをかけて読み返したら やっぱり捨てたくない。でも このままではいつか捨ててしまいそうなので書き写しておこう。【何よりもまず第一に、我らの一切の罪を 神の記憶より葬らんがため、罪に対する神の聖憤をことごとく除き去らんがため、罪そのものを完全に処分せんがため、それが十字架の主なる目的であった。(覚ることを許されました)彼 [続きを読む]
  • 福音の恵みの出番
  • 年に二度ほど会うようになった 子供時代の友。あの頃から明るさは変わらず、愚痴も不満も感じさせない…ちゃんとソツなくこの世を生き抜いてきた人。私にはいつもそう思えた。夫君の死をきっかけに、(仏教というより?)お寺との関わりが強くなったみたい。ちなみに、同居の息子さん家族5人は毎週キリスト教会へ行っていることは 早くから聞いていた。(ただし よくわからないけれど、ちょっと変わった教会に感じるし、教会同士の中 [続きを読む]
  • ヘェ〜そうだったのか、ぶどう園
  • マタイ20章「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。…」 「…それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。」このたとえ話はよく聞いてきた。人の立ち位置により、うれしく思う人と、無理やり納得した人がいるかもしれない。今日、私なりの(今だからできた)捉え方が嬉しかったので、ちょっと記しておこ…雇われた労務者は、自分の働きに対する賃金(報 [続きを読む]
  • 人の目にはまっすぐに見える…死の道
  • クリスチャン…と思っていても…「群衆」かもしれない。「弟子」と言っても…イスカリオテのユダも弟子だった。今朝目が覚めたとき、不意に! あの頃の自分は「群衆だった」ことに気がついた。(イエス・キリストをバリバリに信じていたけれど。)「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない」とあるように。群衆は、イエスのそばに行って熱心に聞いていた。悪霊も追い出された。病は癒された。空腹も満たされた。…けれど、 [続きを読む]
  • 唯一の安全な場所
  • 息子が社員旅行で海外に行くとのことで、キャリーバッグを取りに来た。井の中の私としては、今のご時世の海外旅行に不安を覚え、「国内でゆっくり休めばいいのに…」と つい口にする。本人も楽しみというより半ば義務のように捉えているようだった。単純に…、海外は危険の確率が高いと思う。が、人間の生き死には どこにいても起こりうる。そして思う。神の箱舟に入った人、「キリストのうちにある」ことこそ、あらゆる危険や災害 [続きを読む]
  • 聖書は「わが足のともしび、わが道の光」
  • 難しいことは言えないが…、政党や派閥があるのは、簡単に言えば 目指す方向を同じくする者同士 必要あってグループができるため。仏教やキリスト教にも派閥のようなものがあり、あからさまではないが色々な派に分かれていると思う。その考え方の違いから、まとまれないのもうなづける。むしろ、違いを示されるとわかりやすくなるのに。キリスト教の場合 その土台は聖書であるけれど、「人の解釈の仕方」によって分かれてしまう。 [続きを読む]
  • 聖い光がなければ見えない罪
  • 日々 罪を悔い改める…とは折々に聞いてきたが、できなかった。 思い当たらない?、心に悔い改めたい(赦されたい)という思いが湧かなかったというべきか…。今、「律法と恵み」について聞いているが、聞き慣れた言葉なのに その実体についてはほとんど知らなかったに等しい。この問題は大きい! まさにクリスチャン生命にかかっているなぜなら、生まれつきのいのちは どれだけ頑張って目を凝らしても善悪の知識以上の視力を持って [続きを読む]
  • 料理番組クリスチャン(舌足らずデシタ)
  • 「塩をふりかけて20分ほどおきます」「ここに20分おいて、水気を絞ったものがあります」料理番組では時間を短縮するために、下ごしらえしたものが 次々に出てくる。なので、「ここに…したものがあります」 ということが多い。皮をむいたり刻んだり 下煮したりの行程は、隠れた仕事だけれど なくてはならない。また それがあって 美味しい料理が出来上がっているのは言うまでもないことだが。クリスチャン誕生の際に この料理番組 [続きを読む]
  • 料理番組クリスチャン(?)^^;
  • 気温を見ようとテレビをつけたら3分間クッキングというのをやっていて…思わず笑ってしまった。「塩をふりかけて20分ほどおきます」「ここに20分おいて、水気を絞ったものがあります…」今朝の通読では、エリシャの〜からの器に油を満たす話、ナアマンがらい病を癒される話、若い者の目が開かれる話と また反対に盲目にされた人の話だった。マタイ5章では、なぜかこれまでと違い、19節が心に残った。「だから、戒めのうち最も小さ [続きを読む]
  • みことばが 自分へのこととは思えない盲目(2)
  • ブログで ヨハネ5章のベテスダの池に関する記事を読んでいた。「……そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか。』……」 前回書いたように、この辺りのみことばも 自分とは関係なさそうに思っていた。しかしまたまた 自分も同じ状況だった!と思った。ベテスダの池のそばで(?)四十年もの間…私も。本物の救い [続きを読む]
  • みことばが 自分へのこととは思えない盲目
  • ある一つのみことばを聞く時、いつも同じように解釈しがちだ。そして、このみことばは自分にはあまり関係なさそうだ…と気に留めなかったりする。今朝 次のみことばを聞いて…考えさせられた。「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆(そそのか)されて、誘惑に陥るのです。」ヤコブ1:14これまで聞き慣れていたのは、「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」(新改訳) だった。その時は《自分に [続きを読む]
  • 主を仰ぎ見るのは 罪を捨てていのちを得たい人
  • ♪ 主を仰ぎ見れば 古きわれは、うつし世と共に 速(と)く去りゆき、我ならぬわれの あらわれきて、見ずや天地(あめつち)ぞ あらたまれる。4) つゆだに功(いさお)の あらぬ身をも潔めてみくにの 世嗣ぎとなし、黄金のみとのに 住ませたもうわが主の愛こそ かぎりなけれ。 讃美歌355♪〜主を仰ぎみれば〜古きわれは〜懐かしい歌が口から出てきた。そんな讃美歌あったなぁと、探して歌ってみる。古い表現の中に 深い意味が味わえる。 [続きを読む]
  • また良い本に出会えた
  • まず、その「まえがき」が良かった。【毎日、家庭や個人で、祈りとみことばに親しむための良い本はたくさんあります。今ここにもう一冊の『みことばの糧』を送り出すことは、他に良い本がないとか、不完全であるというわけではありません。そうではなくて、私の家庭礼拝の経験から言えば、この種の本は時々、取り替える必要があるからです。何年も毎日、同じ本を使ったならば、しばらく休ませると良いでしょう。そうすればもう一度 [続きを読む]
  • 神から遠く離れている心
  • 数日前 突然iPadが うんともすんとも繋がらなくなった。必要最低限のことしか操作できない私なので、息子が来る時まで待つことに。 ほんの1日もない空白のときだったが、この便利でありがたい文明の利器になんと依存していることか! を知る貴重な一瞬の経験だった。さほど必要でないことにもずるずると多くの時間を費やし、心までも無駄使いしていることを実感させられた。それはみことばに向き合うことや祈ることさえ簡単に後回 [続きを読む]
  • (続)クリスチャンが成長しない理由
  • 何年経っても いくら学んでも成長しないワケ それは、「まだ生まれていなかった」「クリスチャンのいのちでなかった」から。生き物は その命がもつ特性に従ってそれらしく育って行く。他の命のように生きるには、生まれ変わるしかないのだ。罪人がいくら努力して良い人になっても、その本質は変わらない。神によって新しく生まれ変わって初めて、神の子としての成長が始まる。生まれ変わったかどうかは、罪を「頭でわかっているか [続きを読む]
  • クリスチャンが成長しない理由
  • 信仰生活の始まりから前半の20年ほどは意気揚々とクリスチャン街道を歩んでいた。今考えると、あの時の熱心は何に対して熱心だったのか?思うに…クリスチャンとして成長したい、そして人に良い影響を与えられる者になりた…かったような気がする。しかし、冷静に振り返れば 成長も進化もなく〜そのうち何とかなることもなかった。その理由がわかったのは さらに15~6年も経ってからだった・・成長しないワケ それは、「まだ生まれ [続きを読む]
  • 息子への手紙の代わりに
  • 滞在時間 約20時間。年に一度、長男が一泊の帰省?をするようになった。まあ何日いたとしてもお互い特に話すわけでもなく…それは昔から同じかもしれない。話したいことがないわけではないが、短時間では終わらないと思うのでやめている。(娘はいないけど、娘だったら違うんだろうな)今回は夜中に着くと聞いて、餃子のことが全く思い浮かばなかった。好きなお寿司を食べに行き、多少用意したおみやげを車に積んで帰った後で〜餃子 [続きを読む]
  • 神の祝福を祈ってみよう…
  • いじめっ子が 無抵抗の弱い者いじめをするように…日本の近海・上空が弄ばれているように感じる。わけのわからない理不尽さに腹が立ち、何もできない哀しさとくやしさで情けなくなる。こんな時は、いじめっ子張本人を憎み、どうにかなってくれないものか〜などと考える。実際、神が虫を送って…くださるように、と祈ったことがある。 この上、もし被害でも受けようものなら、どんなに恨むだろうか…とも考える。ことの善悪はどうあ [続きを読む]
  • キリストいらず、いちじくの葉クリスチャン
  • 救われているのか、いないのか…その受け止めの基準は人により様々のようだ。考え方もいろいろで…「救い…」それは聖書の中へ探し求めていくしかない。けれど、聖書は簡単には理解できないので、どうしても人の教えに頼る。それはいいとしても、いつまで経っても人頼み 人まかせで、自分で調べようとしない。そして、「みことばはこう言っている……だから あなたは救われているんですよ」と言われれば そのまま信じて受け入れる [続きを読む]
  • いちじくの葉、皮の衣
  • いちじくの葉の覆いで始まった自分の信仰は、残念ながら宗教と違いがないことに気づいた。自分の悪い所(罪)をそのまま覆い隠して良い人になろうとするが、生まれつきのままでは変われない。無意識のうちに、良く見せるために外側をとり繕ってクリスチャンとしての自分を守っていたのだと思う。この時点ではまだ、「新しく生まれ」なければならないことを知らなかった。長い年月を経て、宗教路線からいのちの路線へ軌道修正すること [続きを読む]
  • キリストいらずの救い
  • (文章を)見なかったことに…できなくはない。このまま知らんぷりしようがしまいが、現実は変わらないだろう。誰もそんなに反応を示すような昨今ではないし…と思いつつ、まだ引っかかっているものがある。自他ともに認めるクリスチャンの方の文章の一部を知った。その要約はこうだ。「〜だれでも死んだら、まず閻魔様の前に立たされる。そして、生きてきた時間のうち、自分のために使った時間と 人のために使った時間を天秤棒にか [続きを読む]
  • 心に引っかかること
  • 世の中には立派と思える人は沢山いる。人から称賛されて当然の人も多い。 爪の垢を煎じてもらっても 到底足元にも及ばない…と思う。クリスチャンの中にも称賛を受け 評価されるような人はいるが…人知れずひそかに神に仕えている人もいるのだろう。どっちがいいとか、私は知らない。ただ…クリスチャン同士でありながら、人を称賛するだけで終わって何の違和感ももたれないことに問題を感じずにはいられないのだ。主の御名があが [続きを読む]
  • そうか、神の恵みが流れて行くところは…
  • ここ数年間、「真の救い」について気になり始め、追い求めている。信仰が揺らぐなど、二、三十年前には想像もしなかった。自分がクリスチャンであることだけは 何が起こっても変わるはずがない、ぐらいに思っていたから。^^;手放すべきもの、壊されなければならないもの…が山ほどあったのに〜それを持ったまま「クリスチャン」になれると思っていた。もうちょっと正確に言うと、人間関係であれ この世的な価値観であれ、自分は結 [続きを読む]