胡同窯変 さん プロフィール

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胡同窯変さん: 北京・胡同窯変
ハンドル名胡同窯変 さん
ブログタイトル北京・胡同窯変
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian
サイト紹介文北京。胡同歩きが楽しい。胡同のあれこれを写真と拙文でのんびりと綴ります。胡同窯変拝
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供50回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2014/09/01 17:48

胡同窯変 さんのブログ記事

  • 第165回 秋日回憶ー半截胡同と太平庄の間道にてー
  • 夏が終わると秋になる。百も承知していることであっても、油断がならない。北京の秋は足早に過ぎていき、気が付くと冬、という結果にもなりかねない。そのことに気付いて、思わずわたしも足早になって、胡同へ。ひと口に秋といってもいろいろあって、街の中のなにげない児童公園の秋、人の多く集まる華やかな観光地の秋、ベランダに置かれたプランターの中のつつましい秋、スーパーマーケットの果物や野菜売り場の見映えよくコーデ [続きを読む]
  • 第164回 北京・四勝胡同(後) 三等妓女の悲しき面影、今いずこ
  • 趙錐子胡同沿いにある“四勝胡同”の出入口を入って、北方向にほんの少し進むと道が西と東のふた手に分かれていました。前回は西の道を進みましたが、今回は三等妓院の面影をもとめて東の道を歩いてみました。道が西と東に分かれるのは共同トイレのすぐ近く。トイレの前をほんの少し西に進むと建て増したこと歴然たる二層の建物。新しい家屋の下には、もちろん手は加えられているでしょうが、それを見る者に旧時のあれこれを彷彿と [続きを読む]
  • 第163回 北京・四勝胡同(前) 三等妓院と天橋の悪名高き四大ボスの一人、張八
  • 四勝胡同。民国期(1912−1949)に“四聖廟”と呼ばれていた頃、ここは北京の中の三等妓院の多いところとしてその名を馳せた胡同の一本でした。(左手の建物には「華清館妓院」経営者、黄樹卿が住んでいたといわれる。)再び民国18年(1929年)の北京における妓院と妓女の調査を三等妓院までご覧いただくと次の通り。この胡同に三等妓院がいかに多かったかが分かるかと思われます。 一等妓院(清吟小班) 妓院数45軒、妓女数328人。    [続きを読む]
  • 第162回 北京・趙錐子胡同(後) 大柵欄地区における妓院の等級別胡同名
  • 参ったなぁ、前回ご紹介しました“合順居飯館”に負けず劣らず底光りのするオーラを放つ、いい雰囲気の物件がありました。「もとはいったい何だろう?」。胡同関係の本などには取り上げられておりませんが、注目に値する物件なのではと愚考しております。すぐ近くには改築中のお宅。中を覗くと、どうやら改築がこれから始まるといった状況で、関係者の方たちが歓談中といったところでした。現在、天橋地区では、旧時代の外観を残し [続きを読む]
  • 第161回 北京・趙錐子胡同(前) 民国7年北京の妓院数406軒、妓女3880人なり。
  • 今回は前回ご紹介いたしました鷂児胡同の一本南側にあります“趙錐子胡同”を歩きます。かつて天橋は妓女集住区の一つでした。そんな天橋にあるこの趙錐子胡同内27号には黄樹卿という「華清館妓院」経営者が住んでいました。彼は、民国33年(1942年)、「四聖廟」(現在この胡同沿いにある「四勝胡同」のこと)に「華清館妓院」を開き、その後、趙錐子胡同27号、28号、61号西院、前回ご紹介した?児胡同29号、回を改めてご紹介予定の四 [続きを読む]
  • 第160回 北京・鷂児胡同(後) 清末「外城巡警庁」があった場所
  • まずは前回ご紹介するのを忘れてしまった37号院から。拝見した時、門扉の上に「福」と刻まれた玄関が実に印象深いお宅だったのですが、後日知ったところでは、京劇の童芷苓(Tong zhi ling、1922ー1995)さんが住んでいらっしゃったそうです。せっかく北京で暮らしているのですから、もっと京劇に関して勉強しなくては。以下、27号院あたりから東端までを一挙にご覧いただきます。少し長くなってしまいますが、お付き合いいただけれ [続きを読む]
  • 第159回 北京・鷂児胡同(前) 清末「外城巡警庁」があった場所
  • 今回は、外城は先農壇の北側、天橋地区におじゃましました。まず歩きましたのは“鷂児胡同”。胡同関係の本などによりますと、ここには、山西省の「平介会館」「浮山会館」、清末、犯罪者の捜査逮捕にあたった官署「外城巡警庁」(前身は清代の「都察院中城正指揮衙門」)があったそうで、それらの跡地が現在どうなっているのかを自分の目で確認してみたくて歩いてみました。名称について簡単に記しておきますと、明の時代は「要児胡 [続きを読む]
  • 第158回 北京・春雨二巷(後) 鼻の短くなった象の話
  • 春雨二巷を歩いていますと、玄関の闇の中で光るものが。おそるおそる中を覗いてみると、魔除けの鏡でした。たとえば、迷信などといった言葉とともに一笑にふしてしまうことも可能な魔除けの鏡。ここには、「魔的なもの」の存在への確信、鏡が魔除けになり得るという信念(のようなもの)、そして、鏡という道具の一般的使用法からの逸脱などがありますが、必ずしも独自なものでもなく、ましてや非合法なものでもないし、その手段、方 [続きを読む]
  • 第157回 北京・春雨二巷(中) 鼻の短くなった象の話
  • 乾隆年間に象鼻子胡同と呼ばれ、現在その一部として残った春雨二巷を歩いていたら、なかなか趣きのある路地がありました。右側のどの住居にも窓以外に開口部がありません。入ってすぐの左側は取り壊し中のようで、今後どうなるのか分からない状態。この住居も屋根の部分の傷みが激しく、やはり今後どうなることか不明です。また、この住居には門牌が貼られていない点も気になるところ。突き当りを左折。この路地は、西方向奥で行き [続きを読む]
  • 第156回 北京・春雨二巷(前) 鼻の短くなった象の話
  • 前回ご紹介しました春雨胡同の南端角を東に曲がりますと、そこには東西に走る一本の小胡同がありました。春雨胡同と同じく、名前がやはり粋なのです。その名も春雨二巷。その粋な名前の胡同南側は、北京市政協会議中心というモダンなホテルの裏側。昔、ここには春雨二巷の南側の家並みが軒を並べていました。ところで、この胡同はたんにその名が粋なだけではありません。胡同関係の本を調べてみますと、清の乾隆年間(1735年ー1795 [続きを読む]
  • 第155回 北京・春雨胡同 火神廟に春雨は降る。
  • 胡同には、その名前だけを眺めていても楽しくなってしまうものが多数あります。前回ご紹介した后椅子胡同もその一つですが、ほかにもズバリ、椅子胡同。椅子といえば「美人靠(びじんこう)」、これは邸宅の周りに設えられた、寄りかかるための外側に傾いた欄干つきの椅子ですが、美人で忘れられないのは、何といっても美人胡同(ここは秘密にしておきたかった)。白菜や駱駝好きのわたしにはたまらない、白菜湾(これは一巷から五巷ま [続きを読む]
  • 第154回 北京・后椅子胡同(後) その名前がおもしろいので歩いてみました。
  • 前回は胡同の西入口から国家旅游局の塀沿いにある運動器具や塀の上に見かけた、七夕の夜、牽牛、織姫の逢瀬のために、その翼で橋をつくるといわれる鵲(かささぎ)などをご紹介いたしました。今回は、物理学者厳済慈さんが住んでいたのではないかと思われるご自宅沿いの家並みから東端までと、ほんの少し“頂銀胡同”をご紹介させていただきます。垂花門沿いに並ぶクルマ。その奥には、わたし好みの曰くいいがたい味のあるタイル張り [続きを読む]
  • 第153回 北京・后椅子胡同 (前) その名前がおもしろいので歩いてみました。
  • 北京の地図や胡同関係の本で“后(後)椅子胡同”という名の胡同を見つけました。場所は建国門内大街沿いの北京国際飯店や国家旅游局の北側です。前にご紹介した「小椅子圏胡同」もそうでしたが、今回もその名前に興味をそそられ歩いてみました。歩いたのは本年5月の初め。この胡同にはその入口に琺瑯びきの表示板がありません。しかも胡同西側入口の両側には現代的な建物が建っていて、思わずここが本当に后(後)椅子胡同なのかとち [続きを読む]
  • 第151回 北京・貢院頭条(前) 美味い四川料理店のある胡同
  • 貢院頭条。前回ご紹介いたしました貢院二条の一本北側にある胡同。明、清の時代には貢院があり、1947年に出現する地名ですが、その時は現在の東側が貢院頭条、西側は貢院二条と呼ばれていました。その後1965年以降現在の貢院頭条になっています。なお、文革中「朝霞街一巷」という名称に改められたこともありました。この胡同の北側沿いには数点の飲食店があり、食事時には附近の勤め人をはじめ多くの人が訪れます。貢院頭条と書か [続きを読む]
  • 第149回 北京・貢院二条(前) 贅沢なたたずまい
  • 貢院二条。今回は、地下鉄「建国門駅A出口」から建国門内大街を西に行き、社会科学院の西側を右折、そして貢院西街をしばらく北上、右手にある胡同口から歩き出しました。北側の家並み。南側には、それとは対照的な高い建物。その高い建物は、南から北へ社会科学院、北京档案館、そして様々な施設を有するマンション貢院6号と並んでいます。写真に写っているのは貢院6号の一部。“大都市病”に罹る以前の1990年代、北京にも高層建 [続きを読む]
  • 第148回 ROOSEVELT広場で日本の詩人を思い出した。
  • 通州の京通?斯福广?(ROOSEVELTPLAZA)で一度もお会いしたことのない日本の詩人を思い出し、写真を撮りました。撮影は今年の2月。「わたしが一番きれいだったとき」 わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがらと崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった (茨木の [続きを読む]
  • 第150回 北京・貢院二条(後) “福”と書かれた切り株のある胡同
  • 贅沢なたたずまいをあとに歩き出すと、「う?」と思われる門構え。もとはどんな方が住んでいらっしゃったのでしょうか。貢院6号の北門。時によって遠くから見た場合と近くから見た場合で違う印象を受ける人や建物があるようです。再び、立派な門構えがありました。もと宅門の隣。宅急便が私を追い越していったのですが、すぐに戻ってきて、突き当りで一休み。なかなか仕事の手際のいい配達員さん。いやいや、そうではありません。あ [続きを読む]
  • 第146回 北京の胡同 大楊家胡同と護国寺街でこんなものに出会いました。
  • 小椅子圏胡同を拝見した後、帰宅するため地下鉄「平安里駅」目指して新街口南大街を歩いていると美味しそうなものがありました。小腹がすいていたので駅の近くのベンチに腰をおろしてゆっくり食べようかと思ったのですが、タイミングが悪く、店員さんの姿がどこにも見当たりません。そこで、近くの護国寺街に行って何か軽く腹に入れてから帰ることにしたのですが、それならば護国寺街の通りの名前の由来となっている護国寺跡(現在 [続きを読む]
  • 第144回 北京・小椅子圏胡同 『漂流する小さな椅子』
  • 日本語で「椅子」は、腰掛ける道具のこと。中国語で「椅子」は、背もたれのある腰掛けに限ります。今回おじゃましたのは、そんな椅子に形容詞「小」の付いた、幼児用の可愛らしい小さな椅子を思い起こさせるような名前の胡同。そこは、狭くて小さいゆえに愛するコトやモノがすぐ手の届くところにあって、小さくて狭いから夢やロマンがいっぱい詰まった場所なのかも知れません。その名も、小椅子圏胡同。簡素であって力強く、温もり [続きを読む]
  • 第143回 通州・西順城街(その四) 「 秧歌(yangge)」と中倉社区の11の胡同
  • 前回の結びは、「椅子の人」に別れを告げて、路地を出ると、右手にあったはずの数軒のお店が なくなっているのに改めて気付づいた次第。ということなのですが、まずは次の写真(前回分の再掲ですが)を。向かって右側の一番手前の建物、この建物の窓の下に赤い看板らしきものがありますが、この看板に書かれているのは「博古軒」という骨董屋さんの店名で、このお店は4年前にもありました。その隣は本屋さんで、文房具なども扱って [続きを読む]
  • 第142回 通州・西順城街(その三) 椅子の人
  • 毛家胡同の南側出入口のお宅。その玄関には可愛らしい絵が。小飯桌(xiaofanzhuo)という玄関脇の看板から小学生に昼食を提供するお宅であることが分かり、可愛らしい絵に、納得です。4年前の冬に訪れた時を振り返ってみると、可愛らしい絵もなく看板もありません。ついでに、やはり4年前の毛家胡同の南側出入口を見ると、「小売部」という看板から、当時、出入口東角のお宅がお店を営んでいたことが分かります。さらに歩いて行こう [続きを読む]