胡同窯変 さん プロフィール

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胡同窯変さん: 北京・胡同窯変
ハンドル名胡同窯変 さん
ブログタイトル北京・胡同窯変
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian
サイト紹介文北京。胡同歩きが楽しい。胡同のあれこれを写真と拙文でのんびりと綴ります。胡同窯変拝
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供50回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2014/09/01 17:48

胡同窯変 さんのブログ記事

  • 第186回 北京・居仁里胡同 賽金花さん、あなたの出番です。
  • 居仁里胡同(JurenliHutong/ジゥレンリフートン)この胡同が形成されたのは民国期、その時の名は「香廠居仁里」。その歴史は長く見積もっても100年とちょっとの小胡同。しかし、ここには、北京っ子にとって忘れることが出来ない女性がかつて住んでいて、しかも終焉の地となったところでした。その女性こそ、さまざまな伝説に彩られた名妓、賽金花。場所は、前回ご紹介した霊佑胡同の一本西側。霊佑胡同と同じく、その出入口周辺にも [続きを読む]
  • 第185回 北京・霊佑胡同 皇帝!! それはあんまりでしょ。
  • 霊佑胡同(LingyouHutong/リンヨウフートン)。この胡同の名前を見たり聞いたりすると、胸がときめく。のちに触れるように、この胡同の歴史には中国歴代皇帝の中でも、ある意味あまりにも人間臭い皇帝が関係しているからなのですが、その皇帝の人間臭さ、その凄まじいまでの退廃ぶりが放つ黒い輝きの魅力といったら、こちらの平凡な頭がくらくらっとするほどです。当日は、永安路沿いにある南出入口から歩き始めました。昨年の春ごろ [続きを読む]
  • 第184回 北京・達?鏡胡同 春はそぞろにうつらうつら
  • 春になると頭の中に霞たなびき、足のつま先から薄くなった髪の毛の先まで全身そわそわむずむずしてきて、じっとしていられなくなってしまいます。そこで、「そうだ!! 達?鏡胡同に行こう!!」ということで、バスと地下鉄7号線を乗り継いで商店街留学路へ。さて、留学路に無事に到着したのはよいものの達?鏡胡同へ直行とならないところが、やはり春。朝食後それほど時間が経っていないというのに山西面館という看板が目に飛び込んで [続きを読む]
  • 第183回 北京・(補)趙錐子胡同 春には花枝胡同という名の路地が似合うかな?
  • 三月の中旬、春の到来とともに第161回でご紹介した趙錐子胡同(ZhaozhuiziHutong/ヂャオヂュイズフートン)に再びおじゃましました。途中、留学路を撮ったり、スーパーの店頭を写したり、鷂児胡同の出入口付近では、春節の時に貼られたこんなおめでたい漢字に遭遇したり、なんとも可愛らしい消火栓に感激したり、ついついしてしまう寄り道の心地よさ。この消火栓は昨年はなかったもの。新年になってから取り付けたようです。今回も留 [続きを読む]
  • 第182回 北京の胡同・儲子営胡同(後) 今は昔、名前の由来と住民たち
  • 洗濯物をあとに再び胡同を歩き出すと、胡同とは切ってもきれない必須アイテム、腰掛けがありました。腰掛けのあるところ、日向ぼっこあり、地域住民たちの咲かせる世間話の花々ありと、ここは大切な場所なのです。この椅子の脇には、南方向に走る一本の路地。これは、第175回でもご紹介した「何家胡同(ホージアフートン)」の北の出入口です。もちろん、今回は立ち寄らず、このまま胡同歩き続行。電動三輪車を過ぎると、按摩治療の [続きを読む]
  • 第181回 北京の胡同・儲子営胡同(前) 今は昔、名前の由来と住民たち
  • 儲子営胡同(Chuziyinghutong/チューズインフートン)今回は、前回ご紹介した「栄光胡同」南端から東方向に走る“儲子営胡同”を歩いてみました。可愛らしい名前のお店がありました。「胖子?烤(ぱんずしゃおかお)」胖子は「太っている人」のこと。?烤は「焼肉」。「おデブちゃんの焼肉店」といったところでしょうか。名前を見ていたら小腹が空いてきたので、ならば好物の羊肉の串焼きをつまみに軽くビールでも引っ掛けてから胡同を [続きを読む]
  • 第180回 北京の胡同・栄光胡同 蓮花河の闇夜に咲く美しき花
  • 栄光胡同。当日は、前にご紹介した趙錐子胡同沿いにある北出入口から歩き始めました。一見すると、ごくごく普通の胡同ですが、新中国が成立する1949年以前、ここは後述するように三等妓院がひときわ多い場所でした。胡同関係の本によりますと、清の時に“蓮花玉河”、民国以降“蓮花河”となりました。なぜ“蓮花玉河”あるいは“蓮花河”という名前であったのか、その美しい名前の由来が知りたくてわたしなりに調べてみたのですが [続きを読む]
  • 第179回 北京の胡同・(補)九湾胡同 麗しき九湾胡同の思い出
  • 底光りするオーラを放つレンガの外壁、今では学校の教室以外ではあまり目にすることのなくなった木製の黒板、チョークで書かれた味わい深い文字。これら魅力に富んだ光景も、いつしか胡同から失われ、やがて昔に撮られた写真の中でしか見ることができない風物になってしまうかもしれません。鋪陳市胡同沿いにある東口。胡同会の皆さんと九湾胡同を歩いたのは、今からおよそ4年前の4月中旬。今回は、その時に見たいつまでも目に焼き [続きを読む]
  • 第178回 北京の胡同・九湾胡同(後) 猫踊る曲り角の多き路地
  • 九湾胡同が、曲り角の多いことは前回書いた通りなのですが、わたしは今までこの胡同の曲り角の数を数えたことがありませんでした。そこで今回は、しっかり数えてみることにしました。前回ご紹介した小鳥のカレンのいた曲り角を一つ目として、以下数えていきます。次の写真の所で二つ目。この辺りから猫の絵が登場です。訪れた時期が時期でしたので、クリスマスツリーも。窓の位置が高いため、絵柄は分からなかったのですが、窓に「 [続きを読む]
  • 第177回 北京の胡同・九湾胡同(前) 猫踊る曲り角の多き路地
  • 「九(jiu)」は、数や量が多いこと。中国では「聖数」で物事の極限を意味しています。「湾(wan)」は、曲がっていることや曲がっているところ。九湾胡同で多くの曲り角のある胡同。この胡同は、北京の胡同の中でも曲り角の多い胡同として有名ですので、一度は歩いてみたい路地になっています。場所は、地下鉄7号線「珠市口駅」の近くです。当日は昨年の12月下旬の胡同日和。胡同の屋根の上には青空が広がっていました。出入口は二ヶ [続きを読む]
  • 第174回 北京の胡同・何家胡同(前) 多くのホーさんが暮していたそうです。
  • 何家胡同(ホージアフートン)。胡同関係の本によって沿革と名前の由来を簡単に書きますと、清の雍正年間(1772年-1735年)以前は“何家荘”、その後“何家大院”となり、1965年現在名に改められました。名前の由来は「何」姓の方が多く住んでいたことに因んでいるそうです。この胡同には永安路沿いに二ヶ所、後にご紹介する儲子営胡同沿いに一ヶ所の計三ヶ所の出入口がありますが、当日は永安路沿い小喇叭胡同の一本東側から入りまし [続きを読む]
  • 第172回 北京の胡同・福昌里 娘娘廟と天橋の著名双簧芸人孫宝才ーやはり工事中ー
  • 福昌里。前回、前々回ご紹介した永勝巷とおなじく「不通行」と書かれています。場所はやはり前回ご紹介した永勝巷の東側。中に入る前に、この胡同に関する話題を二つ。小さな路地ですが、胡同関係の本によりますと、ここには、昔“娘娘廟(ニアンニアンミャオ)”があったそうです。娘娘は、皇后や貴妃を指すこともありますが、ここでは、女神のこと。その娘娘にはたくさんの種類があるそうで、その一部を挙げると、たとえば、出産を [続きを読む]
  • 第171回 北京の胡同・(続)永勝巷 未完成なれど三日会わざれば刮目して見よ。
  • 後日、永勝巷におじゃましたら、出入口付近に変化は見られなかったものの、中に進むと未完成ながら前回とはだいぶ違っていました。そこで、今回は前回ご紹介した8号院の前から、その変貌ぶりをご覧いただきます。タイルが一枚一枚丁寧に貼られていました。地面も新しくなりました。その意匠だけではなく、水はけがよいように工夫が凝らされています。門扉も門環もともに新しくなりました。門楼の上にはお洒落な瓦が葺かれ、門簪も [続きを読む]
  • 第170回 北京の胡同・永勝巷 今は昔、斗母宮のあった路地ー工事中でしたー
  • 永勝巷。“不通行”と書かれている。日本の場合だったら、「通り抜けられません」と言ったところだろう。胡同を歩いたり、胡同について調べたりしていると、昔の北京には寺廟など宗教施設の多かったことに気付く。ここ、永勝巷もその一本だ。場所は小喇叭胡同と同じく永安路沿い。二本東側にある。胡同関係の本によると、今は昔、ここには道教宮観があったという。名称は“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”。“斗姥”は別名「 [続きを読む]
  • 第169回 北京の胡同・小喇叭胡同 猫眠る幽かなる細き小径
  • 人やクルマの往来のはげしい永安路から、一歩この胡同に足を踏み入れると、幽寂にして幽艶たる境に遊ぶ心地がするから不思議だ。大喇叭胡同と同じく、こちらも一部改築中。唐突ですが、猫の話。猫はその行動の仕方によって二つの種類に分けられる。一つは、飼い主以外の人を見て、すぐに逃げる猫。誕生以来、人にいじめられた覚えがあり、警戒心が強く、人を見たらいじめっ子だと思え、というのがこのタイプの猫の生活信条だ。もう [続きを読む]
  • 第168回 北京の胡同・大喇叭胡同(後) ソウルフルな音の響きは静かに流れる
  • この胡同が、いつ、北京の外城に出現したのか、わたしにはわからない。清の朱一新(1846年ー1894年)撰『京師坊巷志稿』には、この胡同も東隣の“小喇叭胡同”も載っている。『京師坊巷志稿』は1880年代の中ごろには出来上がっているから、どんなに短く見積もっても130年ほどが経つわけだ。強い陽射しや激しい雨風、そして過剰な乾燥で傷めつけられたこの門扉、傷んではいるが、冬でも触れると温かさを指先に伝えたこの門扉も今回が [続きを読む]
  • 第167回 北京の胡同・大喇叭胡同(前) ソウルフルな音の響きは静かに流れる
  • 大喇叭胡同は、ご紹介済みの鷂児胡同、趙錐子胡同、四勝胡同の南側を東西に走る永安路沿いにある。昔、皇帝が渡った“天橋”のすぐ近くだ。「間に合った」趙錐子胡同沿いの栄光胡同を歩いていたら、住民の方が、いよいよ一部取り壊し、一部改修が本格的に始まると声をかけてくれたので慌ててやって来た。大きなラッパ胡同。ラッパと言っても、ラッパの音は聴こえない。右手に見える「祖国江山美」と書かれているのは、目隠し壁だ。 [続きを読む]
  • 第165回 秋日回憶ー半截胡同と太平庄の間道にてー
  • 夏が終わると秋になる。百も承知していることであっても、油断がならない。北京の秋は足早に過ぎていき、気が付くと冬、という結果にもなりかねない。そのことに気付いて、思わずわたしも足早になって、胡同へ。ひと口に秋といってもいろいろあって、街の中のなにげない児童公園の秋、人の多く集まる華やかな観光地の秋、ベランダに置かれたプランターの中のつつましい秋、スーパーマーケットの果物や野菜売り場の見映えよくコーデ [続きを読む]
  • 第164回 北京・四勝胡同(後) 三等妓女の悲しき面影、今いずこ
  • 趙錐子胡同沿いにある“四勝胡同”の出入口を入って、北方向にほんの少し進むと道が西と東のふた手に分かれていました。前回は西の道を進みましたが、今回は三等妓院の面影をもとめて東の道を歩いてみました。道が西と東に分かれるのは共同トイレのすぐ近く。トイレの前をほんの少し西に進むと建て増したこと歴然たる二層の建物。新しい家屋の下には、もちろん手は加えられているでしょうが、それを見る者に旧時のあれこれを彷彿と [続きを読む]
  • 第163回 北京・四勝胡同(前) 三等妓院と天橋の悪名高き四大ボスの一人、張八
  • 四勝胡同。民国期(1912−1949)に“四聖廟”と呼ばれていた頃、ここは北京の中の三等妓院の多いところとしてその名を馳せた胡同の一本でした。(左手の建物には「華清館妓院」経営者、黄樹卿が住んでいたといわれる。)再び民国18年(1929年)の北京における妓院と妓女の調査を三等妓院までご覧いただくと次の通り。この胡同に三等妓院がいかに多かったかが分かるかと思われます。 一等妓院(清吟小班) 妓院数45軒、妓女数328人。    [続きを読む]
  • 第162回 北京・趙錐子胡同(後) 大柵欄地区における妓院の等級別胡同名
  • 参ったなぁ、前回ご紹介しました“合順居飯館”に負けず劣らず底光りのするオーラを放つ、いい雰囲気の物件がありました。「もとはいったい何だろう?」。胡同関係の本などには取り上げられておりませんが、注目に値する物件なのではと愚考しております。すぐ近くには改築中のお宅。中を覗くと、どうやら改築がこれから始まるといった状況で、関係者の方たちが歓談中といったところでした。現在、天橋地区では、旧時代の外観を残し [続きを読む]