およまる さん プロフィール

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およまるさん: ひとり灯のもとに文をひろげて
ハンドル名およまる さん
ブログタイトルひとり灯のもとに文をひろげて
ブログURLhttps://ameblo.jp/oyomaru-0826/
サイト紹介文見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。歴史好きの者が書いているブログです。
自由文どうぞよろしくお願いします♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2014/09/10 17:41

およまる さんのブログ記事

  • 北条時政の足取り 【治承・寿永の乱 vol.47】
  • 治承・寿永の乱、第47弾になります。前回までの話はこちらから。 前回、信濃国へ出兵した甲斐源氏が甲斐国へ戻ってきたところで、頼朝の義父である北条時政(ほうじょう-ときまさ)が訪れ、頼朝の命令を伝えたというところまでお話ししましたが、どうも『吾妻鏡』の語るところの時政は怪しさ満点でして、腑に落ちない点がいくつかあります。 では、石橋山の戦いから甲斐源氏のもとへ訪れるまでの北条時政の足取りを『吾妻鏡』に [続きを読む]
  • 甲斐源氏の挙兵 【治承・寿永の乱 vol.46】
  • 治承・寿永の乱、第46弾ですこれまでの話はこちらから。 治承4年9月10日(『吾妻鏡』)。甲斐国(今の山梨県)の武田信義(たけだ-のぶよし)、その子・一条忠頼(いちじょう-ただより)以下の軍勢は隣国・信濃国(今の長野県)へ侵攻しました。ついに甲斐源氏が兵を挙げたのです。 その甲斐源氏に対する敵は菅冠者(すが-の-かじゃ)という人物。 ですが、この菅冠者、残念ながらどのような人物かわかっていません。 『吾妻鏡』 [続きを読む]
  • 波志田山の戦い 【治承・寿永の乱 vol.45】
  • 治承・寿永の乱、第45弾です。これまでの話はこちらから。 今回からはしばらくあの頼朝さんは脇役。甲斐源氏のみなさまが話の中心になります。 頼朝が石橋山の戦い(治承4年〔1180年〕8月23日)で敗れて箱根山中に潜んでいた頃、富士山の北麓でも戦いが行われようとしていました。 駿河国の目代(もくだい)・橘遠茂(たちばな-の-とおもち)、大庭景親(おおば-かげちか)の弟である俣野景久(またの-かげひさ)は連合して、甲 [続きを読む]
  • 甲斐国を代表する勢力へ 【甲斐源氏④】
  • 今回は氏族紹介。甲斐源氏の最終回ですこれまでの話第1弾はこちらから。第2弾はこちらから。第3弾はこちらから。 源義清(みなもと-の-よしきよ)と清光(きよみつ)は、甲府盆地北西部へ進出して、馬の産地を勢力下に置き、着々と力を蓄えていきましたが、まだ甲斐国には古代豪族の流れを汲む三枝氏(さいぐさ-し)などが割拠していて、甲斐国を代表する勢力とはいえない状況でした。 ところが、その状況を一変させる事件が起 [続きを読む]
  • 葛山城・葛山館跡のスライドショーつくりました
  • 今年の春から7回にわたって書いた葛山城のレポートで使った写真をスライドショーにしてみました 仕事とかその他諸々多忙だったのですが、そんな中息抜きでちまちまと作ってたものです。 出来栄えはイマイチ、イマニといったところですが、前回の山中城の動画よりはチョット進化したかな?(あんまり変わってないかもですけど…) 良かったら見てみてください ホントは城跡ばかりじゃなくて神社仏閣の動画を作りたいところですが、 [続きを読む]
  • 甲斐源氏発展のきっかけ 【甲斐源氏③】
  • 今回は氏族紹介。甲斐源氏の第3弾です 第1弾はこちらから。第2弾はこちらから。 流罪に処されたとはいえ、新天地の甲斐国へやってきた格好になった源義清(みなもと-の-よしきよ)と清光(きよみつ)の父子は、この甲斐国に根を下ろして勢力を拡げようとしていましたが、勢力拡大のために目をつけたのが、甲斐国での馬の生産でした。 甲斐国は古くから名馬の産地として知られ、古墳時代(5世紀後半)の倭王・武(わおう・ぶ:雄 [続きを読む]
  • 甲斐源氏の始まり 【甲斐源氏②】
  • 今回は氏族紹介。甲斐源氏の第2弾です。前回の第1弾はこちらから。 天承1年(1131年)ごろ。源義清(みなもと-の-よしきよ)と清光(きよみつ)父子は近隣勢力との対立から常陸国那珂郡武田郷(今の茨城県ひたちなか市武田)を追われ、甲斐国の市河荘(いちかわ-の-しょう)に流されてしまいました。 市河荘では、義清が地元の武士である市川氏と婚姻関係を結び、その支援を受けて、徐々に勢力を伸ばしていきました。 また、中世 [続きを読む]
  • 甲斐源氏の礎を築いた源義清の旧跡 【甲斐国・義清神社と義清塚】
  • 今回ご紹介する史跡は甲斐源氏の礎を築いた源義清(みなもと-の-よしきよ)の旧跡です 義清は天承1年(1131年)ごろ常陸国を追われて甲斐国市河荘へとやってきましたが、その時住み着いた場所とされる場所が2か所あります。 その一つがこちら。山梨県中巨摩郡(なかこま-ぐん)昭和町西条にある義清神社です。 この神社はどこにでもありそうな近所の神社って感じで、アットホームな雰囲気を醸し出していました。きっとこの町内の [続きを読む]
  • 甲斐国と河内源氏 【甲斐源氏①】
  • 久しぶりの氏族紹介。今回は甲斐源氏について、それが史上に登場し始めた頃の話を何回かに分けてお話ししていきたいと思います 甲斐源氏というと真っ先に思い浮かぶのは、甲斐武田氏かと思いますが、この甲斐源氏という氏族はすそ野が広くて、小笠原氏、南部氏、三好氏などもルーツを辿っていけば、みんなこの甲斐源氏につながります。 甲斐源氏という氏族は別の言い方をすると、河内源氏義光流という氏族のうちの一つで、新羅三 [続きを読む]
  • 2018年残り100日の運勢
  • アメーバのおみくじひいてみた! 残り100日の運勢は・・・残り100日運勢みくじをひく2018年ラストスパート!あと100日でしたいことは? やりました。中吉です 自分結構「中吉」ってひくんですよね〜(自慢?)去年も伊豆の国市奈古谷にある文覚上人ゆかりの毘沙門堂のお堂の前にあったおみくじひいて「中吉」だったんですよ〜 でもこれといってあんまり良いことなかったような… って、そんなこと言ってはいけませんね〜毎日つつ [続きを読む]
  • 頼朝の鎌倉入府 【治承・寿永の乱 vol.44】
  • 治承・寿永の乱第44弾ですこれまでの話はこちらから。 武蔵国をも制圧下に置いた頼朝勢はいよいよ鎌倉へ向けて進軍を開始しました。先陣は畠山重忠(はたけやま-しげただ)、後陣は千葉常胤(ちば-つねたね)という陣容で、道筋は武蔵国府(東京都府中市)からそのまま南下して多摩丘陵を抜けるルート(のちの鎌倉街道上道もしくは中道)を取ったと考えられます。 また、これに先立って頼朝は秩父党の江戸重長(えど-しげなが) [続きを読む]
  • 捲土重来 【治承・寿永の乱 vol.43】
  • 治承・寿永の乱、第43弾ですこれまでの話はこちらから。 治承4年(1180年)10月2日。頼朝らは千葉常胤(ちば-つねたね)や上総広常(かずさ-ひろつね)らが調達した舟に分かれて乗り、大井・隅田の2つの川を渡っていよいよ武蔵国へと入りました。 この時点ではまだ江戸重長(えど-しげなが)や河越重頼(かわごえ-しげより)、畠山重忠(はたけやま-しげただ)らの態度が不確定でしたが、先を急ぎたいことと彼らにプレッシャーを [続きを読む]
  • 武蔵の国へ 【治承・寿永の乱 vol.42】
  • 治承・寿永の乱、第42弾になりますこれまでの話はこちらから 房総半島の国々、安房・上総・下総の三国をほぼ制圧下に置き、挙兵した当初に比べれば段違いの勢力を持つに至った頼朝ですが、千葉常胤(ちば-つねたね)が本拠地として勧め、河内源氏にゆかりが深い鎌倉の地へ行くには、まだいくつかの障壁がありました。 その最大の障壁となったのが、武蔵国に割拠する武士団、とりわけ秩父党(ちちぶ-とう)と呼ばれる大武士団でし [続きを読む]
  • 広常は本当に遅参したの? 【治承・寿永の乱 vol.41】
  • 治承・寿永の乱、第41弾です。これまでの話はこちらからどうぞ 前回(第40弾)、結城浜の戦いのお話をさせていただきましたが、それまでお話してきたことと違う点があったのに気づかれましたでしょうか。。。 そうです、あの上総広常(かずさ-ひろつね)がすでに頼朝や千葉常胤(ちば-つねたね)たちと合流して、一緒に戦っているのです。『吾妻鏡』や他の『平家物語』では、頼朝たちが下総国府にまで到着してから上総広常は参 [続きを読む]
  • 結城浜の戦い 【治承・寿永の乱 vol.40】
  • 治承・寿永の乱、第40弾になります。これまでの話はこちらから。 今回は第38弾で、ちょこっとお話しした千葉成胤(ちば-なりたね)と藤原親政(ふじわら-の-ちかまさ)が戦った結城浜の戦いの時の様子を『源平闘諍録(げんぺい-とうじょう-ろく)』を参考にお話しします。 ところで、この『源平闘諍録』とはなんぞや?ということなんですが、これも実は『平家物語』の一つとされていて、坂東武士に関する記述が豊富なことから「 [続きを読む]
  • 上総広常の遅参【治承・寿永の乱 vol.39】
  • 治承・寿永の乱、第39弾になります。これまでの話はこちらから。 治承4年(1180年)9月19日。この日、上総国の上総広常(かずさ-ひろつね)が、自分の一族や上総国の諸豪族を率いて、ついに下総国府の頼朝のもとに参上してきました。その軍勢およそ20000騎という大軍勢です ちなみに、この20000騎という数は『吾妻鏡』の記す軍勢数で、『平家物語』(長門本・延慶本)などでは10000騎となっています。まぁ、いずれの数にしても普 [続きを読む]
  • 千葉氏の参向【治承・寿永の乱 vol.38】
  • 治承・寿永の乱第38弾になります。これまでの話はこちらから。 頼朝勢に参加する事になった千葉氏ですが、千葉氏の本拠地がある下総国でも平家の息のかかった勢力がいました。 こうした状況に、千葉常胤(ちば-つねたね)の六男である胤頼(たねより:後の東胤頼〔とう-たねより〕)が父に進言します。 「この国の目代(もくだい:国守の代行役)は平家方の人物です。われら一族がこぞって、源家のもとへ参陣してしまったら、必 [続きを読む]
  • 頼朝、安房国を掌握する【治承・寿永の乱 vol.37】
  • こんにちは。今回は治承・寿永の乱、第37弾になります。これまでの話はこちらからどうぞ。 この頃の頼朝の動向については、史料が乏しいためによくわかっていません。それだけに諸説ありますが、とりあえずここは『吾妻鏡』の記述を中心にお話ししたいと思います 安房国に上陸し、無事三浦党の武士たちと合流ができた頼朝は、房総半島の有力な武士たちに書状を送り、特に下総国の千葉常胤(ちば-つねたね)には安達盛長(あだち- [続きを読む]
  • 頼朝、安房国に上陸する【治承・寿永の乱 vol.36】
  • こんにちは。およまるです。今回は治承・寿永の乱、第36弾になります。これまでの話はこちらの一覧からどうぞ 今回からは、頼朝が日本史上でもそうそうない大逆転劇をみせ、はじめて平家本軍とぶつかったとされる富士川の戦いまでをお話してみようと思います。(こういう形での大逆転は、他には足利尊氏の九州からの逆転でしょうか・・・) では早速。 真鶴岬(まなづる-みさき)から海路、房総半島へ向かった頼朝一行がようやく安 [続きを読む]
  • 梅雨明け
  • こちらもようやく梅雨が明けました。 が、ことしの梅雨も大きな被害をもたらしてしまいました。。。 ニュースを見るたびに、犠牲になった方の人数が増えていく…。 テレビに流れる映像を見て、人々が生活していたところが破壊された様、そんな光景をどれだけ見なければいけないのでしょうか…。 そのうち自分もそんな光景を目の当たりにしなければならないのでしょうか…。 “人は自然に無力。日本は山が多い国だけに、大雨が降れ [続きを読む]
  • なかなか難しい〜(>o<)
  • 6月も終わり、というか1年も半分終わってしまいましたね。最近特に時間の流れが早いと感じてしまうおよまるです。 さて、5月の頭にお話しした家庭菜園ですが、これがなかなかうまくいきませんで、悪戦苦闘中です まず前回からおよそ1ヶ月弱経った5月28日の様子。 こちらはカブです。何とかポットからプランターに移植したものの、いまいち元気がなくて大きくなれません。 一方、混植しているマリーゴールドは元気で、早くも花 [続きを読む]
  • 葛山城の範囲はどこまで?(東側編) 【駿河国・葛山城 vol.7】
  • 月曜日、大阪北部地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。特に9歳の女の子が当番でちょっと早く登校したばかりに犠牲になってしまったこと、本当に胸が痛みましたし、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいになりました…。余震は依然続いておりますが、とにかく大阪の地震が早く沈静化することを祈るばかりです。 ―――――――――――――――――――――――― 今回は駿河国・葛山城のご紹介、第7弾。ようや [続きを読む]
  • 葛山城の範囲はどこまで?(西側編) 【駿河国・葛山城 vol.6】
  • 駿河国・葛山城のご紹介、第6弾になります。もうそろそろ終わりにしないとですね〜ってことで早速。 あ、前回はこちらからどうぞ。 葛山城は上の鳥瞰図で描いた範囲が大体の城の範囲と考えられていますが、約40年前に出版された日本の城のバイブルとされる『日本城郭大系』の解説では、葛山城はもう少し東西に曲輪があったことになっています。 では、今回は城の西の方の現状を見にいってみます まず葛山城の西には、この城の特徴 [続きを読む]
  • あえて土塁を設けないということ 【駿河国・葛山城 vol.5】
  • 今回は駿河国葛山城のご紹介、第5弾となります。前回はこちらから。 葛山城のもう一つの特徴として、一の郭と二の郭(帯曲輪)の南側と東側には、虎口付近を除いて土塁のあとが認められないというのがあります。 これはおそらく後世の地形改変によるものではなく、当時から土塁が築かれていなかったものと思われます。ちょっと自分が撮ってきた何枚かの写真で、確認してみます。 最初に、こちらの鳥瞰図で写真を撮った位置を示し [続きを読む]
  • 二の郭虎口は見所の一つです 【駿河国・葛山城 vol.4】
  • こんにちは。こんばんは。今回は駿河国葛山城のご紹介、第4弾となります。前回はこちらから。 それでは、御城案内もいよいよ二の郭(くるわ)、一の郭へと進んでいきます。こちらの拙い鳥瞰図で、今までの巡路と現在地を。 まず、赤丸がついているところが、今回のスタート地点そして赤い矢印はこれまで通ってきた巡路になります。仙年寺(せんねんじ)から上って、堀底道を通り、二の郭の虎口に着いたという状況です。 で、こち [続きを読む]