およまる さん プロフィール

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およまるさん: ひとり灯のもとに文をひろげて
ハンドル名およまる さん
ブログタイトルひとり灯のもとに文をひろげて
ブログURLhttps://ameblo.jp/oyomaru-0826/
サイト紹介文見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。歴史好きの者が書いているブログです。
自由文どうぞよろしくお願いします♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供26回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2014/09/10 17:41

およまる さんのブログ記事

  • 頼朝、安房国へ渡る【治承・寿永の乱 vol.35】
  • こんにちは。治承・寿永の乱第35弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 石橋山から箱根山中を彷徨い、なんとか箱根権現で息をつけた頼朝でしたが、いつまでもそこに長居するというわけにはいきませんでした。 この箱根権現の別当(べっとう、その寺院の最高責任者)である行実(ぎょうじつ)やその弟である永実(えいじつ)は頼朝に好意的でしたが、箱根権現の者のなかにも、平家に縁があったり、平家に遠慮したりして、頼朝の来 [続きを読む]
  • 北条時政ゆかりの寺【伊豆国・願成就院】
  • こんにちは。今回は北条時政(ほうじょう-ときまさ)ゆかりの寺である願成就院(がん-じょうじゅ-いん)のご紹介です では、さっそく 願成就院門前です。やはり伊豆国屈指の名刹だけあって、しっかりした佇まいをしていますね。 この願成就院は、縁起によれば、北条時政が文治5年(1189年)の奥州征伐に際して、戦勝を祈願するために建立したお寺で、その後鎌倉政権第2代執権(しっけん)・北条義時(ほうじょう-よしとき、時政 [続きを読む]
  • 史跡散策ルート案内【伊豆国・守山周辺】
  • こちらは以前紹介させていただいた史跡を訪れた際に、私が通った散策ルートを案内したものです。史跡を訪れる際、少しでも参考になればうれしいです 今回は以前紹介した【守山八幡宮】【真珠院】【北条氏邸・円成寺跡】【伝・堀越御所跡】【北条政子産湯の井戸】【願成就院・信光寺】の散策ルートです では、まずは鉄道から。これら史跡の最寄り駅は、伊豆箱根鉄道駿豆線の伊豆長岡駅になります(韮山駅からも近いです)。 ちょっ [続きを読む]
  • 衣笠城攻防戦(後)【治承・寿永の乱 vol.34】
  • こんにちは。治承・寿永の乱第34弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 衣笠城攻防戦は、畠山勢2000余騎の軍勢に対して、城方、三浦の軍勢は400余騎という兵力差で戦われましたが、三浦勢は自らの奮戦と衣笠城の防御力のおかげもあって、少数ながら何とか持ちこたえていました。 しかし、夕刻になると次第に疲労の色が濃くなり、三浦勢の総帥である三浦義明(みうら-よしあき)も開戦当初は老体に鞭打ちながらも意気揚々と戦場 [続きを読む]
  • 衣笠城攻防戦(前)【治承・寿永の乱 vol.33】
  • こんにちは。治承・寿永の乱第33弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 由比ガ浜の戦いで思わぬ敗北を喫してしまった畠山重忠(はたけやま-しげただ)は、どうにも悔しかったと見えて、軍勢を立て直し、再度三浦へ襲い掛かりました。 ですが、今度の畠山勢は由比ガ浜で戦った時と様子が違います。なんと重忠は、一族の秩父党(ちちぶ-とう)や他の武蔵の武士にも応援を呼びかけて、たちまち大軍勢を催したのです。 秩父党であ [続きを読む]
  • 北条政子生誕の地【伊豆国・政子産湯の井戸】
  • こんにちは。今回の史跡紹介は、史跡と言っていいのかわかりませんが、北条政子産湯の井戸です やっぱ伊豆国の北条の里を紹介している以上、この方、北条政子さまにちなんだ場所も紹介せねばということで、取り上げた次第です。 場所は前回ご紹介した伝・堀越御所跡のすぐ近く、目と鼻の前にあります。 では早速 はい。こちらがその井戸でございます。こういう穴があると覗きたくなるのは人間の性。(およまるだけ?) すかさ [続きを読む]
  • ほんとに戦国時代幕開けの舞台?【伊豆国・伝 堀越御所跡】
  • こんにちは。今回ご紹介する史跡は伊豆国の伝・堀越御所跡です こちらの堀越御所跡も北条氏邸跡と同じく、今は何もない単なる原っぱとなっており、見るべきものは特にないといった状況ですが、ここも一つの時代の幕開けを告げる象徴的な事件が起こった場所だけに、重要な史跡の一つです(これでも国指定史跡なんですよ〜) 例によって今回も航空写真で、伝・堀越御所の場所を。●印のとこです。 堀越御所は守山の北側に位置し、 [続きを読む]
  • 鎌倉北条氏の本拠地【伊豆国・北条氏邸跡(円成寺跡)】
  • こんにちは。今回は伊豆国の史跡巡り第3弾。 守山八幡宮、真珠院と続いて今回ご紹介するのは、静岡県伊豆の国市にある、あの鎌倉北条氏の本拠地・北条氏邸跡です と言っても、今回ご紹介する史跡は正直つまらないかもです。なぜなら、もはやほとんど何も残っていないからです もちろんその場所からは貴重な文化財なども発掘されて、れっきとした史跡であることには間違いないのですが・・・訪れたところで何も見ることができな [続きを読む]
  • 由比ガ浜の戦い【治承・寿永の乱 vol.32】
  • 治承・寿永の乱第32弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 大庭に味方する畠山重忠(はたけやま-しげただ)は、頼朝に味方した三浦勢を追って由比ガ浜(ゆい-が-はま)あたりで追いつきましたが、畠山と三浦は親戚同士ということもあって、三浦の将・和田義盛(わだ-よしもり)と話し合い、戦はしないということで合意したはずでした。 ところが、ここで思わぬ事態が起ってしまいます。 別働として鎌倉の杉本(椙本)あたり [続きを読む]
  • 石橋山に間に合わなかった三浦党【治承・寿永の乱 vol.31】
  • 治承・寿永の乱第31弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 石橋山で敗北を喫してしまった頼朝勢ですが、この人たちと挟み撃ちができていたら戦況はもう少し変わったものになったでしょう。今回はその人たちのお話。その人たちとは相模国有力武士団の一つ、三浦党(みうら-とう)の人々です。 伊豆国から西相模に進出した頼朝に呼応して、大庭景親(おおば-かげちか)を挟撃するべく自軍も西相模へ進軍していた三浦党でしたが [続きを読む]
  • 八重姫を静かに供養する寺 【伊豆国・真珠院】
  • こんにちは。今回は伊豆国にある真珠院というお寺のご紹介です。 このお寺は、タイトルにある通り、悲恋の末、無念の死を遂げた姫君である八重姫を供養しているお寺です。 八重姫の話はチョット後にして、まずは真珠院の境内の写真から。 地方によくある小さなお寺という感じではありますが、境内はとても静かで、きれいに手入れが行き届いている清々しい感じがするお寺でした この写真の右側に写っている御堂が、冒頭でお話しし [続きを読む]
  • 旗挙げの地にある八幡さま【伊豆国・守山八幡宮】
  • こんにちは。 10月に入り、暑さも和らいでだいぶ秋の気配が漂ってきた今日この頃、みなさまはいかがお過ごしでしょうか さて、今回は秋のお出かけシーズン到来ということで、こちらの史跡をご紹介したいと思います伊豆国にある守山八幡宮です。 守山八幡宮?なにそのマイナー感たっぷりな神社は。 なんて思っちゃいけません。この神社はあの源頼朝が挙兵した地にある八幡宮で、頼朝が挙兵したときにもあったとされる神社です。 [続きを読む]
  • 8月の終わりに
  • およまるが日課としている夜ウォーキング。 夜とはいえ、蒸し暑い空気の中でのウォーキング。 特にこの8月は心地良いなんて言えるような、決して歩きやすい環境ではありませんでした。 湿度が高いせいもあって、少し歩く速度を上げるとすぐに額から背中からあちこちから汗が吹き出し、気がつけばもう全身ビショビショです ところが昨日あたりから様子が変わってきました。 これまでは、夜にもかかわらず、公園の照明で昼と勘違 [続きを読む]
  • 頼朝の逃避行 【治承・寿永の乱 vol.30】
  • 治承・寿永の乱第30弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 石橋山の戦いで壊滅的な敗北を喫してしまった頼朝。彼は大庭方の落ち武者狩りから逃れるため、地元の武士である土肥実平(どい/どひ-さねひら)や岡崎義実(おかざき-よしざね)らとともにわずか7騎で箱根の山中を逃げ回っていました。「敵がかなり間近に迫っていると聞く。この場を去って逃げたとしても、敵もよくこの山を知っているだろうから、我々と遭遇する可能 [続きを読む]
  • 石橋山の戦い(後編)【治承・寿永の乱 vol.29】
  • 治承・寿永の乱第29弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ 石橋山の戦いは夜通し続けられました。しかし、もとより劣勢の頼朝勢は明け方近くになって、ついに土肥郷の方へ向かって敗走し始めました。 大将である頼朝は後陣に控えていましたが、次々に敗走していく味方に言います。「ああ、情けないことよ。同じ引くにしてもせめて一矢放って逃げよや。者ども今一度引き返せ、返せよや」ところが、そんな頼朝の言葉もむなしく [続きを読む]
  • やっと終わった〜!!
  • ものすごくご無沙汰したしておりました、およまるです 実はこのおよまる、とある資格のために、ここ半年ほどずっと勉強していました。 特にここ数ヶ月は大好きな大好きな歴史と離れ、私にはまったく苦手とする分野(理系)の勉強。唯一の歴史的な楽しみと言えば、毎週日曜日の直虎さまを見るだけの辛い日々でございました あ〜今度の休みにそこ行ってみようかなっとドラマを見て思っても、「お前はその前にやることがあるじゃ [続きを読む]
  • 石橋山の戦い(中編)【治承・寿永の乱 vol.28】
  • 治承・寿永の乱第28弾ですこれまでのお話はこちらからどうぞ大庭景親(おおば-かげちか)と北条時政(ほうじょう-ときまさ)とが一通りの言葉争いを交わすと、いよいよ戦いの時は満ちました。開戦に当たって頼朝が言います。「相模・武蔵両国の名のある者たちは皆大庭方にいる。中でも大庭景親と俣野景久は名高い武士と聞く。果たしてその者たちと誰に戦わせるべきか」すると、傍らにいた岡崎義実(おかざき-よしざね)は前へ進み [続きを読む]
  • いつの間にか
  • お久しぶりです、およまるです いつの間にかすっかり春めいてきて、朝晩はまだ冷え込みがあるものの、日中は結構暖かい日が増えてきたように思います。って、もう3月の終わりですもんね〜時が経つのがほんと早いです さてさて、私が冬の間育てていた野菜たちもだいぶ成長して収穫の時期を迎えました。 実を言うと、3月は土曜・日曜も予定でふさがってしまったり、野暮用で忙しく、あんまり世話できなかったのが本当のところです。 [続きを読む]
  • 寒さには弱いのです
  • 先日、寒さに負けず元気に育っている小かぶの話をしましたが、一緒に育てているこちらの方々は寒さに弱いのです。それはスナップエンドウとソラマメです。ご覧のように、にわか作りの簡易ビニールハウスにすっぽり入ってヌクヌクしております。彼ら、この冬の寒さと霜にやられて、一時期もの凄く萎れてしまって元気がなくなってしまったんです。ああ、失敗した〜。ダメかも〜って思いながらも、ダメもとでビニールハウス作って、し [続きを読む]
  • 寒さに負けず
  • ここ数年、家庭菜園をやっているおよまるですが、この度この秋冬シーズンも野菜を育ててみようとチャレンジしてみました作っているのは、小かぶ、大根、スナックエンドウ、そら豆、ホウレンソウですその中から今回は「小かぶ」の写真をアップします写真中央に写っているのが小かぶですなんだか育てやすそうな「時なし小かぶ」って品種を選びました。種を蒔いたのは12月の初旬。最初はこんなにかわいい双葉だったんですよそれが寒さ [続きを読む]
  • 石橋山の戦い(前編)【治承・寿永の乱 vol.27】
  • 治承・寿永の乱第27弾になりますこれまでのお話はこちらの一覧からどうぞ 山木兼隆(やまき-かねたか)を討ち取り、伊豆国で自立への布石を打った頼朝たちでしたが、これで順調な滑り出しとは言えない状況でした。実はなんとしても倒さなければならない厄介な難敵が兼隆の他に控えていたのです。それが東伊豆の伊東祐親(いとう-すけちか)と相模の大庭景親(おおば-かげちか)という武士でした。伊東祐親は東伊豆に勢力を張って [続きを読む]
  • 私を構成する成分は・・・
  • ▼私を構成する成分は・・・\あなたはなにでできている!?/成分チェッカーで分析する だーいじょーぶです。安心してください この「たまに吐き出される毒」に関しては、70%も占めて、人間の身体の水分並みの含有比率ですが、アメブロで吐き出されることはありませんから〜 [続きを読む]
  • 鎌倉政権の出発点 【治承・寿永の乱 vol.26】
  • 今回は治承・寿永の乱第26段ですこれまでのお話はこちらの一覧からどうぞ 頼朝が山木兼隆を討った直後の治承4年(1180年)8月19日。この日、頼朝は早速、とある文書(もんじょ)を発給(はっきゅう:文書を発行して与えること)したことが『吾妻鏡』に記されています。その文書の内容とは、史大夫知親(し-の-たいふ-ともちか)という人物が行っている伊豆国・蒲屋御厨(かばや-の-みくりや)の管理を停止して、以後は知親に代 [続きを読む]
  • 山木攻め(後編)【治承・寿永の乱 vol.25】
  • こちらも久しぶりの更新、治承・寿永の乱第25弾です前回までのお話しはこちらの一覧からどうぞ 別動で山木兼隆(やまき-かねたか)の後見役・堤信遠(つつみ-のぶとお)を討ち取った佐々木定綱(さだつな)・経高(つねたか)・高綱(たかつな)の兄弟が山木館へ来てみると、頼朝勢は思いのほかの苦戦をしいられていました。当初三嶋大社の祭礼に出かけた者たちが結構いるため、警備は手薄と思われていた山木館でしたが、留守の [続きを読む]
  • 戦に間に合わなかった曲輪 【伊豆国・山中城 vol.10】
  • 明けましておめでとうございます。およまるですさぁ、今回は山中城の第10弾、岱崎出丸(だいさき-でまる)エリアです では今回も例によって山中城の全体鳥瞰図から岱崎出丸の場所を赤〇で囲います。 んで、こちらが拡大図。 岱崎出丸は「出丸」という名がつく通り、このように山中城の本城部分から飛び出したような曲輪となっていて、さらに出丸の中にいくつか曲輪があります。そのためこの部分だけを城とみなして岱崎城とも呼 [続きを読む]