およまる さん プロフィール

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およまるさん: ひとり灯のもとに文をひろげて
ハンドル名およまる さん
ブログタイトルひとり灯のもとに文をひろげて
ブログURLhttps://ameblo.jp/oyomaru-0826/
サイト紹介文見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。歴史好きの者が書いているブログです。
自由文どうぞよろしくお願いします♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2014/09/10 17:41

およまる さんのブログ記事

  • 2018年残り100日の運勢
  • アメーバのおみくじひいてみた! 残り100日の運勢は・・・残り100日運勢みくじをひく2018年ラストスパート!あと100日でしたいことは? やりました。中吉です 自分結構「中吉」ってひくんですよね〜(自慢?)去年も伊豆の国市奈古谷にある文覚上人ゆかりの毘沙門堂のお堂の前にあったおみくじひいて「中吉」だったんですよ〜 でもこれといってあんまり良いことなかったような… って、そんなこと言ってはいけませんね〜毎日つつ [続きを読む]
  • 頼朝の鎌倉入府 【治承・寿永の乱 vol.44】
  • 治承・寿永の乱第44弾ですこれまでの話はこちらから。 武蔵国をも制圧下に置いた頼朝勢はいよいよ鎌倉へ向けて進軍を開始しました。先陣は畠山重忠(はたけやま-しげただ)、後陣は千葉常胤(ちば-つねたね)という陣容で、道筋は武蔵国府(東京都府中市)からそのまま南下して多摩丘陵を抜けるルート(のちの鎌倉街道上道もしくは中道)を取ったと考えられます。 また、これに先立って頼朝は秩父党の江戸重長(えど-しげなが) [続きを読む]
  • 捲土重来 【治承・寿永の乱 vol.43】
  • 治承・寿永の乱、第43弾ですこれまでの話はこちらから。 治承4年(1180年)10月2日。頼朝らは千葉常胤(ちば-つねたね)や上総広常(かずさ-ひろつね)らが調達した舟に分かれて乗り、大井・隅田の2つの川を渡っていよいよ武蔵国へと入りました。 この時点ではまだ江戸重長(えど-しげなが)や河越重頼(かわごえ-しげより)、畠山重忠(はたけやま-しげただ)らの態度が不確定でしたが、先を急ぎたいことと彼らにプレッシャーを [続きを読む]
  • 武蔵の国へ 【治承・寿永の乱 vol.42】
  • 治承・寿永の乱、第42弾になりますこれまでの話はこちらから 房総半島の国々、安房・上総・下総の三国をほぼ制圧下に置き、挙兵した当初に比べれば段違いの勢力を持つに至った頼朝ですが、千葉常胤(ちば-つねたね)が本拠地として勧め、河内源氏にゆかりが深い鎌倉の地へ行くには、まだいくつかの障壁がありました。 その最大の障壁となったのが、武蔵国に割拠する武士団、とりわけ秩父党(ちちぶ-とう)と呼ばれる大武士団でし [続きを読む]
  • 広常は本当に遅参したの? 【治承・寿永の乱 vol.41】
  • 治承・寿永の乱、第41弾です。これまでの話はこちらからどうぞ 前回(第40弾)、結城浜の戦いのお話をさせていただきましたが、それまでお話してきたことと違う点があったのに気づかれましたでしょうか。。。 そうです、あの上総広常(かずさ-ひろつね)がすでに頼朝や千葉常胤(ちば-つねたね)たちと合流して、一緒に戦っているのです。『吾妻鏡』や他の『平家物語』では、頼朝たちが下総国府にまで到着してから上総広常は参 [続きを読む]
  • 結城浜の戦い 【治承・寿永の乱 vol.40】
  • 治承・寿永の乱、第40弾になります。これまでの話はこちらから。 今回は第38弾で、ちょこっとお話しした千葉成胤(ちば-なりたね)と藤原親政(ふじわら-の-ちかまさ)が戦った結城浜の戦いの時の様子を『源平闘諍録(げんぺい-とうじょう-ろく)』を参考にお話しします。 ところで、この『源平闘諍録』とはなんぞや?ということなんですが、これも実は『平家物語』の一つとされていて、坂東武士に関する記述が豊富なことから「 [続きを読む]
  • 上総広常の遅参【治承・寿永の乱 vol.39】
  • 治承・寿永の乱、第39弾になります。これまでの話はこちらから。 治承4年(1180年)9月19日。この日、上総国の上総広常(かずさ-ひろつね)が、自分の一族や上総国の諸豪族を率いて、ついに下総国府の頼朝のもとに参上してきました。その軍勢およそ20000騎という大軍勢です ちなみに、この20000騎という数は『吾妻鏡』の記す軍勢数で、『平家物語』(長門本・延慶本)などでは10000騎となっています。まぁ、いずれの数にしても普 [続きを読む]
  • 千葉氏の参向【治承・寿永の乱 vol.38】
  • 治承・寿永の乱第38弾になります。これまでの話はこちらから。 頼朝勢に参加する事になった千葉氏ですが、千葉氏の本拠地がある下総国でも平家の息のかかった勢力がいました。 こうした状況に、千葉常胤(ちば-つねたね)の六男である胤頼(たねより:後の東胤頼〔とう-たねより〕)が父に進言します。 「この国の目代(もくだい:国守の代行役)は平家方の人物です。われら一族がこぞって、源家のもとへ参陣してしまったら、必 [続きを読む]
  • 頼朝、安房国を掌握する【治承・寿永の乱 vol.37】
  • こんにちは。今回は治承・寿永の乱、第37弾になります。これまでの話はこちらからどうぞ。 この頃の頼朝の動向については、史料が乏しいためによくわかっていません。それだけに諸説ありますが、とりあえずここは『吾妻鏡』の記述を中心にお話ししたいと思います 安房国に上陸し、無事三浦党の武士たちと合流ができた頼朝は、房総半島の有力な武士たちに書状を送り、特に下総国の千葉常胤(ちば-つねたね)には安達盛長(あだち- [続きを読む]
  • 頼朝、安房国に上陸する【治承・寿永の乱 vol.36】
  • こんにちは。およまるです。今回は治承・寿永の乱、第36弾になります。これまでの話はこちらの一覧からどうぞ 今回からは、頼朝が日本史上でもそうそうない大逆転劇をみせ、はじめて平家本軍とぶつかったとされる富士川の戦いまでをお話してみようと思います。(こういう形での大逆転は、他には足利尊氏の九州からの逆転でしょうか・・・) では早速。 真鶴岬(まなづる-みさき)から海路、房総半島へ向かった頼朝一行がようやく安 [続きを読む]
  • 梅雨明け
  • こちらもようやく梅雨が明けました。 が、ことしの梅雨も大きな被害をもたらしてしまいました。。。 ニュースを見るたびに、犠牲になった方の人数が増えていく…。 テレビに流れる映像を見て、人々が生活していたところが破壊された様、そんな光景をどれだけ見なければいけないのでしょうか…。 そのうち自分もそんな光景を目の当たりにしなければならないのでしょうか…。 “人は自然に無力。日本は山が多い国だけに、大雨が降れ [続きを読む]
  • なかなか難しい〜(>o<)
  • 6月も終わり、というか1年も半分終わってしまいましたね。最近特に時間の流れが早いと感じてしまうおよまるです。 さて、5月の頭にお話しした家庭菜園ですが、これがなかなかうまくいきませんで、悪戦苦闘中です まず前回からおよそ1ヶ月弱経った5月28日の様子。 こちらはカブです。何とかポットからプランターに移植したものの、いまいち元気がなくて大きくなれません。 一方、混植しているマリーゴールドは元気で、早くも花 [続きを読む]
  • 葛山城の範囲はどこまで?(東側編) 【駿河国・葛山城 vol.7】
  • 月曜日、大阪北部地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。特に9歳の女の子が当番でちょっと早く登校したばかりに犠牲になってしまったこと、本当に胸が痛みましたし、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいになりました…。余震は依然続いておりますが、とにかく大阪の地震が早く沈静化することを祈るばかりです。 ―――――――――――――――――――――――― 今回は駿河国・葛山城のご紹介、第7弾。ようや [続きを読む]
  • 葛山城の範囲はどこまで?(西側編) 【駿河国・葛山城 vol.6】
  • 駿河国・葛山城のご紹介、第6弾になります。もうそろそろ終わりにしないとですね〜ってことで早速。 あ、前回はこちらからどうぞ。 葛山城は上の鳥瞰図で描いた範囲が大体の城の範囲と考えられていますが、約40年前に出版された日本の城のバイブルとされる『日本城郭大系』の解説では、葛山城はもう少し東西に曲輪があったことになっています。 では、今回は城の西の方の現状を見にいってみます まず葛山城の西には、この城の特徴 [続きを読む]
  • あえて土塁を設けないということ 【駿河国・葛山城 vol.5】
  • 今回は駿河国葛山城のご紹介、第5弾となります。前回はこちらから。 葛山城のもう一つの特徴として、一の郭と二の郭(帯曲輪)の南側と東側には、虎口付近を除いて土塁のあとが認められないというのがあります。 これはおそらく後世の地形改変によるものではなく、当時から土塁が築かれていなかったものと思われます。ちょっと自分が撮ってきた何枚かの写真で、確認してみます。 最初に、こちらの鳥瞰図で写真を撮った位置を示し [続きを読む]
  • 二の郭虎口は見所の一つです 【駿河国・葛山城 vol.4】
  • こんにちは。こんばんは。今回は駿河国葛山城のご紹介、第4弾となります。前回はこちらから。 それでは、御城案内もいよいよ二の郭(くるわ)、一の郭へと進んでいきます。こちらの拙い鳥瞰図で、今までの巡路と現在地を。 まず、赤丸がついているところが、今回のスタート地点そして赤い矢印はこれまで通ってきた巡路になります。仙年寺(せんねんじ)から上って、堀底道を通り、二の郭の虎口に着いたという状況です。 で、こち [続きを読む]
  • いったい何本の竪堀があるのでしょうか? 【駿河国・葛山城 vol.3】
  • こんにちは。こんばんは。前回の続き、葛山城の第3弾です それでは早速。 前回の終わりでも貼りましたが、ここが堀底道のスタートです。この奥を進んでいくと、二の郭の虎口(こぐち)があります。 堀底道というのは、本来は空堀なんですが、空堀自体を道にしていたためにこのような呼び名をしています。 堀底道を進んでいくと、このように土塁がとぎれている場所があります。 案内板はないのですが、竪堀(たてぼり)の跡でし [続きを読む]
  • いよいよ葛山城攻めです! 【駿河国・葛山城 vol.2】
  • こんにちは。こんばんは今回は城レポ。葛山城(かづらやま-じょう)の第2弾になります 前回は城の立地とか歴史をサラッとお話しましたので、今回からは実際に攻めたときの写真でお話ししていこうと思います こちらは仙年寺(せんねん-じ)というお寺です。葛山城のある愛宕山のふもとにあり、お城へはこのお寺の裏手から登っていくことになります。 他に大手口といわれる上り口がありますが、こちらの仙年寺前には駐車場があり [続きを読む]
  • 大きくなって〜(>o<)
  • いよいよ気候も暖かくなってきたことだし、何か作らにゃということで、昨年の秋・冬シーズンはサボってしまいましたが、この春夏は何か作物をつくることにしました。 と、言っても知識のほとんどない者が作るので、毎度のことながらうまくいくとは限りません この春夏シーズンは、以前育てたことのあるダイコン、カブ、ナス、ピーマン、エダマメ、ラッカセイ、オクラあたりを育ててみようかなと思っております??(だいたいいつ [続きを読む]
  • 葛山氏の本城 【駿河国・葛山城 vol.1】
  • こんにちは、こんばんは 今回はこれまた久しぶりの御城ご紹介。今回から数回にわたってご紹介するのは、静岡県裾野市(すその-し)にある葛山城(かづらやま-じょう)です?? 葛山城は駿河国(するが:今の静岡県東部・中部)の国人領主(こくじん-りょうしゅ)であった葛山氏(かずらやま-し)の本拠地にある山城です。 小規模の城ながら遺構が比較的良好な状態で残されており、また近隣に葛山氏の館跡の遺構もあって、典型的な [続きを読む]
  • 平安末期きっての怪僧の誕生(後) 【文覚〔もんがく〕③】
  • みなさまこんにちはそれでは早速、前回の続きになります。いきなりここへ来られてしまった方は、チョット長いですがぜひ前編からどうぞ 盛遠(もりとお)は刑部左衛門(ぎょうぶ-ざえもん)を討つために、いよいよ館の中へと進んでいき、娘から聞いていた刑部左衛門が寝ているという建物へ向かいました。 一方、娘は酔って眠ってしまった刑部左衛門を奥の部屋に寝かせて本鳥(もとどり:髪を頭の上に集めて束ねたところ。髻)を [続きを読む]
  • 平安末期きっての怪僧の誕生(中) 【文覚〔もんがく〕②】
  • こんにちは前回の続き、中編になります。 母である尼公の急病の報せをうけて、慌てて鳥羽から三条の実家にやってきた娘でしたが、尼公がいつもいる部屋へやって来てみると、そこにはいつになく元気そうな尼公が笑みを浮かべておりました。 尼公は何がなんだかわからなさそうにしている娘に、 「さぞかし騒がれたとみえる。いや、他でもない。かつて上西門院(じょうさい-もん-いん)に仕えていた武者が、この三年ほどはこの尼に仕 [続きを読む]
  • 平安末期きっての怪僧の誕生(前) 【文覚〔もんがく〕①】
  • みなさまこんにちは いきなりですが、日本の歴史に登場する僧侶の何人かは、言い方が悪いですが、うまい具合にその時の為政者に取り入って、自分の目的を達成しようとしていく方々がおります。 私がこのブログで多く取り上げている時代、平安時代末期〜鎌倉時代初期にもこのような僧侶がおりました。その僧侶の名は文覚(もんがく)と申します。 文覚は比較的有名な僧なので、知っている方も多いかと思いますが、彼は時の為政者 [続きを読む]
  • やっとできたっ〜!!
  • こんばんはっ 2017年やり残していたことの一つが、ようやく実現しました それは「城跡か史跡の動画をYouTubeにアップする」 で、今回題材に選んだのは、あの豆州山中城。やっぱ百名城の一つですしね そしてそれがついに… …って、ここまで言っといて、そんな大した動画じゃないんです。所詮スライドショーですから…。 でも 動画をほとんど編集したことのない不肖・およまる、今回はがんばりました(自己満) って、ことで。そ [続きを読む]