ヨネ さん プロフィール

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ヨネさん: 降りていくブログ
ハンドル名ヨネ さん
ブログタイトル降りていくブログ
ブログURLhttp://kurahate22.hatenablog.com/
サイト紹介文生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。
自由文生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供98回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2014/09/24 14:40

ヨネ さんのブログ記事

  • 退職記念講演
  • 人類学を2年ほど専攻していたけれど、『儀礼の過程』のヴィクター・ターナーとか、関心の強いところしか読まなかった。橋本先生は講義をとったこともなかったけど、指導が厳しい先生というイメージだった。でもゼミ生は割と多かったと思うので魅力ある先生だったのだろう。大学を出て大分たつけれど、10年とか15年とかたってから話しが合うようになる経験をぽつぽつする。同年代より当時いた先生たちの歳を増した姿をみるほうが [続きを読む]
  • 京都のらびと学舎 畑の計画2018
  • 京都のらびと学舎 <活動の趣旨>自分を元気にし、生きていく勢いをもたらす軸は自分にとっては何か。その軸を確かめて近づいていくこと、そしてその軸の力を生かすために暮らしをデザインし、必要な環境を作り出していくことを自給的あり方と位置づける。そのあり方を身につけていくために、畑や作物との実際の関わりを通してアタマと体をリハビリしていく学びの場をつくること。<去年の振り返り>→モチベーション 糸川さんが [続きを読む]
  • 見ていくこと お好み焼き屋の話し
  • 数年前に何回か行ったお好み焼きの店、高齢の女性がやっていて、しばらく閉まっていたのでもうやめたと思っていた。だがやっていることがわかって驚いた。行こうと思った。来月で90歳になるそうだ。店に入ったとき、店にいたお客さんの持ち帰り用の焼きそばを作っていた。立て続けの作業は辛いそうで、僕が店に入ったときに断ろうかと思ったとのこと。だが僕を見たことがある顔だと思ったそうで「時間がかかるけどいいですか [続きを読む]
  • 当事者研究 整理と吟味
  • 土曜日の当事者研究。僕は整理と吟味は大事で、それには少しも無駄がないと思っているので、最初に今日の気分体調を言って、ここしばらくの振り返りをやる。新年なので去年の振り返りもざっくりして、今年をどうしたいかというのもいれた。A4用紙にそれぞれ書く。自分に触れるとは、わかっていること、つまり記憶を反復したり表現したりすることではない。実際にどういう感じなのかを今ここで感じて探ってみて感じ取られる [続きを読む]
  • 文化 ささやかな逸脱と反逆として
  • 大澤寅雄さんの文章を受けて。news.livedoor.com昨日送信した文化芸術推進基本計画のパブコメに関連して、このニュース。http://news.livedoor.com/article/detail/14116493/「稼ぐ文化」という言葉には抵抗があります。「稼ぐ文化」「稼げる文化」「文化で稼ぐ」…いろんな言い方があって、それぞれ微細なニュアンスと文脈の違いがあるし、「稼ぐこと」を軽視してはいけないこともわかってはいるけれども。正直なところ、品のある [続きを読む]
  • 1月の終活ゼミ案内 人心地をつけていくために
  • 1月の終活ゼミ・ワークショップは13日(土)、20日(土)13時〜16時@ちいさな学校鞍馬口で行います。人心地がつくと、それまでとは違う層の新しいものが動きはじめます。その人心地も突然起きたことに対するものと、生きていることを通して得ようとしているロングスパンでの人心地があるように思えます。どちらも何かを終わらせようとしているところは共通します。何かを終わらせることで、新しい状況が生まれてきます。今 [続きを読む]
  • タイムファンタジー
  • タイムファンタジーが好きだけれど、君の名は。は見てなかった。ハッピーエンドが軽薄に嘘っぽく感じられるのは、失われたものと出会えたならそれは失われたものじゃないから。でも失われたものと出会いたいのが望みだから。 現実化すると嘘になる。あり得ないだろうが、あったかもしれない可能性が確信されるようなはざま。人に必要なのはそういうものなのだろうなと思った。星の王子さまのボアに飲み込まれた象、箱 [続きを読む]
  • エピローグとしての生
  • 以前デモクラシーナウを観ていると、その年におこった様々な出来事や大国の狂気を立て続けに流している動画があった。はっきりいって酷いものだった。世界はなんで自ら終末を求めるような歩みをこんなにも着実にすすめているのだろうと思わされるようなものだった。だがそこで流れていた音楽は動画の深刻さをさらに煽るものではなく、まるで映画のエンドロールのようなものだった。それに衝撃を受けた。現在進行中のことな [続きを読む]
  • 年内最後の当事者研究
  • 今年最後の当事者研究、終了しました。今年ご参加いただいた方、ありがとうございました。今日は、いつも通り振り返りと気分体調から始まって、これからの自分助けプランを考え、最後は何が自分の生きることを充実させることをつくるのかという哲学カフェ的に考える場を持ちました。自分助けといっても健康に気を配ることやらストレス解消法やら無限にあると思いますが、この自分にとっての生きることの意味、あるいは充実、喜びと [続きを読む]
  • 通路の詰まりと回復 菊地直子さんの手記から
  • 自己不信と他者不信は別々のことではない。それらは自分が閉じていなければ既に開いていつも息づかせる流れを運びこんでくるいわば「通路」の状態のことを指していると思う。ironna.jp気づいてみれば自分が閉じているためにその感じ方が作り出されるのだが、そうは思えず、他者や世界がもともと悪く自分はその被害者と感じられる。無自覚ではあれ、自分が作り出したその他者像、その世界像のフィルターを通して認識がされ、体験 [続きを読む]
  • 当事者研究というスタンス
  • FBから菅原さんの演劇の感想のリンクでやってきた方は下記へ。kurahate22.hatenablog.comさて、今年はこれまで考えてきたことをまとめる本を出そうと思う。3年前の記事から基本同じことを書いているが、自給とは何かということが明確化し、回復から学びという言葉を使うようになった。僕はアカデミズムの人ではない。僕が考えを進めてきたことは当事者研究であり、その妥当性は実際に生きている当事者にとって使えるかどうか、 [続きを読む]
  • 菅原直樹さんの「カメラマンの変態」を観に行った。
  • 前日の終活ゼミに続き、菅原直樹さんの公演「カメラマンの変態」を観に岡山へ。oibokkeshi.net今自分がいる現在の世界の物事はとても確固たるもののように見える。他人のきらびやかさやステイタス、幸運もまた確固たるものに見える。だが大きな時間の流れの中で誰もが老い、死に、芥子粒のように消える。老えば過去の栄華は他人からは見えなくなっていく。「現実」だったそれももう夢のようなものになる。加えて老わなくて [続きを読む]
  • 1月の終活ゼミ・ワークショップと昨日の報告
  • 昨日、終活ゼミ4回目を行いました。終活ゼミは現在哲学カフェを基調にしています。哲学カフェ的にやる時間は、老いや死の準備というよりは、老いや死が先延ばしにしたり不問にしている自分の底の求めや救いを明確にするのに適した媒介であるところを使ってやっています。自分として生きることは、何かを達成することであるようにも思われますが、達成や結果は最終的には自分がどう頑張ろうとも状況依存的なものであり、そのことは [続きを読む]
  • 「休日」というイデオロギー
  • 「祝日日数世界一だから日本人は休み過ぎ?」は本当かを検証してみる - 井を出た蛙の生中継「休日」とか「余暇」は現在の社会構造や労働が人にとって本来的なものであり、その構造の妥当だと前提した言葉だと思う。そうでないとその時間は余りでもないし、暇でもないはずだ。これからも生きていくために使わなくてはならないから。その時一つ一つの行動のリスクは自分が負っており、どのように状態を整えようとしていようがそのあ [続きを読む]
  • 当事者研究 振り返り2
  • 当事者研究を3つの場でやっているのだが、12月は振り返り月間ということで、1年の振り返りをやってもらっている。僕はどの場でも一緒にやるので3回以上やるわけだが、無駄がないと思う。吟味すること、整理することには何も無駄がない。やったらやった分だけのことがある。振り返りをやってしばらくたって、また気づくことがある。◇今年で変わったこと畑に行くとか、何か用事をしようとするとか、次の行動に移る時に移れず、 [続きを読む]
  • 「老後」を心配する人としない人 終活ゼミワークショップ
  • 終活ゼミ・ワークショップ。ワークをやるとき「老後」を心配する人と別に心配していない人がいる。どちらでもいいと思っている。重要だと思うのは、心の詰まりがあるならそれを取り除いていくこと。何が心の詰まりになっているのか。「老後」を心配していないのに終活について話す場にわざわざ来ようと思う心の詰まりはなんなのか。終活ゼミは、自分にとっての心の「呼吸」、心の「通気」とは何であるかを確かめていく場といえるだ [続きを読む]
  • 関わること そこねること
  • ケア塾茶山、西川さんの星の王子様読書会に。飛行士の質問に答えない王子さまの場面から、フィールドで折に触れた話しは聞くが訊いてまわることをしない人類学者や、傾聴の暴力性の話しなどがされる。人と関わることが援助や相手の喜びにつながることであっても、それは同時に何かをそこねながら遂行されることだと思う。関わることはそこねることであると捉えるとようやくバランスが取れるように思えた。関わらずにはいられない [続きを読む]
  • 当事者研究 人との関わり
  • 当事者研究、人との関わりについてちょっとまとめておこうと思う。集団とか人間関係がもともと得意とかいうことはない。得意になったらいいなという憧ればあるが、無理やりそのためにエネルギーを注ぐほどの動機はない。話す場は昨年に比べたら明らかに充実した。だがそれ以外の場が貧困だと思う。人とは基本的に距離を持って関わる。その距離感が自分にとってやりやすいと思っている。あまり近づきすぎると緊張で固まり居心地が悪 [続きを読む]
  • 当事者研究 振り返り
  • 当事者研究を1年やってみた年だった。◇話しをする場が足りなかったことについて話しができる場と回数が増えた。やる前は話す場が少なすぎるという感じだった。ただまだ十分に話しができているかと振り返ると、自分の内面的な話しができる場はあるのだけれど、学びがどうたらとか、自分が考えていることを話すという場はもっと欲しいし、足りない感じがある。これは別の枠組みを考える必要があるだろう。◇話すことの効果につ [続きを読む]
  • 12月の終活ゼミ予定です。
  • 先月からはじめた終活ゼミワークショップ。12月は17日(日)と23日(土)の13時〜16時で場所はちいさな学校鞍馬口です。マイノリティと高齢者は社会においてあるべき姿として課されている「普通」にならない、できない(できなくなる)という地平において実は多くを共有しています。あるべき姿としての「普通」であれなくても生を豊かにしていくことはできるのか。全ての人が老いを迎えた時マイノリティになる。その時に自分 [続きを読む]
  • 「健全な」逸脱のために
  • 月3回ぐらいのペースだが、身体教育研究所の稽古に通って3ヶ月になる。カラダ系のことは3日坊主が多いけれどそれでも続けられるのは、自分の探ってきたことと通じて、また探っていくことの手がかりになる実感があるからだろう。あと教えてくれる方とのフラットな出会いかたも。亀岡のフリースクール学びの森の北村さんが主催している教育系の勉強会に参加した時に同じ参加者として出会った。正座するとかやっている人がだい [続きを読む]
  • 「明日」の支配から解放されていくために 終活ゼミ。案内文
  • 明後日から終活ゼミを開始します。全ての活動は、終活の一部分として位置づけられる。ずっとやっていくので、今回来れない人も関心があったら打診ください。明日なきところは、実は「普通」から排除された人たちが同じ地平に立てるところ。明日への隷従から解放されていくために。案内文ーーーー終活といっても、死ということ自体は体験できないので、終活は死に向かう過程を扱うものと考えていいかと思います。死に向かう [続きを読む]
  • イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』 11/16南区DIY研究室読書会感想
  • 木曜日は南区DIY研究室で開催されたイリイチの読書会に参加した。本はイリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』。この語コンヴィヴィアリティの意味合いは微妙なものがあって、日本語にはこれといった適訳が存在していないようである。「自律共働」「自立共生」「共愉」といったさまざまな訳語があてられており、上掲の訳書では「自立共生」とされているが、いずれにせよ、この理念が本書の、またイリイチ思想のキーをな [続きを読む]
  • 当事者研究 パーティの苦手さ
  • パーティや飲み会などの場が苦手だ。雑談とか日常会話に関心がなくてしたくないというのと、そこに興味深い人がいても、そもそも質問とかが思いつかないという状況がある。状態:・緊張      → 人に話しかけるのがまず大変・圧倒されている → 質問が出ない・話しが続かない → いたたまれない 余計緊張する ・周りに馴染めない→ 人とうまくやりとりできないのがみじめ 変に見られている、敬遠したいと思われて [続きを読む]
  • 11/23、25 終活ゼミ。 ワークショップ参加者募集
  • 生き方を「行き方」ではなく、「帰り方」だと考えたとき、そこへの向かい方はどう変わるでしょうか。生きることを自分や他人が決めた何かの頂点にたどりつくことだと考えたとき、頂点にたどり着いたその後のことはフェイドアウトとしてしか存在しないようです。頂点にたどり着くことに対して、それ以降の生には余韻としてのもの以上に意味はないのでしょうか。考えてみると、多くの人がなんとなく設定している自分の頂点に達す [続きを読む]