ヨネ さん プロフィール

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ヨネさん: 降りていくブログ
ハンドル名ヨネ さん
ブログタイトル降りていくブログ
ブログURLhttp://kurahate22.hatenablog.com/
サイト紹介文生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。
自由文生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供143回 / 365日(平均2.7回/週) - 参加 2014/09/24 14:40

ヨネ さんのブログ記事

  • フランケンシュタインとハカイダー
  • 読む!倶楽部の話題提供で「ヨコハマ買い出し紀行」を題材にする。それまでと違った角度であらためて読み直し、まとめる機会は貴重で話しをもらってよかった。何かの発表とかはそういう位置づけをしたらいいと思う。あらためて物語におけるロボットについて見渡す。ロボットという造語はチェコの劇作家カレル・チャペックの戯曲「R.U.R」によるものだ。だが有名なアシモフのロボット工学三原則は人間に反逆をおこすものとし [続きを読む]
  • 6/13 星の王子さま読書会
  • 第10回星の王子様読書会。星の王子さま (平凡社ライブラリー (562))作者: アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ,稲垣直樹出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2006/01/12メディア: 単行本 : 9回この商品を含むブログ (8件) を見る花との別れの場面。王子は花に「さようなら」という。一度目に返事はなく、もう一度繰り返したとき、花はこれまでも自分が都合が悪くなったらしていた嘘の咳をまたしたが、その後「わた [続きを読む]
  • 畑と鹿
  • 岩倉の畑にまた鹿が入ったと日曜日の夜に連絡がくる。今日は9時に畑に集合して16時半まで柵を補強する作業をする。今まではネットだけでカバーしようとしてきた。しかし、年々鹿のやることはエスカレートしてきて、前年はやらなかったことをやってくる。今回はとうとう金属製のメッシュの1m×2mの柵を購入し、畑の周りに張り巡らせ、その上にさらにネットをするかたちにした。途中、畑の近所の方が話しかけてこられた。何で [続きを読む]
  • 稽古 丸めた新聞紙の筒を使って
  • 身体教育研究所の稽古へ。今回は新聞紙を丸めて作った棒を使った稽古。何でも週末の親子教室の際に使おうと考えられているものとか。中が空洞のものか、詰まっているものかで大分違う。書道の筆なども竹で作られていたという話し。中心までびっちり詰まっていると重心の位置がピタッと決まる。わかりやすいが、それは多分腕を固めることにもなるのだろう。新聞紙とか、竹とか中が空だと中心が決まらない。中心を常に微細に探る [続きを読む]
  • 別の世界 
  • 強いものがその分だけ周りを抑圧し、幅を利かせる社会。それが野生状態だろう。強いものもより強いものに抑圧され、永遠に闘争を続ける社会。僕は文化とはそういうあり方を辞めようという反逆の試みであると思う。強いものが勝つのは当たり前だが、勝つ合理性のみ追究されていく永遠の闘争の世界など生きるに値しない。そう決別し、やがて負けるとわかっているのに、自分たちの周りに本来あるべきであった別の世界、「じゃなかし [続きを読む]
  • 時間を戻そうとする力
  • 京都も御多分に洩れず学校で人の下着の色決めたり、外の人には合理性を説明できないのにランドセルを強制したりしているのか。教育者たちはこういう腐敗については何十年も前から黙っているのかな。腐敗をそのままにする権力はどうなっていて、こういつまでも維持できるのだろうか。権力が腐敗するのは、周りとの対話的関係性を断てるからなのだろう。そうでなければ周りの影響を常に受け、否応なく変わっていくはずだろう。 [続きを読む]
  • 当事者研究 無防備になること
  • 水島広子さんのツイートをみて無防備という概念を得た。AHはアティテューディナル・ヒーリングの略。キリスト教の影響を受けた精神訓みたいなもの?だろうか。ひどい目に遭って報復感情が高まってしまったとき。AHの「無防備は力」を思い出し、報復感情を手放してやりとりしてみた。すると、より安全な、新しい道が。これは、殴り続けられろという意味ではない。AHでは「形」と「心の姿勢」を明確に区別する。心の姿勢さえ無防備 [続きを読む]
  • 失われた約束
  • 科学主義が行き着くせば「生きものというものは存在しない」というふうになるだろうという指摘。なるほどと思う。資本主義と馴染みがいいし。倫理を押しこめていける。だが生命と非生命には本質的な違いがないとしたときにこそ、では倫理とは何かということが純粋に問えるようにも思える。倫理が大事にしようとしていたものは何だったのか。剥き出しの暴力からお互いを守るということだったのか。もし記憶を自由に操作できるよ [続きを読む]
  • 状態と型
  • 自我の確立、「人格」の成熟といったことが目指すべきところであり、そこに足りない自分の自我を自分で切磋琢磨していくのが人間の在り方なのか。「日本人」は自我の確立が足らないから、もっと確立しなければ、なのか。中動態の話しとか、身体教育研究所の稽古やそこでの身体観に触れていると別のように考えられるのではないかとも思う。今読んでいた文章で、操作できる自然、太陽の恵みなど感謝しうる自然ではなく、人の力を [続きを読む]
  • 本の作成番外 構成の試行
  • 本の中身の構成の仕方、パソコンやスマホではなく小さいノートに書いてみることにした。PCやスマホは、顔の前に目がついている肉食獣的な視野になる感じかも。距離感や立体性をよりはっきり認識するかわりに視野は限定される。一方顔の側面に目がついている草食獣は餌のほうは逃げないし、やってくる危険をとにかく早く察知し、避ければいい。対象の細かい動きより、遠くの怪しげなものを先に察知するほうが重要だ。小さいノート [続きを読む]
  • 出町柳のラーメン屋台
  • 友人が出町柳のラーメン屋台に行政による撤去の紙が貼られた写真をアップしていた。自給やDIYというようなものの意義は、何でも自分で作れる一人強者になることではなく、そこに画一化されていない関係性や空間を作りだすことだ。出町柳のこういう隙間の屋台が作り出す空間や関係性は、人と人の関係性は行政の認めた画一性によって消滅させられてしまうのか。画一化されていない関係性や空間にはそこならではの居場所があり、 [続きを読む]
  • 培地へ エージェンシー、自律的な力の作用をアーカイブする
  • 培地へ。www.facebook.com記録映像をみた後、その活動をしている方達のトーク。興味深く、色々と考えることがあった。まず、大学生の時点で、多くの人は他人から望まれるあり方を内在化してしまうという問題。思い出すのがNHKのようこそ先輩という番組の話し。国境なき医師団が先生としてきた時、等身大の小学生達との対話は大変実りの多いものだったという。その何年か後、高校生になった彼らと医師団がまた出会った時 [続きを読む]
  • 本の作成番外 丸ごとのみかん
  • 文章を描くときは大体、ある物事の細部を見ていく時に書いている。細部がどうなっているのかをはっきりさせることは、そもそもその物事をどう位置づけるのかを決める時に欠かせない。適切な位置づけができなければ、考えはすすまず、そこに停滞がおこったり、見当違いの方向性が導かれてしまう。このブログでも基本的に、一つの物事の細部がどうなっているか、そしてそこから導かれる世界の見え方はどうか、ということばかりし [続きを読む]
  • 常野雄次郎さんの追悼ブログ
  • 常野雄次郎さんの追悼ブログに投稿させてもらった。tsunelovelove.hatenablog.com出会ったことがない人だったけれど、年も近い人で知って一週間で亡くなった人というのはいなかった。自分の状態が変わった。自分が自分をどうこうするではなく、こういう外からの事態が自分の状態を移行させるなと思った。 [続きを読む]
  • 偽のリアリティとしての左右対称
  • 整体の稽古。体の右と左は対称ではない。対称とするのは、言ってみれば頭が作ったイメージであって、偽りのリアリティなのだろう。それに倣うことによって、流れている動きが止まる。生きることは体を歪めることだと聞く。力を出すことは、どこかを歪めることによって生まれる。歪みという言葉がそもそもネガティブすぎるのだが、生きる力は、生きものの内部で設定されているバランスが崩れることに対する反発力なのであって、 [続きを読む]
  • 健全な「殻」はあるか レオ・レオニ『せかいいちおおきなうち』
  • フリースクールわく星学校で殻をつくるという言葉を聞いた。僕は殻という言葉を今まで割と悪い文脈で使っていたが、自意識とそれが学習してきたものが殻なのであって、殻がないというのはあり得ないし、殻がないならそれは人格でもないだろう。家というものは、シェルターであることがその核心であって、雨風だったり、近寄らせたくない生きものとか、安全が確認されてない人とか、そういうものを遮断する。遮断は重要な要素だが [続きを読む]
  • 対話について 間接的に現れる第三者
  • 対話ということは、単に言葉で話すことではなくて、むしろ言葉で話すというところだけに意識が向けられることによって技術とかコミュニケーション力みたいなところばかりイメージされるなら誤解や理解の後退が進んでいる場合さえあるように思える。話しの場合の対話でも、そこで何がおこっているのかをみると、言葉やお互いの意図や意識からはみ出ている第三者というか、感じていなかった異質なものが人に入ってきて、それによっ [続きを読む]
  • 不登校50年プロジェクト 駒崎亮太さんのインタビュー
  • 不登校50年プロジェクト。駒崎さんのインタビュー。futoko50.sblo.jp日曜にフリースクールわく星学校に8人でいってお話しをうかがい、共に学びについて考える時間を持った。そこで聞いたことや思ったこととつながることが多かった。教えるとは何だろうか? 僕も正直教育という言葉には疑念を持っていた。「学び」ならわかるが、教育・・?と。会社で働く人は1年半行けば、少なくとも建前上は21日の有給休暇がもらえるこ [続きを読む]
  • 当事者研究 最近のふりかえり
  • 3月に常野雄次郎さんの死去があって以来、感じ方が変わっている。端的にいえば、つまらないことがよりつまらなくなった。時間つぶしが時間つぶしにならない。といってもそうはすぐ習慣は変わらない。できることとして、整理してみよう。より密度の濃いことをやる。そうしないと酸素が足りない。そんな感じだ。これがマシになる可能性を見つけたのは、性的マイノリティの人たちとの関わりだ。その人たちはもちろん性的マイノ [続きを読む]
  • 本の作成番外 使う用語の説明
  • 先の投稿でざっくりした考えを書いてみたが、なかなか今まで書いた細かいところを拾ってまとめるのが難しいなと思った。できるならそこを拾って全体を構成したい。一つの要点は自意識をどう位置づけ、取り扱うか。僕の考えでは、自意識は言葉(リアリティをもたらすもの)と結びついて、体に戒厳令を敷くように強制的に主体になっている。だがもちろん完全にコントロールしているわけではなくて、体はそのコントロールを常に抜け [続きを読む]
  • 神田橋さん 援助者と当事者性 虫籠のカガステル
  • 以下は2014年の8月に書いた文章。前から同じことをなんども言っている。けれど今はそういう感じでは書かないこともある。ちょっと変わるものだなと思う。神田橋さんの話しとかブログの方にも残したかったので、転載。神田橋條治さんの本のなかで、自分自身がうまく感じ取れない概念を治療者が扱うのは誤りだという指摘がある。「見捨てられ抑うつ」という概念の感覚を自分のものとして少しも感じてないのに、その概念を使って治療 [続きを読む]
  • ざっくりな考え
  • いつも書いていることは、気になったことをテーマに置いて、そこから言葉を使って見えるものを押し拡げようとしている感じだ。細かく細かくなっていく。細かくみたことがバラバラとあってそれらをひとまとまりにしようとすることがないので、今回は今まで考えてきたことがざっくりどうなのかということを書いてみようと思う。自分のフラッシュバックがきつかったり、対人緊張が強かったり、正社員みたいなのに就職してやってい [続きを読む]
  • 「成長」と「発展」の欺瞞
  • 生きづらさや生きることの苦しさをもつ人にとっては、日常という世界の見え方や感じ方が更新されることは必要なことであるし、願いでもあると思う。そのような人たちは自分の殻にひびが入った状態であって、痛みと苦しみの圧迫によって自分の状態が変わる方向へ近づこうとする。それは変わる力をもっているともいえるだろう。だが、アマゾンみたいに殻をどんどん厚くして感じなくなった人たちのほうがサバイバルの世界では有利 [続きを読む]