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  • 当ブログについて

    当ブログについて当ブログは、公開、非公開を管理人の意思において定期的に行っております。公開、非公開はカテゴリー別において管理しています。そのため、公開も一部のみの限定公開となることが多いです。あしからずご了承下さいませ。現在、ご質問等の個別の対応は控えさせて頂いております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 管理人拝当ブログについて

  • 念仏門の変遷

    平安時代、安助上人が、晩年、往生院にて修されていたのは日想観、五念門であったことが、拾遺往生伝に記されてありますが、四天王寺在中時代には、観無量寿経に基づいた阿弥陀講、往生講の講師として講式を修されていたことが分かります。平安期の浄土教は、観想中心の念仏行であったわけですが、法華験記、拾遺往生伝、後拾遺往生伝、二十五三昧会などにおける行法を詳しく見てみると、天台法華、台密、東密による真言行が圧倒的にその中心となっていたことが窺えるのであります。念仏門は、観想念仏から、密教念仏、そして、称名念仏と多様な変遷を経るわけです。往生院金堂跡からは、梵字キリークの瓦が出土しており、密教的な浄土教も奉じていた可能性が高いと推測できます。観想念仏と密教念仏が融合したあり方であったと思われ、どのような勤行、修法が日々営ま...念仏門の変遷

  • 福徳・功徳の資糧集積のあり方について

    功徳行、報恩行、助正業として、ボランティアや奉仕活動、慈善事業、寄附事業を勧めるのは、浄土真宗的にも、また、仏教的にも、誰もが平等にできるような実践ではないということもあるのだが、あまり良い功徳行、報恩行、助正業というわけでもないのである。もちろん、社会、国、世界では奨励されていることではあるため、個人の意思で行う分には当然に構わないことではあるが、結局は、人間ご都合主義、人間第一主義のいわゆる優生思想、差別思想を内包してあることがあるため、仏教の全ての衆生を助ける、救うというための平等の慈悲によっての行いにはなりにくく、それどころか、自己満足や欺瞞に陥り、自分では良いことをしたつもりではあるものの、それが功徳にもならずに、逆に業を汚す行いとなり得ることにも注意が必要になるのであります。(例えば、(人間社...福徳・功徳の資糧集積のあり方について

  • 親鸞思想の浄土論、往生論、成仏論と仏性論

    親鸞思想の浄土論、往生論、成仏論が、通仏教とは全く異なる性質、論理であることを理解していないために、助正論や報恩行、功徳行などの必要性についての議論がいつまでも起こるわけであります。時流や社会、世界の潮流に合わせてとか、色々と理由をグダグダと述べ立てても、それは、理由、根拠には全くならないのであります。冒涜とまではならなくても、宗祖の思想、教義への疑義を呈していることになるわけであります。仏性論については、そもそも悟りへと向けた自力的あり方の根拠となる仏性の存在は否定されるものであり、あくまでも成仏は、法性法身阿弥陀如来との一如、一味において成されるものであるため、自分の側における仏性があるのかないのかは、一切関係がないことで、仏性論は、否定的な無記に近い立場となるのであります。もちろん、輪廻にあり、煩悩...親鸞思想の浄土論、往生論、成仏論と仏性論

  • 石泉学派の弘願助正についての補足

    石泉学派の弘願助正については、随分と前にも考察しているが、称名以外の五念門を往生への助正業と成すのを、その基本としつつ、五念門以外に、報恩行の活動も、その助正業に含めるのか否かが問われてくるところになるわけであります。つまり、通仏教の功徳行とその性質が同じとなるわけで、もちろん、往生へ向けては善根功徳は欠かせないものであるため、功徳+称名念仏は、往生の基本要素であるわけです。門主が勧めようとしているのは、要は浄土真宗も、通仏教に準じて、名号+功徳でいきましょう、というわけです。但し、功徳+称名念仏による「往生」と、浄土真宗の「往生」とは、そもそも同じではなく、中身も性質も異なるものであります。そのため、同じように、功徳+称名念仏では、浄土真宗の「往生」の要件にはならないのであります。流れ的には、浄土往生→...石泉学派の弘願助正についての補足

  • 3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要

    事前申し込みの彼岸施餓鬼塔婆もほぼ書き終えて、諸々の準備も整ったが、配布資料はもう少し精査したかった、、「往生・引導・灌頂について」令和6年3月・春彼岸施餓鬼法要配布資料http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92486211.html結局、法話も日和ってしまい当たり障りのない「往生について」に。称名念仏+功徳は、やはり往生の基本になると落ち着くかな。3/20は、夕方に日想観極楽誓願法要。晴れとなり日没を拝せれると有り難いですね。3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92167878.html3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要

  • 池田総長辞意表明 総長選挙 新総長就任

    池田総長辞意表明総長選挙新総長就任https://note.com/ryouge/n/n65a446a99544結局、騒動、混乱を収束させるどころか、騒動、混乱を助長しているのが門主であることが、前回今回と続いての総長候補指名からも明らかに窺えるところとなった。白票が一番の得票とは、、指名する人選も不可解極まりなく、教義センスだけでなく、政治センスも疑われて仕方がないだろう…門主として適任にあらずはもう明らかながら、辞めさせられないのは門末においては誠に悲劇的なことであるだろう、、少し淡い期待を抱いたが無駄であった。池田総長辞意表明総長選挙新総長就任

  • 尼僧を強姦し14年間監禁・性加害…住職に蛮行を促し尼僧を「ロボット玩具」にした80代"生き仏"の地獄の所業

    千日回峰行を成満した者であっても、傲慢、高慢な鬼畜へと成り下がってしまった、ということなのであろう・・成満後も常不軽菩薩行の実践者であるべきはずが、周りが不動明王の化身だなんだと神格化するなどして崇め奉りすぎなのも問題であるのだろう・・とにかく、千日回峰行では当人が煩悩障さえもほとんど対治できなかったということで、被害者へのしかるべき補償と共に、当該加害者二人には相当な処分と、一から修行をやり直させるのが、天台宗、宗門としての役割となるであろう・・まあ、個人的には千日回峰行はあまり仏教の修行としては良くないとも考えている。山を走り廻ると、どうしてもたくさんの虫などの生き物を踏み殺すことになってしまい、殺生を避けれないからだ。だからあまりお勧めできる修行ではそもそもない。尼僧を強姦し14年間監禁・性加害…住...尼僧を強姦し14年間監禁・性加害…住職に蛮行を促し尼僧を「ロボット玩具」にした80代"生き仏"の地獄の所業

  • 新旧領解文をどのように見直せばよいのか

    門主は、石泉学派が好みであり、念仏者には、通仏教の功徳行、善徳行もやはり必要だとの感覚は、もちろん十分に理解できるのであります。功徳行、善徳行を、雑修、雑行、自力だと一切否定する側が問題だと思うのも、まあ、普通であればそう思うわけでもあります。仏教、世間一般の感覚から見ても。仏教の基本的なあり方、基礎となる土台を無視して、「他力」、「信心」一辺倒により過ぎたのも、そうだとも思うのである。そのあり方を見直すべくに「報恩」、「報謝」としての功徳行、善徳行を勧めるとの方向性へとなり、それをより明確化していきたい、修正したいとの門主の意思も窺えるわけですが、何分にもそれを任せた者が、あまりにも無知であったのが大誤算であったと思うのであります。仏教も浄土真宗も、まあ分かっていないというお粗末さと、功名心による高慢さ...新旧領解文をどのように見直せばよいのか

  • 浄土真宗の「信心」の内実について

    このリンクのポストに絡めて、https://www.facebook.com/share/p/k14tNEccrJ5JJKS2/親鸞聖人以降の者たちにおいて「信心」の内実が甘く見積もられてしまうようになった弊害なのでしょうかね、と。本願寺派の方ではありませんが。まあ、そうなのだとは思います。それが◯◯上人や誰彼のせいだともおっしゃる方もあるわけですが、これまで、親鸞聖人の浄土論、往生論、成仏論の特異性を理解した上から「信心」の内実について深く検討してこなかった可能性が高いのではないかとも思うのであります。本来、成仏に必要となる膨大な智慧資糧と福徳資糧の代替が、浄土真宗においては「信心」決定一つに集約されることになるわけですが、その根拠が、新旧領解文を理解する程度、唱和、解説を聴く程度で済むとするならば、ま...浄土真宗の「信心」の内実について

  • 「七支供養」(七支清浄行)について

    「帰依・懺悔(滅罪)・受戒・善根功徳(追善)」は、チベット仏教ではどのようになるのかと申せば、要は「七支供養」(七支清浄行)として調えることになるわけであります。それは、華厳経における普賢行願讃の内容であり、「帰依、礼拝、懺悔、供養、随喜、勧請、廻向」として調えられるもので、「勧請を発菩提心、あるいは菩提心の保持」とする場合もありますが、この七つの供養を行うことによって、福徳資糧となる功徳も積むことができることになるのであります。ですから、七支供養を勤めて、日常においては、五戒、もしくは十善戒に努めること、これが往生、引導を頂くためにおいても、必要最低限の条件であると言い得るわけでもあります。七支供養は、1分~2分ほどあればできるお勤めです。もちろん、難行苦行などではなく、誰もが簡単にできる供養、功徳であ...「七支供養」(七支清浄行)について

  • 二十五三昧会の現代版へ向けて

    改めて考えてみると、寂しいことではあるが、日本では悟りへと至るためとしての仏教ではなくなりつつあると共に、往生、引導のためとしての仏教でもなくなりつつあるのかも…と。そもそも、悟れるとは思ってはいなくても、往生できる、引導されるとも、ほとんどの方は本気で思っていないのが現実なのではないだろうか、、そのため、形骸化が著しくなり、僧俗ともに仏教と向き合う敬虔さ、真摯さも失われつつあるのだと言えるわけでもあります。それは、本来、仏教徒、檀信徒において大切な仏教修養となる布薩、ハ斎や講などの集まりがなくなっているということも関係があるのでしょう。お寺でイベントを行うのは良いのだが、檀信徒となってもらい、布薩や講などの仏道修養へと繋がらないのであれば、そのあり方を考えなければならないということでもあります。拙生とし...二十五三昧会の現代版へ向けて

  • 「往生・引導・灌頂について」令和6年3月・お盆施餓鬼法要 配布資料

    春彼岸の配布資料を一気に書いたが、当初予定していた題「浄土門について」ではなく、「往生・引導・灌頂について」となってしまった。先に考えていた法話の内容とはまた違ってきてしまい、途中で、普通に一般的に考えられている「自力、他力」、「難行、易行」の定義とは、異なる見解となってしまったからである。まあ、これも一つの考察かと、自分に納得させて。。とにかく彼岸近しである、、岩瀧山往生院六萬寺令和6年3月・お盆施餓鬼法要配布資料「往生・引導・灌頂について」最近、個人的に、西本願寺・本願寺派の「新しい領解文(りょうげもん)」問題について考察することが多くあったことから、従来より進めていた浄土真宗の教義についての考究がよりいっそうに進むとともに、日本における初期の浄土教、平安時代の往生院における日想観(じっそうかん)を中...「往生・引導・灌頂について」令和6年3月・お盆施餓鬼法要配布資料

  • 信心獲得、信心決定の内実について

    これは・・従来の領解文もそうだが、改悔批判で唱和させて、与奪者が解説を行い、正しい領解を確認するということの根拠、論拠が、新旧ともに疑わしいものであると宣言してしまっているようなことではないだろうか。領解の精査は、直結して信心獲得、信心決定の内実の精査へと向かうものでもあり、教義における根本中枢、核心を扱うものである。それがいい加減なもの(新しい領解文はもちろん論外ではあるが)を根拠、論拠としていたとなれば、とんでもないことである。もしも、従来の領解文に問題があるから、新しい領解文が必要となったとしての制定動機であったのであれば、信心の核心を扱い、教義の中枢となるものになるのであるのだから、議論を重ねた上でより慎重かつ丁寧に進めるべきであっただろう。それが、仏教としても、浄土真宗としても間違いだらけのもの...信心獲得、信心決定の内実について

  • 拙浄土門考と浄土真宗について比較検討していくのであれば

    次に、拙考と浄土真宗について比較検討していくのであれば、阿弥陀佛による名号の利益・功徳による救いの範囲をひとまずは往生(見仏・授記を含む)までとするのか、それとも一気に悟り・成仏までとするのか、つまり、悟りへの指向・方向性の明示とするのか、即座に完結までとするのか、この点も、法性法身(真実浄土)を往生先として想定するのかどうかと併せて考えていかないといけないことになります。そして、「信心」獲得・決定の内実の検討であります。法性法身(真実浄土)への往生並びに成仏(二種法身円満)へ向けた「名号」の利益功徳の力へのアプローチのあり方について、例えば、三帰依や善行・功徳等の条件、必要性の検討となります。更には、「名号」の利益功徳の力以外に、一切、何も頼りとしない、頼まない、必要としないあり方を、往生についてと捉え...拙浄土門考と浄土真宗について比較検討していくのであれば

  • 「浄土門」についての一考

    浄土宗や浄土真宗の教義とは別に、貴兄が考える「浄土門」とはどのようなものかと問われていたことについて、春彼岸の法話として、改めてまとめてみることにした。基本的に、浄土門の教えとは、極楽往生を目指すもので、往生により、阿弥陀佛との見仏、阿弥陀佛からの授記を頂くことで、浄土での修習によって悟りに至れる(成仏できる)ように調えるためのものと考えるのであります。その往生先については、報身報土だけではなく、応身応土など、見仏身、浄土地にも、往生者に応じての相違があると考えています。ただ、往生先を阿弥陀佛の(法性)法身、法身そのものを含めるかとなれば、それは想定していません。(名号の利益功徳に即座の成仏までを含めるのかどうかもまだ保留としておきます。)また、極楽の報土にせよ、応土にせよ、極楽の六道(地獄もあり)にせよ...「浄土門」についての一考

  • 往生院金堂跡での発見物について

    今回の五輪塔の一部だけではなく、これまでに、往生院金堂跡のお寺所有の池付近からのものも併せて、私が発見したものは結構ある。キリークの大きな丸瓦、鬼瓦、南側沢にあった鎌倉期の土管もそうである。本格的な発掘調査ができれば、五輪塔や石仏の一部なども含めて、もっともっと色々なものが見付かるのであろうが、市文化財課が動いてくれないと、当然に難しい…とにかく試掘でも良いのだが、、そういえば昨年に調査官調査の親鸞聖人自作坐像もまだ途中である。法然聖人三日月の御影も含めて、まだ幾つも調査依頼をしているのに…行政を待っていては時間だけが無駄に過ぎていきかねない。やはり、合間合間に私が調査研究していかねばなるまい、、あと、岩瀧山の中腹から上にあったと思われる建物の調査もあれから一向に進んでいない。山の探索もまたやらねば…往生院金堂跡での発見物について

  • 西本願寺・本願寺派の第323回定期宗会での門主開会挨拶の内容について

    門主の挨拶に「新しい領解文」についての直接的な言及はなく、信心の社会性の体現(社会活動やボランティア活動)へ向けた意思表示もややトーンダウンしたように思える。(もちろん、混乱、騒動の責任を取って退任する気はなさそうである。)そもそも社会活動やボランティア活動、寄附行為などは、彌陀本願に適うものではない。当然に誰もができる実践ではないからだ。余裕のある者、お金のある者、能力のある者にしかできないことを勧めるのは、彌陀がお垂れになられた平等の慈悲に添うものではないのである。浄土門においてそういったことを勧めるのは、自力云々以前に、本来、あまり良くないことになる。とにかく押し寄せてある反対の声に、門主も配慮せざるを得なくなったのは確かなのであろう。補足・・釈尊も、無理強いするような功徳のあり方を言われたわけでは...西本願寺・本願寺派の第323回定期宗会での門主開会挨拶の内容について

  • 新しい御守札「厄除招福」

    コロナ禍が終わり、疫病退散の御守はお役目御免となり、もう置いていませんが、ありますか?と聞かれる方がまだあるため、観音さんのとは別で、新しく「厄除招福」でお作りし、また、大きさ、フィルムケースも変えてみることに。基本的には1年毎に変えるとかではないのですが、変えたいという方も多いみたいですね。結構頼りにされているため、切らさないように気をつけたいものです。またしっかりと日を見てお勤めをしたいと思います。改めて考えてみると祈祷祈願の際にも必ず楞厳呪を読誦しますね。白傘蓋仏母尊の護法力のお加持を頂戴致すということになるわけです。そういえば、下の山号と寺名、逆に読まれる方がたまにいるようで、「じ、まん、ろく、」って何ですか?と聞かれたことがある…若い方は、西洋の書き出ししか知らないことがあり、仕方がないのかもし...新しい御守札「厄除招福」

  • 「新しい領解文」は、約仏の観点からも当然に間違いである

    仏教における悟りは空性了解が、本来、重要なものとなるが、浄土真宗では、空性了解より信心領解が重要となる。この違いは目的の相違による。その違いは、悟りを目的とするのか、彌陀摂取を目的とするのか、である。浄土真宗では、彌陀摂取により彌陀と一如、一味となることで、如来と同等の二種(法性・方便)法身を得れるとするため、空性の了解へと向けた智慧の開発、空性了解による法身の獲得、また、衆生済度へ向けた福徳、功徳の集積、円満なる福徳による色身の獲得を必要とは考えないのである。この両者にまたがる目的の隔たりを理解しないと、浄土真宗を理解することは難しいのであります。浄土真宗は、彌陀摂取により、凡夫のままにて救われ、凡夫のままにて二種法身を得れて成仏できると考えることになるわけです。約仏とはこの観点となります。では、輪廻の...「新しい領解文」は、約仏の観点からも当然に間違いである

  • 往生院金堂跡 再調査 五輪塔の一部をまた発見か!?

    岩瀧不動尊お参り後、今日は日が良いと思い、一ヶ月ぶりに往生院金堂跡の再調査へ。前回、五輪塔の一部を発見し、現地供養後に現在の往生院歴代尊位の墓所へとお祀りしましたが、更に気になることもあり、金堂跡南側斜面を調査したところ、五輪塔の一部か、石仏の台座と思わしき石を発見しました。周囲にある山の石とは明らかに質が違い、重く、また人工的に切り取られてあると思われるため、寺院関係のお墓石か石仏の台座とほぼ断定して間違いがないでしょう。更に再調査して参ります。これも、第5世であるとおっしゃられてお出ましなさられた浄興さんのお導きでしょうか。。やはり、前回に持ち帰った五輪塔の一部と同じ石質でした。形状的には石仏の台座の可能性が高いかもしれません。いずれにしても往生院歴代尊位の場所にてお祀りして御供養致します。更に調査を...往生院金堂跡再調査五輪塔の一部をまた発見か!?

  • AIとのhasunoha問答対比シリーズ・7

    AIとのhasunoha問答対比シリーズ・7「解脱」についてだが、AIの回答には少々がっかりした。まあ、「輪廻」=「迷い・苦しみ」という捉え方は間違ってはいないが、「解脱を得ることによって、人は無限の慈悲と智慧を身につけ」というのは間違いである。智慧と慈悲(功徳)の力により、解脱を得て、そして、それから更に修行の段階を進めて円満なる悟りへと向かうことになるのである。AI、まだこの程度の回答なのかと、ガッカリである。問い「解脱とは何ですか」https://hasunoha.jp/ai/q/bbe598e8e194ce20AIによる回答相談してくださり、ありがとうございます。心の底から出てくる疑問に向き合われていること、心から尊重いたします。仏教で説かれる「解脱」とは、苦しみや迷いから自由になることを指します...AIとのhasunoha問答対比シリーズ・7

  • 安土問答についての再考

    安土問答を更に考えてみたが、では、日蓮宗側はどう答えたら良かったのだろうか。貞安云ふ四十余年の法門を以て、爾前を捨て、方座第四の「妙」の一字は捨つるか、捨てざるか。法華云ふ四十余年四妙之中には何ぞや。(40年余の説法の何処にある妙か?)貞安云ふ法華の妙よ。汝知らざるか。(此の返答、之無く閉口す)貞安亦云ふ捨つるか、捨てざるか。(尋ねし処に無言す)当時の教判は、天台宗におけるものがベースになっているわけであるが、法華の妙は、円妙として、方便には含まれない判定にあったはずである。方座第四の妙が、法華の妙だと言われたら、「法華の妙は、方座の妙にあらず、円教の妙である」と答えて、「捨てるにあらず」としていれば、問答はまだ続いていたと思われるのである。法華玄義、法華玄義釈から、「法華の妙は、円教の中でも純円の妙であ...安土問答についての再考

  • 「安土問答」について

    信長の話題から、「安土問答」について聞かれていることがあるが、正直、あまり詳しくには把握していない。教判に関わることの議論がされたが、問答にもならないことで集結した、という認識である。要は、何が方便で、何が真理かということについて、方便の妙に関してのやり取りで、法華側が切り返せずに沈黙したことで、負けと判定された、というものではなかっただろうか。Wikipediaで内容を読み返したのだが、イマイチよくのみこめない、、方便の妙には法華の妙もあるから、それは(真理へ向けて)捨てるべきであるのかどうか、と聞いたのだろうか?ならば、法華の妙は、法華宗においては、教判において最高真理にあたるわけなのだから、捨てられるわけなどない。当然に方便ではないとの認識であるのだから。では、法華の妙が方便だと、どの経典のどこに書...「安土問答」について

  • 川口家と美作後南朝の繋がりについて

    室町時代、臨済宗(相国寺派)の盂蘭盆会ではこんなにたくさんのお経、陀羅尼が読誦されていたのか、、現在のように開甘露門が無いということは、施餓鬼会とはまた少し性質を異にしていたものになっていたということでもあるのだろう。相国寺は、足利義満の菩提寺であるが、南禅寺や東福寺を別格として、足利幕府の庇護を受けた京都五山、鎌倉五山を中心とした臨済宗系が北朝系とするならば、曹洞宗、総持寺が南朝系として、それぞれに教線を拡大していったとも言えるのかもしれない。もちろん、臨済宗でも末寺の数が全国的に圧倒的に多い妙心寺派について考えてみる必要がある。妙心寺派の寺院は室町期の守護代系の武家が開基している寺院が相当に多い印象である。ならばやはり北朝系となる感じかも。今のところ、河内の楠木家子孫における浄土真宗寺院の展開を以前に...川口家と美作後南朝の繋がりについて

  • 楞厳呪・八句陀羅尼の期待効果について

    楞厳呪の第五会のみを地鎮、撥遣、また、八句陀羅尼を各祈祷等において読誦する場合がありますが、仏頂百傘蓋尊は、仏母・女尊で、護法、守護の力が強大とされており、障りを除いてくれる者として、特に八句陀羅尼を含む第五会が仏頂百傘蓋尊の主要陀羅尼であり、やはり、障りを除く効果、加持を期待して、となるのではないだろうか。当然に災いを防ぐ祈願となる陀羅尼である消災呪との併用も目立つのである。更に、楞厳呪は反呪詛、つまり、呪詛返しの力が強いともされているため、より守護の意味合いでも重用されたのでもあるのでしょう。そう言えば観音経にも呪詛返しの文言がありますね。また、禅宗で楞厳呪と共に特に読誦するお経は、大悲心陀羅尼(大悲呪)である。観音菩薩の守護、加持を頂くための陀羅尼となるが、楞厳呪ほどの強烈な文言はなく、どちらかと言...楞厳呪・八句陀羅尼の期待効果について

  • 首楞厳三昧経と楞厳経について

    首楞厳三昧経と楞厳経とは別物です。楞厳経は、正式には大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経となります。首楞厳三昧経は、首楞厳三昧についての内容を説くものであります。楞厳経が、禅定の完成へ向けた功徳を説く一方で、首楞厳三昧経は、首楞厳三昧そのもの自体とはどのようなものであるのかを説いているだけなのである。つまり、首楞厳三昧へ至るためにどうするべきであるのかの中身、内容について具体的なものは乏しく、十地の菩薩でしか成し得ない三昧であるとして、要は修行者向けの実践解説ではないということが言えるのであります。そのため、禅宗ではあまり重視されるものとはならず、禅定の完成へ向けて役立つとされた楞厳経の方が重用されることになったわけです。ちなみに、楞厳経は、チベットには仏頂大百傘蓋陀羅尼経として伝わっており、楞厳経の...首楞厳三昧経と楞厳経について

  • 浄土真宗と曹洞宗と三昧について

    海、舟の喩えが多用されるのは、海印三昧、般舟三昧など、初期浄土教経典にもやはり由来しているのであろう。大智度論にも多い。三昧、念仏→往生、見仏という三昧行、念仏行のあり方を、念仏→法性(仏性)往生としたのが、親鸞聖人であると言える。ならば、道元禅師の坐禅→見仏、坐禅→仏性とも、要は似通った論理とも言える。もちろん、他力と自力での歴然とした差はあるが、、法友の愁いにそんなことを考えた朝である。生死の苦海ほとりなしひさしくしづめるわれらをば弥陀弘誓のふねのみぞのせてかならずわたしける浄土真宗と曹洞宗と三昧について

  • 禅宗と法華懺法と三昧行について

    禅宗と法華懺法が結びつかないと思われがちだが、常行三昧行は、天台摩訶止観に由来し、三昧行の狙いは、見仏(→授記)にあります。念仏三昧行も見仏(→授記)を目的とするわけである。つまり、三昧行は、止観、禅定の完成へ向けた行であると共に、見仏、実質的には、往生へ向かうための補完と言えるわけであります。法華懺法が彌陀念仏とセットになるのも、やはり見仏、往生のためとなります。臨済宗が、浄土教と近接した関係となり、在家葬送において引導を極楽とするのも、この台密の法華懺法の影響が考えられるわけであります。しかし、一方で、臨済宗は見性、つまり、如来蔵の見性を目的とする己事究明に止観の主眼を置くのでもあります。要は、止観、禅定は、見仏を自分自身の如来蔵へと向けて行うと言い得るものとなり、阿弥陀如来や弥勒菩薩、他の如来、菩薩...禅宗と法華懺法と三昧行について

  • 栄西禅師が定めた日常勤行について

    栄西禅師が定めた日常勤行にて早い段階から建仁寺では、南宋の禅林と同様に、朝課、楞厳呪・回向昼課、楞厳呪・回向晩課、安楽行・法華三昧・極楽誓願真言・止観の修学坐禅、寅申巳亥(午前3時~5時、午前9時~11時、午後3時~5時、午後21時~23時)と定め置かれている。晩課の内容が少し不明だが、天台・延暦寺で行われていた法華懺法・弥陀念仏が想定される。今の臨済宗では、法華懺法の名残は全くない。法華経となれば、毎日、観音経を読誦するぐらいである。真言を修学の対象としていたのは驚きである。もちろん、今の臨済宗では僧堂において真言、梵字、密教を学ぶことはまずない。止観については、天台摩訶止観を学んでいた可能性が高いが、これも今の臨済宗ではまず学ぶことはない。現在の僧堂で「学ぶ」こととなれば、各法事の作法、所作はもちろん...栄西禅師が定めた日常勤行について

  • 葬儀における献茶・献湯について

    この前、市外での公益社さんの会館で葬儀導師をお勤めさせて頂いた際に、他の葬儀社では最近、霊前へのお供えで見られなかった献茶、献湯がきっちりとあった。入龕、龕前、鎖龕、起龕、山頭に次いで、本来であれば、献茶、献湯を行って、秉炬佛事に入る。一般葬送において、葬儀会館では、献茶、献湯は役僧不足や準備の関係からも省略されることが大半であり、拙生もそうである。また、事前に会館への指示で、葬儀式では、霊前に献茶、献湯をお供えしておいてほしいということも今までは無かったのである。本来は別れの贐のため重要なものであるだけに、公益社さんの配慮を見て、改めて考えさせられることになった。恐らくは、定型のお供えとなっているのか、昔に導師からの指示で、それが通例となったのではないかと思われるのである。やはり、老舗の経験による差が出...葬儀における献茶・献湯について

  • 総持寺(能登・祖院)と加賀藩・前田家と南朝について

    総持寺を庇護した加賀藩、前田家は、もちろん、南朝である。そのため、南朝勅願所である総持寺を厚く庇護するのは当然であったわけなのである。前田家は、菅原道真を祖とする美作菅一族の出自であり、美作菅党は、後醍醐帝に従った一族で、室町時代、山名教清によって美作に入ることになった小倉宮良泰の子、尊義親王、尊秀親王に仕えることにもなり、以後、美作後南朝を支えることになるのである。その菅党から、やがて尾張へと移り、織田信長の家臣となったのが、前田利家である。前田利家は、豊臣政権の五大老にあり、当然に、利家の子、利長は、豊臣秀頼の後見と目されていたものの、利家の死後は徳川家康に協力することになり、関ヶ原の戦いでは、当然に南朝勢力である東軍に味方することになるのである。また、利長の次に藩主となった利常が、家光に警戒された背...総持寺(能登・祖院)と加賀藩・前田家と南朝について

  • 臨済宗と曹洞宗における台密・密教の影響について

    初期臨済宗で楞厳呪がどのように誦されていたのかを調べてみたが、最後の偈頌、八句陀羅尼は見当たるが、全会が読誦されていたかどうかは今のところまだ分からない。結局、修法の中心は、やはり台密法式である。つまり、台密に禅を中心と置くか、禅に台密を補完するか、であって、栄西禅師の台密葉上流(建仁寺流)、栄朝流が、初期臨済宗では主流であったようだ。九条道家開基、円爾禅師により臨済宗に改宗した往生院も、円爾禅師の流れとなることから、台密栄朝流による修法が中心となっていたと推測できることになる。ならば、唐招提寺に伝わった往生院にあった鎌倉期の戒体箱は、もしかしたら、この時に円爾により調えられたものであるのかもしれない。これは新しい考証となりそうである。栄西禅師から学んだ覚心禅師が三時勤行を定めているが、仏頂尊勝陀羅尼、宝...臨済宗と曹洞宗における台密・密教の影響について

  • 禅宗で楞厳呪を読誦する理由について

    禅宗では、釈尊に関する法会や主要行事において、真言、陀羅尼である楞厳呪を多用して誦すわけですが、その理由についてはあまり知られていない。一番には、もちろん、修行増進のためとなる。特に、禅定の三昧の完成へ向けてである。だから、禅宗で重用されることになったわけであります。要は、正しい持戒と正しい禅定により、正しい智慧の完成へと向かうためということになり、その障りとなるものを排除し、如来のお加持を頂くために修するのである。その如来のお加持には、悟りへと向けた見仏と授記の利益を得ることも当然に含んであるわけです。短く、最後の偈頌、「オンオノリー〜」のみを唱える場合もありますが、本来は、大悲呪もそうであるが、本格的に修する場合、密教と同様に曼荼羅道場を設け、結界を布いて、儀軌どおりに、全体を三週間かけて、何万回と唱...禅宗で楞厳呪を読誦する理由について

  • 葬儀における引導について・秉炬仏事・法炬・下炬について

    昔の葬儀における引導は、火葬場の龕前堂にて行われていたのであろう。入龕念誦、龕前念誦、鎖龕念誦、起龕念誦、山頭念誦→葬列、龕前堂へと移動→法語、引導(法炬投下)→下炬(火葬)が、本来の正式な流れであったのだろう。山頭念誦はまさに別れの表白であるから、出棺の贐となるわけである。「〜茶三点を傾け、香一炉に焚いて、雲程に送り奉りて〜」現代では、法語の前に法炬、下炬があるということは、もともとは、火葬点火後→引導法語ということであったのかもしれない。いや、黄檗引導の故事は、引導法語→法炬投下だったであろうか?法炬投下→引導法語だったか?法炬投下→引導法語→下炬または、引導法語→法炬投下→下炬が正しいことになるのかもしれない。つまり、松明は二回使わねばならないということなる。ならば、二つ用意して、一つは投下、もう一...葬儀における引導について・秉炬仏事・法炬・下炬について

  • 近世公家(鷹司家)の葬儀の流れ・満中陰まで

    近世公家(鷹司家)の葬送の記録がなかなか興味深い。鷹司兼煕公の葬儀、満中陰までの記録がある。戒名、院号(通例、戒名は天皇、摂関家は院号のみ)を三宝院に頼むも、突き返して、自分たち(身内に僧侶関係も多い)で(心空華院と)付けている。20日に亡くなって、23日に通夜、入棺。24日に出棺。25日〜27日は、そのまま二尊院に安置されていたのだろう。28日に送葬行列とあるが、実質、引導、焼香とあるため、葬儀が28日であることがわかる。死後1週間後である。龕前堂は火葬場にある建物であり、火葬場への送葬後、龕前堂にて葬儀が営まれる感じであったのだろう。火葬、収骨を終えて戻り(二尊院)、七ヵ日法事が勤められている。七ヵ日法事は、七日間、毎日勤めるものであるようだ。七ヵ日法事とはどのような法事であったのだろうか。そして、初...近世公家(鷹司家)の葬儀の流れ・満中陰まで

  • 葬儀・葬式、弔いのあり方について

    最近、お葬儀を新興の葬儀社さんのところにてお勤めすることが多くなってきているが、やはり、老舗の方が、細かい配慮が行き届いていると感じることが多々である。特に、公益社さんは、老舗の中でもそのように感じることがある。もちろん、それぞれの会館でのスタッフさんの器量、質次第ということにもなるが・・個々人の経験、意識の差で、かなりの開きがあると感じる・・新興のところは、都度都度での(寄せ集め)チームみたいなカタチとなり、ギリギリで人を回しているようなところもあるから、常に何だか余裕がないように感じる・・「弔い」が確りとできるかどうかは、亡くなった方自身にとってはもちろんのこと、遺族にとっても大切なものとなる。取り返しの付かないことであるため、「悔い」の残るようなものとなってはいけない。今や、葬儀は、簡素化、省略化の...葬儀・葬式、弔いのあり方について

  • 護良親王の最期・・

    今回は護良親王を取り上げて頂けている。護良(もりよし)親王と楠木正成は互いに信頼し合っていた憂国の同志。足利尊氏による後醍醐帝への策略諫言に騙されて護良親王は追い落とされてしまう。同時に楠木正成は全ての官職を辞任して抗議の意を示すが、後醍醐帝との信頼関係にも大きなヒビが入る。足利尊氏が再起を図り京へ向けて侵攻を開始。楠木正成には十分に尊氏の侵攻を止める策略があったが、後醍醐帝に採用されず、不仲であった新田義貞と共に楠木正成は湊川で不利な戦いに挑み、壮絶な最期を遂げるのである。誠に無念である。護良親王の最期・・

  • 南木会趣意書の意義は大きい

    江戸時代の往生院の歴史で、幕府からではなくて、松平信平の個人からの朱印拝領が明らかになったのは本当に大きい。また、大きな銅製の仏像があったことは初めて知った。江戸時代の往生院の歴史は、檀家総代であった池島村の庄屋、富家家の古文書に詳しくあったはずながら、明治期の寺院をめぐる混乱で散逸、滅却したようである。だから、江戸期の歴史も断片を他の資料から知るだけで、詳しくは分からないのである。地租改正による上知令での寺領没収に、神道国教化に伴う神仏分離令による廃仏毀釈、これらにより往生院も寺院放棄の波が押し寄せたのであろう…本尊など木製の仏像や仏具などの売却は免れたが、金属製の仏像や仏具は、ことごとく売り払われたことが記されてある。大きな銅の仏像の全容も謎である。しかし、なんとも罰当たりなことではあるが、そのような...南木会趣意書の意義は大きい

  • 葬儀での引導法語について

    随分前に聞かれたことに、引導法語について、どう組み立てるのか、であるが、その一定のあり方、形式は決まったものがあるわけではないとは思う。当然に宗派によっても異なるし、日蓮宗さんや真言宗さんは長文丁寧であると感心することがある。一方、臨済、曹洞は、漢文調を好み、簡素と言えば簡素である。特に僧侶の葬儀では、法語を七言絶句のみを調える場合がある。平仄式(ひょうそくしき)で、平字、仄字、平仄外字とルールがあり、また、起承結では七文字目を韻で踏まないといけない。在家でも正式な葬儀法語となると、偈頌、法名、腹句、一字関、落句となるが、最近ではそこまで調えられることはあまり無くなってしまっているように思う。わかりやすく、書き下しで、現代語で、簡潔に、となりつつあるだろう。もちろん、一から全てを調えるのは、並大抵ではない...葬儀での引導法語について

  • 「新しい領解文」騒動、現総局の情けない他人事感・・

    最後に公文名総務のあいさつでは、「SNS時代で誤情報がすぐに広がっていく。それがまるで真実であるかのように受け取られる。混乱の原因はそのようなところにあると思う。某新聞でも、ちゃんと確証をせずに情報を載せていたものも多々あったのではないかと思っている。」という意を述べました。反対、混乱をネットや某新聞のせいにしている時点で、まだ他人事みたいなのが、本当に呆れる。どう取り繕おうとしても、間違いは、間違いであり、門主、前総長、前総局の間違い、責任であろう。かの大恥論文もまだ配布しているとは、呆れを通り越して、もうウケる。まあ、上記の他人事のように、本人たちは、宗派のお金で地方を回って、泊まって、温泉入って、美味しいものが食べれてラッキーとか程度な感じでもあるのだろう。まるで親鸞聖人への申し訳ないという気持ち、...「新しい領解文」騒動、現総局の情けない他人事感・・

  • 川口蓮海(怒濤・宏)文学と往生院

    泉南の大雄寺近くに居を構えていた際には、このエピソードを鑑みると浄土宗に傾向していたことが窺える。浄土宗大雄寺の住職であった豊島妙澄尼の娘と再婚し、そして、やがて不思議にも往生院入寺の話が来ることになる。やはり、川口家が南朝ゆかりにあったことからであろうか。その前にいた久米田寺は、もちろん南朝ど真ん中の一つではあったが、、新聞社を辞めた後は、文筆家として放浪されることになるが、往生院入寺まで、南朝について意識されていた節はほとんどなさそうである。もしあれば、著作において必ず何か触れているであろうからだ。どうもそれはないみたいである。しかし、先祖の因縁からなのであろうか。南朝ゆかりを転々とされていたようにも思える。大雄寺もすぐ近くの地名に楠畑とあるように楠木家の所領地の一つであったのであろう。楠木正成の家臣...川口蓮海(怒濤・宏)文学と往生院

  • 浄土教の基本となる考え方と浄土真宗について

    先のポストの続きとして・・信心(領解)の度合いは、やはり個々人それぞれで当然に様々となります。また、彌陀の救いは平等に垂れられてあるものですが、何をもって救いとするのかも問われるところとなります。見仏と授記、大乗仏教ではこの二点が、悟り、涅槃へと向けての必須となります。如来の救いとは、この二点を我々が頂く、頂けることを意味するものと考えることができます。(浄土教では、如来在世となる阿弥陀如来の浄土にて、阿弥陀如来との見仏と阿弥陀如来からの授記を頂くために、極楽への往生を目指すという教えが基本となります。)阿弥陀如来の極楽世界も一仏国土として膨大で、三千大千世界を有しており、報土、化土、穢土等も有するところとなりますが、如来在世であるため、見仏と授記は可となってあると言える世界であり、穢土上であっても応身の...浄土教の基本となる考え方と浄土真宗について

  • 浄土真宗における本願疑心について

    本願疑心は、当然に信心獲得、信心決定していないわけであるから、浄土真宗の(目指すべき)往生(先)からは外れるものとなる。問題は、では「弥陀の救い」は、疑心者に頂けなくなるものかどうかである。このあたりは非常に微妙な問題となる。拙生は、弥陀の救いは、誰にも平等に頂けるものであるが、その本願を受けるこちら側のありようにおいて、その救いのありよう、救いの度合いも当然に異なるものになる、というのが拙見解となります。要は、往生先が異なるということです。法界・法海、報土、化土・応土、穢土、諸々の天界、その他の浄土などと。親鸞聖人の目的とされる往生先は、上記の中でも特に最上となる法界・法海(真実報土)を想定されておられるものと言えます。本願疑心は、その想定先(の往生)からは外れてしまうと考えると良いのではないかと思うわ...浄土真宗における本願疑心について

  • 「新しい領解文」の功罪・・

    とにかく、「新しい領解文」を改悔批判で使用したという汚名は、もう歴史から消せない事実となって残ってしまうことになってしまった・・拙生としてはそれだけは何としても止めねばと、12月にできるだけのことで最後にしたのではあったが、虚しくも力及ばずであった。親鸞聖人に大変申し訳ないと拙寺のご自作坐像に平身低頭三拝九拝である・・いずれにしても、西本願寺・本願寺派は大恥、汚辱を歴史に刻んでしまったわけである。江戸期の異安心、惑乱ならば、世間に対してのイメージとしてはさほどの影響はなく、また世間もそんなに関心なかったことであったろうが、現代のネット時代、ニュースは世界中の隅から隅に行き渡り、更にデジタルデータとして消されずに残るだけに、もはやそのマイナスイメージは江戸期とは比にならない計り知れないものであるだろう・・「新しい領解文」の功罪・・

  • 往生院、先々代、川口蓮海(宏・怒濤)について

    往生院、先先代、川口蓮海(宏・怒濤)はいわゆる秀才である。寺史にまとめられてある来歴は墓誌に刻まれてあるのとは若干異なるところもあるが、桁違いな文才があったことがとにかく分かる。小説、童話、または戯曲まで、幅広い執筆活動である。戦後にその著書群を顧みる者がなかったため、いまだ世に埋もれたままとなってしまっている。お寺のどこかには、元原稿や印刷物などが保管されてはあるのだろうが、敢えて本格的に調べないと出てこないだろう、、いずれ私が調べ出して、全集として発行してみるのも良いのかもしれないが、、その中でも仏教小説にはかなり興味がある。一覧は大正12年までのものだが、昭和初期の「輪廻」という長編宗教小説は特に高い評価を受けていたようだ。晩年は、時代の流れに抗えずに楠公道場、菊水寮での錬成、学童疎開受け入れに精魂...往生院、先々代、川口蓮海(宏・怒濤)について

  • 四條縄手の合戦について

    先先代が、陸軍少尉に頼み、四條縄手の合戦について考察してもらっている。言わば、戦闘のプロに頼んだわけである。陸軍幹部から見ても、四條畷市の四條畷付近が本戦地であったとは考えにくいと思われている。特に陣容図にあるように、拙生は、佐々木道誉軍が、暗峠から侵攻してきているのに、大軍が控えてある野崎付近まで前線を伸ばせるわけがないと考えるのである。上四条が最大の激戦になったのは、鷲尾山城、興法寺砦、慈光寺砦、古神感寺城と落とされてしまい、とにかく、砂山城、客坊城、往生院城は死守せねばと正行軍が奮戦したからである。丁度、上四条一帯が、暗峠から下ってきた佐々木道誉軍を向かえ討つ防衛の最前線となったのである。上四条が、砂山城、客坊城、往生院城の中間点でもある。だから、そこから人骨、武具等が大量に出土しているのである。も...四條縄手の合戦について

  • 松平信平公と徳川家との関係について

    南木会の趣意書は、前にも一通り読んだつもりになっていたが、その際には「信平」の名前に注目することはなく、鷹司信房により再興されたが、明治には廃仏毀釈で、当時の政譽住職が大変な目にあっていたのだな程度であった。数日前というか、前日のこの考察がなければ、また見過ごしていたかもしれない。信平は、家光の正室、鷹司孝子が姉にいたことから、幕府において旗本として取り立てられるところとなっている。妻は、徳川頼宣の娘である。家光は、徳川頼宣や松平忠輝など、家康の子どもらが美作後南朝支持者にあることは重々に知っていた上で、30万の兵をもって上洛し、後水尾天皇から譲位を受けた美作後南朝高仁天皇を廃位させ、明正天皇を即位させたのである。信平の父、信房が、信長と共に、南朝支持者となっていたことは、信房が往生院後中興開基になったこ...松平信平公と徳川家との関係について

  • 毎月5日・小楠公月忌・四條縄手の合戦について

    5日、小楠公月忌旧暦なら四條縄手の合戦は、丁度この頃になる。一番寒い時分である。松平信平公、ちゃんと毎月供養滞りなくお勤めしておりますよ。もう拙生で休まず25年以上になります。しかし、南木会趣意書を読むと、四條縄手の合戦は、今の四條畷市の四條畷神社付近ではなく、河内六万寺村の四條、縄手であると、何度も強く訴えている。まあ、当時、あの辺りは北朝勢力圏であり、そこまで僅かな手勢で攻め寄せることはまずあり得ない。今の水走、石切神社、枚岡神社附近までが南朝の防衛勢力圏だったのである。普通に考えれば、本陣の往生院から、北朝勢力圏のあそこまでたどり着けるわけはないのである。Wikipediaの四條畷の合戦の説明は、あまりにも主張が偏り過ぎている。かなり意図的でもあるのだろう。楠木正行公の胴塚も、鷹司信房公がその荒廃ぶ...毎月5日・小楠公月忌・四條縄手の合戦について

  • 大発見!! 鷹司松平家・松平信平と往生院との繋がりと美作後南朝について

    まてよ、、よく読めば、鷹司信房の子、鷹司松平家の「松平信平」の名が、、きた!後南朝と繋がる。信平の妻は、紀伊徳川家、徳川頼宣の娘。頼宣は、もちろん、美作後南朝(影の)後見者。慶安事件、承応事件の(影の)首謀者。その信平が、往生院に、楠木正行のお墓をしっかりと祀り供養するようにと、永世壹百拾參石の朱印を与えている。往生院歴史にあった幕府より授かった朱印とは、この信平からであったのだ。ちゃんと読まないと。繋がったか。信平の子、信政の妻は、美作津山藩、森長継の娘、大姫である。松平信平と往生院、そして、美作後南朝がここで繋がるのである。更に精査しないと。・・100石が今の1000万ぐらいの価値だから、年1000万ほどを永世に保証されたということである。それも松平信平の加増された禄からのようである。つまり、信平のど...大発見!!鷹司松平家・松平信平と往生院との繋がりと美作後南朝について

  • 明治期の往生院・南木会・鷹司煕通との関係について

    次に、明治になり往生院の歴史に登場することになる鷹司煕通のことであるが、楠木正行の墓所を本格的に整備して、陵墓とする計画が突如として沸き起こるのであります。南木会の創設であり、その会長に鷹司煕通がなります。明治時代の往生院は、廃仏毀釈の影響もあって不安定な中、無住となったりしており、すっかりと本堂は老朽化著しく、境内も荒れ果ててしまいます。大正14年に川口蓮海が入寺するまで、一時、村の管理となりました。そのような中で、ある意味、寺運に恵まれるような話が突然に起きるわけです。小楠公墓所整備と共に、お寺の再興もと。しかし、この南木会は結局、頓挫してしまうことになります。まあ、もしも話が進んでいたならば、現在の四條畷神社と同様の神社となっていた可能性もあったわけです。小楠公神社の一角のお寺になるという感じです。...明治期の往生院・南木会・鷹司煕通との関係について

  • 楠木正成公、正行公の戒名について

    拙寺の楠木正行公のお墓は胴塚に建てられてある五輪塔になるが、五輪塔には残念ながら銘は確認されていない。もちろん、その台座下に経筒があり、経文や五輪塔建立由来などが納められてある可能性は高いが、いまさら確認などはできない。隣には、江戸初期、鷹司信房開基、後中興浄泉和尚開山の浄土宗往生院成立の際に、楠木正成の供養塔が板碑で建立されており、その銘には、位牌と同様に、「雲光寺大円義龍居士」と彫られてあることが確認できる。となれば、楠木正行の戒名も本堂に祀られてある位牌のとおりの内容として供養されていたのだろう。現在、毎月5日に供養しているのも、この位牌の戒名にてである。正行の他のお墓で、首塚となる宝篋院の五輪塔には、梵字以外には銘がなく、戒名は確認できない。他にも幾つか正行のお墓と伝わるものもあるが、戒名は確認で...楠木正成公、正行公の戒名について

  • 鷹司信房と美作後南朝について

    少し前の考察で、美作後南朝における高仁天皇に関して、後水尾天皇譲位→高仁天皇即位→家光介入→即廃位→明正天皇即位における経緯もそうだが、「本能寺の変」にて、二条御所にいたのが、美作後南朝の「尊道親王」であったとした説も挙げましたが、これらのことを朝廷内にて最も知れていた人物こそが、何よりも鷹司信房であったわけです。そもそも、二条家から鷹司家の養子に入るように促したのが、信長で、信の字を与えられるほどに信認が厚かったのが、信房であったわけです。余談ながら二条御所も、二条家の屋敷を信長が改修したものであります。信長が二条家とも深い結びつきにあったことが窺えます。信房は、正親町天皇、後陽成天皇と仕えるわけですが、93歳まで高齢ながら権威を長らく保っていました。往生院の再興開基となったのも最晩年になります。その再...鷹司信房と美作後南朝について

  • 天皇の戒名と公家の戒名について(本地の菩提寺ではない場合)

    天皇の戒名は、本地の菩提寺ではない場合、基本的には神儀であるため、戒名をお祀りする場合は、基本は院号のみとなっている。後陽成院、後光明院と、拙寺では二柱のみ現存してある。また、皇后も院号のみであることが分かる。中和門院は、後陽成天皇の皇后、近衛前子である。一方の摂関家では、本地の菩提寺ではない場合、院殿、最終の官位、殿下となっている。(拙寺は、九条家、鷹司家の菩提寺ではあったが、本地の菩提寺ではない)鷹司信房公も後法音院殿従一位殿下となっている。このあたりの違いや、僧侶の戒名の違いなどを調べるとある一定の形式のあることがわかる。僧侶の場合など位号が、和尚、大和尚、大徳、僧正、大僧正など色々であり、宗派によっても位号が様々である。天皇の戒名と公家の戒名について(本地の菩提寺ではない場合)

  • 楠木正成公、楠木正行公の戒名について

    ちなみに、楠木正成、楠木正行の戒名には諸説あるが、正成の「大圓義龍」と正行の「雲山升龍」はほぼ同じであるものの、院号が違うことがある。正成の「雲光寺」が「霊光寺」、正行の「大光寺」が「文光寺」だったり、更には、寺が院であったり、または、道号の雲が霊であったりと、、あるいは、殿がつけられてある場合なども。居士が、卍堂、仏海、仙海なども。卍堂は意外である。拙寺の位牌は江戸前期であると思われるため、オリジナルとは言えないかもしれないが、戒名の変遷を調べてみると案外面白いのかもしれない。例えば、墓石に彫られてある戒名からの写しまちがいで、霊が雲になったとか、文が大になったとか、普通にありえそうだ。楠木正成公、楠木正行公の戒名について

  • 後南朝・小倉宮家の御供養

    昨日にポストを見られた方から、小倉宮家の御供養をお願いしますと、岡山のとある方から。ならば、南朝、後南朝も改めて御供養することに致します。後南朝・小倉宮家の御供養

  • 「天台宗の寺で性暴力被害」音声テープの内容と親鸞聖人の「夢告女犯偈」について

    「天台宗の寺で性暴力被害」尼僧が僧侶と大阿闍梨の懲戒申し立てhttps://www.asahi.com/articles/ASS105CY4S10UTIL00W.html音声テープの内容は、親鸞聖人の夢告女犯偈「行者宿報設女犯我成玉女身被犯一生之間能荘厳臨終引導生極楽」を僧侶A(大阿闍梨Bではなく、大阿闍梨の弟子)が援用して、観音菩薩の代わりとなって、性の悩みで訪れる者(僧侶)たちとエッチしてあげなさいと述べているものではないかと、、そんなむちゃくちゃな、、親鸞聖人は、もう往生が予定されたレベルにまで境地、信心が至られてあったからこその夢告であると解されてあり、そこまでに至れてない僧侶はもちろん、簡単に破戒が許されるものではなく、ましてや、菩薩の境地にもない普通の者、尼僧に、観音菩薩の代わりになって、僧侶...「天台宗の寺で性暴力被害」音声テープの内容と親鸞聖人の「夢告女犯偈」について

  • 「天台宗の寺で性暴力被害」 尼僧が僧侶と大阿闍梨の懲戒申し立て

    千日回峰行を成満されたからといって、周りが何か特別であるかのように神格化するのは愚かなことであり、また、その神格化に惑わされてもいけない。天台宗の高僧が、アドヴァイタ、ノンデュアリティに利用されていた例もある。「新しい領解文」も結局はアドヴァイタ、ノンデュアリティに利用された一つの現れであるとみている。共通しているのは、無知である。仏教の基本を学んでいない無知ということもあるが、間違った空の解釈を根拠として、仏も凡夫も、悟りも煩悩も同一、同列に扱う愚である。もう一つは、同じく間違った空の解釈を根拠として、一切は幻なるものとして、煩悩も悪業も関係ない、もともと無いなどと始末する愚である。浄土真宗の正しい信心のあり方を蝕む「新しい領解文」は、見真大師の御影に泥を塗ったが、天台宗、伝教大師の御影に汚い泥を塗った...「天台宗の寺で性暴力被害」尼僧が僧侶と大阿闍梨の懲戒申し立て

  • まだ配布しているとか・・満井論文・・

    大きな間違いを晒しておきながらも「議論の余地なし」と大恥の満井論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』、桂紹隆先生にちゃんと謝罪して、当然に配布も辞めているのかと思っていたが、まだ配布しているとは・・他の勧学や総合研究所のこれまでの功績をも著しく貶める愚行中の愚行・・誰か本当に早く気づかせてあげてほしいものです・・哀れすぎる・・まだ配布しているとか・・満井論文・・

  • 往生院金堂跡・ご歴代尊位並びに中世戦乱犠牲者御供養

    朝から往生院金堂跡へ、ご供養に赴いた。五輪塔の破片と思わしき石群を住職にも確認してもらい、加工の跡、断片等から間違いなく五輪塔の一部であるとして、幾つかを現在の歴代供養塔のところにお祀りして、今後供養していくことになった。一帯を掘れば、おそらくもっと断片も出てくるであろうが、大阪府史跡指定地、埋蔵文化財包蔵地であることから、勝手に掘ることは当然にできない。(地権者には、露出してある瓦、石等は資料として提供を頂ける許可を頂いている。)やはり、この五輪塔は、安助上人をはじめとした歴代尊位の供養塔であった可能性が高く、このことを(中興五代目・浄興和尚から)教えて頂いたのだと思われるのである。そして、このあたりは、金堂裏における墓域として、中世戦乱犠牲者方の埋葬、供養もされてあった場所だと考えられるのである。前回...往生院金堂跡・ご歴代尊位並びに中世戦乱犠牲者御供養

  • 閑院宮家の創設と美作後南朝の小倉宮家廃絶とは密接な繋がりがある

    先ほどのポストの湛如上人の室が、閑院宮直仁親王の長女・始宮であるが、この閑院宮家の創設には、実は、美作後南朝の小倉宮家廃絶とも密接な繋がりがあるのである。徳川幕府は、慶安事件、承応事件、明暦の大火を受けて、後南朝勢力の恐ろしさを目の当たりにしたことから、綱吉の代にての改易の嵐にて津山藩森家を筆頭として南朝勢力を徹底的に追い落とすと共に、いよいよ小倉宮家を廃絶させ、代わりに親幕府であった東山天皇の流れとなる閑院宮家を創って、没収した小倉宮家の財産をそのまま新しい宮家に充てたとされています。閑院宮家は、言わば幕府直属の宮家なのであり、以後、朝幕関係の緩衝を担うことになるのである。そのため、幕府により閑院宮家から天皇となった光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇は、当然に親幕府よりであったわけです。結局のところ、維新派に...閑院宮家の創設と美作後南朝の小倉宮家廃絶とは密接な繋がりがある

  • 安助上人以降、江戸期(後中興)までの入寺の僧侶について

    明日に往生院金堂跡へ供養に赴くにあたって、慎重を期すために、お出ましになられた第五代とされる浄興さんについて資料等を改めて調べてみるが、もちろん、どこにもそのお名前は見当たらない。安助上人以降、江戸期までにおける寺史上にお名前のある方の位牌は、新しくして祀られあるのが四柱。安助上人、東福寺開山の円爾禅師(臨済宗往生院の整備来山)、夢窓疎石の弟子、黙庵禅師、そして、熊王丸こと正寛法師である。あとはこれも新しいものになるが、歴代を供養するための笠塔婆供養塔、宝篋印塔、五輪塔、どこを調べてもお名前はない。念のために江戸期の無縫塔、位牌も調べたが、もちろんない。ただ、先代は、正寛法師を中興第四世としている。ならば、その次の方となるのかもしれない。とにかく、正寛法師のあとの方になるとみてよいのだろう。とすれば、室町...安助上人以降、江戸期(後中興)までの入寺の僧侶について

  • 西本願寺・本願寺派16世・湛如上人の一説ご自害の裏について

    西本願寺・本願寺派16世・湛如上人の一説ご自害の裏についても、拙生は額面どおりには捉えていない。理由としては、皇家から降嫁(閑院宮直仁親王の長女・始宮)を受けているわけであり、その相手方である湛如上人を自害に追い込むことはあり得ないと思うのである。皇家に対する不敬にもなるわけで、門跡寺院でもあったのだから、尚、おかしいと思うのである。また、病気平癒を室が神祇祈願したためという理由だけで、日渓法霖和上・能化(勧学)が、室にではなく、門主に自害を勧めたというのもやや行き過ぎ感が否めない。日渓法霖和上・能化は、室を責めたが、その室の代わりに責めを負って、病気が重いこともあり、自らで自害したというのが本当のところではないだろうか。湛如上人に異安心があったとはやはり思われないのである。能化は室を責めたものの、門主が...西本願寺・本願寺派16世・湛如上人の一説ご自害の裏について

  • 御開山・安助上人以降、江戸期までの歴代尊位の供養について

    明日に往生院金堂跡へ供養に赴くにあたって、慎重を期すために、お出ましになられた第五代とされる浄興さんについて資料等を改めて調べてみるが、もちろん、どこにもそのお名前は見当たらない。安助上人以降、江戸期までにおける寺史上にお名前のある方の位牌は、新しくして祀られあるのが四柱。安助上人、東福寺開山の円爾禅師(臨済宗往生院の整備来山)、夢窓疎石の弟子、黙庵禅師、そして、熊王丸こと正寛法師である。あとはこれも新しいものになるが、歴代を供養するための笠塔婆供養塔、宝篋印塔、五輪塔、どこを調べてもお名前はない。念のために江戸期の無縫塔、位牌も調べたが、もちろんない。ただ、先代は、正寛法師を中興第四世としている。ならば、その次の方となるのかもしれない。とにかく、正寛法師のあとの方になるとみてよいのだろう。とすれば、室町...御開山・安助上人以降、江戸期までの歴代尊位の供養について

  • 南北朝時代以降、不可解な歴史のエアポケットには、間違いなく美作後南朝が至るところに絡んである

    ちなみに、「承応の変」で捕まった戸次一党の詮議においては、紀州藩(徳川頼宣)、尾張藩(徳川光友)、岡山藩(池田光政)、鳥取藩(池田光仲)と共謀して謀反を企てていたとして、特に池田光政を筆頭としての幕府転覆計画であったと暴露されているものの、証拠も不十分で、結局は徳川頼宣の蟄居継続以外、目立ったお咎めはなしとなっています。もちろん、この背後に美作後南朝朝廷の存在があることは容易に想像できるわけであります。池田光政が筆頭と挙げられたのも、何も偶然ではなく、池田光政が楠木家(正行)の子孫として、南朝方全体に認識されていたからであります。悲願の後南朝・高仁天皇の再即位(一回目の即位はもちろん歴史上から抹殺されている)へと向けた明らかな動きが、慶安の変、承応の変、明暦の大火であったわけです。このように色々とその痕跡...南北朝時代以降、不可解な歴史のエアポケットには、間違いなく美作後南朝が至るところに絡んである

  • 「慶安事件」・「承応事件」・「明暦の大火」と美作後南朝について

    由比正雪の乱後の残党による反乱蜂起が、「明暦の大火」であると述べたわけですが、もともとの未遂に終わった由比正雪の乱である「慶安事件」は、ただ浪人たちの不満による蜂起の未遂と、日本史で習うのが、まあ、普通なわけである。「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/b09e1540fe4492e3fa8e23fb92eda29fしかし、由比正雪が橘姓を名乗り、楠木正辰創始の南木流軍学者で、南朝正統主張論者であったことまで習うことは、まずありません。そのため、背景を考えずに、ただ江戸に地方から集まった浪人の不平不満に応えて決起しただけと認識されてしまうのであります。しかし、実はそうではなく、美作後南朝の高仁天皇を天皇...「慶安事件」・「承応事件」・「明暦の大火」と美作後南朝について

  • 織田信長と本願寺、本能寺の変と南北朝の関係について

    少し前の考察から、私のところも南北朝時代、または室町時代に南朝方の武将が僧侶となって入寺されて、浄土真宗に改宗した寺院です、と複数の方から教えて頂いていた。やはりそんな寺院は、考察での推測どおりに案外多いのかもしれない。楠木家は、楠木正勝が本願寺派4世の善如から学びを受けているのは有名な話であり、本願寺派8世の蓮如の参謀であった浄賢は正勝の孫であったとも言われている。やはり、南朝勢力は生き残る術として、本願寺、浄土真宗に入り込むようになっていたとも言えるのである。河内において、楠木家の子孫が次々と浄土真宗の僧侶となって入寺したり、開山となったり、中興となったりしたのは、南朝の生き残りの一つの策であったのだろうとして考察したのが先の拙説だったが、河内以外でも多いとなれば、そういう向きが全国的にもあったのだろ...織田信長と本願寺、本能寺の変と南北朝の関係について

  • 「新しい領解文」問題に対しての浄土真宗他派の反応について

    浄土真宗は、特に近年のお東の大谷家お家騒動によることも新しいが、多くの分派がある。前に往生院関連年表でも示してあるとおりにいくつもの分派がある。http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.htmlしかし、不思議なのは、今回の西本願寺・本願寺派の「新しい領解文」問題に対して、明らかな異安心、異端になるにもかかわらず、お西の連枝方(親戚筋)もそうだが、他派の門主、門首、山主からの批判、忠告、諌言などの声が全く聞こえてこない。関心がないわけではないだろうが、不気味なほどである。他派不干渉の原則でもあるのだろうか?親鸞聖人の御教えが破壊されている、汚されてあるわけだから、黙ってられるわけもないとは思うのだが…まあ、元々は、特に江戸期となるが、本願...「新しい領解文」問題に対しての浄土真宗他派の反応について

  • 往生院金堂跡には、1/30に供養へと赴く予定

    往生院金堂跡には、1/30に供養へと赴く予定。この前のことから正直なところ恐怖心が強い。呼吸が浅くなり、意識も朦朧となり、あんなに恐ろしい目にあったのは、初めてのことだった。今まで霊感とか憑依とか、まあ、あまり自分には関係ないだろうとばかり思っていたが、マジかよ、という感じである。室町後期以降、元の地での再興がなされなかった理由もなんとなくわかる気がした。おそらく多くの戦乱横死者がそのままに眠ったままでもあるのだろう。そういえば、少し下ったところからも、南北朝時代、四条縄手の合戦における戦死者の遺骨や武具が大量に出土している。現在の霊光院さんのところであり、その経緯や慰霊碑が建てられている。http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage948.htmならば、本...往生院金堂跡には、1/30に供養へと赴く予定

  • 世俗の幸福を得ることが仏教の目的ではない

    世俗の幸福を得ることが仏教の目的ではない。仏教の目的は、出世間、勝義における悟り、涅槃を得ることであり、更に大乗仏教では衆生済度に資せるようになることである。浄土真宗も阿弥陀如来の往還相二種回向を当然に同じように捉えるわけである。しかし、新興宗教では、おおよそ、世俗的な幸福を得るためとして、その信仰、帰依、信心、勤めを勧める立場が多いが、仏教では逆に世俗的な幸福には真なる安らぎはないとして、出世間(解脱)の道を勧めるのである。もしも、本願寺代表役員、安永雄彦執行長が、世俗的な幸福を得るための目的として、教義を引いてきて使ってしまっていたとするならば、仏教的にも、浄土真宗的にも間違ったものであり、それこそ監正局に訴えられてしかるべきものとなるであろう。西本願寺・本願寺派は、かつて、異端として、小池龍之介氏を...世俗の幸福を得ることが仏教の目的ではない

  • 往生院金堂跡・歴代住職の墓域への供養と共に今後の向き合い方について

    とにかく、日を改めて、住職と共に、その歴代住職の墓域と思われるところへ供養に赴くと共に、五輪塔の一部と思わしき石の破片が、やはり五輪塔の一部であると確認できれば、現在の往生院の歴代のところに祀りて、毎月の供養を受けれるように調えるということで、話を進めることになった。いずれにしても、あの鬱蒼とした藪の中で、もう少なくとも五百年以上は、歴代尊位の供養としてのお経を、眠っておられるその場では頂けていなかったのは確かであるのだろう・・これまでの何度も赴いた調査の際でも、お経を上げずに、ただ調査だけをしていたのは本当に迂闊なことであった・・昨日も焼け焦げた瓦を手にとって、それを動画におさめていたが、いまだそのように兵火により焼け焦げたままの瓦や土塀がそのまま地面に残ってあるように、その場で亡くなった多くの者たちの...往生院金堂跡・歴代住職の墓域への供養と共に今後の向き合い方について

  • hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6

    hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6AIの回答、「慈悲」と「冥利」ということが、この文脈で出てくるのは、生身の人ではなかなか無理な気もする。そういう点では面白いが、やはり説得力としてはやや方向性が違うような気もする。「因果の教えと向き合う契機」とするのは、もちろんそのとおりなのではないかとは思う。質問「悪人は地獄で必ず裁かれますか?」https://hasunoha.jp/ai/q/15a98402d96426b8AIによる回答ご相談いただきありがとうございます。お考えになっていることについて心を開いていただけたこと、大変ありがたく思います。仏教における地獄という概念は、人がこの世で行った行いによって次の世で受けるとされる報いを象徴する教えですが、それは単なる報復や罰というよりは、因果の教え...hasunoha問答・AIとの回答対比シリーズ・6

  • 往生院金堂跡・探索動画

    これは往生院金堂跡に着いてからすぐに撮った動画。散在している瓦について述べている。まだまだ普通で、これから30分ほどしてから、あの事態となるのである、、・・これは往生院金堂跡の史跡指定の石碑。大阪府指定。まだ、到着してまもない時。もちろん元気。・・金堂跡の下で菜園をされている方々にもチラシを渡して協力を頂こうと考えていたが、配る前に退却となったものの、別の意味でもう教えてもらえたため全く必要なくなったのはよかった…・・今朝に往生院金堂跡に久しぶりに行ってきた。地権者にも了承をもらっており、その目的は、平安時代に往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔が必ず山内にあったはずでありながら、いまだ分からないままであり、そのおおよそのことを調べるために行ったのである。色々なお寺に行っていることから、だいたい歴代の...往生院金堂跡・探索動画

  • 往生院金堂跡に平安時代、往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔を探しに行ったら・・

    今朝に往生院金堂跡に久しぶりに行ってきた。地権者にも了承をもらっており、その目的は、平安時代に往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔が必ず山内にあったはずでありながら、いまだ分からないままであり、そのおおよそのことを調べるために行ったのである。色々なお寺に行っていることから、だいたい歴代の住職のお墓はここになるのではないかとの勘がつくため、そのお墓や供養塔が建てられてあったそうなところを隈なく調べていた。しばらく回って調べるうちに、金堂跡裏手の南側の藪に入ったと同時に、体が重くなり、寒気と震え、めまいがして、もうろうとなり、ふらふらで立っておれなくなった…もうダメだとして、とにかく下山、ふらふらになりながら、転げ落ちるようにして帰ってきて、寺務所前で倒れた…息が浅く、意識も朦朧、驚いて出てきた妻の介抱に...往生院金堂跡に平安時代、往生院を創建された安助上人のお墓、供養塔を探しに行ったら・・

  • 「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説

    もちろん、拙生、「新しい領解文」についてだけを考察しているわけではない。並行して美作後南朝史、宮沢賢治父子にない堂参詣説についても研究継続しています。さて・・この「明暦の大火」の歴史の謎であるが、少し前に美作後南朝史について考察している中で、旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来についてhttps://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/e9c36f8bede3c1e87edeb06c056d5a9d「・・また、徳川紀伊家の初代となる徳川頼宣(徳川家康の十男)も松平忠輝同様に後南朝・高仁天皇の支持者であったとされ、家光以降の南朝勢力に対しての冷遇策への反発心があったと言われており、由比正雪の乱である「慶安の変」への関与も疑われることになります。(由比正雪の乱の背景には、...「明暦の大火」の歴史の謎について・由井正雪の残党たちによる反乱蜂起説

  • 簡単に述べる満井論文の間違い

    もっと簡単に満井論の間違いを教えて下さいとのことですが、一切が空であることを根拠として、全ては無分別であり、一如、同じだ、として、悟りも煩悩も、仏陀も凡夫も一如、同じだ、と述べているということであり、これは本覚思想以前の問題で、要は、「悪取空見」の典型的な論であるわけです。後期中観思想の仏教認識論から拙生は反論を述べさせて頂いたわけですが、これは、単に、仏教における「空」、「縁起」、「中観」をちゃんと学んでいない、理解していない証左となるもので、大変に恥ずかしいと言えるわけです。日常的な例えで簡単に言うと、赤信号も青信号も、空で一如、無分別、同じだとして、信号における世俗的な意味合い、ありよう、あり方をも無視して、交差点に突っ込むようなことと同じであるわけです。当然に命を落とす愚かな行為になるわけです。そ...簡単に述べる満井論文の間違い

  • 満井秀城勧学が桂紹隆氏の晩節を汚させてしまった罪も重い・・

    しかし、満井秀城勧学が、論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』において、その暴論の論理的根拠を補完するために、桂紹隆氏に頼ったのも間違いである。桂紹隆氏は中観の専門ではない。論理学の専門であるが、それも自立論証派、瑜伽行中観派よりで、後期中観思想は弱いのである。そのため、問題の本質に気づけずに、このような論文に協力してしまったのだろう・・本件により、研究者として大きく評価を下げることになり、迷惑千万な話になったと、あとからきっと後悔されるだろう・・同じ広大の先生なら根本裕史氏に頼めばこのようなことは防げて、間違いを指摘してもらえたはずなのに・・桂紹隆氏の晩節を汚させてしまう迷惑な話にもなり、誠に情けないことである。満井秀城勧学が桂紹隆氏の晩節を汚させてしまった罪も重い・・

  • もう何だか哀れでかわいそうになる満井論文・・

    拙生の親鸞思想、浄土真宗教学の研究は、もちろん、中観思想、唯識思想の基本、仏教認識論、仏教論理学の基本から行ってきたものである。この基本視点から、親鸞聖人の往還相の二種回向、法性方便の二種法身の思想を鑑みていく作業となっていた。ある一定まできていたところで、この「新しい領解文」の問題に関わることになり、すっかりと逸れてしまったのであるが、ここで意外にも戻ることになったのは、ある意味では怪我の功名ではある。しかし、まさかここまで仮にも勧学であり、今年の与奪者であり、研究所の所長との肩書まである方が、仏教の基本的なことさえ知らない?理解できていない?とは、正直、思わなかった。これでは議論にもならないし、「議論の余地がない」などと強気に論文でよく述べれたものだと逆に感心する・・いや、むしろ今日的な西本願寺・本願...もう何だか哀れでかわいそうになる満井論文・・

  • 論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/ 満井秀城氏(勧学・浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所所長)への反論について

    反論文をお願いしますと言われたが、私は、正式な研究者でもないし、学術学会員でもなく、どの学会にも属していない。また、「議論の余地はない」と、念押しして述べてある時点で、呆れてその気も無くなるレベルでさえある。先に示した満井秀城勧学(与奪者)の改悔批判における『「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。』の主張に対しての拙反論のあれだけで、もう十分にお腹いっぱいという感じでもある。。要は、論文における下記に対して反論するだけで、もう十分ということである。『・・これを私は約仏の視点として説明して来た。約仏の視点としての「生死即涅槃」とは、仏の眼からご覧になれば「自他一如」として...論文『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』/満井秀城氏(勧学・浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所所長)への反論について

  • 仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比

    この表のより詳しい説明をということで・・これは、仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比である。「真実執着」は、本来、一切は「空性」なるにもかかわらず、まるであたかも実体として成立してあるかの如くに顕れてきているモノ・コトを、実体としてあるかのように囚われてしまうありようを示す言葉である。間違った捉え方であるため、「迷乱知」、「転倒知」とも言うわけです。「虚偽の現れ」とは、あたかも実体として成立してあるかの如くの現れのことになります。もちろん、本来は「空性」であるため、その現れは間違ったもの、偽のものとなるわけです。その間違った現れ、偽の現れに囚われることになるから、迷乱知、転倒知となるわけです。真実執着の原因は、「煩悩障」となります。間違った現れ、偽の現れを正しい現れ、本...仏教認識論の基本となる「凡夫と阿羅漢と仏陀の認識のあり方」についての対比

  • 扶桑社『歎異抄なぞり書き』、親鸞会の現代語訳を依用とか・・

    扶桑社『歎異抄なぞり書き』、親鸞会の現代語訳を依用とか・・勧学、総局、本願寺代表役員も、あぁ、そもそも門主もか、、一から仏教、浄土真宗を学び直すべきですね、、2023年3月に安永雄彦本願寺派執行長の名で、扶桑社より『歎異抄なぞり書き』が発行されました。「無碍の一道」を「絶対の幸福者」と訳してあります。この現代語訳は、親鸞会のホームページを参考にして、用いています。比べると、本願寺派『現代語版聖典』ではなく、親鸞会の現代語訳を用いたことがわかります。いまの本願寺派は、内局も総局も、本派の教義理解に乏しい方が動かしており、研鑽せねばまた大きな問題を生みます。監修とはいえ、「本願寺執行長」の名で出す本ではありません。また、本願寺派聖典『歎異抄』の底本は「本派本願寺蔵蓮如上人書写本」です。故に、本願寺派『註釈版聖...扶桑社『歎異抄なぞり書き』、親鸞会の現代語訳を依用とか・・

  • 凡夫、阿羅漢、仏陀、それぞれの認識のあり方について

    懐かしい表を探し出してきた・・実のところ、仏陀の如量知も如実知も、その知に違いはない。空性を現量に了解しながらに、世俗のこともご覧になられるということを、世俗の側から一応、便宜的に述べてあるだけである。先日の「真実執着の戯論」とは、この表では「虚偽の顕れ」のことになる。第八地以上の菩薩でも、モノ・コトは、まるであたかも実体として成立してあるかの如くに顕れてくるのである。所知障を断滅するまで、これはどうしょうもない。でも、空性の理解が十分であるため、煩悩は生じず、業も汚されないのである。だから輪廻からも解脱しているのである。この表のように、凡夫、阿羅漢、仏陀と、認識は歴然と異なっているのである。それが、悟りと煩悩は、空性を本質として同じ(一如)だからと言っても、はたらきやあり方が同じになるわけでは全くないの...凡夫、阿羅漢、仏陀、それぞれの認識のあり方について

  • 満井秀城勧学より『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が発表されたらしいが・・

    おぉー先日の投稿、タイムリーだったか。。まあ、中身は見なくても、それは改悔批判での解説でおおよそわかる。どうせ間違っているであろう。満井秀城勧学、一から仏教を学び直すべきであろう。・・「新しい領解文」を誤解のないように読むには勧学寮の解説とセットで読むことが推奨されていますが、それでも疑義が生じていることに対して、宗派の学習会で講義を担当している満井秀城勧学より『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が発表されました。1月17日に行われた滋賀教区の学習会より配布されています。今後は「新しい領解文」+「勧学寮の解説」+『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』をセットで拝読することが推奨されます。合わせて14,000文字を超え、仏説無量寿経に匹敵します。https://note.com...満井秀城勧学より『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』が発表されたらしいが・・

  • 「真実執着の戯論」について

    昨日に紹介の論文での「真実執着の戯論」について詳しく教えてほしいとのことですが、まず、「真実執着」とは、「(倶生)諦執(たいしゅう)」とも言いますが、顕れに囚われてしまうという意味合いとなります。簡単には、モノ・コトが、あたかもそれぞれ実体として成立してあるかの如くに顕れており、要は、凡夫によりアレ・コレ・ソレと分別されてしまうものとして顕れてきてしまっているということで、それを「真実執着の戯論」と言うわけであります。この「真実執着の戯論」の顕れは、第八地以上の菩薩や輪廻から解脱した聖者にもまだ顕れてきてしまっているものとなりますが、既に空性については、相当なレベルまで了解しているため、その顕れに対して囚われて迷い苦しむことはなく、また、業が汚されることもないものとなります。業が汚されることがないわけです...「真実執着の戯論」について

  • 改悔批判での満井勧学の間違い

    「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。満井勧学のこの説明は、当然に苦しい。仏智見は、単純に、自他一如と観るわけではない。仏智見とは、一切は空性として如実に直観知する仏陀による見方のことである。確かに、空性としては、一切、自他共に一如ではある。つまり、悟りも煩悩も当然に空性を本質としているということは同じではあるが、それで、悟りと煩悩が同じとはもちろん言えないのである。はたらきがまるで違うし、煩悩があるならば、まず迷い苦しみは無くならないし、空性を了解すること自体も、そもそも難しいのである。また、凡夫の分別心が、悟りと煩悩を分けるわけではない。悟りと煩悩を分けるのは、空性...改悔批判での満井勧学の間違い

  • さっさと取り下げ、撤回すべき「新しい領解文」

    HeugeMonとは、あなたですかと、これまでDMに問い合わせをそこそこに頂いていましたが、もちろん、私ではありません。似た憂いを持っているのは互いに共通しているところもあるかとは思いますが・・互いに意見交換したりとかも全くありませんし、誰かも全く知りません。今回の門主の親教では、「新しい領解文」に関しての言及が無かったのは良かったのだが、これまであれだけ「意向」を強く示していたのに、全く言及がなかったというのは、ある意味で、「梯子外し」ではないかと、どなたかがおっしゃっていたが、どこか自身の責任を感ずるところも、やはりあったのではないかとは思われるのである。もちろん、一連の混乱の責任を取って自主退任までする気もさらさらないでしょうし、本件への関与は今後、フェイドアウトしていくのではないかとは思うのであり...さっさと取り下げ、撤回すべき「新しい領解文」

  • 「改悔批判(がいけひはん)」批判

    「御頭人(おとうにん)、御頭人」と呼ばれて集まる初夜勤行の式衆たちが、お勤め後の改悔批判(がいけひはん)において、領解出言(りょうげしゅつごん)では、本来の領解文を唱和するが、領解解説の後半においては、式衆僧侶であれば、皆、異安心と知り、分かっているにもかかわらずに、「新しい領解文」をまるでロボットのように異口同音に唱和しているのを観て、あぁ、まるでカルト集団のようだな・・と空恐ろしくになった・・まあ、もちろん、もともと、それぞれの人には、それぞれでの領解が多少なりとも違ってあるはずで、本来の領解文を異口同音に唱和するというのも、正直、どうかとも思うのではある。要は、ただの形式的な儀礼となってしまっているということなのであろう・・もともとは、個々人が、それぞれの領解を与奪者、勧学の前で披見して、その領解の...「改悔批判(がいけひはん)」批判

  • 改悔批判での「新しい領解文」使用を受けて、とある文書を加筆修正

    この度の御正忌報恩講・改悔批判での「新しい領解文」使用を受けて、とある文書に加筆修正した・・いずれにしても「新しい領解文」の件に関して、拙生としては、あとは、西本願寺・本願寺派における修正力、自浄作用に期待するしかなく、ひとまずはここまでとして、引き続き親鸞思想・浄土真宗教学の研究に戻りたいと思います・・・・また、昨今の親教では、先の戦時におけるその時代や社会に迎合して、戦争に賛成し、積極的に加担するために教えを歪めた反省を述べながらにも、結局、今の時代や社会に応じて、教え(救いのよろこび、念仏者の生き方、私たちのちかい、浄土真宗のみ教え、新しい領解文)を変え、調えていくというまさに矛盾したあり方について、自らそれを露呈するところにもなってしまっています。とにかく、新しい領解文に至るまでの一連の流れ(救い...改悔批判での「新しい領解文」使用を受けて、とある文書を加筆修正

  • 親鸞聖人に誠に申し訳なくに・・

    結局、御正忌報恩講・改悔批判においての「新しい領解文」使用を止めることはできなかった。ものの見事に、仏教でもなく、浄土真宗でもない教えが、教義のど真ん中に居座ることになったのである・・親鸞聖人に誠に申し訳なくに存じるところでございます・・拙生としては、詳しくには言えないのではあるが、昨年12月中頃に、それなりにやれるできる限りの最後のことはやれたつもりである。修正力、自浄作用が働くかどうかは、西本願寺・本願寺派次第のところであり、もはやこれ以上、どうしようもできないのである。あとは、末寺、僧侶、門信徒が、仏教でもなく、浄土真宗でもない教えをもとに、あれしろ、これしろと色々と思想操作、行動操作をされて、本山、宗門の都合のいいように利用され、本山、宗門の経済的生存のためだけに搾取され続けないことを祈るのである...親鸞聖人に誠に申し訳なくに・・

  • 西本願寺・本願寺派が、「浄土真宗」では無くなった日

    注目であった西本願寺・本願寺派、御正忌報恩講法要・9日逮夜初夜の「改悔批判」。出言領解は旧領解文であったが、結局、「新しい領解文」についての参照、依用、そして、唱和もあり、これで、西本願寺・本願寺派は、ついに「浄土真宗」では無くなったと言えるであろう・・親鸞聖人の御顔に大きく泥を塗った。なんとも哀れなることである。西本願寺・本願寺派が、「浄土真宗」では無くなった日

  • 河内ふるさと文化誌「若楠・わかくす」の定期購読について

    河内ふるさと文化誌「若楠・わかくす」を購読したいとのお申し出を複数のお方から頂いておりますので、改めて・・年間定期購読して頂ける場合(文化誌の存続は、貴重となる地域文化資源の保護・支援にもなります)・・定期購読は年2,000円で、春と秋に郵送して送られてくることになります。郵便局のどこの窓口にもある「振込取扱票」(青、赤のどちらでも構いません。青であれば手数料自己負担になります。できれば青でお願い致します)に、口座記号・口座番号に、「00970=5=121295(口座番号は右詰め)」、加入者名に、「わかくす文芸研究会」と、受領証の方にも同じくそれぞれに書いて頂き、通信欄には、「定期購読会員」と書いて、下の欄の郵便番号、住所、お名前、電話を書いて、2,000円を送金して頂けましたらと存じます。それで、次号か...河内ふるさと文化誌「若楠・わかくす」の定期購読について

  • 浄土門における浄土真宗と他宗との相違について

    異安心の「新しい領解文」のせいで、すっかりと忘れてしまっていたが、この問答を回答する中で、そう言えば浄土真宗教学におけるどのあたりについて考究していたのかを久しぶりに思い出した・・もう一年ほど前で止まってしまっていたわけである・・問い「浄土について」https://hasunoha.jp/questions/69131拙回答浄土門における浄土真宗と他宗との相違について浄土真宗の教義においては、機と法の二種深信を信心の面において重視するため、煩悩具足の凡夫のままにて救われるありようを考えることが大切となります。悩みや恐怖、不安は、やはりそう簡単には無くならないし、無くせないものであり、煩悩によって善い行いも成せない、成し得ない(雑善、雑毒の善)と自覚することも必要となります。一方で、自力聖道門では、そうでは...浄土門における浄土真宗と他宗との相違について

  • hasunoha問答・AI回答との比較シリーズ・5

    hasunoha問答・AI回答との比較シリーズ・5AIは、問題を単純化して個人の業と震災とを結びつけることは真っ向から否定していますね。個人の業と震災は結びつかなくとも、「共業」と震災についてどう考えるかまでは、AIは言及しておらず、まあ、それも妥当なことであるかとは思われます。とにかく業の問題は難しいのであります・・「今この瞬間からできること、一歩ずつ前に進むことに集中されると良いでしょう」というのは、拙生とも同じような回答でありますが、できること、進むこと、集中することの取り組むべき中身が無いのが残念な点であります。問い「震災の被害に遭うのも因果応報、業の報いによるものですか?」https://hasunoha.jp/ai/q/96b1f1373455371bAIによる回答お相談いただきまして、ありが...hasunoha問答・AI回答との比較シリーズ・5

  • 最近の美作後南朝関連の考察まとめ

    最近の美作後南朝関連の考察まとめ・・・自分でも今どのあたりを調べてるのかがわからなくなってきた、、旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来についてhttps://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/e9c36f8bede3c1e87edeb06c056d5a9d後水尾天皇から後南朝・美作植月朝廷の小倉宮・高仁親王への譲位についての考察https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/252c13df87fcf21cdbda1c2f988a763f禁闕(きんけつ)の変について通説と美作後南朝史との対比検討https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fbe1b771cf6958f904104b58192c9e1a長禄の変に...最近の美作後南朝関連の考察まとめ

  • 旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来について

    岡山県の旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社。この徳守の社号の由来も、江戸幕府による後南朝断滅策の中で消された歴史の一つである。現代では由緒において下記のように、微かに触れられているだけとなっている。「徳守」の社号は勅使として参向した清閑寺大納言藤原徳守の名に因むといわれるが定かではない。https://www.tokumori.or.jp/history.html勅使とは、天皇の命令を伝える使者であるが、では、どの天皇による、どのような命令であるのかということである。時の天皇は、後陽成天皇であり、後南朝後胤である植月朝廷の詳細について調べるための勅使を、実は遣わしていたのであり、それが、藤原徳守であったのであります。なぜ、後陽成天皇は、この植月朝廷の小倉宮家について調べることになったのか。この...旧美作藩・津山総鎮守として知られている徳守神社の由来について

  • 南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か

    南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か前回・・宗良親王・尹良親王・井伊家・大橋家・川口家・織田家・徳川家についての一考察http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91872871.htmlこれまでの一考察集・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91076974.html関連年表・・http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html中世以来、時の権力による弾圧、粛清、逆賊狩りから逃れるために、姓を変えて別の氏族に養子に入ったり、あるいは、出家・得度して僧侶となって寺院に入ったりすることは珍し...南北朝時代・楠木家の子孫が河内の浄土真宗寺院の僧侶となった者が多いのは何故か

  • 【往復書簡】『新しい領解文』は浄土真宗ではない!?

    これは、門主に問題があることを暗に示しており、だから仕方ないと捉えられかねない回答になるのでは、、門主異安心を直入に指摘できないで、勧学として情けないとは思わないのであろうか。むしろ、それが本来の役割であろうに。同じことは有志の会の勧学にも言えることであるが、、すっかりポシャったままである。頼りない、、【往復書簡】『新しい領解文』は浄土真宗ではない!?

  • お話にならない・・

    岡本法治先生がお越しになられた際に、パラパラとしか前総長の著書は見ていませんが、空、縁起の中観理解も稚拙であり、誠にお粗末すぎるのであります…まともに仏教も、ましてや浄土真宗すらも学んでいないのではないかと思われても仕方がなく、まったく話にならないのであります、、お話にならない・・

  • 六字真言が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか

    では、六字真言(六字大明呪)・オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか、ということですが、確かにチベット圏であれば、マニ石に刻まれていたるところに見られ、日常挨拶ほどのものとなっていますが、日本ではあまり一般的に広がっていない、ほとんど誰も知らないと思われるでしょう。しかし、実のところ、意外にも平安時代中期の真言宗小野流の淳祐(菅原道真の孫)によって「六字経法」が調えられ、以来、醍醐寺(派)において六字明王を曼荼羅本尊(六字経曼荼羅)としての修法が確立され、やがてすぐに天台宗でも取り入れられていくことになるのであります。その六字明王の真言が、「オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)」であります。ところが、日本でその真言咒として取り上げられたのが「佉智佉住佉毘...六字真言が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか

  • 真宗教義と災害救助、支援活動、ボランティア活動のあり方について

    真宗教義と災害救助、支援活動、ボランティア活動は明確に分けて行うべきであり、教義の中に入れ込んでやろうとするから、おかしなことになっているのでしょう。また、おかしいため、混乱、硬直化を招いていると思うのでもあります。何も支援活動、ボランティア活動をしなくていい、教義とは関係ないからやるな、というわけでは全くなく、大いにやるべきであり、やれるだけの資金、人材、組織を充てれるのは、本山であるからできることでもあり、そういった部署(社会部・災害対策担当、特別部門[災害対策本部・復興支援]の即時スライド化)もあるのだから、当然にお東のように迅速に動けば良いのであります。特に門主は親教等であれだけボランティアしよう、しないといけないと言っているのであるのだから、すぐ現地に飛んで、泊まり込みで泥だらけになり率先してボ...真宗教義と災害救助、支援活動、ボランティア活動のあり方について

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