詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記) さん プロフィール

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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)さん: 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
ハンドル名詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記) さん
ブログタイトル詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005
サイト紹介文日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供640回 / 365日(平均12.3回/週) - 参加 2014/10/02 10:33

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記) さんのブログ記事

  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(131)
  • 131  一人が立つには彼が殺したのは生みの父ではなく 年の離れた兄場所は 人気のない曠野の三又みちではなく国際都市の 旅行客でごった返す空港ロビーそれも みずから刃ものを握って ではなく行きずりの女に持たせた毒薬を噴射させて これは北朝鮮の指導者を描いている。「時事詩」と言えるかもしれない。しかし、もしギリシア悲劇作家が現代も生きているとすれば、このできごとも劇にしただろう。いまさら「人気のない曠野 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(130)
  • 130  愚者ばんざい愚者ばんざい愚者の王が選ばれた国民は愚者の国民になった国家は愚者の国家になった愚者の時代は少なくとも四年国民がさらに望めば八年 「四年」「八年」を手がかりに読めば、これはアメリカ合衆国とトランプ大統領のことを書いているのだろう。 しかし、愚者は何でもし放題しかも何の責任もなしこれほど楽しいことはない愚者の国は毎日がお祭りひたすら滅亡へ歌え踊れ愚者ばんざい愚者の国ばんざい この部分 [続きを読む]
  • 外国人材
  • 外国人材             自民党憲法改正草案を読む/番外247(情報の読み方) 2018年11月15日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。1面の見出し。外国人材 介護最多6万人 「外国人材」とは何か。「介護最多6万人」を手がかりに考えると、外国人労働者のことである。「政府は14日、外国人労働者の受け入れ拡大を検討する14の業種別に、2019年度から5年間の受け入れ見込み数を公表した」と書き出しにある。 な [続きを読む]
  • 長尾高弘『抒情詩試論?』
  • 長尾高弘『抒情詩試論?』(らんか社、2018年10月31日発行) 長尾高弘『抒情詩試論?』には、最近見かけなくなったスタイルの詩がある。「境」という作品。道の両側に、並木のように連なっている、電燈のなかの、一本の根元に、小さな花束が、くくりつけられている。 一行が短い。短さを狙っているわけではないと思うが、短い。ここに、私は少し驚いた。かつて詩が手書きだったころ、一行は短かった。ワープロが普及してから [続きを読む]
  • 溝口健二監督「近松物語」
  • 溝口健二監督「近松物語」(★★★)監督 溝口健二 出演 長谷川一夫、香川京子、進藤英太郎 私が生まれたころの映画。 長谷川一夫は「美形」として有名だが、私は実際に舞台では見たことがない。映画は何か見たかもしれないが記憶にない。 で。 顔が人形浄瑠璃の人形みたいだなあ、というのが一番の印象である。「美形」ではあるが、表情が動くというわけではない。その顔の中にあって、「目」だけは特別である。表情筋は動 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(129)
  • 129  叔父に 二十歳で戦死した叔父のことを書いている。詩を愛したあなたは 一篇の詩も残さなかったがあなたの二十歳の死こそが 書かれた詩以上の詩 「詩」が何度も繰り返されている。この繰り返しを読みながら、私は、つまずく。ことば(文法)として奇妙なところがあるわけではないが、つまずく。書かれた詩以上の詩 この部分の、最初の「詩」に。 「書かれた以上の詩」と、どう違うか。なぜ、書かれた「詩」と、高橋は書 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(128)
  • 128  夢の後に夢の中の私は逃げる若者だったが 目覚めた私は疑いもなく老人ほんとうは 疎まれても拒まれても追いつづけた老人こそが私 夢はいつでも「意味」に変わる。象徴はいつでも「意味」に変わる、と言い換えてもいい。 高橋は、こんなふうに「意味」にする。追っかけられて逃げつづける若者はPoésieではなかったか 「意味」はわかるが、高橋が詩人だけに、若者を詩にたとえるのは、いささかつまらない。「意味」にな [続きを読む]
  • 今鹿仙『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』
  • 今鹿仙『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』(金雀枝舎、2018年10月23日発行) 今鹿仙『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』を読みながら、西脇順三郎を目指しているか、と思った。ギザギザを書いている指だジャコメッティの本にはなかった荒野が広がっているあんなになってはもうさよならとうたうしかない葦が葦とむすばれて考えの大事な原理がにぶる 「やきゅう(午)」の書き出しである。「人間は考える葦である」とは言 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(127)
  • 127  作法 三島由紀夫を描いている。かねてギリシア党を標榜するあなたにしてあの自裁は すこしもギリシア的とは思えない 否定で始まり、否定で終わる。腹をかっさばいたのち 首を断ち落とさせるとはよろず潔さを旨とする蛮風の風上にすら置けない しかし、ほんとうに否定しているのか。 途中の行は、こうである。あなたの時代錯誤の血なまぐさい作法はギリシア人も ローマ人も 目を覆うだろう蛮風 ここには「否定」の「 [続きを読む]
  • 日本語教育/日本語教師
  • 日本語教育/日本語教師(とても長い文章です)             自民党憲法改正草案を読む/番外246(情報の読み方) 2018年11月11日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。1面の見出し。日本語教師 資格を創設/政府方針 外国人就労へ対応 という見出し。 見出し以上のことは書かれていない。それでも、この問題について書くのは、いまの「日本語教師資格」について非常に疑問を持っているからである。この疑問は、 [続きを読む]
  • estoy loco por espana (番外24)ホアキンの「抱擁」
  • ホアキンの作品。「抱擁」錆びることで鉄は静かになる。錆は、鉄と酸素の抱擁だ。人はなぜ抱擁するか。抱擁は、感情を分かち合い、支えあうことだ。*悲しみがむき出しになる。苦悩が暴れ回る。怒りには行き場がない。抱擁する。何も言わずに。私の沈黙と交換しよう。抱擁する。きみの鼓動と私の鼓動がひとつになるまで。誰の悲しみかわからなくなるまで。誰の苦しみかわからなくなるまで。誰の怒りかわからなくまで。抱擁する。沈 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(126)
  • 126  醜よみがえる 「綺麗は汚い 汚いは綺麗−−W・シェイクスピア」ということばが「前書き」のようについている。シェイクスピアのことばからギリシアを見直している。美しさを求めつづけるあまりに 醜さを追放したのは ギリシアの行き過ぎ追われた醜さは怨霊となり 物怪となり 古家の暗がりや地下の闇に潜んだ気も遠くなる永い時を経て彼らは蘇った 蘇ったのみか美しさを追放しはじめたいまでは自分たちこそ真の美しさ [続きを読む]
  • estoy loco por espana (番外23)Lucianoの作品
  • ルシアーノ Luciano González Diaz の作品は、バランスの感覚を思い出させる。私は、どんなバランスを生きているのか、と。象徴は、意味に転化する。ルシアーノの作品は「抽象」ではないが、「意味」を呼び込む力が強いので、抽象的、あるいは象徴的な印象が強い。紹介されている作品のなかでは、梯子から伸びた棒の上を歩く男がいちばん印象的だ。夢の中に迷い込んだような錯覚に陥る。バランスを崩せば落ちる。歩きつづけても落 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(125)
  • 125  ジャコメティの歩く人 ジャコメティとギリシアは関係があるのだろうか。ジャコメティはギリシアから学んだのだろうか。考えたあげく 表情も筋肉も殺ぎに殺ぎ 歩く人の線だけになりついには動きの気配だけになるだろう それが二千六百年前の古拙と呼ばれる最初の笑み 最初の踏み出しの含んでいたもの 「動きの気配」の「気配」を「精神」と読み直してみたい。ギリシアの彫刻には「気配」というよりも「精神」を感じる。 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(124)
  • 124  リッツォスに カヴァフィス、セフェリス、リッツォスの三人のなかで、高橋にとっては、リッツォスはいちばんギリシア的ではなかった、ということだろうか。 こう書き始めている。払暁 十二丁の銃口を前に ズボンに覆われた股間について「宦官の目の行く箇所」「やつらの狙う箇所」と あなたは言うその言いかたは 少年愛が日常茶飯だった古代ギリシア風ではない リルケの「生殖の輝く中心」が古代ギリシア風ということ [続きを読む]
  • 外国人労働者の問題は日本の低賃金労働者の問題である。
  • 外国人労働者の問題は日本の低賃金労働者の問題である。             自民党憲法改正草案を読む/番外245(情報の読み方) 2018年11月08日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。2面の見出し。「特定技能1号」/就労期間 永住要件含めず/政府方針 急増懸念に配慮 見出しだけでは、なんのことかさっぱりわからない。(きっと多くの人も何のことかわからないから、記事を読みとばすだろう。あるいは外国人の問題で [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(123)
  • 123  セフェリスにあなたのXA−I−KA−Iは十六句 十七句目は確信犯的欠番 「確信犯」ということばに高橋の「共感」を読む。共感しなければ「確信犯」ということばをつかわないだろう。 「確信犯」を高橋は、こう言いなおしている。共感のしるしとして献げるに十七句 ではなく わざわざ十六句 「わざわざ」が「確信犯」である。偶然ではなく、仕組んでいる。「わざわざ」はなくても「意味」は通じる。けれど高橋は「わ [続きを読む]
  • 医療保険の将来(新しい差別制度は、どうやってつくられていくか)
  • 医療保険の将来(新しい差別制度は、どうやってつくられていくか)             自民党憲法改正草案を読む/番外244(情報の読み方) 2018年11月07日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。1面の見出し。医療保険 母国の家族除外/外国人労働者 健保法改正へ/財政負担を抑制 日本の医療保険制度は、外国人にも適用されている。留学生や労働者も当然保険に加入している。大企業などの健保組合などでは「家族」を被 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(122)
  • 122  恋の詩と読む人 カヴァフィス再読不思議だ すべて いまは無いこと 何と美しい響きだろう。 美しい響きのなかで、「いまは無い」と、なぜわかるのだろうという疑問がわいてくる。過ぎ去った、消えた。「無い」とわかるのは、覚えているからだ。記憶(肉体)のなかには残っているのに、「いまは無い」と言うしかない。 「ない」が「ある」ということを発見したのはギリシア哲学だが、この詩の「無い」は哲学的なテーマで [続きを読む]
  • 毛毛脩一『青のあわだつ』
  • 毛毛脩一『青のあわだつ』(書肆山田、2018年10月25日発行) 毛毛脩一『青のあわだつ』は行変えのない詩と、行変えのあるものがある。ない方がおもしろい。表題作。 青のあわだつ泉に生まれた早朝の植物のおびただしい繁殖 指とほそい茎から生まれた感情の植物のなめらかな繁殖 昨日のつぶやきから溢れるゆるやかなその呼吸 浅い水底にかさなりあうかわいたその眠り 水曜日のかざりのようにすきとおったその音楽 たしか [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(121)
  • 121  J・L・ボルヘスにあなたという不死の水を呑んで 死ねなくなった私たち呑んだ私たちが死ねないから あなたはますます死ねない こう書くとき、高橋はボルヘスをどうとらえているのか。「不死」にあこがれているのか、「不死」を拒んでいるのか。こういうことは問う必要がない。自明のことだ。「不死」にあこがれ、「不死」を理想化している。そして理想化するとき、人は、自分を理想化した人と「等しい」ものと思い込む。 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(120)
  • 120  R・M・リルケに……生殖の輝く中心……あなたの沢山の作品の中からぼくがいつもまず思い出す とりわけ魅惑的な詩句発掘されたギリシアの胸像をうたった おそらく中心部 私はリルケをあまり読んだことがない。かすかに「アポロンのトルソ」というような作品があったような気がするが、手元に詩集がないので、わからない。トルソなのだが、胸の筋肉を見ながら、それが「生殖の輝く中心」へと思いを引っ張っていくというよ [続きを読む]
  • ナタウット・プーンピリヤ監督「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(★★)
  • ナタウット・プーンピリヤ監督「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(★★)監督 ナタウット・プーンピリヤ 出演 チュティモン・ジョンジャルーンスックジン、チャーノン・サンティナトーンクン 中国だったか、韓国だったか、大規模なカンニング事件があった。それを題材に、タイの監督がつくった映画。 実際の事件はどうだったのか知らないが、カンニングの背景に貧富の格差があるところが、「現代的」かもしれない。「図 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(119)
  • 119  F・W・ニイチェに ニイチェは鞭打たれる馬を抱きしめて慟哭し、狂気に落ちた。それから正気に戻ることはなった。その逸話を書いた後、高橋は、こう書いている。だが 馬と馬方とあなたの出会いの三角形は はるか以前に用意されていたそれは 若いあなたがディオニュソスのギリシアを発見した あの時その瞬間から 見えない手で発狂後のあなたは描かれはじめていた この「結論」は「論理的」である。ディオニュソスを発 [続きを読む]
  • 高橋睦郎『つい昨日のこと』(118)
  • 118  声二千数百年後の詩人も 若者たちを愛した火曜日の夕べごとに陋居に集う彼らの前に立ち難解をもって鳴る自作を 朗朗 誦するのを好んだ これは高橋自身の「自画像」だろうか。その声がいかに魅力的だったかを 彼らの何人もが証言している 「自画像」を「彼ら」の証言で補強するのは、ナルシストだ。だからこそ高橋なのか、それとも別の人の声なのか。 よくわからない。 私は一度だけ高橋の「朗読」を聞いたことがある [続きを読む]