詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記) さん プロフィール

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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)さん: 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
ハンドル名詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記) さん
ブログタイトル詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005
サイト紹介文日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供649回 / 365日(平均12.4回/週) - 参加 2014/10/02 10:33

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記) さんのブログ記事

  • イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Codrescu's Haiga』
  • イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Codrescu's Haiga』(論創社、2015年05月20日発行) イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Cordrescu's Haiga』は、加藤郁乎の俳句とイオン・コッドレスクの俳画を組み合わさせた一冊。伊藤勲が編集し、訳している。イオン・コッドレスクは俳画に自註をつけている。 私はフェイスブックで見かけたイオン・コッドレスクの絵がおもしろくて、本を買ってみた。 [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(31)
  • 31 イタケー怒れるポセイドーン、などを恐れるな。彼らがおまえの旅路に立現れることは決してない、選びぬかれた感情がおまえの精神と肉体に触れているかぎり。 これをさらにカヴァフィスは言いなおす。荒狂うポセイドーン、などに会うことはない、おまえが魂の中に彼らを宿していないかぎり、おまえの魂が眼前に彼らを立たしめないかぎり。 このことばを読むと、私は「おまえ」になった気持ちになる。「気迫」がすべての危険を [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(30)
  • 30 プトレマイオス朝の栄光わたしはラギディス、国の王、(権力と富とによって)究極の悦楽を手に入れた者。マケドニアに、蛮族の地に、わたしに匹敵する者はいない。わたしに近い者さえいない。セレウコス家の若僧の安っぽい好色こそ笑うべきしろもの。 池澤は、王が自慢しているのは自国の官能的な悦楽(ヘドニス)の面であり、「知識」も「技術」もその悦楽の手段である。 と書いている。 うーん。 この詩でいちばん印象に [続きを読む]
  • 藤井晴美『量子車両』
  • 藤井晴美『量子車両』(七月堂、2018年12月31日発行) 藤井晴美『量子車両』は、誰にも受け止めてもらえないことばで書かれている。どのことばにも「意味」はある(と、思う)。しかし、その「意味」を共有したいとは、私は思わない。「無意味」のまま、そこにほうりだしておきたい。「無意味」であってもことばは存在する。その「強さ」を、そうやって感じたい。 私は何を書いているのか。 たぶん、何も書いていない。 「 [続きを読む]
  • 嶋岡晨「空きカン・ブルース」
  • 嶋岡晨「空きカン・ブルース」( 「みらいらん」3、2019年01月15日発行) 嶋岡晨「空きカン・ブルース」は前半が楽しい。かんからかーん どんな授業もずらかって蹴っ飛ばせ カンカラカーン人生しょせんあっけらかーんラベルは剥がれ大和煮だったかパイナップルだったか旨そうに食ったやつの顔だけが              残って 缶蹴りはいまでも子供の遊びだろうか。ぜんぜん見かけない。いつごろまで缶蹴り遊びは [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(29)
  • 29 イオニア風我々が彫像をみな打ちこわしたとて、神殿の外へ追いはらったとて、神々が死にたえたわけではない。おお、イオニアの地よ、神々はまだおまえを愛している、彼らの魂はまだおまえを憶えている。 池澤はこういう注を書いている。「我々」というのはキリスト教徒。彼らによる偶像破壊の後の話で、話し手は、背教者ユリアヌスのように、古代の神々に対する共感を持っている。 この注を読むと、五行目の「彼ら」というの [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(28)
  • 28 神がアントーニウスのもとを去る真夜中、突然に、見えない楽隊が通りすぎるのが聞こえる。 「見えない」と「聞こえる」の対比がおもしろい。カヴァフィスは「見える」ものよりも「聞こえる」ものを信じている。人間で言えば「声」を重視している。ことばで言えば「音」を重視している、と私は感じている。 だから、こういうことばがある。なによりもまずおのれをあざむくな、夢だったとは、耳にだまされたとは、言うな。そん [続きを読む]
  • カニエ・ナハ『なりたての寡婦』
  • カニエ・ナハ『なりたての寡婦』(カニエ・ナハ、2018年11月30日発行) カニエ・ナハ『なりたての寡婦』は、本のつくりにとまどう。「第一部 フランス式の窓」「第二部 なりたての寡婦」から構成されていることになっているが、「第二部 なりたての寡婦」はタイトルしか見当たらない。落丁本かな? でも、まあ、こんなことは関係ないか。 好きな部分を好きなように読んで、自分の好きな風に感想を書くだけだから。 最初 [続きを読む]
  • 「詩はどこにあるか」12月号
  • 「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168075066「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ここを して2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンを してくださ [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(27)
  • 27 ティアナの彫刻家 ローマ彫刻の瑣末主義に従っている。「忠実に似せ」ること、馬が水の上を走る感じを出すことが彼の技術的誇りとなる。その彼がほんの一瞬だけギリシャ的理想への接近を口にする(略)のが最後の聯。これがローマとギリシャの文化的関係をうまく表している。 と池澤の注を書いている。その最終連。しかし、わたしが最も愛するのは最も心を尽くし、情を移して制作したのは、この像。ある夏の暑い日、わが心が [続きを読む]
  • 和辻哲郎「桂離宮」
  • 和辻哲郎「桂離宮」(和辻哲郎全集 第二巻)(岩波書店、1989年06月09日第三刷発行) 私は桂離宮を実際には見たことがない。和辻哲郎の書いている「印象」が正しいものかどうか判断するものを持っていない。 私は、次のような部分に親近感を覚える。桂離宮の場所について触れた導入部。西から京都盆地へ入ってくる場合に、山崎を超えたあたりで急に景色の調子が変わってくるという経験には、もっといろいろな契機が含まれて [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(26)
  • 26 ことの決着 ことがうまくいかない、という場合に対してなぜカヴァフィスはこれほどの関心を示したのか。(略、父の失敗を)聡明な子供はそれをじっと見ていて、長じてからの地味で平穏な生活の中でそれについて思索を重ねたのかもしれない。 これは注というよりも池澤の感想だろう。 私が興味を持ったのは、次の部分の対比だ。いや違う、まちがいだ、危険など路上にない。つまりは誤報だったのだ、(あるいは聞きおとしか、 [続きを読む]
  • パブロ・ソラルス監督「家へ帰ろう」(★★★★)
  • パブロ・ソラルス監督「家へ帰ろう」(★★★★)監督 パブロ・ソラルス 出演 ミゲル・アンヘル・ソラ ナチスのユダヤ人虐殺を生き延び、アルゼンチンで暮らしていた老人がポーランドに帰るロードムービー。 終盤に、非常に素晴らしいシーンがある。 主人公が命の恩人を訪ねて、かつて住んでいた家へ向かう。その裏通りというか、路地の風景のとらえ方がすばらしい。同じ路地のシーンは、前半にも出てくる。そのときは、主人 [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(25) 
  • 25 三月十五日 池澤は書く。 現題は「三月のイデス」で、イデスは一か月のまんなか。三月の場合には十五日をさす。 主題は無論カエサルの暗殺である。(略)ある予言者は「三月のイデスに用心せよ」と言ったが、その日カエサルは警告を無視して元老院におもむいた。(略)暗殺計画を知ったアルテミドーロスなる哲学教師がその詳細を書いた手紙を登院する途中のカエサルに手渡したが、彼はそれを読まずに、手にしたまま元老院に [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(24)
  • 24 サトラップ領 サトラップは古代ペルシャの行政官名で、相当な権限をもって地方のサトラップ領を支配するなかば自治的な職。 池澤の注を読んでも、私には何もわからない。池澤が書いていることを、こうやってコピーすることはできるが、コピーでは「読んだ」ことにはならない。「聞いた」ことにはならない。池澤のことばからは、私は何も聞き取ることができない。のぞみもしなかったそんなものを、おまえは絶望から受け入れた [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(23)
  • 23 町おまえは言った、「別の土地へ行こう、別の海へ行こう。これよりも良い町がきっとみつかるだろう。 一連目を受けて二連目のことばは、こう動く。新しい土地などおまえにはみつからない。別の海などみつからない。この町はおまえについてまわるだろう。おまえは同じ道を、ただうろつくばかり。そしてこの界隈で年老いて同じこれらの家々の中で色褪せるばかり。 「この町」は「同じ道」「この界隈」「同じこれらの家々」と言 [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(22)
  • 22 あの男エデッサ出身の一人の男−−ここアンティオキアではよそもの−− その「よそもの」が最終連で、こう変わる。けれども、この困憊の内から急にある考えが浮びあがる−−素晴しい「あの男だ」という声、かつてルキアノスが夢の中で聞いたその声が。 池澤の注。ルキアノスの「夢」という詩に由来する。彼が若い頃、夢の中で文芸の女神から「(略)人々はおまえを見て隣のものをうながし、おまえを指さして『あの男だ』と言 [続きを読む]
  • 藤井貞和『非戦へ 物語平和論』、「無季」
  • 藤井貞和『非戦へ 物語平和論』(水平線、2018年11月09日発行) 藤井貞和『非戦へ 物語平和論』の41ページに、こう書いてある。「戦争の要素」について書いたものである。 私は虐殺と陵辱と掠奪とを三要素として認定する。おもしろいと言うとたいへん語弊があるけれども、〈虐・辱・掠〉と略してみると、これらは字としてどうも私には筆記しようとしてうまく書けない(書き順が分からなくて、ひっくり返して書いたり、リャ [続きを読む]
  • 暁方ミセイ「早春譜」、最果タヒ「通行人の森」
  • 暁方ミセイ「早春譜」、最果タヒ「通行人の森」(「現代詩手帖」2019年01月号) 暁方ミセイ「早春譜」のことばは「音」が聞こえる。その音は宮沢賢治の音に似ている。何度も何度も同じことを書いて、ちょっと申し訳ない気がするが。でも、この宮沢賢治の音が聞こえるというのは、悪いことではない。誰だって、誰かの音を聞いて、そこからことばを覚える。もちろん最初から「自分の音」を響かせる詩人もいるかもしれないが、め [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(21)
  • 21 足音黒檀で造られ、珊瑚の鷹で飾られた寝台で、ネロはぐっすりと眠っている−−何も知らず、静かに、幸福に。その強健な肉体は若さの極み、勢力に満ちあふれている。 この一連目のことばの勢いと二連目のことば弱さの対比がおもしろい。なぜなら彼らの耳におそろしい物音が、階段を登ってくるすさまじい音が、階段をふるわす鉄の足音が聞こえてくるから。そのためあわれな神々は気も遠くなりかけ、祭壇の奥へと必死で身を隠し [続きを読む]
  • 三角みづ紀「一端を担うものたち」
  • 三角みづ紀「一端を担うものたち」(「現代詩手帖」2019年01月号) 三角みづ紀「一端を担うものたち」を読んだ。私は苦手である。 おおきな木製の食卓に集うやがて婚姻を約束した誰かと誰かが祝福されているそのおおきな食卓がかつて巨大な一本の樹であったことを感知した赤子が泣きはじめる 宇宙感覚というのか、時間感覚というのか、どう呼んでいいのかわからないのだが。三角はたしかに「いま」を超えて何かをつかみとっ [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(20)
  • 20 単調単調な一日の後に寸分も変らぬ単調な日が続く。また と始まり、月が過ぎ、別の月をもたらす。やってくる歳月を見通すことはたやすい、昨日の退屈が再び来るだけのこと。そして明日はついに明日であることをやめる。 最後の一行が強烈である。「明日であることをやめる」とは、どういうことか。「明日」は何になるのか。「昨日」になるのだ。そのとき「昨日の退屈」はほんとうに「退屈」だろうか。あるいは、ほんとうに「 [続きを読む]
  • 野崎有以「Atlantic Crossing 」
  • 野崎有以「Atlantic Crossing 」(「現代詩手帖」2019年01月号) 最近、私が耳が悪くなったのかもしれない。一回読んだだけでは、音がまったく聞き取れない。そういうことばが増えてきた。 野崎有以「Atlantic Crossing 」。旧国鉄Y手線U谷駅前S濃路 眠らない食堂で夜を懸命に越した日「スタインウェイのピアノ…」そう言って泣いている傷だらけの女の子がいたスタインウェイが何のことかわからなかったがどうやらピアノ [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(19)
  • 19 ディオニュソス群像 工匠ダモン(池澤の注によれば架空の人物)がディオニュソス群像をつくっている。前半はその群像の描写。後半は、一転して人間臭いことばが動く。彼の思いはいく度となく報酬のことにおよぶ、シュラクサの王より三タラント、たいした額だ彼の持つほかの資産と合わせれば向後は贅をつくして暮らせる筈。そして政界にも乗り出せよう−−この喜び!−−議会にも入れようし、アゴラにも立てようもの。 内容( [続きを読む]
  • 池澤夏樹のカヴァフィス(18)
  • 18 デーメートリオス王 この詩には、プルタルコスのデーメートリオス伝が前置きとして掲げられている。「王ではなく役者のやうに、あの芝居じみた衣裳を灰色の上衣に着換へてひそかに逃げ去つた」(河野與一訳)。それは、いわばカヴァフィスのつけた「自注」である。だから池澤の注釈はいらないと思うが、池澤はわざわざプルタルコスのピュルロス伝も引いている(デーメートリオスについての言及がある)。カヴァフィスはピュル [続きを読む]