昇平 さん プロフィール

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昇平さん: いのちの塾
ハンドル名昇平 さん
ブログタイトルいのちの塾
ブログURLhttp://oneall7.blog.fc2.com/
サイト紹介文著者自身が体験的に捉えた人生やこの世界の真実とは。憲法9条や国の理想と平和の実現についても述べます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供97回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2014/10/28 01:27

昇平 さんのブログ記事

  • ありのままに見る
  • ありのままに見る車で町から我が家に帰る途中、僕はしばしばその景色の素晴らしさに心から感動してしまいます。青空に雲が浮かんでいて、遠くにはいくつかの山が見える中に、林や畑があり、所々に家々があり、そこに田舎道が曲がりくねって続いています。他の人に聞いても、ほとんどの人は、確かにその景色は田舎の感じで悪くはないけれども、ごく平凡な景色であり、とても感動するような景色とは言えない、と答えるでしょう。でも [続きを読む]
  • 只管運転
  • 只管運転  このタイトルを読んで、「なんだか危なそう」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、大丈夫です。心配いりません。かえって、普通の運転より安全です。僕はすそ野がとても長い大きな山の中腹に住んでいるのですが、町に行くには自動車でほとんど一本道の整備された県道を10キロほど降りて行きます。その時は、普通の運転です。帰りは時々まがりくねった田舎道を通って我が家に向かいます。晴れの日には [続きを読む]
  • 教えない教育
  • 教えない教育僕が和田重正先生にはじめてお会いしたのは22歳の時です。その当時僕は「こころから納得のいく生き方をしたい」と思い、その答えを求めて悩みに悩んでいました。その時先生が話された内容は僕にはよく分からなかったのですが、なぜか僕は「自分の求めている答えがここにある」ということを確信したのです。それ以来、時間を作っては先生のご自宅や塾を訪れ、先生のお話をお伺い、また、先生のご著書を繰り返し読みま [続きを読む]
  • ボサツの生き方
  • ボサツの生き方この世界に生きる多くの人はバラバラ観を存在の真実と思い、そのため、「自分こそ、自分の家族こそもっとも大事なのだ」と思って生きています。そして、結果的には、自らを苦しめ、他を苦しめながら生きています。ところが、その愚かしさに気付いた少数の人々は、「自分とは何か?この世界とは何か?どう生きるのが本当なのか?」と、存在の真実、そして、真実の生き方を求めはじめます。そして、いろんな本を読んで [続きを読む]
  • 自分はすでに完結している
  • 自分はすでに完結しているずっと前に『死は怖いものではない』というタイトルでブログに書いたことを覚えている方も多いと思いますが、まず、あらためてあなたに問います。次の2つの質問に少し時間を取って、アタマでなく実感に沿って誠実に答えてください。A: 自分が死ぬのは怖いですか?B: 自分の死は怖いものですか? Bの質問をAとどう違うのだろう、Aと同じではないのかと思った方も多いと思います。そこでBの質問を次のCの [続きを読む]
  • 自己の世界  その10
  • 自己の世界  その10(その9からのつづき)「みんな間違いだ。今まで見たり考えたりしたことは悉く夢だったのだ。コレが本当なのだ。真実なのはコレなのだ」この驚きや叫びと同時に明るい世界に生まれ出たような気がしました。これは恩師和田重正先生が開悟された瞬間思わずほとばしった心の叫びです。「存在の真実が本当にわかった」ということはこういうことなのです。ですから、その瞬間にものの見方はもちろん、生き方がそ [続きを読む]
  • 自己の世界  その9
  • 自己の世界  その9(その8からのつづき)自己の世界については、以上説明してきたことで大意はおおむね尽きていると思いますが、いくつか関連することを思いつくままに順不同で若干補足したいと思います。まず、優劣観念や差別観念、所有観念などは、結局、自他の観念を根底とするバラバラ観から生じたものであり、根本的に間違っています。みんな同じ“いのち”なのですから、優劣や差別や所有があるはずがないのです。また、 [続きを読む]
  • 自己の世界  その8
  • 自己の世界  その8(その7からのつづき)さて、今あらためて「自分とは何か?」と問われたら、あなたはどう答えますか?名前や性別や年齢を言ってみても、それが“自分”という実物の上に貼ったラベルにすぎず、自分という実物そのものではない、ということはもうお分かりですね。では、「〇△国人」、あるいは、「人間」という答えはどうでしょうか?それもラベルにすぎません。このラベルという外的規定はアタマを通して抽象 [続きを読む]
  • 自己の世界  その7
  • 自己の世界  その7(その6からのつづき)私たちは、ふつう、すでに存在しているこの世界という広大な舞台にちっぽけな自分が一人の“個”(登場人物の一人)として生まれ(登場し)、生き(演技し)、そして、一人で死んでいく(退場する)ことを「自分の誕生、生涯、死」であり、そして、それは他の人についても同じだと思っています。自分が生きている間(演技中)は広大な舞台の上で他の出演者たちと絡んで演技をします。自 [続きを読む]
  • 自己の世界  その6
  • 自己の世界  その6(その5からのつづき)ここに粘土の塊が一つあるとします。その粘土を全部使って、イヌとネコと人の像を作ったとします。それらのイヌとネコと人の像は異なる別々のものでしょうか?それとも、同じものでしょうか?私たちの常識的な答えは、それぞれは現在は異なる別々のものであるが、元々は同じ一つのものだった、ということになるのでしょう。では、それらの像をもう一度潰(つぶ)して、もとのように一つ [続きを読む]
  • 自己の世界  その4
  • 自己の世界  その4(その3からのつづき)その3で説明しましたように、自分というのは流れている川に現れた渦のようなものであり、それはこの世のすべての人やものについても同じことです。要するに、本質としては、自分はこの世と別のものではなく、この世のすべての人やものと同じものなのです。この真実を、少し別の角度から説明してみましょう。私たちはふつう、自分は自分の力で生きているように思っています。でも、本当 [続きを読む]
  • 自己の世界  その3
  • 自己の世界  その3(その2からのつづき)これまで書いてきた自分と世界の関わり方についての理解、バラバラ観のどこに問題があるのでしょうか?それは「その1」の冒頭に書いた「私たちはふつう、この世という舞台に登場することを誕生だと思い」というところに決定的な間違いがあったのです。この文句の意味を自分について言えば、「自分は自分にとっては”他“であるところのこの世”に“生まれた。だから、自分以外はすべて [続きを読む]
  • 自己の世界  その2
  • 自己の世界  その2(その1からのつづき)その1で説明しましたように、五感の情報だけに頼って二元相対的に思考するアタマは通常、結局、「この個体が自分であり、それ以外の存在は全部”他“である」と認識します。そして、「この個体としての自分以外の人は全部他の人であり、自分は全人類70億分の一、の存在である」と認識します。ですから、私たちはふつう、こころの奥では、「自分という存在は実にちっぽけではかない存 [続きを読む]
  • 自己の世界  その1
  • 自己の世界  その1私たちはふつう、この世という舞台に登場することを「誕生」、その舞台で動き回ることを「生」、その舞台から退場することを「死」であると思い、自分の外側に存在する人はすべて、血のつながりのあるお父さんやお母さんや兄弟も含めて、「自分ではない他の人だ」と思っています。つまり、自分は「全体分の一」の存在にすぎず、それは他の存在についても同じことですから、この世界のすべての存在はすべてバラ [続きを読む]
  • 自己の実物の絶対真実
  • 自己の実物の絶対真実以下は僕の自覚のセミナーの一受講者から最近いただいたコメントです。「自覚のセミナーを受講中、私は綺麗な鳴き声の鳥にもなれる、と理屈ではなく頭を通り越した真心で感じたことを覚えています。その時、心がパーっと開かれ、まるですべてが一体となったような感覚がありました。 自覚のセミナーから生き方はごろっと変わったのたのだけど、しかし、あの感覚を日々持って生きているかというと、まだまだ断 [続きを読む]
  • 思いがけぬ目覚め  その3
  • 思いがけぬ目覚め  その3(その2からのつづき)おとなになるそれから、今までは愛されたい、理解されたいとそれのみ求めていました。ところが物質を貪るのが間違いであるのと同じく、愛や理解を他に求めることは心を貪ることで、それも、間違いであることを知りました。物でも心でも欲張ることはどんなに愚かしいことであるかをこのときはじめて知りました。また、それまでは淋しい淋しいと自分の淋しさばかりみつめて、他から [続きを読む]
  • 思いがけぬ目覚め  その2
  • 思いがけぬ目覚め  その2(その1からのつづき)私はその晩父に向って、今まで自分のやってきた嘘偽りの生活を心から詫び、また孝行をしたいと思いながら不孝ばかりをつづけ、父を悲しませてきたことなど細々と語り赦しを乞いました。父は私が語っている数時間黙って聞いていましたが、語り終ったとき唯一言、「それでよろしい」と低い力の籠った声で言ってくれました。それから三日三晩泣けて泣けて仕様がありませんでした。何 [続きを読む]
  • 思いがけぬ目覚め  その1
  • 思いがけぬ目覚め  その1以下は僕の恩師である和田重正先生のご著書『よい教育の場を求めて』(柏樹社刊)の中の文章ですが、先生が存在の真実に目覚められた時のことがかなり生々しく書かれています。奇しくも、このところ僕が書こうとしていることと符合する所が多いので、みなさんの参考になると思い、あえて先生の書かれた文章をそのまま3回に分けて掲載する次第です。思いがけぬもう一つの"目覚め" こうなったとき、人の [続きを読む]
  • 他の悲しみは自分の悲しみ
  • 他の悲しみは自分の悲しみ「教師とはまず同情者である生長の悩みを悩む子にとって教師はその悩みの課題を卒業して来た人生の先輩である。それが先輩であるならば、悩める後輩に接してどんな態度をとるであろうか。軽蔑するであろうか、鞭をもって責めるであろうか、甘やかしてその問題から逃避させてその解決を放棄させるであろうか。真に、今眼前に後輩が解き難きものとして悩める課題を過去において身をもって解決して来た先輩で [続きを読む]
  • ナムアミダブツ
  • ナムアミダブツ今回は前回のブログで紹介した和田重正先生の『川底の小虫』という文章の最後に書かれていた「南無十方不可思議無礙光如来」という文句について書いてみたいと思います。僕は仏教の専門家ではありませんので、字句的には大まかな意味しか分かりませんが、僕の持っている広辞苑を使って説明してみましょう。「南無」は「帰依する」という意味で、「神・仏などすぐれた者に服従し、すがること」です。「十方」は「あら [続きを読む]
  • 川底の小虫
  • 川底の小虫「 川底の小虫塾の生徒達が来る時刻になると何かをじっと見つめたくなるような不安を感じ、みんなが帰った後では救われ難い空虚を覚える。これが30年毎日繰り返している内心のすがたです。一生をかけたこの仕事の、どこにそんな不安がひそみ何にうつろを覚えるのだろう。要するに、力がないのだ。イザリがオリンピックに出ようとするのと同じだ。白痴が総理大臣になろうと思うのと同じこと [続きを読む]
  • 進化と自覚  その2
  • 進化と自覚  その2(その1からのつづき)例えば、疲れやすいので自分の食生活を振り返ってみたら、肉食に偏っており食べすぎのようだということに思い至った。そこで菜食中心の小食に切り替えたら、体の調子が非常に良くなったというような体験を通じて、少なくとも自分の体にとっては、正しい食生活とはどういうことかが分かります。このように、「何が本当か?」ということをはっきりと深く自覚するためには、事実としては、 [続きを読む]
  • 進化と自覚  その1
  • 進化と自覚  その1この宇宙や大自然は一つの法則が働いており、すべてその法則に従って動き、整然として調和した世界が展開されています。(この法則は自然の法則、あるいは、宇宙の法則、あるいは、真理とも呼ぶことができるでしょう。)たとえば、宇宙を見ると、太陽、月、星々などすべてが調和しています。また、自然界はライオンがシカを襲ったりする場面だけ見ていると、弱肉強食の世界であるように見えますが、それは表皮 [続きを読む]
  • わざわざ自分で苦にしない
  • わざわざ自分で苦にしない「苦にする」というのは、不安に思ったり、心配したり、悩んだりするということです。その元にあるのは、何かが自分の望むよう行っていないと感じたときに、私たちにもともと備わっている本能が発する「これはまずい。何とかしなければ」という感覚的な警告システムの発動だと思われます。もしその警報システムが壊れてしまえば、たとえば、危険な状況にあるときでも、不安も何も感じなければ、危険から身 [続きを読む]
  • 裸の王様
  • 裸の王様アンデルセンの『裸の王様』は有名な童話ですから、きっとあなたも読んだことがあるでしょう。仕立て屋という触れ込みの詐欺師が作った、バカには見えないという触れ込みの素晴らしい衣装をまとって、本当は、何も着ていない裸なのですが、王様が群衆に囲まれながら大通りを堂々と行進します。実は、王様自身を含めて、家来たちにも群衆にももちろん見えるはずがないのですが、他の人に自分がバカだと思われたくないので、 [続きを読む]