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風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

風のyo-yo
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2014/10/31

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  • 水が濡れる

    春の水は、濡れているそうだ。水に濡れる、ということは普通のことだ。しかし、水が濡れているというのは、新しい驚きの感覚で、次のような俳句を、目にしたときのことだった。春の水とは濡れてゐるみづのことこれでも俳句なのかと驚いたので、つよく記憶に残っている。たしか作者は、俳人の長谷川櫂だったとおもう。水の生々しさをとらえている、と俳人の坪内稔典氏が解説していた。「みづ」と仮名書きして、水の濡れた存在感を強調した技も見事だ、と。散歩の途中、そんなことを思い出して改めて池の水を見た。日毎に数は減っているが、あいかわらず水鳥が水面をかき回している。池の水がやわらかくなっているように見えた。池面の小さな波立ちも、光を含んで艶っぽい。真冬の頃のように、冷たく張りつめた硬さはない。水が濡れる、という言葉がよみがえってきて、こ...水が濡れる

  • だったん(春の足音がする二月堂)

    ちょうど阪神大震災が起きた年だった。東大寺二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった。いつのまにか大松明の炎の行が始まったのだ。舞台上でまじかに、この壮烈で荘厳な儀式を体感することになったのだった。はるか大仏開眼の時から欠かさずに行われてきたという、冬から春へと季節がうごく3月初旬の、14日間おこなわれる修二会(お水取り)の行である。眼下の境内のあちこちに点灯された照明が、集中するように二月堂に向かっていて眩しい。その頃には、明かりの海と化した奈良盆地から、透明な水のように夜の冷気があがってくる。欄干から下をのぞいてみると、境内はいつのまにか人で埋め尽くされていた。7時ちょうどに大鐘が撞かれると、境内の照明がすべて消された。芝居の拍子木のように鐘が...だったん(春の足音がする二月堂)

  • 風邪と闘う

    風邪を引いたくらいでは、私は医者にはかからないことにしている。けれども、そうするには、それなりの覚悟と体力、忍耐力なども必要になってくる。容赦なく攻めてくる敵に対して、孤軍奮闘するようなものだから、勝つためには、まずは敵を知らなければならない。昼間は咳や鼻みずの責苦があることはもちろんだが、私が苦戦するのは夜の方だ。敵は私が眠った隙をついて襲ってくる。無防備な夢の中で、敵の猛攻を受けることを覚悟しなければならない。まず第一夜は水攻めである。私の脳みそが、桶のようなものに入れられて水漬けになっている。ただ、それだけのことだが、受け取り方によっては、湯船にでも浸かっているような、浮遊感覚をともなった快い眠りに思われるかもしれない。ところが、これが苦痛なのだ。快眠を得るためには、体が適度に弛緩した状態で、夢の内...風邪と闘う

  • 蜜の季節があった

    梅が咲いた。枯木のようだった枝のどこに、そんな愛らしい色を貯えていたのか。まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。懐かしい香りがする。香りは花の言葉かもしれない。春まだきの梅は控えめでおとなしい。顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を呼び寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に見えないものは言葉にするのが難しい。たぶん言葉になる前のままで、漂っているのだろう。メジロが花の蜜を吸っている。小さな体が縦になったり横になったり、逆立ちしたりして、花から花へととりついている。花の間に見え隠れする緑色の羽が、点滅する至福の色にみえる。周りは山ばかり、木ばかり草ばかり、そんなところで育った...蜜の季節があった

  • 雛の手紙

    最近は季節を後から追いかけていることが多い。今年もすこし遅れて雛人形を出した。人形だけはいつまでも変わらない表情のままで、年にいちど、お雛様に再会するということは、まだ幼いままの娘に会っているようで、その頃の生活なども思い出されて、年ごとに懐かしさが増していくようだ。雛人形のケースの中には、古びた1通の手紙が入っている。初めての雛祭りに、娘に宛てて便箋11枚に書き綴ったもので、雛人形をとり出すということは、この手紙を読み返すということでもある。便箋の色もすっかり変色するほどに古くなった。万年筆で綴ったクセのある文字と文章を久しぶりに目にして、なぜか気恥ずかしい気分に浸りながら、かつての自分や娘との、雛の再会がはじまる。きょうは3月3日おまえはあと5日でちょうど8か月になる。お母さんがスポック博士の育児書を...雛の手紙

  • わが輩も猫である

    ・・・わが輩も猫である。きょうも目が合ったあいつは、わが輩のことを野良としか呼ばない。名前なぞ無いと思っておるのだろう。だが名前はあるのだ。どこかの知らないおばちゃんが名付け親だから、気に入ってはいないが一応の名前はある。どうせありふれた名前だから、名前のことはどうだっていい。漱石大先生の猫だって名前はなかったのだ。それよりも、わが輩の庭でぼうっとしているあいつだって、わが輩からみれば名無しの権兵衛にすぎない。あんな奴は馬鹿に決まっておる。毎朝同じことばかりしている。きっと、それしか出来ないのだろう。ただ歩いてるだけ、ただ座ってるだけ、それでなにが楽しいんだかわからない。そんな暇があったら、ヨモギ草でも摘んでいったらどうか、それが生き甲斐というもんだろう。あいつは、ただぼうっとしているのではないと言うだろ...わが輩も猫である

  • 男はつらいよ!

    息子は荒川と江戸川に挟まれた辺りに住んでいる。ゼロメートル地帯といわれている所らしい。東京が水没する時には、真っ先に逃げ出さなければならないだろう。その息子のアパートに泊まったことがある。正月だった。車で柴又に連れていってもらった。江戸川に沿って北上すると矢切の渡しがある。寅さんが寝ころがっていた土手は、そのときは冬枯れてて青草はなかった。帝釈天も参道も初詣の人で賑わっていた。息子は寅さんシリーズの四十八作を全部みたという。そんなことを初めて聞いた。彼も寅さんの生き方に憧れていたのだろうか。息子については知らないことが多い。まだ大阪にいた頃は、ひとりで鑑真丸という船に乗って中国へ渡ったこともある。一か月も向こうでどんな放浪をしてきたのか、関西空港に戻ってきたときは、着ている服はすっかり汚れて異臭を放ってい...男はつらいよ!

  • 霜柱を踏み砕いたのは誰だ

    冷え込んだ朝、公園の草むら一面に霜が降りている。草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。子どもの頃は、よく霜柱を踏み砕きながら登校した。夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思ったこともある。誰かが作ったものを、小さな足裏で踏み砕いていく快感があった。誰がどうやって作ったのか、解らないので壊すことで無にしてしまう。そのようにして、不思議に挑戦していたのかもしれない。父の剃刀の刃を折ってしまったのも、剃刀というものが不思議な刃物だったからだ。父が愛用していた剃刀は、折りたためるようになっ...霜柱を踏み砕いたのは誰だ

  • ひとさし指の先に在るもの

    ほら、あそこにと言って、ひとさし指で何かをさし示すとき、自分の指先が、ふと父の指先に見えることがある。そのときの自分の手に、父の手を見ているような錯覚をする。歳を重ねて親の手に似てきたということだろうか。この感覚は、咳払いをするときなどにも感じることがある。もちろん父の咳払いは、私のものよりも勢いがあり、父の手は私の手よりも大きかった。背丈も父のほうが高く、成人した私よりも1センチ高かった。体形は痩身であったが、私のように華奢ではなく、骨太で背筋もまっすぐ伸びていた。足も私の足よりも大きく、父の靴を見るたびに、私は劣等感を味わった。父の靴はいつも、私の靴を威圧していたのだ。子供の頃は、父の大きな声が怖かった。私を呼ぶ父の声が、今でもときおり聞こえてきて、私は思わず緊張してしまうことがある。もう父の声はこの...ひとさし指の先に在るもの

  • 鍋の底が抜けたら

    ずっと気になっているわらべ唄があった。なべなべがちゃがちゃそこがぬけたらかえりましょ夕暮れになって辺りが次第に暗くなってくる頃、ケンケンパ、瓦けり、かごめかごめ、花いちもんめ、楽しい遊びが中断されて、子どもたちはそれぞれの家に帰ってゆく。そんな遠い日の懐かしい光景が浮かんでくる。それにしても、なぜ鍋はとつぜん底が抜けてしまうのか。昔は破損した鍋釜を修理する鋳掛屋(いかけや)という商売もあったようだが。東京荻窪で自炊をしていた学生の頃、私の手元に鍋といえるものはフライパンがひとつだけだった。目玉焼きも野菜炒めも、そしてたまには、すき焼きまでこなせる重宝な鍋だった。すき焼きといっても高価な牛肉が買えるわけではなく、いつも豚肉のこま切れなのだが、いちど作ると1週間はすき焼きのアレンジで食いつなぐことができた。残...鍋の底が抜けたら

  • 正月は雑煮を食べて争う

    すりこぎを持ってすり鉢に向かう。これが正月三が日の私の日課だった。元日の朝は胡桃(くるみ)、二日は山芋、三日は黒ごまを、ひたすらごりごりとすり潰す。胡桃と黒ごまはペースト状になって油が出てくるまですり潰し、山芋はだし汁を加えながら適度な滑らかさになるまですり続ける。胡桃と黒ごまのペーストには砂糖を加えて甘くする。これに雑煮の餅をつけながら食べるのだが、これは岩手県三陸地方の一部に伝わる風習のようで、カミさんは子どもの頃からずっと、この雑煮を食べてきたという。私は最初、こんな甘い雑煮を食べることにびっくりしたが、これをカルチャーショックというのだろうか、もともと、この種の驚きを好んでしまう性癖から、面白いね、珍しいねなどと言いながら食しているうち、この甘い雑煮がしっかりわが家に定着してしまい、これが正月三が...正月は雑煮を食べて争う

  • レンコンの空は青かった

    お節と雑煮にも飽きて、ごまめとお茶漬けくらいがちょうどよい頃、冷蔵庫を覗いていたら、野菜室の底にレンコンが見つかった。暮れから水に浸けられたままで出番がなかったのだ。まるで忘れられたように、薄よごれた表情でレンコンはそこにあった。レンコンは、穴がたくさんあいていて見通しが良いとか。そんなことから縁起のよい食材とされているが……レンコンばかり食べて過ごしたお正月があった。東京でひとりだった。年の暮れの31日ぎりぎりまでアルバイトをしていた。暮れの31日に出社する社員などいない。それでアルバイトの私に残った仕事が任された。地図をたよりに、一日中電車で東京のあちこちを駆け回った。任されていた仕事を終えて、お正月休みの食料を買い込まなければと、閉店間際のデパートに立ち寄ったが、食品売場のショーケースはすつかり空っ...レンコンの空は青かった

  • 神様を探していた

    新しい年が始まる。カレンダーが新しくなる。新しい朝、新しい風、新しい太陽。すべてのものに「新しい」をつけて気分を新たにする。元日の朝は、厳かな気分で柏手を打つ。神棚はないが長いあいだの習慣で、三方にお鏡を飾りお神酒を供える。神様の依り代として形だけは整えて、静かに神様に向き合おうとする。そういえば、神様とも疎遠になって久しい。奈良の法隆寺の近くの、鬱蒼とした森の中に静かな神社があった。子ども達がまだ幼かった頃、正月三が日の一日、その神社にお参りするのがわが家の恒例になっていた。それぞれの年の、それぞれの記憶がそこから始まっている。ある年は、妻のお腹が大きく膨らんでいた。手水鉢の水を柄杓で受けている格好が、力士のように威張ってみえた。それから十日後に男の子が生まれた。その翌年、妻はびっこを引きながら神社の石...神様を探していた

  • <2024 風のファミリー>残されて在るものは

    いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。かといって、世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっている、あるいは自分勝手に閉じこもっている、と言った方がいいかもしれない。そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。小さな家の中で無益な諍いを避けるため、お互いに干渉しあわなくてもすむように、それぞれが身に付けてきた知恵で、自然にこういう形に収まったということだろうか。いまのところ、この狭い空間の住み心地は悪くない。以前は、カミさんが洗濯物を干すためにベランダに出るとき、私の部屋をまるで廊下のように通り過ぎるのが気になっていた。洗濯や料理や掃除など家事で忙しく動き回っている身には、私のやって...<2024風のファミリー>残されて在るものは

  • ふたたびわれはうたえども

    砂浜に打ち上げられて目覚めればしょぼくれたジジィいつの間にか足は砂にめり込む重さ頭は風に揺られるゴム風船の軽さふわふわくらくら夢路の続きをふらつきながらまずは愛する朝顔の夏から秋への花柄は朝ごと小さくなりつつも今朝はざっと68輪と数で勝負ときたかその健気な精いっぱいを数えてみる楽しみそれだけが楽しみなのかと花の期待はやや寂しくも花には花のいつもの朝がありいつもの花は変わらねどうるわし朝顔姫の面影いまは遠き幻となり一炊の夢はフェードアウトジジィはもはやジジィなり波打ち際に佇んで試行錯誤五里霧中玉手箱を開けたるはあわれ相方も同じ昼の朝顔しおれた姿ババァもすでにババァなり霧の彼方の水平線浜のことも忘れる始末おまけに言葉は異邦人茄子も胡瓜も名札を無くし朝の支度と言いながら台所に立つ意思もなくそこは大根ジジィの代役...ふたたびわれはうたえども

  • 戎さんの福笹が運んできたもの

    大阪の正月10日は十日戎で各神社はにぎわう主神は七福神の恵比寿神で神社の境内では福娘が福笹にさまざま飾り付けをする商売繁盛や笹もって来い威勢のいい囃子言葉は商人が多かった土地柄か何より金もうけは大事この日いちばん賑わうのは今宮戎神社のえべっさん戎さんは大きな耳をしてはるがなんでか耳が遠いらしい願いごとは何であれ大声で怒鳴らな通じへんと金儲けしたい猛者どもが大声で怒鳴りながら拝殿の裏にある銅鑼をガンガンと叩くいくら耳が遠い戎さんでもたまらず耳を塞いでしまわないかいつの正月だったか娘が福笹を戴いてきたことがある娘はもちろん商売繁盛などではなく良縁祈願でもしてきたのだろうその福笹の笹に虫の卵がついていた福笹はリビングに飾ってあったのだが部屋を暖房していたせいでまだ戸外は真冬なのに早々と卵が孵ってしまったはじめの...戎さんの福笹が運んできたもの

  • 夢みる夢は夢のまた夢

    夢をみたいつものようでいつものようではない道があり人家がある道はどこへ通じているのか歩き続けているがバス停も駅もないそのうちにハンドルを握って危うい運転をしていたりする夢はきれぎれ勝手気ままに変転する意味づけられたり納得できるようなものもないそれでもしんどさや迷いはあるだから体調だとか心的な要因はあるのかもしれない見たくはないが夢はよく見るだが目覚めてしまえば夢は夢ただ通り過ぎただけのもの始まりも終わりもない夢の跡で始まるのはいつもの朝でありきょうも朝があることを知る変な感覚だが朝というものを改めて確かめてしまうそういう朝を一輪の花に気づかされるのんべんだらりではなく朝顔の朝はあたらしい花をひらく毎朝あたらしい朝があるこれが花の実感である梅雨は明けたかどうかすでに夏の始まりかだらだらと蒸し暑い日が続く朝ら...夢みる夢は夢のまた夢

  • 坂の上には空がある

    山があり谷があった山は削られ街になった新しい処には古い山のかたちも残ったので新しい街は坂が多い僕は坂の途中に住んでいる坂の上には駅とスーパーがある住民の多くはそこが一日の始まりであり終わるところでもある坂の下には古い地名と集落がある古い神社と田んぼがあり畦道は古代の風景に続いている古い村の呼称は茅淳県陶邑という難しい漢字を読み解くとちぬのあがたすえむら陶邑のすえむらとは陶器を焼いた村のことらしいかつて須恵器を焼いた窯跡があちこちに有り近くには陶器山という山があり陶器川という川もある陶器の石段を上って縄文のドングリをひろい弥生人の風を深呼吸する新しい一日は古い一日から始まることもある過ぎた日のいつか父と近くの山で赤土を掘った金木犀の庭をつぶし父は土をこねて小さなかまどを作った強くて恐ろしい父は泥まみれの弥生...坂の上には空がある

  • から芋の蔓も茎も食べたが

    その年の春の桜が開花する前に父は死んだその前夜きれいに髭を剃って寝て何処かへ出かけるか彼女に会うためかほかに予定があったのかあるいは習慣だったのかだが残念それきり父の朝は来なかったひとつ布団で寝ていた母も朝寝はいつものこととて朝遅くまで気づかずそれで母は警察の尋問を受ける始末小心な母は悲嘆倍増長くて短い1日をやっと夜はいつもの夜ではなく布団に寝かされた遺体を家族がとり囲んで過ごす久しぶりの家族になって悲しみよりも和やかさ水害で建て替えたプレハブの家は寒いのですこしでも暖をとろうと佛の布団に手足を入れたがその夜具はいっそう冷たく生前の父の所業などが笑い話になって熱くなる父はよく夜釣りに出かけた川には河童がいて尻の穴から血を吸いにくる母はそう言ってぼやいた6年前に父は店を閉じたがそもそも父が商売を始めたきっか...から芋の蔓も茎も食べたが

  • そのとき光の旅が始まった

    星と星をつなぐように小さな光をつないでいくそのとき光の旅がはじまる目を病んていたのだろう朝はまだ闇の中を歩いていた手さぐりで襖をあけるとそこは祖母の家だったうすぼんやりと記憶の光が射している毛糸の玉がだんだん大きくなる古いセーターが生まれかわって新しい冬を越す穴の空いた手袋小さな手はさみしいさみしいときは誰かの手をもとめるさみしいという言葉よりも早く手はさみしさに届いているそして温もりをたしかめるふたたび手を振ってさよならをすると手にさみしさだけが残るさみしさの手でガラスと紙の引戸をあける敷居の溝が好きだった2本の木の線路をビー玉をころがしながら行ったり来たりして光の旅をする冷たい木の線路に小さな耳を押しあてると遠くの声が聞こえる木を走りくる言葉は風の言葉に似ていて近づいたり遠ざかったり耳の風景がさまよっ...そのとき光の旅が始まった

  • ふたたび春の匂いがしてくる

    春はかすみに包まれるかすみを吸ったり吐いたり見えるものや見えないものや夢の続きのように現れたり消えたりする風はゆっくり温められてうっすらと彩りもありやわらかいベールとなってあまい匂いに包もうとする通りすがりのきまぐれに記憶の淀みからじわじわと滲み出してくる曖昧に覚えのある匂いいままた何処かで花のようなものが咲いているのか子どもの頃のぼくはそれがまだ春浅い川から立ちのぼってくる水の匂いだと思っていたすこし暖かくなって水辺が恋しくなる頃大きな岩の上から巻き癖のついた釣り糸をたれ岩から顔だけ突き出して水面のウキを睨みつづけるはっきり川底が見えるまで水は澄みきっていて魚の姿もみえるがずりと動く気配もなく餌には寄ってこないまだ水の季節はひっそりとしてひんやりとした水の冷気とかすかに甘い匂いが水面から顔を濡らしてくる...ふたたび春の匂いがしてくる

  • 生きるために骨まで愛する

    近くのマンションの集会所の前にときどき無人販売の簡易な店が出るそれは店というほどではなくただ季節の野菜を並べただけのどれも大概は百円均一で気に入った野菜があれば手にとって傍らに何気なく置かれた小さな貯金箱のようなものに百円玉を入れていくそれだけのことであるがマンションの住民の誰かが近くに農園を持っていてそこで収穫したものを適当な時期に提供するそんな感じだから出店は有ったり無かったり大根と白菜だけだったり小芋とじゃが芋だけだったり売れ残りの人参だけの時もわれにとってはウオーキング途中にあるささやかで貧弱な道の駅みたいなもんで黄色い幟が立っていれば必ず立ち寄ってみるのだが本日は好物のなたね菜と珍しい大葉たか菜を選んで百円硬貨2枚を貯金箱にイン無料のレジ袋に収めたら買い物帰りの最終コースクールダウンの後はさて今...生きるために骨まで愛する

  • 夢の中の道をあるいている

    なぜか分からないが夢の中だけにあるいつもの道があるしばしば夢の中ではその道を歩いている市場があり商店があり人も歩いているなぜかパン屋が数軒あり好みのパンがないかさがしたりするが見つからない古い家があり細い路地がありよく出てくる駅がある見覚えのある道だがその先をたどってもわが家に帰る道がわからない探しても迷うばかりでそのうちにどんどん寂しい山奥に入っていく切り立った崖があり川が流れている渡ろうとすると水かさが増して必死で泳ぐときもあるし魚を追いかけるときもある遊んでいるときもあるしその場所から脱出しようともがいている時もあるあまり脈略はないしょせん夢だから飛ぶことも泳ぐことも自在なはずだがただ歩き続ける道がありおなじみの夢の風景があり夢の中なのに思いのままに飛ぶことも泳ぐことも夢まかせ夢のままで目覚めたあと...夢の中の道をあるいている

  • 淡きのぞみ儚きこころ

    いつものウォーキングの途上突然浮かんできた古いうたの歌詞いまは黙して行かんその続きが出てこない小林旭だったか淡く歌っていたのは夢はむなしく消えて今日も闇をさすらうちがったかな淡きのぞみ儚きこころ切れぎれに誰かの歌声が聞こえてくる仰げばずっと青空きょうも太平洋側は晴れ北の国は厳しく寒いらしい窓は夜露に濡れていや結露に濡れていた冬の夜明けはなかなか明けきらずだらだらとつながる夢を振り払うようにようやく抜け出すがすこし体は重くなって明るさの方へ新しい方へと踏みだそうとすると引きずっているもの夢のつづきが電車も学校も座る席が見つからない帰り道も探せないそんな夢のおぼろな道を辿りながらいつもの道をウォーキング万歩計は持たない歩くところはほぼ決まっているいつもの道だから距離も時間も計るには及ばない刻み続けるのはただ妄...淡きのぞみ儚きこころ

  • 新年は思いだす雑煮のあらそい

    新しい年も西高東低当地は連日快晴なれどおみくじは小吉神託は見禄隔前溪目の前に宝あれど谷ありて取れずなんともはやなにが宝か分からないが宝といえば宝くじか当たらないのはいつものことなり年々歳々遥かになって視界が霞むのは歳のせいにフライパンのゴマメも丹波の黒豆もうまくいかないとぼやくひと傍らに居たりいつもの料理がなぜ手慣れた味が何故その手が覚えているはずの小慣れた糸があるはずだそれが縺れてしまったか新しい年の新しい朝に古いレシピを繰ってみる正月三が日の朝はすりこぎとすり鉢で始まるたしか元日の朝は胡桃二日は山芋三日は黒ゴマをごりごりごりとすり潰す胡桃と黒ゴマは液状にして油が出てくるまで痛めつけ山芋はだし汁を加え加えて滑らかになるまで初日の出まで姿をかえた胡桃と黒ゴマ砂糖と塩で甘くして雑煮の餅をつけて食べるこんな風...新年は思いだす雑煮のあらそい

  • 新しい年も新しいページを

    新しい年も新しいページを書き続けていきます新しい年も新しいページを

  • 心に観ずるに明星口に入り

    ほとんど水平に近い角度でやっとその星をとらえたことがあったまもなく見えなくなるというなんとか彗星という星だったあれはたしか何処かでオリンピックがあった年深夜の競技のことはあまり関心がなかったけれどホップステップジャンプ海峡をまたぐ二つの大きな橋を渡った幾星霜の昼も夜も降りつもる星の歳月あれから星霜という言葉も知ったいつしか僕の宇宙も白い霜に覆われてしまったかさいごの星が尾を引きながら海に落ちていった光のかすかな軌跡をいまも探してしまうことがある星の言葉はいつも降るようで降らなくて星の王子さまは星の国を探しつづける七つの星に住むという星の言葉しか語れないすてきに臆病なひとを星の王女さまと呼んでみるがふたりは未だ会ったこともない幾億光年を経たその時にボクはほとんど青い水だと彼は言うだろう手の水をひろげ足の水を...心に観ずるに明星口に入り

  • 風の言葉を探したこともあった

    西へ西へとみじかい眠りを繋ぎながら渦潮の海をわたって風のくにへと向かう古い記憶が甦えるように海原の向こうから山々が近づいてくる活火山は豊かな鋭角で休火山はやさしい放物線でとおい風の声を運んでくる昔からそれらはいつもそこにそのままで寝そべっていてだんだん近づいていくと寝返りをうつように姿を変え隠れてしまう空は山を越えて広くどこまでも雲のためにあり夏の一日をかけて雲はひたすら膨らみつづけやがて雲は空になった風のくにでは生者よりも死者のほうが多く明るすぎる山の尾根で父もまた眠っている迎え火を焚いたら家の中が賑やかになった伝えたくて伝えられないそんな言葉はなかったかと下戸だった仏と酒を酌むかたわらで母が声が遠いとぼやいている耳の中に豆粒が入っていると同じことばかり言うので子供らも耳の中に豆粒を入れたひぐらしの声で...風の言葉を探したこともあった

  • オタマジャクシは蛙の子か

    センセゆんべまた発作がおきましてんそうかおかしいなあんたは蛙になったんだからもう発作はおきんはずじゃがそうだんねんセンセに遺伝子たらゆうもんいろうてもろて悪い血は全部ほかしてもろたはずやのにほんまなんでやねんそれはそうじゃが二本の足が四本になったんじゃからまあ慣れるまでは多少の辛抱はせんといかんなそやかてセンセ二本は手の代わりに使うてまんのやでよくわかってるけどなその何かの代わりゆうのが厄介なところなんじゃよ拒絶反応が起きとるんかもしれんほんなら発作がおきるんは我慢せえ言いまんのかそうだねどんな良い薬でも副作用というものはあるんじゃよ蛙になっても直らんようだったらもうワシの手には負えんセンセそんな殺生ないまさら人間にも戻れへんしなんとかしとくんなはれなまったく厄介なことになったもんじゃやっぱりあんたには蛙...オタマジャクシは蛙の子か

  • かごめかごめ篭の中の鳥は

    5本の指を2本にしたり3本にしたり動く左手の指だけで何かを伝えようとするおばあちゃんの言葉は難しい2本はふたり3本は3人ではなくて子どもが3人親と子どもが2人でもなくてみっかとみつきそれとも3年もっと遥かなことかな指と指がくっついたり離れたり親ゆびと人指しゆび親ゆびと中ゆびくっつけたり離したりねばねばべたべた人と人がくっついたり離れたり記憶と思いがくっついたり離れたり言葉と意味がくっついたり離れたりふたたび指と指がくっついたり離れたりやっぱり言葉でないと分かりづらい声に出してみてよ何かしゃべってみてよすると突然びっくりぽんおばあちゃんの口からカエリタイそれって言葉だよねいきなり出てくるんだもの意味がいっぱい思いがいっぱいくっついていてやっかいだね困ったね言葉は難しいから分かるけど分かりたくないおばあちゃん...かごめかごめ篭の中の鳥は

  • カビの宇宙を漂っている

    陽が落ちるのが早くなった夜空の月も輝きを増してクールに澄みきっている久しぶりに風を寒いと感じて窓を閉めた夏のあいだ開放していたものが閉じ込められてしまいどこからともなくカビの匂いが這い出してくるおまえはまだ居座っていたのか古い友だちの匂いがする思い出と馴染みがあるカビの匂いは嫌いではないカビ臭い部屋にいると特別な空気があり湿った温かい布団に包まれているような懐かしさと安堵感もある古い民家や寺院などのしっかり淀んだなにか見えないものに包み込まれてずっと其処に居たような落ちついた気分になってしまう生まれた川の匂いを覚えていてその川へ帰っていく魚族の感覚に近いものだろうか僕が帰っていく川は古くて小さな家だ家族7人が住んでいて狭い部屋にごっちゃだったごちゃごちゃは嫌だっただからときどきはひとりきりになりたい静かな...カビの宇宙を漂っている

  • その林檎の味は変わらないか

    期せずして孫のiPhoneが僕のところに回ってきたこれまでずっと僕のスマホは中華製の格安スマホだったが孫が手にするアップルのスマホのスマートでしゃれたデザインをいいないいなと眺めていたのを12型から最新の14型に買い替えたのを機に12型が僕のところにというか僕にiPhoneを使わせたいとあえて14型に買い替えたようでもあるがもちろん僕にとっては羨望のiPhoneだから断る理由は何もないそれも最上位クラスのProMaxこれで存分に写真が撮れると僕にとってスマホは通信よりもカメラなのでそれと懐かしい林檎のマークふたたび林檎を齧れる歓び久しぶりの林檎との再会その林檎とともに苦闘した日々が甦ってきたその頃は文字の暮らしというか活字なるものがぼくの生活の中心だったアルバイトで入った出版社で写真植字というものに出会い...その林檎の味は変わらないか

  • 季節がずれていくように

    息をすると鼻の奥にツンとくるこの風の味が懐かしい騒がしかった夏が終わり季節が変わろうとして静かに寄せてくる周りの澄んだ静寂が広い空間に感じられてその隙間にいろいろなものが水のように沁み込んでくる今まで聞こえなかった微かな物音であったり天井のしみや障子の破れなどが急に見えてきたりして夏の間にできてしまった感覚のずれや反応のずれなど小さなものかもしれないが見詰めすぎると些細なずれが亀裂になってしまうこともあったりずれたままで重ならないままでもあえて心地のいい方へ動いていくずれた感覚に浸ってみるのもときには快いものだったりもしてそのうち季節の方でも少しずつずれながら秋もしだいに深まってゆくようで今はそんな季節だろうか久しぶりに本を読みたくなってそうしていつのまにか川上弘美の短編小説の不思議な世界にずれこんでいく...季節がずれていくように

  • 秋の夕やけに鎌を研ぐひと

    きょうの夕焼けは空が燃えているようだったよく乾燥した薄い紙のような雲に誰が火を点けたのか激しく静かに燃えている炎の広がりに染っているとどこか空の遠くから秋の夕やけ鎌をとげと叫ぶ祖父の声が聞こえてくる夕焼けした翌日は晴れる祖父は稲刈りをする鎌をとぐ祖父は百姓だった重たい木の引き戸を開ける薄暗い家の中に入るとその家だけの土壁の匂い踏み固められた土間が風呂場と台所に続いている脱衣所でもある納戸には足踏みの石臼が埋まっていて夕方になると祖母がいつも玄米を搗いている片足で太い杵棒を踏みながら片手は壁で体を支えているがその壁の一角には鎌や鍬が並んで架かっているそれらはずっとそのままで祖父に聞いた話だが祖父のさらに祖父は刀で薪を割っていたというどんな生き様の人だったか面白いが想像もつかない名前はたしか新左衛門といいシン...秋の夕やけに鎌を研ぐひと

  • さんま苦いか塩っぱいか

    信楽焼の長方形の皿があるなんとなくその上に拾ってきた落葉をのせた今の時期ならこの皿の上には秋刀魚それがいつもの習いなりなのにその姿はない去年もなかった一昨年もなかった秋刀魚はいつのまにか手が届きにくい魚遠くの魚になってしまったスーパーの秋刀魚は腹わたも無さそうな痩せっぽち高島屋の秋刀魚はツンとお澄まし高級魚どんなに秋刀魚を恋していてもつれない顔に見えてしまうさんま苦いか塩っぱいかなま唾ごくりとこころ残してスルーするそんなわけでお皿の落葉はあわれ秋刀魚の身代わり箸をつけること能わず錦に頬染めし落葉は秋刀魚よりも美わしいなどと負け惜しみするが美わしかれど身に添わず食欲を充たすこと叶わず武士は食わねど落葉かな夕餉にひとりさんまを食らひて思ひにふけるやはり秋刀魚は旨いのだそいつは苦くて塩っぱいけれど落葉はたぶん無...さんま苦いか塩っぱいか

  • 5球スーパーラヂオに恋してた

    深夜のラヂオを抱きしめる真空管がピーピー鳴るんだ温かいねラヂオの匂い5球スーパーマジックつきシゲがラヂオを自慢するなかなか合わないダイヤルすばやく逃げる電波耳をすまして追いかけるニュースも音楽も恋も新しいものは遠くにある見えないものはすべて波に乗ってやって来るラテン音楽はうねりながら眠れない夜を犯しにくるベッキーサッチャーの声に誘われトムソーヤーが山から下りてくる電波は混信し世界は混線するモスクワ放送だけ静かに日本語歌うような北京放送平壌放送はスミダスミダカミナリ先生のハングル文字誰も読めないノートの秘密コメだイモだと悪がきシゲが喧嘩する叱責するオトンの叫びはアイゴーアイゴーアイゴチョケッター逃げ出す息子はグッバイチャオチャオバンビーナゴムのズック靴を脱いでつま先にたまった砂粒を払うそれがシゲの潔癖ついで...5球スーパーラヂオに恋してた

  • 線路はつづくよ何処までも

    汽車がシュッシュッポッポと石炭で走っていた頃窮屈な4人がけの木製の座席にすわり野をこえ山こえ谷こえて一昼夜をかけて東京を目指す昔も今も線路は東京まで続いていたのだそしてそのとき僕の線路はそこが終着だったかつて線路に耳を当て近づいてくる汽車の鼓動を探ったり夜中の貨物列車の長い連なりを夢の中で追ったりまだまだ玩具の線路の先の先にすぎなかった小学校の高学年の頃クラスで最寄り駅の見学に行くタブレットという言葉をはじめて知り手の平に載るほどの金属の小さな円盤を見せられてそれがないと汽車は走れないのだと駅長さんが自慢気に言ったタブレットは汽車よりも先に駅に送られてきて到着する汽車の車掌に手渡される古いタブレットを受け取り新しいタブレットを渡して発車線路が単線であっても汽車同士が衝突することはないタブレットはそれほど大...線路はつづくよ何処までも

  • みんな何処へ行ってしまったか

    散歩に出るとても静かだ道は誰も歩いていない賑やかだったクマゼミの声もとつぜん無くなったときおりツクツクボーシの声がどこか遠くで弱くみんな何処へ行ってしまったか静かに振り返ってみると近しかった人たちはほとんどすでに墓の中で眠っている祖父や祖母はもちろん父や母やおじおばたちぼくより若いいとこまで親友もすでに2人去った親友といえるものがたった4人しか居なかったから半分になってしまって人生の半分が失なわれたようで半身の淋しさでいま歩いている夏がぜんぶ夏休みだったあの頃は親しい人だらけで知らない顔がたくさんはじめて会う顔でも親戚という名で繋がっていて表情や声のどこかが似ていてなんとなく近しいそんな人がいっぱい居た夜はあちこちの家からご詠歌と鉦の音がチーンチン仏壇の前の伯父の声が父の声や祖父の声とだぶって近しい人たち...みんな何処へ行ってしまったか

  • 赤淵の川に河童がいた頃

    川には河童がいると信じていた頃いそぎ裸足で川に行く前に神棚のご飯を食べていくそうやっておけば水の中で目玉が光るので河童は怖がって近づかない河童は尻の穴を狙ってくるそこから血を吸い取られたら徐々に体の力が抜けて泳ぎながら溺れてしまう河童は何処にいるのやら分からないが必ず居る川で泳いでいる子供たち河童も童も見分けられない厄介しごく大わらわ子供はときどき溺れたりしてそこには河童がいるものと信じることも出来はするが信じる子供も河童だったり目玉が光れば河童も童子だったり流れる川は複雑怪奇岩を避け砂地を渡り浅瀬あり深みあり渦巻く淀みもあったり水は水でも湧き水は冷たく田んぼの流水は温いもの鮒の子は草むらで平たく藻掻きはるか上流で夕立があれば急に濁って軽石ぷかぷかそれでも目玉が光るので日がな河童と遊び惚けるもはや水から離...赤淵の川に河童がいた頃

  • 森に入って苦い実を食べる

    風を泳ぐ魚になって朝のジョギングを始める風を吸い込み風を吐き出す腕と脚は鰭になって水と空気をかき分けながら川上を目指して森を抜けるそこは森のようで森ではないただの放置された雑木林公園の一角に取り残された倒木や苔むした樹々の群れ鎮守の森よりも貧相だし魔女も赤ずきんもいない妖精も小人もいないもちろん南方熊楠もいないそれでも汗をかきながら樹液の風と出会う場所そこを通り抜けるとき薄暗さと湿った苔に触れて時を忘れ自分を離れ汗のシャツを脱ぎすて露わになった腕が木々の雫に撫でられるサワグルミの木があるトチの木があるサワグルミの葉は小さく震えトチの葉は大きな魚のようシイノキの葉は平らなお皿かつて山越えの旅人は家にあれば笥にもる飯を草まくら旅にしあれば椎の葉にもるとシイの葉は手の器になり木漏れ陽は森の深さをトチの実は時の深...森に入って苦い実を食べる

  • 願いごとは沢山あったけれど

    7月は七夕の月だったふと思い出すと記憶の遠いところでキラキラと短冊がゆれている子どものころは願いごとが沢山あって願いごとをひとつひとつ色の付いた短冊に書いて笹にくくりつける折り紙を切ったり貼ったりしてささの葉さらさらたっぷり飾り付けてそれが七夕の遊びだったが子どもの願いごとは身近な日常のことから遠い将来のことまで数限りなくあって短冊の数だけ願いごとはあった七夕の笹飾りは賑やかな七夕のひと晩だけ軒先に飾って翌朝はやく近くの川へ流しに行く釣りをしたり泳いだりする川がそのまま天の川に通じていると信じられていたか真っ暗な夜の戸外は明かりも殆どなく夜空を大きく横切って天の川がくっきりと流れていた神話の世界も現実の世界もひとつに重なっていて幼い想像力は容易に美しく溺れていた願いごとの短冊がどのくらいの日数かかって天の...願いごとは沢山あったけれど

  • 夏は山の水が澄みわたるので

    長いあいだ雨風を受けとめてきたか傷だらけの重い木の引き戸よいしょっと引き開けて敷居をまたぐと夏が始まる祖父が居て祖母が居て叔父が居て叔母が居てよその犬も居て知らない人も居る古い家は納戸の隅とか仏壇とかに小さな暗やみがいっぱいあったけれど祖母がいつも居た土間につづく台所にもかまどや流しの下など深い暗やみがあったその暗がりのごちゃごちゃを覗いたこともなかったけれど壁のこおろぎのようにいきなり祖母の声が飛びだしてくるたまご焼き焼いとくさかい早よ戻っといでやすこし甘くてすこし塩っぱいたまご焼きとジャコ茶粥に茄子の古漬け汽車が駅に着いたときだけ長い坂の道を村人がひとかたまりで通り過ぎる勝手口から祖母の声が人々の足をとめるそれが祖母の楽しみでしばしのおしゃべりが遠ざかったあとは黙りこくった道だけが残り斑に落ちた木の影...夏は山の水が澄みわたるので

  • 夜に向かって山に登るな

    夜に向かって山に登るな

  • ホタルブクロは記憶の袋か

    すっかり夜になってふたたびハンドルを握る小さな町を過ぎ温泉地を過ぎると明かりもない高原の道になったがまっ暗で雨も激しくなったのでどんなところを走っているのか見当もつかないまま走り続けるワイパーで打ちつける雨をかき分け見にくいヘッドライトで闇を探りながら走っているこの道は初めてではない昼間であれば広い高原の中を縫いながら一本道を快適に走っているところだがいまは雨の中をもがきながら走っているすれ違う車もなくいつ果てるともしれない暗闇の道路が続いていて視界にあるのは細い路面とえぐられたような土手丈の低い高山性樹木の茂みだけまるで灯りのないトンネルところがそのような視界の中を走り続けているうちこの単調な映像にすこしずつ色彩が滲んでくるヘッドライトに照らし出され崩れた土手に露わになった黒土夜の闇よりもさらに黒いその...ホタルブクロは記憶の袋か

  • 朝霧の中から蘇生してくる

    雨が上がったあとのひんやりと湿った風が運んでくる匂い水のにおいかな葉っぱのにおいかな木肌のにおいかなそれとも地面から土のいや根っこのにおいなどなどの匂いが新鮮なようで古くて濡れたままの記憶のずっとずっと遠いところまだ夜明け前の霧がだだっ広い草原を駆け上ってきて開け放った病室のドアから波のように押し入ってくるのをじっと横たわったままで動けない体と頭の端で待ちわびていた朝はきのうの朝よりはやさしく脈拍も静かに打ちはじめて重たい霧の呼吸も軽くなって溺れることも溺れるがままに受け止められる体の力を取り戻していくのがとても小さな喜びで溺れながら生きている耳にふとチイちゃんの声が霧の中に混じっていて約束どおり来てくれたかと期待して待ったがまよっているのかためらっているのか姿は見えず声だけでチイちゃんは現れなかったから...朝霧の中から蘇生してくる

  • 鳥のようには飛べないから

    此処は島の最南端なんだとうとうというかやっとというかなんとかというかここは東でも西でもなく南の端っこなんだその果ては海である岩礁が無数にあり陸地と海がせめぎ合うところ美しいが危なっかしいところ波が砕けている岩が砕けているかつては船も砕けたトルコの軍艦が難破した何百という乗組員が命を落とした運よく救助された60余名の瀕死の冷え切った体を島民が肌身の熱で温めたという望洋と広がる太平洋の海に鯨の姿を追った人々だ灯台の展望塔に上ってみる青い果てまで何もない空と海の境界にも何もない体の中を風が吹き抜けていく快さと不安鳥のようには飛べないから風もつかめないからこの果てからどうすればいいのかどうなるのか立っていることの危うさ歩いてきたことの危うさリュックの重さと疲れそれでもまだ此処は陸地の端だから旅人の方舟は難破しない遠くを...鳥のようには飛べないから

  • べんぶしてもべんぶしても

    べんぶしてもべんぶしても賢治の詩にそのような言葉が出てきたので岩手出身の義母にたずねたが知らないという方言ではないらしいそういえば素朴な昔の神々のようにと書かれているからべんぶしたのは神々かどんな風にべんぶしたのかグーグルで検索してみたら喜びのあまり手を打って踊ることそうかべんぶするって喜んで踊ることなんだ漢字では抃舞する知らなかったなあこんな言葉今でも使うことあるのかなあ蘆花や漱石は使ってるらしいその時代には日常使ってたのかでもなあもう古い神様の言葉になってさらに活字も小さすぎて神田神保町も神ばかりだったがカビ臭い古本屋の棚は脚立に乗っても高すぎておんぶしてもあいぶしてもどこまでも古びたかな楽しかったのはいつ神代のように古くはないがおんぶはなんどもしたあいぶはしなかった初恋のおもいでじゃんけんして勝っても負け...べんぶしてもべんぶしても

  • 我はうたえども破れかぶれ

    クジラのコロの大根煮大鍋にいっぱいのおでん叔母が作る料理はどんなものでも美味しかった誰かがそのことを言うと料理には美味しくなる手いうもんがあんねんなどと応えていたのをなにげなく耳にしてそんな手で調理すればなんでも美味しくなるのかとあらためて叔母の手をじっと見つめたことがあったそんなことを今でも憶えているのはそのときそんな話を納得したからかそばで関わりもなくただ耳に入ってきただけなのになぜか耳の奥に残ってしまういつかのどこかの道端で赤ん坊に排便させている人がいてそばに立っていた人がおしっこが出たらもう大便は終わりよと言ったぼくはただ通りすがりの人だったのにそのことで耳たぶが痒くて今でもおしっこが出たら便座のおしりボタンを押し気分も軽くトイレから出るぼくの中の真実とはそんな些細なことばかりで食べたり出したりの普通の...我はうたえども破れかぶれ

  • 巻き戻しても巻き戻しても

    その頃ぼくはほとんど青い水だった手の水をひろげ足の水をのばす水は水として生きていたやがて一本の川となってだらだらと川のままで流れ続けていたがいつか新しい水になりたかったミルク色した水になりたかった水から生まれ水を孕むやわらかくて丸いもの始まるときはいつも一滴のしずくだというさらに大きくなって宇宙の川と呼ばれたかった校長先生のピストルでぼくはびっくり飛び起きて陸を駆ける生き物になった痩せたお使い小僧は豆腐屋の油揚げを齧った樽から栓を抜くと黒い醤油精米所の長いベルトお寺では夜の幻灯会芝居小屋の映写技師アメリカの古いニュースもフイルムが切れたら暗転女のかんじんは踊り落ち武者は素通りするカミナリ先生の庭には篠竹ター坊の錆びた三輪車新聞販売店のさみしさ製材所でかくれんぼする癇しゃく床屋は左投手後藤薬局のビオフェルミン越中...巻き戻しても巻き戻しても

  • 早送り巻き戻しの繰りかえし

    夜中の雨で地面が濡れている朝は青空が広がり始めて地上はすっかり若いみどりこの日々は自然の移りが駆け足でそれは自分だけの錯覚かあるいは太陽のせいか桜もタンポポも早々に散り曖昧な季節の花の記憶を残したままでベランダの花ニラも萎れフリージアも香りを失くしたカレンダーも嘘つきのもうApril4月時計は埃をかぶったまま見慣れた数字を刻み続ける約束も予定もないのについ時間を気にする習慣で生活のそばから離せないが古い腕時計は古いままでいまや新しいものより古いものの方が多くなっただからときには正確な数字は秒速で消えてしまうこの日常は写真や動画の録音テープや録画の整理で早送りしたり巻き戻したりいずれにしても戻ることばかりしていて古い風景や古い顔忘れていた言葉や置き去りにした物や事その辺りで道草食ってカセットテープの一巻が終わる黴...早送り巻き戻しの繰りかえし

  • 見上げれば空にひらひら

    春は空の窓がだんだん開いていくようで明るくなって眩しくてすこし羽が生えても青さの境界があいまいで僕はどうすればいいのか迷うことも悩むことも忘失の彼方の空でホーホケキョケキョなどと口笛も頼りなく唇さむしマスクはくるし春は名のみの風の寒さおもいで写真のカビの匂いを嗅ぎながら動かぬ写真を動かしてみて観る日々にトランジションをかぶせホイールを指で動かし山を動かし川を引き伸ばし人をフェイドインしフェイドアウトしタイトルはまだなくてときにはこわばった足ものばし公園のグレちゃんをカット&ペーストグレイの色したグレ猫のきまぐれタイムラインを走る一足飛びの過去現在セーブして振り返るとハナニラの花が咲いていることしの春もベランダにたったひとつの小さな空のかすみの色を運んできたりかすかな声を発しているかはや3月だ歳を重ねろと1月2月...見上げれば空にひらひら

  • 忘れてしまった星のことば

    しんどい夢をみていたどんな夢だったかは思い出せないただ寝苦しかっただけなのか時間は夜中の3時をすこし過ぎて夢の疲れが残ったまま寝付けない体を冷やそうとベランダに出てみた夜空の真ん中あたりにそこだけ星がかたまっている星を見たのは久しぶりだった最近は星のない夜空しか知らない街灯や家の明かりに負けて星はすっかり光を失くしてひとが寝静まった夜更けにこっそり顔を出していたのか忘れていたことをふと思い出したかのように懐かしく静かな心になったいくつかの星は記号のように繋がっていてそれぞれの塊まりにはそれぞれに名前もついていたが忘れてしまって呼び声もなくなった静寂の中ではその輝きは音を発しているのかいないのか宇宙の深い声もどこかで耳をすませば星の言葉が聞こえてきそうだが遠く闇夜をさまよった頃夜空には星ばかりあり星しかなかったそ...忘れてしまった星のことば

  • 小さな記憶の欠片でも

    家の中を片付けている夢を見るいつまでも片付かないのでなかなか目覚めることが出来ずつい寝すぎてしまった明け方の夢には思いもかけない状況や行動があったり会ったこともない人に会って親しく接したり平素の自分ではない別人格の自分がいたりなにかそこには現実の生活との関連があるのだろうかと考えてみたりするがなかなか思い当たらないそれぞれの夢の中では気がかりになる部分もあってあまり好ましい気がかりではないがそんな精神的な部分が日常生活と繋がりがあるのかないのかもしれないしどうでもいいことなのだがこの日々の行動を振り返ってみるにかつて撮影したビデオのファイルやDVDに保存したままのもの古い手帳に書き記したままそれが古い日記だったりゴミだか貴重だかわからないもろもろの記録の断片が整理してもしきれないなかでそれぞれは小さな欠片ではあ...小さな記憶の欠片でも

  • 十字架のような手術台の上で

    12月は手術台の上で右向き横になってできるだけ背中を丸めて海老になっていると医師の指が背骨をなぞる腰椎の凹み部分をなにやら慎重に探っているそこは骨と骨の繋ぎ目まずは表皮を麻酔するための軽い注射が打たれた様子その後ここぞと脊髄麻酔の針麻酔薬を注入しますという合図と指先に電気が走るように感じたらすぐに知らせてくださいとなにやら危険そうな注射をだが電気が走ることもなくつぎは仰向けにされ両腕を真横に伸ばして固定され十字架に貼り付けになった人にあとは処刑もされるがままだ血圧計だか心電図計だかのコードが腕や胸などにべたべたと広い手術室のどこかで心臓の鼓動らしい音が規則的に共鳴している冷たいものが医師の手で腹部や胸部に当てられ麻酔の効きを確認しようとするそれに応じて感じます感じませんと応答しているとメッチャ効いてるという医師...十字架のような手術台の上で

  • 足の指はほぼ深海魚だった

    左足の指先がかすかに動いた昼から夜へしばらくは腰から下が魚になった半人間で麻酔の海に沈んだままやっと尾びれの端から足の指先が覗いたような指の先に自分の分身が垣間見えて低い声で応えようとしているがその声はまだ深い水の底にあり不安な深海魚は眠りつづけ指だけが泳いでいるその指を動かしてみるたしかに指がある脳から一番遠いところにあるものがそこにある足の先からゆっくりと自分の体を取り戻している魚からヒトへ鱗の不安が剥がれていく右足はまだ指の先も感覚がない左足は踝まで動くようになっているそのあと膝も動いて曲がった遅れて右足の指先も応えはじめた指の先でもがいてみる失われたものを取り戻していく半身は水の上だがまだ半身は水の中にあるいまは水の中を漂っているがこれなら痺れた鱗を剥がしながらそのうち海面に浮き上がれるか不明なままで待...足の指はほぼ深海魚だった

  • はらをきるハラキリ腹を切った

    オシッコが出えへんでも心配せんかてええよ管通したるよって夜勤のナースのやさしい声ええっええっやさしいけれど怖いやんかそれって詰まってるところ管通すってことちゃうのそこって出口専用なのに逆走するなんて道理に反する腹は切ってもさらに痛いのはご免こうむる武士は食わねどなんとかそこは弱気の虫がオシッコちびる場面とはいかず食うも食わぬもムスコはだんまりしゃあない奮い立つしかおへんベッド脇の尿瓶を引き寄せて寝ぼけたムスコを差し入れるなんかわびしいいったい何をしているんやら腹の傷も痛いがオシッコも出したいなんと哀れな姿ではおますでも管を入れられるよりはええか真夜中にひとり悩んでいるとムスコもよほどの哀れさに耐えきれずふと一滴の涙をこぼすそして一滴はやがて数滴にそれが希望の涙となって水もれの如くちょろちょろとあとは出るは出るは...はらをきるハラキリ腹を切った

  • あしたはあしたの風が吹く

    手術のため、1週間入院した。重篤な病気の治療でもなかつたので、その間の状況はスマホで細かく記録した。書くことが出来たことは、それだけでも、入院生活が充実したものになった。これまで書くことは、パソコンが主体であったが、改めてスマホで記録することをしてみると、スマホはつねに身近にあって、何時でも手に取ることができるし、寝転がってても起きてても使え、交信もタイムリーにでき、スケッチするように写真撮影も即座にできて、むしろパソコンよりも便利であることがわかった。これからは、生活を記録するパターンが変わり、それによって生活も、大きく変わりそうな予感がする。あしたは明日の風が吹く。どんな風が吹いてくるかは分からないが、これまで馴れあいになっていた日常生活に、新しい風が吹いてくるのを、いまは待ちたい。光の言葉をもとめてあしたはあしたの風が吹く

  • その森にはボクの木がある

    勝手に名付けたボクの木がボクを呼んでいるいやボクが木を呼んでいる落葉を踏んで森を抜ける待っているのはケヤキの木枝も葉も空へと伸びて森の闇をひらいていくボクはただ見上げるだけボクの木はいつも静かにきょうの始まりに立っているその先には流れる雲があり変わらぬ青空があるカラスの黒い羽がよぎりシラサギの白い翼が舞う大きな白い羽は1枚の大きな紙となってきょうのカレンダーは新しい開いたり閉じたりの12枚の最後の1枚で1から31までの数字が過ぎていく日々の速さと重みを伝えてくる昨日があり1年がありやるべきことは残されて今日があり明日がある昼の現実があり夜の夢もあるどっちの道を行けばいいか起きてても寝てても迷いはある見なれた細い川が流れていて縁に沿って歩いているといつも道は途切れてしまう同じような夢の道を迷いながら歩きつづける目...その森にはボクの木がある

  • ひとさし指がしめす先には

    誰かに何かを指し示すほらあれだよとかあそこにあるものとかあっちへ行けばとかあのようにしたらとかあるいは観念として自分自身の指針を確かめるとかいつからかそのようなことは少なくなったがひとさし指で何かをさし示すその自分の指の形にふと父の指先を見ることがある自分の手に父の手を見たり咳払いをするときも父の咳払いを感じることがある父の咳払いは勢いがあったし父の手は大きかった父は背も高く僕よりも1センチ高かった体形は痩身であったが華奢ではなく骨太でしっかりしていて背筋もしゃんと伸びていた足も大きくて父の靴はいつも僕の靴を威圧していた子供の頃は父の大きな声が怖かった僕を呼ぶ父の声が今でもときおり聞こえてきて僕は思わず緊張してしまうとっくにこの世には居ない父の声をもう聞くことはないのだが記憶の中で父の叫び声は続いている泣いては...ひとさし指がしめす先には

  • 冬の風は歌を知らなかった

    風が吹いている雲が重そうに流れている鳥も吹かれて飛んでいく枯葉がはしる音がするマスクを外すと冬の匂いがするなにかを運んでくるのは何か重そうだが軽いもの土俵の櫓だけが残っていた小学校の校庭の端っこの土手の枯草にすわって日向ぼっこをしていた頃晴れたり曇ったりの雲のいたずら太陽を隠してやろうかすこしだけ出してやろうかとか冬の日差しはそんなものでわずかな温もりをかじかんだ手で取り合っていた喧嘩でもなく遊びでもなくドウクリなんて言ったかな漢字で書けば胴繰りかな子犬のようにじゃれ合ったり木造校舎の吹きっさらしの廊下の教室の古いオルガンは板の重いペダルを踏んでも音が出たり出なかったり風は歌を知らないのかそれとも風そのものが歌なのかやたら廊下を走り回っていたのは風だったか風の子だったか銀杏の葉っぱを輝かし銀杏の葉っぱをさんざん...冬の風は歌を知らなかった

  • ひたすら空を飛んでみたい

    ブログにカラスのことを書いてからカラスのことが好きになったというかカラスのことが気になってしようがないそれまではあまり好きな鳥ではなかったというよりも嫌いな鳥の部類だった真っ黒で面白くない羽の色や大きな嘴や可愛くない鳴き声ゴミやケモノなどの死骸をあさる姿などどれをとっても好きにはなれなかっただが空をゆったりと飛ぶのを見ているうちにあああのように飛べたら気分がいいだろうなあ行きたいところに好きなように飛んでいける今ごろは金木犀の風がおいしいし雲も様々に変化して綺麗だしその中を飛翔するにはカラスはちょうど良い大きさだし夕映えの雲の背景を活かすには黒い羽も悪くはないそんなことを考えながらぼんやり空を眺めることが多くなったさらに高じてもっと大きな鳥のような飛行機を見るのも好きになった西の空から現れて東の空へまっすぐに雲...ひたすら空を飛んでみたい

  • おだやかな明かりが欲しい

    洗濯機の故障が直ったと思ったらこんどは部屋の照明がおかしくなったLEDシーリングライトのリモコンが壊れてどのボタンを押しても反応しない点きっぱなしで勝手に点滅をくり返す明るくなったり暗くなったり黄色くなったり青くなったり眠くもないのに常夜灯落ち着きたいのにピッカピカ明かりが独りで大はしゃぎはやハロウィンの賑わいかひと足早いメリークリスマスか外は選挙で賑やかだけど穏やかな光りの国はいったい何処にあるのだろうかおまえも迷ったかLEDよ省エネ照明どころか無駄な電気を撒き散らし4万時間の長寿命のはずが10年間は交換不要なはずがなのにまだ半分も働いていないこのまま懲戒解雇か廃棄処分かいやいやサボったのはリモコンでそいつが職場放棄したせいで制御不能になったんだと光の課長は自己弁護内輪もめは遺憾千万迷惑千万やるかたなしだがど...おだやかな明かりが欲しい

  • 最後は小さくなってグッバイ

    寒くなって戸惑うもう秋を忘れて冬なのかも知れないだんだん少なくなってとうとう小さくなって朝顔の最後の花が咲いたひとつだけ咲いたこれでおしまい冬のことは知らないタネになって静かに眠るこの夏には70輪ほども咲いた最後は1輪だけでさよならする花の記憶を辿りながら夢のヒツジを70ぴきまで数えるそうして暖かくなったらふたたび花の季節がくる変わらないのは花だけかもしれない花は変わらずとも季節は変わる温かい毛布を出してストーブも出した扇風機はまだ出したまま風の気まぐれで寒かったり暑かったりするから服を重ねたり脱いだりするが花ではないからぱっと咲くこともできないし枯れることもできない雲の流れを見ながら迷走するどこへ行けばいいのかやりたいけどやれない行きたいけど行けない飛びたいけど飛べない咲きたいけど咲けない花ではないから最後は小さくなってグッバイ

  • 洗濯機がウイルスにやられたか

    洗濯機がウイルスにやられたか風呂の水は飲むけれど水道水は受けつけなくてギブアップジャブアップなんだか朝からアップアップシャツもパンツもアララアララ物干し竿もアッケラカンで空はアオゾラ日本晴れ風もアッサリ爽やか乾燥なのにああそれなのに洗濯機の君はアカンタレおじいさんは山へ柴刈りにおばあさんは川へ洗濯にそんな昔でもないけれど東京練馬のアパートでひとり暮らしをしてた頃たまたま母が上京してきて押し入れにこっそり溜めていた汚れたままのパンツや靴下シャツやらハンカチやら引っぱり出したが洗濯機などあるはずなくて母はどこかで洗濯板を買ってきて一日中洗濯女になってたっけあの洗濯板がまだ有ったはず今どきゴシゴシやるのも新鮮かも体力強化になるかもとかそこまでちらっと考えてはみたれどいまさら日向の海岸の鬼の洗濯板ならず諦めきれずに洗濯...洗濯機がウイルスにやられたか

  • きぼうという名の星をみた

    夜空はなんと静かなんだろうとまもなく現れるはずの星を待っているとその光の星は星よりも明るく飛行機よりも早く点滅することもなく南西の方角から最初はぼんやりと次第に近づいてくるにつれて輝きを増し大きな星の明るさとなって頭上を流れるように通過していくのを急いで追って南側のベランダに回って待つとすぐに続きのままの光で現われそのまままっすぐ南東の方角に線を引くようにあっというまにその光は弱くなって消えてしまったあとに残るものは何もなかったがその星は「きぼう」という名を残していった遠く星のように輝いてみえるものはたしかに希望そのものかもしれないその希望の本体は国際宇宙ステーションというらしい夜空の目視では大きめの星にしか見えなかったが実物はサッカー場くらいの大きさがあるという地球をぐるっとサッカー場を周回させてみるその星で...きぼうという名の星をみた

  • どこへ行き どこへ帰るのか

    カラスの鳴き声で目を覚ましたがまだすこし暗めの朝なのでしばらく寝てようか起きようかと半分目覚め半分寝ぼけてレム睡眠の夢の浅瀬で枕につかまり溺れていたが夢には時制も脈絡もなくてきちんと辿るのは難しく反芻して納得することもできず曖昧に筋書きを残したまま夜具ともども打ち払い取り敢えずベランダに出てみるとまだ薄暗い空の下を三つ四つ二つ三つなど夢の残滓のような黒いものひたすら南へ南へと飛び急ぐさま夢の霞から抜け出してみればまだ醒めきらない空を急かしているのはカラスの群れで南の方角の空の彼方どこに目的の場所があるのやらいつもの決まった行動の先に彼らにとって生きやすくおいしい食べ物が豊富にあるカラスの楽園でもあるのだろうかアホーアホーと風を煽りアホーアホーといっしょに飛べたらその楽園を確かめてみたいがたぶん深くて大きな黒い森...どこへ行きどこへ帰るのか

  • 月天心貧しき町を通りけり

    先日は中秋の名月だとかでフォローしているブログの多くにきれいな満月の写真がいっぱい載っていたのでそうなんやとばかり夜空を見上げたらほんまやまん丸で綺麗な月がぽつんと輝いており月はどこで見ても同じなんやみんな同じ月を見てるんやと久しぶりにしみじみと眺めるうちそうそう写真を撮らねばと思いたったがなんせ月は近いようで遠いようでケータイではなかなかピントも合わず埃だらけの三脚を出すのも億劫で物干し竿を支えにしてシャッター押すも画像はくずれた目玉焼きのような名月いや迷月になってしまい気まぐれ雲もまだらにボケてすこし怪しげな月スナップになったかも取り敢えずはこんなものかとこんやの月見を終わりにしようとしたら月天心貧しき町を通りけり柄にもなく蕪村の句が思い浮かんできてそういえば子どもの頃のわが町も貧しき町だったかなあとしみじ...月天心貧しき町を通りけり

  • 見知らぬ街を歩いていると

    夢の中でしばしば屋根や塀の上を歩いていたりするがこれって猫にでもなってるんかなあ昔の人なら前世はきっと猫だったよと言いそうだが周りは見知らない街や人ばかりでとりあえず駅までの道順を尋ねたりするところはまるっきりの猫でもないらしく猫が迷子になったりもしないだろうからいやいや猫以下になってるのかもしれないがそれにしてもなんでこんな夢を見たりするんだろうか見知らぬ土地の初めての街を歩いたりするのって楽しいことのはずなのに迷子になって歩き回った感覚は疲労感ばかりが残ってしまい目覚めたあともまだ迷いの感覚が漂っていてその朦朧としたなかでキーボードを叩きながら言葉を探っていると夢と現実が混濁したり過去と現在が交錯したりしてその混沌としたものをそのまま言葉に変換しようとしたり浮かんだ言葉を繋げたりしながらそのときどきの記録を...見知らぬ街を歩いていると

  • 古い記憶の断片を拾ってみると

    6歳まで大阪で育ったので幼児期の記憶は大阪にあるがその時期の古い記憶というものは断片しかなくてそれでいて鮮やかに存在していて何故こま切れのその部分だけが蘇ってくるのかもはやそれはスナップ写真に似たものかもしれなくて何らかの深い意味が含まれているとも思えないのに1枚の写真のようなものが幾枚かあって1枚目の記憶の写真は2階に上がる階段の一番上で父とふたりで黙って座っているもうすぐ妹が生まれるらしかったそれだけの静かなシーンがぽつんとある祖父に押さえつけられ灸をすえられて泣き叫んでいる祖父の家に泊まると敷布の糊がばりばりに効いていてそれが嫌だった小さなボートに乗っていて父は魚釣りをしているらしくぼくはボートの縁で水中を覗いている船べりに小さな蟹が無数にへばりついているそれをじっと見つめているそれだけのことで前後は何も...古い記憶の断片を拾ってみると

  • あしたの朝顔 はないちもんめ

    朝顔の花には朝がある朝顔姫の挨拶はオハヨーだけもしもし姫よ花さんよ花はどこからやって来るのかよくもぱあっと突然に次から次と咲けるもの日ごとに小さくなってはいるがそれでも形は朝顔のまま空に向かって花びら全開そのアンテナは何を受信するのか混線模様で開けないのもあり閉じた傘のような蕾のままで大事な朝が終わってしまうのもあり誰かの一日もそんな朝顔で天気が気になって咲けなかったり茂みのなかで閉じこもったまま大きな葉っぱを押しのけられずこの朝はこれっきりの朝なのに咲けない朝顔が哀れになってすこし手助けしてやろうとしたが花には花の道理があるようでうまくいかずに気分一新といつものウォーキングへいざ発進さくら落葉の遊歩道黄色い帽子の通学路黒猫にゃんこの池畔の道の水面には亀の頭がポカリスエッとよくよく見ると周りでいくつもどれも揃っ...あしたの朝顔はないちもんめ

  • ふと星の数をかぞえてみたら

    夏の夜はベランダに出て夜空を見上げることもしばしばこの街では星はたったの三つしか見つからなくて満天の星なんてすでに死語で星明かりの下でなんていうほのかな情緒もなくなった都会は地上ばかりが明るすぎて天空の光は消えてしまって暗い夜空の奥の方でいまも星の時間が流れているとしたらそんな星の過去へと舞い戻って記憶の中の星を拾い集めてみたくなっていつだったかは言葉の遊びでガラス玉のように星を集めてポケットをいっぱいにしたこともあり夜道を自転車に乗って友人に会いにいった頃は星空なんてとんと関心もなくぼくらは夜の深みに溺れていたのかやはりホントのことは見えていなくて美しすぎて神秘すぎてなんて全部うそばっかりだと友情も壊してしまいそうになってそれきり星のことなど忘れてしまっていたが初めて本物の星空を見たのは23歳のぼくが初めて登...ふと星の数をかぞえてみたら

  • 熟田津に船乗りせむと月待てば

    うちつづく灼熱の太陽に焼かれたコンクリートの部屋を逃げ出し行く川の流れに身を任せて浮袋になって水に浮かんでいると氷河の白熊ほどではなくとも流し素麺くらいの生き心地は味わえ川には瀬もあり淀みもありダムがあり吊り橋もあったり笹舟を浮かべて世の泡沫(うたかた)と戯れボートに寝ころんでいと麗しき人をおもい虚しく空ばかり眺めているうちに雲は変幻自在に形相を変えて八方その手が伸びてくるのでこちらの手も水から引き剥がそうとしてみるがなかなか水の手が離してくれなくて手の平は水かきになったようでだが魚のようにスイスイとはいかずいっそ体を空っぽにしてみると浮袋の体は軽くなって良いのだけれどもしも魚であれば沈む力がなくなると浮かんだままで終わってしまいそのとき魚は魚でなくなってしまうから水面に浮いて喜んでいる身はいまは人でもなく魚で...熟田津に船乗りせむと月待てば

  • わたくし的歩き身体改造論

    わたくしは私であり僕でありあたしでありおれでありあたいでありおいらでもあるがひげの吾輩ほど偉くもなく猫ほどに賢くもないわたくしの身体の査定はほぼポンコツでガタビシ足はガクガク心臓はパクパクおまけにハートはビクビクヒヤヒヤこれまで暢気にとんとん拍子で坂を下ってきたのは老ノ坂だったのかこの青息吐息で四苦八苦のくたびれた身体を今更ながら心機一転の補修でなんとか南無三宝おんあぼきゃ曼斗羅虫の神さま草の神さま八百万の見えないちっちゃな神さまとも談合し弱った臓腑には陀羅尼助丸やら正露丸をぶっかまし冷水摩擦で皮膚をしばいて靴ひもしめてやっこらえっこら息継いで坂をのぼる朝夕公園の鉄棒は腕は伸びきりただぶら下がるだけ地面と足とのこのブランクが伸ばしてみても縮めてみても運動不足の怠惰が分銅に掛かり針は動かず塵芥も舞わず汗はぽたぽた...わたくし的歩き身体改造論

  • 眠りの道は暗中模索支離滅裂

    眠りに入るということは日常の意識がなくなるということで生きていながら一時的に死んでいるのではないかなどと考えたりすることがあるが寝床に入ってすぐに眠ってしまうことはまれでしばらくは体は静かに横たわっているが頭の中では無意識に何かの思考が巡っていたりしていて考えたり想ったりしていることがいつのまにか飛躍するというか沈降していくというかふとなんでそんなことを考えたりしていたのかそんな脇道のようなところへ彷徨いだしていたのかと我に返ったりしてそのときはすでに夢の淵を浮遊していたのだがあらためて枕の位置を変えたり体を横向きにしたりして本格的な睡眠の舟底に思考を沈め夢の波間へ漂い出すのに身を任せようとするとすでに自分は自分ではなく覚醒や睡眠の感覚も失われていきその瞬間をここちよく受け入れていることもあるしその境目もわから...眠りの道は暗中模索支離滅裂

  • 泥の中にも四季はあったかも

    ぼくはときどき泥んこになって泥と夢中で遊んでいたけれどあるいは無心で泥を見つめていたりしたけれど泥は土と水がいいあんばいに混じりあいやわやわでぬるぬるでつるっと滑りやすくその感触というか体感というかは触れていると気持ちが良かったり悪かったりするのでいっそ裸になって泥の上を滑走してみたが体じゅうが泥まみれになって自分の体が自分の体ではないような体の皮がひび割れて粘土みたいで乾くと人の埴輪になってしまいびっくりして目と口を開いているものだから見るものは空と雲とぼんやりと霧だったり口にするものは味のない綿毛のようなものばかりで吐いても吸っても体の中は空洞なので古い言葉で語りかけてくる風が吹き抜けていくとそれが埴輪になった人間の記憶なのだけれどなかなか埴輪の気持はイメージできず春は泥の中からどじょうが目とヒゲだけを出し...泥の中にも四季はあったかも

  • 日々をつくす夏はあったか

    この夏もあの夏も夏は暑すぎておろおろおろちけろけろカエルのお腹は白くてやわやわばらあだばらあ緑陰のふかい影ばかり探して薄暗いところに籠っているとこれまでずっと日向を避けるガマだったようなともすれば暗くて湿った蛇穴に落ちて反省ガエルで悔いたくなってしまうがどれも些細なことばかりとぐろを巻いて巻き戻すとトンボの羽を半分切って飛ばして遊んだことだったりあのときトンボは半分の空しか飛べなかったのかなと絵日記を半分残してしまった虚しさ悔しさオニヤンマの通り道で待ち伏せし竹のムチを振りかざしたら気絶して落下したヤンマは羽と目玉を開いたままで見上げるとむくむく入道雲が百面相になっていつかどこかで会った人の顔に似ていたりすみませんすみませんと謝ってしまうばらあだばらあそろばん教室の帰り道で下駄の鼻緒が切れて片足けんけんしていた...日々をつくす夏はあったか

  • いまは燃えよう

    美しいものは美しいすばらしいものはすばらしい真夏の夜の夢をみる輝くものには感動しよういまは燃えよういまは歓喜しようだが熱い祭りが終わったら燃やしつくせない朝がくる安心ではない安全でもない不安な朝に目を覚まそういまは燃えよう

  • 光の朝は光の虫をおって

    あさベランダの手すりにきれいな虫が止まっていた久しぶりのタマムシだあの法隆寺の玉虫厨子の玉虫だったもう絶滅したのではないかと思っていたそれが光っている輝いているカポックの葉っぱに止まらせて写真をとったじゅうぶん撮ったところで虫は翅をぱっと開いてすばやく飛び去ったこの朝からずっとさぼっていたウオーキングを再開した玉虫が集まるという榎のある公園をあるくその木は大きくて空まで広がっている光の朝は光の虫をおって

  • そのとき人は風景になる(10)

    ごんしゃん、ごんしゃん、何処へゆくいちどだけ、エムの家に泊めてもらったことがある。朝食の味噌汁にソーメンが入っていたのが珍しかった。奈良ではそのような食べ方をするのかと思ったが、それがにゅうめんというものだと、だいぶ後に知った。彼の家はまだ新しく、子供らも小さくて盛んにはしゃいでいた。その後、ぼくはエムとは幾度も会っているが、彼の家を訪ねたことはそれ以後ない。通夜のときに久しぶりに会った彼の子供らは、小さかった頃の面影もないほど成人していた。二人の息子の一人は長身で体格がよく個性的な顔立ちは母親に似ているようだった。それに対してもう一人の息子は、背も低くほっそりしていて病弱そうで、その容姿は郷里にいた頃のエムの姿を彷彿とさせた。そのせいか彼の所作が気になって仕方なかった。小柄でひ弱そうだった青少年期のエムの姿が...そのとき人は風景になる(10)

  • そのとき人は風景になる(9)

    石の舞台でうたう人は日毎に高原の記憶は遠くなっていく。3人で名前を刻んだ岩も、ふたたび確かめることは出来なかった。奈良飛鳥の石舞台古墳に初めて案内してくれたのも、友人のエムだった。その頃は田んぼの中に、とてつもなく大きな石がただ積まれてあるだけだった。なんであんなものが、あんなところにあるのだという驚きは、容易に解かれることのない、飛鳥という古い風土そのものの巨大な謎の塊りにみえた。石舞台古墳は、『日本書紀』の記述や考古学的考察から、蘇我馬子の墓だという説もあるが、真相は未解明のままらしい。この石の舞台で、狐が女に化けて舞いをしたとか、この地にやって来た旅芸人が、この大石を舞台代わりにしたとか、そんなエムの話の方がしっかりと記憶に定着していて、そこから今でも、ぼくの幻想は広がりつづけている。そのときエムは、あの...そのとき人は風景になる(9)

  • そのとき人は風景になる(8)

    サインはパンの匂いがするケイくんがピッチャーでぼくはキャッチャーサインはストレートとカーブだけあの小学校も中学校もいまはもうないケイくんはいつも甘いパンの匂いがした彼の家がパン屋だったからだがベーカリーケイもいまはもうない最後のサインはさよならだったさよならだけではさみしくてもういちどさよならをしてそれでもさみしくてまたねと言ったサインは変わらない左の掌をポンポンとたたいてみるいつもの朝がひとりぼっちでやってくる食卓にはパンと牛乳とマーガリンベーカリーケイのパンではないけれどパンには賞味期限がある(1)そこには風が吹いているそのとき人は風景になる(8)

  • そのとき人は風景になる(7)

    彼はエムでありエム君でもあったどうでもいいことを、だらだらと書き続けている。ただ書いている、と言われそうだ。が書いてしまう。エムとはずっと関わりがあった。さほど深くはなかったが、小学生の頃から大人になってからも、どこかで懐かしさのようなもので繋がっていた。中学時代、ぼくはエムのことを「エ厶」と呼び捨てにしていた。そのことを別の友人から、どうして「エム君」と呼ばないのかといって咎められたことがある。そのとき初めて、それまでのエムとの関係を意識したような気がする。エムとはそれだけ親しかったともいえる。小学生の頃からずっと彼は「エム」だったのだ。体が小さくて弱々しそうだった彼に対して、少年のぼくにとっては「エム君」ではなく「エム」と呼ぶのが自然だったのだ。兄弟のような親密さとともに、少年特有の威圧的な感情も含まれてい...そのとき人は風景になる(7)

  • そのとき人は風景になる(6)

    フランスへ行きたいと思うけどアテネ・フランセのフランス人のきれいな先生あなたをおもうと胸が苦しいですジュ・テームあなたが好きですだけどぼくのフランス語は通じません日本語も通じませんあなたのフランス語は歌のようその香りの風にのってフランスへ行きたいと思うけどフランスはあまりにも遠いセーヌ川はミラボー橋の下を流れているそうですねぼくの苦しみも川に似ています中央線御茶ノ水駅の下を流れているのは神田川です(1)そこには風が吹いているそのとき人は風景になる(6)

  • そのとき人は風景になる(5)

    そこにはいつも風景があったぼくの東京行きは3月15日に決まっていた。ちょうど前日が18歳の誕生日だった。これまでの生活の習慣から解き放たれて、中途半端な境界域の上に立たされているような気分だった。何かを始めようにも、始めた途端に終わらなければならないような、スタートの場所がゴールの場所でもあるような、いまはまだ何も始まらず、何も完結できない、そんな状態の中で新しい生活への心構えがなかなか出来ないのだった。日常生活の変化に戸惑っていた。考えてみれば、それまで親の手から解き放たれたことはなかった。巣箱の中で羽をばたつかせてみるが、なかなか飛び出せない臆病なひな鳥だったのだ。ぼくは毎日あてもなく近くの山を歩き回っていた。まわりの風景はいつも、春の霞みにぼうっと包まれていた。遠くの活火山のやわらかな噴煙が、薄い雲の中に...そのとき人は風景になる(5)

  • そのとき人は風景になる(4)

    海をわたって風のくにへ西へとみじかい眠りを繋ぎながらうず潮の海をわたる古い記憶をなぞるように島々はとつとつと煙りの山はゆったりと風の声を伝えてくる雲は思いのままに夏の空は膨らみつづけるいつかの風に誘われてぼくは眠り草に手を触れてみる憶えているのは土の匂いと水の匂いそして古い遊び風のくにでは生者よりも死者のほうが多い山の尾根でふかく花崗岩とともに眠っている竹やぶの暗い洞窟では白い百合になった切支丹が風の祈りを刻みつづける迎え火を焚いたら家の中が賑やかになった古い人々は古い言葉をつかった声が遠いと母がぼやく耳の中に豆粒が入っているといくども同じことばかり言うので子供らも耳の中に豆粒を入れた送り火を焚いて夏をおくる耳の豆粒を取り出すと母の読経が聞こえたひぐらしの声で一日が明けてひぐらしの声で一日が暮れる日がな風ばかり...そのとき人は風景になる(4)

  • そのとき人は風景になる(3)

    帰途はシェエラザードの海を漂ういつか確認する日のために、岩に3人の名前を刻印したあと、展望台の麓の草むらで弁当を食べた。母が作ってくれた弁当は、卵焼きがたっぷり入っていた。かつての貧しい弁当とは違っていた。最後の弁当だと思うと胸がいっぱいになった。食べ終わると、いつもの頭痛が始まったので、ぼくは展望台に登るのはやめて、ひとり残って草の中で寝ていることにした。ぼくの頭痛はしばしば起きた。映画を観たあとだったり寝不足だったりすると起きた。草むらを抜けてくる風の音に混じって、しばらくの間、ふたりの話し声が聞こえていたが、それも次第に遠くなって、あとは草がそよぐ音だけになった。きゅうに周りの風が静寂の音に変わった。少しだけ伸び始めた髪の毛をくすぐるように風が吹いていた。髪はほんの数日前に伸ばし始めたところだが、手で触れ...そのとき人は風景になる(3)

  • そのとき人は風景になる(2)

    高原の、ただそこにある岩その高原はそこにあった。ただ大きくて、ただ広くて、ただそこにあった。以前に初めてその広い風景を眼にしたときの驚きが、ふたたび蘇ってきた。視界の果てまで、ほとんど人の手が加わっていない、原初の姿そのものが放置されてあった。広さは広さのまま、草は草のまま、土は土のまま、風は風のまま、人も人のまま、になりきれそうだった。その風景そのものが大きな感動としてあった。詩や小説のようなものを書いてみたくなっていたぼくは、何としても、その時の風景と感動を文章にしたかった。なにかが熱く体の中で燃えていた。その炎が消えないうちに書き留めたかった。けれども、書けば書くほど何かをただ浪費しているように思えてしまうのだった。ぼくには書けなかった。ぼくが感動しているものが何なのか、その実体が掴めなかった。まるで炎の...そのとき人は風景になる(2)

  • そのとき人は風景になる

    (1)いつも風が吹いているいつも、そこでは風が吹いている。いつも、春先の柔らかい風の記憶が、一番鮮烈な形で蘇ってくるのはなぜだろう。ある時、突然、そして偶然に、山々の姿を、草原のうねりを、大きな放物線をいくつも描きながら、懐かしい風景を運んでくるのは、いつも風だ。そのとき風は、草いきれと微かな草の擦れ合う音も運んでくるのだが、ぼくには思わず口ずさみたくなる、記憶の奥にある旋律にも聞こえる時がある。ぼくは東京にいて新聞を配達したりしながら、代々木の予備校に通っていた。九州の友人からは、長い手紙が届くこともあった。名前の判らない小さな花が入っていた。リンドウに似た高地に咲く丈夫そうな花で、咲いた状態が想像できる形がそのまま残っていた。彼はひとりで久住高原に行ってきた、そのときに摘んできたものだと書いてあった。かつて...そのとき人は風景になる

  • 作文教室

    あさおきて、かおをあらって、ごはんをたべて、それからがっこうへいきました……そこでもう、ただ鉛筆を舐めるばかり。その先へは、ちっとも進めない。楽しかったことや、辛かったことも書いたらいい、と先生。やすみじかんに、こうていで、やきゅうをしました……それは楽しかったことだ。しかし文章にしてみると、すこしも楽しくない。一日のあったことを、ありのままに書いたらいい、と先生。ありのままに書くとは、どう書くことなんだろう。楽しかったことを、楽しかったこととして書くとは、どう書くことなんだろう。そもそも、なぜ文章など書かなければならないのだろうか。ぼくは書くことが苦手だ。というか、文章というものが書けない。ありのままを言葉にする。本当にあると思えるものを言葉にする。でも言葉は、ありのままや本当にあると思えるものを、そのままな...作文教室

  • ぼくのトンボ

    ちびた鉛筆のようなトンボが風をひっかきひっかきぼくの背たけを測ろうとするきょうのぼくはすこし大きくなったかな朝ごとにぼくのトンボは生まれてくる水草の夢のどろんこの中から春の野は花ざかり甘い香りに満ちているのでトンボはしばしば風を見失うぼくは腕を伸ばして背伸びしてみるだが羽が濡れているのでまだ飛べないぼくのトンボ

  • ノルウェイの森へ(2)

    ↓前回(1)からの続きここでいきなり最終章へとぶね。「僕」の下宿の庭で、レイコさんと直子のお葬式をするシーン。ぼくはこのシーンがとても好きだ。心にあいた暗い穴に、ローソクの灯が一本一本ともっていくような気がする。この小説におけるクライマックスではないだろうか。レイコさんが療養所を出られたのは、あなたと直子のおかげよと言う。そして、直子との最後の夜のことを語りはじめる。直子がレイコさんに最後に語ったのは、一度きりの「僕」とのセックスのことだった。その時のすばらしかったことを仔細に語ったという。それは直子にとっても、生きていることの実感と愛することの喜びを感じた、彼女の人生の頂点だったんだね。レイコさんが、そんなに良かったんならずっとワタナベ君とやってればよかったのに、というと、直子は「何かの加減で一生に一度だけ起...ノルウェイの森へ(2)

  • ノルウェイの森へ(1)

    『ノルウェイの森』やっと読み終わったよ。やっぱり深い森だったね。ぼくは二度目なので、もう迷うことはなかったけれど……。きみは、頻繁に出てくる性的表現にちょっと辟易したとのこと。ぼくも以前読んだときは、それに近い感想ももったけれど、こんど読み返してみて少し認識が変わった。村上春樹が扱っている性(セックス)は、ポルノ的な意味や倫理的な意味で受け取るのではなく、文学的・哲学的な意味で解したほうが良いかなと思った。もちろん小説なので娯楽的な一面はあるにしても、あそこまでしつこく性の表現に拘っているということは、作者が性(セックス)というものを通して表現したかった、特別な意図があったにちがいないと考えてみた。大江健三郎や村上龍など多くの現代作家にとっても、性(セックス)は人間を表現する上で、かなり重要なファクターになって...ノルウェイの森へ(1)

  • 桜とピアノ

    ぼくが通っていた小学校に、ピアノという楽器が入ったのは6年生の時だった。ピアノは広い講堂の隅っこに置いてあった。とても大きな楽器だった。それまではオルガンしかなかった。いろいろな形をしたオルガンが、いくつかの教室の隅に置いてあった。ときどき、いたずらをして弾いてみるのだが、足踏みペダルの板は重く、古いオルガンは鍵盤を押しても音が出ないこともあった。オルガンの音は、牛や蛙の鳴き声に似ていて楽しかった。ピアノの音はよく響いた。音楽のイメージが変わった。音楽の先生はふたりいた。どちらも女の先生だったが、若い方の先生は新参の先生で、ピアノがあまり得意ではないみたいで、放課後の講堂で、もうひとりの先生に指導してもらっていた。ピアノをよく弾ける方の先生は美人で快活だった。ぼくもその頃には、ひそかに好きな女子生徒がいたりして...桜とピアノ

  • 桜と三塁ベース

    ことしも桜が咲いた。と思うまもなく散ってしまった。桜の花を見ると、小学校を思い出すのはぼくだけだろうか。ぼくはいつも野球帽しか被らなかったが、友達が学帽の徽章を買いに行くというので、文房具屋までついていったことがある。新品の徽章には、中心に小学校の小という字が入っていて、五弁の桜の花びらがきらきらと光っていた。そういえば小学校の広い校庭の周りには、間隔を置いて桜の木が植わっていた。他の木もあったかもしれないが、とくに憶えているのは桜の木だけだ。そのうちの幾本かは、今でも脳裏に残っている。いつも三塁ベースの代わりになる桜の老木があった。出塁のあいだ、ベースを足で踏むのではなく、桜の木に手で触っているのだ。そのときの桜の木肌のざらざらとした感触が、いまだに手に残っている。セーフアウトといったかん高い声まで聞こえてき...桜と三塁ベース

  • ホーム

    その桜は日がな古びた木の椅子に腰かけていた風はゆるく吹いていた雲もゆったり流れていた小鳥も虫もいつもと変わらぬ春だけど出会っても別れても乾杯もなく送る言葉もなく記念撮影もなかった春だからすこしだけ化粧をしたひらひらと花びらとなって風となって雲となってその桜はやがて百年の山へと帰っていったホーム

  • どこへ行くのか

    目が覚めたら枕元にぼくのぬけがらが転がっていた昨夜のままで皺は皺くちゃのまま色褪せは色褪せたままなんたる奴だぼくはぬけがらをまとうぬけがらが腕を伸ばすぬけがらが膝を伸ばすぬけがらがよたよたと歩き始めるいつまでぬけがらのままでお前はどこへ行くのかぬけがらも知らないどこへ行くのか

  • 16歳の日記より(9)川

    春浅い川の水面は静かに澄みきっている。岩にくっついた川ニナは水垢を被ったままだし、ドンコの子は砂地にはりついて動かない。明るい陽ざしが川底の石の影までくっきりと見せている。やがて吹き荒れる春の嵐に水面は騒ぎ始め、川は目覚める。魚たちは温んできた流れに不吉な予感を覚え、岩陰を求めて激しく鱗を散らすだろう。雨が降り続くと、山や田圃から溢れてきた濁流で川は混乱する。魚たちは木の枝や葉っぱや草や虫や、外界のさまざまなものにもまれて厳しい洗礼を受ける。川は肥沃な流れとなり、どん欲な魚たちは丸々と太るだろう。やがて初夏の太陽のもとで魚たちは狂い、浅瀬は朱に染まる。鉤針に釣り上げられる魚の腹や鰭は、婚姻色で花びらのように美しく燃えている。魚は背びれを激しく水面で振るわせながら、いたるところ白い精液を放出し、白濁した川は祭りの...16歳の日記より(9)川

  • 16歳の日記より(8)陽炎

    城跡へ登る。そこはもともと孤立した一つの急峻な山であるが、今は石垣で鋭角的に切り取られた大きな傷跡のようにみえる。古い戦いの跡の傷ともとれるし、いまだ癒しがたい古人たちの夢と欲望の傷跡ともとれる。踏み固められた石段の下、そして崩れた石組み、幾百年の闇を湛えた古井戸と桜の老木に絡みつく藤かずらなど、いたるところで古傷が疼いているようにみえる。石垣の端に立って垂直に落ち込んだ谷を見下ろす。早瀬の白く光る川がこの城山を取り囲み、この地を天下の要塞とする。だがそこに護られ残されたものは何があるだろう。春の陽光のもとで傷だらけの山が呻いている。そして呻き声は陽炎となって燃え上がっている。僕もまた陽炎に包まれて僕自身の内なる呻き声を発しそうになる。僕の五体も戦い傷ついているような、あいまいな疲労を感じてしまう。なま温かい風...16歳の日記より(8)陽炎

  • 16歳の日記より(7)

    kは強度の近視だ。彼のメガネのレンズは無数に渦巻が入っている。その渦巻の中心で彼の目は小さく萎んで見える。視力が弱いせいか彼の動作は愚鈍で、お爺さんという不名誉なあだ名をもらっている。だが彼はさほど気にしているようにはみえない。体育の時間、皆は面白がって彼を目がけてボールを投げつける。彼は受けようとして両手を出すが、その時はすでにボールは彼の顔面を直撃している。それでも彼は笑っている。彼の度の強いメガネを通すと辛辣な言葉や行為も、その視覚と同様にぼやけてしまうのだろうか。愚鈍なのは彼ではなく、彼の視力であり、度の強いメガネのせいなのかもしれない。僕はときどき彼の眼鏡を借りたいと思う。僕の視力は両眼とも見えすぎるくらいに良い。だから投げられたボールを見失うことはない。僕の両手はしっかりとボールの行方を追って行く。...16歳の日記より(7)

  • 16歳の日記より(6)

    僕にとって、黒板に書かれていく化学記号は単なるローマ字と数字の羅列にすぎない。ぼんやり見ていると触手を伸ばしていく昆虫のようにも見える。かたかたと音をたてながら白い昆虫が増えていく。やがて僕は、それ以上昆虫の増殖を見続けることに耐えられなくなる。いつものように図書館で借りた本を机の上に出す。しばらくはかたかたという黒板の音も聞いているが、やがて昆虫の世界から離れて行く。開いた本から微かに焦げたおがくずの匂いがする。もうひとつの、より生き生きとした世界の臭いだ。急に活字のひとつひとつが動き始める。活字の形、活字の流れ、活字の固まりと余白、それさえも視覚的に新鮮で懐かしい。今までどこかに潜んでいた名前が、形容詞が、人物が、動き始める。始めのうち僕は、机の上に小さな囲いを作って彼等の動きを牽制しているが、やがて僕自身...16歳の日記より(6)

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