風のyo-yo さん プロフィール

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風のyo-yoさん: 風の記憶
ハンドル名風のyo-yo さん
ブログタイトル風の記憶
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/yo88yo
サイト紹介文風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供80回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2014/10/31 15:12

風のyo-yo さんのブログ記事

  • 釘をぬく夏
  • 学生の頃の夏休み、九州までの帰省の旅費を稼ぐために、解体木材のクギ抜きのアルバイトをしたことがある。炎天下で一日中、バールやペンチを使ってひたすらクギを抜いていく作業だ。いま考えると、よくもあんなしんどい仕事がやれたと思う。毎日、早稲田から荒川行きの都電に乗って、下町の小さな土建屋に通った。場所も忘れてしまったが、近くを運河が流れていた。朝行くと、廃材置き場にクギだらけの木材が山積みされている。 [続きを読む]
  • トンボの空があった
  • 夏は、空から始まる。もはや太陽の光を遮るものもない。真っ青な空だけがある。草の上を、風のはざまを、キラキラと光るものがある。トンボの翅だ。無数の薄いガラス片のように輝いている。少年のこころが奮い立った夏。トンボの空に舞い上がり、トンボを殺すことが、なぜあんなに歓喜だったのかわからない。置き去りにしていたものを、ふと取りに戻ってみたくなる時がある。もはや少年の日には帰れない。けれども古い荷物を、駅 [続きを読む]
  • 山が近くなる日
  • いまの季節、空を仰ぐことが多い。雨の気配が気になる。雨は嫌いではないが濡れたくない。しかし、空気が適度に湿っているのは好きだ。雨上がりの道を、カメやザリガニが這っていたりする。生き物の境界がなくなって、ひとも簡単に水に棲めそうな気がする。なにか原始の匂いが漂う。いつも眺める山が、きょうは近い。そんな日は雨が降る、と祖父がよく言っていた。たぶん大気中の水蒸気が密になって、レンズのような役割をするの [続きを読む]
  • 石の上にも三年とか
  • 3年という、ひとつの区切りのようなものがあるようだ。ひとつの修業年限であり、ものごとの小さな完結年限でもあるのかもしれない。生まれ出てからの幼年期も、3年と3年の6年とみることができる。最初の3年で、ひと通りの行動や言葉を覚える。次の3年で、子どもによっては特殊な技能や技芸の修練が始まったりする。ひととして大きく成長する。7歳で小学校に入学し学業が始まる。小学校は3年と3年で6年。中学校と高校が [続きを読む]
  • 親父の帽子
  • 父の死後、3年ほどがたっていたと思う。その頃はまだ、玄関の帽子掛けに父の帽子が掛かったままになっていた。何気なくその帽子をとって、被ってみた。小さくて頭が入らなかった。父の頭がこんなに小さかったのかと驚いた。離れて暮らしていた間に、父は老いて小さくなっていたのだろうか。ぼくも背は高い方だが、父はぼくよりも更に1センチ高かった。手も足もぼくよりもひと回り大きくて、がっしりとした体躯をしていた。父の [続きを読む]
  • 赤土の窓
  • こんな詩を書いたことがある。   赤土の窓から   おじいさんの声がするなんじゃこりゃ、と、この赤土の窓ってどんな窓なんだろう、と思われたかもしれない。詩の言葉だから何でもありで、読んだひとが勝手にイメージを広げてもらえばいいし、それを期待しての表現でもあったわけだけれど、その情景を散文で表現しようとすると、すこしばかり言葉の説明がいるかもしれないと思った。祖父が住んでいた家だから、ずいぶん古い [続きを読む]
  • 小さな恋人
  • はるばる山形からやってきた、小さな小さな恋人と、久しぶりに甘く酸っぱい口づけをした。いっときの至福のときを過ごす。こんどは、いつ会えるかわからない。赤い実をひと粒ずつ口に入れる。さくらんぼといえば、小学校の校庭に熟して落ちていた、小さな紫色の実しか知らなかった。都会には、たくさんの果実があった。地中海の海の色だという、リキュールの海に赤いさくらんぼが浮かんでいた。口に入れたものかどうかと、薄いグ [続きを読む]
  • ごびらっふの日記
  • きのうの雨で洗われたように、今朝は澄みきった青空と眩い太陽がいつもより美しく見えた。おもわず日食グラスを取り出して太陽を覗いてみた。もちろん何の変哲もない、ただのまん丸だった。まっ黒な空に切り抜かれたような白い穴だった。光と熱を失った太陽の、さみしい影を見たようだった。草野心平の詩心があれば、「雲を染めて。震えるプディン。」などと、すこしは美味しそうにも見えたかもしれない。通りがかりの人が、太陽 [続きを読む]
  • 足跡も濡れている
  • 雨水をいっぱいため込んだような、重たい雲が空を覆っている。湿度80%をこえる日がつづく。まもなく水棲生物になって、エラ呼吸を始めることになりそうだ。水が体の中を通り抜けていく、あるいは水の中を体が潜り抜けていく。そんな生き方の感覚とはどういうものだろうか。体のなかが洗われるようで、あんがい快いものかもしれない。ときおり雨雲の飛沫が降りかかる。1300年の霧がもやっている。奈良盆地も海の底だった。 [続きを読む]
  • つぶやきの梅雨
  • けさホトトギスの声を聞いたテッペン カケタカそうか カケタカその空の欠けたところからもうすぐ雨粒がこぼれてくるんだろうなきょう6月の雨がいっぱい降ったきっと地球がいっぱい汚れていたんだろうな [続きを読む]
  • 6月の風
  • いまは6月の風が吹いている。空がどんなに晴れ渡っていても、風はすこし湿っている。そんな6月。空には太陽があった。雲があった。そして月があり、星があった。ときには羽をひろげた鳥や虫たちが、空に溶け込むように飛翔していた。ぼくは中学生だった。あるとき、雲の存在が急に近くなった。毎日きまった時間に空を見上げ、雲の様子をじっと見つめた。雲の形と色を、灰色のクレパスでノートに写した。写してみると、それは雲 [続きを読む]
  • クモの糸
  • ネット上では、言葉(文字)なしでは何も始まらない。ブログに文章を書き、投稿サイトに短文を発表したりしているぼくの生活は、かなりの部分をネット上の言葉(フォント)に依存していることになる。そこでは、こちらの意向はもちろん言葉で伝えるわけだが、相手や、その他不特定の人たちの思考や気持(最近では写真でも)も、言葉だけで推量しなければならない。相手の言葉の過剰だと思われる部分はすこし引いてみたり、解かり [続きを読む]
  • 朝の顔
  • アサガオの芽が順調に伸びている。とくに面倒をみるわけでもないので、アサガオはアサガオで勝手に生長しているのだろう。それでも一枚ずつ葉っぱを増やして、少しずつしっかりとした形になっていくのを見ていると、小さな幸せを育てているような気分になる。結婚したばかりの、友人の新居に泊まったことがある。ぼくは23歳だった。別府の結核療養所で、1年半の療養生活を終えたばかりだった。ふたたび東京で学生生活を始める [続きを読む]
  • どんな事にも時がある
  • どんな事にも時があるらしい。  「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。   生まれる時、死ぬ時、   植える時、植えたものを抜く時」。旧約聖書に書かれてある言葉らしい。定められた時がわからないから、ぼくはおろおろする。せめて、植える時くらいは、定められた時を守ってみようと思う。それも、しっかりと定かではないが。机の上を片付けていたら、アサガオと風船カズラのタネが出てきた。水に漬けておいた [続きを読む]
  • 白い道
  • このところ、白い花がよく目につく。いまの季節は、白い花が多いのだろうか。地上では野イチゴの花やハルジオンの花、頭上ではヤマボウシの花が空に向かって影をつくっている。近くの土手でも、名前の知らない白い花が点々と咲いて揺れている。もちろん、赤や紫、黄色の花も咲いている。それなのに白い花ばかりが目について、そのことにこだわる意識が強くなっている。白い花が、色を失った色のない花に見えることがあった。白い [続きを読む]
  • 恋する指
  • 男は人差し指を伸ばして、「こいつが一番よく君を覚えていたよ」と言う。女はさっと首まで赤くなって、「これが覚えていてくれたの?」というのは、川端康成の小説『雪国』の男と女の再会のシーンだった。だいぶ以前の話だが、「指恋」という新語を初めて目にしたとき、ぼくの頭にはそんなシーンが浮かんだのだった。すこし古すぎる恋だったかな。指恋という、この言葉を一時期よく目にした。というか、気にいった言葉だつた。ケ [続きを読む]
  • いのちの糸
  • 手の甲がかゆいので見たら、小さな虫が頭を持ち上げてもがいていた。2センチほどの毛虫だ。先日、わが家のベランダで巣立った虫たちのことを思い出した。よく成長したものだ。とっさに、そう信じ込んでしまった。貧弱な体つき、愚鈍な動き、どうみても見ばえのしない虫だ。それなのに懐かしいのは、この春、おまえらの出生に立ち会ったからか。ふっと吹いたら、毛虫は浮きあがるように宙に浮いた。頭上の桜の枝葉から、見えない [続きを読む]
  • 空が飛んだ
  • 空を飛んだ、でもなかった。空へ飛んだ、でもない。空が飛んだ、なのだった。ふと窓へ目をやったら、鳳凰が羽を広げたような白い雲が、窓いっぱいに広がっていた。おもわず空が飛んでいると思った。大きな白い羽を広げて、飛んでいるのは雲ではなく空だった。それは一瞬の錯覚だったけれど、錯覚であることを確かめる前に、カメラを持って外へ飛び出していた。とにかく何かが飛んでいるという、その不思議さに突き動かされたのだ [続きを読む]
  • 瞑想する椅子
  • 近くの公園に、丸い形をした石の椅子がある。椅子は数個あり、それぞれの座面にいろいろなわらべ唄がプリントされている。そのひとつに座って、ぼくは瞑想もどきをすることがある。今朝の椅子には、次のような唄があった。    おさらじゃないよ    はっぱだよ     はっぱじゃないよ    かえるだよ    かえるじゃないよ    あひるだよ    あひるじゃないよ    かっぱだよ解るようで解らない唄だ [続きを読む]
  • 潮の流れに
  • 何日か留守にしていた間の新聞を、あとになって拾い読みしていたら、4月19日は旧暦の3月24日で、壇ノ浦の戦いがあった日だとの記事が目に入った。およそ800年後のその日、ぼくは瀬戸内海を航行するフェリーの船上にいたのだった。次々に移り変わる大小の島々の風景が、いま思い返すと無数の船団にもみえてくる。祇園精舎の鐘の声、平家軍は一ノ谷の合戦に破れ、海を渡った屋島の戦いでも大敗。瀬戸の海を西へ西へと敗走 [続きを読む]
  • 海の道
  • 姪の結婚式があり、九州に帰ってきた。ぼくの九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。遥かなとき海で生きた海賊の血が、細々と流れているのかもしれない。海を渡ることによって、体の中の血も動くような気がする。航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな道しるべに誘導されるのが心地いい。おだやかな潮の流れに浮いて、日常とは違う波動で、夢 [続きを読む]
  • 妄想のゴミ
  • 朝日を浴びながら公園で瞑想をする。ぼくの場合は、迷想あるいは妄想といった方がいいだろう。晴れた日は妄想も明るい。明るすぎて眩すぎて雑念ばかりがみえすぎる。「きょうもお日さんが昇りよったな」と、いきなり声をかけられた。ゴミを拾って歩くおじさんだ。小さな買い物車に箒などの清掃具を積んで、炭バサミでゴミを拾って歩く。「生きとるかぎりは元気で居なあかん」ひとりごとのようでも、ぼくに話しかけてるようでもあ [続きを読む]
  • 満開の桜は悩ましい
  • ことしの桜の花は、季節をすこし早く来て、早くに去った。あの豊穣な咲き方はなんだったのだろう。すべての枝の先の先まで花を付けて、空を覆いつくそうとした。その勢いを、黙って見過ごすことができなかった。桜は生きて呼吸して叫んでいるようだった。その発している言葉を、聞いてやらなければいけないような気持にさせられた。だが、ぼくには花の言葉がわからなかった。  吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずな [続きを読む]
  • 雀の涙
  • スズメは、ごくありふれた小鳥だ。年中どこにでもいるが、誰もあまり気にとめない。カラスのようにゴミを散らかしたりする被害もこうむらないから、ふだんは無視できるし関心をもつこともない。スズメはとくにきれいな鳥でもないし、格好が良いというわけでもない。どんなにたくさんいても目立たない。居るのか居ないのかわからない。そういった鳥だ。そんなスズメが、わが家のベランダの、植木鉢のかげに巣を作った。せっせと枯 [続きを読む]
  • 桜よ、わが真実を感ぜよ
  • 桜がようやく満開になった。室生犀星の『桜と雲雀(ひばり)』という短い詩がある。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という、よく知られた詩篇の入った『抒情小曲集』の中の一篇だ。    雲雀ひねもす   うつらうつらと啼けり   うららかに声は桜にむすびつき   桜すんすん伸びゆけり   桜よ   我がしんじつを感ぜよ   らんまんとそそぐ日光にひろがれ   あたたかく楽しき春の   春の世界にひろが [続きを読む]