hikaze さん プロフィール

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hikazeさん: 人物言行ログ
ハンドル名hikaze さん
ブログタイトル人物言行ログ
ブログURLhttp://hikaze.hatenablog.com/
サイト紹介文歴史上の人物の逸話、エピソードを紹介するブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2014/11/07 00:04

hikaze さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 晴海埠頭で夜景撮影に挑戦してみました
  • 前回投稿した板橋に行った日の夜、晴海埠頭で夜景撮影に挑戦してみましたので、そのときの写真を載せようと思います(帰省とそのついでに函館旅行をしていたため、ちょっと日数が空いてしまいましたが……)。勝鬨橋勝ちどき駅を出てから撮影した勝鬨橋。勝鬨橋の近くから、東京タワーを撮影。晴海勝鬨橋から晴海埠頭にむかう途中に通った晴海テラスで撮影。80Dを買ったばかりの頃で使いこなせていなかったのですが、それでも楽し [続きを読む]
  • 歴史を求めて板橋へ
  • これまで「東京で撮った写真」として史跡などを訪問した写真を載せていましたが、とても嬉しいはてなブックマークのコメントをいただきました。東京で撮った写真part2 - 幕末維新備忘録史跡を巡り。そのような視点でお写真を撮られ、こうして載せていただくと、その時代に想いを馳せることができます。綺麗に撮られていますね。2016/08/04 14:53happy-ok3様コメントありがとうございました。siawasetori.hatenablog.jpそれで前回ま [続きを読む]
  • サイトを公開しました
  • isin-itsuwa.netサイトがGoogle検索に表示されるようになったので紹介します。『幕末維新逸話辞典』というちょっと大袈裟なタイトルですが、これは森銑三氏の『人物逸話辞典』のサイト版にしたという思いからです。森銑三氏の学識に到底及ばないことは承知しながらも、ネットの利点を生かしてタイトルに恥じないサイトにしていきたいと考えています。人物逸話辞典作者: 森銑三出版社/メーカー: 東京堂出版発売日: 1987/05メディア: [続きを読む]
  • 東京で撮った写真part2
  • 前記事とは別の日に撮った写真です。上野恩賜公園と円通寺の史跡を巡りながら撮影しました。上野恩賜公園小松宮彰仁親王銅像。西郷隆盛像。日差しが強くてうまく撮れず……。また西郷さんの銅像の後方には彰義隊戦死者のお墓がありますが、お墓なので撮影しませんでした。西郷さんと彰義隊といえば上野戦争。で、その上野戦争において一番の激戦が繰り広げられた黒門を表現した壁泉。二年前に来た時は無かったような気もしますが [続きを読む]
  • 東京で撮った写真part1
  • 一眼レフカメラを買ってから東京へ撮影しに行ったときの写真をポストしようと思います。浅草寺ライトアップされた浅草寺。個人的に気に入っている写真の一つです。三脚を使わずに「手持ち夜景」で撮りました。スカイツリーと五重塔。どうもうまく収まらなかったので、広角レンズか魚眼レンズを買ってからまた挑みたいです。五重塔をモノクロで撮影。いつまでライトアップしているのかわかりませんが、雷門は修復作業中で見ることが [続きを読む]
  • 薩英戦争前の薩摩側の奇襲作戦
  • 文久2年8月21日、生麦事件が起きた。これは大名行列の前を騎乗したまま横切ろうとしたイギリス人数名を衛士が斬りつけ、そのイギリス人のうちの一人リチャードソンが奈良原清*1によって斬殺された事件である。イギリス政府は、幕府に謝罪書と賠償金10万ポンド、薩摩藩に下手人の逮捕処分と慰謝料2万5000ポンドを要求した。幕府はその要求に応じたが、薩摩藩は拒絶。そのため生麦事件から10ヶ月経った文久3年6月27 [続きを読む]
  • 示現流について――東郷実政談(史談会速記録)
  • 今回は『史談会速記録 合本22』の第151輯「東郷実政君の示現流剣法の由来附十六話」から、示現流にかかわる逸話を紹介したい。    東郷実政君略履歴東郷実政君は通称六郎兵衛鹿児島県出身にして祖先以来旧藩主島津侯に仕へ世々示現流の武術師範たり君少壮家流の技に達し長して藩内子弟を教導し藩職を歴事して勤労多し維新の戦役に当たっては一隊の監軍となり越後口に向かはれ戦後江戸に凱戦せられ朝兵の指揮を掌とられ [続きを読む]
  • 西郷隆盛と折田要蔵の乱闘――渋谷直武談(史談会速記録)
  • 『近世日本国民史』のなかで徳富蘇峰は、西郷隆盛が高潔な人格とユーモラスな人柄を併せ持っていたこと述べ、くわえて「西郷はことさら恭謙、士に下って、もって人心を収攬せんことを力(つと)めた王莽一流の偽君子ではない。彼はその人の悪事に対しては、もしくはその人の過失に対しては、これを詰責するに決して憚らなかったが、自ら大人として他に誇るがごとき態度は、いかなる場合でもなかった」と記している。その例証となる [続きを読む]
  • 西郷入水に関する吉井友実の回想――西郷入水後の大久保利通について
  • 前回、前々回に引き続いて西郷入水騒動と大久保利通について。今回はまず、小河一敏が筆録した吉井友実の回想を紹介したい。吉井友実が語る入水後の西郷西郷は16日の午後四時頃、人々に介抱されながら家に帰った。ただ眠るが如き状態で無言だったが、夜の九時頃になり尿意をもよおすと訴え、吉井に扶けられて尿をし、ふたたび褥(しとね)に戻ると、「己の紙入れを見よ、月照の辞世あるべし」と言ったので、吉井が濡れた紙入れ [続きを読む]
  • 西郷入水前後の大久保利通
  • 斉彬歿後の薩藩の形勢安政5年7月16日、島津斉彬が没すると藩内の形勢は一変して、斉彬の事業に従事していたものたちは免職または転役となり、御小姓組はその大半が除かれる「俗論蜂起」の時代となった。いわゆる「順聖公崩れ」である。その影響で大久保利通も御徒目付の職を免ぜられ、閑散の身となっていた。西郷の帰藩と有志の奔走俗論党が権勢を振るっていた安政5年10月6日、それまで京?で活動していたが西郷隆盛が帰藩 [続きを読む]
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