永子の窓 さん プロフィール

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永子の窓さん: 永子の窓
ハンドル名永子の窓 さん
ブログタイトル永子の窓
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/0803ogasawara
サイト紹介文趣味の世界
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2014/11/14 21:29

永子の窓 さんのブログ記事

  • 蜻蛉日記を読んできて(解説)その3
  • 『蜻蛉日記』上村悦子著  巻末の解説から一、 作者および近親者たち(5) 夫兼家 兼家はやはり藤原北家の系統で右大臣師輔(もろすけ)の三年で延長七年(929)の生誕である。母は武蔵守藤原経邦の娘、贈正一位盛子で、同腹には村上天皇の后安子や尚侍登子、伊尹(これまさ)、兼通などがある。 四歳年長の兄兼通より器量が秀れ、陽の当たる出世街道を驀進していたが、途中兼通が弟兼家に追い越されることを予想していたのか [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(解説)その2
  • 『蜻蛉日記』上村悦子著  巻末の解説から その2 2017.9.2一、 作者および近親者たち(3) 母 倫寧には二人の妻があり、『尊卑分脈』によると、理能(まさとう)の母は主殿頭春道女(とのものかみ春道のむすめ)であり、長能(ながとう)は源認女(みなもとのみとむのむすめ)の腹である。作者には記載がないが、宮内庁書陵部蔵の『道綱母集』の奥に「母刑部大輔認女」とあり長能と同腹となる。(中略)  しかし作者の母 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて【解説】その1
  • 『蜻蛉日記』上村悦子著  巻末の解説から  2017.8.30一、 作者および近親者たち(1)作者 朱雀天皇の承平六年(936)ごろ誕生し、一条天皇の長徳元年(995)五月上旬逝去する。享年60歳ごろか。藤原倫寧(ともやす)の娘で兼家と天暦8年秋、結婚し、翌年8月道綱を産んだので道綱の母と呼ばれている。実名は不詳。勅撰和歌集では右大将道綱母、大納言道綱母、東宮大夫道綱母などと見えており、宮内庁書陵部の歌集には道綱母集 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(209)と解説
  • 蜻蛉日記 下巻 (209) 2017.8.27「今年いたう荒るるとなくて、はだら雪ふたたびばかりぞ降りつる。助のついたちのものども、また白馬にものすべきなどものしつるほどに、暮れはつる日にはなりにけり。明日の物、折り巻かせつつ、人にまかせなどしておもへば、かうながらへ、今日になりにけるもあさましう、御魂など見るにも、例のつきせぬことにおぼれてぞはてにける。京のはてなれば、夜いたうふけてぞたたき来なる。とぞ [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(解説)
  • 蜻蛉日記 下巻  上村悦子著より  2017.8.24【解説】 この項は道綱が八橋の女に求婚し、彼とその女との贈答歌が記されている。前述の大和だつ女の場合にも考えられたと同様にこの項の道綱の歌も作者が応援して添削したり代詠なども行われていたと考えられる。(中略) 道綱は八橋の女へ刻苦勉励して求婚歌を送り続け、この求婚に対して真剣であり、相手に対して誠意を有してしることを示そうと努力している。(中略)当事者 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(208)
  • 蜻蛉日記 下巻 (208) 2017.8.22「ふる年に節分するを、『こなたに』など言はせて、〈いとせめて思ふ心を年のうちに春くることも知らせてしがな〉返りごとなし。◆◆年内に節分をするので、助が「方違えはこちらへ」などと言わせて、(道綱の歌)「年内に春がきたように、思いつめているこの胸の中をすっかり打ち明けて晴々したとお知らせしたいものです。どうかこちらへおいでいただき、私の思いを聞き届けてください」返 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(207)その2  
  • 蜻蛉日記 下巻 (207) その2   2017.8.18 「しはすになりにたり。また、〈片敷きし年はふれどもさごろもの涙にしむるときはなかりき〉『ものへなん』とて、返りごとなし。又の日ばかり、返りごと乞ひにやりたれば、そばの木に、『みき』とのみ書きておこせたり。やがて、〈我がなかはそばみぬるかと思ふまでみきとばかりもけしきぶむかな〉返りごと、〈雨雲のはるけき松なればそばめる色はときはなりけり〉◆◆十二月に [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(207)その1
  • 蜻蛉日記 下巻 (207) その1  2017.8.9「さて助に、『かくてや』など、さかしらがる人のありて、ものいひつく人あり。八橋のほどにやありけん、はじめて、〈葛城や神代のしるし深からばただ一言にうちもとけなん〉返りごと、こたびはなかめり。〈帰るさの蜘蛛手はいづこ八橋のふみみてけんとたのむかひなく〉こたみぞ返りごと、〈通ふべき道にもあらぬ八橋をふみみてきともなにたのむらん〉と書き手して書いたり。また、 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(解説)
  • 蜻蛉日記 下巻  上村悦子著より   2017.8.1【解説】 賀茂の臨時の祭の直前、急に道綱が舞人に指名された。舞人が差支えのため(急病とか穢れなどのためか)辞退したのでその代役である。作者は喜びと同時にあわてもし、途方にもくれたであろうが、兼家が支度万端を整えて届くてくれ、供回りなどのこともいっさい指図して取り決めてくれたので作者もほっとしたであろう。父親として当然であるが、また兼家に感謝の心も湧いた [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(206)その2
  • 蜻蛉日記 下巻 (206) その2  2017.7.27「女車なりけりと見るところに、車の後のかたにあたりたる人の家の門より、六位なるものの太刀はきたる、ふるまひ出で来て、前のかたにひざまづきてものを言ふに、おどろきて目をとどめて見れば、かれが出で来つる車のもとには、赤き人、黒き人押し凝りて、数も知らぬほどに立ててけり。よく見もていけば、見し人々のあるなりけりと思ふ。」◆◆女車だったのだなあ、とみていると [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(206) その1
  • 蜻蛉日記 下巻 (206) その1  2017.7.23『臨時の祭りあさてとて、助にはかに舞人に召されたり。これにつけてぞめづらしき文ある。『いかがする』などて、いるべきものみなものしたり。◆◆賀茂の臨時の祭が明後日ということで、助が急に舞人にめされました。このことで珍しくあの人から手紙がきました。「支度はどうしている?」などとあって、必要な支度品の全てを持ってきてくれました。◆◆「試楽の日あるやう、『け [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(解説)
  • 【解説】蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より  2017.7.20 作者が忌みきらっている近江が女児を産んだと聞いて、もちろん、ショックをうけたであろうが、町小路女の場合のように取り乱したりせず無関心を装うているが、日記に書きとめるくらいであるから、やはり気にかかっているのであろう。嫉妬もあろうし、養女のライバルともなるであろうと案じたのでもあろう。  ここにはこの日記の最後をかざる一つの事件が起きた。太政大臣 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(205)
  • 205蜻蛉日記 下巻 (205) 2017.7.15「かくて神無月になりぬ。廿日あまりのほどに忌違ふとて渡りたるところにて聞けば、かの忌のところに子うみたなり、と人いふ。なほあらんよりは、あな憎とも聞き思ふべけれど、つれなうてある宵のほど、火ともし、台などものしたるほどに、せうととおぼしき人近うはひ寄りて、ふところより陸奥紙にてひき結びたる文の、枯れたる薄にさしたるを取り出でたり。」◆◆こうして神無月(十月) [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(204)
  • 蜻蛉日記 下巻 (204) 2017.7.11「助ありきし始むる日、道に、かの文やりしところ、行きあひたりけるを、いかがしけん、車の筒かかりてわづらひけりとて、あくる日、『よべはさらになん知らざりける。さても、〈年月のめぐりくるまの輪になりて思へばかかる折もありけり〉と言ひたりけるを、取り入れて見て、その文の端になほなほしき手して、『あらずここには、あらずここには』と重点がちにてかへしたりけんこそなほあれ [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(203)
  • 蜻蛉日記 下巻 (203) 2017.7.7「二十日あまりにいとめづらしき文にて、『助はいかにぞ。ここなる人はみなおこたりにたるに、いかなれば見えざらんとおぼつかなさになん。いとにくくしたまふめれば、疎むとはなうて、いどみなん過ぎにける。忘れぬことはありながら』とこまやかなるをあやしとぞおもふ。返りごと、問ひたる人のうへばかり書きて、はしに『まこと、忘るるは、さもや侍らん』と書きてものしつ」◆◆20日すぎ [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(202)
  • 蜻蛉日記 下巻 (202) 2017.7.4「九月ついたちにおこたりぬ。八月二十余日より降りそめにし雨、この月もやまず、降り暗がりて、この中川も大川もひとつにゆきあひぬべく見ゆれば、今や流るるとさへおぼゆ。世の中いとあはれなり。門の早稲田もいまだ刈り集めず。たまさかなる雨間には焼米ばかりぞわづかにしたる。」◆◆九月の上旬に助の病気は治りました。八月二十日過ぎから降り始めた雨が、九月になっても降りやまず、あ [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(201)
  • 蜻蛉日記 下巻 (201) 2017.7.1「八月になりぬ。この世の中は皰瘡おこりてののしる。二十日のほどにこのわたりにも来にたり。助いふかたなく重くわづらふ。いかがはせんとて、こと絶えたるひとにも告ぐばかりあるに、わが心ちはまいてせんかたしらず。さいひてやはとて、文して告げたれば、返りごといとあららかにてあり。さては言葉にてぞ『いかに』と言はせたる。さるまじき人だにぞ来とぶらふめると見る心ちぞ添ひて、た [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(200)
  • 蜻蛉日記 下巻 (200) 2017.6.29「七月になりぬ。八月近き心ちするに、見る人は猶いとうら若く、いかならんと思ふこと繁きに紛れて、我が思ふことはいまは絶えはてなにたり。」◆◆七月になりました。右馬頭との約束の八月が近いと感じていますが、世話をしている養女はまだまだ子供っぽくて、どうなることだろうかとしきりに案じられているのに取り紛れて、私自身の物思いは今ではすっかり消えてしまっていました。◆◆「 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて 「解説から」
  • このあたりの作者と右馬頭の状況を知るために、解説を引用します。【解説】 蜻蛉日記  下巻  上村悦子著より  作者は遠度に兼家の手紙(見せたくない部分を破り取って)を渡したが、翌朝いま一度、その兼家の手紙を見ると自分が破り取った所とは別に今一か所破り取ったあとがあるのでびっくりし、兼家へ返事を出すとき、『今さらに…』の歌句を彼から来た手紙の端に書いて想を練ったことを思い出し、その歌の部分を遠度が破 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(199)その2
  • 蜻蛉日記 下巻(199) その2  2017.6.23   「又の日、なほいとし、若やかなるさまにもありと思ひて、『昨日は人の物忌み侍りしに、日暮れてなん、〈心あるとや〉といふらんやうに思うたまへし。をりをりにはいかでと思う給ふるを、ついでなき身になり侍りてこそ。心うげなる御端書きをなん、げにと思ひきこえさせ侍るや。紙の色は昼もやおぼつかなうおぼさるらん』とて、これよりもものしたりける折に、法師ばらあまたあ [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(199)その1
  • 蜻蛉日記 下巻(199) その1  2017.6.20「よべ見せし文、枕上にあるを見れば、わが取り破るとおもひしところは異にて、又敗れたるところあるはあやしとぞ思へば、かの返りごとせしに、『いかなる駒か』とありしことの、とかく書きつけたりしを、破り取りたるなべし。」◆◆昨夜に右馬頭に見せた手紙が枕元にあるのを見てみると、私が取り破ったと思った所とは違って、また破れたところがあるのはどうもおかしいと、今考えて [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(198)その2
  • 蜻蛉日記 下巻(198) その2  2017.6.16「さて、かのびびしうもてなすとありしことを思ひて、『いとまめやかには心ひとつにも侍らず、そそのかし侍らんことは難き心地なんする』とものすれば、『いかなることにか侍らん。いかでこれをだにうけ給はらん』とて、あまたたび責めらるれば、げにとも知らせん、言葉にいへば言ひにくきをと思ひて、『御覧ぜさするにも便なき心ちすれど、ただこれもよほしきこえんことの苦しきを見 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(198)その1
  • 蜻蛉日記 下巻(198) その1  2017.6.13「いま二日ばかりありて、『とり聞こゆべきことあり。おはしませ』とのみ書きて、まだしきにあり。『ただいまさぶらふ』と言はせて、しばしあるほどに雨いたう降りぬ。夜さへかけて止まねば、えものせで、『なさけなし、消息をだに』とて、『いとわりなき雨に障りてわび侍り。かばかり、〈絶えずゆく我が中河の水まさり遠なる人ぞ恋しかりける〉」◆◆それから二日ほどだって、右馬 [続きを読む]
  • 蜻蛉日記を読んできて(197)
  • 蜻蛉日記 下巻(197)  2017.6.10「又の日も、まだしきに、右馬頭は『昨日はうそぶかせ給ふことしげかんめりしかば、えものもきこえずなりにき。いまのあひだも御暇あらば、おはしませ。上のつらくおはしますこと、さらにいはんかたなし。さりとも命侍らば世の中は見給へてん。死なば思ひくらべてもいかがあらん。よしよしこれは忍びごと』とて、みづからはものせず。」◆◆翌日も朝早くに、「昨日はお宅では歌などを吟じら [続きを読む]