山城めぐり さん プロフィール

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山城めぐりさん: 山城めぐり
ハンドル名山城めぐり さん
ブログタイトル山城めぐり
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi
サイト紹介文新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供446回 / 365日(平均8.6回/週) - 参加 2014/11/17 21:53

山城めぐり さんのブログ記事

  • 後閑城④
  • 二の丸から南曲輪へ櫓台から左手に入ると二の丸図で右上の三角の曲輪の下に東屋がある曲輪が二の丸です。空堀の先に大きな三角の二の丸東曲輪東曲輪先端部二の丸から西へ歩き、南曲輪へ南曲輪南曲輪の西側下にある野草園、ここも曲輪が階段状にあったと思います。野草園の南下にも薮ですが曲輪があります。野草園から南曲輪を見上げています。二の丸・南曲輪と廻り、後閑城は終了です。次回 磯部城新田氏の一族岩松氏の興亡足利持 [続きを読む]
  • 地域情報
  • 武将・金森長近つなぐ縁 守山、岐阜・高山両市長が交流推進へ意欲長近の銅像前で、田中さん(右)から功績などの説明を受ける宮本市長=高山市城山の城山公園で 初代飛騨高山藩主の戦国武将・金森長近(一五二四〜一六〇八年)にゆかりのある守山市の宮本和宏市長らが十四、十五両日、岐阜県高山市を訪れた。市役所で国島芳明市長と面談し、両市の子どもたちの交流事業を始めることを確認したほか、同市内にある長近ゆかりの地な [続きを読む]
  • 後閑城③
  • 北曲輪から東曲輪へ階段状の四つの曲輪から北に行くと北第三堀切、右上が北曲輪、左手を進めば秋間梅林(搦め手と思います。)北曲輪階段状の四つの曲輪を見下ろしています。大堀切に戻り大堀切から東へ下ります。東第一曲輪東第二曲輪東支尾根を下り東三段曲輪群東曲輪群の東を守る城壁東曲輪群の南谷を登って、この反対側が二の丸虎口二の丸の北側にある櫓台次回 二の丸・南曲輪へ後閑城は新田景純が入城する以前、依田忠政が築 [続きを読む]
  • 後閑城②
  • 本丸から東曲輪へ本丸に向かい西第一曲輪・第二曲輪・第三曲輪を見下ろしています。奥に見える山が上毛三山の一つ妙義山です。本丸南の安中市本丸の北側北側の北大堀切を見下ろしています。本丸北の東屋から東に下ると東曲輪東曲輪南側本丸東城壁東曲輪北側、奥から北堀切に北大堀切大堀切に沿って四段の曲輪大堀切を作る、西曲輪群とを隔てる土塁次回 北曲輪から東曲輪群へ戦国時代における動向甲斐国の武田氏は北信地域をめぐり [続きを読む]
  • 後閑城
  • 後閑城は新田景純が城主であった時期もあり、久しぶりに登ってきました。後閑城は群馬県安中市下後閑にあります。後閑城地図後閑小の南前を走る県道216号線で案内が出ています。後閑小を過ぎて、この案内の通り右折600mくらいで西登り口の棒標があります。林道を上りつめると駐車場があり、西第三曲輪です。駐車場には略図があります。西コースの道を登ってゆきます。奥に見える城壁が本丸西第二曲輪西第三曲輪を見下ろして [続きを読む]
  • 加計問題の新文書
  • 愛媛県から新たな文書が国会に提出されました。加計問題、今度の「新文書」がヤバすぎるワケ 首相は理事長との面談を否定しきれるのか東洋経済オンライン / 2018年5月23日 10時0分愛媛県が5月21日午後、加計学園問題について新たな文書を公表した。参議院予算委員会理事会が与野党合意に基づく国政調査権行使による問い合わせに応じたもの。この文書のインパクトは極めて大きく、事態は底なし沼のような様相を呈し始めている。愛媛県 [続きを読む]
  • 丹生城④
  • 曲輪7から北尾根へ、そして大手尾根曲輪7から北腰曲輪北第二腰曲輪曲輪7の北城壁大手尾根を下ってゆき、曲輪4曲輪4の東虎口曲輪4の虎口を下から見返しています。曲輪5曲輪5の東虎口を見返しています。ここから長い壕道です。こんな壕道を延々と歩き要所に北、南に下る竪堀と結んでいます。竪堀を下って見上げれば、防御の構えをなしています。第二ポイント第三ポイントポイントの竪堀を下って麓に下りれば、ポイントを作っ [続きを読む]
  • 丹生城③
  • 本丸から東尾根へ本丸北側に戻ってきました。本丸、草が覆ています。本丸を下って、東へ廻ります。草深く足元に注意(蛇を踏まないように)曲輪7縄張り図は「境目の山城と館 上野編」曲輪7・8は要の曲輪で三方に支尾根が伸びています。もしこの周辺を見ておられないなら、晩秋にでも是非出かけてください。ただしクマはいます。曲輪8曲輪8の東、主尾根とある第一腰曲輪と空堀土橋と第二曲輪第三曲輪南東尾根とあり、堀切曲輪 [続きを読む]
  • 信長の侵攻の前に伊賀忍者・甲賀忍者が連携を図る文書の発見
  • 伊賀市は、「忍者の里」の伊賀衆と甲賀衆が織田信長に侵攻される直前に密接な関係にあったことを示す戦国時代の文書を、6月中旬にも初公開する。専門家は「民衆の高い自治能力を示すとともに“リアル忍者”に迫る貴重な史料。実物を見る価値は大いにある」と話す。 文書は、9通からなる「伊(い)賀(がの)国(くに)上(かみ)柘(つ)植(げ)村(むら)并(ならびに)近(おう)江(みの)国(くに)和(わ)田(た)・五( [続きを読む]
  • 丹生城②
  • 曲輪2から曲輪13・曲輪11へ本丸と二の丸との間の空堀空堀を通って南側に出ます。曲輪2と曲輪13の東裾の道を進みます。右上が曲輪2、下段が曲輪13、両方の曲輪は薮です。曲輪13の西側斜面斜面下方に段曲輪下方から見上げれば、城壁が二段に備えています。曲輪13から曲輪11へ移動します。曲輪11曲輪11から南尾根を下ると腰曲輪空堀と土塁土塁の南下に南尾根腰曲輪腰曲輪Ⅱ腰曲輪Ⅲ次回本丸から東尾根の曲輪7周 [続きを読む]
  • 藤堂高虎の築城術
  • 儒教思想が普及した徳川幕府時代とは違い、戦国時代は自身の働きを正当に評価してくれ、将来性も高い主君を選んで仕えるのはむしろ当然の時代だった。非常に優れた築城技術を持っていた高虎は自分を高く買ってくれて、自分の能力や特技をさらに磨けるような主君探しの転職を重ねたといってもいいだろう。高虎が生涯に築城した城は20を超えるといわれている。縄張り(設計)を担当した城には、江戸城、大和郡山城、丹波篠山城など、 [続きを読む]
  • 丹生城
  • 丹生城は群馬県富岡市上丹生にあります。丹生城地図国道254号線の信号一宮から南に一つ先の信号を右折し、県道199号線を西に進みます。丹生小の二又の道をまっすぐ地方道48号線を北に進み、丹生貯水池の看板の交差点を左折し、金乗寺を目指します。寺を過ぎて高速道高架の橋があり、その左手が丹生城入り口です。金乗寺山門寺の手前の脇道に俯瞰図があります。脇道(林道)を登ってゆきますと、上信越道高架に着きます。橋 [続きを読む]
  • 寺尾中城④
  • 本丸へ遊歩道を戻って来て、本丸東尾根の下まで来ました。本丸に向かい西尾根を進みます。本丸本丸南側、本丸の南下にも長い曲輪がありますが薮です。本丸西下桝方虎口本丸西城壁を見上げています。本丸の西にある土塁以上で寺尾中城は終わりです。次回 丹生城永享の乱永享10年(1438年)6月、持氏の嫡子賢王丸が元服を迎えて名を改める際、本来ならば将軍に一字を拝領する慣例であったが、それを行わず「義久」と名付けた。憲実 [続きを読む]
  • 寺尾中城③
  • 曲輪5・曲輪6へ曲輪4から東下階段、横堀が東から南に巡らしています。横堀下って曲輪4の城壁を見上げています。東尾根を下ってゆき今度は尾根を登ります。虎口のように見えます登って西尾根を見返しています。曲輪5曲輪5の東に堀切堀切の先は細尾根が伸びて曲輪6(物見曲輪?)東尾根はここで終りです。次回本丸へ鎌倉公方 上杉持氏(上杉禅秀の乱の詳細がよくわかります。)幼少期[編集]応永16年(1409年)、7月の父・満 [続きを読む]
  • 寺尾中城②
  • 三の曲輪・四の曲輪へ二の曲輪から東へ下り中継ぎの曲輪を経て三の曲輪西城壁を見ています。三の曲輪の城壁は岩です。三の曲輪東虎口三の曲輪は南北に40mほどあります。三の曲輪南側東尾根を歩き、四の曲輪へ向かいます。尾根を下り堀切さらに下って土橋土橋を渡ると四の曲輪尹良親王の籠る寺尾城(新田郡の尾島町にあるという説がありますが、地名もなく無理があり、寺尾城は高崎市と思っています。)を攻めた上杉憲定の生涯天 [続きを読む]
  • 寺尾中城
  • 寺尾中城は群馬県高崎市寺尾にあります。寺尾中城地図地方道71号線で、信号中山川を右折します。(観音山ファミリーパークの案内板あり)、森の芝生広場を過ぎて、東へ進むと自然の森入口(寺尾中城)があります。ファミリーパークの東先端まで行かなくてはなりません。園内地図では自然の森入口とあります。100mほど歩くと、いきなり本丸西下を守る土塁が現れます。説毎晩本丸は後回しにして、土塁の間から南コースを歩きま [続きを読む]
  • 仲山城②
  • 前回記事の北尾根からでなく南斜面からの攻城記録です。寺の裏に回ると墓地が階段状に並んでいます。墓地の左手から山に入り、薮を潜り抜けて斜面を登ってゆきますと、二段の腰曲輪が待ち受けています。(薮で写真になりません。)二段の腰曲輪の上に比較的大きな曲輪(東曲輪)があります。本丸に通じる壕道本丸、奥に土塁説明版、正和元年、1312年阿仁和兵助基俣は新田義貞の配下となって、この地を治めたという。二代直家は [続きを読む]
  • 仲山城
  • 仲山城は埼玉県長瀞町矢那瀬にあります。仲山城地図私は気短に西光寺から北に見える三角山を南斜面から直登しましたが、地図にありますように、山の西側の諏訪神社付近にある道案内の通りに進めば、尾根道から容易に登れることが分かりました。西光寺から北に見える城山国道140号線から北に西光寺が見えます。滝ノ上集落の市道を進めば西光寺に着きます。この道を右折すれば西光寺、まっすぐ進めば(おすすめ)長瀞市営団地市営 [続きを読む]
  • 山本勘介の子孫②
  • 大越家に嫁いだ山本りよという人が横尾家に関係していることが墓石で知ることができました。このりよという娘を子孫とする人物が高崎藩士、山本十左衛門という武士がいるということが判明しました。真下家文書のうち天文17年山本菅助宛武田晴信判物は東京大学史料編纂所所蔵「古文書雑纂」に収録されているが、注記に拠れば「雑纂」所載山本氏文書は明治25年12月に小倉秀貫が山本勘助子孫であるという旧上野国高崎藩士山本家所蔵の [続きを読む]
  • 金尾山城
  • 金尾山城は埼玉県寄居町金尾にあります。金尾山城地図国道140号線で波久礼駅南の寄居橋を渡り、地方道82号線を西に向かい1.5kmくらいに金尾山公園があり、ここが城址です金尾山公園登り口、反対側に大きな駐車場登城した日はつつじ祭りが行われていました。余湖さんの俯瞰図が城山の紹介で展示されていました。山道を東ルート(女坂)から上り、東屋に着きます。本丸が望めます。二の丸、寄居町を眼下に二の丸にある愛宕 [続きを読む]
  • 山本勘介の子孫
  • かつて私の実家の墓石の中に山本勘介の娘りよという人の墓があると記事にしましたが、もう少し山本勘介の子孫について調べてみようと思います。「山本菅助」とその子孫 真下家所蔵文書・沼津山本家文書によれば、初代山本菅助の子息には二代山本菅助がいる。幼名は兵蔵、諱は幸房とされる。二代菅助は『甲斐国志』巻之九十六では「山本勘助」の項目に続いて勘助子息の「山本某」を立項し、実名を不詳としつつ一本系図によれば名は [続きを読む]
  • 毛呂竜谷山城②
  • 二の丸から本丸へ二の丸本丸に祭られた雷電神社右脇にも神社があります。本丸北側本丸から西下の空堀と曲輪9本丸西下の腰曲輪曲輪5の西側本丸から南側毛呂町1524年上杉憲房が北条方の毛呂要害を攻めたとあり上杉憲房の生涯応仁元年(1467年)、上杉憲実の子で僧籍にあった周清の子として誕生。又従兄弟にあたる関東管領・上杉顕定の養子となるが、その立場は必ずしも安定しておらず、長尾景春の乱の最末期には長尾景春らによ [続きを読む]
  • 毛呂竜谷山城
  • 毛呂竜ヶ谷山城は埼玉県毛呂山町阿諏訪にあります。毛呂竜ヶ谷山城地図地方道30号線日高方面に向かいで毛呂本郷の信号を右折し300m先の二又を左の道を進みます。二又から900mくらいで、雷電神社入口の案内があります。鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地内に雷電神社があります。ゴルフ場からは警告版が出ており不審者扱いされないよう注意して行動してください。参道ですが長い曲輪です。縄張り図は「余湖くんのお城のページ」よ [続きを読む]
  • 高取山城②
  • 本丸へ本丸から西曲輪を見下ろしています。本丸から南帯曲輪を見ています。南帯曲輪から本丸城壁を見ています。本丸本丸を北側から見ています。本丸東の階段を下り帯曲輪が南に廻っています。俯瞰図は「余湖くんのお城のページ」よりイベント情報主   催共   催東濃信用金庫可児市日   時平成30年6月9日(土) 14:00〜15:30 (開場 13:15〜)会   場可児市文化創造センター(アーラ)主劇場可児 [続きを読む]
  • 高取山城
  • 高取山城は越生町越生にあります。高取山城地図地方道30号線で越生町役場に入る信号から一つ目の信号を過ぎて次の町道(バス停銀行前)を右折しますと越生神社に着きます。この神社駐車場に車を止め、神社から正法寺に向かいますと、途中50mくらいにで高取山登り口があります。越生神社説明版、高取山東に高取山城があり、「新編武蔵風土記稿」によれば城主は越生四郎左衛門という武将が城主であったそうで、この人は「太平記 [続きを読む]