みね さん プロフィール

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みねさん: 主婦も一人の人間
ハンドル名みね さん
ブログタイトル主婦も一人の人間
ブログURLhttp://asami16.blog.fc2.com/
サイト紹介文子持ちですが、毒親持ちです。 毒、吐きます。
自由文長男は自閉症で、作業所に働きに行ってます。
次男は大学2年生で、一人暮らし満喫中。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2014/11/28 18:39

みね さんのブログ記事

  • 毒親から離れる事は、親離れと一緒?違うでしょっ!!
  • 実は、リアルで8月中旬にパート先をクビになりました。就活(?)をしていて、職種の違うパート先に色々と応募して面接していました。数日前、クビになったパート先の店長から、こんな言葉を頂きました。 「本音を言うと辞めて欲しくなかった。貴方は仕事が早いし、お客様受けが良かったからね。だけど、休みは平日が良いと言われ、我が強いんだなと思ってね」 「元々、休みは平日希望していましたよ」 「それに、自閉症のお子 [続きを読む]
  • 毒父へ。あんたは、自分の下僕を求めてるのか!
  • 毒母の初盆が終わって、やっと1週間。やっと1週間なのね…。なんか2週間ほど経った気分よ。まずは、電話した時、 「親戚は呼ばない。お前のとこから3人と息子のとこから1人の、5人だけの寂しい初盆を迎える」寂しいって言うんなら、親戚呼べよ。土日だと思っていた。それが、蓋を開けると平日にする事になっているのには驚いた。寺でするのかと思っていたら、家でするらしかった。それにも驚いた。家なら、家ですると言えよな。夕 [続きを読む]
  • 毒父母へ、私の夢を勝手に縛り付けるな。
  • あんた達は、私の夢を縛り付けようとした。日本に、自分達の側に居る様にと。私は、小さかった頃からずっと夢見てた。1つでも叶えば良い。私の夢。小さくても良いから、自分の店を持ちたい。これは、自分を見て欲しいという気持ちからだ。業種は、何でも良い。カフェでも花屋でも、本屋でも。とにかく、私はここに居ますよ。私を見てね、という願望。後は、私が死んだら墓に入れないで欲しい。旦那の墓でなくても良い。だけど、私 [続きを読む]
  • 毒父母へ、法事なんて1周忌まで行けば、それで十分。
  • 今度は初盆と1周忌だね。義妹は「3周忌までですね」と言っていたが、私はそこまで来るつもりは無いので即答していた。 「1周忌までで十分」そしたら、笑って返してくれた。 「お義姉さんがそう言うのなら、うちも1周忌までですよ」なんだが、この人とはいい関係が持てそうだな。勝手に、そう思っている。あっちは、どう思ってるのか聞いてないから分からないが…。毒父は初盆と彼岸と1周忌と言っていたが、そんなにも行く気は無 [続きを読む]
  • 毒父母へ、形見なんて要らないよ。
  • そして四十九日の法要。法要の日にちがはっきりとしてなくて3月中旬に連絡したら、こう言われた。 「嫁から四十九日の日取りを教えて欲しいと言ってきたが、それっきり何も音沙汰がない」相変わらずな小言から始まった。でも、私も、その四十九日の事しか頭に無いから黙って聞いていた。すると、こう言ってきた。 「母が死んで1人暮らしになって大変ではないですか?食べてますかと言った言葉は無いのか。親の事をどう思ってい [続きを読む]
  • 毒父母へ、違和感ありまくりの葬式。
  • 毒母が亡くなるまで、本当に電話を掛けなかった。掛けると、すぐに小言から始まるからだ。それは義妹も同じで、声を聞きたくないと言っていた。それは私も同じだ。そして、毒母の死にそうだからという電話。 毒親母、死にそうだ。 毒親父の小言 毒親母へ思いをぶつけた 毒親父へ思いが届くのか?を参照してください。毒母の通夜。まさかのピンク色の棺。しかも、内側には花模様が施されていた。そして、家族葬。その場になって [続きを読む]
  • 毒父母へ、人間は過去があるから成長するんだ。
  • 要介護5になった毒母。私は可哀相だとは思わない。毒父は可哀相だと言ってるが、その思いは分からない。毒父は、孫にあたる私の長男を例に出してくる。 「自閉症は直るものだが、認知症は直る病気ではない。そんな母親に電話をしろとは言わないが、せめて介護している父親に電話する事は出来るだろう」 「毎日、介護は大変ですね。いつ死ぬのか分からない母を1人で介護だなんて、体調はどうですか。ちゃんと食べて、食べさせて [続きを読む]
  • 毒父母へ、人によって話が違うのは何故?
  • そんなやり取りが何年も何年も続いた。その内、体調不変を電話で言う様になった。嫁にも電話していたらしい。しかも、私と嫁には全く別な話をしている事が判明した。だって、私、弟のお嫁さんとはLINEで繋がってるんだよ。お互い、それで済ませている。愚痴ったり、情報交換したり。毒父の80歳になるから年祝いをして欲しいと連絡があったみたいだ。はあ…、それって自分から強請る様なものか。違うでしょうが。嫁の方にと言うか、 [続きを読む]
  • 新作の、ご紹介!
  • いつも読みに来て頂きありがとうございます。別名で、エブリスタさんで書きおろしの作品を更新しております。その作品の、ご案内です。今作のジャンルはファンタジーです。エロ気は、全くありません。全年齢対象です。『龍神の宮殿』『龍神の宮殿』文字を して頂けると、飛びます。現在更新中の『GW旅行は能登半島』と、次作の小説から内容を抜粋&合作しての作品です。龍視点の話です!(←ここ大事)是非、読みに来て頂け [続きを読む]
  • 毒父母へ、子供と言えど人間だ。金で動かそうとするな。
  • それからは、あんまり電話が来なくなった。仕方ないので新年の挨拶と、中元歳暮を贈って来た時の一年に3回だ。絶対に自分からはしてこない。こっちからしないと、正月を過ぎて怒りの文面が郵送でくる。 『正月ぐらい、新年おめでとうの言葉も言えないのか』仕方ないので、電話する。しかも、毎回、お小言から始まる。 「まったく、お前は親を何だと思ってる。親が、どんなに過ごしてるのか。生きてるのか死んでるのか、それさえ [続きを読む]
  • 毒父母へ、「親子の絆」って、何ですか?
  • 自分から電話しようという気は、全く無い。毎年の様に、親にも中元や歳暮を贈ってこい。母の日も贈ってこい。盆、正月は帰省して、親子揃うものだ。そういう事を言われ、「はい、そうします」と頷くバカが何処に居る。何も言いたくない。出来るなら、心穏やかに過ごしたい。子供時代、私は親を親として見てなかった。親とは、自分の権力を振りかざして子供を良い様に扱う。自分の体裁が悪かったら怒鳴り散らす。一言でも反論しよう [続きを読む]
  • 毒父母へ、あんた等は何様のつもり?
  • 転勤族だから決めたわけでは無い。弱っちい身体よりガッシリとしている身体の方が安心感があるのは確かだ。プロポーズされた翌年の5月に結婚した。その年の12月に長男が生まれ、3年後に次男が生まれた。その次男が生まれた時、毒母は言ってきた。 「あんたに子供2人だなんて育てられるわけないでしょ。今度は間違えない」そう言って私から長男を取り上げた。育てようとしたらしい。だけど、2ヶ月も経たない内に戻された。理由は” [続きを読む]
  • 毒父母へ、私の思いを返せ!
  • 短大の寮生活は一年間だったけど、その後は短大近くの下宿で暮らしていた。編入して2年間を、そこで暮らしていた。寮生活をしてる間は、バイトをしてお金を貯めて長崎に行ったり、一人旅をしていた。下宿先では共同のキッチン、風呂、トイレだったけど、プライベートは守られていた。自分で決めた下宿先だった。毒父母は即座に反応してきた。 「子供は親の言う事に否やを言う権利は無い。普通の家では、子供は親の為すべき事を忠 [続きを読む]
  • 毒父母へ。”普通の家”とは、あんた等の言う”普通”とは違う。
  • ただ、毎回ヒッチハイクしながら行くのも無理がある。ある日、お婆ちゃんに話していた。そしたら笑ってくれた。 「何時でも良いよ。来たくなったら来れば良い。待っとるさかい」 「ありがとう」ここでは素直になれる。敬語を使わなくても良い。等身大の自分になれる。それが、どんなに嬉しい事か。そんな私に、お婆ちゃんはよく言ってくれてた。 「人間って、誰かと比べて優越感持ちたい人が多いんだ。その代り、嫌な思いをして [続きを読む]
  • 毒父母へ、愚痴ります。
  • 私が進学した高校は私立高校。進学校や公立とは違い、校則は緩い方だ。ここでも、小学校からの持ち上がりが何人かいるが、多くないので我慢出来るだろう。そう思い、3年間を過ごした。それでも、気持ちが違っていた。部活をしたり、男子から告られたりしていたが、自分から学校生活の事を家で話す事は無かった。公立や進学校では毒父母のスパイがいるので筒抜けになるが、この学校ではならない。それでも、小学校からの持ち上がり [続きを読む]
  • 毒父母へ、そんなに体裁が必要なの?
  • 中学は、数校の小学校から生徒は通学してくる。小学校からの持ち上がりの同級生のせいで、私はいつも一人だった。一人ぼっちには慣れていた。休み時間も1人で机に向かっていた。中学2年の時、誰かの声が聞こえてきた。 「何、百面相してるの?」 「ねえ、聞こえてる?」その声で、そっちを見ると2人の男子が私の顔を覗いていた様だ。 「面白いねえ」誰にも声を掛けられず3年間を過ごすものだと思っていた私にとって、その男 [続きを読む]
  • 毒父母へ、私の記憶
  • 貴方を「お母さん」と呼んだことは一度も無かった。いつも「ママ」と呼んでいた。いや、呼ばされていた。私の記憶には、幼い頃3歳か4歳の頃、三つ指をついてお辞儀をするもんだと言われ、それを強制されていた。それを、貴方は「子供なんだから、するもんだ」と言ってきた。それが、私の一番古い記憶だ。アルバムはあるが、それは火事になった時に燃えた。それまでは、そのアルバムを見せられ「この時は、こうだった」とか「ああ [続きを読む]
  • 毒父母へ、これが私の思い
  • 私が、どんな事をどのように思ってるのか。それを毒父母は知らない。2018年2月22日に逝った毒母には、その先日に思いをぶちまけた。だけど、私は許しはしない。あんた達が、私にしてきた事。それらは消えるわけでは無いから。それでも毒母は他界した。四十九日も終えました。残るは毒父だけ。少しでも良いから、私は気が楽になりたい。そういう思いで、小説を書くつもりだった。だけど、違う小説を書いてweb公開してるので、小説で [続きを読む]
  • 毒親と話し合う時は敬語を使ってます。
  • 今回の毒親に対して、弟と話をした事があった。それを、この場を借りて話そうと思います。 「お姉ちゃんは、いつまで経っても敬語を使うんだね。何でなのか分からない」その言葉への返答です。 「だって、親とは思ってないもの」はい。至極簡単明瞭な答えです。皆だって、そうでしょ。自分の親になら、少しは砕ける言い方をするでしょう。でも、見知らぬ人に対して砕けた物言いをしますか?しないでしょ。でも、私は親として見て [続きを読む]
  • 毒親父へ、思いが届くのか。それでも自分の気持ちを話しました。
  • 駅で帰りのチケットを買い、実家に着くと12時前だった。家の電話で毒親父に掛ける。 「もう帰って来たのか。15時にならないと行けれないと言ってただろ。まあ、良い。帰るから、そこに居れ」10分もしないうちに帰宅してきた。その毒親父にタクシー券と鍵を渡した。そして、病院で看護師と主治医から話を聞いたのを教えていく。そして、毒親母に話した言葉を、毒親父にも話した。相変わらず茶々を入れてくるが、止めて欲しい。だ [続きを読む]
  • 毒親母へ思いをぶつけた。
  • 病院に着いたのは9時半前。顔色は良さそうだ。それにバイタルチェックがまだみたいで、看護師に様子を聞いて、それから決めよう。そう思うと、毒親母の顔を見て話す為、顔が見れる位置に移動した。 「熱は無いみたいだね。良かったね。話しがあるの、聞いてね」と、そこから物申した。 「私は、生まれ育った、この土地が嫌いだし、親も嫌い。そんな所に行こうという気も無い。だから、今日が最後。貴方が生きてる時に言えて、私 [続きを読む]
  • 毒親父の小言は珍しく短時間だった
  • その日の夕食は弁当を買って毒親父は病院へ。私はパンを買って実家へと別れた。どうして、そこまで在宅に拘るのか分からない。それに、どうして毎日の様に病院で寝泊まりするのかも分からない。だって、毒親母の入院先は24時間完全看護だよ。毎日付き添わなくても大丈夫なんだよ。ある意味、狂ってる。おかしい。それに何かあると連絡してくるだろう。そう思ったから、私は電話なんてしなかった。その代り、弟に報告電話していた [続きを読む]
  • 毒親母、死にそうだ
  • 日曜の昼過ぎに毒親父から1年ぶりに連絡があったのだけど、私は無視していた。留守電相手に愚痴を言い始めたから、また始まったのかと思ったから。そして1時間後、またもや電話が。いい加減にして欲しい、こっちは仕事の電話が来るのを待ってるんだよ。だから電話が鳴る度に出ていたのに。出なければいいのだけど、日曜日の昼から夕方の間までに連絡をすると言われていたので待機しているのに。だからコールが鳴るのを無視出来な [続きを読む]