中島タロー さん プロフィール

  •  
中島タローさん: 悟りん坊ばんざい!!
ハンドル名中島タロー さん
ブログタイトル悟りん坊ばんざい!!
ブログURLhttps://ameblo.jp/sosekken/
サイト紹介文悟りオタクの私の悟り研究発表の場。悟り・覚醒への裏技も公開予定。
自由文私の悟りの定義は心と体を脱いで本当の自分に返ること。そしてあらゆる束縛の外に出ること。興味のある方いらっしゃい!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供12回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2014/11/30 15:22

中島タロー さんのブログ記事

  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(43)
  • 〈「焦点ぼかし法」後半の②に取り組むに当たって〉ここまでミーの話を読んできてくれたパーソンであれば、次に述べることはもうとっくに常識になってると思う。てか、そうなってくれてなきゃ困るんだよね、ミー的には。やる気なくしちゃうからさ。まあ、それはよいとして……。悟りが起こってはじめて体験的事実として明らかになることの一つ、それは「真我で花瓶を見ている状態」イコール「目に花瓶が映っていて、なおかつ心が [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(42)
  • 〈「焦点ぼかし法」後半の①を実践する際のもう一つの注意点〉「焦点ぼかし法」後半の①に関する話はもう聞きあきた、そろそろ②に関する話をしてくれんかねー!なんておしかりを受けそうだけど、あと一回だけ①に関する話をさせてチョーダイ。すでにご存じのように、「焦点ぼかし法」後半の①と②をひとまとめにして言うと「真我で花瓶を見ている状態を保つ、そしてそれと同時進行で、目の焦点は花瓶に合ってないようにする。」 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(41)
  • 〈必ずしも「焦点ぼかし法」を最後までやる必要はない〉「焦点ぼかし法」の話をさらに続けたい。既に頭の中に入ってることではあるだろうけど話の進行上、「焦点ぼかし法」の全体像をあらためて見ておこう。 【「焦点ぼかし法」前半】・TOUS第三ステップを使って、真我で花瓶(花瓶でなくてもよいが)を見ている状態になる。【「焦点ぼかし法」後半】・次の①と②を同時進行で実践する。①真我で花瓶を見ている状態を保つ。※その際 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(40)
  • 〈「過去断ちの法」をより正しく実践できるようになるためのエクササイズ〉「焦点ぼかし法」後半の①を実践する上で、すなわち「花瓶を真我で見ている状態を保つこと」を実践する上で、「過去断ちの法」が有効な補助手段になり得ることは、前回述べた通りだ。それでミーとしては、「焦ぼかし点法」後半の①を実践する際はなるべく「過去断ちの法」をその補助のために使うことをお勧めしたい。そもそもは「焦点ぼかし法」というの [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(39)
  • 〈「焦点ぼかし法」後半の補足・その一〉「真我は真我自身を見ることができる」という話を最近してるけど、押さえておきたいのは、ここで使われている「見る」という言葉と一般的に使われている「見る」という言葉は別物ってことな。ここで使われている「見る」という言葉には、「見るものと見られるものの間に距離が無いところの見る」という意味合いがある。初めて聞く人には難しいだろうけど、前回の記事を読んだ人なら受け入 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(38)
  • 〈真我にとって「見る」と「見られるものと同じ場所にある」は同じこと〉今回はまずはじめに、「焦点ぼかし法」前半と後半の目的をおさらいしておきたい。・「焦点ぼかし法」前半の目的→真我で花瓶(花瓶でなくてもOK)を見ている状態になること。・「焦点ぼかし法」後半の目的→真我で真我自身を見ている状態、つまり悟りの状態になること。要するに「焦点ぼかし法」というのは、まず前半において真我で花瓶を見ている状態にな [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(37)
  • 〈あのクイズの答え&「感覚なき気づきの意識」のこと〉真我の別名考えるの好きだねーって言われそうだけど、ミーはまた一つ真我の別名を考えたぜい。「感覚なき気づきの意識」ってやつ。これに限らず、ミーが色々と真我の別名を考え出すのはさ、その別名によって表現されている真我の側面に着目してもらいたいからなんだよね。ミーの見た限りでは、真我のことを「気づき」あるいは「気づきの意識」として理解してる人は少なくな [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(36)
  • 〈「焦点ぼかし法」後半の話とか、真我を見るのは誰?という話とか…〉覚えてるだろうか。この連載の(31)でミーは、“真我で見る”の意味をニコニコしながら理解する法、という名称のメソッドを紹介させてもらったけど、今思うと、このネーミングは必ずしも適切ではなかったようだ。ミーが今そのように感じている理由は、ワシらの側から“真我で見る”の意味を理解することは不可能である、という点にある。ワシらの側から“真我 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(35)
  • 〈「焦点ぼかし法」前半&垂直の次元の話〉真我という見る意識は一体どの位置からワシらの目に映るモノを見ているのか? 今回はそれに関する話からはじめやしょう。えっ、あの話まだーっ? て言われそうだけど。 まあ、前にも似たような話をしたことがあると思うけど、ワシらの目に映るモノ、あるいはワシらが認識しているモノを仮に一枚の写真上の映像に例えるとしたら、真我という見る意識はその写真の中のどこかからで [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(34)
  • 〈「焦点ぼかし法」に取り組む前にできるようになっておいてほしいこと〉既にご存じのように真我には見る働きがあるわけだけど、その部分を強調したい時ミーは真我のことを「真我という名の目」とか「真我という目」とか「真我という見る意識」といった表現を使うことが多い。が、今回は、その中でも話の進行上もっともシックリくると思われる「真我という見る意識」という表現を使わせてもらいやす。さて、本題に入る前に、前回 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(33)
  • 〈あのタイムラグの話をさらに掘り下げてみよう〉前回の記事の最後の方で、ミーはこういう話をした。……一般的には(例外はあるけど)、次の①と②の間にはタイムラグがあると言える。①心を脇に置くことによって真我が顕在化した状態になる、もしくは真我という目でモノを見ている状態になる。②その状態が真我が顕在化した状態であること、もしくは真我でモノを見ている状態であることが体験的事実として明らかになる出来事、つ [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(32)
  • 〈ぜひ覚えておいて欲しい、あのタイムラグの話〉皆さんお元気でしたか!!日本一のマイペースブロガー中島タローです。ミー的には、この度の長期欠場というかロングブランクによって、日本一のマイペースブロガーの地位がより一層揺るぎないものになった気がしてるんだけど、どうだかな……。シーンとしてるとこを見ると、話題を変えた方がよさそうだね。 さて、ミーのこれまでの話をよく読んでいる人たちであれば、悟り系 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(31)
  • 《“真我で見る”の意味をニコニコしながら理解する法(仮)》何度か述べているように「過去断ちの法」およびTOUS・第一〜第三ステップというのは「真我でモノを見ている状態になるためのメソッド」という側面があり、そういうものとして捉えることも可能だ。が、誤解してほしくないんだけど、ユーたちはこれら二つのメソッド゚を使って真我でモノを見ている状態になることはできても、ただそれだけでは、自分が今真我でモノを見ている [続きを読む]
  • 心にはデスポイントがある・後編
  • まずは前回取り上げた「心のデスポイント(death point)」についてもう一度説明しておきやしょう。直訳すると「心の死亡点」といったところだけど、より踏み込んだ意味は、心をそこに持って行くと心の働きが静止したり心が脇に置かれたりするポイントのことな。悟りへの途上にある人たちにとっては基本的に心イコール私なのでそれは、「私のデスポイント」と言い換えられないこともない。心の可動範囲(心を持って行ける範囲)に [続きを読む]
  • 心にはデスポイントがある・前編
  • ここのところずっと「本当は二つある大いなる存在…」の話が続いているので、今回と次回はそれとは系統の違う話をさせてもらおうかな。真我の体現と心を脇に置くこととはワンセットになっていてどちらか一方だけが単独で実現されることはない……ということは当ブログの読者であれば少なくとも知識としては知っているに違いない。が、それに対しては、次のような感想を持つ向きもあるのではないだろうか。もしそれが事実なら、真 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極(30)
  • 《多くの人々に薦めたいのは悟りよりもコレ》前回話したように、顕在意識と潜在意識から成る心全体を脇に置くと真我が現れるんだけど、それが正しくできたか否かは、(心的な)時間が停止したか否かによっても分かるし、私と呼べるものが消滅したか否かによっても分かる。なぜなら、それが正しくできた時には、「時間の停止」と「私と呼べるものの消滅」がセットで起こるようになっているからだ。ちなみに、ここに言う「時間の停止 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(29)
  • 《潜在意識と真我の違い》スピリチュアルの世界において、「顕在意識という小さい自分」を脇に置くと「潜在意識という大きい自分」が現れる、ということはよく知られている事実だ。でも、その「潜在意識という大きい自分」と真我とは別物である、ということはあまり知られていないように見受けられる。「潜在意識という大きい自分(=太極)」と真我(=無極)が別物であることは、「顕在意識という小さい自分」も「潜在意識という大 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(28)
  • 《「過去断ちの法・基本形」の実践を通して思い至ってほしいこと》「過去断ちの法・基本形」すなわち「過去の身体動作を心で振り返らないようにしつつ身体動作をする、というメソッド」を正しく実践したことのあるパーソンであれば誰でも、次の事実を身をもって知っているに違いない。過去の身体動作を心で振り返らなかったら、身体動作を感じることも観察することもできない。そう、ワシらは、過去の身体動作を心で振り返ること [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(27)
  • 《「瞬過去ふりかえり法」を極める》「一瞬前(=瞬過去)のモノを心で振り返り続ける」という「瞬過去ふりかえり法」の定義というのは、敢えて細かすぎる突っ込みを入れるならば、曖昧な点が無いではない。どんな意味においてそう言えるのか? というと、前出の定義に含まれている「一瞬前」とは具体的にどれぐらい前のことを指しているのか明確な数値を出して説明できない、という意味においてだ。だってワシらの体感では、例え [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(26)
  • 《真我は感じることを伴わない知覚の主である》真我に関する物言いの中でよく知られているものの一つは「真我は見る者である」というやつだけど、ソコに含まれている「見る」という言葉を「感じる」という意味に受け取るパーソンが多すぎるのにはオイオイと言いたくなる。誤解だからだ。その「見る」を「感じる」という意味に受け取るのは誤解なのだ。でもよく考えてみると、彼らにも弁護の余地がいくらかはある。なぜなら、ソコ [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(25)
  • 《“動きの企て”に関する一考察》ユーたちにとってはもはや「耳タコ(いや目タコかな?)」かもだけど、話の進行上、最初に次のことを押さえておかにゃあならんのでヨロシク。・「瞬過去ふりかえり法・基本形」とは、瞬過去の身体動作を心で振り返りつつ(身体動作を一瞬遅れで心で振り返りつつ)身体動作をすること。・「過去断ちの法・基本形」とは、過去の身体動作を心で振り返らないようにしつつ身体動作をすること。◇◇◇ [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(24)
  • 《「手首回し」という健康法》世にあまたある健康法の中で最もシンプルなヤツかも、とミーがにらんでいる健康法がある。手首回し、つまり手首をグルグル回す運動が、それな。今回は、ユーたちのより一層の健康を願ってその手首回しの話をさせてもらいやしょう。手首回しにどんな効果があるのか?実はミーもまだそれを知らないんだ、というのはもちろんウソで……それに関してまず第一に挙げたいのは、全身の血液・リンパ液の流れ [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(23)
  • 《「気功系」の身体動作》前回「瞬過去ふりかえり法」なるものを本邦初公開させてもらったけど、このメソッドは身体動作を対象として実践する場合が難度は一番低い、あるいは一番取っ付きやすい。それもあってこれからは身体動作を対象として実践する「瞬過去ふりかえり法」のことを「瞬過去ふりかえり法・基本形」と呼ぶことにしたい。あらためて押さえておくけど、この「瞬過去ふりかえり法・基本形」の具体的なやり方は次の通 [続きを読む]
  • 本当は二つある大いなる存在「太極」と「無極」(22)
  • 《身体動作を潜在意識から起こす法》本題に入る前に、ミーの新しい造語を二つ紹介させてもらうわ。「瞬過去」と「瞬未来」ってのがそれな。それぞれの意味は、字面を見れば何となく察しがつくかもだけど、次の通りだ。「瞬過去」とは一瞬の過去のこと。「瞬未来」とは一瞬の未来のこと。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ここでこれらの造語を使って、前回の話の最後の方で取り上げた「心の性質」をおさらいしておきやしょう。心に [続きを読む]