しろみ茂平の話 さん プロフィール

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しろみ茂平の話さん: しろみ茂平の話
ハンドル名しろみ茂平の話 さん
ブログタイトルしろみ茂平の話
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/mobira
サイト紹介文「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供105回 / 365日(平均2.0回/週) - 参加 2014/12/11 07:40

しろみ茂平の話 さんのブログ記事

  • お腰と生理
  • お腰と生理母の話(2013.7.15)xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxタスキをかけて畑へ行きょうた。ズボンが無かったけえ着物を着ていきょうた。(男も女も)モンペをはきだしたら「ええもんができて、ほんまに楽になった。」絣(の着物)をほどいて、みなモンペに(自分で仕立て)直しょうた。そうしょうたら、じきにあつらえたのが出だした。生理の時はほんまにていへんなんじゃ。(ふんどしのように)布を着て。便所は便 [続きを読む]
  • 労研饅頭(ろうけんまんとう)
  • 母の話・2015.1.1 (母は、この話の2ヶ月後に亡くなった)母の年齢(大正10年3月生)から、昭和10年前後のことである。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(井原高等女学校の前にある)コマツ屋ようた。そこへ買いに行きょうた。一袋へ四つ入とった、5円しょうた。安ぃんじゃ、あの頃の5円はやしぃ。弁当を持っていかんもんがエットおろう、そうゆうもんが皆、あれを買うて食びょうた。蒸しパンのようなもんじ [続きを読む]
  • 梨 2433本
  • 梨が多かった。どうめん・うつろ・しんがい、皆梨を植え取った。腐って、予防しつきょうた。雨が降りそうないえば予防、止めば予防。タゴへ(予防薬をいれて)手押しポンプでするんじゃった20世紀はおいしゅうて、おいしのができょうた。やすうなりだしたんと、腐るばあするんで、桃に植え替えた。(作者記・昭和20年代前半か?)2000・1・16 [続きを読む]
  • 国民優生法
  • 「産めよ増やせよ」と同時期に、疾患防止の法律ができた。形を少し変えて現在につづいている。なお、終戦まで断種手術の実施者数はゼロのようだ。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx--------------------------------------------以下転記する。 岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社--------------------------------------------遺伝性疾患を防止し優れた日本人を作るために優生手術を行うもの [続きを読む]
  • カバヤ文庫
  • 戦後70数年、岡山県内から生まれたもので最も有名なのが「カバヤ文庫」。全国を席巻したが、ちょっと期間が短かったのが残念。「明治・大正・昭和の郷土史・岡山県」昌平社出版1983発刊より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx画期的な宣伝方式のカバヤ文庫キャラメルを買うと絵本がもらえる。昭和27年から29年にかけて、ちょうど子供向けの本が払底していた敗戦後の社会にカバヤ食品のこの商法は歓迎された [続きを読む]
  • 立ち上がる遊女たち
  • 前借金、花柳病、外出規制、国家が認めた遊廓も、女性にとっては奴隷と呼んでもおかしくない境遇だった。「明治・大正・昭和の郷土史・岡山県」昌平社出版1983発刊より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxリンカーンに学び立ち上がる遊女たち大正12年(1923)7月23日の昼前、着飾った女性5名が県庁を訪ね、知事への陳情書を差し出した。西中島遊廓の娼妓たちで、高松稲荷に参詣するといって外出許可をも [続きを読む]
  • 木口小平の話
  • 白神源次郎も木口小平も実在の人物で、同じ連隊に属し、安城渡しの戦で、同時期に戦死している。白神は船穂、木口は成羽の出身だが、父の話によると矢掛や神辺にも”木口小平”はいたそうだ。「明治・大正・昭和の郷土史・岡山県」昌平社出版1983発刊より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxつくられた英雄--ふたりのラッパ手の死明治27年(1894)7月29日、宣戦布告の三日前安城の渡しで清国軍と激しい [続きを読む]
  • 農家と養蚕
  • 養蚕業は相場に振り回されるが、貴重な農家の現金収入。これは昭和5〜10年ごろの岡山県下の養蚕業。この時期が日本の養蚕数の最盛期でもあった。以下転記する。 岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx県下の養蚕は、1929年(昭和4)をピークに世界恐慌以来の不景気で、生糸の輸出は減少に転じていた。真庭製糸は休業、井原中備製糸は競売され、従来の県下の製糸業は [続きを読む]
  • 北川小で国防婦人会が発足式
  • 「非常時」とは、盧溝橋事件後または日米戦争時で使われた言葉と思っていたが以外に早く昭和8年(1933)に使用されていた。この年に「非常時女子訓練運動」が始まった。「爆弾三勇士」も「国連脱退」もこの年。そして「国防婦人会」が結成された。以下転記する。 岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx国防婦人会結成服装はカッポウ着、活動は兵士の送迎と千人針、献 [続きを読む]
  • 労研マントウ
  • 父や母が食べていたローマン(労研マントウ)は名の通り、労働研究から生まれた。以下転記する。岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxローマンと倉敷労働科学研究所1931年(昭和6年)、労研マントウ、略してローマンの名で売り出された蒸しパンが人気を呼んだ。これは倉敷労働研究所が中国人が常食するマントウを改良考案した代用主食だった。1930年製法と栄養 [続きを読む]
  • 廃娼運動
  • 昭和3年頃廃娼運動が盛り上がっている。業者が反対して、婦人運動家が賛成するのはわかるが、肝心の娼妓の意思や意見がわからない。廃止後の処置や時代柄、無理であったような気がする。以下転記する。岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx1928年(昭和3年)廃娼運動の進展農村の疲弊のため遊廓に売られてい行く女性は後を絶たず、不況の進行と共に深 [続きを読む]
  • 日中国交化
  • 今中国は飛行機で1〜2時間、広島空港や岡山空港からもひとっ飛び。しかし国交がない約30年間はヨーロッパやアメリカよりも遠かった。昭和47年の田中角栄首相の訪中、共同声明によって国交正常化へ向かった。山陽新聞より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx2017年6月14日・山陽新聞「人生を語る」・日中国交正常化 元通産事務次官 小長啓一田中角栄さんは「一番難しい問題に挑戦し、決断しなければ [続きを読む]
  • 捨てられた開拓移民
  • 満州に居た邦人は、日本政府が守ろうにも無力であったゆえ犠牲者が多かった、と思っていた。朝日新聞によれば、本土に帰っても、住む家も食べるものも無いので、帰らずに土着を指示したようだ。どうしょうもない悲惨な指示だ。朝日新聞(2015年11月22日)より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx捨てられた開拓移民1945年の終戦時、植民地を含め海外には軍民660万人の日本人がいた。当時の人口の約9%に [続きを読む]
  • オール読物「追跡者」
  • オール読物の2017年6月号に笠岡を舞台にした小説が載っている。江戸時代末期の笠岡を小説家は、活気ある町と人の出来事として記述している。 以下「オール読物」潮待ちの宿・追跡者(伊東潤)より部分転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxx潮待ちの宿笠岡の春は、瀬戸内海の潮風と共にやってくる。潮の香りが街中まで漂ってくると、はるか沖合に真鯛の群れが到来する。それを狙って「鯛しばり網漁」の漁船が漕ぎ出し [続きを読む]
  • 茂平の火葬場
  • 父の話・談・2000年6月17日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx茂平の火葬場水落(みぞーち)の東の一つ先の岩場にあった。岩へ割木を積んでいって人間を焼きょうた。番をつけていちんち焼きょうた。焼くばあしょうたんで岩が赤ぉなっとった。肺病や伝染病・・・移る病気を焼きょうた。人間の下からと上にも木を置いてうむし焼きをしょた。普通の年寄りやこが死んだのは土葬しようた。終戦の日(昭和20年8月15日)の兄弟は [続きを読む]
  • 茂平の備中杜氏
  • ID:s7n1ufなおさんやたーさんが杜氏をしょうた。冬の仕事で、寄島からの伊予の酒屋。あやじさん(寄島や大島の)についていって杜氏になったら、夏から行きょうた。ええ月給取りで、住み込みで夏は時々見にいきょうた。昔の巡査サーベルをぶら下げて、悪さをすると「巡査がつれていくぞ」ゆうて言わりょうた。家の内情を調べて台帳をこしらえとった。よう出て歩きょうた。お金がはいった時講があった。講で運用しょうた。近所で気 [続きを読む]
  • 夜なべ(ようなべ)
  • 父の話・談・2000年7月17日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx夜なべ(ようなべ)真田を組んで、藁を切ってそろえて・・・。裸麦は先は先でとり。麦藁を硫黄でうむして、白うして、干して乾燥しとくんじゃ。中は割ってうむして真田を組む。真田講堂真田講堂へ寄付しょうた。学校へ寄付して基金にしょうた。時には学校へ寄って組むゆうこともしょうた。雨カッパ稲わらで作った箕。帽子もじゃ。ええ河童はなかった。自分で(家で)作 [続きを読む]
  • 神島大橋の名称
  • 本土から離島に架ける橋は、名称を決めるのに一定の決まり方があるのだろうか?神島大橋とほぼ同時期に完成の、広島県「尾道大橋」は本土の地名。山口県「大島大橋」は島の地名。広島県「音戸大橋」は島(倉橋)の内の町名。離島から離島への橋は、広島県・大きな向島から岩子島へ「向島橋」。広島県・大きな生口島から高根島へ「高根橋」。神島大橋よりずっと大きな「関門橋」は、“大橋”ではなく“橋”。特に決まりごとはないよ [続きを読む]
  • 12月29日の餅つき
  • 父の話・談・2000年7月17日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx12月29日の餅つき30日につくことが多かった。悪い日(と言われる29日)はなるべく避けた方がいいじゃろう程度。家々の都合で29日に搗くのはあった。朝、早ぅから搗いて10時ごろには終わりょうた。歳末の火の用心(管理人が学生の頃、茂平では歳末に消防団がガラガラと音をたてて行進していた)木を打って「火の用心」ゆうて歩きょうたんじゃが、一杯飲んでか [続きを読む]
  • 城見小学校の小使いさん
  • 父の話・談・2001.4.22xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx城見小学校の小使いさん(管理人が小学生当時、城見小に小使いさんはいなかった)城見小にもおったんじゃ。役場の仕事と兼務しておった。大江でもそうじゃった。宿直(当直)(父が大江村が勤務地当時)小学校と役場はひっちいとった。退屈なので晩の11時ごろまで話をして、それから、ちょっと回ってみて寝ょうた。役場はこまいが、学校は広いので一巡するん [続きを読む]
  • もらい乳
  • 父の話・談・2001.4.22もらい乳(三橋美智也の名曲に「男涙の子守歌」がある。(詩吟「棄児行」入り)♪木枯し寒く 夜は更けて 月はさゆれど・・・声も涙の 貰い乳母は戦時中、近所の子に乳を飲ませた話をよくしていた。)子供が生まれてあまり出ない人は、粉や牛乳みたいなのを買ぅて、温めて飲ましょうた。たまに、他人からももらようた。近所の人からじゃ。(お乳の出が少ない人は、自分・買う・貰うの三本立てだったようだ)学校 [続きを読む]
  • 神仏分離②寺の廃絶
  • xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「神仏分離と倉敷」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx寺の廃絶全国で最も多くの寺院が取壊されたのは宮崎県です。末寺を加えると一千とされます。伊勢地方では196ヶ寺が廃寺となりました。伊勢神宮があるため、天皇の伊勢参拝のとき、不浄な寺が目に入るのを嫌ってのこととされます。仏像、仏具の廃棄仏像、仏具、仏画を焼くか二束三文で売り飛ばすことでした。奈良 [続きを読む]
  • 神仏分離①
  • 明治維新で御一新され、昭和の敗戦でマッカサー指令から免れたものといえば「神社」が代表だろう。維新前後の出来事は小説家も好んで書くが、作家に限らず歴史家もまた、少し腰がひいているように感じる。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「神仏分離と倉敷」より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx日本は、昭和20年まで政府に神祇官(じんぎかん)が置かれる神国だった。自分たち(政府)の選 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争④光山懸城に入城する
  • 昭和13年9月20日〜12月3日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxぬかるみを歩く2〜3日の雨が降る。本日も雨である。急に激しくなってきた。予定のとおり六時出発だ。雨はますます降り、我々は身も濡れ、濡れ鼠のようになって、一路目的地へと進む。足はぬかるみに倒れ、土は身体につく。「たいてい」の二の舞だ。ますます激しい雨。休みつつすすむ。6時30分に着く。実に戦場ならではの光景。○○部落にて光山懸城に入 [続きを読む]
  • 「父の野戦日誌」 徐州戦争③済南に着く
  • 昭和13年5月12日〜5月15日xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx一路天津に向かうタンクーより汽車に乗り、一路天津に向かう。車窓に映る大陸の景。広漠たる平野だ。まったくぞくぞくする地平線の各戦跡の車窓からの眺め。我等は元気で天津駅に着いた。天津天津は平穏だ。この土地が敵国の土地だろうか。多くの兵士でいっぱいだ。各機関は我が思うように運転している。支邦特有のチャーチャンが多く、馬を見る。午後7 [続きを読む]