しろみ茂平の話 さん プロフィール

  •  
しろみ茂平の話さん: しろみ茂平の話
ハンドル名しろみ茂平の話 さん
ブログタイトルしろみ茂平の話
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/mobira
サイト紹介文「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供138回 / 365日(平均2.6回/週) - 参加 2014/12/11 07:40

しろみ茂平の話 さんのブログ記事

  • 軍神西住戦車長のこと② 「西住戦車長伝」
  • 徐州会戦を舞台の小説に日野葦平の「麦と兵隊」があり、菊池寛には「西住戦車長伝」がある。麦と兵隊には文学作品の匂いがあるが、西住戦車長伝は、いかにも英雄ムードの最中に世にせかされて書かれた感がする。「菊池寛全集」より「西住戦車長伝」平成7年 高松市発行・発売文芸春秋より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx発端戦車隊を率いて、上海戦を初めとし、南京、徐州の攻略戦に参加した細見大佐は、 [続きを読む]
  • 文化財の海外流出
  • 文化財や美術品の海外流出は、たいはんが明治維新後の「西洋志向」や「廃仏毀釈」の時と思っていたが、実際はかなり広範囲の時代、しかも現代までわたっているようだ。週刊新潮・2018年7月26日号より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx誰が「国宝を流出させたか」 ボストン美術館の「平治物語絵巻」は、フェノロサが道具商から言い値の倍で買った。「吉備大臣入唐絵巻」は昭和8年、ボストン美術館の東洋部長 [続きを読む]
  • 軍神西住戦車長のこと①
  • 父は昭和13年5月12日に宇品から天津に着いた。天津からは済南に向かい、5月15日に戦場へ到着、赤柴部隊長に拝謁、配属された。以後徐州戦から漢口戦まで戦線に居た。絵本や映画になった西住戦車長は5月17日に徐州戦で戦死している。部隊は違えど、同じ徐州戦争に3日間、戦さ時間を共有していたことになる。父は生前、戦車隊のことも”軍神西住戦車長”のことも話したことはない。おそらく関係も関心もなく、軍神のことも知らなかっ [続きを読む]
  • 従容として悠久の大義に生きる悦びとすべし
  • ふくろうの本「玉砕の戦場」河手書房新社2004年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx日本民間人16.000人も自決し、かつ日本軍に殺されたマリアナ諸島の修羅場昭和19年6月19日、日本の機動艦隊が大いに自信をもってのぞんだマリアナ沖の海戦は完敗だった。空母や航空機以外の兵器で日本軍の予想もできないほど大差がついていたからだ。アメリカ軍は優秀なレーダーを備え、航空部隊が米空母上空に到着す [続きを読む]
  • 一兵となるまで陣地を固守し、増援部隊来着まで本島を死守せよ
  • 大戦で亡くなられた将兵は、その亡くなられ方が悲しい人が大半だ。ふくろうの本「玉砕の戦場」河手書房新社2004年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxタワラ島の玉砕昭和18年、日本は広げすぎた戦線を縮小した。中部太平洋の東はトラック諸島までとした。ブーゲンビル島はもとよりラバウルも防衛線から外された。東部ニューギニアも外され、西部ニューギニアを守るべき地域とした。通常 [続きを読む]
  • 笠岡商業に行く予定が笠岡工業へ
  • 以下は、散歩の雑談 2018.6.9 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx私は昭和7年生まれです。笠岡商業に行こうと思っとりましたが、戦争中なんで商業が廃止され工業へ行きました。6年が終わり、試験を受けてどうにか通りました。戦争中なんで、空襲警報が鳴ると学校のグランドの下に水路があるんです。谷から降りて来る、それに駆けり込みょうりました。そしたら半年で終戦になりました。戦争が終わると、あちこち分散し [続きを読む]
  • ポツダム〜新型爆弾投下〜ソ連参戦
  • ソ連大使はとんだピエロをやらされた。仁科芳雄博士は確認のため広島に飛んだ。「8月17日、ソ連軍上陸す 占守島攻防紀」新潮社より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxソ連、参戦へポツダムから、スターリンとモロトフがモスクワに帰着したのは8月5日だった。佐藤大使は、すぐさまモロトフに会見を申し入れた。モロトフは、8月8日午後5時(日本時間午後11時)を指定した。昭和20年8月6日午前8時15 [続きを読む]
  • 石工(いしく・せっこう)
  • 子供の頃、山を開墾して段々畑を作っていた。開墾で出た小石を積み上げて石垣にしていた。「庄原の歴史 通史編」より転記する。xxxxxxxxxxxxxx石工石工にはおよそ三通りの種別があり「石採(いしとり)工)と「石彫(いしほり)工」と「石積(いしつみ)工」である。ここでは「石彫工」を中心に記述してみる。和泉国の石工が遠路庄原に来て、この地方の人が技術を覚えたのは幕末近くなってからであろう。江戸時代に [続きを読む]
  • 明治維新後
  • 「三原市史・第二巻」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx維新後の三原町明治3年、正月4日の初寄合での協議内容によると、(1)町では近頃物価高になり、商売も少なく、みんな困窮しているのに、役所へ上納する間内銀は三倍増となり、時の相場で米で立て替えて上納することになった。(2)米値段はことのほか銀高になり毎年調達するのに困っており、取り揃えも容易ではなく、手元で立て替えて支払い、あとから未 [続きを読む]
  • 新制高校の誕生
  • 「流れる おかやま百年」  昭和42年1月 山陽新聞発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx新制高校の誕生23年には新制高校、教育委員会制度が生まれ、PTAも各校に設けられた。総司令部は総合化と男女共学、学区制を指導した。旧制中学をそのまま新制高校とし、21年までの入学生は付設中学に収容、24年8月から県立51校、市立3校、計54校を県立35校に統合した。旧岡山一中と二女が統合さ [続きを読む]
  • 満州の日本人
  • 管理人のおば(父の妹)は、結婚と同時に満州に嫁いだが、おばが話す満州吉林市の生活は、ほぼ下記の本の記述に重なる。おばたち満州の日本人は、全員が満州にとどまることが出来なかった。それほど、日本人は嫌われていた。「いのちと帝国日本・14」小学館2009より転記する。それにしても、昭和初期の「婦人公論」は、内容が冷静で、かつ出版も可能だったことにも驚く。zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz南 [続きを読む]
  • 甘港事件
  • 「いのちと帝国日本・14」小学館2009年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx駐留し続ける日本軍に対する潜在的な恐怖が、ニコラエフスク(甘港)事件という惨劇を引き起こす遠因となった。1920年(大正9年)5月、獄中にとらわれていた日本人130名(うち居留民12名)が殺害され、市街に火が放たれ尼港は焦土と化し、600名を超す日本人が犠牲になった。事件の直後、7月10日に出版された溝口白羊著「尼 [続きを読む]
  • シベリア出兵
  • シベリア出兵より日本軍が狂い始めたような気がする。「いのちと帝国日本・14」小学館2009年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxシベリアの沿海州やアムール州には多くの日本人が居住し、またそれを上まわる数の中国人や朝鮮人が住んでいた。ロシア人のほかに北方少数民族もあわせ、複数民族社会の様相を呈する地域だった。シベリアにも1917年の10月革命の波が年の瀬に押し寄せて来た。1918年1月、 [続きを読む]
  • 墓地
  • お墓には、個人墓や共同墓地やお寺の墓地がある。庄原では共同墓地化で火葬が増えたとあるが、笠岡では昭和40年頃まではほとんどが土葬であったような気がする。終わったのは昭和50年代と思う。「庄原市の歴史 通史編」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx埋葬地共同墓地は、一般には新しい墓が多い。明治中期からのものがほとんどである。広島県は明治25年、一定の場所に墓地を設けさせ、利用 [続きを読む]
  • 麻作り
  • 笠岡では「備中三白」の綿があり、麻の栽培歴はないように思える。庄原市では綿より麻が盛んだった。「庄原市の歴史 通史編」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx麻の栽培から機(はた)を織るまで。春に良畑に種まき必ず小鳥がやってくるので鳥追い小屋を建て、小屋から引っ張って鳴子を鳴らした。手入れ本葉が3枚くらいで間引き、下肥を2,3回汲んだ。収穫背丈以上に伸びた麻は、土用の入りが [続きを読む]
  • 家船(えぶね)の事
  • 岡山県側に「家船(えぶね)」は、見聞きしないが、瀬戸内海の西部では存在し、特に尾道市は千光寺と並び有名だった。「尾道市史第4巻」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx家船・末子相続制家船という古いしきたりは、多くの漁業部落に残っている。必ずしも吉和部落だけの専売特許ではない。漁業者は、船を家として各地を放浪するので、自然とそうならざるを得ないのである。すなわち海のジプ [続きを読む]
  • 昭和30年代頃の農村(都窪郡清音村)
  • 農作物の変化は激しい。近年は作物の変化から、耕作地→休耕地への変化が多い。「清音村誌」(現・総社市)より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx本村の農業生産物を列記すると、1・米2・麦3・い草4・いちご5・ふき6・雑穀類7・各種野菜などであるが、今日全く姿を消したものとして1・綿2・薄荷3・大麻4・甘蔗5・和牛6・菜種などが挙げられる。1・綿・・・昭和4年のアメリカの経済恐慌により、大暴落。栽培をかん [続きを読む]
  • 昭和初期の農村(和気郡佐伯町)
  • 第一次世界大戦では、日本に成金者が出た事が知られているが、田舎の生活も大きく変化したようだ。和気郡「佐伯町史」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx生糸の輸出が好調の為、佐伯地方にも養蚕を中心とする農家が増えた。すなわち、大正3年(1914)から大正8年までに一挙に4倍はね上がった。水田を桑畑にするもの、畑の多いところは一面桑畑になった。まゆ生産は年3回もできるという好 [続きを読む]
  • 大麻の栽培
  • 童謡「母さんの歌」は、いい歌だが♪かあさんは 麻糸つむぐ 1日つむぐ ・・・の「大麻」と「糸をつむぐ」(←手作業)はその時代を、あまり想像できない。が、清音町では戦時中頃、大麻の栽培、家内工業で紡いでいたようだ。「清音村史」(現・総社市)より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx大麻の栽培大麻はマニラ麻に替わるものとしてはじめられ、主として家庭工業との結ぎつきで上中島・古地・軽部 [続きを読む]
  • シベリア出兵と尼港事件と「陽明丸」
  • 尼港事件と、笠岡市ゆかりの茅原基治船長の「陽明丸」によるロシアの子供800人救出(大正9年7月〜9月)は、同じ年に起きている。忘れ去られた感がある「尼港事件」が地方の市史に載るのは珍しい。(岡山県和気郡)「佐伯町史」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxシベリア出兵と尼港事件大戦中ロシアには革命がおき帝政が倒れてロマノフ王朝は滅亡した。革命政府は直ちに同盟国側と単独講和を結んで連合国側 [続きを読む]
  • 八甲田山の遭難
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行する。八甲田山にも行く予定にしている。「青森県の歴史」山川出版2000年発行より転記する。(最下段にウイキより転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx八甲田山の遭難日本の軍部は、対ロシア戦争の準備を進め、第八師団も訓練を行った。寒冷地である満州での戦闘を予想し、青森の第5連隊と弘前の第31連隊に明治35年1月に厳寒期の耐寒訓練のため、八甲田山 [続きを読む]
  • 葉タバコ①  金光町史
  • 母方の祖父母は井原市の山村で農業していた。葉タバコの栽培には適していたと思う。管理人が小学の1〜2生の頃、タバコの乾燥小屋を新規に建てた。しかし、祖父母がその小屋を使用していた記憶がないので母に聞いたことがある。「あんまり手間がかかるので一回作って止めた」そうだ。その小屋は今も、そのまま残っている。「金光町史民族篇」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx浅口郡では昭和5年頃よ [続きを読む]
  • 「やわらかに柳あおめる北上の」
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行する。ぜひとも渋谷村の「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」の歌碑の場所に行ってみたいと思っている。少年時代に聞いた「北上夜曲」とイメージが重なる。石川啄木の歌は日本人の感性にぴったり合うような気がする。岩手県の歴史・山川出版より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx石川啄木は本名を一(はじめ)という。渋谷村に明 [続きを読む]
  • 秋田マタギの山々 
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行するのでマタギを調べた。日本の名山2・ぎょうせい1983年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx秋田マタギの山々 戸川幸夫 作家マタギとは独特の山岳宗教をもち、厳格な掟の下に団結した東北山岳地帯の職業的狩人集団」を指している。今日では昭和初期頃までに見られたようなマタギも、マタギ村も消えてしまったが、古老たちはいくらか残存している。シカリ [続きを読む]