しろみ茂平の話 さん プロフィール

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しろみ茂平の話さん: しろみ茂平の話
ハンドル名しろみ茂平の話 さん
ブログタイトルしろみ茂平の話
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/mobira
サイト紹介文「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供141回 / 365日(平均2.7回/週) - 参加 2014/12/11 07:40

しろみ茂平の話 さんのブログ記事

  • 葉タバコ①  金光町史
  • 母方の祖父母は井原市の山村で農業していた。葉タバコの栽培には適していたと思う。管理人が小学の1〜2生の頃、タバコの乾燥小屋を新規に建てた。しかし、祖父母がその小屋を使用していた記憶がないので母に聞いたことがある。「あんまり手間がかかるので一回作って止めた」そうだ。その小屋は今も、そのまま残っている。「金光町史民族篇」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx浅口郡では昭和5年頃よ [続きを読む]
  • 「やわらかに柳あおめる北上の」
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行する。ぜひとも渋谷村の「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」の歌碑の場所に行ってみたいと思っている。少年時代に聞いた「北上夜曲」とイメージが重なる。石川啄木の歌は日本人の感性にぴったり合うような気がする。岩手県の歴史・山川出版より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx石川啄木は本名を一(はじめ)という。渋谷村に明 [続きを読む]
  • 秋田マタギの山々 
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行するのでマタギを調べた。日本の名山2・ぎょうせい1983年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx秋田マタギの山々 戸川幸夫 作家マタギとは独特の山岳宗教をもち、厳格な掟の下に団結した東北山岳地帯の職業的狩人集団」を指している。今日では昭和初期頃までに見られたようなマタギも、マタギ村も消えてしまったが、古老たちはいくらか残存している。シカリ [続きを読む]
  • 「奸賊を誅滅して大儀を正す」
  • 大正のシベリア出兵から昭和の敗戦まで、この30年間ほどの日本の政治・軍事の出来事は国民として恥ずかしい。神や精神が優先し、当時の国民が支持をした。226事件を起こした陸軍は、政治的な反省もなく翌年戦争を起こし、その8年後の敗戦によって消滅した。「帝国の昭和」有馬学著 講談社2002年発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx2・26事件陸軍内部の皇道派グループはの間に [続きを読む]
  • 捨て子
  • 中国残留孤児は捨て子だが、親がその事(子供を捨てる)で非難されることはない。三橋美智也が歌った”男涙の子守唄”の詩吟「棄児行(きじこう)」も、似た状況だ。いのちと帝国日本14 小学館2009年発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx捨て子の「作法」捨て子とは、子供のいのちを粗末に扱う行為ではなかった。親子共倒れを防ぐために、他人に子供の養育をゆだねるという感覚に近かった。だから、 [続きを読む]
  • サンデー毎日〜「引き揚げ」に日本人の実存の弱さを見る
  • 北方領土問題は、日露の二ヶ国の問題だが、更に詰めると日本だけの、国内問題と思う。理由の一つに、日本を支持する国家は聞いたことがない。サンデー毎日に五木寛之の「ボケない名言」は、引き揚げを書いている。以下、サンデー毎日2018年6・10号より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「引き揚げ」に日本人の実存の弱さを見る  五木寛之ステートよりもカントリー「戦争の一つや二つに敗けたくら [続きを読む]
  • 女工哀史②
  • 「人物日本の女性史」集英社・昭和53年発行 「女工哀史 津村節子」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx細井和喜蔵(女工哀史・著者)は、女工募集方法変遷を三期に分け一期、明治10年頃から(日清戦争の)27・28年頃まで。前借金制度もない、退社も自由。二期、日清戦争〜日露戦争頃まで。近代産業が急激に発展し、工場の数が増え、女工募集が困難になった。応募した人が待遇が悪いと、帰国して状況を訴 [続きを読む]
  • 女工哀史①
  • 江戸時代から明治になっても、農民生活に変化はなく「文明開化」の実感はなかったという本は多い。「人物日本の女性史」集英社・昭和53年発行 「女工哀史 津村節子」より転記 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx農家の主婦は、家事育児の他に、農作業にも従事し、糸を引き、機(はた)を織って家族の衣類を整えるかたわら、賃機を織った。家事育児は、女に生まれて当然なすべき日常であり、これは仕事とはみなされな [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所④女衒(ぜげん)
  • 「人物日本の女性史」集英社・昭和53年発行「からゆきさん」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx女衒(ぜげん)(明治中期ごろ、島原天草)12、3才になると男も女も奉公に出した。少女の働き場所と言えば子守が女中ぐらいであった。貧しい娘たちが女衒(女を誘拐することを職業にしている男)にねらわれた。女衒たちは立派な身なりをして、貧しそうな娘を見ると道端などで話しかけた。女衒が狙うのは15.16才の [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所③慰安所
  • 父の話しによると駐屯地に慰安所はあり、慰安婦は日本人・・若くない(国内の遊郭からくる) 高い朝鮮人・・若い 安い 日本語カタコト中国人・・若い 安い 日本語駄目ほかに慰安所の外で中国人がいた。いちばん安いが、安全地帯でない。人物日本の女子史11巻 「からゆきさん」池田みち子 昭和53年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx日本人のいるところ何処にでも [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所②麦と兵隊
  • 「従軍歌謡慰問団」馬場マコト 白水社2012年発行 より転記 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 7月7日の盧溝橋事件以来、朝日新聞が「皇軍慰問資金」を募集していた。その総額が32万円にもなったという。戦争に対する国民のなみなみならぬ想いを知らされる数字で、「今回、更に軍当局の援助を得て北支戦線および中支戦線へ慰問映画班ならびに慰問演芸班を派遣することに決定せり」北支那・・・ [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所①
  • 父の話しでは、父が北支や中支での野戦中、至るところに「慰問団」が訪れ至るところに「慰安所」があったそうだ。これは慰問団の話し「従軍歌謡慰問団」馬場マコト 白水社2012年発行 より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxそれぞれの戦後山田耕作は1948年脳溢血で倒れた。以後身体が不自由になった。古賀政男は玉音放送を聞きながら引退を考えたが1946年5月歌謡界に復帰した。「湯の町エレ [続きを読む]
  • 占守島 「8月17日、ソ連軍上陸す」②
  • 「8月17日、ソ連軍上陸す 占守島攻防記」 大野芳著・新潮社・平成20年発刊 より転記 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxそれから何時間も経ったのか、爆音直後のことか国端崎の方向から砲声が聞こえた。けたたましい有線電話のベルが鳴った。戦車連隊本部から「心配いらん」との連絡だった。ソ連軍は座礁してる油槽船を砲撃しているだけだという。17日午後10時45分ごろのことである。国端崎は、とつぜんの砲撃 [続きを読む]
  • ウミボタル(夜光虫)の採取
  • 茂平の水尻海岸に夜光虫がいた。夏休みの夜、磯で海中に光る夜光虫を両手ですくった。手のひらで、不思議な光が海水にゆれ、指から夜光虫は夜の海に落ちた。夏休みの記憶として残っている。「笠岡市史3」と「日本の戦争と動物たち2」より転記する。------------------------------------笠岡市史3巻 平成8年発行ウミボタルの採取笠岡市域の国民学校のうち、島地部や海岸に面した学校では、夏の夜浜辺に出てウミボタルを採取する作 [続きを読む]
  • カストリ雑誌
  • 管理人が高校生の頃、映画は「邦画」「洋画」「エロ映画」と三分割されていた。高校の卒業式が終わってすぐ、福山に友と二人で初めてエロ映画を見に行った。エロ場面になると、白黒映画からカラー映画に変わり、音楽も微妙に変わった。その映画を見ながら友は泣いていた。エロ映画を見て泣くことにびっくりしたが、後に本を読むと、当時のエロ映画は脚本がしっかりして高いレベルだったそうだ。戦後氾濫し時代を彩ったカストリ雑誌 [続きを読む]
  • 金浦中学の発足
  • 戦前の学校制度は複雑なうえに、国民学校や青年学校が発足し、制度が軌道にのるまえに敗戦で「学制改革」となった。以下は「文科省のホームページ」と「岡山県教育史・続編」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「文科省のホームページ」より 新制中学校は昭和二十二年四月から発足したが、同年第一学年の生徒のみを義務就学とし、以後学年進行によって二十四年度に全学年の義務就学が完成した。 [続きを読む]
  • 南樺太--「最強師団の宿命」
  • 南樺太のことを著名な史家、保阪正康氏はどのように記述しているのだろう?同書に限らないが、8月9日未明・ソ連軍の参戦による満州の詳細な状況・情報は方面軍や樺太や千島の師団に届かなかったのだろうか。満州の状況を知れば対策が違うが、どうもそこが気になる。 「最強師団の宿命」保阪正康著2008年毎日新聞発行より転記する。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx南樺太昭和20年8月9日にソ連軍は満州、そして [続きを読む]
  • 占守島の闘い--「最強師団の宿命」
  • 占守島のことを著名な史家、保阪正康氏はどのように記述しているのだろう?「最強師団の宿命」保阪正康著2008年毎日新聞発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx北海道分割を阻止した昭和20年8月18日、占守島の戦いスターリンは北海道分割占領を狙い、日本のポツダム宣言受諾後も戦闘を継続し、千島北端の占守島に上陸した。しかし日本軍守備隊の予想外の頑強な抵抗の為、作戦は遅れ、北海道上陸は [続きを読む]
  • 東京へ行ってきた②陸軍東京第一病院
  • 昭和15年、父は岡山の連隊の陸軍病院から、東京の陸軍第一病院へ搬送された。その後も二度の出征を経たが、無事95才で人生を終えた。いつか、その地へ行ってみたいと思っていた。行っての帰り、ほっとした気持ちになった。昭和15年東京・戸山 陸軍第一病院以下柏書房「戦争遺跡の辞典」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxx陸軍軍医学校跡地 皇居の北西部に軍事施設が集中している区域がある。 「戸山ヶ原」で、陸軍軍 [続きを読む]
  • 東京へ行ってきた①東京湾海堡
  • 竹芝桟橋から伊豆大島へ高速ジェット船で行った。雨の天気だったが、波間に浮かぶ東京湾第二海堡は迫力があった。できれば、二階席から見たかった。以下は転記。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「戦争遺跡の辞典」柏書房 東京湾要塞は、東京湾に侵入しようとする敵戦艦の通行を阻止し、かつ海上からの敵の攻撃に対し、帝都東京および横須賀軍港を護る目的で建設された。 海堡は、海上に築島して、その上に砲台を築いたも [続きを読む]
  • 占守島 「8月17日、ソ連軍上陸す」① 
  • 8月17日、ソ連軍上陸す 大野芳著・新潮社・平成20年発刊 より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx8月9日払暁、ソ連軍は、国境を越えて北満州、朝鮮北部、南樺太へ攻めてきた。そして同日、大本営は、第5方面軍司令官・樋口中将に対して、国境方面所在の兵力をもって対ソ作戦の発動を準備するよう命じる。第5方面軍は第91師団に戦闘準備を発令する。師団から旅団へ、旅団から大隊へという連携をみれば、北千 [続きを読む]
  • 神仏分離①最上稲荷
  • 「流れる おかやま百年」山陽新聞社 昭和42年発刊より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx新しい政府は明治元年3月、神仏分離の布告を出し、神社から仏教的なもののすべてを取り除かせた。”廃仏毀釈”の運動が各地に起こり、仏像や仏具が焼かれた。寺院内にあった神社で神官にのっとられたところもある。吉備郡高松町の日蓮宗稲荷山妙教寺(最上稲荷)には正一位稲荷大明神もまつっていた。いわゆる神仏混合 [続きを読む]
  • ”赤線”の灯消える ②
  • 「流れる おかやま百年」山陽新聞社 昭和42年発刊より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxむずかしい転業岡山県下では10地区、327業者、接客婦822人の転廃業が進められた。県は、業者の転業、接客婦の更生にあれこれ知恵をしぼった。岡山市下石井に婦人厚生施設の建設。岡山市東中島や玉野市日比、笠岡市伏越三地区での編み物機10台を持ち込んでの講習会、婦人更生資金の貸し付け(総額64万円)などなど。ま [続きを読む]
  • ”赤線”の灯消える ①
  • 「流れる おかやま百年」山陽新聞社 昭和42年発刊より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx82年の歴史昭和33年4月1日、政府は画期的な売春防止法を実施した。岡山県では一足早く、この年3月15日を期して赤線の営業ストップをかけた。赤線最後の夜、モヤが春の宵を包む岡山市中島かいわいは、タクシーがひっきりなしに行き交い、サラリーマン風の男が連れだって繰り込む。かつてない盛況。玄関口では、火ばちに [続きを読む]
  • ”藤田の売逃げ”
  • 藤田財閥の児島湾干拓地は、戦後の農地改革でどのように解放されたのだろうか?「流れる おかやま百年」山陽新聞社 昭和42年発刊より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx(終戦直後)その頃、全国的な大地主は本間元也(山形)市島徳厚(新潟)と並んで、藤田農場が超大物で、県下では大原農場、服部合資のど大どころが控えていた。なかでも明治、大正、昭和にかけて”小作争議”の焦点だった藤田農場の開放 [続きを読む]