しろみ茂平の話 さん プロフィール

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しろみ茂平の話さん: しろみ茂平の話
ハンドル名しろみ茂平の話 さん
ブログタイトルしろみ茂平の話
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/mobira
サイト紹介文「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供140回 / 365日(平均2.7回/週) - 参加 2014/12/11 07:40

しろみ茂平の話 さんのブログ記事

  • 麻作り
  • 笠岡では「備中三白」の綿があり、麻の栽培歴はないように思える。庄原市では綿より麻が盛んだった。「庄原市の歴史 通史編」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx麻の栽培から機(はた)を織るまで。春に良畑に種まき必ず小鳥がやってくるので鳥追い小屋を建て、小屋から引っ張って鳴子を鳴らした。手入れ本葉が3枚くらいで間引き、下肥を2,3回汲んだ。収穫背丈以上に伸びた麻は、土用の入りが [続きを読む]
  • 家船(えぶね)の事
  • 岡山県側に「家船(えぶね)」は、見聞きしないが、瀬戸内海の西部では存在し、特に尾道市は千光寺と並び有名だった。「尾道市史第4巻」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx家船・末子相続制家船という古いしきたりは、多くの漁業部落に残っている。必ずしも吉和部落だけの専売特許ではない。漁業者は、船を家として各地を放浪するので、自然とそうならざるを得ないのである。すなわち海のジプ [続きを読む]
  • 昭和30年代頃の農村(都窪郡清音村)
  • 農作物の変化は激しい。近年は作物の変化から、耕作地→休耕地への変化が多い。「清音村誌」(現・総社市)より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx本村の農業生産物を列記すると、1・米2・麦3・い草4・いちご5・ふき6・雑穀類7・各種野菜などであるが、今日全く姿を消したものとして1・綿2・薄荷3・大麻4・甘蔗5・和牛6・菜種などが挙げられる。1・綿・・・昭和4年のアメリカの経済恐慌により、大暴落。栽培をかん [続きを読む]
  • 昭和初期の農村(和気郡佐伯町)
  • 第一次世界大戦では、日本に成金者が出た事が知られているが、田舎の生活も大きく変化したようだ。和気郡「佐伯町史」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx生糸の輸出が好調の為、佐伯地方にも養蚕を中心とする農家が増えた。すなわち、大正3年(1914)から大正8年までに一挙に4倍はね上がった。水田を桑畑にするもの、畑の多いところは一面桑畑になった。まゆ生産は年3回もできるという好 [続きを読む]
  • 大麻の栽培
  • 童謡「母さんの歌」は、いい歌だが♪かあさんは 麻糸つむぐ 1日つむぐ ・・・の「大麻」と「糸をつむぐ」(←手作業)はその時代を、あまり想像できない。が、清音町では戦時中頃、大麻の栽培、家内工業で紡いでいたようだ。「清音村史」(現・総社市)より転記するxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx大麻の栽培大麻はマニラ麻に替わるものとしてはじめられ、主として家庭工業との結ぎつきで上中島・古地・軽部 [続きを読む]
  • シベリア出兵と尼港事件と「陽明丸」
  • 尼港事件と、笠岡市ゆかりの茅原基治船長の「陽明丸」によるロシアの子供800人救出(大正9年7月〜9月)は、同じ年に起きている。忘れ去られた感がある「尼港事件」が地方の市史に載るのは珍しい。(岡山県和気郡)「佐伯町史」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxシベリア出兵と尼港事件大戦中ロシアには革命がおき帝政が倒れてロマノフ王朝は滅亡した。革命政府は直ちに同盟国側と単独講和を結んで連合国側 [続きを読む]
  • 八甲田山の遭難
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行する。八甲田山にも行く予定にしている。「青森県の歴史」山川出版2000年発行より転記する。(最下段にウイキより転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx八甲田山の遭難日本の軍部は、対ロシア戦争の準備を進め、第八師団も訓練を行った。寒冷地である満州での戦闘を予想し、青森の第5連隊と弘前の第31連隊に明治35年1月に厳寒期の耐寒訓練のため、八甲田山 [続きを読む]
  • 葉タバコ①  金光町史
  • 母方の祖父母は井原市の山村で農業していた。葉タバコの栽培には適していたと思う。管理人が小学の1〜2生の頃、タバコの乾燥小屋を新規に建てた。しかし、祖父母がその小屋を使用していた記憶がないので母に聞いたことがある。「あんまり手間がかかるので一回作って止めた」そうだ。その小屋は今も、そのまま残っている。「金光町史民族篇」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx浅口郡では昭和5年頃よ [続きを読む]
  • 「やわらかに柳あおめる北上の」
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行する。ぜひとも渋谷村の「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」の歌碑の場所に行ってみたいと思っている。少年時代に聞いた「北上夜曲」とイメージが重なる。石川啄木の歌は日本人の感性にぴったり合うような気がする。岩手県の歴史・山川出版より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx石川啄木は本名を一(はじめ)という。渋谷村に明 [続きを読む]
  • 秋田マタギの山々 
  • 今月末、東北3県(青森・秋田・岩手)に旅行するのでマタギを調べた。日本の名山2・ぎょうせい1983年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx秋田マタギの山々 戸川幸夫 作家マタギとは独特の山岳宗教をもち、厳格な掟の下に団結した東北山岳地帯の職業的狩人集団」を指している。今日では昭和初期頃までに見られたようなマタギも、マタギ村も消えてしまったが、古老たちはいくらか残存している。シカリ [続きを読む]
  • 「奸賊を誅滅して大儀を正す」
  • 大正のシベリア出兵から昭和の敗戦まで、この30年間ほどの日本の政治・軍事の出来事は国民として恥ずかしい。神や精神が優先し、当時の国民が支持をした。226事件を起こした陸軍は、政治的な反省もなく翌年戦争を起こし、その8年後の敗戦によって消滅した。「帝国の昭和」有馬学著 講談社2002年発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx2・26事件陸軍内部の皇道派グループはの間に [続きを読む]
  • 捨て子
  • 中国残留孤児は捨て子だが、親がその事(子供を捨てる)で非難されることはない。三橋美智也が歌った”男涙の子守唄”の詩吟「棄児行(きじこう)」も、似た状況だ。いのちと帝国日本14 小学館2009年発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx捨て子の「作法」捨て子とは、子供のいのちを粗末に扱う行為ではなかった。親子共倒れを防ぐために、他人に子供の養育をゆだねるという感覚に近かった。だから、 [続きを読む]
  • サンデー毎日〜「引き揚げ」に日本人の実存の弱さを見る
  • 北方領土問題は、日露の二ヶ国の問題だが、更に詰めると日本だけの、国内問題と思う。理由の一つに、日本を支持する国家は聞いたことがない。サンデー毎日に五木寛之の「ボケない名言」は、引き揚げを書いている。以下、サンデー毎日2018年6・10号より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「引き揚げ」に日本人の実存の弱さを見る  五木寛之ステートよりもカントリー「戦争の一つや二つに敗けたくら [続きを読む]
  • 女工哀史②
  • 「人物日本の女性史」集英社・昭和53年発行 「女工哀史 津村節子」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx細井和喜蔵(女工哀史・著者)は、女工募集方法変遷を三期に分け一期、明治10年頃から(日清戦争の)27・28年頃まで。前借金制度もない、退社も自由。二期、日清戦争〜日露戦争頃まで。近代産業が急激に発展し、工場の数が増え、女工募集が困難になった。応募した人が待遇が悪いと、帰国して状況を訴 [続きを読む]
  • 女工哀史①
  • 江戸時代から明治になっても、農民生活に変化はなく「文明開化」の実感はなかったという本は多い。「人物日本の女性史」集英社・昭和53年発行 「女工哀史 津村節子」より転記 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx農家の主婦は、家事育児の他に、農作業にも従事し、糸を引き、機(はた)を織って家族の衣類を整えるかたわら、賃機を織った。家事育児は、女に生まれて当然なすべき日常であり、これは仕事とはみなされな [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所④女衒(ぜげん)
  • 「人物日本の女性史」集英社・昭和53年発行「からゆきさん」より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx女衒(ぜげん)(明治中期ごろ、島原天草)12、3才になると男も女も奉公に出した。少女の働き場所と言えば子守が女中ぐらいであった。貧しい娘たちが女衒(女を誘拐することを職業にしている男)にねらわれた。女衒たちは立派な身なりをして、貧しそうな娘を見ると道端などで話しかけた。女衒が狙うのは15.16才の [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所③慰安所
  • 父の話しによると駐屯地に慰安所はあり、慰安婦は日本人・・若くない(国内の遊郭からくる) 高い朝鮮人・・若い 安い 日本語カタコト中国人・・若い 安い 日本語駄目ほかに慰安所の外で中国人がいた。いちばん安いが、安全地帯でない。人物日本の女子史11巻 「からゆきさん」池田みち子 昭和53年発行より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx日本人のいるところ何処にでも [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所②麦と兵隊
  • 「従軍歌謡慰問団」馬場マコト 白水社2012年発行 より転記 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 7月7日の盧溝橋事件以来、朝日新聞が「皇軍慰問資金」を募集していた。その総額が32万円にもなったという。戦争に対する国民のなみなみならぬ想いを知らされる数字で、「今回、更に軍当局の援助を得て北支戦線および中支戦線へ慰問映画班ならびに慰問演芸班を派遣することに決定せり」北支那・・・ [続きを読む]
  • 慰問団と慰安所①
  • 父の話しでは、父が北支や中支での野戦中、至るところに「慰問団」が訪れ至るところに「慰安所」があったそうだ。これは慰問団の話し「従軍歌謡慰問団」馬場マコト 白水社2012年発行 より転記xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxそれぞれの戦後山田耕作は1948年脳溢血で倒れた。以後身体が不自由になった。古賀政男は玉音放送を聞きながら引退を考えたが1946年5月歌謡界に復帰した。「湯の町エレ [続きを読む]
  • 占守島 「8月17日、ソ連軍上陸す」②
  • 「8月17日、ソ連軍上陸す 占守島攻防記」 大野芳著・新潮社・平成20年発刊 より転記 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxそれから何時間も経ったのか、爆音直後のことか国端崎の方向から砲声が聞こえた。けたたましい有線電話のベルが鳴った。戦車連隊本部から「心配いらん」との連絡だった。ソ連軍は座礁してる油槽船を砲撃しているだけだという。17日午後10時45分ごろのことである。国端崎は、とつぜんの砲撃 [続きを読む]
  • ウミボタル(夜光虫)の採取
  • 茂平の水尻海岸に夜光虫がいた。夏休みの夜、磯で海中に光る夜光虫を両手ですくった。手のひらで、不思議な光が海水にゆれ、指から夜光虫は夜の海に落ちた。夏休みの記憶として残っている。「笠岡市史3」と「日本の戦争と動物たち2」より転記する。------------------------------------笠岡市史3巻 平成8年発行ウミボタルの採取笠岡市域の国民学校のうち、島地部や海岸に面した学校では、夏の夜浜辺に出てウミボタルを採取する作 [続きを読む]
  • カストリ雑誌
  • 管理人が高校生の頃、映画は「邦画」「洋画」「エロ映画」と三分割されていた。高校の卒業式が終わってすぐ、福山に友と二人で初めてエロ映画を見に行った。エロ場面になると、白黒映画からカラー映画に変わり、音楽も微妙に変わった。その映画を見ながら友は泣いていた。エロ映画を見て泣くことにびっくりしたが、後に本を読むと、当時のエロ映画は脚本がしっかりして高いレベルだったそうだ。戦後氾濫し時代を彩ったカストリ雑誌 [続きを読む]
  • 金浦中学の発足
  • 戦前の学校制度は複雑なうえに、国民学校や青年学校が発足し、制度が軌道にのるまえに敗戦で「学制改革」となった。以下は「文科省のホームページ」と「岡山県教育史・続編」より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx「文科省のホームページ」より 新制中学校は昭和二十二年四月から発足したが、同年第一学年の生徒のみを義務就学とし、以後学年進行によって二十四年度に全学年の義務就学が完成した。 [続きを読む]
  • 南樺太--「最強師団の宿命」
  • 南樺太のことを著名な史家、保阪正康氏はどのように記述しているのだろう?同書に限らないが、8月9日未明・ソ連軍の参戦による満州の詳細な状況・情報は方面軍や樺太や千島の師団に届かなかったのだろうか。満州の状況を知れば対策が違うが、どうもそこが気になる。 「最強師団の宿命」保阪正康著2008年毎日新聞発行より転記する。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx南樺太昭和20年8月9日にソ連軍は満州、そして [続きを読む]
  • 占守島の闘い--「最強師団の宿命」
  • 占守島のことを著名な史家、保阪正康氏はどのように記述しているのだろう?「最強師団の宿命」保阪正康著2008年毎日新聞発行より転記する。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx北海道分割を阻止した昭和20年8月18日、占守島の戦いスターリンは北海道分割占領を狙い、日本のポツダム宣言受諾後も戦闘を継続し、千島北端の占守島に上陸した。しかし日本軍守備隊の予想外の頑強な抵抗の為、作戦は遅れ、北海道上陸は [続きを読む]