Enoの音楽日記 さん プロフィール

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Enoの音楽日記さん: Enoの音楽日記
ハンドル名Enoの音楽日記 さん
ブログタイトルEnoの音楽日記
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/eno1102
サイト紹介文オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供146回 / 365日(平均2.8回/週) - 参加 2014/12/19 12:28

Enoの音楽日記 さんのブログ記事

  • 高関健/東京シティ・フィル
  •  高関健指揮東京シティ・フィルのストラヴィンスキー&武満徹プロ。1曲目はストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」。ステージ上のオーケストラを見て改めて驚いた。弦楽器がヴァイオリンとヴィオラを欠き、チェロとコントラバスだけなのは承知しているが、驚いたのは管楽器の多さだ。詳述は避けるが、木管、金管各パート4〜5人ずつ。それにピアノが2台入るので、これはコストのかかる曲だ、というのが実感。 高関健のプレトークで、 [続きを読む]
  • 誰もいない国
  •  新国立劇場の演劇部門は、本年9月から小川絵梨子体制がスタートしたが、その第2弾はハロルド・ピンター(1930‐2008)の「誰もいない国」(1974)。不条理劇といわれる作品だが、そういえば、第1弾のアルベール・カミュ(1913‐1960)の「誤解」(1944)もそうだった。不条理劇が2作続いた。 でも、同じ不条理劇といっても、その2作はずいぶん違う。不条理劇という概念の広さのせいかもしれないが、わたしのような不勉強者には [続きを読む]
  • ルオー展
  •  ジョルジュ・ルオーは、東京の汐留ミュージアムにまとまったコレクションがあるので、首都圏在住の者には身近な画家だ。同ミュージアムは今、開館15周年を記念して「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」展を開催している。 ルオーは1871年にパリで生まれ、1958年に同地で亡くなった。生涯の中で第一次世界大戦と第二次世界大戦の両方を経験した。その悲惨な経験が作品に現れないわけがない、と思って本展を見ると、戦 [続きを読む]
  • ラザレフ/日本フィル
  •  ラザレフが日本フィルと続けているロシア音楽の演奏は、どれも名演揃いだが、なかでもショスタコーヴィチの交響曲は、作品の真の姿を伝えるという意味で、画期的なものだと思う。今回は問題作の一つ、交響曲第12番「1917年」が演奏された。演奏順とは異なるが、まずその感想から。 音の分厚さ、ダイナミックレンジの広さ、スケールの大きさ、豪快な表現と緻密なアンサンブルの共存、そしてなによりも真剣さという点で、これもま [続きを読む]
  • ガンジスに還る
  •  あれはなんの映画だったか、今ではもう記憶にないが、なにかの映画を観にいったとき、遠藤周作原作の映画「深い河」(熊井啓監督)の予告編を観た。短い映像だったが、その中のガンジス河に沐浴する人々のシーンが、今も記憶に残っている。調べてみると、その映画は1995年の製作なので、今から20年以上も前のことだ。 そのせいだろうか、新聞で映画「ガンジスに還る」の紹介を読んだとき、観てみたいと思った。ヒンドゥー教の聖 [続きを読む]
  • ボナール展
  •  オルセー美術館所蔵のピエール・ボナール(1867‐1947)の作品は、過去に何度か日本に来たことがあるが、いずれも「ナビ派」の括りで来たように思う。今回はボナールだけで構成した展覧会。日本の美術館が所蔵する作品で補完して、ボナールの画業を辿っている。 ボナールはナビ派の一員として登場したが、とくに主義主張にとらわれずに、感性の赴くままに制作したように見える。初期の暗い演劇的な作品を別にして、それ以降の作 [続きを読む]
  • 藤倉大「ソラリス」
  •  藤倉大(1977‐)のオペラ「ソラリス」の日本初演。本作が2015年にパリのシャンゼリゼ劇場で初演されたときは、どんなオペラだろうと思った。今回は演奏会形式だが、ともかくその台本と音楽に接することができた。 原作はスタニスワフ・レム(1921‐2006)の同名作だが、それを勅使川原三郎が台本化した。勅使川原三郎というとダンスのイメージが頭に浮かぶので、台本作成には驚いた。勅使川原はシャンゼリゼ劇場での初演で、演 [続きを読む]
  • 晩秋の徳本峠
  •  友人夫婦とわたしたち夫婦とで徳本峠(とくごうとうげ)に行ってきた。徳本峠は上高地に入る旧道。今ではバスで新島々から上高地に入るが、昔はバスが通っていなかったので、徒歩で徳本峠を越えて上高地に入った。その旧道は今でも残っていて、山好きの人々に歩かれている。 わたしたちはバスで上高地に入り、明神に1泊してから、翌日徳本峠を越えて島々に下った。上高地に入ったのは10月28日。当日は快晴で、穂高連峰がよく見 [続きを読む]
  • 鈴木雅明/読響
  •  指揮に鈴木雅明、合唱にベルリンのRIAS室内合唱団を迎えた読響の定期。1曲目はスウェーデンのモーツァルト、ヨーゼフ・マルティン・クラウスの「教会のためのシンフォニア」。華やかで晴れ晴れしく、コンサートの開幕にふさわしい曲だ。読響の音がクリアーなことに驚く。 2曲目はモーツァルトの交響曲第39番。音を短く切り、アクセントを強く付けた、ピリオド・スタイルの演奏。その演奏がさまになっている、といったら失礼だろ [続きを読む]
  • 大野和士/都響
  •  シュレーカーとツェムリンスキーという大野和士らしいプログラム。まずシュレーカーの「室内交響曲」から。シュレーカーというとオペラ作品を思い浮かべるが、この曲は純器楽曲。でも、その音楽はオペラを彷彿とさせる。室内オーケストラの編成だが、大規模なオーケストラによるオペラの、そのエッセンスを抽出したような曲だ。 大野和士の指揮は、めまぐるしく変わる音楽(オペラでいえば心理や事件)に機敏に反応して、音楽と [続きを読む]
  • 向井潤吉展
  •  向井潤吉展の会期末が迫ってきたので、無理をして行ってきた。 向井潤吉(1901‐1995)は古民家の画家として知られている。その作品は多くの日本人に郷愁を覚えさせる。チラシ(↑)に使われている作品は「六月の田園」(1971年)。場所は岩手県岩手郡滝沢村(向井潤吉の古民家の作品には場所が明記されている)。 近景に水田と古民家、中景になだらかな里山、遠景に岩手山を描いている。かつては日本のどこにでも見られたが、 [続きを読む]
  • トンチエ・ツァン/東京シティ・フィル
  •  トンチエ・ツァンTung-Chieh Chuangという若い指揮者が東京シティ・フィルの定期を振った。ツァンは台湾出身。アメリカのカーチス音楽院とドイツのワイマール音楽大学で学び、2015年のニコライ・マルコ国際指揮者コンクール(デンマーク)で優勝した。 1曲目はハイドンの交響曲第102番。今回が日本デビューとなる若い指揮者が、ハイドン晩年の傑作「ザロモン・セット」の中の1曲を取り上げるという、その大胆さに驚く。逃げも隠 [続きを読む]
  • カミュ「誤解」
  •  アルベール・カミュの演劇「誤解」を観た。戯曲は読んだことがあるが、舞台を観たのは初めて。戯曲に関しては地味な印象が残っていたが(同じ文庫本に入っていた「カリギュラ」を読んで衝撃を受けた後だったからかもしれない)、舞台は驚くほどおもしろかった。 まずストーリーを紹介すると、場所はヨーロッパのどこかの田舎町。母と娘が経営する小さなホテルに、ある男が泊まりに来る。その男は20年前に失踪した息子だった。息 [続きを読む]
  • ブロムシュテット/N響
  •  ブロムシュテットは今年7月11日の誕生日で91歳になったそうだ。高齢でお元気な指揮者が時々いるが(我が国では朝比奈隆がそうだった)、ブロムシュテットも、杖を使わずに歩き、椅子に座りもせずにブルックナーのような大曲を指揮する。その音楽は少しも老いを感じさせない。 当日のプログラムはモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」とブルックナーの交響曲第9番という堂々たるもの。わたしが聴いたのは2日目だが、初日の演奏 [続きを読む]
  • インキネン/日本フィル
  •  インキネンの振るシューベルトとブルックナーというプログラム。楽しみにしていた定期だ。1曲目はシューベルトの交響曲第5番。今年6月の定期で演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が名演だった。それと同じスタイルの演奏。だが、軽い音は同じだが、その音にふくらみが欠けていた。羽毛のような感触がなかった。 ブルックナーの準備に全力投球したのか、と思った。そのブルックナーは交響曲第9番。今月はブロム [続きを読む]
  • 網野善彦「古文書返却の旅」
  •  宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、感銘を受けたことがきっかけになって、宮本常一の他の著作や、宮本常一に関連する書物をいくつか読み、そのうちの数点に関しては拙い感想を書いた。このへんで一区切りつけたいと思うが、その前に一つだけ、感想を書かないと心残りな本がある。 それは網野善彦の「古文書返却の旅」(中公新書)。本書を読んだのは、同氏の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んで(しかも2度 [続きを読む]
  • 石川淳「八幡縁起」「修羅」
  •  振り返ってみると、6月から9月まで、まず石川淳の小説を読む時期があり、次に宮本常一の著作を読む時期があったが(さらに宮本常一に関連して網野善彦の著作を読んだが)、それらに通底するテーマがあって、それが常に頭の隅に引っかかっていたようだ。今までそれについて触れてこなかったので、備忘的に書いておきたい。 そのテーマはなにかというと、被差別民のこと。石川淳の「紫苑物語」を読んだ後で、同じ文庫本(講談社文 [続きを読む]
  • 魔笛
  •  ウィリアム・ケントリッジは著名な現代美術家で、京都賞を受賞したこともあるが、そのケントリッジが初めてオペラ演出を手掛けたのが2005年のモネ劇場(ブリュッセル)での「魔笛」だった。その「魔笛」が新国立劇場で上演されている。大野和士体制のスタートを飾る演目だ。 ケントリッジは、9月30日に行われたスペシャルトークで、次のように語っている。「今回の東京公演におけるプロダクションに関しては、そもそもの初演当 [続きを読む]
  • 網野善彦「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」
  •  宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、わたしはその広大な世界に惹かれたが、実は読んだ直後は明確につかむことができなかった。漠然とではあるが惹かれた、というのが正直なところ。そこで網野善彦の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んでみた。これまた大変おもしろかったが、十分には理解できなかった。 その後、宮本常一の「塩の道」を読み、そして「日本文化の形成」を読んだとき、わたしは網野善彦の前掲書 [続きを読む]
  • カンブルラン/読響
  •  カンブルランらしい多彩なプログラム。来年4月以降はこういうプログラムが姿を消すのだろうか。そうだとすると寂しい。 1曲目はペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」。冒頭の不協和音が美しい。以降の点描風な箇所も、巨大なクラスターの盛り上がりも、どこか理知的で、繊細な神経が通っている。けっして情念の音楽ではない。今まで聴いたこの曲の演奏の中では一番透明な演奏だった。 2曲目はシマノフスキのヴァイオリ [続きを読む]
  • 宮本常一「塩の道」
  •  宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだわたしは、その広大な世界に惹かれたので、他の作品も読んでみたくなった。多くの作品が出ているが、その中から「塩の道」(講談社学術文庫)を選んだ。 本書には表題作の他に「日本人と食べもの」と「暮らしの形と美」が収められている。どれも講演録で「一般の人を対象にしたもの」(田村善次郎氏の解説)なので、噛んで含めるように、平明に語られている。しかも「最晩年に行なった講 [続きを読む]
  • パーヴォ・ヤルヴィ/N響
  •  パーヴォ・ヤルヴィ/N響のシベリウス・プロ。当初の発表では「フィンランディア」(男声合唱付き)と「クレルヴォ」の2曲だったが、その後「レンミンケイネンの歌」と「サンデルス」(いずれも管弦楽伴奏付き男声合唱曲)が追加になった。合唱はエストニア国立男声合唱団。 その「レンミンケイネンの歌」と「サンデルス」は大変おもしろかった。わたしなど、こんな機会でないと、まず聴かない曲だが、どちらも初期のシベリウス [続きを読む]
  • 宮本常一「忘れられた日本人」
  •  友人と3か月ごとに開いている読書会が今月ある。テーマは交替で選んでいるが、今月のテーマは友人が選ぶ番で、友人が選んだのは宮本常一の「忘れられた日本人」。宮本常一の著作を読むのは、わたしは初めてだった。 最初はゆったりとしたテンポについていけなかったと、正直に言わなければならない。とくに「名倉談義」(「忘れられた日本人」は全13話からなっており、「名倉談義」はその一つ)に含まれる老人4人の昔語りは、テ [続きを読む]
  • パーヴォ・ヤルヴィ/N響
  •  パーヴォ・ヤルヴィ/N響のAプロは、ウィンナ・ワルツとポルカにマーラーの交響曲を組み合わせるという、意表を突く、斬新なプログラム。 前半がワルツとポルカ。曲名を書くだけでも長くなるが、書かないわけにもいかないので、以下列記すると、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「こうもり」序曲、同「南国のばら」、同「クラップフェンの森で」、同「皇帝円舞曲」そしてヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」。いずれ劣らぬ名曲ばか [続きを読む]
  • 高関健/東京シティ・フィル
  •  高関健が指揮する東京シティ・フィルの9月の定期は、ラヴェルのオペラ「スペインの時」が演奏されるので注目したが、その前のモーツァルトの交響曲第39番も楽しみだった。同曲はわたしの好きな曲の一つで、第40番や第41番よりも好きなのだが、意外に実演で聴く機会が少なく、今回は何年ぶりかで聴く実演だった。 演奏は後半の「スペインの時」と比べると、弦の音がザラザラして、全体に重かったかもしれないが、実演でないとわ [続きを読む]