大ミハ117 さん プロフィール

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大ミハ117さん: 大ミハ117のブログ
ハンドル名大ミハ117 さん
ブログタイトル大ミハ117のブログ
ブログURLhttp://o-miha.cocolog-nifty.com/blog/
サイト紹介文撮り鉄です。撮り貯めた国鉄電車を主にUPしてます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供26回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2015/01/04 14:31

大ミハ117 さんのブログ記事

  • 宮電 臨運用
  • 宮原電車区(大ミハ)急行形電車(165.167)の臨時運用でヘッドマーク付。昭和43年の新製から廃車まで宮原区で過ごしました。白熱灯デカ目、運転士側、助士席側共にデフロスタ付貫通路に何か貼ってあります?列車番号は7812M「ちくま・くろよん」号のまま福知山線川西池田駅にてやはり湘南色原色はかっこいいです?? [続きを読む]
  • 急行「比叡」
  • 名古屋局大垣電車区(名カキ)の153系や165系で名古屋⇔大阪間を一往復していましたが、昭和59年2月1日改正で廃止になりました。名古屋駅にて(後ろの新幹線ホームには0系が)↑宮原操車場北7番線にて↓膳所〜大津間にて(後ろには滋賀県名物?のスーパー平和堂が) [続きを読む]
  • 臨時快速「近江路」号
  • 名古屋⇔京都間を行楽シーズンに運転され使用車両は名古屋局大垣電車区(名カキ)持ちでした。写真は153系と165系の混編成ですが、古くは80系も使用され、113系や159系の時もありました。「近江路」号のサボ米原⇔京都 となっていますが、米原発着があったかどうかはわかりません。京都駅側線留置中。クハ153-515(上り向き)新製から廃車まで一貫して大垣区で過ごし、最後まで非冷房車でした。その隣の先頭車はクハ165で、同区の [続きを読む]
  • ニーマルイチ
  • ①芦屋駅にて 下り外側線を103系1000番台の回送が105系に改造 のため通過中。②高槻電車区横にて トンガリ型給水塔がレトロ。 ③明石電車区にて 「ひまわり号」で運用。④宮原電車区にて 乗務員講習のためやって来ました。京阪神緩行線の201系電車高槻電車区(大タツ)と明石電車区(大アカ)の2区所配置でしたが国鉄最末期に明石区に集約されました。201系、数え切れないぐらい運転しましたが、ブレーキの甘いのが多かった [続きを読む]
  • 415系 日車公試
  • 日本車両豊川工場で落成した常磐線用415系の公式試運転です。豊橋から西に下り米原から北陸本線の木ノ本駅まで行くのには訳がありました。それは坂田駅と田村駅の間の交直セクションを通過し切換テストをするためでした。木ノ本駅で折り返し、所属先の勝田電車区(水カツ)までの長旅回送でした。昭和59年12月19日か昭和60年1月16日の撮影でした。後追い 坂田付近にて 木ノ本に向かっています。米原に向かっています。おまけ 47 [続きを読む]
  • 万博中央駅&エキスポライナー
  • 臨時快速「エキスポライナー」は水戸局勝田電車区(水カツ)の401系 403系 415系 を中心に寝台車の間合運用で青森の583系 キハ58系気動車 12系客車 20系客車とバラエティーに富んだ車両を使用していました。(大阪局向日町運転所(大ムコ)の583系も応援に借り出されていました。)ハチマル EF80 懐かしいです。こちらは上野駅サボです。日本車両豊川製です。水戸機関区(水ミト)所属です。 [続きを読む]
  • サイエンストレイン・エキスポ号
  • 科学万博EXPO'85(つくば博)のPRのため、昭和59年9月から昭和60年3月まで全国(北海道と四国を除く)を巡回した「サイエンストレイン・エキスポ号」「万博中央駅」でゴールしました。ちなみに12系客車は「天リウ」(天王寺局竜華客貨車区」所属でした。大阪駅4番線での展示EF65 1130 けん引 大阪駅10番線にてEF58 150 けん引 宮原操北線にてヘッドマークのドアップです。 [続きを読む]
  • 90+101
  • 前回のお話「高槻電車区」クモヤ90がけん引車として本線走行した時の写真がありましたのでUPします。クモヤ90 2両+101系 4両101系は千葉局津田沼電車区(千ツヌ)所属で事業用車の改造種車として、幡生工場か広島工場への回送と思われます。(たぶん)姫路駅にて昭和57年7月撮影 [続きを読む]
  • 高槻電車区
  • 職員輸送車クモハ32 002昭和56年9月 全検(最終検査)白Hゴムが目立ちます。クモハ32に替わってクモヤ90 017が職員輸送車に就きました。下り大阪方は「赤」の回マーク上り京都方は「黒」の回マーク電車区全景 [続きを読む]
  • 明石のクエ
  • 大鉄局明石電車区(大アカ)の救援車クエ9401です。交番検査のため検修庫線(ピット線)に居ます。手前からクエ+クモヤ90+クモヤ145の事業用車3重連の豪華編成?!下り下関方の「顔}です。上り東京方の「顔」です。コチラは「定位置」での撮影です。廃車回送時(昭和58年3月)のものです。(レンズについた水滴が写ってます)土砂降りの中、吹田工場へ103系7両+「クエ9401」+クモヤ145の9両編成、超珍しい組み合わせでした。 [続きを読む]
  • 103系 片町線
  • 初代 淀川電車区(大阪市都島区)二代目 淀川電車区(大阪府東大阪市)青色は本線からの転属車混色長尾行 放出発車!(後追い)黄色は宮原電車区(大ミハ)からの転属車混色 片町行 河内磐船にて「片町」表示が懐かしいです。本来の朱色の他、青色・黄色の3色が一時的に見られました。 [続きを読む]
  • 117系大ミハ
  • HNにちなんで117系新快速幕 快速幕 普通幕新製後 初全検標記新快速姫路行 数え切れないぐらい乗務しました。↑↑夢の新快速 岡山幕と宇野幕もし、走っていたならば、18きっぷ利用者に大歓迎されたでしょうね。(笑)宮原電車区にて 昭和58年撮影 [続きを読む]
  • 117系+α
  • 117系との混編成(異車種連結)をUPします。一部の写真は2015年1月UP分と重複します。↑117+167(165)系 回送↑117+103系 試運転↑117+113系 試運転 [続きを読む]
  • イナイチ・イナニ
  • 昭和59年に、稲沢第一機関区・稲沢第二機関区の見学会が開催されました。踏切や民家、子供の様子に、昭和っぽさがよく出ていると感じます。↑「チビッ子」号ヘッドマーク機関車運転台添乗体験だったかな?!DD16の16番稲一の所属?それとも美濃太田? [続きを読む]
  • 485 うずしお
  • 向日町運転所(大ムコ)の485系を使用した特急「うずしお」が、昭和58年7月24日に、ヘンテコな絵入りヘッドマークでリバイバル運転されました。宇野線茶屋町駅付近にて9011M後追い撮影宇野駅構内留置線にてEF60 53と115系と [続きを読む]
  • 引越準備完了
  • 常磐快速線MCM`TC(103系10両7+3分割編成)だったのが昭和59年2月改正でMM`T(貫通編成)になりました。その際、必要となるサハ103は、大阪局明石電車区からも6両が松戸電車区に転属になりました。その6両のうちサハ103-315だけは、あらかじめ吹田工場でエメラルドグリーンに塗り替えたため、出場試運転でその姿を見ることが出来ました。(関西では見ることがない色です。)昭和59年撮影試6781Mか6783M高槻〜山崎間にてクモヤ145 サ [続きを読む]
  • 181系「とき」北国から南国へ
  • 昭和59年2月1日のダイヤ改正で、九州地区特急列車増発短編成化に伴う先頭車不足を補うため、上越新幹線開業(昭和57年11月15日ダイヤ改正)で保留車になっていた181系「とき」の先頭車2両を何と485系先頭車に改造編入されることになりました。クハ181-109 ? クハ481-501クハ180-5   ? クハ481-502この2両の改造は、鹿児島車両管理所が担当しました。485系より車体高さが低く、段差のあるいわゆるデコボコ編成を組むこと [続きを読む]
  • ロクゴの1001と1002
  • EF65 1000番台 トップナンバーの1001号機とナンバー2の 1002号機です。この2機は昭和59年2月改正で1001は宮原機関区1002は下関運転所の配置となったので、関西地区(山陽本線筋)で見られるようになりました。昭和59年撮影 宮原機関区にて [続きを読む]
  • DF50 ムド
  • EF66が引く貨物列車に無動力のカマ、しかもDF50が付いてます。ナンバープレートと製造銘板が外されていますが、車番は18号機DF50−18です。同車は昭和59年1月 四国総局 高知機関区で廃車となりましたが、幸運にも大阪は弁天町駅隣接の交通科学博物館に保存されることになり、その回送時をとらえたものです。けん引のFF66−14は当時、広島機関区の配置でした。66正面右横に見える「昭和住宅」の立て看板が正に、昭和の思い出「国 [続きを読む]
  • 淀川電車区
  • 関西国電発祥の地、淀川電車区です。淀電は昭和60年3月改正時 放出(ハナテン 東大阪市)に移転しました。↑左から101系 103系ブルー(明石区から転入) 103系高運↑救援車のクエ28 004です。↓↑吹田工場出場試運転 高槻にて↑淀電に来た「くろしお」用485系日根野電車区への回送途中です。「省電始元之碑」の記念碑が建っています。大阪市内(都島区)とは思えない雰囲気でした。↑大阪環状線を通って天王寺に行くため、 [続きを読む]
  • 新快速 彦根
  • 昭和60年3月改正で新快速 彦根発着が登場しましたが、極端に少ない運転本数で、一駅先の米原駅まで行かない(行けない)のは、その米原が名古屋鉄道管理局管内の為だったと推測されます。私も夜の運用で乗務し、折り返し野洲電車区入区し宿泊、懐かしい思い出です。新快速 彦根の行先表示幕↓昭和61年3月運用改正の117系運用表です。 [続きを読む]