シゲさん さん プロフィール

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シゲさんさん: シゲさんのblog
ハンドル名シゲさん さん
ブログタイトルシゲさんのblog
ブログURLhttp://shigeaki0303.hatenablog.com/
サイト紹介文団塊世代。博徒、アウトローについて書いています。博徒、アウトローの墓巡りもしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供12回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/01/11 22:58

シゲさん さんのブログ記事

  • 無宿浪人・平手造酒という人
  • ヤクザの用心棒・平手造酒(平田深喜)は皆さんも良く知っているだろう。三波春夫の大利根無情、「佐原囃子が聞こえ来る。思い出すなぁ、お玉ケ池の千葉道場、平手造酒も今じゃ、やくざの用心棒、人生裏街道の枯れ落ち葉・・・」のセリフで有名である。 平手造酒は、天保15年(1844年)8月6日、飯岡助五郎と笹川繁蔵との闘いに笹川繁蔵の助っ人として参加、闘死した。講談、浪曲「天保水滸伝」の名脇役である。この闘いは飯岡方70 [続きを読む]
  • 白波五人男の盗賊・日本左衛門という人
  • 白波五人男『問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の年から親に放たれ、身の生業も白波の、沖を超えたる夜働き、盗みはすれども非道はせじ、人に情けを掛川から、金谷をかけて宿々で、義賊の噂、高札に・・・』と大見えを切った大泥棒「日本駄衛門」が有名である。この日本駄衛門は実在の盗賊「日本左衛門」がモデルである。日本左衛門は尾張藩の遠州地区の七里役(藩専用の飛脚で、7里を走り次に渡す飛脚 [続きを読む]
  • 博徒・竹居安五郎の三つのお墓
  • 竹居安五郎は、竹居村名主の四男として生まれ、黒駒勝蔵の兄貴分でもあり、甲州を代表する博徒である。別名「竹居の吃安」とも呼ばれている。安五郎が17歳の時、人斬り長兵衛の代参で兄手合い7人と一緒に相模国道了尊の祭りに賭場を張りに行った。しかし、到着が遅れたため他の一家に場所を取られ盆を敷くことができなかった。連れの仲間は諦めたが、安五郎は多数の親分衆相手に直談判し、甲州弁で火の出るような啖呵を切り、賭場 [続きを読む]
  • 仙台の博徒・丸屋忠吉という人
  • 仙台の侠客・丸屋(鈴木)忠吉を知っている人は少ない。丸屋忠吉は幕末博徒の大前田英五郎、大場久八、相模屋政五郎と並んで、全国的に名を知られた博徒である。庶民的には国定忠治、清水次郎長が講談で有名だが、当時の大物博徒・親分とは前者の博徒を指すのが一般的である。蛮社の獄で捕縛された蘭学者で医師・高野長英が江戸の伝馬町牢屋敷を火災に紛れて脱走した。その長英が故郷の奥州・水沢に住む母親に一目会うため、東北へ [続きを読む]
  • 年金支給延長70歳超を検討する政府
  • 70歳超へ年金受給繰り下げ制度検討の新聞記事が話題になっている。現在は繰り下げ可能年齢は66歳から70歳まで。70歳になればそれ以上繰り下げできない。そのため政府は支給延長を考えている。理由は少子高齢化の年金の対処である。65歳から70歳まで5年間支給繰り下げすると年金額は42%増加する。年金相談で4割強の利子が増えると説明する人もいる。しかし全く銀行預金とは違う。年金は元本保証がない。70歳繰り下げすると約12年後 [続きを読む]
  • 江戸時代の自爆テロ要員「捨足軽」
  • イスラム国家での自爆テロ事件が絶えない。最近では子供、女性も自爆テロ要員になっているという。なぜ平和を愛するムスリムが、自分も含め、多くの人間の命を奪うのだろうか?美しい菊を愛でながら、殺人も辞さない刀を尊ぶ日本人を理解できない米国人や外国人の思いも同じかもしれない。わが国の「太平の世」と言われる江戸時代にも、自爆攻撃をする「捨足軽」というテロ要員に近い戦闘員がいたことはあまり知られていない。 [続きを読む]
  • うつ病の尾張藩士小山田勝右衛門という人
  • 尾張藩主側近である御小納戸職の職務記録の「御小納戸日記」にうつ病に罹った藩士の記録が載っている。 それは尾張在勤の御小納戸小山田勝右衛門高明という藩士である。小山田は家禄150石をうけ、藩主の側近として藩主の日常生活の下働きをする武士である。小山田は病気がちであり、いわゆる「気分不快引籠」つまり塞ぎ込み、引きこもるうつ病に罹っていた。そのため、天明8年(1788年)正月から上司の御小納戸頭取を通じて、欠勤 [続きを読む]
  • 明治最後の仇討・臼井六郎事件
  • 浅田次郎の小説に明治最後の仇討の話がある。しかしこれはフィクションで現実の話ではない。現実にあった話は、秋月藩の執政心得臼井亘理夫妻が殺害され、実子の臼井六郎が明治13年に仇討した事件がある。この話は「幕末史談会速記録」に記載されている。臼井亘理は秋月藩士として生まれ、藩主の黒田長徳の側用人まで出世した。秋月藩は宗藩の福岡藩が親幕派の公武合体派であったため、亘理もその流れの中にいた。しかし、側用人の [続きを読む]
  • 盗賊・田舎小僧という人
  • 前回、ブログで鼠小僧について書いた。今回、取り上げるのは、鼠小僧ほど有名ではないが、同じく大名屋敷専門の盗賊・田舎小僧である。田舎小僧は、同時期の稲葉小僧と混同されるが、両者は同じ盗賊なのかは、諸説あって、定かではない。本人は「自分は稲葉小僧と名乗ったことはない。また田舎小僧と呼ばれているが、これも自分で名乗った異名ではない。」と述べたという。 盗賊生活期間は鼠小僧が10年に対して、田舎小僧は2年、盗 [続きを読む]
  • 義賊・鼠小僧次郎吉という人
  • 鼠小僧といえば、時代劇ファンでなくとも名前ぐらいは知っているだろう。100軒以上の大名屋敷に忍び込み、3,000両以上の金子を盗み出し、義賊として芝居や講談で取り上げられた。盗賊の中でもヒーロー的存在である。しかし、その実体、素顔はあまり知られていない。次郎吉が生まれたのは、寛政9年(1797年)江戸新和泉町(現在の中央区人形町3丁目)、父親は定治郎、歌舞伎芝居の出方(案内、接待係)を務めていた。定治郎は片目が [続きを読む]
  • 死出の旅の往来手形・勘助、草津の旅
  • 高橋敏氏は、著書「江戸の平和力」で、江戸時代の行き倒れ死亡者に対する対応を評価し、江戸時代は予想以上の安心社会であると述べている。内容は、江戸時代の草津温泉療養の旅に出た庶民の旅先での病死の顛末である。 弘化4年(1847年)7月22日、豆州君沢郡長浜村(現・沼津市)の「勘助」が草津温泉六兵衛の宿で病死した。勘助の草津への旅は、温泉三昧の湯冶の旅でなく、らい病(ハンセン病)にかかり、大野村宇左衛門に付き添 [続きを読む]
  • 土佐藩御用達の火消し・相模屋政五郎という人
  • 相模屋政五郎という侠客を知っている人は少ない。博徒ファン仲間でもかなりメジャーな人物である。別名「江戸の相政」ともいう。「相政」にはもう一人、佐渡へ流罪となった渡世人の面倒を見た博徒の親分「佐渡相ノ川の政五郎」がいる。そのため「相模屋政五郎」は「江戸の相政」と呼ばれていた。 政五郎は博徒でなく、本業は口入屋で、新門辰五郎同様、江戸の火消しである。土佐藩主山内豊熙(山内容堂の2代前の藩主)の時、土佐 [続きを読む]
  • 悲劇の博徒・笹川繁蔵という人
  • 「利根の川風、袂に入れて、月に棹さす高瀬舟」講談、映画で有名な大利根月夜の舞台であり、天保水滸伝として、笹川繁蔵、用心棒・平田深喜(別名・平手造酒)と飯岡助五郎との大利根川の決闘は良く知られている。 笹川繁蔵の生家岩瀬家は、須賀山村の東南にある羽斗村(現・千葉県香取郡東 庄町)で代々醤油と酢を醸造した旧家で、地元の富豪である。繁蔵は岩瀬家七左衛門の三男として生まれた。母親は地元で有名な美人で、繁蔵も [続きを読む]
  • 次郎長の兄貴分博徒・津向文吉という人
  • 津向文吉は、駆け出しの頃の次郎長が喧嘩の仲裁をした相手方で、それを機会に次郎長の兄貴分となった博徒である。文吉は、温厚な性格で、男盛りの39歳で、八丈島に島流しになったため、あまり知られていない博徒である。しかし、細面で品のある二枚目の色男である。長年の流刑暮らしの結果、主たる抗争もなく、長寿を全うし、畳の上で生涯を終えた幸運な博徒でもある。(博徒名) 津向文吉    (本名)宮沢文吉(生没年)  [続きを読む]
  • 喧嘩しない大親分博徒・蕎麦亀という人
  • 博徒というと国定忠治、黒駒勝蔵、清水次郎長などの名しか思いつかない人がほとんどだろう。しかし、世間的に名も知られていないが、博徒として歴史に名を残しても良い博徒がいる。歴史的有名人だけが優れているのではない。無名でも優れた博徒がいる。特に博徒は喧嘩を華とするため、抗争、喧嘩をしない博徒は歴史に残らず、忘れ去られることが多い。そんな博徒の一人として、喧嘩をしないことを信条とし、大親分となった博徒・ [続きを読む]
  • 賊軍旧幕兵士戦死者を埋葬した博徒たち
  • 明治維新で賊軍幕府側戦死者の遺体収容の行動を取った博徒は少なくとも4人いた。中でも最も有名なのが威臨丸の清水次郎長である。新政府に反旗を翻した旧幕府海軍榎本艦隊威臨丸が台風に遭遇、破損して駿府藩の外港清水に緊急避難した。艦長小林文次郎は駿府藩に恭順の意を表し、兵士と武器を陸揚げし、停泊中の艦内は副長春山弁蔵、弟鉱平兄弟以下少数の水夫が残っていた。明治元年(1868年)9月18日、そこに新政府軍の富士丸、 [続きを読む]
  • 次郎長より有名な博徒・森石松という人
  • 森石松というと東映映画30石船の「寿司食いねえ」の中村錦之助を思い出す。片目でドモリのおっちょこちょいのやくざという印象である。清水一家では一番有名な子分である。しかしその実像は謎が多い。存在そのものが架空という人もいる。清水一家での活動期間は短いが、存在は間違いない。明治になって次郎長が監獄出所後の晩年、次郎長に面談した人が石松のことを聞いた時、次郎長は涙したと語っている。しかし、石松に関する資料 [続きを読む]
  • 悪者博徒の代表・飯岡助五郎という人
  • 飯岡助五郎は天保水滸伝では悪者博徒の代表である。子供の頃、見た映画では、配役は笹川繁蔵を高田浩吉、平手造酒が鶴田浩二で、非常に恰好良く、飯岡助五郎は近衛十四郎であり、いかにも憎たらしかったことを覚えている。助五郎は関東取締出役の目明しの二足草鞋の博徒であり、繁蔵の縄張りを狙い、お上を後ろ盾としたため、判官びいきの世間に嫌われる博徒だったのだろう。(博徒名) 飯岡助五郎   (本名) 石渡助五郎( [続きを読む]
  • 次郎長のお目付け役博徒・安東文吉という人
  • 安東文吉は駿河国府中(現・静岡市駿河区)に一家を構えた二足草鞋の博徒である。別名「暗闇の代官」「日本一の首つなぎ親分」と呼ばれ、その評価はさまざまである。(博徒名) 安東文吉   (本名) 西谷文吉(生没年) 文化5年(1808年)〜明治4年(1871年) 享年64歳      府中の自宅で病死安東文吉は駿河国安倍郡安東村(現・静岡市葵区)の豪農である西谷甲右衛門の子として生まれる。大柄で力もあるため、弟の辰五 [続きを読む]
  • 品川台場建設に貢献した博徒・大場久八という人
  • 大場久八は、韮山代官江川太郎左衛門の要請により、兄弟分である甲州豪商天野海蔵とともに、品川台場建設に協力した博徒として有名である。 (博徒名) 大場久八  (本名) 森久治郎 (生没年) 文化11年(1814年)〜明治25年(1892年)  享年79歳       上州への旅の途中、現・都留市谷村において中風で死亡 大場久八は伊豆国田方郡函南村間宮の百姓栄助の長男として生まれた。28歳のとき野天博打で無宿となり、博徒 [続きを読む]
  • 悪者にされた勤皇博徒・黒駒勝蔵という人
  • 黒駒勝蔵は、清水次郎長の敵役として有名で、その生涯は喧嘩に明け暮れ、最後には官軍の兵士でありながら、博徒の罪で処刑された謎多き運命をたどった博徒である。(博徒名)黒駒勝蔵  (本名)小池勝蔵(生没年)天保3年(1832年)〜明治4年(1871年)  享年40歳      斬罪により処刑黒駒勝蔵は、天保3年、上黒駒村(現・山梨県笛吹市)で村役人を務めた家である小池嘉兵衛の息子として生まれた。安政3年25歳のとき、勝 [続きを読む]
  • 偽官軍の名で殺された美濃博徒・水野弥三郎という人
  • 皆さんは幕末に偽官軍として、信州下諏訪で処刑された「赤報隊」のことをご存じだろうか?その後、昭和になって亡霊のように、朝日新聞襲撃事件において「赤報隊」の名が使用された。この赤報隊に深く関わり、最後は自ら縊死した博徒が水野弥三郎である。(博徒名)岐阜の弥太郎  (本名)水野弥三郎(生没年)文化2年(1805年)〜慶応4年(1868年)  享年64歳      大垣藩本牢内で縊死により自殺水野弥三郎は、岐阜矢島 [続きを読む]
  • ヒーロー博徒・国定忠治という人
  • 国定忠治を、幕府代官の羽倉外記が「忠治伝」で、「凡盗にあらずして劇盗なり」と言わしめたのは、忠治が相応の学問を修め、かつ剣術にも深くかかわっていたためである。忠治は、赤城の山に立てこもり、代官や関東取締出役と対決した博徒として有名である。清水次郎長が半分、二足草鞋に近いような博徒であったに対し、徹底抗戦を貫き、最後は大戸関所で磔となった忠治の美学に、庶民が共感したのだろう。(博徒名)国定忠治 (本 [続きを読む]
  • 会津小鉄という人
  • 京都の会津小鉄会が山口組の抗争で話題となっている。会津の小鉄は関東の大前田英五郎、東海の清水次郎長に対して関西の小鉄と呼ばれた博徒である。生まれはどこかわからないが、秩父、坂東、西国、四国巡礼を母親とともに放浪旅をしながら育ったと言われている。大坂に流れ着いたとき、母親が四天王寺の雪駄直し職人の内妻となり、小鉄である鉄五郎も養父の職人に引き取られた。鉄五郎が15歳の時、父親の家を飛び出し、江戸に下 [続きを読む]
  • 美談で作られた無法者・新門辰五郎という人
  • 新門辰五郎は、江戸浅草金竜山浅草寺に住み、鳶仕事師の親分、町火消十番組の頭であり、浅草寺の香具師、大道商人等の総元締めである。辰五郎は、寛政12年(1800年)下谷山崎町飾り職人中村金八郎の長男として生まれ、その後、上野輪王寺の家来町田仁衛門の養子となった。新門という名は、倫王門跡宮が浅草寺別当の伝法院へ隠居したとき、浅草凌雲閣付近に新門を作り、その番人に町田を任命したことによる。しかし、町田家は生活 [続きを読む]