シゲさん さん プロフィール

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シゲさんさん: シゲさんのblog
ハンドル名シゲさん さん
ブログタイトルシゲさんのblog
ブログURLhttp://shigeaki0303.hatenablog.com/
サイト紹介文団塊世代。博徒、アウトローについて書いています。博徒、アウトローの墓巡りもしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供19回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2015/01/11 22:58

シゲさん さんのブログ記事

  • 会津藩に味方した越後の博徒・観音寺久左衛門という人
  • 幕末の戊辰戦争では多くの博徒が参加している。三州の平井亀吉、甲州の黒駒勝蔵などである。彼らの戦争参加の理由の多くは利害関係、人間関係の繋がりによるものである。しかし思想とまでといかなくとも、個人の信念でこの戦争に参加した博徒は二人しかいない。一人は官軍側の四国讃岐の勤皇博徒、日柳燕石であり、もう一人は会津藩に味方した越後の博徒・観音寺久左衛門である。 観音寺久左衛門は代々越後の観音寺一家として、子 [続きを読む]
  • 八丈島流人・近藤富蔵という人
  • 江戸・永代橋のふもとから、八丈島に流される一隻の流人船が、隅田川を下って行った。その船に、近藤富蔵という23歳の若者が乗っていた。ときは江戸時代後期の文政10年(1827年)旧暦4月26日(太陽暦5月末頃)の朝である。犯した罪は殺人である。彼の父親は近藤重蔵という武士で、蝦夷地探検家として名を知られ、旗本として、学者としても一流の人物だった。富蔵がなぜ罪を犯したのか?それには父・重蔵のことを知る必要がある。 [続きを読む]
  • 三代で消滅した高田屋嘉兵衛という人
  • 小説「菜の花の沖」を書いた司馬遼太郎は、英知と勇気において江戸時代の人で最も偉い日本人は高田屋嘉兵衛であると言っている。嘉兵衛は淡路島の出身で、兵庫の和泉屋喜兵衛の下で沖船頭となり、その後和泉屋の支援で、自前の千五百石積み船「振悦丸」を手に入れた。建造費用は当時の金で2000両(現在で1億5千万円)を要したと言われる。 嘉兵衛は弟の金兵衛、嘉蔵とともに、兵庫で酒、塩などを仕入れ、酒田に運び、酒田で米を購 [続きを読む]
  • 函館の博徒・柳川熊吉という人
  • 幕末、北海道の函館に柳川熊吉という博徒がいた。年齢は、有名な清水次郎長より5歳年下である。熊吉は、榎本武揚旧幕軍と薩長官軍との函館戦争で放棄された旧幕軍兵士の遺体を勝手に埋葬した罪で死罪の刑を受けた。 (博徒名)柳川 熊吉 (生没年)文政8年(1825年)〜大正2年(1913年)      函館で死去。 享年89歳 柳川熊吉は、文政8年、江戸浅草で料理屋を営む野村鉄次郎の長男として生まれた。若いころ、当時浅草で売 [続きを読む]
  • 日本最悪の羆襲撃事件「三毛別羆事件」
  • 「三毛別ヒグマ事件」をご存知だろうか?北海道の開拓村で起きた日本最悪のヒグマによる村民襲撃事件である。この事件の実態を描いたのが元北海道庁林務官木村盛武の本「慟哭の谷」である。作家吉村昭はこの事件を小説化して「羆嵐」を発表した。「三毛別ヒグマ事件」は大正4年(1915年)12月9日から12月14日にかけて北海道苫前村でヒグマが次々と民家を襲い、開拓民7名(うち1名は胎児)が死亡、3名が重傷を負った事件である。 [続きを読む]
  • 北海道最果ての樺戸監獄
  • 樺戸監獄をご存じだろうか?明治12年設置の東京小菅の東京集治監、仙台宮城集治監に次いで北海道に設置された集治監である。よく知られている網走監獄は樺戸監獄の分監として開設された。その他の分監としては空知監獄、釧路監獄がある。 明治初め、西郷隆盛の西南戦争以降の自由民権運動の政治犯や、無期徒刑から15年以上の懲役囚を収容する集治監として、北海道に「樺戸監獄」が設置された。開設は明治14年、初代典獄は月形潔で [続きを読む]
  • 海賊房次郎と破戒僧・大須賀権四郎という人
  • 北海道樺戸郡月形町に旧樺戸集治監がある。ここに明治の終り、対照的な二人の囚人がいた。一人は「海賊房次郎」と呼ばれ、もう一人は「破戒僧・大須賀権四郎」である。 明治43年、15年の刑期の強盗犯・大沢房次郎が入所した。房次郎は「海賊房次郎」の異名があるほど水中での潜りの名人であった。 当時、樺戸監獄は石狩川の流れを利用して、上流の札比内分監から樺戸監獄波止場の水揚げ場まで、囚人たちによる木材切り出しが盛ん [続きを読む]
  • 脱獄囚・五寸釘寅吉という人
  • 明治の頃、北海道最果ての監獄である樺戸監獄から何度も脱獄に成功した脱獄囚がいた。異名を五寸釘寅吉と呼ばれ、人並を外れた運動能力で数々の脱獄を成功させた。数々の強盗、放火、傷害事件を起こした無期囚で、本名を西川寅吉と言う。 (別名) 五寸釘寅吉 (本名) 西川寅吉 (生没年)安政元年(1854年)〜昭和16年(1941年)      三重県多気郡で死去。享年87歳 寅吉は、安政元年(1854年)、伊勢国多気郡御糸郷佐 [続きを読む]
  • 博徒・合の川政五郎という人
  • 「合の川」とは、現在の群馬県邑楽郡板倉町と埼玉県加須市の境界を流れる利根川の流路の一つである。ただし、現在は廃川となっている。この付近は利根川の流路を利用して、銚子の海産物、醤油などを江戸に送る船運基地として物流、商業地として繁栄していた。(博徒名)合の川政五郎 (相の川、間の川とも書く)(本名) 高瀬仙右衛門茂高(生没年)天明8年(1788年)〜 万延元年(1861年)     12月25日死去、享年 73 [続きを読む]
  • 江戸城の御金蔵を破った盗賊たち
  • 享保5年(1720年)5月、京都二条城御金蔵から2百両が盗まれた。翌年には、大坂城の御金蔵から金が盗まれた。この2件は番方同心の犯行であった。しかし、厳重警備が予想される江戸城の御金蔵に忍び込む者はいなかった。御家人崩れ浪人藤岡藤十郎と、野州犬塚村無宿富蔵が、江戸城の奥深く忍び込み、御金蔵から4千両を盗み出す前代未聞の犯行に成功した。時期はペリー来航で幕府が慌てふためいていた安政2年である。無宿富蔵は以 [続きを読む]
  • 相対死(心中)した二川宿の飯盛女たち
  • 街道における遊女の存在は古く、平安末から鎌倉時代に白拍子と称される女性がいた。江戸時代、各宿場に遊女まがいの飯盛女がいたことはよく知られている。幕府は享保3年(1718年)飯盛女の数を旅籠屋1軒あたり、2人までとしてその存在を黙認した。飯盛女を置かない旅籠を「平旅籠」、置く旅籠を「飯盛旅籠」と呼んだ。 天保13年(1842年)二川宿(豊橋市二川)の「飯盛女人別帳」には37軒の旅籠屋のうち、30軒に一人または二人の [続きを読む]
  • 無宿浪人・平手造酒という人
  • ヤクザの用心棒・平手造酒(平田深喜)は皆さんも良く知っているだろう。三波春夫の大利根無情、「佐原囃子が聞こえ来る。思い出すなぁ、お玉ケ池の千葉道場、平手造酒も今じゃ、やくざの用心棒、人生裏街道の枯れ落ち葉・・・」のセリフで有名である。 平手造酒は、天保15年(1844年)8月6日、飯岡助五郎と笹川繁蔵との闘いに笹川繁蔵の助っ人として参加、闘死した。講談、浪曲「天保水滸伝」の名脇役である。この闘いは飯岡方70 [続きを読む]
  • 白波五人男の盗賊・日本左衛門という人
  • 白波五人男『問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の年から親に放たれ、身の生業も白波の、沖を超えたる夜働き、盗みはすれども非道はせじ、人に情けを掛川から、金谷をかけて宿々で、義賊の噂、高札に・・・』と大見えを切った大泥棒「日本駄衛門」が有名である。この日本駄衛門は実在の盗賊「日本左衛門」がモデルである。日本左衛門は尾張藩の遠州地区の七里役(藩専用の飛脚で、7里を走り次に渡す飛脚 [続きを読む]
  • 博徒・竹居安五郎の三つのお墓
  • 竹居安五郎は、竹居村名主の四男として生まれ、黒駒勝蔵の兄貴分でもあり、甲州を代表する博徒である。別名「竹居の吃安」とも呼ばれている。安五郎が17歳の時、人斬り長兵衛の代参で兄手合い7人と一緒に相模国道了尊の祭りに賭場を張りに行った。しかし、到着が遅れたため他の一家に場所を取られ盆を敷くことができなかった。連れの仲間は諦めたが、安五郎は多数の親分衆相手に直談判し、甲州弁で火の出るような啖呵を切り、賭場 [続きを読む]
  • 仙台の博徒・丸屋忠吉という人
  • 仙台の侠客・丸屋(鈴木)忠吉を知っている人は少ない。丸屋忠吉は幕末博徒の大前田英五郎、大場久八、相模屋政五郎と並んで、全国的に名を知られた博徒である。庶民的には国定忠治、清水次郎長が講談で有名だが、当時の大物博徒・親分とは前者の博徒を指すのが一般的である。蛮社の獄で捕縛された蘭学者で医師・高野長英が江戸の伝馬町牢屋敷を火災に紛れて脱走した。その長英が故郷の奥州・水沢に住む母親に一目会うため、東北へ [続きを読む]
  • 年金支給延長70歳超を検討する政府
  • 70歳超へ年金受給繰り下げ制度検討の新聞記事が話題になっている。現在は繰り下げ可能年齢は66歳から70歳まで。70歳になればそれ以上繰り下げできない。そのため政府は支給延長を考えている。理由は少子高齢化の年金の対処である。65歳から70歳まで5年間支給繰り下げすると年金額は42%増加する。年金相談で4割強の利子が増えると説明する人もいる。しかし全く銀行預金とは違う。年金は元本保証がない。70歳繰り下げすると約12年後 [続きを読む]
  • 江戸時代の自爆テロ要員「捨足軽」
  • イスラム国家での自爆テロ事件が絶えない。最近では子供、女性も自爆テロ要員になっているという。なぜ平和を愛するムスリムが、自分も含め、多くの人間の命を奪うのだろうか?美しい菊を愛でながら、殺人も辞さない刀を尊ぶ日本人を理解できない米国人や外国人の思いも同じかもしれない。わが国の「太平の世」と言われる江戸時代にも、自爆攻撃をする「捨足軽」というテロ要員に近い戦闘員がいたことはあまり知られていない。 [続きを読む]
  • うつ病の尾張藩士小山田勝右衛門という人
  • 尾張藩主側近である御小納戸職の職務記録の「御小納戸日記」にうつ病に罹った藩士の記録が載っている。 それは尾張在勤の御小納戸小山田勝右衛門高明という藩士である。小山田は家禄150石をうけ、藩主の側近として藩主の日常生活の下働きをする武士である。小山田は病気がちであり、いわゆる「気分不快引籠」つまり塞ぎ込み、引きこもるうつ病に罹っていた。そのため、天明8年(1788年)正月から上司の御小納戸頭取を通じて、欠勤 [続きを読む]
  • 明治最後の仇討・臼井六郎事件
  • 浅田次郎の小説に明治最後の仇討の話がある。しかしこれはフィクションで現実の話ではない。現実にあった話は、秋月藩の執政心得臼井亘理夫妻が殺害され、実子の臼井六郎が明治13年に仇討した事件がある。この話は「幕末史談会速記録」に記載されている。臼井亘理は秋月藩士として生まれ、藩主の黒田長徳の側用人まで出世した。秋月藩は宗藩の福岡藩が親幕派の公武合体派であったため、亘理もその流れの中にいた。しかし、側用人の [続きを読む]
  • 盗賊・田舎小僧という人
  • 前回、ブログで鼠小僧について書いた。今回、取り上げるのは、鼠小僧ほど有名ではないが、同じく大名屋敷専門の盗賊・田舎小僧である。田舎小僧は、同時期の稲葉小僧と混同されるが、両者は同じ盗賊なのかは、諸説あって、定かではない。本人は「自分は稲葉小僧と名乗ったことはない。また田舎小僧と呼ばれているが、これも自分で名乗った異名ではない。」と述べたという。 盗賊生活期間は鼠小僧が10年に対して、田舎小僧は2年、盗 [続きを読む]
  • 義賊・鼠小僧次郎吉という人
  • 鼠小僧といえば、時代劇ファンでなくとも名前ぐらいは知っているだろう。100軒以上の大名屋敷に忍び込み、3,000両以上の金子を盗み出し、義賊として芝居や講談で取り上げられた。盗賊の中でもヒーロー的存在である。しかし、その実体、素顔はあまり知られていない。次郎吉が生まれたのは、寛政9年(1797年)江戸新和泉町(現在の中央区人形町3丁目)、父親は定治郎、歌舞伎芝居の出方(案内、接待係)を務めていた。定治郎は片目が [続きを読む]
  • 死出の旅の往来手形・勘助、草津の旅
  • 高橋敏氏は、著書「江戸の平和力」で、江戸時代の行き倒れ死亡者に対する対応を評価し、江戸時代は予想以上の安心社会であると述べている。内容は、江戸時代の草津温泉療養の旅に出た庶民の旅先での病死の顛末である。 弘化4年(1847年)7月22日、豆州君沢郡長浜村(現・沼津市)の「勘助」が草津温泉六兵衛の宿で病死した。勘助の草津への旅は、温泉三昧の湯冶の旅でなく、らい病(ハンセン病)にかかり、大野村宇左衛門に付き添 [続きを読む]
  • 土佐藩御用達の火消し・相模屋政五郎という人
  • 相模屋政五郎という侠客を知っている人は少ない。博徒ファン仲間でもかなりメジャーな人物である。別名「江戸の相政」ともいう。「相政」にはもう一人、佐渡へ流罪となった渡世人の面倒を見た博徒の親分「佐渡相ノ川の政五郎」がいる。そのため「相模屋政五郎」は「江戸の相政」と呼ばれていた。 政五郎は博徒でなく、本業は口入屋で、新門辰五郎同様、江戸の火消しである。土佐藩主山内豊熙(山内容堂の2代前の藩主)の時、土佐 [続きを読む]
  • 悲劇の博徒・笹川繁蔵という人
  • 「利根の川風、袂に入れて、月に棹さす高瀬舟」講談、映画で有名な大利根月夜の舞台であり、天保水滸伝として、笹川繁蔵、用心棒・平田深喜(別名・平手造酒)と飯岡助五郎との大利根川の決闘は良く知られている。 笹川繁蔵の生家岩瀬家は、須賀山村の東南にある羽斗村(現・千葉県香取郡東 庄町)で代々醤油と酢を醸造した旧家で、地元の富豪である。繁蔵は岩瀬家七左衛門の三男として生まれた。母親は地元で有名な美人で、繁蔵も [続きを読む]
  • 次郎長の兄貴分博徒・津向文吉という人
  • 津向文吉は、駆け出しの頃の次郎長が喧嘩の仲裁をした相手方で、それを機会に次郎長の兄貴分となった博徒である。文吉は、温厚な性格で、男盛りの39歳で、八丈島に島流しになったため、あまり知られていない博徒である。しかし、細面で品のある二枚目の色男である。長年の流刑暮らしの結果、主たる抗争もなく、長寿を全うし、畳の上で生涯を終えた幸運な博徒でもある。(博徒名) 津向文吉    (本名)宮沢文吉(生没年)  [続きを読む]