薄伽梵 さん プロフィール

  •  
薄伽梵さん: これでいいのダ
ハンドル名薄伽梵 さん
ブログタイトルこれでいいのダ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/koredeiinoda-arigatougozaimasu
サイト紹介文神道、仏教、スピリチュアルな経験や知識、仕事や武道を通じた気づき、心をラクにするヒントを伝えます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2015/01/18 01:00

薄伽梵 さんのブログ記事

  • 謙虚なこころ
  • 私たちは年齢とともに様々な経験を積んでいきます。そうして何が起きても大抵のことは大丈夫になってまいります。歳を取るというのは、図太くなるとも言えますし、平常心が養われるとも言えます。思い返して見ますと、小さい頃はほんのちょっとしたことでも人生の一大事に思えて慌てふためいたものでした。そうして知識や経験を重ねるにつれて、オロオロすることも少なくなっていきました。大人になってもそれは同じで、会社に入っ [続きを読む]
  • あれでいいのダ (2)
  • 私たちが日々の一瞬一瞬をチョキチョキと切り続けているのは、実は、紙を切ろうとする思いそのものを手放すためとも言えます。それは、『こう切ってやろう』と考える自我を受け入れる、と言い換えることもできます。自覚のないまま自動モードに乗っかってしまうのではなく、それを分かった上で見守っていると、いつの間にか自動モードが無くなっていることに気がつきます。『こう切ってやろう』というこだわり自体が起きなくなって [続きを読む]
  • あれでいいのダ
  • なんの不安もなく平和に暮らしていても、何かの拍子にふと過去のツラい記憶が蘇ることがあります。すると思わずギクッとなって、条件反射的にワーッと心の奥へと押し込めてしまいます。まさに「出てくるなー!」と押入れに戻すような感じです。これは、あんなトンデモないこと一生忘れられるはずがないと諦めてしまっているのも原因の一つになっています。シンドくなるのは仕方ないと決めつけてしまうと、結局、抱え込むことを選択 [続きを読む]
  • 「全」にして「個」(2)
  • 私たちというのは、広大無辺な天地宇宙そのものです。そして、今この姿というのは、そこに切り絵を乗せたものに過ぎないという話をしてきました。そうなりますと、この世の死というのは、その切り絵が無くなることを意味します。切り絵が無くなろうと、私たち自身は相変わらず今ここにドーンと在るままです。それまでと何も変わりません。長いこと窮屈なところに顔を押し込んでいたのが無くなったわけですから、一気に軽くなって、 [続きを読む]
  • 「全」にして「個」
  • 寄席などで見られる演芸の一つに、紙切り(切り絵)というものがあります。ハサミで白い紙をスーッと一筆書きに切っていくと、そこにシルエットの人物が浮かび上がるというものです。紙切りには、切り取った紙が作品となるパターンと、切り落とした空間が作品となるパターンがあります。特に後者は、紙ではなく空間の方が主役になるというのがとても振るってて、黒い板の上に切り絵を乗せた瞬間、何も無い部分にパッと命が宿るのは [続きを読む]
  • 誰もがみな自由人です
  • インフルエンザはシンドかったですが、そのお陰で、世間から完全隔離されることになりました。それは、自分の生活習慣・生活リズムからの隔離でもありました。普段あたりまえに繰り返すペースというものが、実は、無意識のうちに自ら作り出しているものであったことを、水槽からヒョイと出されて初めて実感しました。時間・空間というのは、不変のものではありません。様々な存在がすれ違うことなく関わり合えるように、ひとまずコ [続きを読む]
  • ストレスに護られて
  • いまだインフルエンザが猛威を振るっています。他人事と思っていましたら、私も思いっきりかかってしまいました。忙しくて休めない時ほど招き寄せてしまうものなのでしょうか。布団から起きあがることもできず、スポーツドリンクとゼリー飲料の生活が何日も続いてしまいました。体力はある方だと思っていたのですが、わずか4、5日歩かなかっただけで体力の落ち方は半端ありませんでした。ようやく動けるようになって近くの駅まで [続きを読む]
  • 天地宇宙の「呼吸」
  • 身体を動かすことで、心の移ろいが霧散して全体が一つに噛み合うという話をしました。悩みや苦しみが深い時は、激しいスポーツや派手な動きをすると身体に集中しやすいと書きましたが、もちろんそれだけが天地合一の道ということではありません。私たちが生きている限り、肉体を使った動きというのは数限りなくあります。例えば、呼吸もその一つです。あくまで「肉体を使う」というのがポイントですから、手や足に限定する必要はあ [続きを読む]
  • 身体は心の救世主
  • 考えごとをしていたり、心ここにあらずだったり、心がボヤけていると、私たちの全体というのはバラバラになってしまいます。心身が統一して天地に任せきった状態のときは、全体は一つになります。一つになるとは、全てが噛み合って一体となっていることです。その状態にあると、例えば誰かにバシーンと思いっきり叩かれても、衝撃は全身の表面へ散る感じで逃げていきます。ドツかれても全くブレることはありません。やってみると分 [続きを読む]
  • 私たちは「いのち」に生かされています
  • 身の周りに大変な状況が続いてしまうと、身体への負担は計り知れないものになります。心がキュウキュウになると、全身の筋肉や細胞もキュウキュウになります。エネルギーの滞りは、酸欠と同じような息苦しい感覚となり、身体もずっしりと重くなります。一ヶ月前の話になりますが、年末に久々の稽古に行った時のことです。最初は、統一体になっているかどうかのチェックから始まりました。ここでいう「統一」というのは「心と身体の [続きを読む]
  • 天の岩戸の開かれるまで
  • 具合の悪い時というのは、心身ともに鉛のように重く淀み、生き苦しくなります。ただ、仕事や生活は待ったなしで迫ってきます。そんな時、何もしたくないと思うのは心の正しい反応で、それは身体を休ませるための防衛本能であるわけです。私たちを休ませるためならば、自我は手段を問わず、いわゆるネガティヴ想念を送り続けます。そうしたものをスルーする技だけ身につけて、そのまま無理な生活を重ねてしまうと、芯の部分のエネル [続きを読む]
  • 生きることは美しい
  • 今日で阪神淡路大震災から21年になります。その間、東日本大震災もあり、ひと昔前のように感じますが、今だからこそ当時とは違った思いをもって実感できることがあります。当時、私はまだ大学生でした。親元に住んでいましたので、体だけ大きなヒナ鳥のようなものだったと思います。悪く言えば世間知らず、良く言えば若さというものかもしません。テレビに流れる映像を見て、大変なことになった、大丈夫だろうか、可哀想にという [続きを読む]
  • 三日坊主のススメ
  • ブログを始めてちょうど一年が経ちました。当時は、本当に書いても良いものか、ヤバいことにならないか、すぐにネタ切れするんではないかと、あれこれ躊躇したことを思い出します。何でもそうですが、知らないことを始めようとすると、何処からともなくマイナスの思いが次々と浮かんできます。一つをスルーできても、すぐにまた次の「やめさせよう因子」が湧いてきます。そうしたものをどんどんスルーして行っても、一度スルーした [続きを読む]
  • 「次、行ってみよー!」
  • 凍てつくような寒さが続いてます。いよいよ本格的な冬到来という感じです。寒さだけでなく、この時期は朝がまだ暗いので、なかなか布団から起き出ることが出来ません。夏と冬で時間を変えて暮らしていた江戸時代は、何と賢いことかと羨ましく思うばかりです(笑)眠い身体に喝を入れながら身支度をしていると、思わず「嫌だなぁ」「早く週末が来ないかなぁ」と考えてしまいます。そうなると無意識のうちに「あと4日だ」「あと2日 [続きを読む]
  • 自分自身への奉納です
  • 大阪でお世話になっていた道場では、いつも年明けに奉納演武をやっていました。そこそこの人数の方が見に来られますし、先生方も見られていますので、やはり緊張しました。たとえ稽古を重ねて自信をつけようとも、心が波立つとフツフツと緊張が湧き上がってくるものです。緊張というのは、心が不安定になることによって起こります。それは期待や希望の裏返しだったり、あるいは予想もつかないハプニングに対する不安だったりします [続きを読む]
  • さぁ、正月気分で楽しみましょう
  • 今日から仕事始めの方も多いと思います。今年の正月は三が日しか休みが無くて、しかも月曜から1週間フル勤務ですから、余計に気が滅入っているのではないでしょうか。今日などはまだ休みボケも取れず、ペースがなかなか戻らないところかと思います。ただ、せっかく年末年始で一旦リセットしたのですから、働き詰めていたあの感覚をわざわさ取り戻そうとする必要はありません。仕事にしても人間関係にしても、去年までの自分はリセ [続きを読む]
  • 真っさらな新しい人生のはじまり
  • 明けましておめでとうございます。年が明けますと、心機一転、本当に清々しい気持ちになります。昨年は色々あったけども、それはそれ。今日からは新しい一年の始まり。それは一点の曇りもない、まだ手つかずの真っ白な、爽やかで透明な気持ちではないでしょうか。実は、その感覚こそが真理そのものであるわけです。私たちは死ぬ間際に一生を振り返り、それらに心を向けて一気通貫させる、ということを昨日書きました。そして一年の [続きを読む]
  • 一年の計は大晦日にあり
  • 今年もいよいよ今日で最後となりました。この一年、皆様も色々なことがあったと思いますが、今この時を迎えられたということがオールOKの証です。一年の出来事に対して、また御縁のあった人たちに対して、そして何より自分自身に対して、素直に感謝したいところです。さて、今日は一年の総ざらいの日、大祓いの日です。大祓いをする時は形代で身体を撫でていきますが、それは身体の掃除というよりも、心の大掃除と言った方がいい [続きを読む]
  • 私たち自身に還りましょう
  • 松江出張のあと、久しぶりの稽古に出ることが出来ました。私の通っている流派では「統一体」というものをとても大切にしています。厳密に言えば、それは心身が統一している状態のことを指します。自我に囚われることなく、心うつろわず「今ここ」に在る状態です。別の表現をすれば、天地と一つになっている状態となります。心と身体が一致しているというのは結果に過ぎず、あくまで天地と一体になっていることが主であるわけです。 [続きを読む]
  • 陰極まって陽となる
  • 今年も残すところ、あと1週間余りとなりました。来週の金曜はもう正月です。本当に早いものです。今年は7月に東京に移ってから生活が一変しまして、嵐のような忙しさとなりましたが、数ヶ月かけてようやく心を落ち着けられるようになりました。...と思っていたら、勝手に終わらすんじゃないとばかりに、最後の最後まで息もつかせぬ展開が待ってました。本来ならば、今日は会社のカレンダーを沢山抱えて都内を駆けまわっているは [続きを読む]
  • 信じるものは救われる
  • ーーー にしても、止まったバスに乗ってビビってるって、そんな話あるかぁ??それって、デパートの屋上の10円いれたらその場でウィンウィン動くやつと変わらんゾ。『そうやで。変わらへんでー』ーーー えぇ!?『ほんでもってハリボテの看板見て、ウヒャーどないしよー、ってなもんや。』ーーー ....…………アホまる出しじゃないすか。『ガッハッハ!まぁそういうこっちゃ!』ーーー いやや、そういうこっちゃって…それが本当 [続きを読む]
  • 安全な『この世の旅』をどうぞお楽しみ下さい。
  • 登山やハイキングでは、ストック(杖)を使うと全身のバランスが安定して疲れが少なくなります。理屈を言えば、棒の先まで心が通りますと、いわゆる氣が通った状態となるため、必然的に四肢の先端まで氣が通います。そして、緊張が緩和されて片寄りが無くなり、心が大きな状態にキープされるようになります。それを全身力と言ってもいいでしょうが、この場合はどちらかといえば「全体」力、あるいは「一体」力と言った方が適切かも [続きを読む]
  • 『この世ツアー』 転ばぬ先の「方便」
  • 私たちはみんな、この世のツアーに参加中です。旅行に行こうか行くまいか思案するまでもなく、既にツアーの真っ最中です。そこで旅のしおりとして、旅行に飽きてしまった時やシンドくなった時にはどうすればいいか、まずは心構えについて触れていきたいと思います。前回、大変な状況というのは、白黒と判断をつけることなく、大変さそのものを認めてしまうことでその先が拓けるという話をしました。「確かに大変な状況だ。でも仕方 [続きを読む]
  • 『この世ツアー』参加の手引き
  • 長い人生、楽ありゃ苦もあります。ラクチンな時はラクチンですし、大変な時は大変なものです。それを楽しいと感じるか苦しいと感じるかは心一つでしょうが、それでも、大変な時の大変である事実に変わりはありません。何が言いたいかというと、大変な時は、理屈抜きに大変であるということです。それにフタをせず、そのまま受け入れてしまうのがラクチンと言えるわけです。今回は、仕事や家族、健康や生活など、あれこれシンドい状 [続きを読む]
  • 母なる海と大きな心(後編)
  • 今日も朝から、シュッ、シュッとホウキで掃く音が聞こえてきます。前回まで触れたように、私たちは、もともと明るく輝く存在です。光り溢れる明るい世界というのは、同時にまた私たち自身の姿でもあります。実際、私たちは誰もがそのままに生まれて来ました。生まれてからしばらくは、疑うことなく自然に当たり前に、明るく輝いていました。ただ、光を隠した仮初めの景色に包まれるうちに、少しずつ私たち自身も光を隠すようになり [続きを読む]