えいき さん プロフィール

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えいきさん: えいきの修学旅行
ハンドル名えいき さん
ブログタイトルえいきの修学旅行
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462
サイト紹介文仕事の余暇にバイクで山城を巡り、修学した内容を記事にしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供73回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2015/01/23 17:31

えいき さんのブログ記事

  • 春山城2 大城
  •                     綿内要害(6月撮影)では要害本編                   大城要害部(4月撮影)                                                                                     郭・堀名は宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版に準拠し、おおよその位置に書き込んだ。 測量 [続きを読む]
  • 春山城1はじめに(長野市若穂綿内大柳・春山)
  •                     綿内要害(春山城)タイトル(城名)は春山城であるが、弘治二年(1556)7月19日今清水氏宛高梨政頼感状に「綿内要害落城の砌、最前に入馬し相戦之由、粉骨比類ななし」『今清水文書』とあるため、綿内要害の名で記述する。 綿内要害の城主は井上左衛門尉昌満で、6月に武田に帰属し領内で350貫文を隠居料として宛がわれているため(1)、上記の戦闘は、長尾方高梨勢今清水氏が、武田方井 [続きを読む]
  • 春山城2 要害本編
  •                    綿内要害郭・堀名は宮坂武男(2013)『信濃の山城と館』、戎光祥出版2に準拠し、おおよその位置に書き込み測量地も同書に拠る。北限堀ア周辺から主郭、小城方向へ辿ります。堀アの先に城域北端となる岩(6月撮影)山岳信仰を思わせる川中島方向眺望足元 左方に如法寺。北  トレッキングコースが下る下方山下を上信越道綿内トンネルが貫く。飯山方向景虎が出で来る。中央やや左の山は斑尾山 [続きを読む]
  • 福井城(長野県高山村牧上福井屋知)
  •                         福井城福井城は、上信国境の万座峠・毛無峠の信濃側山脈下、柞澤川と樋沢川に挟まれた福井原台地上に築かれている。この城は、3年前(2014.5)、約200mの至近にまで迫るも落馬、鎖骨を折るというアクシデントに見舞われた、私にとっては忘れることのできない痛い城である。2か月後には執念で踏査・撮影したのだが、ブログ記事作成には至らなかった。先日、毛無峠を撮影し得たの [続きを読む]
  • 謙信の城? 〜越中樫ノ木城〜
  •  謙信の城って、有るようで無い。 入河沢城絡みで吉江喜四郎の文献を調べていたら、面白い史料に出くわした。 謙信旗本の村田秀頼が、奏者として謙信の側近にある吉江喜四郎に宛てた書状に、御要害之御普請という文言がでてくる。 七月一四日(元亀四年と推定)吉江喜四郎資堅宛村田秀頼書状(上越市史別編1162)     一、おうかひき、御要害之御普請ニ入申候、土肥四郎方・豊前守方知行分ニ候間、山とり壱人おうか比企壱 [続きを読む]
  • 高柳城2
  •                    高柳城主郭2では、城内主要部を辿ります東面は急傾を頼み、北・西・南には郭を三周(主郭を一周目とした)に配している。 主郭までのルートは、1で辿った大手虎口から、周回された郭を、食い違うように設けられた虎口を経つつ、主郭南に出て設けられた枡形に至りる。最後の外枡形では、直角に折れて主郭に入る。 主郭北には内枡形に堀込まれた虎口が設けらている。主郭内(南虎口入った [続きを読む]
  • 高柳城1(新潟県加茂市上高柳・中大谷)
  •  高柳城記事は、平成23年に公開していましたが、写真を大きくしつつ、天正期上杉の城郭として改稿しました。 高柳城は、小城郭ですが、越後屈指の城です。                                        高柳城                  高柳城縄張図(鳴海忠夫さん作図:かも市史だより12号より引用)遮断堀切、畝状空堀群、横堀、外・内枡形、乱穴など、どの構造も明瞭に残 [続きを読む]
  • 積城・亀井城(長野県上田市秋和)
  •     今回も城構造うんぬんではなく、信濃の山の縦走記録です。    虚空蔵山の連珠砦のラスト、 虚空蔵山城の東の峰、積城と亀井城積城は、宮坂武男(2013)『信濃の山城と館3』によると、読み方は「つみ城」と思うが、詰めの城の転訛であれば持越城の詰めの城を、読みを「つぎ城」とすれと虚空蔵山城に続く城の意ともとれるとしている。記事中のスケールも同書に拠る。亀井城の由来は不明とするが「構え城」の転訛とも考え [続きを読む]
  • 明治にある2つの山城を探検しよう 
  •  明治小学校区青少年健全育成協議会主催「明治にある2つの山城を探検しよう すごい発見があるかも」 花ヶ崎城(雁金城)と茶臼山城の案内を務めました。 茶臼は、西の遺構をご案内したかったのですが、緑深く、A3印刷した画像による紙芝居調の紹介にし、現地見学は東の通常の小山を案内いたしました。 藪に埋もれた茶臼山城の史跡としての価値が認知され、整備が復活され、頸城の山城を探訪する方々に、雁金城のみならず茶 [続きを読む]
  • ケムリの城(長野県上田市下塩尻裏山)
  •  虚空蔵山の稜線上の一連の城は、さほど厳しい要害普請はなされていない。しかし、南に派生する尾根の中腹に構えられた飯綱城、持越城、燕城、ケムリの城、物見城は、宮坂先生の鳥瞰図、縄張図をみるかぎり、厳しく普請がされているようだ。これらは、藪、山険しく、到達し難いが、私はケムリの城を実見することができた。これも信濃先方衆のおかげである。         今回は、そのケムリの城鉄塔が目印鉄塔を起点にスター [続きを読む]
  • 虚空蔵山城(長野県上田市塩尻字虚空蔵山 坂城町との境)
  •  天正11年3月、上杉景勝は、島津忠直を虚空蔵山城に詰め、真田への圧迫を強める。 同月、虚空蔵山において真田との間で戦闘が行われる。 この時、上杉方駒澤主税助が打死を遂げる(上越市史別編2710)。 駒澤は、長野市北部髻山城南東麓を本領としたと思われる侍で、天正10年6月20日、直江兼続より、本取山に景勝軍の陣の確保を指示され(1)、本能寺の変の後、北信に打って出る上杉方の先方として活躍する。 上越市史別編271 [続きを読む]
  • 虚空蔵山城の投稿のまえに
  •  今年5月、かねて立ってみたいと願っていた虚空蔵山城に、信濃先方衆らんまる・ていぴす両名の案内で立つことができた。 8日朝、えいきの修学旅行に記事投稿になるが、文字と写真が一度にたくさん盛り込まれても、読者にストレスを与えてしまう懸念がある。性格柄しかたがないのだが、毎度では恐縮なので、記事を公開する前に、私がこの城に魅かれていた理由を釈明しておこう。 (本記事は8日 虚空蔵山城公開後削除します) [続きを読む]
  • 8/26 頸城の山城探検のお知らせ
  •  8/26(土) 明治小学校区青少年健全育成協議会が主催する「明治にある2つの山城を探検しよう すごい発見があるかも」(裏面に印刷)の案内を、私が務めます。主催者が用意するバスの搭乗予約は7/14日に締め切ったそうですが、自家用車で現地(雁金城もしくは茶臼山城)に集合する参加はOKだそうです。山城や歴史に興味のある方は、ご参加ください。簡単な資料を用意しますので、参加を希望される方はeiki0779@joetsu.ne.jp、も [続きを読む]
  • 田草城2 城の構造
  •                田草城2では、城の構造を紹介します。  概略は、1をご覧ください。 田草城1 はじめにhttps://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19286218.html  まずは、主郭から南西尾根 南西尾根には、堀切のみならず、土塁を用い、また、3・4東下方に虎口ではないが敵兵停滞スポットを設け、側面頭上から迎撃を加える意図が見える。 畝状空堀群カは、南西尾根から主郭へ攻め伝う敵の回り込みを阻止する [続きを読む]
  • 田草城1 はじめに(長野県飯山市静間田草)
  • 田草城この城も、小境同様、何度(計測不能も)挑んでは、藪、雪、クーさんに撃退され、今春ようやく踏み歩くことができた城である。なぜ、執拗にまで挑んだか(見たかったか)というと、それは地図で釈明しよう。 永禄11年7月、武田信玄は、越後揚北の本庄繁長と呼応し、上杉の北信拠点飯山城を攻めた。 信玄は蓮城を本陣に、飯山城攻めを指揮した伝承がある(宮坂 2014, [続きを読む]
  • 入河沢城のまとめ〜地表面監察・整備活動から〜
  • 入河沢城は、この5月まで、人々に忘れられ、埋もれ、眠っていた城である。 吉川町史に伝承とわずかな記述があり、その町史の記述が、いわば通説である。 その通説を、吉川町史P568より引用する。          上杉謙信の臣吉井喜四郎(小四郎)が在城したという言い伝えがある。天正6年(1578)の御館の乱のさい、上杉景虎に味方したため、上杉景勝軍に攻められ落城したという。ところが吉井という武将は、謙信の家臣には [続きを読む]
  • 自説に固執(逆四角錐台形に掘り込まれた虎口)
  •   逆四角錐台形虎口が、景勝在陣のための施設という自説を温めていたが、吉川の入河沢城に在るという事実に、衝撃を受け、この私の説は崩壊した。                          かに思った。 逆四角錐台形虎口 https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19131274.html  二年前に信濃の国のディーラーで購入した車の修理に、先日高速を使わずに下道最短距離で行ってきた。赤線がそのルート。まさに逆四角 [続きを読む]
  • 小境城4
  •    小境城4ラストです。   4では、山上主要部後背の五重堀切をたっぷり堪能下さい。    (2と一部写真重複します)小境城見取図(らんまる攻城戦記より引用・ブログ説明用にABを命名、橙加筆)山上主要部の後背は、五重に堀切り、厳重に遮断する。その鋭さ執拗さは、鬼気迫るものがある。西下は2でも扱ったが、竪堀として長大に降り下る。 堀ク山上底、は幅広く、郭として利用されていた。宮坂は後方の防御拠点とし [続きを読む]
  • 小境城3
  •     3では、南尾根伝いに山上の郭2、1へ登り、主要部郭1・2を辿ります。小境城見取図(らんまる攻城戦記より引用・ブログ説明用にABを命名、橙加筆)A段西から南尾根に回りよじ登り、削平段を伝い郭2南下に付随する段に至る。私は、この南尾根が大手のルートと考える。山上主要部は郭1・2しかなく、元来この城の主の身代が、さほど大きくないことを示していると考える。郭1背後(北西)は、土塁状で、土が盛られ小高い [続きを読む]
  • 小境城2
  •  2では、橙囲い囲い部の権現清水北西上方・中腹部西下の堀コ・サ周辺、そして竪堀コから郭1後背へ登り詰める。小境城見取図(らんまる攻城戦記より引用・ブログ説明用にABを命名、橙加筆)まずは、2−1丸囲い部。 竪堀コは主郭後背へ登り詰める搦手通路であるが、南尾根を大手ルートとすれば、下端からA段切口までは搦手・大手の共用通路になる。また、西に備えた防御線でもあると考える。城内側に塁線土塁を備え、さらに竪 [続きを読む]
  • 小境城1(長野県飯山市豊田城山)
  •  私のブログによって何方かの小境城への訪問が誘発されるのであれば、私には危険を警告しておく義務があるであろう。 よって、冒頭に記しておく。 この城は、藪、傾斜きつく、踏査は困難を極め、危険である。それなりの覚悟と装備、天候・季節・クーさん状況をリサーチのうえ、危険を感じたら撤退する意思をもって臨んでください。                          小境城 小境城は、鷹落山(標高879.4m) [続きを読む]
  • 北信濃・近所の岩尾根へ
  •  空手大会が無事開催でき、次は自分の修行。山は空手の練習にもなるし城の勉強にもなる。 しかし、すでに季節は初夏。 信濃も緑の勢いが強くなっていて、たいがいはの城(私達のいくような城は)は既に厳しい。 ならば、緑すら生息し難い岩尾根の城であれば、行けるのではないか。四月、小境城の午後に麓まで寄せた箱山城東尾根あの時は、誰があのようなところ、歩きたいと思うか、吐き捨てたしかし、歩きたくなってしまった… [続きを読む]
  • 藤沢館(山形県鶴岡市藤沢)
  •  上杉圏の畝状構造を、能登、越中、北信濃、越後の城で取り上げてきたが、出羽庄内の上杉進出圏にもあるという。 能登、越中、北信濃、越後での畝状施設は、防御構造として考えているが、出羽のそれは、破城に伴う構築(破壊)のようだ。 天正16年の本庄勢による庄内侵攻、あるいは同18年の景勝精鋭による出羽国検地・庄内一揆の過程で、在地勢力が利用できないように破城したということか。  近所の撮影絶好時期が過ぎ [続きを読む]
  • 家ノ浦城(上越市浦川原区)
  • 入河沢城に続き、近所の城・家ノ浦城を書きます。 家ノ浦城も、同城の特徴的な折れ歪み構造を、近所の特権を利用した雪消え直前の格好のタイミングで撮影することができました。 折れ歪み構造は、十字尾根地形のためか、入河沢城には無い構造です。 遠藤公洋作図家ノ浦城縄張図(「戦国期越後上杉氏の城館と権力」より引用・ブログ説明用に茶字加筆)主郭1の南東に折れ歪構造の堀c、東に竪堀fを構えている。竪堀f [続きを読む]