えいき さん プロフィール

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えいきさん: えいきの修学旅行
ハンドル名えいき さん
ブログタイトルえいきの修学旅行
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462
サイト紹介文仕事の余暇にバイクで山城を巡り、修学した内容を記事にしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供56回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2015/01/23 17:31

えいき さんのブログ記事

  • 直嶺城追加・北尾根
  •   記事が長野県だらけですが、私は越後人です。            地元のお知らせです。 平成30年10月27日(土) 雁金城保存会視察研修講演会 直嶺城のご案内(14:00〜15:00直峰城駐車場起点)と、「景勝期上杉番城の姿」と題してお話しをさせていただくことになりました(16:30〜17:30米本陣)。  保存会会員外の方も参加いただけますので、ご希望される方がおられましたら、ほたる調剤薬局・えいきtel025-539-2146 [続きを読む]
  • 鬼ヶ城(長野県戸隠荒倉山)
  •  戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html     一連の戸隠城館群ラスト、鬼ヶ城(高城は未踏)を書きます 鬼ヶ城宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』(以下宮坂2)によると紅葉紅葉の伝説地で、山麓の中峰から鬼無里へ至る古道に面しているそうだ。郭番号は宮坂2に準拠、記事中測値も同書に拠る。これまで書いた戸隠城館は独行だったが、この城は単独で挑むのは危険かつ困難なため、信濃先方 [続きを読む]
  • 大築城(長野県戸隠)
  •   戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html                      大築城福平城の詰め城とされ、北西約1.3km、標高1199m、比高230m(荒倉キャンプ場から)の山上にある。ズーム比高200m超の高く狭い山上だが、しっかりと手が加えられた堅固な砦である。郭・堀名は宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂2)に準拠し、おおよその位置に書き込んだ。    [続きを読む]
  • 古城(長野市戸隠宇和原稲置)
  • 戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html                        古城城歴に関し、詳細は不明である。福平城の北東1.3kmに位置し、栃原地区の東の関門にあたる。            古城概念図宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 記事内測値も同書に拠る。主郭は南北39m、東西は南 [続きを読む]
  • 大昌寺山城(長野市戸隠栃原)
  •     戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html                     大昌寺と大昌寺山城福平城の南約800m、北北東約1kmに円光寺館の南南西約1kmに位置する。              大昌寺山城概念図宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 宮坂先生は本城福平城 [続きを読む]
  • 円光寺館(長野市戸隠栃原平区)
  •    戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html                                                     円光寺館福平城の南東700mに位置し、福平城を築いた溝口氏の居館地と考えられている。しかし、福平城が館城機能も有しているので、福平城が拡張されて後は、城主ではなく、有力人物の居館、あるいは寺院であった可能性もあると思う。国 [続きを読む]
  • 福平城(長野市戸隠栃原福平)
  • 戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html                    福平城(西から)戸隠栃原の主城とされる福平城国土地理院空中写真に宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に書き込んだ。主郭1の前面(南)は土塁で区切り郭2を、段々に3を配している。主郭の北は堀ア、イと二重に備えている。 驚きの箱掘で、土塁も付 [続きを読む]
  • 戸隠栃原城館群(長野市戸隠栃原周辺)
  • 柏鉢から北上、戸隠栃原地区に進みます。戸隠は、飯縄山の西まわりで越後と犀川流域から麻績あるいは安曇野へと繋ぐ。善光寺平を中野まで進み北上する現在の国道18号ルートよりも1日、また飯山から北上する国道292号ルートよりも2〜3日早く越後と犀川流域あるいは安曇野を連絡することができる。戸隠栃原地区は、越後を目指す信玄、越後を守る謙信、時期が下って麻績・安曇野を勢力下に置きたい景勝にとって、山間地とはいえ戦略上 [続きを読む]
  • 柏鉢城後編
  • 堀ア北東土橋から城内へ入ります堀ア北東土橋この土橋も頭上から監視されているこの削り感、堪らない堀ア頭上監視下、進む古風だが、必要にして十分な厳関門である。振り返り堀ア高所への取り付き出入口造作か。高所から堀ア(緑に隠れている)、土橋このような書き方では、また膨大な記事になってしまう。主城域へ堀イ堀ウウ掘り下げ堀ウからは1´下の高所へ伝う道がある険しい主郭搦手導線と考える(後述する)。通用は北斜面を [続きを読む]
  • 柏鉢城前編(長野市中条清水・小川村和佐尾)
  • 前記事「犀川を北へ・松原城」と同じ内容ですが貼ります。地理院地図に作図  弘治3年4月13日、信玄は自筆の書状で長坂虎房に「鳥屋へ島津より番勢を加えあまつさえ鬼無里に夜揺の由候、(中略)追而小川柏鉢より鬼無里鳥屋に向ふ筋々絵図にいたされ候て持参あるべく候也」(『戦武』557号)と、上杉方の島津氏が水内群の鬼無里方面に攻勢をかけているとの報告を受けたので、小川・鬼無里・鳥屋地域の絵図を届けよと命じている(1 [続きを読む]
  • 犀川を越え、北へ・松原城(長野市中条日下野城)
  •  7月以来、犀川、聖川沿いに小松原、吉窪、上尾、和田、城ノ入、蟻ヶ城、左右前山城と書いてきました。 ここからは犀川の線よりも北上し、柏鉢城、戸隠栃原城館群へと書き進めようと思っています。 ちょうど武田が弘治三年(1557)第三次とされる川中島合戦の頃からの武田の動きに該当します。 地理院地図に作図 同年4月13日、信玄は自筆の書状で長坂虎房に「鳥屋へ島津より番勢を加えあまつさえ鬼無里に夜揺の由候、(中略) [続きを読む]
  • 左右前山城(長野市信州新町左右・大町市境)
  •    犀川沿いのラストになります。★の位置・左右前山(そうまえやま)城                 左右前山(そうまえやま)城                      概念図宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図した。 記事内測値も同書に拠る。宮坂先生は、郭1よりも2の方が高く、2を主郭であろうとしている。堀ア [続きを読む]
  • 蟻ヶ城1(長野市大岡中牧)
  •                      蟻ヶ城犀川沿い、聖川沿いの城を綴って蟻ヶ城へとたどり着きました            蟻ヶ城概念図宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図した。 記事内測値も同書に拠る。今まで書いてきた犀川・聖川沿いの城は、もともと在地武士の城であるということが基本で、情勢に [続きを読む]
  • 蟻ヶ城前振り(長野市大岡中牧)
  •  本編、膨大になったので前振りします。                      蟻ヶ城犀川沿い、聖川沿いの城を綴って蟻ヶ城へとたどり着きました                 蟻ヶ城概念図宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図した。 記事内測値も同書に拠る。 今まで書いてきた犀川・聖川沿いの城は、もともと在地武 [続きを読む]
  • 城ノ入城2
  • 後編では郭3、4と、登り口へのアプローチを辿る。郭3、4は、城中枢の前衛となる位置にあり、谷からの登坂を山上で抑える役割を持っていたであろう。また数百程度の軍勢を山上に収容することも可能である。郭2の北西郭2には一段低く前段が付随し、堀エで区切り郭3、堀ウで区切る郭4が配されている。郭3は上中下三段からなる。堀エ特筆エの郭3側には土塁が盛られている。これは堀エを陣地として郭3に侵入した敵を敵を迎撃する城兵の [続きを読む]
  • 城ノ入城1(長野市信更田野口大森)
  • 和田城に続き聖川沿いの城ノ入城を書きます。 聖川に沿った谷は、大岡や犀川筋から川中島へ抜けることができ、要衝である。                 城ノ入城主郭は標高818m、聖川からの比高220mの山上にある主郭はここhttps://yahoo.jp/wJWp_z(登り口は後編で詳述)ズーム宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)に準拠し、ブログ説明のため郭・堀名をおおよその位置に書き込んだ。記事中測地 [続きを読む]
  • 和田城(長野市信更田野口)
  • 犀川沿いではありませんが、上尾城の約2.5km南東至近にある和田城を書きます。                         和田城和田城は、密蔵寺の背後、聖川に臨む丘陵上に築かれている密蔵寺はここhttps://yahoo.jp/jYiUVP宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)によれば戦国期上尾城の平林氏に属した田野口氏の要害と伝わるが、はっきりしたことはわからないようだ。        和田城 [続きを読む]
  • 上尾城(長野市信更上尾)
  •     吉窪城から直線距離で約7?ほど犀川を遡ります。                       上尾城犀川の谷に面した台地末端に築かれ、台地上を篠ノ井方面へ至る街道が通る。宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)によれば、平林の本拠とされ、戦国期は村上氏に属していたが、後に武田に従い、正家の時に牧之島城の副将となった。正家は永禄12年(1569)北条氏との戦闘で討死、正恒が継いだ。天 [続きを読む]
  • 吉窪城1(長野市塩生甲吉窪城山)
  • 吉窪城小松原城で掲載した写真と同じ犀川の渓谷を挟んで小松原城の対岸に築かれている。 吉窪城概念図愚図ですが宮坂武男『信濃の山城と館3』を参考にブログ説明用として書きました。郭・虎口名は同書に準拠し、ケバ・郭内の凹凸は略してあります。  城内に堀切は見られず、土塁によって郭を区切り、郭は虎口によって接続している。塁線の土塁は下 [続きを読む]
  • 小松原城(長野市篠ノ井小松原)
  •                    犀川が善光寺平へ出るところ犀川の渓谷を挟み小松原城、吉窪城が構えられている平成30年の雪消えとともに私はここから犀川沿いに分け入り、私にとって未知の信濃の城達を2か月ほどかけて踏み歩いた。天照寺裏手から登る林道有天照寺はここhttps://yahoo.jp/MCzU3u山上の果樹園・池跡の南西のピークが小松原城果樹園・池の北東のピークを徘徊した時間を含み、天照寺裏から21分。道がある城 [続きを読む]
  • 旗持城(新潟県柏崎市米山町)
  •                          旗持城越後上郡頸城地方と中郡柏崎を繋ぐ米山峠を扼す要衝に位置する橋は国道8号米山大橋。払川から見上げる(標高366m)。米山大橋より一段高く、山腹は北陸道自動車道が貫く  旗持城は、御館の乱において景勝方の城として機能する。 そしてこの城の陸海路の監視・掌握機能の重要を裏付けるように、旗持城・城将佐野左衛門は史料に登場する。 天正6年9月2日北条丹後守宛上杉 [続きを読む]
  • 旗持城前振り
  •                       旗持城越後上郡頸城地方と中郡柏崎を繋ぐ米山峠を扼す要衝に位置する橋は国道8号米山大橋。払川から見上げる(標高366m)。 米山大橋より一段高く、山腹は北陸道自動車道が貫く  旗持城は、御館の乱において景勝方の城として機能する。 そしてこの城の陸海路の監視・掌握機能の重要を裏付けるように、旗持城・城将佐野左衛門は史料に登場する。 天正6年9月2日北条丹後守宛上杉景虎 [続きを読む]
  • 霧ヶ城(岐阜県中津川市神坂)
  •                       霧ヶ城湯舟沢川と温川の合流点に臨む霧ヶ原台地の突端に、小さい主郭を前(先端側)後(台地側)各二本の豪快な堀切で厳重に守る。台地側には馬出が配され、台地には居住区画であろうか石積で区画された広い削平スペースがある。台地南東は神坂峠を経て信濃伊那に至る。台地側から城域ここhttps://yahoo.jp/wzhfM4 別荘地のはずれ。中央の道の左、森の中が郭3で、写真奥方向先端にか [続きを読む]
  • 2018前シーズン終了
  •  6月3日に空手大会を主催するため、記事更新しばらくお休みします。 2018年の前シーズンラストを締めようと、4月末に信濃先方衆とともに後背から挑み断念した戸隠の高城に山下(宇和原)から迫りました。しかし、地震とクーさんのリスクが高く、心が残りますが、入山は思い留まりました。6月以降は藪猛るため、これで私の2018年前シーズンは終了です。 今年は雪消えが早く、焦りながらの修学でしたが、遠征・近場と狙ったター [続きを読む]
  • 不動山城2 城内・北東竪堀構造
  • 不動山城1要害集落から三郭への城道に対する備えhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/10792239.htmlに引き続き、2の2011年記事を追補していたところ、記事が壊れてしまいました。あらためて作り直しました。 不動山城2では、主郭から城内を辿り、2011年記事では撮影・掲載できなかった北東斜面の堀切・竪堀群を掲載します。不動山城縄張図(植木宏作図)上越市史中世史部会(2004)『上越の城』よりブログ説明のために引用。 [続きを読む]