えいき さん プロフィール

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えいきさん: えいきの修学旅行
ハンドル名えいき さん
ブログタイトルえいきの修学旅行
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462
サイト紹介文仕事の余暇にバイクで山城を巡り、修学した内容を記事にしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供73回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2015/01/23 17:31

えいき さんのブログ記事

  • 五郎小屋砦(岐阜県恵那市武並町藤相戸権現山)
  •  先日、作手古宮城の整備活動に参加した際、東濃のお城マニアの方とお友達になりました。 「8月に五郎小屋砦に行きましたよ」と話したら、たいへん驚いておられました。 お友達記念に、五郎小屋砦(五郎塞)を書きましょう。 刈安城から書くべきでしょうが、そちらはメジャー?で、こちらはネット初出なので、五郎小屋砦を先行させます。五郎小屋砦は、権現山頂から北に派生した尾根上、刈安城から北直線距離250mに築かれ [続きを読む]
  • 石動山城(石川県中能登町石動山)
  •                石動山(最高峰大御前)石動山は越後上杉氏とは旧来の友好宗教勢力で、謙信が天正4年12月、七尾城を攻めるにあたって本陣とした。    中世盛時における石動山の堂塔伽藍(石動山資料館展示資料)別当寺大宮坊伊須流岐神社五重塔跡天正10年、前田勢の焼打ちにより、山側に倒れたようで、周囲からは火災の凄まじさを物語る風鐸片・木組用材・焼土・灰等が出土している(現地説明板)。石動山と [続きを読む]
  • 古府枡形砦(石川県七尾市古府町)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 いよいよラスト(石動山城もいずれ書きますが、宗教勢力の城ですので) (シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )    D地区古府桝形砦(これもネット初出)  古府桝形砦は、多根道と七尾城搦手道との合流点近くに築かれた砦である。史料・伝承は無いようである。天正4年七尾城攻略のため石動山に陣した謙信は、翌5年3月に一旦帰国する。この一次出兵 [続きを読む]
  • 第一義
  •  8月に春日山城地籍の一部を占める大豆町内の文集に作文を投稿しました。 その文集が発行されました。 2年前に「第一義に至る道」と題して上地流の三戦を意義付ける作文をうちの空手の会報に掲載しましたが、 「第一義に至る道」は、上地流の呼吸法と関連した作文でしたので、うちの門下生以外には内容が伝わりにくかったと思います。 今回の作文は上地流三戦との関連は省いていますので、門下生以外にも、第一義が伝わ [続きを読む]
  • 七尾城古府谷山支群(石川県七尾市古府)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 D地区古府谷山支群(ここもネット初出でしょう)(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )   七尾城北西麓、大谷川に沿う尾根上に築かれている。撮影地側から尾根(古府谷山支群)を越え後方山上七尾城に至る尾根道⑨(破線イメージ)を扼す。尾根道⑨に虎口を構え、上方石垣積の主郭北西面直下を通し、完全に⑨を掌握している。尾根道⑨掌握を主眼とした城 [続きを読む]
  • 茶臼山城塹壕状陣地a
  • 茶臼山城1記事中、10月1日リニューアル公開時点では、塹壕状陣地aの写真が無く、掲載しないとしていましたが、写真を撮ってきました。茶臼山城1記事中の、頚城村の山城 花ヶ崎城と茶臼山城に掲載の重複部分を削除し、10月4日に以下を追加しました。(○説明と概念図は頚城村の山城 花ヶ崎城と茶臼山城もあわせて追加・差し替えました。)○主郭の北、五郭下に、緩斜面に向かって低い土塁を胸壁とする塹壕状陣地aを設けている [続きを読む]
  • 頸城村の山城 花ヶ崎要害と茶臼山城
  •   能登続編の途中ですが、10月15日(土)16日(日)に開催される、くびき野レールパーク特別イベントhttp://kubikino-rp.jimdo.com/に勝手に合わせて、頸城村の山城を書きます。 レールパークイベントにおいでの方で、山城にも興味のある方がございましたら、頸城の山城にも出かけてみてください。 私が頸城村(1)で仕事をさせてもらうようになってから、かれこれ20年になろうとしている(平成30年で)。 私が勤務する [続きを読む]
  • 枡形山城(石川県七尾市西谷内)
  •      能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 C地区枡形山城(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )                          枡形山城枡形山城は、国分氏の居城西谷内城の尾根続き、至近750mにあり、佐伯哲也は『能登中世城郭図面集』のなかで、西谷内城の支城であったかもしれないが、天正4年の上杉軍による能登侵攻において上杉方によって攻め落とされ、上杉 [続きを読む]
  • 町屋砦(石川県七尾市町屋)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 C地区町屋砦(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )                   町屋砦釶打郷を見下ろす尾根上に築かれている。佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』では、西谷内城の支城とされ、国分佐兵衛あるいは岡部某が居城したと伝わる伝承を記しているが、その縄張構造から、天正4年頃上杉氏が新たに築城したと推定している。写真左側 [続きを読む]
  • 黒峰城(石川県珠洲市宝立山春日野)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 A地区黒峰城(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )                                      黒峰城            萩城から西に約6kmほど内陸(山中)に入った黒峰山頂、黒峰往還と法住寺道が交錯する要衝にある。舗装林道が近接するが、標高は436mの山上である。郭・堀・地形名称は佐伯哲也(2015)『能 [続きを読む]
  • 萩城(石川県珠洲市上戸町)
  •   能登続編、各個いきます。  A地区萩城。 (シリーズはこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/folder/509686.html)                                  萩城全景 飯田城の南西約2.5km、黒峰城のほぼ東6kmに位置し、両城とともに櫛の歯状畝状空堀を備え、天正5〜8年に上杉方武将により構築された城と考えられる。珠洲市指定遺跡永禅寺古墳群の範疇であり、大手登り口は南西端だが、 [続きを読む]
  • 薭生城(新潟県小千谷市薭生字城ノ腰)
  •    能登ひと休み とはいっても、この薭生城(ひうじょう)は、唐人とともに甲山城の城将だったと伝わる平子氏の城とされ、甲山城と類似の構造があるのかという視点での観察では能登繋がりともいえる。  今年刊行された福原圭一・水澤幸一編(2016)『甲信越の名城を歩く 新潟編』、吉川弘文館、お手元に新潟の城めぐりを楽しまれている方も多いようであるが、なかでも薭生城の縄張図(鳴海忠夫作図縄張図)が注目を浴び、 [続きを読む]
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 まとめ
  •   天正4年12月から天正7年9月の間(飯田城は8年か)に限定することができる天正期上杉の能登における城郭普請を、A地区から飯田城、B地区から丸山城、C地区から熊木城、D地区から長屋敷・尾根?を選抜し、その構造を検討しました。 もっとも発端は甲山城が上杉城郭の折れ歪構造の嚆矢となるのではないか、では能登の他の上杉城郭はどうか、という探求でしたので、まずは、その折れ歪み構造による横矢掛けについて結論しま [続きを読む]
  • 飯田城(石川県珠洲市飯田)
  •   能登にみる天正期上杉の城郭普請http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18572932.html  A地区から飯田城を選抜します。ここhttp://yahoo.jp/HreS-v                                   飯田城 飯田城は、藪猛々しく、全域を踏み歩くことはきませんでした。しかし天正期上杉の特徴である鋭い切岸、畝状空堀群を備えており、周辺には飯田・嶋倉 [続きを読む]
  • 熊木城2 Ⅰ区画
  • 熊木城2では、在地領主熊木氏の城と考えるⅠ地区を辿ります。佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』では、熊木氏の城郭として存在したものを16世紀後半に熊木氏により改修された城としている。北は二重堀切で厳重に遮断しているのに対し、南は明瞭な遮断構造はなく、山麓との密接な関係性を伺わせ、在地領主の城の特徴を示している。 郭C南東下に畝状空堀群が設けられているが、Ⅰ地区の畝状空堀群は、上端・幅の揃った畝状空堀 [続きを読む]
  • 熊木城1 Ⅱ区域 (石川県七尾市谷内)
  •  能登にみる天正期上杉の城郭普請http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18572932.html C地区から熊木城を選抜します。                     熊木城 熊木城は、在地領主熊木(来)氏の城に、天正4・5年に侵攻した上杉勢が新城を増設した姿であると考える。佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』によると、永禄9年能登守護畠山義綱追放の際に義綱に従って国外に出た一族と、在地に残った一族があったよう [続きを読む]
  • 七尾城 尾根㉖・長屋敷(石川県七尾市古府町)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請:http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18572932.htmlD七尾城佐伯哲也は『能登中世城郭図面集』のなかで七尾城における上杉による改修構造を幾箇所提起している。そのなかから尾根?と長屋敷を取り上げ紹介する。                           七尾城遠景(北西麓から) 天正5年9月、謙信は畠山氏塁代の居城七尾城を攻略、手取川で織田北陸軍を破り城内に入る。謙信は「 [続きを読む]
  • 丸山城(石川県鳳至郡穴水町甲)
  •          B地区  日本海に突き出た丸山城構造地点番号は佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』に準拠。山頂を主郭とし、西の尾根頸から北西面中腹に横堀による防御ラインが構築されている。⑤地点が突出し、横堀ラインに横矢が掛かる。北は長短の二重竪堀が区切る。折れ歪を伴う防御ラインの構築は、甲山城と同様のものであり、甲山城と同時期、同築城者による構築と考える。位置関係は能登にみる天正期上杉の城郭普請 [続きを読む]
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 はじめに
  •   ツーリングの記録のつもりで書き始めた「えいきの修学旅行」の鉾先は、いつしか天正期上杉城郭における普請技術の進化過程などというテーマに向っています。  越後上杉氏は天正4年12月に能登に侵攻、翌5年には奥能登にも兵を進め、奥能登珠洲で飯田与三右衛門尉に所領を与えています。この飯田氏は謙信本拠の頸城郡夷守郷を領有していた飯田与七郎の同族と考えられ(佐伯 2015,p2)、周辺地域では謙信軍武力侵攻による略 [続きを読む]
  • 平成28年上半期
  •  早いもので、今年も半分が過ぎようとしています。 今年は、昨年に突っ込んでしまった奥三河作手と、甲山城で嵌った能登の修学を深めようと、三河・遠江・東濃と能登に狙いを定め、両方面に3度の遠征を繰り返しました。 作手古宮城は武田の城ではないということと、賽之神城の解釈を固めようと、武田・徳川・織田の境目の城を山中深く彷徨い探し歩き、私の推論は正しいと、より強く思うに至っています。 いつ書けるかわからな [続きを読む]
  • 池ノ端城(新発田市池ノ端)
  •                 池ノ端城全景(北西から)浦城、力をこめて書きましたので
    、新発田方の支城・池ノ端城も書きます。湖沼に浮かぶ城を彷彿する。別名を亀形城ともいう。
                          &n
    bsp;      池ノ端城は、新発田重家滅亡まで新発田方の城として持ちこたえた。落城 [続きを読む]
  • 浦城 後編
  •  浦城へ攻め込むには、北西の谷からのルートか、尾根から仕寄ると思われます。 前編では、主要ルートと考える北西の谷から備えを見ながら、本城域Aへと辿りました。 後編では、尾根の備えを見ていきましょう。   新発田市史掲載の浦城縄張図に、本ブログ説明用に遺構を命名、実見した遺構を一部書き加え使用します。      浦城跡縄張図(新発田市史より引用)     尾根は本城域A [続きを読む]
  • 浦城 前編
  •    新発田市史掲載の浦城縄張図を引用し、本ブログ説明用に遺構を命名、実見した遺構を一部書き加え、浦城の様子を検討します。なお、 構造の読み解きは、えいきの私見です。  前編では、北西の谷から本城域Aへと辿ります。           浦城跡縄張図(新発田市史より引用)城域は、山頂を中心郭とした本城域A、北西尾根のB、西尾根のC区域と区切られよう。 本城域Aは、山頂から北へ緩斜面を段状に桟敷段というよ [続きを読む]
  • 浦城 序(新潟県新発田市浦)
  •  記事がまた長野県だらけになってしまっているので、新潟県をいきましょう。                     浦城『甲信越の名城を歩く』の中で、水澤幸一さんが新発田重家終焉の地とした。 新発田重家は、天正9年、御館の乱後の景勝の政権運営への不満から景勝に反旗を翻し、天正15年の滅亡まで、6年にもわたり己が本領(他領にも進駐)にて反抗・割拠した。  謙信存命中であるが、天正3年軍役帳から、新発田の勢 [続きを読む]