えいき さん プロフィール

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えいきさん: えいきの修学旅行
ハンドル名えいき さん
ブログタイトルえいきの修学旅行
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462
サイト紹介文仕事の余暇にバイクで山城を巡り、修学した内容を記事にしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供67回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2015/01/23 17:31

えいき さんのブログ記事

  • 年末のご挨拶
  •                   北信飯山小境城性懲りもなく、また小境城へ行ってきました。しばらく雪が降らなかったので、小境城、もしや登れるのでは?、と、気が気ではなく、なら確かめに行けば納得するだろうと、性懲りもなく行ってきました。ズーム今年最後の城歩きですので、ダイジェストし、年末のご挨拶をいたします。竪堀サの段差防御施設であろう。上段から見下ろす段差で枡形状になっていないか。竪堀コ伝いルー [続きを読む]
  • 日近城2(愛知県岡崎市桜形町)
  •                     日近城日近奥平氏の動向、登り口は日近城1をご覧ください。日近城1 日近奥平氏の動向 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18907371.html日近城は、随所に石積がみられ、虎口の妙が映える城である。また、名倉・作手共通の構造の他、名倉奥平圏には見られず、作手で見られる大土塁、堀切通路が構築されており、作手の城の構築者と時期を考えるうえで重要と捉える。記事中 [続きを読む]
  • 日近城1 日近奥平氏の動向
  •   日近奥平圏に移ります。日近奥平の位置を確認。先述の名倉奥平氏は、美濃・信濃・三河に接し、織田・武田勢力圏の境目に位置する。日近奥平氏は三河岡崎に近く、奥平にとっては徳川との境目に位置する。日近奥平氏に関して、鍬塚城記事中に高田徹著述を引用させていただきました。以下に、柴裕之(2014)「三河国衆奥平氏の動向と態様」,『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』より日近奥平氏の動向を要約し追加します。奥平貞昌 [続きを読む]
  • 清水城(愛知県設楽町西納庫字城の腰)
  •  名倉奥平氏の城をもう一つ。                   清水城小城ですが、魅かれるものがありました。比高20mの小山だが、北は急壁で厳しい要害である。また西麓台地上に居住区画が付随し、一体となっている。桜が懐かしい。郭・堀・地点名・測値は宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版に準拠し、同書を基に記述する。主郭(郭1)は30×18mの弓型で、北は急壁下に [続きを読む]
  • 機は去る…
  • 11月に4度目の挑戦で踏み込むことができた北信飯山の小境城とある事情で踏査中断、下山をよぎなくされましたが、その凄まじき堀切に度肝を抜かれ、来る日も来る日も再訪を企んでいました。ようやく叶い、氷点下の富倉峠を越えて麓に寄せましたが、すでに白い雪が舞い降りていました。ズーム無理とはわかっていても弥勒寺まで寄せて6歩踏み込む新雪のため容赦なく膝上まで埋まる。ようやく機は去ったことを悟る…。    11 [続きを読む]
  • 寺脇城(愛知県設楽郡大字東納庫字軒山)
  •                       寺脇城名倉奥平氏の本城とされる。名倉奥平氏に関して、鍬塚城で書いたことは省きます。以下追加分。 天正三年、設楽ヶ原の前哨戦での名倉奥平氏の動きを平山優(2014)『長篠合戦と武田勝頼』より引用。     「奥平定能・信昌親子と歩調を合わせて、武田氏から離反していた名倉奥平信光は、津具(愛知県設楽町)筋に独自に侵攻し、後藤久左衛門ら多数を討取った。家康は四月十二日 [続きを読む]
  • 鍬塚城後編
  •            私のスマホyahoo地図★は私がここ一年間に踏み歩いた東濃・三河・南信・遠江の境目の城達です。今書いている鍬塚城の位置は示したところにありますが、なんで新潟の私がこのようなエリアの山奥の城を踏み歩いているかを釈明します。武田は、元亀3年三河・遠江へと軍を進めます。敵は織田・徳川です。その際、武田が案内としたのが山家三方衆でした。山家三方衆とは田峰菅沼氏、長篠菅沼氏、作手奥平氏の三 [続きを読む]
  • 鍬塚城前編(愛知県設楽町大字東納庫字城山)
  •                     鍬塚城鍬塚城は、名倉盆地の南端北方標高790mの山嶺上にあり、名倉奥平氏の支城と伝わる。名倉側から比高は100m余だが、東のタコウズ面は比高300mを越える要害である。 名倉奥平氏は、戦国当初、宗家作手奥平氏とともに今川方に属していた。永禄元年、織田方の遠山勢と名倉船戸橋で戦い、武功をあげている。義元死後は松平家康、元亀元年には武田方に属す。天正3年、長篠の戦い時 [続きを読む]
  • 城山砦(岐阜県恵那市上矢作町漆原)
  •                      城山砦城山砦は、前田砦のある上村川と飯田洞川合流点から、下流約2.3km(直線距離)の蛇行部にある山に築かれている。前田砦同様に上村合戦時には遠山方の拠点であったようだが、武田の強勢に敗れ、岩村に進駐した武田勢力圏の城として手が加えられ使われたことと思われる。郭・堀名は宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版に準拠、同 [続きを読む]
  • 前田砦後編
  •   後編では、郭2・1、尾根向こうの横堀状に巡り伸びる堀エを辿ります。前編使用写真再掲郭3から堀イ越しに郭2郭2は城内最大郭で、西を堀イ、東を堀ウ、南北側面には帯郭を配し、堅固である。北の帯郭から入ります北帯郭郭2(西から)前田砦中最大の郭。左右(南北)に帯郭を配し、前後(東西)は堀ウ・イで遮断している。西・前編で辿った堀イ越しに郭3南帯郭郭2東部 微高する東端は堀ウで、郭1と隔たる。また、北東隅 [続きを読む]
  • 前田砦前編(岐阜県恵那市上矢作町本郷城山)
  •                 前田砦(ぜんだとりで)前田砦は、上村川と飯田洞川が合流する山尾根末端付近に築かれている。東濃岩村・中津川、武田勢力圏である信州平谷、三河武節(稲武)からの街道が結節する要衝であり、付近では、元亀三年の三方原合戦と並行して行われた秋山伯耆守信友率いる武田別働軍による恵那侵攻に対し、織田方による迎撃戦闘が行われた(上村合戦)。  合戦は熾烈で、織田方の大将遠山景 [続きを読む]
  • 刈安城(岐阜県瑞浪市釡戸町権現山)
  •                     刈安城権現山東山麓には旧中山道が通り、応仁の乱、織田ー武田のせめぎあい、関ヶ原の戦いなどで重視された要衝である。刈安城のほうがメジャーですが、五郎小屋砦のおまけとして書きます登山口は、五郎小屋砦を参照下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18803582.html登山道入り口から15分、刈安神社に至る。登山道は南から東部の郭3(刈安神社)に入るが、主郭1と郭3は堀切 [続きを読む]
  • 五郎小屋砦(岐阜県恵那市武並町藤相戸権現山)
  •  先日、作手古宮城の整備活動に参加した際、東濃のお城マニアの方とお友達になりました。 「8月に五郎小屋砦に行きましたよ」と話したら、たいへん驚いておられました。 お友達記念に、五郎小屋砦(五郎塞)を書きましょう。 刈安城から書くべきでしょうが、そちらはメジャー?で、こちらはネット初出なので、五郎小屋砦を先行させます。五郎小屋砦は、権現山頂から北に派生した尾根上、刈安城から北直線距離250mに築かれ [続きを読む]
  • 石動山城(石川県中能登町石動山)
  •                石動山(最高峰大御前)石動山は越後上杉氏とは旧来の友好宗教勢力で、謙信が天正4年12月、七尾城を攻めるにあたって本陣とした。    中世盛時における石動山の堂塔伽藍(石動山資料館展示資料)別当寺大宮坊伊須流岐神社五重塔跡天正10年、前田勢の焼打ちにより、山側に倒れたようで、周囲からは火災の凄まじさを物語る風鐸片・木組用材・焼土・灰等が出土している(現地説明板)。石動山と [続きを読む]
  • 古府枡形砦(石川県七尾市古府町)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 いよいよラスト(石動山城もいずれ書きますが、宗教勢力の城ですので) (シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )    D地区古府桝形砦(これもネット初出)  古府桝形砦は、多根道と七尾城搦手道との合流点近くに築かれた砦である。史料・伝承は無いようである。天正4年七尾城攻略のため石動山に陣した謙信は、翌5年3月に一旦帰国する。この一次出兵 [続きを読む]
  • 第一義
  •  8月に春日山城地籍の一部を占める大豆町内の文集に作文を投稿しました。 その文集が発行されました。 2年前に「第一義に至る道」と題して上地流の三戦を意義付ける作文をうちの空手の会報に掲載しましたが、 「第一義に至る道」は、上地流の呼吸法と関連した作文でしたので、うちの門下生以外には内容が伝わりにくかったと思います。 今回の作文は上地流三戦との関連は省いていますので、門下生以外にも、第一義が伝わ [続きを読む]
  • 七尾城古府谷山支群(石川県七尾市古府)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 D地区古府谷山支群(ここもネット初出でしょう)(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )   七尾城北西麓、大谷川に沿う尾根上に築かれている。撮影地側から尾根(古府谷山支群)を越え後方山上七尾城に至る尾根道⑨(破線イメージ)を扼す。尾根道⑨に虎口を構え、上方石垣積の主郭北西面直下を通し、完全に⑨を掌握している。尾根道⑨掌握を主眼とした城 [続きを読む]
  • 茶臼山城塹壕状陣地a
  • 茶臼山城1記事中、10月1日リニューアル公開時点では、塹壕状陣地aの写真が無く、掲載しないとしていましたが、写真を撮ってきました。茶臼山城1記事中の、頚城村の山城 花ヶ崎城と茶臼山城に掲載の重複部分を削除し、10月4日に以下を追加しました。(○説明と概念図は頚城村の山城 花ヶ崎城と茶臼山城もあわせて追加・差し替えました。)○主郭の北、五郭下に、緩斜面に向かって低い土塁を胸壁とする塹壕状陣地aを設けている [続きを読む]
  • 頸城村の山城 花ヶ崎要害と茶臼山城
  •   能登続編の途中ですが、10月15日(土)16日(日)に開催される、くびき野レールパーク特別イベントhttp://kubikino-rp.jimdo.com/に勝手に合わせて、頸城村の山城を書きます。 レールパークイベントにおいでの方で、山城にも興味のある方がございましたら、頸城の山城にも出かけてみてください。 私が頸城村(1)で仕事をさせてもらうようになってから、かれこれ20年になろうとしている(平成30年で)。 私が勤務する [続きを読む]
  • 枡形山城(石川県七尾市西谷内)
  •      能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 C地区枡形山城(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )                          枡形山城枡形山城は、国分氏の居城西谷内城の尾根続き、至近750mにあり、佐伯哲也は『能登中世城郭図面集』のなかで、西谷内城の支城であったかもしれないが、天正4年の上杉軍による能登侵攻において上杉方によって攻め落とされ、上杉 [続きを読む]
  • 町屋砦(石川県七尾市町屋)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 C地区町屋砦(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )                   町屋砦釶打郷を見下ろす尾根上に築かれている。佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』では、西谷内城の支城とされ、国分佐兵衛あるいは岡部某が居城したと伝わる伝承を記しているが、その縄張構造から、天正4年頃上杉氏が新たに築城したと推定している。写真左側 [続きを読む]
  • 黒峰城(石川県珠洲市宝立山春日野)
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 A地区黒峰城(シリーズまとめhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html )                                      黒峰城            萩城から西に約6kmほど内陸(山中)に入った黒峰山頂、黒峰往還と法住寺道が交錯する要衝にある。舗装林道が近接するが、標高は436mの山上である。郭・堀・地形名称は佐伯哲也(2015)『能 [続きを読む]
  • 萩城(石川県珠洲市上戸町)
  •   能登続編、各個いきます。  A地区萩城。 (シリーズはこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/folder/509686.html)                                  萩城全景 飯田城の南西約2.5km、黒峰城のほぼ東6kmに位置し、両城とともに櫛の歯状畝状空堀を備え、天正5〜8年に上杉方武将により構築された城と考えられる。珠洲市指定遺跡永禅寺古墳群の範疇であり、大手登り口は南西端だが、 [続きを読む]
  • 薭生城(新潟県小千谷市薭生字城ノ腰)
  •    能登ひと休み とはいっても、この薭生城(ひうじょう)は、唐人とともに甲山城の城将だったと伝わる平子氏の城とされ、甲山城と類似の構造があるのかという視点での観察では能登繋がりともいえる。  今年刊行された福原圭一・水澤幸一編(2016)『甲信越の名城を歩く 新潟編』、吉川弘文館、お手元に新潟の城めぐりを楽しまれている方も多いようであるが、なかでも薭生城の縄張図(鳴海忠夫作図縄張図)が注目を浴び、 [続きを読む]