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亡国の坂道 https://blog.goo.ne.jp/oyasima_2173

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば

亡国の坂道
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2015/01/25

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  • バケツ三杯だって、呆れたね

    摧破異流義考(P.59~61)に、坊主らは「日精上人の造仏・読誦問題」と題して次のように記しています。坊主云く「さて、こうした所論をなす浅井昭衛が挙げられるのは、正信会と同様、十七世日精上人が造仏・一部読誦の問題である。それは、日精上人が寛永十四年に大石寺に晋山して御登座(御相承をうけられたのは寛永九年)される以前、住職を勤められていた江戸の法詔寺ほか縁故の数ヶ寺に仏像を造立し、同時に『随宜論』等の著書中にも造仏・一部読誦を論ぜられた、というものである。浅井は、この問題をことさら取上げて、「間違いだらけである。このような僻事に随ったら大事の仏法はどうなる。ゆえに日興上人は『時の貫主たりと雖も』云々と厳しく戒められたのである」と強調し、さらに、これと同様の非常事態が日達上人の時に再び起こったとして、「日達上人が戒...バケツ三杯だって、呆れたね

  • 貴方(女)だったらどうしますか?

    元妙信講は名誉ある立場と名前を変えて、○○昭和57年10月9日、日蓮正宗顕正会として華々しく国立戒壇の実現を目指して再出発しました。顕正会の将来に目を転じたとき、次代を託すべき草創期の大半の幹部はあまり見当たらなくなりました。あるものは歳を重ね、またある者は自発的に身を引く者等々で数も少なくなりました。いま残るところの幹部を指折り数えて見ても、表には姿を見ることのできない存在となってしまいました。そうしたなかで仮に、血縁の者が後継者に選ばれたとしても、彼が、師と仰ぐべき者が存在しない教団の先行きを考えれば少々不安を感じています。蓮盛抄には次のように記してあります。「止観に云はく、『師に値はざれば、邪恵日に増し生死月に甚だしく、稠林曲木を曳くが如く、出づる期有ること無し』云々。凡そ世間の沙汰、尚以て他人に談合す。...貴方(女)だったらどうしますか?

  • またぞろ「教学部」の設置だってさ

    平成31年3月5日号の顕正新聞が報ずるところによりますと、顕正会の浅井会長はこの度の教学部の設置について次のごとく述べています。「顕正会が三百万・五百万と前進するに伴い、今後、顕正会と国立戒壇に対する怨嫉はますます激しくなる。これら怨嫉者の邪義・邪説を粉砕するため、力ある教学部を新たに設けた」として、教学部員男女合わせて10名を新たに任命し、教学部長に坪田敏氏をあてたと発表しています。そして教学部が為すべき活動として「正義の論陣を張ること。法論を担当すること。教学資料を整理・蒐集すりこと」の三つを挙げていますが、この度の教学部の設置については、何を今さらと云うか、何の新鮮味も感じていません。それよりも何よりも昔の優秀な教学部員で構成されていた妙信講の教学部を何故に廃止したのか、その理由を問い糾したくもなり、腹立...またぞろ「教学部」の設置だってさ

  • 大衆迎合主義の見本だね

    競泳女子のエースと呼ばれてきた、池江離花子選手が白血病と診断され日本国中が大騒ぎとなっている。拙者も心から同情を禁じ得ない一人であるが、そうした中で、オリンピック・パラリンピックの担当大臣の櫻田義孝氏が池江選手について「金メダル候補で期待している選手。本当にがっかりしている」と発言したことが大問題となり、昨日の衆院予算委員会でもこのことが取り上げられ、立憲民政党の寺田学氏から発言が不適切だとの理由で櫻田氏は大臣辞任を迫られ、「配慮を欠いていた。お詫びし、発言を撤回する」などと陳謝している姿がテレビ映像で流されていたが、まことに理解しがたい風潮だと思う。これを大衆迎合主義とでもいうのだろうが、寺田学氏の発言と世論そのものがおかしいのである。拙者は何も池江選手に対する同情や心配をするなと言っているのではない。仮に、...大衆迎合主義の見本だね

  • うっかりすると騙される

    「続・摧破異流義考」(P.70~74)に、坊主が顕正会の浅井会長が本門戒壇の「事の戒壇」と「義の戒壇」の違いについて、明快な正論を簡潔に述べたことに対して、坊主はそれに反発する誹謗記事を掲載していますので、今回はそれを紹介することにします。それをうっかりしてそのまま読み進めていくと坊主に騙されそうになりますが、賢明な皆様は決して坊主の邪議に騙されてはなりません。どうか最後までお付き合いください。二、「事・義の立て分け」の曲会坊主云く『浅井は、「戒壇の事と義の立て分けを示す」として、日寛上人の「法華取要抄文段」を引き、次のごとくいう。「初めに、戒壇の大御本尊まします処を、「義理・事の戒壇」すなわち義の戒壇とされ、「故に当山は本門戒壇の霊地なり」と仰せられている。次に、嫡々書写の本尊所住もまた枝葉として義の戒壇に当...うっかりすると騙される

  • 新年を迎えて

    明けましておめでとうございます。昨年は「摧破異流義考」に記載された坊主が振りまく邪義について、数々の間違いを糺して参りましたが、坊主らはその続編として「続・摧破異流義考」(P.67~70)と題して〝浅井昭衛の悪義の根を絶つ〟等と銘打って、性懲りもなく再び邪義を書き連ねていますので、本年はその邪義の根を徹底して絶つことにしました。坊主云く「前著『摧破異流義考』を刊行してから三ヶ月余、顕正会・浅井昭衛は、ようやく反論らしきものを『顕正新聞』(第457号)に発表した。題して、〝誑惑正当化のこじつけ論理を破す〟。三ヶ月もかけただけあって、この内容には、浅井が苦心惨憺して作った悪義が出尽くしており、浅井自身、これを『まさに御遺命守護の決定版、ミサイルともいうべきもの』と自賛し、さらに取り巻きの太鼓持ち達にも、『誰人も反論...新年を迎えて

  • 顕正会を誹謗する大白法其の二

    次に「国立戒壇」に執着する浅井としてつづけて坊主云く「この指導では浅井は、相も変わらず『国立戒壇』への執着を見せている。浅井は最近、宗門の各誌で掲載される、現在では国立とは国が建設し、国が管理すること。本門の戒壇堂にそぐわないとの指摘を意識してか、国立戒壇といっても、なにも国家の費用で建立し、これを国家が管理するなどというものではない。(同)などとし、それはまさしく『勅宣並びに御教書を申し下して・・・』との仰せのままに、『国家意思の表明』を必要手続きとして建立される戒壇だから、『国立戒壇』と呼ばれて来たのであります。(同)と弁明した。しかし、国語辞典で『国立』を見れば、『国が設立・維持・管理すること』(新潮国語辞典第二叛)とあり、誰もが『国家の費用で建立し、国家が管理する戒壇』と解釈するだろう。また、『三大秘法...顕正会を誹謗する大白法其の二

  • 顕正会を誹謗する大白法其の一

    宗門から発行されている平成30年10月1日付の新聞「大白法」に「異流義破折188」と題して、顕正会が主張する国立戒壇に坊主が誹謗記事を掲載していましたので、今回はそれを紹介しながら坊主の邪義を破折するとともに、最近顕正会の浅井会長が繰り返し宣伝している広告文一辺倒には、拙者も少々疑問を感じていますので、率直な感想を述べてみたいと思います。坊主云く「浅井は、広告文と遥拝勤行で広宣流布はできる。この大道は大聖人様が教えて下さったもの。これこそ広宣流布の最終段階の戦いの姿である(顕正新聞平成30年7月5日付)と指導している。浅井の著書の新聞広告(その著書ですらない)と遥拝勤行で、何を広宣流布するというのだろうか。しかも「この大道は大聖人様が教えて下さった」などと言っているが、当然のことながら日蓮大聖人の御金言にそのよ...顕正会を誹謗する大白法其の一

  • 国立戒壇に反対する坊主は三宝には含まれない

    摧破異流義考(P.65~66)に坊主らは「むすび」と題して、次のような悪態をついて摧破異流義考の執筆を終えていますが、之れが富士門流、日蓮正宗の僧侶が使う言葉かと思うと品位を疑いたくなります。今回も下劣な言葉遣いで顕正会の浅井昭衛氏の悪口を掲載していますが、それも「破邪新聞」が報じた記事を紹介する形を取りながら責任の所在を曖昧にしているのであります。そもそも「破邪新聞」とは、宗門の腐敗堕落と、金取り主義と、権威主義を批判する目的で作られたような得体の知れない新聞で、いわば宗門は、この新聞の存在を徹底して嫌っていました。それが顕正会を攻撃する目的なら何でも有りで、「昨日の敵は今日の友」よろしく、この新聞が報ずる与太話を紹介しながら浅井氏を誹謗中傷しています。こうした節操のない坊主を禿人と呼ぶのであります。坊主云く...国立戒壇に反対する坊主は三宝には含まれない

  • 今度は浅井克衛氏に矛先を向けている

    摧破異流義考(P.61~64)に、坊主らは「大石寺の一門となり通す」と題して次のように記して浅井昭衛氏を批判していますが、トンチンカンというか、的外れというか、浅井氏の主張と坊主らの言っていることは、何等変わるものではないにも拘わらず、浅井氏の主張は、あたかも血脈付法の歴代上人の御言葉を否定しているかの如く書いていますが、頭破七分の病に犯されると、表現の違いも見分けが付かなくなるようです。坊主云く「浅井等の説く師弟相対のあり方の誤りについて述べてきたのであるが、本宗における師弟相対信はいずこに本源を置くべきか。『御本尊七箇之相承』には、「代々の上人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379㌻)と仰せられ、唯綬一人血脈付法の御歴代上人方を日蓮大聖人と拝し、その時代における大聖人の代理者と仰ぐべきことをお示しくださって...今度は浅井克衛氏に矛先を向けている

  • 顕正会の折伏は何故に進まない?

    摧破異流義考(P.56~59)に、「遺誡置文と師弟子の道」と題して、坊主らは尤もらしいことを次のごとく記していますが、今回はどこを切り口にして、坊主らの間違いを糺していくか、躊躇している処でありますが、やはり、上から順に一節づつ切りの良いところで区切って、破折を加えて参りたいと思います。坊主云く「さて、この師弟相対のあり方についてであるが、五十九世日亨上人は、『有師化儀註解』に「『もたげられたる』とは、もちあげたるなり・興起したるなり・奉上するなり。弟子は師匠を尊敬して奉上すること・三世十方の通軌なれば、釈尊は迦葉仏に宗祖は釈尊に開山は宗祖に寛師は永師に霑師に誠師に師侍し・もたげ給ふ、師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等、悉く師に依って行わなはる、師弟の道は神聖ならざるべからず・世間の利害を離れて絶対なら...顕正会の折伏は何故に進まない?

  • 日蓮正宗の邪義を糺す闘いはこれからだ

    摧破異流義考(P.55~56)に「四、浅井等の血脈軽視・猊座冒涜について」と題して大見出しをつけ、その横に太文字の小見だしで「血脈は師弟相対のなかに」として、次のように記しています。云く「大石寺から離反した浅井昭衛一派は、自らを正当化すべく、日蓮大聖人御入滅後も、大聖人から直接に大衆(なかんずく浅井一派)へ血脈が流れることにしようとしておる節があるが、これは大いに誤っている。」第九世日有上人は、「師弟相対十界互具の事の一念三千の事行の南無妙法蓮華経」(聖典978㌻)「師弟相対する処が下種の体にて事行の妙法蓮華経となる」(聖典978㌻)「手続きの師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我弟子も此くのご如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色...日蓮正宗の邪義を糺す闘いはこれからだ

  • 反省なき坊主を叱る

    摧破異流義考(P.52~54)に戒壇「建立の意味について」と題して、これが日蓮正宗の僧侶のいう言葉かと思うと、まさに世の中は「末法濁悪の未来」と仰せられた感を深くするのであります。邪義も屁理屈もここまでくると落胆を通り越して褒めてやりたいような気分になりますが、超嘆息を繰り返しながらやり場のない憤りを覚えるばかりであります。特に赤文字で示したところは、袈裟をまとった天下一品の詐話師のいう矛盾に満ちたウソと屁理屈であります。今回はこれら坊主の欺瞞と屁理屈に反論を加え、反省なき坊主が垂れ流す間違いを指摘し、邪義を破折したいと思います。坊主云く「なお、浅井は、正本堂建立に関して、『未だ広宣流布の時至らざる以前に、究極の建物だけは建ててよい、という文証・道理があったら出してみよ。大聖人は広布の時を待てと仰せなれば、建物...反省なき坊主を叱る

  • 舎衛の三億で広宣流布とは呆れたね

    摧破異流義考(P.49~52)に「三戒壇建立の時期について」と題して、今頃になって坊主らは、半分どこかで聞いたような正論らしきものを述べていますが、悪僧日達の御指南と称するものは、池田大作が広宣流布を誤魔化すために「舎衛の三億」の逸話を持ち出して創作した邪義であります。その邪義を坊主が主権在民の今日に当てはめれば、大聖人様の教えを現代に移した正論だとして日達の振りまく邪義を称揚し、浅井昭衛氏を守文の徒などと誹謗しています。坊主云く「大本門寺戒壇が事相の上に顕現するのは、すでに明らかなとおり、広宣流布達成の時である。しからば、それは何時、どのような状況となった時をさすのであろうか。大聖人は、これを『三大秘法抄』に、『王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁...舎衛の三億で広宣流布とは呆れたね

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