物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG さん プロフィール

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物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOGさん: 物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG
ハンドル名物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG さん
ブログタイトル物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/amazon-japon
サイト紹介文自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか
自由文1歳から80歳あまりの自分史を大正・昭和・平成の近現代史を織り込んで記録する。
近現代史のテーマは戦傾化の解明。
自慢は謎解きのオリジナル。
①樺美智子さん死の真実
②田中上奏文の真実
③狭山事件の真実(未完)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供18回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2015/01/27 13:43

物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG さんのブログ記事

  • 2.26事件/近現代史を振り返るーあとがき
  • 1936.7.12 磯部、村中を除く15士処刑 8.7 「国策の基準」決定 大陸・南方海洋への進出方針 8.11北支処理要綱決定 華北5省の防共親日満地帯建設を企図 11.25日独防共協定 12.12張学良による蒋介石監禁 国共合作の端緒1937.7.7 北京郊外盧溝橋で日支両軍衝突 7.28日本軍、華北で総攻撃開始 8.15対華全面戦争開始(華中-上海で激戦) 8.19北・西田・磯部・村中処刑 8.21 中ソ不 [続きを読む]
  • 2.26事件/大西郷と青年将校/惻隠の情
  • 勝海舟が西郷を悼んだ歌 濡れぎぬを ほさんともせず子どもらの なすがまにまに果てし君かな [勝の言う濡れ衣:征韓論と賊魁視] 出典 www.museum.kyoto-u.ac.jp2.26の首魁たちは大西郷のような豪傑が出現して維新を遂行することを信じて「討奸」テロと永田町一帯と警視庁制圧に踏み切った。結果は西南の役同様一党壊滅に終わった。首魁たちと大西郷が精神と生き方で共通していたことを強調したい。断っておくが両事件を [続きを読む]
  • 2.26事件/玉・民衆・剣/一体化した全体主議の成立
  • 河野司◇編『二・二六事件 獄中手記・遺書』1972年 河出書房新社2.26事件に至って期せずして国体の新たな姿が露わになった。それは、青年将校たちが抱いていた国体の理想の光景を完全に裏切るものだった。国体明徴目的が国体暴露結果となってしまった。かれらがイメージしていた国体は、天皇と国民が何のへだてもなく慈しみ合う「一家団欒」であった。大西郷の敬天愛人に通じるユートピアである。かれらはこのへだたりを取 [続きを読む]
  • 就活、79歳で始めた/傘寿80歳になった!
  • 80歳! 他人様は聞いて高齢に驚くが当人はさしたる感慨がない。いや、頻繁に訃報を耳にするから自分もいつ逝っても不思議でない歳になったんだなあと感じる。実は79歳で初めて終活をした。その経緯を記そう。昨年の今頃から右隣りのご主人が元気に車で動き回っていたのに立て続けに3人亡くなった。正月明けに3人目の隣家のご主人が亡くなって隣近所で改めて弔問に行くことになっていた日、私は午前中の記憶が飛んですぐさ [続きを読む]
  • 2.26事件/村中孝次と栗原安秀・坂井直/旭川連隊
  • 話によれば、陸軍は本事件を利用して昭和十五年度迄の尨大軍事予算を成立せしめたりと、而して不肖等に好意を有する一参謀将校の言ふに「君等は勝った、君等の精神は生きた」 と。不肖等は軍事費の為に剣を執りしにあらず、陸軍の立場をよくせんが為に戦ひしにあらず、農民の為なり、庶民の為めなり、救世護国の為に戦ひしなり、而して其根本問題たる国体の大義を明かにし、稜威を下方民に遍照せらるる体制を仰ぎ見んと欲して、特 [続きを読む]
  • 2.26事件/誰のために/末松太平と対馬勝雄/青森と弘前の連隊
  • 天地にただ一つなるねがひさへ口封じられて死なしめにけり  斉藤 史2.26事件の首魁たちは叛賊として勅令による特設軍事法廷で裁かれたため陳述と遺書で「誰のため」の蹶起か心の底の思いを表現することを許されなかった。国体(天皇と国民の関係)をただすため、という大義名分を深く掘り下げることは、国政の実権を掌握しつつあった軍首脳部とその内外積極策に同調する世論にしてみれば、まったく不必要なことで関心外であっ [続きを読む]
  • 2.26事件/磯部浅一と社会革命/不屈の革命家に変身
  • 革命とは順逆不二なり。国賊でも忠臣でもないのだ。これなるかな、これなるかな (磯部獄中日記 最後のページ) 末松太平『私の昭和史』1963年 中公文庫で再販中磯部浅一と村中孝次は東京と豊橋(対馬勝雄)の首魁だけで決行し、ほかには声をかけなかった。「君側の奸」に対する三大テロは、大洗グループ+学生=10余、海軍青年将校+士官学校生+愛郷塾=20余、陸軍青年将校+下士官・兵士=1400余、と動員数を増幅 [続きを読む]
  • 2.26事件/磯部浅一と青年将校/軍部内訌
  • 磯部浅一は2.26事件を「尊王義軍」と呼び、北一輝の霊感には「国家正義軍」が現れた。呼称の違いに磯部と北の国体観のズレが表れている。蹶起直後の雪の半蔵門 Wikipediaわたしは2.26事件の目撃者に会ったことがある。根本辰・ふみ夫妻が雪降りしきるなかオーバーの襟を立てて反乱軍を観たことを松下ふみさん(夫の病死後再婚)から聞いた。1970年代の初めのことである。モスクワ帰りの哲学学究・根本辰の足跡を追跡し [続きを読む]
  • 大阪北部地震体験記/横揺れと縦揺れ
  •  朝日新聞 6月24日朝刊有馬〜高槻断層帯の東端に居住しているので二つの地震を体験した。阪神淡路大震災では震源が兵庫南部だったので横揺れ(高槻の震度5弱)が長く続いた。今回は震央だったので下から突き上げる大きな瞬時の縦揺れ(校区の震度6弱)だった。代議員として8:00から校門で登校生徒を朝の挨拶で迎えるために早めに登校した三宅璃奈さん(4年生)が犠牲になった。地震発生の時刻次第では、私の孫をふく [続きを読む]
  • 5.15事件/藤井斉海軍中尉/陸軍士官学校生
  • 本稿では3人のカリスマ的教祖(北一輝、権藤成卿、井上日召)とその信奉者藤井斉中尉を主として取り上げて彼らの思想と立ち位置、影響力が透けて見えるようにしたい。時期的には多少前後にはみ出ることもあるが1931年の出来事である。北の家は佐渡の代々造り酒屋、権藤の家は久留米の藩医・東洋古制度学、日召の家は群馬の村医者で、三人とも素封家の出である。アカデミーのエリートコースには進まず、それぞれ洋書、漢籍、修 [続きを読む]
  • 62年ぶりの同窓会=「友だち」会/遊び友達今いずこ
  • わたしは現役時代同窓会に出なかった。出たくても多忙で出られなかった。2年前に引退してから望郷の歌をネットで探して口ずさんだりして、同窓会を待望するように変わった。1週間前に母校屏山中学9期生の喜寿同窓会が久留米でありワクワクしながら参加した。わが故郷では同期生は互いのことを「友だち」という。以下に出て来る「友達」は同期生のことである。110名中30名が参加した。顔に見覚えのある者、名前に記憶のある [続きを読む]
  • 5.15事件/国体論/復古(神格)から革新(人格)へ
  • [ご報告] 前立腺オペの術後、出血と血塊による再閉尿で一時救急処置を受けましたが、その後は経過良好で平癒を迎えました。盛年の頃の機能にもどりました。PVPの実力が能書きどおりであったことをドクターと共に喜んでいます。 匂坂資料全4巻(1989~1991)角川書店1932年 「血盟団」事件 2.9前蔵相井上準之助暗殺 3.5三井財閥総帥団琢磨暗殺1932年 5.15事件 海軍青年将校と陸軍士官学校生ら首相官邸等襲 [続きを読む]
  • 前立腺肥大症オペ/PVP(グリーン ライト レーザー)
  • 前立腺肥大症で数年間苦しんで来た。今回はその闘病記である。月1回2日間ほど頻尿と尿閉の症状があった。今回は三日目も治まらないのでたまらず掛かりつけの中規模H病院で尿道にカテーテルを入れてもらった。応急処置に過ぎないので手術を決意してPVP機器を入れている中規模未満の枚方Y病院を紹介してもらった。北摂の大学病院、大病院はまだPVPを導入していなかった。なぜPVP手術(レーザーで削るのではなく蒸散させる最新治療 [続きを読む]
  • 「血盟団」事件/自己犠牲=自己実現/天皇親政のユートピア
  • 民衆のためとおっしゃって家をかえりみない貴方、私たち母子は大衆ではないのですか。 中島岳志『血盟団事件』 2016年 文藝春秋関東軍の独断専行と満州国の建国(1932年3月1日)により軍国主義はようやく復活した。1931.11.9 京大国粋主義団体・猶興学会、学内外で活動活発化(3か月後血盟団事件に3名連座) 1932.1.10 国防献金による献納機、代々木練兵場で愛国1号、2号と命名 献納機ブームの [続きを読む]
  • 旧制高校の青春/自由と圧殺の分岐点/籠城七日三高ストライキ
  • 小樽高商、早稲田大の軍事教練反対闘争(社研時代)のその後、学園の様相はどう変ったか?一気に軍事訓練が本格化したのでもなく、一気に忠君愛国の日本精神がよみがえったのでもない。数十万の失業者をよそに、銀座ではモボ、モガとよばれたハイカラさんが闊歩し、学園都市では弊衣破帽、高下駄のバンカラも珍しくなかった。90年前の1929年4月、第三高等学校に鳥海山の麓から政治的に無色無所属の苦学生が入学した。その3 [続きを読む]
  • 満洲事変/戦時と泥沼へ
  • 微力ながらシベリア戦争、大正デモクラシーから研究を始めたことにより昭和の戦争への傾斜と道程が見えやすくなった。田中戦傾内閣は内政では治安維持法により共産党封じ込めに成功した。外交では関連機関の東方会議で満蒙経略の大綱(不干渉政策を棄て対米戦争まで覚悟した)を決定し、その個別の獲得目標を記録した「満蒙における積極政策」を偽書「田中上奏文」に見せかけることに成功して具体的な実行目標を隠した。1928年 [続きを読む]
  • 田中義一組閣と東方会義/済南事件・張作霖爆殺事件
  • 1927年、中国大陸では引き続き北伐と反帝国主義の嵐が吹き荒れていた。蒋介石の国民革命軍の時系列行動は以下の通り・・・。3.21上海攻略。3.24南京入城、安全区の日英米領事館襲撃、暴行略奪、軍艦射撃。英米は反撃したが日本は内政不干渉方針を貫く。4.3漢口事件、日本租界襲撃略奪破壊。4.12蒋介石、上海で反共軍事クーデター、共産党活動家の殺害と排除、反共、反ソへ。4.18南京国民政府を樹立・・・。日本 [続きを読む]
  • 日本軍の野望/「次の戦争」像/対米戦争
  • シベリア出兵帝国書院『図設日本史通覧』政府は陸軍主導で青少年に軍事教育を実施し在郷軍人の活動を活発化させた。国難という言葉先行だった。では当時の軍事専門家と政治家は次の戦争にどんなイメージを抱いていたのか、それが本稿の主題である。1920年3月、シベリアでは赤軍もしくはパルチザンが西から反撃してきて沿海州にすでに浸透していた。そして、不利な対日戦を回避するレーニン政府の方針により、ハバロフスク〜ウ [続きを読む]
  • 総力戦=国家総動員体制づくり始動/軍国復活へ
  • 第一次大戦の惨禍は、国際的に非戦と軍縮の気運を醸し出し、平和維持を目的とする国際連盟を作り出す一方で、列強の軍部に総力戦対策強化を促した。日本でも将来の総力戦を不可避と考える軍部を代表して宇垣一成がその任にあたった。本稿では軍縮を逆手にとって予備兵力増と武器近代化を推進した陸軍の軍政と軍国復活の道程を考察する。 『宇垣日記』1954年 朝日新聞社第一次世界大戦では、空に飛行機、陸にタンク、海に潜水艦 [続きを読む]
  • 早稲田の森の怪人/早大・小樽高商軍教事件/ 反動と抵抗
  • 菊川忠雄 『学生社会運動史』(1947年)以下の文は主として上掲書に依拠する。学連が発足してちょうど半年後の1923年5月10日早大軍事研究団発団式の会場である。午後3時前、正門前に突如「早稲田を軍閥に売るな!軍閥を倒せ!会場を占領せよ!反軍事研究団同盟」と大書した看板が立てられ、発団式を無視していた学生たちが足を止めた。軍事教育に対する学生の大方の意識を理解するために、軍事研究団の設立趣意 [続きを読む]
  • 治安維持法適用/京都学連事件/共謀罪の次は?
  • 号外写真の出典 刊行会編佐々木敏二執筆『京都帝国大学学生運動史』(1984年 昭和堂)1922年11月7日、ロシア革命5周年記念日である。玉城素『日本学生史』(1961年)によれば、東大の新人会、早大の文化会、早大その他の建設者同盟、明大の7日会、一高の社会思想研究会、三高の社会問題研究会、五高FR会、七高鶴鳴会など全国26校の学生思想団体が連合して、約50名の代表が当夜、東大学生第二控所に集まっ [続きを読む]
  • 治安維持法朝鮮に適用/テグ真友連盟事件/破壊団を捏造
  • 治安維持法制定時ヴァージョンは、たった二語のキーワード「国体と私有財産」と全7条からなるほぼ無限解釈可能な万能法であった。日露講和条約締結に不満の日比谷焼き打ち暴動、指導者無き米騒動、朝鮮独立万歳3.1運動は、予期しない、前例もない大民衆暴動であったが、軍事力と刑法によって鎮圧、処罰し治安を回復させることができた。ただ同様の暴動が今後は国際共産主義の浸透によって植民地独立と日本革命の動乱に発展しか [続きを読む]
  • 朴烈・金子文子大逆罪適用/義烈団爆弾事件
  • 鈴木裕子編 [増補新版]『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』(2013年) 梨の木舎 大震災の二日後「不逞社」を名乗って思想誌『現社会』(『太い鮮人』名で1,2号発行、広告が集まらないので改称)を発行していた朴烈・金子文子夫妻が「保護」検束された。不逞鮮人を公然と名乗っていたが要視察朝鮮人として尾行、監視されていただけだった。不逞社は、あえて集う者の共通点でいえば「天下国家を亡くせ」と語りあう [続きを読む]
  • 憲兵隊による世直しテロ/大杉栄夫妻と甥虐殺/大正社会運動の扼殺
  • 2009年09月15日大杉栄のお墓参りと大杉栄の甥の橘宗一墓前祭BLOG記事 by hisako kuroiwa 大きな自然石の碑銘の表には、上に「Born in Portoland Ore. 12th 4. U.S.A.」、下には縦書きで、「吾人は須らく愛に生くべし、愛は神なればなり 橘宗一」という文字が彫られている。  だが、衝撃的なのは、墓碑の裏側に刻まれた文字だ。  碑文は以下の通り(写真参照)。 「宗一(八才)ハ、再渡日中、東京大震災ノサイ、大正十二 [続きを読む]